Date: 7月 12th, 2016 AXIOM 80について書いておきたい(その1) http://audiosharing.com/blog/?p=19992グッドマンにAXIOM 80というユニットがあった、ということは、何かで知っていた。 でも私がオーディオに興味を持ち始めた1976年にはすでに製造中止で、 写真も見てはいなかったし、詳しいことはほとんど知らなかったのだから、 名前だけ知っていた、というレベルでしかなかった。 AXIOM 80をはっきりと意識するようになったのは、 ステレオサウンド 50号の瀬川先生の文章を読んでからだ。 * 外径9・5インチ(約24センチ)というサイズは、過去どこの国にも例がなく、その点でもまず、これは相当に偏屈なスピーカーでないかと思わせる。しかも見た目がおそろしく変っている。しかし決して醜いわけではない。見馴れるにつれて惚れ惚れするほどの、機能に徹した形の生み出す美しさが理解できてくる。この一見変ったフレームの形は、メインコーン周辺(エッジ)とつけ根(ボイスコイルとコーンの接合部)との二ヵ所をそれぞれ円周上の三点でベークライトの小片によるカンチレバーで吊るす枠になっているためだ。 これは、コーンの前後方向への動きをできるかぎりスムーズにさせるために、グッドマン社が創案した独特の梁持ち構造で、このため、コーンのフリーエア・レゾナンスは20Hzと、軽量コーンとしては驚異的に低い。 ほとんど直線状で軽くコルゲーションの入ったメインコーンに、グッドマン独特の(AXIOMシリーズに共通の)高域再生用のサブコーンをとりつけたダブルコーン。外磁型の強力な磁極。耐入力は6Wといわめて少ないが能率は高く、音量はけっこう出る。こういう構造のため、反応がきわめて鋭敏で、アンプやエンクロージュアの良否におそろしく神経質なユニットだった。当時としてはかなりの数が輸入されている筈だが、AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。 * AXIOM 80の鮮明な写真と瀬川先生の文章。 このふたつの相乗効果で、AXIOM 80は、その音を聴いておきたいスピーカーのひとつ、 それも筆頭格になった。 けれど瀬川先生が書かれている── 《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。》 ということは、そうでない音で鳴っているAXIOM 80が世の中には少なからずある、ということで、 なまじそういうAXIOM 80の音を聴くよりも、聴かない方がいいのかも……、とも思っていた。 それからというものは、ステレオサウンドに掲載されているオーディオ店の広告、 それも中古を扱っているオーディオ店の広告からAXIOM 80の文字を探してばかりいた。 AXIOM 80を手に入れたいけれど、どの程度中古市場に出ているのか。 どのくらいの価格なのだろうか。 ステレオサウンド 50号の瀬川先生の文章以上の情報はなにも知らなかった。 とにかく、このユニットのことを少しでも知りたい、と思っていた日々があった。 http://audiosharing.com/blog/?p=19992 AXIOM 80について書いておきたい(その2) http://audiosharing.com/blog/?p=21241 50号の次にAXIOM 80がステレオサウンドに登場したのは、 1981年夏の別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」だった。
セパレートアンプの別冊に、スピーカーユニットのAXIOM 80が、 それも大きな扱いの写真が載っている。 巻頭の瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」の中に、 AXIOM 80がある。 その理由はステレオサウンド 62号に載っている。 「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」に載っている。 * この前のカラー見開きページに瀬川先生の1972(昭和47)年ごろのリスニングルームの写真がのっている。それを注意ぶかく見られた読者は、JBLのウーファーをおさめた2つのエンクロージュアのあいだに積んである段ボール箱が、アキシオム80のものであることに気づかれただろう。『ステレオサウンド』の創刊号で瀬川先生はこう書かれている。 そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる。 そして昨年の春に書かれた、あの先生のエッセイでも、こう書かれているのだ。ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さを教えてくれたアンプがJBLであれば、スピーカーは私にとってイギリス・グッドマンのアキシオム80だったかもしれない。 そして、これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを追及してゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。そして、そういう形でディテールの再現される快さを一旦体験してしまうと、もう後に戻る気持にはなれないものである。 現実のアキシオム80の音を先生は約20年間、聴いておられなかったはずである。すくなくとも、ご自分のアキシオム80については……。 それでも、その原稿をいただいた時点で先生は8個のアキシオム80を大切に持っておられた。 これは、アンブの特集だった。先生も、すくなくとも文章のうえでは、JBLのアンプのことを述べられるにあたって引きあいにだされるだけ、というかたちで、アキシオム80に触れられただけだった。 でも……いまでも説明できないような気持につきうごかされて、編集担当者のMは、そのアキシオム80の写真を撮って大きくのせたい、と思った。 カメラの前にセットされたアキシオム80は、この20年間鳴らされたことのないスピーカーだった。 〈先生は、どんなにか、これを鳴らしてみたいのだろうな〉と思いながら見たせいか、アキシオム80も〈鳴らしてください、ふたたびあのときのように……〉と、瀬川先生に呼びかけているように見えた。 * 62号にもAXIOM 80の同じ写真が載っている。 62号を読んで、あのAXIOM 80が瀬川先生のモノだったことを知る。 http://audiosharing.com/blog/?p=21241 AXIOM 80について書いておきたい(その3) http://audiosharing.com/blog/?p=21256 AXIOM 80について書いておきたい(その3) AXIOM 80への思い入れ、それをまったく排除してひとつのユニットとして眺めてみれば、 エッジレスを実現するために、フレームがいわば同軸といえるかっこうになっている。 メインフレームから三本のアームが伸び、サブフレームを支えている。 このサブフレームからはベークライトのカンチレバーが外周を向って伸び、 メインコーンの外周三点を支持している。 ダンパーもカンチレバー方式である。 これら独自の構造により、軽量コーンでありながらf0は20Hzと低い。 この構造がAXIOM 80の特徴づけているわけだが、 聴感上のS/N比的にみれば、サブフレームに関してはなんからの対策をとりたくなる。 もっとも通常のコーン紙外周のエッジは、面積的には無視できないもので、 振動板とは別の音を発しているわけで、 エッジレス構造は、この部分の不要輻射による聴感上のS/N比の低下を抑えている。 けれどサブレームとそれをささえるアーム、そしてカンチレバー。 面積的にはけっこうある──。 エッジとはまた別の聴感上のS/N比の低下がある。 AXIOM 80に思い入れがいっさいなければ、この部分の影響に目が行くだろう。 けれど、いまどきAXIOM 80について書いている者にとっては、 そんなことはどうでもいい、となる。 聴感上のS/N比の重要性について言ったり書いているしていることと矛盾している、 そう思われてもかまわない。 http://audiosharing.com/blog/?p=21256 AXIOM 80について書いておきたい(その4) http://audiosharing.com/blog/?p=21259
AXIOM 80の周波数特性グラフが、 ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に載っている。 低域は200Hz以下はダラ下り、 高域は水平30度の特性をできるだけフラットにするという、 往時のフルレンジスピーカーの例にもれず、AXIOM 80もそうであるため、 正面(0度)の音圧は1.5kHzくらいから上では上昇特性となっている。 10kHzの音圧は、1kHzあたりの音圧に比べ10dBほど高い。 だからといって30度の特性がフラットになっているかといえば、 ディップの目立つ特性である。 このへんはローサーのPM6の特性と似ている。 フィリップスのEL7024/01も同じ傾向があり、 いずれのユニットのダブルコーン仕様である。 AXIOM 80のスタイルを偏屈ととらえるか、 機能に徹したととらえる。 見方によって違ってこよう。 特性にしてもそのスタイルにしても、 新しいスピーカーしか見たこと(聴いたこと)がない世代にとっては、 いい意味ではなく、むしろ反対の意味で信じられないような存在に映るかもしれない。 AXIOM 80は毒をもつ、といっていいだろう。 その毒は、新しいスピーカーの音しか聴いたことのない耳には、 癖、それもひどいクセのある音にしかきこえないであろう。 それにいい音で鳴っているAXIOM 80が極端に少ないのだから。 それも仕方ない。 私だって、AXIOM 80がよく鳴っているのを聴いたことはない。 それに神経質なところをもつユニットでもある。 面倒なユニットといえる。 にも関わらず、AXIOM 80への憧憬は変らない。 《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》 瀬川先生が書かれたAXIOM 80の音、 これをずっと信じてきているからだ。 AXIOM 80の毒を消し去ってしまっては、 おそらく、「AXIOM 80の本ものの音」は鳴ってこないであろう。 http://audiosharing.com/blog/?p=21259 AXIOM 80について書いておきたい(その6) http://audiosharing.com/blog/?p=21267 AXIOM 80は毒を持っているスピーカーだ、と書いた。 その毒を、音の美に転換したのが、何度も引用しているが、 《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》 であると解釈している。 20代の瀬川先生が転換した音である。 心に近い音。 今年になって何度か書いている。 心に近い音とは、毒の部分を転換した音の美のように思っている。 聖人君子は、私の周りにはいない。 私自身が聖人君子からほど遠いところにいるからともいえようが、 愚かさ、醜さ……、そういった毒を裡に持たない人がいるとは思えない。 私の裡にはあるし、友人のなかにもあるだろう。 瀬川先生の裡にもあったはずだ。 裡にある毒と共鳴する毒をもつスピーカーが、 どこかにあるはずだ。 互いの毒が共鳴するからこそ、音の美に転換できるのではないだろうか。 その音こそが、心に近い音のはずだ。 http://audiosharing.com/blog/?p=21267 AXIOM 80について書いておきたい(その8) http://audiosharing.com/blog/?p=21575
ここでのタイトルはあえて「AXIOM 80について書いておきたいこと」とはしなかった。 何かはっきりとした書いておきたい「こと」があったわけではなく、 ここでも半ば衝動的にAXIOM 80について書いておきたい、と思ったことから書き始めている。
書き始めは決っていた。 AXIOM 80というスピーカーユニットを知ったきっかけである。 それが(その1)であり、(その1)を書いたことで(その2)が書けて、 (その2)が書けたから(その3)が……、というふうに書いてきている。 ここではたどり着きたい結論はない。 ここまで書いてきて、オーディオにおける浄化について考えている。 オーディオを介して音楽を聴くことでの浄化。 浄化とは、悪弊・罪・心のけがれなどを取り除き,正しいあり方に戻すこと、と辞書にはある。 音楽を聴いて感動し涙することで、自分の裡にある汚れを取り除くことが、 オーディオにおける浄化といえる。 でもこの項を書いてきて、それだけだろうか、と思いはじめている。 裡にある毒(汚れとは違う)を、美に転換することこそが、 オーディオにおける浄化かもしれない、と。 http://audiosharing.com/blog/?p=21575 AXIOM 80について書いておきたい(その9) http://audiosharing.com/blog/?p=22123 AXIOM80を、私ならどう鳴らすか。 そんなことを妄想している。 まず考えるのはパワーアンプである。 ここは絶対に疎かに、いいかげんに決めることはできない。 まず浮ぶのは瀬川先生がAXIOM 80を鳴らされていたように45のシングルアンプ。 既製品では、そういうアンプはないから自分でつくるしかない。 瀬川先生は定電圧放電管による電源部、無帰還の増幅部で構成されている。 同じ構成にする手が、まずある。 45のフィラメントを、どうするか、とも考える。 シングルアンプだから、それにAXIOM 80の能率の高さと、 ハイコンプライアンスという構造上の問題からすれば、 ハムは絶対に抑えておきたいから、必然的に直流点火となる。 整流回路、平滑回路による非安定化電源か定電圧電源か。 ここは定電流点火としたい。 前段はどうするか。 最近のオーディオ雑誌では出力管の前段を、ドライバー段と表記しているのが目立つ。 前段の真空管をドライバー管ともいっている。 だが真空管アンプのベテランからすれば、わかっていないな、と指摘される。 トランジスターアンプと真空管アンプは、同じではないし、同じように語れるところもあれば、 そうでないところもある。 そのことがオーディオ雑誌の編集者も、 オーディオ評論家と呼ばれている人たちもわかっていないようだ。 無線と実験の別冊として以前出版されていた淺野勇氏のムック。 この本の巻末には、座談会が載っている。 ここでの伊藤先生の発言を読んだことのある人ならば、 出力管の前段をドライバー段とか、ドライバー管とはいわない。 もちろん正しくドライバー段と呼ぶ場合もあるが、 たいていの場合、ドライバー段と呼ぶのは間違いである。 私も、淺野勇氏のムックを呼ぶまでは(10代のおわりごろまでは)、 ドライバー段などといっていた。 http://audiosharing.com/blog/?p=22123 AXIOM 80について書いておきたい(その11) http://audiosharing.com/blog/?p=22160
AXIOM 80を鳴らすパワーアンプのことに話を戻そう。 真空管の格からいえば、45よりもウェスターン・エレクトリックの300Bが上である。 300Bのシングルアンプということも考えないわけではないが、 まずは45のシングルアンプである。 満足できる45のシングルアンプを作ったあとでの300Bシングルアンプ。 私にとってはあくまでのこの順番は崩せない。 既製品でも鳴らしてみたいパワーアンプはある。 First WattのSIT1、SIT2は一度鳴らしてみたいし、 別項「シンプルであるために(ミニマルなシステム・その16)」で触れていように、 CHORDのHUGO、もしくはHUGO TTで直接鳴らしてもみたい。 でもその前に、とにかく45のシングルアンプである。 45のシングルアンプにこだわる理由はある。 17年前、audio sharingの公開に向けてあれこれやっていた。 五味先生の文章は1996年から、瀬川先生の文章、岩崎先生の文章をこの時から入力していた。 入力しながら、これは写経のようなことなのだろうか、と自問していた。 手書きで書き写していたわけではない。 親指シフトキーボードでの入力作業は、写経に近いといえるのだろうか。 オーディオにとって写経とは、どういうことだろうか。 オーディオにとっての写経は、意味のあることなのだろうか。 そんなことを考えながら、入力作業を続けていた。 私がAXIOM 80、それに45のシングルアンプにここまでこだわるのは、 写経のように感じているからかもしれない。 http://audiosharing.com/blog/?p=22160 AXIOM 80について書いておきたい(その13) http://audiosharing.com/blog/?p=22167
森本雅樹氏の記事のタイトルは、 「中高音6V6-S 低音カソ・ホロ・ドライブ6BQ5-PPの定電圧電源つき2チャンネル・アンプ」。 * グッドマンのAXIOM 80というのはおそるべきスピーカです。エッジもセンタもベークの板で上手にとめてあって、f0が非常に低くなっています。ボイス・コイルが長いので、コーンの振幅はかなり大きくとれるでしょう。まん中に高音用のコーンがついています。ところが、エッジはベーク板でとめてあるだけなので、まったくダンプされていませんから、中音以上での特性のアバレが当然予想されます。さらにまたエッジをとめるベークをとりつけるフレームがスピーカの前面にあるのですが、それがカーンカーンとよくひびいた音を出して共鳴します。一本で全音域をと考えたスピーカでしょうが、どうしても高域はまったくお話になりません。ただクロスオーバを低くとれば、ウーファーとしては優秀です。 * 1958年の記事ということもあって、森本雅樹氏のシステムはモノーラルである。 このころ日本でステレオ再生に取り組まれていた人はいたのだろうか。
森本雅樹氏のスピーカーシステムは、 ウーファーがAXIOM 80とナショナルの10PW1(ダブルコーンを外されている)のパラレルで300Hzまで、 スコーカーはパイオニアのPIM6(二発)を300Hzから2500Hzまで、 トゥイーターはスタックスのCS6-1で1500Hz以上を受け持たせるという3ウェイ。 森本雅樹氏はAXIOM 80を300Hz以下だけに、 しかもナショナルののユニットといっしょに鳴らされている。 高域はお話になりません、と書かれているくらいだし、 ウーファーとしては優秀とも書かれているわけだから、 こういう使い方をされるのかもしれないが、 瀬川先生にとっては、認め難い、というより認められないことだったはず。 一昨晩のOさんのやりとりの中でも出たことだが、 森本雅樹氏も、室蘭工大の三浦助教授も、学者もしくは学者肌の人であり、 エンジニア(それもオーディオエンジニア)とは思えない。 AXIOM 80の実測データについては(その4)で書いている。 高域はあばれているといえる特性である。 それにAXIOM 80の独特な構造上、一般的なスピーカーよりも共振物がコーンの前面にあるのも確かだ。 その意味でAXIOM 80を毒をもつユニットともいえる。 その毒の要素を、どう鳴らすか、鳴らさないようにするか。 森本雅樹氏は鳴らさないようにする手法を選択されている。 瀬川先生とは反対の手法である。 http://audiosharing.com/blog/?p=22167 AXIOM 80について書いておきたい(その15) http://audiosharing.com/blog/?p=23166
我にかえる、という。 瀬川先生にとって、AXIOM 80をもう一度は、我にかえる行為だったのか。 この場合の「我にかえる」は、 不明瞭だった意識がはっきりした状態になることではなく、 一時的な自失状態から回復することであるのは、いうまでもない。 オーディオマニアの場合、一時的な自失状態の「一時的」とは、 意外にも長いこともある。 大型のマルチウェイスピーカーを、マルチアンプでドライヴしてきた人が、 あるとき、フルレンジの音を聴いて、我にかえる、ということがある。 やはり大がかりなシステムで聴いていた人が、 B&Oのシステム、ピーター・ウォーカーが健在だったころのQUADのシステム、 そういったシステムに触れて、我にかえることだってある。 ある種極端な情熱をオーディオに注いできた人たちに、 ふっと我にかえる瞬間をもたらすオーディオ(音)がある。 我にかえる、は、我に返る、と書く。 かえるは、返るの他に、帰る、還るがあり、孵るも「我にかえる」である。 http://audiosharing.com/blog/?p=23166 AXIOM 80について書いておきたい(その16) http://audiosharing.com/blog/?p=26715 AXIOM 80には毒がある、と書いてきている。 その毒はどこから来ているのか。
ひとつには独自の構造から来ているとも書いている。 AXIOM 80は通常のエッジではないし、通常のダンパーではない。 それの実現のために、独自の構造、 つまりフレームの同軸構造ともいえる形態をもつ。 メインフレームから三本のアームが伸び、サブフレームを支えている。 このサブフレームからはベークライトのカンチレバーが外周を向って伸び、 メインコーンの外周三点を支持している。 AXIOM 80の写真を見るたびに、 このユニットほど、どちらを上にしてバッフルに取り付けるかによる音の変化は大きい、と思う。 そんなのはユニット背面のAXIOM 80のロゴで決めればいい、悩むことではない、 そんなふうに割り切れればいいのだが、オーディオはそんなものじゃない。 独自のフレームとカンチレバー。 この部分の面積は意外にあるし、この部分からの不要輻射こそ毒のうちのひとつであり、 同じ構造を気現在の技術で現在の素材でつくるとなると、 サブフレーム、三本のアームの形状は断面が四角ではなく、違う形状になるはずだ。 少なくともコーンからの音の邪魔にならないように設計しなおされる。 でも、それだけでは根本的な解決にはいたらない。 AXIOM 80の現代版は、フレームの同軸構造を内側から外側へと反転させる。 サブフレームはメインフレームよりも小さいのを、メインフレームよりも大きくして、 メインフレームの外側に位置するようにしてしまう。 そのためユニット全体の口径は振動板の大きさからすれば、ひとまわり大きくなるが、 そうすればカンチレバーもメインフレーム外側にもってくることができ、 バッフルに取り付けた正面は、一般的なダブルコーンである。 サブフレームとカンチレバーは、バッフルに取り付けた際に、 バッフルに隠れるし、この部分からの不要輻射はバッフルが抑える。 http://audiosharing.com/blog/?p=26715 AXIOM 80について書いておきたい(その17) http://audiosharing.com/blog/?p=28246
AXIOM 80には毒がある、と(その16)でも書いているし、 他でも何度か書いている。 別項「ちいさな結論(「音は人なり」とは)」では、毒をもって毒を制すことについて書いた。 オーディオ機器ひとつひとつに、それぞれの毒がある。 聴き手にも、その人なり毒がある。 それ以外の毒もある。 いくつもの毒がある。 それらから目を背けるのもいい。 けれど、毒をもって毒を制す、 そうやって得られる美こそが、音は人なり、である──、 そう書いている。 毒から目を背けるオーディオマニアが、いまは大半なのでは……、とそう感じることが増えつつある。 だからこそ、毒を持たない(きわめて少ないと感じられる)スピーカーが、高評価を得る。 長島先生がジェンセンのG610Bからの最初の音を「怪鳥の叫び」と表現されたが、 もう、この「怪鳥の叫び」が本当に意味するところを理解できるオーディオマニアは少数かもしれない。 それが技術の進歩がもたらす時代の変化(音の変化)というぐらいのことは理解できないわけではない。 けれど、そういったスピーカーで、(その15)で書いた「我にかえる」ことにつながっていくだろうか、という疑問が私のなかにはある。 しかもそれが強くなってきている。 http://audiosharing.com/blog/?p=28246 Date: 1月 2nd, 2022 AXIOM 80について書いておきたい(その19) http://audiosharing.com/blog/?p=36336
瀬川先生にとってのスピーカーの「あがり」は、 グッドマンのAXIOM 80だったのかもしれない──、 と(その18)で書いた。
(その14)では、 瀬川先生は、もう一度AXIOM 80を鳴らされそうとされていた、ときいている、 45のシングルアンプを、もう一度組み立てられるつもりだったのか──、 とも書いている。 AXIOM 80を45のシングルアンプで鳴らす。 その音は、いまどきの超高級ハイエンドオーディオシステムの鳴らす音と、どう違うのか。 ここでいいたいことも、「心に近い」ということに関係してくる。 AXIOM 80と45のシングルアンプが奏でる音こそ、 瀬川先生にとってのもっとも「心に近い」音なのだろう。 http://audiosharing.com/blog/?p=36336
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