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エイゼンシュテイン 十月 (1928年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/970.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 22 日 17:42:37: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: エイゼンシュテイン 戦艦ポチョムキン (1925年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 22 日 12:27:01)

セルゲイ・エイゼンシュテイン 十月(1928年。Октябрь)


監督
セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン 、 グリゴーリ・アレクサンドロフ


脚本
セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン 、 グリゴーリ・アレクサンドロフ


撮影 エドゥアルド・ティッセ


音楽 ディミトリ・ショスタコヴィッチ


美術 ヴァシリ・ゴブリーギン


動画




ソビエトが生んだ偉大な映画作家セルゲイ・M・エイゼンシュテインがソビエト革命十周年記念映画として製作した作品。


彼一流のモンタージュを、ヴィジョン構成の方法として用い、一九一七年の三月から十一月までの激動するソビエトをとらえている。


監督・脚本は前記のセルゲイ・M・エイゼンシュテイン。また、共同監督・脚本にグリゴーリ・アレクサンドロフが名を連ねている。撮影はエドゥアルド・ティッセ、音楽はディミトリ・ショスタコヴィッチ、美術はV・ゴブリーギンが担当。無声。


革命前夜のソビエトは、大きく揺れ動いていた。帝政ロシアの第一次大戦の連戦連敗により、ツアーリズムは最期をむかえ、社会生活の困難にストライキが頻発。そのような情勢に、ボリシェビキの指導者レーニンは、来たるべき革命は、プロレタリア革命であることを強調。そして、四月にスイスより帰国したレーニンは、「いっさいの権力をソビエト(評議会)へ!」というスローガンを唱えた。


このレーニンの方針は、メンシェビキや社会革命党の主張と、根本的に対立、次第に激化した対立をひきずったまま、六月中旬に、ペトログラードにて第一回全ロシア・ソビエト大会が開かれたが、ボリシェビキは少数で、メンシェビキと社会革命党のにぎる臨時政府と、戦争継続への支持が強かった。しかし、七月一日に四〇万の人々によって、戦争反対のデモが起きた。


その後、ボリシェビキに対する強い弾圧が加えられ、レーニンはフィンランドに亡命。九月に入ると、ロシアの食糧事情は極度に悪化し、ボリシェビキの支持者は増加し、亡命中のレーニンは、武装蜂起をうながした。十月二十日、ひそかにペトログラードに帰ったレーニンは、中央委員会に参加、蜂起は第二回ソビエト大会の前日、十一月六日と決定した。


当日、軍事委員会の蜂起指令により、労働者の赤衛軍は、各連隊の兵士、クロンシュタットの水兵と共に行動をおこし、要所を占領。十一月七日(露歴十月二十五日)午前十時、軍事革命委員会は、臨時政府の倒壊とソビエト政権の樹立、講和会議の開催、地主的土地所有の廃止などを宣言。そして、赤衛軍が冬宮を攻撃する砲声がとどろく中で第二回全ロシア・ソビエト大会がスモルヌィで開かれ、すべての権力をソビエトに移すことを宣言した。
https://movie.walkerplus.com/mv12030/


 

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コメント
1. 中川隆[-13567] koaQ7Jey 2020年3月22日 17:44:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1337] 報告
エイゼンシュテイン「十月」のモンタージュ
BeauMale 2012.2.20
http://beaubeau.jp/yuki/october.html

セルゲイ・エイゼンシュテインの「十月」である.制作年外が 1927 年というのと 1928 年というのがあるが、恐らく制作は 27 年で 28 年に公開ということではないかと思う.原作はジョン・リードの「世界をゆるがした十日間 (ちくま文庫)(Ten Days that Shook the World)」である.これの岩波文庫版を読んだが滅法面白い.アメリカのジャーナリストである彼はボルシェヴィキと行動を供のしていたのでレーニン贔屓である.ロシア革命はニューヨークの資本家から資金が提供されていたという話もある.エイゼンシュテイン自身はハリウッドに呼ばれたことがあるし、チャプリンなどとは仲が良かったらしい.尚この映画はサイレントであるが、DVD は音楽と群衆の声と馬の足音や銃声などの効果音が入っている.また、サイレントにしては字幕が非常に少なく画面だけで解るようになっている.

モンタージュはフィルム編輯のことである.エイゼンシュタインの編輯はカットで割ってその画面をどう繋ぐかにある.異なったものを繋いで一つの意味を作り出すと言うことに主眼が置かれている.冒頭の皇帝の銅像、群衆、銅像に縄を掛ける、群衆の歓呼という異なったショット群の繋ぎが意味を生成する.

参考:

YouTube - Search results for Octobre Eisenstein
https://www.youtube.com/results?search_query=Octobre+Eisenstein&search_type=search_videos&search=Search



全編のヴィデオがあるのだったらこんなに写真を拾う必要なかったが、以下は冒頭の部分を全ショットを拾ってみた、大きな彫像が九つのショットに分けられている.一回映せばよいのを何故カットを割って画面を作るかというと、これこそが画面に強度を与え、リズムを与えるからである.前回取りあけたラオール・ウォルシュの「限りなき追跡」の冒頭の駅馬車がカットを割ることによって力強さを獲得している.あのように一つの動きを幾つものカットに分けていく技法を Cutting on action [en] とかアクション・カッティングスというが、あるところに載っていたラオール・ウォルシュの「白熱」の解説に

この映画や「死の谷」など、ウォルシュの絶好調時を思うと、今のハード・アクションなんてちゃんちゃらオカシくって観てられない。暴力は溢れてるけど、映画自体の活動(アクション)が無いんですよ、今の映画は。

とあってこのアクションとはカッティング・オン・アクションまたはアクション・カッティングのことである.少し前に井口奈己という監督の「犬猫」を評して小津安二郎や成瀬巳喜男やベルトルッチやキアロスタミや黒沢清が共存しているというのでそれは凄いと DVD を買って観たが、なるほど箇々のショットは誰を思わすというのがあるが強度がないと感じた.思うにそれはこの意味でのアクションが無いことだと思う.



最後から二つ目のショットでこの像がアレキサンダー三世だと解ってそれも束の間、群衆が走り出す.そのシーンも角度を変えて幾つかのショットに分割される.




そしてまた皇帝像に戻る.今度は梯子が掛けられ何人かが登り綱を架ける.




そして綱が引かれる所でシーンは兵士、労働者、農民の歓声を上げている群像へと変わる.




ロシア革命の歴史を知らない人はこれがレーニン達の起こした「10月」革命と思うかも知れない.それ程に革命の熱気と祝祭空間がここには溢れている.面白いことに歓声は皇帝像が引き倒されてから起きるものだが綱が引かれる段階で起きている.この歓声の後実際に引き倒されるのであるが手や足がもげ、首がもげ最後に胴体が台から引き摺り落とされるという経過を辿る.その後もう一度群像の歓呼の画面が再現される.その様子は下のヴィデオにある.この革命は第二革命と言われた二月革命である.第一次大戦の連合国側に加わって参戦したロシアの民衆は三年近く続く戦争にうんざりして兎に角皇帝ツアーを退位させて、ブルジョワ政党による臨時政府を樹立した.

YouTube - TheFirstMinutesofOctober [en] この冒頭シーンのみ抜粋






併し祝祭気分は何時までも続かない.皇帝を退位させても何も変わらないのだ.戦争は継続され、兵士は塹壕で苦しんでいる.その様子も勿論複数のショットで表現されている.



そして飢えである.雪の中何時間も配給に並ぶ人々は映されている.時間が経つと雪の中で倒れるものが続出する.



四月、そんなときに待っていた人が帰ってきた.スイスに亡命中のレーニンである.ドイツは東西に戦線を広げていて、ロシアと対峙している東部戦線が離脱することを願っている.レーニンをロシアに送り込めば混乱が起きるかもと踏んでフィンランド経由で送り返した.ペテログラード(今のサンクトペテルブルク)はピヨートル大帝が作った都市でそれ以来ロシアの首都であったが、そのフィンランド駅に民衆はレーニンを今か今かと待ち構えていたのである.レーニンは革命は労働者農民によってなされたと演説する.



政権は臨時政府にあるが、無産階級からなるソヴィエトも力を持っていて二重の政府があるような状態であった.併し、段々臨時政府に対して不満を募らせ七月には大々的な武装デモを行うようになった.



レーニンらのボルシェヴィキは彼らを沈めようと必死になった.この写真はトロツキーだと思うが冷静に自重しろと呼び掛けているが民衆の声にはかき消されてしまう.



そこに大々的に臨時政府の反撃が行われる.デモ隊に対して実弾を発砲して弾圧を開始した.そして逃げ惑う人々



馬車を引く白馬が流れ弾に当たり、労働者地区から市の中心部に繋がる跳ね橋が上げられ馬が宙吊りになる.跳ね橋を上げれば労働者のデモ隊は市の中心に近付けない.



労働者を傘で刺しもしたブルジョワ夫人達が嬉々としてボルシェヴィキの機関誌「プラウダ」をネヴァ川に捨てる.



スモーリヌイの修道院にあったボルシェヴィキの本部はこの有様.



臨時政府の首班には陸海軍大臣兼任のケレンスキーが就いていた.ケレンスキーはこの映画一番の美男子である.



皇帝達の玉座に座るケレンスキーは今や皇帝としてこの映像が繰り返し一緒に挿入されナポレオンとも比較される.



反乱した兵士は前線に送られ、トロツキーを始め多くのボルシェヴィキの幹部は逮捕され、レーニンも潜伏を余儀なくされる.自然というものの描写のないこの映画で唯一こうした自然が描写される.舟で行く人がレーニンなのだろうか墨絵のような画面である.



そこに新事態が発生した.最高軍司令官に任命されたコルニロフ将軍が軍を掌握し、保守派の支持を集め革命で獲得した兵士の権利を剥奪しケレンスキーに同調を求めてきた.ケレンスキーはそこまで妥協は出来ない.今や二人の皇帝が並び立つ事態である.併し、ケレンスキーは保守派も離れボルシェヴィキからも支持を得られない.孤立無援の状態である.コルニコフ将軍は英国製戦車までも持つ機械化部隊で首都ペテログラードを目指して進撃している.



臨時政府は事態をこまねいてみているだけである.地下に潜伏中のボルシェヴィキが立ち上がった.捕まった同士は解放され、



民衆はスモーリヌイのボルシェヴィキの許に続々と集まった.武器庫が解放され武器が人々の手に渡る.



コルニロフ軍が軍用列車でペテログラードに近づくと列車は止められ、兵士達はボルシェヴィキに着く.各地で同じ事が起き最早軍隊は統制が取れない状態である.とてもかなう相手ではないがコルニロフ軍は自己崩壊してしまった.ボルシェヴィキの勝利である.



ボルシェヴィキの中央委員会が開かれ今後が話し合われる.トロツキーは時期尚早として政権奪取に反対する.トロツキーは理念的でマルクスの歴史の展開を信じているのであろう.先ずブルジョワ革命が起きそれが成熟してプロレタリア革命だと思っているようである.



レーニンは即時に政権を武力で奪取しなければまた弾圧されて散り散りになると現実的である.



結局武力による政権奪取を主張するレーニンの考えが通って政策が決定された.武器が配られ臨時政府のある冬宮が包囲される.また市内の重要拠点は全て占拠される.



アヴローラ号 もボルシェヴィキに着いてネヴァ川で冬宮に向けて大砲の照準が合わせる.



冬宮を守るのは士官学校の生徒と、この女性軍団と、コサック砲兵隊しかいない.女性軍団の兵士達は皇帝のビリヤード台であられもない姿で化粧をしたり寛いでいる.



一方、全ロシアのソヴィエト大会が開かれている.この組織が最高議決機関なのである.全戦代表、水兵代表、シベリア代表、と文字通り全ロシアから集まっている.政党もボルシェヴィキの他にもメンシェヴィキ、社会革命党などが来ている.政権奪取の賛否は圧倒的多数でレーニン達ボルシェヴィキの武力蜂起による政権奪取が支持される.これで公式に武装蜂起は承認されたのである.



冬宮は包囲されたがこのまま突撃すれば死傷者が出る.革命側から降伏勧告の最後通牒の軍使が遣わされる.これがこの映画では珍しい縦の構図である.



軍使は女性軍団の司令官に通報を渡す.渡すとき字幕が入ってこれがおかしい、女性軍団が何だい小父さんとでも言ったのであろう、小母さんと言いかけて同胞、最後通牒ですと渡す.最後通牒は閣僚にまで渡されるがケレンスキーはいない.ボルシェヴィキが武装蜂起を決めてからその様子を見るためか亡命のためかアメリカの国旗をつけた高級車で市内を走っていたが行方知れずである.最後通牒への解答は延々と来ない.



解答が来ない間、コサック砲兵隊はボルシェヴィキのオルグが入り降伏してしまう.女性軍団も多くが降伏する.それでも解答は延々と来ない.閣僚らはなすすべも無く寝転んだり座っているだけである.そんな閣僚の一人が窓の飾りに描かれた竪琴を指で爪弾くとロダンの「春」という彫刻が映され、そこに女性軍団の一人がやってくる.物語の大筋とは全く関係無い画面であるが、この革命劇の唯一のエロティシズムを表現している画面だと思う.以下このショットも全て拾ってみた.



一向に解答が来なくて待っていた軍使も引き上げた.そして一斉攻撃が始まった.



冬宮は千を越す部屋数のある巨大な宮殿であるが革命軍は突入する.殆ど抵抗もないまま制圧してしまった.捕虜になった士官学校生が皆宮殿の銀のスプーンやフォークを盗んで隠し持っているのはおかしい.



そしてレーニンによってプロレタリア革命が成就したことが告げられ、プロレタリア国家を建設しなければならないと宣言される.



今から観れば表現過多の所もあるが、この映画の力強さは素晴らしい.その力強さ細かくカット割りした画面によるものだと言う思いが強くなった.

http://beaubeau.jp/yuki/october.html



▲△▽▼


エイゼンシュテイン監督「全線(古きものと新しきもの)」、「十月」を観る
〜 ショスタコーヴィチ「交響曲第12番『1917年』」が流れる 2019年01月14日
https://blog.goo.ne.jp/tora6yoshi/e/7c98571ca0e1aa028b58b07cfbdb7c49

現在、高田馬場の早稲田松竹では、ソビエトが生んだ偉大な映画監督セルゲイ・M・エイゼンシュテイン(1898−1948)の生誕120年・没後70年祭を開催中です  



昨日、「全線(古きものと新しきもの)」と「十月」の2本立てを観ました

「全線(古きものと新しきもの)」はエイゼンシュテイン監督・脚本による1929年ソ連映画(モノクロ・無声・90分)です

ロシアの貧しい農村で働く農婦マルファは、農業教師指導のもとに小さな協同組合を作る 組合では牛乳分離機という新しい機械を手に入れ牛乳の生産に取り組むが、それが評判になり組合員が増える 種牛も組合共有で飼育する。収穫の時期になると従来の牛や馬ではなく機械(トラクター)の必要を感じるようになり、マルファは組合の代表者として町へ出て官僚主義の役人と交渉する その留守中、種牛は富農の手によって毒殺されてしまう しかし、マルファたちはトラクターを手に入れ機械化による新しい農業の時代を切り開いていく
     


出演者は主人公の農婦マルファ以外は全員素人ということに驚きます この映画では1925年の「戦艦ポチョムキン」で新たに実験的に取り組んだ特殊なモンタージュ技法を使用しています それは、空に牛の姿が浮かび上がる映像として結実しています

この作品は無声映画なので、最初から最後まで90分間いっさい音がありません そのため睡眠不足の状態で観ると途中で目が閉じる可能性が高いので気を付けた方が良いと思います

それにしてもよく分からないのは「全線」という邦題です。「古きものと新しきもの」は、「古きもの=従来のしきたり・やり方、新しきもの=機械化・合理化」といった意味だろうと理解できますが、「全線」は理解できません。「全線不通」の全線ですか? 私は頭が良くなので理解できません



「十月」はエイゼンシュテイン監督・脚本による1928年ソ連映画(モノクロ・109分)です

帝政ロシアの第一次世界大戦での連戦連敗により、1917年にはツァーリズム(絶対君主制)は最期を迎え、社会生活の困難にストライキが頻発していた そのような情勢の中、指導者レーニンは来たるべき革命はプロレタリア革命であることを強調した そして4月にスイスから帰国したレーニンは「いっさいの権力をソビエト(評議会)へ!」というスローガンを唱えるが、この方針は、メンシェビキや社会革命党の主張と根本的に対立するものだった 

6月にペトログラードで第1回全ロシア・ソビエト大会が開かれたが、レーニンが率いるボリシェビキは少数派で、メンシェビキと社会革命党の握る臨時政府と、戦争継続への支持が強かった。しかし、これに対し7月に40万人規模の戦争反対のデモが起きた その後、ボリシェビキに対する強い弾圧が加えられ、レーニンはフィンランドに亡命する。

9月に入るとロシアの食糧事情は極度に悪化し、ボリシェビキの支持者は増加、亡命中のレーニンは武装蜂起を促した。10月20日 密かにペトログラードに帰ったレーニンは、中央委員会に参加、蜂起は第2回ソビエト大会の前日、11月6日と決定した。当日、軍事委員会の蜂起指令により、労働者の赤衛軍は各連隊の兵士らと共に行動を起こし、要所を占領する 11月7日(ロシア歴10月25日)午前10時、軍事革命委員会は、臨時政府の倒壊とソビエト政権の樹立、講和会議の開催、地主的土地所有の廃止などを宣言した

 そして、赤衛軍が冬宮を攻撃する砲声が轟く中、第2回全ロシア・ソビエト大会がスモルヌィで開かれ、すべての権力をソビエトに移すことを宣言した

    



この作品はエイゼンシュテインが、ソビエト革命十周年記念映画として製作した作品で、1917年の3月から11月までの激動するソビエトを描いています この映画でも特殊なモンタージュ技法を駆使した映像表現を見せています

この映画は無声映画であるにも関わらず、音声のみならず音楽まで入っています 映画の冒頭ではショスタコーヴィチの「交響曲第12番作品112『1917年』」の第1楽章が流れます また、映画の末尾では同曲の第4楽章が流れます 曲のサブタイトルにあるように、この曲は1917年のロシア革命を描いた作品なので、これ以上この映画に相応しい音楽もないでしょう また、この映画では彼の他の作品(ヴィオラ・ソナタ?)なども流れます

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906−1975)が「交響曲第12番作品112」を作曲したのは1961年で、初演も1961年です したがって、エイゼンシュテインが1928年に製作した無声映画に、後からショスタコーヴィチの交響曲や彼の作品、その他の音声を加えて編集したことになります 

因みに「交響曲第12番」は第1楽章「革命のペトログラード:モデラート〜アレグロ」、第2楽章「ラズリフ:アダージョ」、第3楽章「アウローラ号:アレグロ」、第4楽章「人類の夜明け:アレグロ〜アレグレット」の4楽章から構成されています 
エイゼンシュテインの巧みな映像表現にショスタコーヴィチの音楽が加わることにより、より一層深みが増し 作品の芸術的価値が高められています

https://blog.goo.ne.jp/tora6yoshi/e/7c98571ca0e1aa028b58b07cfbdb7c49

2. 中川隆[-13566] koaQ7Jey 2020年3月22日 17:46:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1338] 報告

ショスタコーヴィチ: 交響曲 第12番 ニ短調 Op.112 「1917」 ムラヴィンスキー 1984











EVGENI MRAVINSKY 30 April.1984
Leningrad Philharmonic Symphony Orchestra

1. 「革命のペトログラード」Moderato - Allegro 12:03
2. 「ラズリフ」Allegro - Adagio 11:24
3. 「アウローラ」Allegro - Allegretto 4:47
4. 「人類の夜明け」Allegro - Allegretto 10:15

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