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プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 18 日 10:36:27: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: プッチーニ オペラ 『ラ・ボエーム』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 18 日 07:40:11)

ジャコモ・プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』



カラヤン指揮 『プッチーニ 蝶々夫人』




『蝶々夫人』(オペラ映画) ポネル演出
カラヤン&ウィーン・フィル、フレーニ、ドミンゴ




 蝶々さん(蝶々夫人)/ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
 ピンカートン(アメリカ合衆国海軍士官)/プラシド・ドミンゴ(テノール)
 スズキ(蝶々さんの召使)/クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
 シャープレス(長崎のアメリカ合衆国領事)/ロバート・カーンズ(バリトン)
 ゴロー(結婚周旋人)/ミシェル・セネシャル(テノール)
 僧侶(蝶々さんの叔父)/マリウス・リンツラー(バリトン)
 ケイト・ピンカートン/エルケ・シャリー(メッゾ・ソプラノ)
 ヤマドリ/ジョルジョ・ステンドロ(バリトン)
 ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)


 制作時期:1974年1月,9月ウィーン(音声)、1974年11月,12月ベルリン(映像)
 演出:ジャン=ピエール・ポネル
 装置:オットー・ピッシンガー
 映像監督:ヴォルフガング・トレウ


このオペラ映画は、1974年1月にカラヤンがデッカにおこなったセッション録音のピンカートン役を、ドミンゴが1974年9月に録音したテイクに差し替えた音源を使用して映像部分の制作がおこなわれたもので、奇抜なアイデアが盛り込まれたその映像内容は賛否両論でした。
 演出家のジャン=ピエール・ポネルは、生き生きとしたドラマ進行とシルエットやポーズの象徴的な表現で人気のあった人物で、ここでも奇抜な視覚要素を散りばめながらも、悲劇に向けての進行を鮮やかに描き出しています。
 冒頭、障子を突き破ってあらわれるTシャツ姿のドミンゴにはじまり、異様な様式化を施された日本家屋や、文字通り仰天せざるを得ない神官の登場シーンなど、日本人から見れば奇想天外もはなはだしい描写が連続する演出ではありますが、プッチーニ自身、別に民俗考証万全の台本に取り組んだ訳ではなく、これはこれでメルヘンとして、美しい音楽を活かす演出と言えるのかもしれません。
 実際、プッチーニ自身は『蝶々夫人』の音楽を、数ある自作の中でも特に気に入っていたと言いますが、カラヤン指揮する演奏の、ときに陶然とするばかりの耽美的なドラマ構築はそうした話を十分に裏付ける見事なものと言えると思います。(HMV)
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1407270003/


カラヤン指揮ウィーン・フィル、ミレッラ・... 投稿日:2014/09/14
カラヤン指揮ウィーン・フィル、ミレッラ・フレーニ主演の『蝶々夫人』のアルバムは万人に薦めうる名盤なのだが、同時期に撮影された映画版のほうは、なんとも評価に困る、不思議な作品になってしまっている。


演奏はとにかく 素晴らしい。フレーニの可憐で叙情的な蝶々さん、パヴァロッティから交代したプラシド・ドミンゴの明朗で華やかなピンカートン、ルートヴィヒのいぶし銀のようなスズキ、そしてカラヤンによる流麗豪華な伴奏。


ただ、ジャン=ピエール・ポネルの演出がどうにも・・・・・ 時代設定は原作では幕末維新期だがこのポネル版では第一次大戦後ということになっている。
ピンカートンがTシャツでうろうろしているのもそのためなのだが、やや滑稽に写る。そして蝶々さんの顔だけを真っ白に丸く塗ったメイクとか、蝶々さんの住んでる家が日本のような中国のような朝鮮のような(そしてそのどれでもない)、なんちゃって東洋風みたいな意匠になってるのも脱力もの。


そして冒頭でいきなり登場するドミンゴ(ピンカートン)の障子破り脱出!!
これは衝撃的なラストシーンとつながっているのだが、まるでドリフのコントのようだ(笑)。


よくこれでカラヤンはOKしたなぁと思うが、イギリスの批評家リチャード・オズボーンはこのポネル版のことを「すべての感情が納得できる」「フレーニの演技はLP版より深く激しいように思われる」と絶賛していたりするので、日本人と西洋人とでは感じ方が違うのかなぁ。
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衝撃的な演出なので賛否の分かれるところで... 投稿日:2010/10/12 (火)


衝撃的な演出なので賛否の分かれるところでしょうが、この演出を見て、初めてピンカートン側の心情が理解できました。
彼には日本も蝶々さんも龍宮城のように現実感がなく夢のように素敵に思えていたのでしょう。そして、子供の存在によって現実を突き付けられ、逃げ出してしまうのです。
最後蝶々さんがピンカートンの目の前で自刃するという演出も初めてみましたが、これも正解だと思います。そうでなければ、わざわざ交換条件であんなことを言う必要はないのですから。
ポネルはやっぱりすごいです。いつでもそのオペラの本質を伝えてくれます。
https://www.hmv.co.jp/en/artist_プッチーニ-1858-1924_000000000019573/item_『蝶々夫人』全曲%EF%BC%88オペラ映画%EF%BC%89-ポネル演出、カラヤン%EF%BC%86ウィーン・フィル、フレーニ、ドミンゴ、他%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%94-ステレオ%EF%BC%89_1501210


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歌劇『蝶々夫人』 カラヤン&ウィーン・フィル フレーニ、パヴァロッティ





Cio-Cio San: Mirella Freni
Pinkerton: Luciano Pavarotti
Sharpless: Robert Kerns
Suzuki: Christa Ludwig
Goro: Michel Senechal
Il Commissario Imperiale :Hans Helm
Il Principe Yamadori: Giorgio Stendoro
Kate Pinkerton: Elke Schary
L'ufficale Del Registro: Siegfried Rudolf Frese
La Cugina: Martha Heigl
La Madre: Evamaria Hurdes
La Zia: Erna Maria Muhlberger
Lo Zio Bonzo: Marius Rintzler
Yakuside: Wolfgang Scheider


Herbert von Karajan: Wiener Philharmoniker 1974



ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル
ミレッラ・フレーニ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ロバート・カーンズ、クリスタ・ルートヴィヒ
DECCA。1974年1月、ゾフィエンザールでの録音。


2014年、パヴァロッティのデッカ50周年を記念しての2CD+Bluray Audio。
24bit-96kHzのリマスターの音をそのまま聴くと、ウィーン・フィルのものすごい音色に驚かされる。カラス盤のモノラルとは大違いのオケの雄弁さである。
それにしてもジャケットが十二単とは笑ってしまう。日本的なら時代考証無しでもOKなのか。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/butterfly.htm


パルパティーン皇帝 5つ星のうち5.0
決定的名盤 2014年3月11日
カラヤンは『蝶々夫人』を2度録音している(映像収録が1度)。
1度目は1955年のEMI録音で、主役はかのマリア・カラス。
全盛期のカラスの炎のような歌唱と、壮年期のカラヤンのシャープな指揮とが火花を散らすスリリングな内容だった。ただ、残念ながらモノーラル録音であったため、録音にこだわりを持つカラヤンは再録音を考えた。


1974年1月、ウィーンのゾフィエンザールで行われた2度目の録音は主役にカラヤンお気に入りのミレッラ・フレーニ、オケはウィーン・フィル、録音はデッカという万全の体制であった。そしてこの2度目の録音は『蝶々夫人』の決定的名盤として40年後の現在でも不動の地位を保っている。


とにかく歌手陣が豪華。蝶々さんの相手役ピンカートンにルチアーノ・パヴァロッティ、乳母スズキにクリスタ・ルートヴィヒというのだから。フレーニの可憐な蝶々さん、パヴァロッティの能天気だがチャーミングなピンカートン、ルートヴィヒの包容力あるスズキがそれぞれ非常に魅力的。プッチーニに絶対の自信を持つカラヤン指揮ウィーン・フィルの流麗で甘美な伴奏が興趣を盛り上げてゆく。


音質も抜群で、さすが録音自慢で知られたデッカだけのことはある。
大のカラヤン嫌いで知られる評論家の宇野功芳氏ですら絶賛した、名盤中の名盤である。
https://www.amazon.co.jp/プッチーニ-歌劇「蝶々夫人」全曲-カラヤン-ヘルベルト・フォン/product-reviews/B004Q84Y2C/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


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Puccini - Madama Butterfly / New Mastering + Presentation (Maria Callas - Century’s rec. : Karajan)




Butterfly : Maria Callas
Suzuki : Lucia Danieli
B.F. Pinkerton : Nicolai Gedda
Kate Pinkerton : Luisa Villa
Sharpless : Mario Borriello
Goro : Renato Ercolani
Yamadori : Mario Carlin
Bonzo : Plinio Clabassi
Commissario : Enrico Campi


Orchestra E Coro Del Teatro Alla Scala Di Milano
Chorus Master : Noberto Mola
Herbert Von Karajan
Recorded in 1955


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ミラノ・スカラ座
マリア・カラス、ニコライ・ゲッダ、マリオ・ボリエッロ
EMI。1955年モノラル録音。
カラスの演技力に期待して買ったが、ちょっとあてが外れた感じ。
カラヤンのステレオ録音はパヴァロッティ、LDはドミンゴなので買う気がしない。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/butterfly.htm



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ソプラノ歌手「ミレッラ・フレーニ」の訃報 2020年02月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af7bf3f5e1d77f3540001f3e47d5f3c5


つい先日の日経新聞に載っていたソプラノ歌手「ミレッラ・フレーニ」の訃報記事が目に留(と)まった。オペラファンとして残念なことだが84歳なら天寿を全うしたと言えるかもしれない。


ヴェルディ、プッチーニなど主にイタリア歌劇で活躍し「フレーニ抜きではスカラ座は成り立たない」と、専門誌に書かれていたのを見たことがあるほどの一時代を画した名歌手である。


彼女の十八番(おはこ)といえば、オペラ「ラ・ボエーム」(プッチーニ)の中で最も有名な曲として知られる「わたしの名はミミ」。


たしか収録されていたCDを持っていたはずだがと探してみたら、ありました。


第3トラックに収録されていたので、久しぶりにじっくり耳を澄まして聴いてみた。いかにも声量豊かで、大きな歌劇場向きの遠くまで届くような張りのある歌唱力というのが第一印象だった。


オーディオでいけばウェスタンの「555+ホーン」のような音ですかな(笑)。


彼女の声質はやはりドラマティックな場面でここぞとばかり朗々と謳いあげてくる「イタリア歌劇」に合っている気がした。


ちなみに、人生を狂わされてしまったほど大好きな「テバルディ」にも同じ曲があって、この際とばかり聴き比べてみた。


スピーカーは「AXIOM80」の2発入り!


溢れる涙を流さずに聴いてはいられない人生最高の至福の時間である(笑)。
その結果、「力強さ」では前者、「抒情性」では後者に軍配が上がった。


さて、フレーニの歌唱力は分かったが、ときに可憐さが求められるモーツァルトのオペラではどうなんだろう?


彼女がオペラ「魔笛」の王女役(パミーナ姫:ソプラノ)となって録音したCD盤があってもついぞ不思議はないが、これまで一度もお目にかかったことがない。


ほかのCD盤に「フィガロの結婚」第3幕から「スザンナは遠いのね・・・」が収録されていた。


やっぱり、モーツァルトにはちょっと声質が強すぎるかなあ・・・。


「困ったときは、とにかくその対象物を細分化せよ」ということわざがある。


そこで「ソプラノ」(女性の歌う高い方の声域)を細分化してみると、次のとおり。


✰ コロラトゥーラ・ソプラノ → 最も高いソプラノ(夜の女王役)


✰ スーブレット → 最も軽いソプラノ


✰ リリック(抒情的)・ソプラノ → その次に軽いソプラノ(パミーナ役)


✰ リリコ・スピント → その次に軽いソプラノ


✰ ドラマティック・ソプラノ → 最も重量級のソプラノ


(スーブレット以下の区分は、音色と音質の差であり、音域はあまり関係ない)


ひとくちにソプラノといっても、ご覧のとおりいろんな種類があるが結局、フレーニは「ドラマティック・ソプラノ」ということに尽きるようだ。


やはり、家庭のオーディオ・システムでひっそりと聴くにはもったいない、大きな舞台で実演で聴けば聴くほど光り輝く歌手だと思う。


長年、花形役をこなし、沢山の人たちに音楽を聴く喜びを与えたのだから声楽家冥利に尽きるのではあるまいか。


どうか安らかにお眠りください。合掌
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af7bf3f5e1d77f3540001f3e47d5f3c5



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プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」


 私は、はっきり言ってこの曲は駄作だと思う。
ところどころ出てくる日本の陳腐なメロディとアメリカ国歌の安っぽさは、どうにも我慢がならない。よって、「ある晴れた日に」と「さらば愛の家」とフィナーレだけ聴けば、あとはどうでもよい。
http://classic.music.coocan.jp/opera/puccini/butterfly.htm



『蝶々夫人』(Madama Butterfly)とは、プッチーニによって作曲された2幕もののオペラである。いわゆるプッチーニの「ご当地三部作」(あとの2作は「西部の娘」、「トゥーランドット」)の最初の作品である。


長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。物語は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが1898年にアメリカのセンチュリー・マガジン1月号に発表した短編小説(Madame Butterfly)」を原作にアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが制作した戯曲を歌劇台本化したものである。1904年2月17日、ミラノのスカラ座で初演されたそれは大失敗だったが、同年5月28日ブレシアで上演された改訂版の成功以来、標準的なレパートリー作品となっている。


色彩的な管弦楽と旋律豊かな声楽部が調和した名作で、日本が舞台ということもあり、プッチーニの作品の中では特に日本人になじみ易い作品である。


特に第2幕のアリア「ある晴れた日に」は非常に有名である。
反面蝶々役の歌手にとっては終始出ずっぱり・歌のパートも長く多い(第二主役であるピンカートンの数倍に及ぶ)ため、また若く愛らしい娘の役であるにも拘らず、プッチーニのソプラノ諸役の中でも特にテッシトゥーラが低く、中低音域に重点を置いた歌唱が求められるため「ソプラノ殺し」の作品とも言われる。


原作 - ジョン・ルーサー・ロングの短編小説「蝶々夫人」とこれを戯曲化したデーヴィッド・ベラスコの「蝶々夫人」
台本 - ジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ
作曲 - ジャコモ・プッチーニ
初演 - 1904年2月17日、イタリア、ミラノのスカラ座


作曲の経緯


蝶々夫人との出会い


プッチーニは24歳の若さで最初のオペラを書き上げてから、35歳の時書き上げた3作目の「マノン・レスコー」で一躍脚光を浴びた。 その後「ラ・ボエーム」(1896年)、「トスカ」(1900年)と次々と傑作を生み出した。彼が「蝶々夫人」を書くのは、そんな音楽家として、正に脂の乗り切った時期であった。


「トスカ」を発表してから、次のオペラの題材をプッチーニは探していた。1900年「トスカ」が英国で初演されるときプッチーニはロンドンに招かれた。その時、デーヴィッド・ベラスコの戯曲「蝶々夫人」を観劇した。英語で上演されていたため、詳しい内容はわからなかったが、プッチーニは感動し、次の作品の題材に「蝶々夫人」を選んだ。


制作の開始


同年にプッチーニはミラノに戻ると、『トスカ』の台本の執筆を手がけたイルリカとジャコーザに頼んで、最初から3人の協力で蝶々さんのオペラの制作が開始された。翌年には難航していた作曲権の問題も片付き、本格的に制作に着手した。プッチーニは日本音楽の楽譜を調べたり、レコードを聞いたり、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集め、日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだ。当時の日本大使大山綱介の妻・久子に再三会って日本の事情を聞き、民謡など日本の音楽を集めた。1902年にはプッチーニはパリ万国博覧会で渡欧していた川上貞奴に会ったとも云われている。オペラ歌手の小嶋健二がイタリアの指揮者セルジオ・ファイローニ(Sergio Failoni)の未亡人から聞いた話では、ファイローニがプッチーニに蝶々夫人をなぜ作ったか聞いたところ「日本女性を愛してみればよくわかる」と答えたという[1]。


自動車事故と結婚


1903年2月にプッチーニは自動車事故に遭って大腿部を骨折し、一時は身動きも出来ない重傷を負った。春になると車椅子生活での作曲を余儀なくされた。しかしプッチーニは制作を精力的に進め、その年の12月27日に脱稿した。その年の内に楽譜は小説「蝶々夫人」も初版と同じセンチュリー出版社からヤーネル・アボットの挿絵入りの単行本として出版された。原作者ロングはこの小説の戯曲化とオペラ化を大いに喜んで序文に「あの子が美しくかつ哀しい歌を歌って帰ってくる」と記している。また翌1904年1月3日にはプッチーニはトッレ・デル・ラーゴで夫人エルヴィラと正式に結婚の儀式を行っている。


初演の失敗と後世の評価
初演で蝶々夫人を演じたロジーナ・ストルキオ。拍手ひとつなく、舞台裏で泣き崩れた[2]。プッチーニは同作の成功を誓い、自らの生存中はスカラ座での再演を禁じた[2]


現在ではイタリアオペラの主要なレパートリーとなっている「蝶々夫人」だが、1904年2月17日ミラノ、スカラ座での初演はプッチーニの熱意にもかかわらず振るわなかった(彼の作品は本作に限らず、初演で不評を買うのが常であった[3])。失敗の理由はいくつか指摘される。初演版では、第2幕に1時間半を要すなど上演時間が長すぎたことや、文化の異なる日本を題材にした作品であったため観客が違和感を覚えたという原因が挙げられている。
ひどく落胆したプッチーニだったが、すぐさま改稿に取りかかった。改訂版の上演は3か月後の同年5月28日、イタリアのブレシアで行われ、大成功を収めた。その後、ロンドン、パリ公演とプッチーニは何度も改訂を重ね、1906年のパリ公演のために用意された第6版が、21世紀の今日まで上演され続けている決定版となっている。
本作は抒情的なテーマを盛り上げる美しいメロディや複雑な和声効果の使用などプッチーニの音楽の特色が現れた作品であり、イタリアオペラを代表する演目の一つとなっている。
プッチーニにとっては、ジュゼッペ・ヴェルディによって完成されたロマン派オペラの後継者としての地位、イタリアオペラのマエストロの地位を確立させることになった代表的作品である。


編成
配役


主な登場人物
蝶々さん(蝶々夫人)(ソプラノ)
ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン(テノール)
シャープレス領事(バリトン)


脇役とされる登場人物
ヤマドリ公爵(テノール)
勅使
ゴロー(テノール)
ボンゾ(蝶々さんのおじ。「坊主」か?)(バス)
スズキ(メゾソプラノ)
ケイト・ピンカートン(ピンカートンのアメリカ本国での妻)(メゾソプラノ)


その他の登場人物
登記係
蝶々さんの母
蝶々さんのおば
蝶々さんのいとこ
薬師手(バリトン)
蝶々さんの子
蝶々さんの知り合いと船乗りたち


楽器編成
ピッコロ(第3フルート持ち替え)・フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、バスーン2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、コントラバストロンボーン(多くはチンバッソで代用)、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、銅鑼、鉦、ハープ、弦五部(14型)
舞台裏でヴィオラ・ダモーレ(通常ヴァイオリンで代用される)・銅鑼・梵鐘類・鐘・鳥笛・大砲


あらすじ
時と場所:1904年の長崎。


第1幕


アメリカ海軍の戦艦エイブラハム・リンカーン所属の海軍士官ピンカートン(Pinkerton)は日本人の少女と結婚することになった。
結婚斡旋屋のゴロー(Goro)が、長崎にきたピンカートンに、結婚後に暮らす丘の麓の家や、下女のスズキ(Suzuki)や下男を紹介して機嫌を取っている。
そこへ駐長崎領事のシャープレス(Sharpless)がやってくる。ピンカートンはここでアリア「ヤンキーは世界のどこへ行っても」を歌う。シャープレスは優しい心の男であり、ゴローが紹介した少女がこの結婚が永久の縁と堅く信じていることを思い出し、戸惑う。だがピンカートンは、この結婚も一時の愛だとシャープレスの危惧を一笑に付すのであった。


そこへ蝶々さん(Cio-Cio-San)が芸者仲間とともに現れる。このとき「さあ一足よ」を歌う。シャープレスが可憐なこの15歳の少女に身の上を問うと、実家は大村の没落士族の家であると答え、父から頂いた切腹のための刀の入った箱を披露する。それにより、座は一時しらけてしまうが、ゴローによって結婚式の準備が進められる。蝶々さんは前日にキリスト教に改宗したことを告げる。 三々九度など一連の結婚の儀式が済んだ頃、蝶々さんの叔父のボンゾ(Bonze)が現れる。彼は蝶々さんの改宗を怒って詰問するが、ピンカートンに追い払われる。うろたえる蝶々さんを慰めるピンカートン。2人はここで愛の二重唱「可愛がってくださいね」を歌う。


第2幕


結婚式から3年が過ぎた。ピンカートンは任務が終わり、アメリカ合衆国に帰ってしまっていた。彼は蝶々さんに「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と約束していた。蝶々さんの忠実な下女スズキは彼は既にそれらを反故にしたのではと疑うが、ピンカートンを信頼する蝶々さんにとがめられる。


きっと夫は帰ってくると信じてやまぬ蝶々さんは、ここでアリア「ある晴れた日に」を歌う。


その頃、シャープレスはピンカートンがアメリカ本国でアメリカ人女性と結婚したことを本人の代わりに蝶々さんに告げることになっていた。しかし蝶々さんの夫への信頼を見た彼は、それを壊すようなことはできなかった。蝶々さんはピンカートンの手紙を見て喜ぶ。そこへゴローが裕福な紳士ヤマドリ公(Prince Yamadori)を連れてやってくる。ヤマドリ公は蝶々さんに結婚を申し出るが、夫からの手紙に喜んでいる蝶々さんはそれを拒否する。ゴローは蝶々さんは離婚された妻であると説明しようとしたが、蝶々さんは激しく断る。「それは日本の習慣に過ぎない。今の私はアメリカ人である」と。ゴローとヤマドリ公がすごすごと帰ってしまうと、シャープレスと蝶々さんは「友よ、見つけて」を歌う。


そして、シャープレスがピンカートンが帰ってこなければどうするのか、と蝶々さんに問うと、芸者に戻るか、自刃するしかないと答え、困惑したシャープレスが「ヤマドリ公の申し出を受けてはどうか」と勧めると、「あなたまでがそんなことを言うのか」と怒り、シャープレスに彼女とピンカートンとの子供を見せ、「わが夫がこの子を忘れようか」と言い放ち、「子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ」と泣き叫ぶ。シャープレスはいたたまれずに去っていく。


スズキは蝶々さんの悪評を拡げようとするゴローを捕まえる。蝶々さんにとって悪い話が次々と届く中、遠くにピンカートンの所属艦エイブラハム・リンカーンが兵員の到来を礼砲で告げた。それを望遠鏡で見つけた蝶々さんとスズキは喜び、家を花で飾り、二重唱「桜の枝を揺さぶって」を歌う。そして自分達と子供を盛装させ、障子を通して、ピンカートンの帰りを凝視する。夜が過ぎ、長いオーケストラとのハミングコーラスのパッセージが演奏される中、スズキと子供は眠ってしまう。蝶々さんは決して後悔していなかった。



第3幕


夜が明けた蝶々さんの家。蝶々さんは寝ずの番をしていた。スズキは目覚め、子供を蝶々さんのもとへ連れて行く。スズキは憔悴した蝶々さんを休むよう説き伏せる。ピンカートンとシャープレスが登場し、スズキに恐るべき真実を告げる。しかし、ピンカートンは罪悪感によって深く打ちひしがれ、自身を恥じていた。余りに卑劣なことで自分の口から蝶々さんに告げることはできず、彼は義務を放り出して去ってしまう。このときピンカートンはアリア「さらば愛の巣」を歌う。スズキは、はじめは猛烈に怒っていたが、シャープレスから、蝶々さんが子供を渡してくれれば、ピンカートンのアメリカ人妻がその子を養育するということを聞き、説き伏せられてしまう。


蝶々さんはピンカートンと会えると思い、目を輝かせて登場する。しかしピンカートンの代わりに彼のアメリカでの妻ケイト(Kate Pinkerton)と対面させられる。蝶々さんは感傷的な穏やかさをたたえつつ真実を受け止め、礼儀正しくケイトを祝福した。これで平穏が見いだされるであろうと。それから、ケイトやシャープレスにお辞儀をし、子供を渡すことを約束する。そしてスズキに家の障子を全部閉めさせ一人きりになる。障子越しに侍るスズキに対しては、「子供を外で遊ばせるように」と命じて下がらせる。


蝶々さんは仏壇の前に座り、父の遺品の刀を取り出し、「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん(Con onor muore chi non puo serbar vita con onore.)」の銘を読み自刃しようとするが、そこへ子供が走ってくる。蝶々さんは子供を抱きしめアリア「さよなら坊や」を歌い、子供に目隠しをし、日米の国旗を持たせる。そして、刀を喉に突き立てる。今際の際でも子供に手を伸ばす蝶々さん。そこへ異変を聞きつけたピンカートンとシャープレスが戻ってくるが、とき既に遅く、蝶々さんは息絶える。幕。



著名なアリア


「ある晴れた日に」
「蝶々夫人」の中でも特に代表されるアリアであり、単独で歌われることの多いものである。伝説のソプラノ歌手、マリア・カラスもこのアリアを十八番としており、現在出回っている彼女のベスト盤の多くにこのアリアが収められている。
サミー・フェインは、この曲を参考に映画「慕情」の主題曲を作曲した。


「可愛がってくださいね」
第一幕で蝶々さんとピンカートンが歌う二重唱。旋律とハーモニーの美しさで有名。


「さらば愛の巣」
ピンカートンのアリアの中で最も有名。


「さよなら坊や」(かわいい坊や)
最後のアリア。


引用された曲
当時のジャポニスムの流行も反映してかプッチーニは日本の音楽を収集し、使用している。そのため、同時期に作られた「ミカド」などよりは、はるかに日本的情緒のある作品に高めており、今日、日本人に好まれるオペラの一つにしている要因となっている。 この「引用、転用」は後に「トゥーランドット」でも行われる。

「宮さん宮さん」
「さくらさくら」
「お江戸日本橋」
「君が代」
「越後獅子」
「かっぽれ(豊年節)」
「推量節」
「星条旗」



蝶々夫人を演じた日本人


三浦環。1916年
大正から昭和初期にかけて活躍したソプラノ歌手の三浦環は、この蝶々夫人役を得意とし、その生涯において世界各地で数多く蝶々夫人役を演じた。1915年に初の日本人による蝶々夫人役としてロンドンのオペラハウスで演じたのを皮切りに、約20年間暮らした海外だけでも2000回以上公演した[2]。現在でも長崎のグラバー園にはその功績を称える三浦の像がある。


他に、蝶々夫人を得意とした日本人ソプラノ歌手には、戦前のヨーロッパで活躍した原信子・喜波貞子(きわ ていこ)・田中路子(1932年にオーストリア・グラーツでデビュー)、同じくヨーロッパで戦中戦後に渡り活躍した伊藤敦子・長谷川敏子(1944年、イタリアミラノ・スカラ座で日本人初の出演)、20世紀後半以降は東敦子(1972年、蝶々役でメトロポリタン歌劇場デビュー)、林康子(1972年、蝶々役でスカラ座デビュー)、片野坂栄子(1977年、ミュンヘン国立ゲルトナー歌劇場のプレミエで歌った「蝶々夫人」は絶賛を博し“黄金のばら賞”を受賞。この他、ヨーロッパの各歌劇場にて200回以上もこのオペラを主演) らがいる。


映画では、1954年(昭和29年)にカルミネ・ガローネが監督として、東宝とリッツオーリ・フィルム=ガローネ・プロの日伊合作が製作された。『蝶々夫人』のタイトルロールを当時宝塚歌劇団在団中でタカラジェンヌだった八千草薫が演じ(吹き替えはオリエッタ・モスクッチが担当。)、日本だけでなくイタリアでも大評判をとった。


「蝶々さん」は誰か?


揚羽蝶
「蝶々夫人」の舞台となった日本では長らく「『蝶々夫人』のモデルは誰か?」ということが議論されてきた。ロングの実姉サラ・ジェニー・コレルは、1890年代初頭から鎮西学院五代目校長で宣教師でもあった夫とともに長崎の東山手に住んでいた。ロングは、姉のコレル夫人から聞いた話から着想を得て、小説を執筆したとされている。


長年、有力視されていたのは、幕末に活躍したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻、ツルである。これは彼女が長崎の武士の出身であることや、「蝶」の紋付をこのんで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来する。長崎の旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、物語の設定と一致する。しかし、ロングの小説で具体的に記述されている蝶々夫人の経歴に、ツルの生涯と似ている部分があるが、重要部分で異なる点も多いため、モデルと考えるのは不自然との意見もある。一方、グラバーとツルの間に生まれた長男の倉場富三郎がペンシルベニア大学に留学していたこと、ロング本人が、「姉は倉場富三郎に会ったことがある」と語ったと言われることなどは、「蝶々夫人=グラバー・ツル」説を裏付ける要素とされている。ただし、ロングは小説が実話に基づくとは明言しておらず、また、彼自身がアメリカ士官を貶めているともとれる小説の人物設定について多くの批判を受けていたこともあり、真相は曖昧にされたまま現在に至る。


ツルが最初の結婚でもうけた娘・センの子孫の調査によると、ロングの小説『マダム・バタフライ』に登場する家がグラバー邸内と酷似していることと、ロングがのちに書いた戯曲『マダム・バタフライ その20年後』の原稿に「Dam. Too-ri」とメモがあり、ツルと読めることから、ロングはツルを下敷きにしていたと思われるが、内容自体はツルの経歴とは異なり、創作である[4]。


当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し、現地妻となった女性が多く存在していた。また19世紀初めに出島に駐在したドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも、日本人妻がいた。下級の軍人が揚屋などの売春宿などに通って欲望を発散する一方、金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしていた。この際の婚姻届は、鎖国から開国にいたる混乱期の日本で、長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認しており、飽くまでも一時的なものだった。相手の女性も農家から長崎の外国人居留地に出稼ぎに来ていた娘であり、生活のために洋妾になったのである。互いに割り切った関係であり、この物語のように外国人男性との関係が真実の恋愛であった例は稀である。現に、シーボルトの日本人妻だった楠本滝は、シーボルトの帰国後に婚姻・離婚を繰り返している。まして、夫に裏切られて自殺をした女性の記録は皆無であり、蝶々夫人に特別なモデルはいない創作上の人物であると考える説も有力である。


批判
植民地主義時代の偏見に基づいたストーリーを未だに演じることへの批判や反論は国内外問わず根強くあり、2007年には、イギリスの音楽教授でプッチーニの専門家、ロジャー・パーカーが人種差別的であるとして批判した[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/蝶々夫人
 

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コメント
1. 中川隆[-13700] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:39:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-279] 報告

オペラに描かれたダメダメ家庭 配信日 05年2月11日  (10年4月8日に大幅に改訂)
タイトル 蝶々夫人(原題:Madama Butterfly)
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm
https://medium.com/dysfunciton/オペラ-蝶々夫人-作曲者はプッチーニ-8c18eefbcbd9


作曲 ジャコモ・プッチーニ
初演 1904年 ミラノ スカラ座


先日のインド洋の津波で、救援のため、アメリカ海軍の空母「リンカーン号」が出動しました。

アメリカ軍の船のリンカーン号は、オペラにも出てきます。勿論のこと、かなり前の代のものでしょうが。

リンカーン号が出て来るオペラは、あの有名な作品、プッチーニ作曲の「蝶々夫人」です。

長崎を舞台に、アメリカ軍人のピンカートンに捨てられたチョーチョーさんが自決する話です。

ピンカートンはリンカーン号に乗って長崎にやってくるんですね。
どうやらアメリカ軍においては、リンカーン号は、太平洋周辺で活動するのが慣わしとなっているんでしょうね。

今まで、このカテゴリー「作品の中で描かれたダメダメ家庭」では、多くの映画を取り上げて来ました。今回は趣を変えてオペラにしてみます。

オペラ「蝶々夫人」って、名前くらいは聞いたことあるでしょ?

「ピンカートンとチョーチョーさんの家庭がダメダメ家庭なの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、そう言うことではありません。むしろチョーチョーさんの発想のスタイルが、ダメダメ家庭出身者の発想スタイルの典型と言えるわけ。
最近はオペラのCDは図書館で借りることもできます。図書館によってはヴィデオやDVDを借りることができるところもあります。

ご興味が出てきましたら、対訳を読みながらCDを聞いたり、字幕つきのDVDやヴィデオで見たりしてみては?

では、チョーチョーさんのどんなところがダメダメ家庭的なのでしょうか?具体的に検証してみましょう。

1. 家柄自慢・・・ダメダメ家庭出身者は意外にも、自分の出身家庭の家柄を自慢したりするわけ。そもそもダメダメ家庭では地縁,血縁に拘ることが多いことは、このメールマガジンで何回も書いています。このチョーチョーさんも「私の家はお侍で、本当はこんな芸者稼業をする人ではないのよ!」と言っています。自分の出身家庭に誇りをもつことは結構。しかし、そんな感情が「自分の本当の姿はこんなモンじゃないんだ!」という現在の自分への否定的な感情なり、被害者意識につながって行きやすいわけ。

2. 母とは疎遠・・・非業の死を遂げた父のことは語れても、まだ存命中の母親のことについては語れない。どうも折り合いが悪そう。ピンカートンから捨てられた後で、母親と相談してもいいのに、どうしてそうしないの?あるいは、結婚式において、チョーチョーさんが叔父さんにいじめられている時に、間に割って入って、娘をかばうのが本来の母親の役目でしょ?それにアメリカ軍人との「結婚」がどういう意味を持つのか?大人である母親がもっと娘に説明する必要があるでしょ?どうもチョーチョーさんの母親は、母親の役割を果たしていないわけ。

だからこそチョーチョーさんは、家柄自慢はしても、家族自慢はしない。亡き父親を語っても、母親は語れないわけ。

3. 親戚の問題・・・チョーチョーさんの親族は、それこそ自決した父親、影の薄い母親、アルコール中毒の叔父、宗教に入れ込んでいる叔父・・・と、こんなメンツ。いかにもダメダメ家庭の親戚ですよね?

4. 近隣から孤立・・・チョーチョーさんの結婚式の際に出て来るご近所さんの対応をみるにつけ、このチョーチョーさんはご近所から「浮いて」いたことがよくわかります。まあ、ダメダメ家庭の人間は会話ができないので、どうしても地域から「浮いて」しまいがち。その上、最初の家柄自慢が加わるので、ますます疎遠になってしまう。それに、ちょっとのことでスグに逆上したりする傾向があるので、ご近所さんも警戒したりする。だからどうしても孤立しやすい。

5. 発想が極端・・・ピンカートンと結婚する段になって、チョーチョーさんは従来の宗教を捨てて、キリスト教に改宗する。それはそれでいいのですが、ピンカートンはそんなことは求めていません。チョーチョーさんの宗教が何だろうと関係ないと思っているわけ。まあ、サスガにお歯黒はイヤがりますが、宗教なんてどうでもいいわけです。

実際にピンカートンは仏像を「大切にしようね!」って、言っているくらいです。ピンカートンにしてみれば、チョーチョーさんは、どうせ現地妻なんですからね。宗教よりも容姿ですよ。ただダメダメ家庭の人間は往々にして発想が極端。そして相手に入れ込んでしまうことになる。退路を断つというよりも、もともと大切なものを持っていないわけ。

だからこそ、宗教だって、簡単に乗り換えることができてしまう。それに、仏像を捨てられるということは、従来のお寺とのやり取りも、うまく行っていなかったということでしょ?

6. 玉の輿狙い・・・「いつも上手く行かない!」と思っている女性は、いい男をゲットして一発大逆転の玉の輿を狙おうとする。おまけにダメダメ家庭の人間は「恋に恋する」妄想癖がある。現実離れした男を「すばらしい!」と思ったりするわけ。

あるいは自分の家柄自慢に引っ張られて、「家柄がよければOK!」という無謀な玉の輿を狙ったりするんですね。チョーチョーさんもそのタイプ。そして結婚後は、周囲に対して「これからは私をピンカートン夫人とお呼び!」と言い放ったりするわけ。

しかし、会話のできないダメダメ家庭出身の女性と結婚するような男性は、何か問題があるもの。マトモな男性なら、会話の楽しい女性と結婚するものでしょ?
結局は、とんでもない事態になってしまうんですね。

7. 会話が無い・・・日本女性とアメリカ男性の国際結婚なのだから、いたしかたがない面もありますが、この夫婦には会話がない。まあ、イタリアオペラなんだからイタリア語で会話がちょっとありますが。会話がないから、捨てられたチョーチョーさんがピンカートンの思い出を語ることも出来ないわけ。せめて「あの時の会話は楽しかったわ!」くらいなら、まだいいのですが・・・会話が無いから思い出もないわけ。「あの時には、一緒にこんなことをした。」そんな思い出話もない。そもそも、この「蝶々夫人」というオペラは、結婚前の情景と、夫が立ち去った後の情景の2幕でできています。逆に言うと、結婚生活は描かれていないわけ。つまり、愛情あふれる結婚生活を描いているわけではなく、それが「失われた」と言っても、それが本当に存在していたとはいえないわけ。

有名なオペラであるヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」では、ヴィオレッタとアルフレードの楽しい新婚生活が描かれています。だから、それが失われるがゆえに、喪失感なり悲痛な心情を持つわけ。。

その「椿姫」も、結婚生活を描いた第2幕がないと、印象が変わるでしょ?
オペラ「蝶々夫人」は、意識的に、その結婚生活の描写がないわけです。

8. 現実を見ない・・・ダメダメ家庭は現実を受け入れることをしない。結局は妄想の中で生きているわけ。チョーチョーさんはピンカートンに捨てられたのを受け入れない。ただ「帰ってくるわ!」「帰ってくるわ!」の一点張り。そしてドンドンと妄想の深みにはまって行く。しかし、現実を受け入れないことで、次善策をとらなくてもいい。「帰ってこないのなら、じゃあ、どうしよう?」そんな発想から逃避している。結局は、精神的にラクしているだけなんですね。逆に言うと、そのような現実逃避的な傾向を持っているがゆえに、外国人との結婚という現実離れした夢に親和性を持つわけ。

9. チャリティーおたく・・・ピンカートンに捨てられたチョーチョーさんはお金がなくなって来たのに、有り金を恵まれない人に寄付してしまう。そんなことやっている場合ではないのに・・・子供の食費はどうなるの?しかし、現実を見たくない人間は、そんな善行をすることで、現実から目をそらすわけです。そして、「ああ、恵まれない人に恵んでやっているワタシって、なんていい人なの?」と自画自賛。そして「こんないい人のワタシなのに、うまく行かないのは、全部○○のせいだ!」と誰かに責任を押し付けることになる。

10. 味方を作ろうとしない・・・このオペラで出てくる男性で、実にマトモなのはアメリカの長崎領事のシャープレスさん。結婚前のピンカートンに「女性を悲しませてはダメだ!」「彼女は入れ込むタイプだぞ!」と忠告したり、捨てられたチョーチョーさんに、「別の生き方を見つけては?」とアドヴァイスしている。本当にいい人。

ヘンな話、チョーチョーさんも、このシャープレスさんの長崎の現地妻にでもなればいいじゃないの?確かに年齢はいっているでしょうが、常識は持っているわけだし、何より品性がある。シャープレスさんなら、チョーチョーさん本人にも、チョーチョーさんの子供にも十分な配慮をしてくれることは確実です。あるいは「人を見る目」があるシャープレスさんを後見人にして、新たな男性の2号さん?になればいいじゃないの?

しかし、そんなシャープレスの現実的な解決案を受け入れないチョーチョーさんは、折角の現実的なアドヴァイスも「アンタなんか、ワタシのことは何もわかっていないわ!」と逆上したりするわけ。これでは味方もいなくなってしまいますよね?ちなみに「逆切れ」はダメダメ家庭出身者のオハコであることは言うまでもないことでしょ?

11. 子供だけが頼り・・・ダメダメ家庭では味方を作ろうとしない。それにもともと会話の能力も低い。だから話し相手は自分の子供だけ。だから子供を取り上げられると何も残っていない。だから死なないといけないわけ。

12.約束の地・・・チョーチョーさんは「夫が帰ってくれば、今の困難な状況もすべて解決!」そんな極端な解決策しか持っていない。逆に言うと、そのように自分に言い聞かせることで、現状認識から逃避し、将来展望も封印してしまう。だから地道に対処する発想もない。常に一発大逆転を狙うばかり。

確かにお涙頂戴のオペラなんですが、色々とチェックしてみるとダメダメ家庭出身者の要素がテンコ盛状態。

ちなみに、このオペラは全2幕のオペラです。第1幕にも第2幕にも「花を撒き散らす」シーンがあります。第1幕ではチョーチョーさんの結婚を祝う、純粋に「喜ばしい」シーン。第2幕はピンカートンが長崎に帰ってくることがわかっての喜びのシーン。ただこの後でチョーチョーさんがピンカートンに捨てられたことがはっきりわかって自決することになってしまう。つまり第2幕でのシーンは「喜びの中に悲劇を内包」しているシーンと言えるわけ。

ということで、ちょっとニュアンスが違っています。

作曲者のプッチーニはバックのオーケストラによって、撒き散らされた「花の匂い」を表現し分けています。第1幕の花の匂いと、第2幕の花の匂いの違いを音で描き分けているわけ。

単なるお涙頂戴ではなく、緻密に計算されているオペラなんですね。だから何回も泣けるわけ。単なるお涙頂戴の劇なら、1回しか泣けないでしょ?

このように「花の匂い」をオーケストラによって表現するのは、20世紀の音楽ならではのオーケストラの扱いと言えます。音楽表現の進歩が必要とされているわけです。

音楽表現は時代によって進歩していますが、人間そのものは、いつの時代にも変わらないでしょ?

このような現実逃避で自己逃避の女性というのは、このチョーチョーさんばかりではないもの。

それこそ・ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画「ベティ・ブルー」のベティさんもその典型ですし、あるいはトルストイの「アンナ・カレーニナ」のアンナさんも、まさにその典型。

彼女たちは、都合が悪くなると「そんなものは、ワタシに見せないでよ!」とスグに逆切れして、常に問題を先送り。そして、「うまく行けばいいなぁ・・・」「誰かワタシを助けてくれないかなぁ・・・」と周囲の人に期待しても、自分では何も努力しない。

結局は、はじめの頃にはあった出口も自分でふさいでしまって、すべての出口がなくなり、ドッカーンとなってしまう。そんなパターンは、ダメダメ家庭出身者には、実にポピュラーなパターン。

チョーチョーさんのような人は、いつの時代にも、どこの場所でもいらっしゃいますからね。

それに長崎はこの当時から、ダメダメ家庭のメッカだったこともわかります。進歩がないわけ。

オペラというと、「舞台の上で、太った女性と男性が大きな声でオーバーな演技。」と思っていらっしゃる方も多いでしょうが、後々まで「残る」ような作品は、それなりのリアリティがあるわけです。

そのリアリティに観客が共感するわけですね。

ちなみに、このオペラ「蝶々夫人」のタイトルは「Madama Butterfly」。ちょっと考えれば、ヘンなタイトルですよね?

「Madama」はイタリア語で「夫人」と言う意味。「Butterfly」は英語で「蝶々」。だから合わせて「蝶々夫人」となる。しかし、オペラ「蝶々夫人」はイタリアオペラなんだから「蝶々夫人」をそのままイタリア語にすると「Madama Farfalla」(ファルファーレって、パスタにあるでしょ?蝶々の形をしたヤツ)となる。あるいはアメリカ軍人ピンカートンに合わせて「蝶々夫人」を英語にすると「Mrs.Butterfly」になる。

結局は、チョーチョーさんは、アメリカ軍人ピンカートンの「ミセス」にはなれなかった。「Madama」という、あいまいな・・・リアリティのない立場だった・・・ということなんですね。

ちなみに、この文章をお読みになられた方で「オマエはチョーチョーさんを、かわいそうとは思わないのか?この人でなしめ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は別にチョーチョーさんを冷笑的に見ているわけではありませんよ。やっぱりかわいそうですよね?

ただ、私はシャープレスさんの方に共感してしまいます。そのシャープな(なんと名前はSHARP・LESS ・・・シャレなんでしょうが)洞察力で、当事者たちに十分に警告していても、結局は当事者たちはカタストロフに突進してしまう。それをわかっていて散々忠告しながらも、結果的にカタストロフを見守る役目は辛いもの。
酔っ払いよりも、酔っ払いを介抱する方がシンドイものです。

このようにオペラ「蝶々夫人」という作品を、現実逃避的で「恋に恋する」妄想癖のあるダメダメ家庭出身者の女性が、自分自身で出口を塞いで行き、ついに唯一の出口に到達する・・・そのような心理劇と見る発想は、世界広しと言えども私だけかな?と思っていましたが、同じことを言っている人がいました。

イタリアの指揮者のジュゼッペ・シノポリという人。彼が指揮した「蝶々夫人」のCDに彼のインタビューが載っていますが、私と同じことを言っています。たまたま調べていたら私と同じことを言っているのに、私もビックリしました。

彼は「『蝶々夫人』は日本のオペラとは言えない。彼女のような女性はヨーロッパに多くいる。」と、おっしゃっています。ダメダメ家庭はヨーロッパにも多くあるわけですから、「蝶々夫人」の問題は日本固有の問題ではなく、世界的な問題なんですね。

このシノポリさんは、精神分析で博士号を取った方、作曲もなさって、売れっ子指揮者としての激務の傍ら、考古学の博士号も取られた方です。
そんな生き急いでいたので、50歳代で心臓麻痺で死んでしまうことになるのでしょうが。

オペラ「蝶々夫人」を心理劇と見ることは、彼の精神分析者としての立場から来る面もあるのでしょうが、私はむしろオペラを作曲した経験から来る面もあるのでは?と考えています。

オペラとか芝居とか映画などの舞台劇には、鉄則があります。

「ドラマの進行には役に立たない人間は登場させない。」ということ。

小説のような本を読む場合には、ページを読み返して、ちょっとわからなくなった登場人物をチェックすることができる。しかし、舞台劇ではそうは行かない。あまり多くの登場人物が出てくると観客は困ってしまうわけ。

舞台劇の場合には、登場人物の数そのものを絞る必要があるわけ。原作において役割の薄い人物は2,3人を1人にまとめたりして、観客にわかりやすくするようなことが必要なんですね。

少ない登場人物で、濃密なやり取り・・・それが舞台劇のスタイル。
しかし、オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は役割が薄い。ちょっと出てきて挨拶をするだけ。オペラ作品の登場人物なのに、歌を歌うわけでもない。

娘の結婚を祝う歌くらいは、シチュエーション的に設定できるでしょ?
もし、私が一般的なオペラ作家なら、チョーチョーさんの母親は、夫が自決したあとで後追い自決をしたことにして、娘の結婚の際には死んでいたことにしますよ。
それだったら、チョーチョーさんの孤独な境遇を強調できるし、最後のカタストロフを暗喩することもできる。いずれにせよ、本来ならチョーチョーさんの母親は、あえてオペラに登場させる意味はないわけ。

オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は、ドラマの進行において実に中途半端で、役割を果たしていません。

しかし、「母親の役割を果たしていない母親」という「役割」を果たしている・・・そう言えるのでしょう。そこがまさにダメダメ家庭のドラマなんですね。
(終了)
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発信後記

またまた怒涛の長さになってしまって・・・

しかし、こうやって考えてみると「蝶々夫人」というオペラは実に現代的でしょ?
本文中で言及した指揮者のジュゼッペ・シノポリさんは、医学部で精神医学を学ぶ傍ら、音楽院で勉強した人。精神分析で博士号を取って、指揮者としても引っ張りだこで、その傍ら考古学で博士号をとって・・・まあ、そりゃ死んじゃうよね。
精神分析やったり、指揮者をやったり、考古学をやったり・・・とマルチな才能とも言えるのでしょうが、多分、本人はそうとは思ってはいなかったはず。
楽譜を見て、「この音楽をどのように演奏しようか・・・」と考える演奏家が大多数でしょうが、「この音楽を作曲した作曲家は、どのようなことを考えて作曲したのだろうか?」と考えるタイプの演奏家もいるわけ。

そのようなタイプは当然のこととして、「この患者はどうして、このようなことを言ったりするのだろうか?」という精神分析にも興味を持つ。

それに「この古文書や遺跡を作った昔の人は、どのようなことを考えて遺跡を作ったのだろうか?」とも考えることになる。
結局、皆同じ発想なんですね。

学問をジャンル分けした人は、それほど頭のいい人ではないので、既存のジャンル分けを前提にモノを考えるとかえってわかりにくくなる。
知性というものはシンプルなもの。

ただ、シノポリさんのように、狂気のように、自分の生命を削るように、思考に突進して行ったのは、それなりのわけがあるのでしょう。彼も色々とモノが見えた人なんでしょうね。

他人の思考を読まずにはいられない、そのシノポリさんの精神を、私が読もうとしていたりする。

似たもの同士はタチが悪い。
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm
https://medium.com/dysfunciton/オペラ-蝶々夫人-作曲者はプッチーニ-8c18eefbcbd9

2. 中川隆[-13699] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:40:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-278] 報告
『蝶々夫人』の謎
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プッチーニ作曲の歌劇 『蝶々夫人』、これほど日本人に良く知られたオペラもないだろう。
明治時代初めの頃の長崎が舞台。芸者に身を落とした蝶々さんが、アメリカ海軍士官ピンカートンに落籍され、やがてピンカートンは母国に帰るものの、蝶々さんは産まれた息子と女中スズキと一緒に丘の上の家に住み、彼を待ち続けて3年。やっと帰ってきたピンカートンは故国で結婚して妻ケイトと一緒の赴任。蝶々さんは息子を引き取ると言われ、絶望の果てに一人死を選ぶ・・・というお話。
日本では、このオペラを見たことがない人でも大体の筋は知ってるし、「ある晴れた日に」というアリアは、まるでオペラの代名詞のように流通している。
でも、日本ではよく上演されるのに、最愛のオペラだと言う人が意外に少ないようだ。ご当地物って、点が辛くなってしまうのかも。
私も『蝶々夫人』というオペラが好きだとは言えない。だいたい、日本人にとっては映像でも舞台でも違和感ありすぎの舞台設定や演出が多すぎるからかもしれない。その最たる物のひとつが、ポネル演出、カラヤン指揮、ウィーンでのフレーニ、ドミンゴのDVD。これはもう、目が点になってしまう。
違和感は演出だけでなく、筋立てにもあるようだ。非常にシンプルな筋なのに感情移入しにくいのは、ピンカートンに対する蝶々さんの愛に共感できないからかも。
それなのに、このオペラ、良い演奏に当たると本当に泣ける。特に後半、ケイトとのやり取りから終幕にかけて。これはもう、音楽が泣かせているとしか思えない。
しかし、聴けば聴くほど謎が多くて、解明しないことにはどうにも落ち着かない。

 プッチーニの執着の謎

プッチーニはもちろん、原作の「蝶々夫人」の作者、ジョン・ルーサー・ロングも来日したことはない。しかし、ロング氏の妹のコレル夫人は宣教師の夫と一緒に中国に赴任するはずだったのだが、途中で病気になって着任先を日本に変えたそうだ。それが1886年(明治19年)。夫のアーヴィン・コレルは最初横浜に赴任後、長崎の鎮西学館の5代目の校長に就任して、長崎に暮らしたとか。
ロングにいろいろな長崎の話をしたのは、コレル夫人が一時期国でアメリカに帰った時で、蝶々さんのモデルになった芸者の話もその時に伝えられたようだ。夫人が話したものは知り合いの商人から聞いた実話だったそうだが、アメリカの海軍士官ではなく、ロシアの海軍士官に捨てられた女の話で、なぜアメリカの士官に変わったのかも興味をひく。一応、二枚目役だから、自国の士官としたかっただけかも知れないけれど・・・ 。
プッチーニはダヴィッド・ベラスコによって戯曲化された「蝶々夫人」の舞台を見てオペラ化を思い立ったそうだ。
しかし、プッチーニが見た舞台はロンドンでの公演で、英語による物だったはずなので、英語がわからない彼が本当にどこまで内容がわかっていたのか疑問。でもプッチーニは楽屋に押しかけてその場でオペラ化の許可を求めたのだ。かなりの感激症体質だったのかもしれない。
初演は一幕が長すぎて退屈だったせいか、また異国情緒ありすぎで違和感を持たれたせいか不評だったが、プッチーニは改訂を重ねる。2幕も2場に分け、ピンカートンも後悔させたりして和らげた。
プッチーニは、よほどこのオペラに愛着を持っていたようだ。蝶々さんは『ラ・ボエーム』のミミと双璧の、プッチーニ好みの可憐で一途なヒロインと捉えられていたのだろう。

 ピンカートンという男の謎

オペラ史上、最も憎まれる役ではないだろうか。METでの『蝶々夫人』では、観客にはさんざん「悪いヤツだ」と言われ、テノール歌手の出来は悪くないのにブーが飛んでたというような目撃談もあった。
『カヴァレリア・ルスティカーナ』のトゥリドゥもピンカートンに匹敵するくらい酷い男だと思うが、彼は心を病んだ戦争帰還兵だとも考えられるし、最後死んでしまうのでまだマシなような気になってしまう。
それに比べるとピンカートンは最初っからだます気で、おまけに能天気に明るく、最後になってどんなに後悔しても許しがたい気がするのだ。蝶々さんが3年も待ち続け、しかも子供がいるとスズキが告げると、彼はいたたまれずに逃げ出す。妻のケイトを領事と共にその場に残して。自分のしでかしたことから逃げるだけ。
はい、ここで私は、ピンカートンはマザコンの子供だと言いたい。
代わりにケイトが子供を引き取る交渉もして、後始末に追われるのである。この夫婦、妻がしっかり夫の世話を焼いてるじゃないの。

どう見ても良いところのないピンカートンだが、ちょっと視点を変えてピンカートンの目から見てみよう。
まず、アメリカという国はピューリタンの国。現在よりずっとピューリタニズムは強かっただろう。謹厳実直、清廉潔白を重んじる傾向があるが、ピンカートンもそういう風土、そういう家庭で育ったものと思われる。そして、アメリカ海軍も同様の気風を持っていたようだ。厳格な家庭、風土の中で育ったお坊ちゃまが、海のかなたの非キリスト教国にやってきたわけである。
よくあることだが、それまでの抑圧から解き放たれて、自由を謳歌したくなるのも無理はないかもしれない。理解しがたい風習の日本という国で、強い米ドルに支えられて、女を囲ってままごとのような息抜きの場を求めたというところではないか。
彼のピューリタンとしてのモラルは、あくまでキリスト教徒の白人女性に対してのもので、貧しい未開国の黄色人種の女性に対してのものではなかったという見方もある。人種差別だと怒ってもしようがない。当時は帝国主義全盛の時代、欧米列強国にとって弱小国など、殖民支配を狙う対象でしかなかったのだから。
女衒のゴローの仲介ということもあり、蝶々さんは所詮娼婦と見られていたと言ってもいいだろう。ピンカートンにとっては、契約で買った異国の妾に過ぎないのだが、蝶々さんが本気になってしまったのが悲劇のもとだった。彼にしてみたら、何でこんなことになるんだという思いがあるのではないだろうか。

う〜ん、それでもやっぱり、ピンカートンを許せない気になるのは、私が日本人の女だから?

 蝶々さんという女の謎

さて一方、蝶々さんはどういう女なんだろう。
歳は15歳。長崎の色町で芸者をしていた。オペラの中の記述から、父親は大村藩の裕福な士族でしたが、西南の役で薩摩方に加担して、切腹させられたらしい。当然、家は没落し、食うにも事欠いて蝶々さんは芸者に出されたのだろうと思われる。
士族の娘が芸者になってうまくいったという話はあまり聞かないけれど、蝶々さんも周りの芸者衆と折り合いよくいっていたとは思えない。ピンカートンに落籍されて結婚式風の宴席に集まった芸者衆は、陰でけっこう辛らつな言を放っているのだから。
仲間にも恵まれず辛いお座敷勤めの中で、ピンカートンの明るさや口先のうまさにすっかりその気になってしまったというのが本当のところではないだろうか。日本の男にはない臆面もない愛情表現(どこまで本気かは実は別だけど)、レディファーストの習慣によって培われた優しげな行動様式、そういうものにころっと参っちゃったとしても不思議はないかも。なんせ、まだまだ15歳の若さなのだ。もっと歳のいった日本の女たちがラテン系の国へ行って男の口先の優しさにだまされて身の破滅ってなこと、現代でもあるらしいから。
いえ、何よりもピンカートンの「自由闊達」な雰囲気に、蝶々さんは惹かれたのかもしれない。
自分の境遇が金で売り買いされる物であるとはわかっていても、蝶々さんは愛を信じてしまったのだ。いや、その愛を信じないでは生きていけなかったと言うべきか・・・。
しかし、一途な彼女はどんどん自分を追い込んでいってしまうのだ。改宗ということの重大さをわかっていたのか、いなかったのか。そう、蝶々さんはピンカートンと同棲する前日にキリスト教に改宗してしまうのだ。ピンカートンが信じる神を自分も信じると言って。
確かに女は嫁いだ先の宗派に自動的に変わるのが普通だったが、相手は仏教の宗派ではなくキリスト教なのだ。それでも、彼女の中でちゃんと割り切りができていたものと思いたいのだけど・・・。結局、その改宗の事実がばれて親類縁者からさえも勘当されてしまうのだ。
とはいえ、陰で悪口ややっかみを言う人たちと縁が切れて、私ならかえってすっきりすると思うのだけどね。

そうして、ピンカートンが去った後も、3年もの間、彼女は待ち続ける。彼が去る時にはまだ生まれていなかった息子も、既に2歳半くらいにはなっていたはず。(オペラでは、この子供役が大きすぎるのが不満ですが、2歳半の子供を舞台に乗せるのは難しいのでだろう。)
周りがいくらいさめても、蝶々さんはまだピンカートンが自分の元へ帰ってくると信じている。ヤマドリという公爵が求愛しに来てもすげなく追い払ってしまう。(ま、これも女衒のゴローの仲介ですから、求婚ではなく妾にという話だろう。)
諸般の事情から見て、蝶々さんは働いているわけではないので生活費をどうしているのか気になるのだが、ピンカートンが別れ際にある程度まとまったお金を渡していたものと思われる。とはいえ、ピンカートンが帰ってくるのが3年後ではなく5年後、10年後だったらどうなってたかしらね・・・。
実は、蝶々さんはそのあたりでもうかなりおかしくなってたんじゃないかという説もある。確かに、あの「ある晴れた日に」のアリアは、狂乱のアリアと言ってもいいのではないかしら。期待と想像と現実がめちゃくちゃに入り混じっているんだもの。
自分で選んだ道とはいえ、蝶々さんは追い詰められているのだ。
だからこそ、ピンカートンの船が入港してきた時の蝶々さんの喜びようがあまりにも印象的なのよね。桜の花を敷き詰めて彼を迎えるなんていじらしい・・・。きっともう、贅沢な宴を張るお金もなかったから? でも、その桜の花を末期の褥として、蝶々さんは死を選ばざるを得なくなるというのも、哀しい。桜が武士の娘の死を彩るというのは、とても意味深に思える。

 結婚式の謎

第一幕で行われる蝶々さんとピンカートンの結婚式も、大きな謎だ。
掲示板では、「蝶々さんと結婚式を挙げたピンカートンがケイトと結婚しているのは重婚罪ではないか?」という意見が出た。
第1幕で領事が、信じきっているのに騙すのはむごいと意見していますから、結婚式をやってもちゃんと結婚届を出したとは思えない。
そもそも、未成年だから、家長または後見人の承諾が必要だったはずだが、父も亡くなり、親戚一同から勘当された蝶々さんの婚姻届に署名する人はいなかったのではないか。
おまけに、結婚式は教会でではなく神式で執り行われていたから、教会記録から結婚証明書を取ることもできない。そのため重婚罪で訴えるのは勝ち目がないという意見もあった。
当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、日本に駐在する外国人の軍人や商人の現地妻となった女性が多く存在していた。その女性達がどういう風に同棲生活に入っていったのかと、ちょっと調べてみた。開国前後の混乱期に長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認して届けを出させていたらしい。もしかすると、蝶々さんの結婚式でサインされた書類は、その届出用紙だったかもしれない。あるいは、単にピンカートンとの契約書だったかもしれないが。


 宗教と子供の謎

私、蝶々さんはあまりにも救いのない悲劇なので、見ていてとても辛い。
キリスト教に改宗しても結局救われずに終わった蝶々さんは、最後には神の禁じる自殺と言う手段しか残っていなかったのだもの。
改宗ということの意味がポイントになってくると思う。
すべてを捨てて愛したのに、すべてを(魂の救済まで)失った蝶々さん、哀れすぎる。
私が蝶々夫人で一番胸をつかれる思いを味わうのは、最後に子供に向かって「小さな神様」と呼び、「天高き楽園より降りて来た私の坊や」と言うところ。
自分が天の高みから見守っていてあげるとは、彼女には言えないのよね。
子供が金髪で碧眼だというのも、遺伝的には稀なはずだが、そのために蝶々さんは子供の未来には明るい希望が持てるのだろう。
だからこそ、彼女は息子をピンカートン夫妻に託すことを承認したのだと思う。
改宗したはずのキリスト教は蝶々さんを見捨てるのだけど、子供は神の恩寵を受けられると信じているから、終幕のあの言葉が出てくるのだろう。
私には、男に捨てられたことよりも、神に救われなかったことのほうが哀れに思える。

 演出と音楽的伏線

『蝶々夫人』の劇としての初演は、確か当時最新鋭の電気照明による物だったはず。舞台効果は画期的な飛躍を遂げたのではないかと思う。
プッチーニはそういう照明効果も大いに考慮して、エキゾチックな東洋趣味を前面に出してきたのだと考えられる。初演の不評は、やりすぎたからというのも原因のひとつだったかも。ま、1幕が長すぎて冗長だったからという説が有力だけど。

『蝶々夫人』の第1幕で道具類をピンカートンに見せる場面があるのだが、その時なぜか「さくら、さくら」のメロディーが流れている。
以前は日本の物品が出てくるからかと思っていたのだが、どうもそれだけではなさそうだ。

そこで父親の短刀も取り出すので、「武士=さくら」 の図式か、もしくは 蝶々さん自身の死も暗示していたのだろうか。
音楽的にも伏線が多いオペラだ。
最初は気づかずにいたものが、何度か聞くうちにひとつづつ謎が解けていくような面白さがある。気がつかなくても無意識のうちに影響されているのではないかと思う。
「さくら」ひとつとっても、いろいろな読みが出来る。
http://earth7157.emwpartners.com/~bs0222/nazo/butterfly.html

3. 中川隆[-13698] koaQ7Jey 2020年2月18日 10:41:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-277] 報告

日本人女性を描いた傑作オペラ『蝶々夫人』これのどこがエエ話?
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/07/13/114978

日本人女性を描いた傑作オペラとして名高い『蝶々夫人』をご存知ですか?

プッチーニ 《蝶々夫人》 「ある晴れた日に」三浦環



女子フィギュア界で長いこと最前線にいた浅田真央選手が好んだ曲として聞いたことがある方は少なくないでしょう。

浅田真央(mao asada) 「蝶々夫人」和訳字幕入り 〜 お帰り!



あるいは宮原知子選手も同曲で華麗な舞を演じられておりました。

2017/12/23 全日本選手権 FS 宮原知子 蝶々夫人



もはや日本人女子選手の定番演目とすら思えてきますが、ここでちょっと立ち止まりたい。
この蝶々夫人って、本当にいい話なのでしょうか?
皆さんおそらく中身までは把握されてないと思われますので、あらすじをざっと書き出してみますね。


【あらすじ】
舞台は1890年代(明治20年代)の日本。
父が没落した武家の娘・蝶々さん(15)は、アメリカの海軍士官ピンカートンと結婚します。
新婚、しかも身重の蝶々さんを残し、ピンカートンは帰国。
三年後、三歳の子と共に蝶々さんは夫の帰りを待っておりました。
彼女は知らなかったのです。ピンカートンはアメリカに正妻がいたことを……。
やっとピンカートンの軍艦が来ると知った蝶々さんは、喜んで夫を出迎えます。
しかし、そこにいたのは、正妻のケイト。
ショックを受けた蝶々さんは、父の形見の短刀で自害を選ぶのでした。
いやいや、いやいや。これ、いい話ちゃうやろ。
正妻いるのを伏せて15歳と結婚して子供を産ませるとか、ピンカートンはガチクズでしかない。
確かにオペラなんてそんなものかもしれません。
『ドン・ジョバンニ』の元ネタだってしょうもありませんし、歌舞伎だって「クズが遊ぶ金欲しさに親戚を殺した」だけの話(『女殺油地獄』)とかありますしね。

本物のドン・ファンってどんな人?紀州ではないリアルな「プレイボーイ伝説」に迫る
https://bushoojapan.com/world/spaport/2018/06/09/113466


しかし、何もここでピンカートンやプッチーニを罵倒したいわけではありません。
なぜこんなお話が作られたのか?
それを掘り下げてみたいと思います。



幕末から明治、それは国際ロマンスが目覚めた時代

黒船来航を機に、日本の地を踏みしめた外国人たち。
お歯黒や眉を剃った女性の姿にさぞやビックリしたと思いきゃ、実はそうでもなかったようです。
「切れ長の目、黒い髪、クールビューティだ!」
日本人女性の東洋的な美貌にぞっこんになり、ペンダントをちぎって渡したり、写真を撮ったり、そんな外国人男性が数多くおりました。
例えば、日本が好きでたまらなかった青年ヒュースケンには、複数の日本人妻がいたようです。

幕末のヒュースケン殺害事件とは?日本を愛したオランダ人好青年の哀しい予感
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2019/08/29/111357


「えっ、唐人お吉みたいな例もあるよね?」
その通りです。
彼女の場合は運が悪かった。
お相手と誤解されたハリスは敬虔なプロテスタントであり、生涯純潔を誓った人物でした。世間で噂されるような関係では一切なかったにも関わらず、悲痛な最期を迎えます。

斎藤きち(唐人お吉)の悲しすぎる最期 人々の勘違い偏見に追い込まれ……
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/03/27/97402


むろんそこまでお堅くない外国人は、お座敷で芸者にデレデレと鼻の下を伸ばしたり、恋人をちゃっかり作ったりしておりました。
相手となった女性たちも、お吉ほどメンタルが繊細でなく、楽しいアバンチュールと割り切って、それなりに楽しんでいたようです。
ヒュースケンの日本人妻はにこやかにポーズをとって写真におさまっており、屈託はまるでありません。
明治時代に来日したフランス海軍士官ピエール・ロティは、日本人女性とのロマンスを『お菊さん』という小説にしました。
そこで彼は、ギャラを払った彼女が本物かどうか確認する場面を見て、
「なんかガッカリだなあ」
と失望しております。
いや、あんたこそ斡旋業者を使って彼女と知り合っておいて、何を期待しているのでしょう。

『お菊さん』を著したピエール・ロティ/wikipediaより引用

それでも当時の外国人男性からすると、
「異国で可愛い日本人女性とつきあうとか、最高かよ」
と、あこがれの眼差しで見られていたようです。
当時、ヨーロッパでは川上貞奴が大人気で、ジャパニーズビューティへの憧れがありました。

日本初の女優・川上貞奴 ピカソやロダン、さらには伊藤博文をも魅了す
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/12/07/10635


そんなわけで、外国人男性はうっとりとしながら東洋美人とのロマンスを夢見ていたわけですが、まだそこに、「蝶々夫人」のような弱々しさはありません。

一方で、外国人との結婚に嫌悪感を抱く女性もおりました。
フランス系アメリカ人のチャールズ・ウィリアム・ジョセフ・エミール・ルジャンドルに嫁いだ池田絲
いと
が、その典型例です。

チャールズ・ルジャンドル/wikipediaより引用


絲の父は、あの松平春嶽です。
母は松平家の腰元であり、娘を産んだあと自害しておりました。
絲は家臣の池田家に預けられ、維新後の困窮で彼女を芸者とするほかありませんでした。
維新後の春嶽は世捨て人のような暮らしを送っており、娘のことに構っていられなかったのでしょう。

松平春嶽(松平慶永)63年の生涯をスッキリ解説!調停、調停、また調停!
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2019/06/19/111115


幕末お姫様8名 それぞれの意外な行く末〜鹿鳴館の華、籠城戦の指揮……etc
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2019/03/01/121200


芸者として落ちぶれたものの、著名な大名の落胤となれば、使い道があります。
ルジャンドルは、南北戦争で活躍した英雄。
何としても、日本に引き留めたい。それにはどうすべきか?
こういうときは、女の黒髪で引き留めろ、という発想が出てくるわけですな。
高貴なお姫様を妻にすれば、日本に留まるだろうと……。ちなみにルジャンドルは、母国にクララという正妻と子がおりました。
大隈重信、伊藤博文といった大物から説得され、16歳の絲は泣く泣く、43歳、親子ほど歳の離れたルジャンドルに嫁ぐこととなったのです。
このような状況で結婚した夫婦は、心がなかなか通いません。
しかもルジャンドルは、こうつぶやいてしまったのです。
「この国で西洋人の血を引いた子は、きっと苦労するだろう。女の子ならまだしも、男の子だったら大変だろう」
絲は男児を出産し、そのまますぐに養子に出してしまいました。
この男児はのちに、父親譲りのしなやかなスタイルと、母親譲りの上品な顔立ちを持つ歌舞伎役者・十五代目市村羽左衛門となりました。
その出生の秘密は長いこと伏せられていたと伝わります。

十五代目市村羽左衛門/wikipediaより引用

ルジャンドル夫妻の間に生まれた女子・愛子の娘は、声楽家として活躍した関屋敏子です。

関屋敏子/wikipediaより引用

自害こそしませんでしたが、メンタル的にはこの池田絲は、蝶々夫人に近いものがあるかもしれません。
ただ、この性格だと夫とラブラブとはならないでしょうね。


「蝶々夫人」は誰でしょう?

さて、そんな蝶々夫人のモデル探しはなかなか難しいものです。

・海軍士官の妻
・自害した
・幸薄い少女

そんな条件を絞るとかえってみつかりにくくなるのです。
それもそうでしょう、そういう人は実在しなかった可能性があります。
ただ、モチーフの「蝶々」で探すと、モデルが見つかります。
グラバー夫人のツルです。

蝶々夫人のモデルの一人とされるグラバーの妻・ツル/wikipediaより引用
ツルは夫との結婚後も生涯和服で過ごし、家紋とは異なるしゃれたモンシロチョウの紋を身につけていたことで知られます。

グラバー(右)と岩崎弥之助/wikipediaより引用
『蝶々夫人』の原作は、ジョン・ルーサー・ロングの『マダム・バタフライ』。
ロングの姉は宣教師の妻として来日しており、そこから発想を得たと思われます。

ジョン・ルーサー・ロング/wikipediaより引用
実はこの原作で、蝶々夫人は自殺していません。
確かに原作でも姿は消すのですが、生存の可能性が強く示されています。
20年後を舞台とした続編もあります。
18歳で勝手に殺したのは、戯曲化したデーヴィッド・ベラスコの発案。
ゆえに18歳で自害する現地妻というのは、彼の妄想の産物とみるほうが妥当かと思われます。

デーヴィッド・ベラスコ、あんたのせいか!/wikipediaより引用

1900年、『蝶々夫人』舞台版のニューヨーク公演とロンドン公演は、連日満員御礼の大ヒット。
その観客に、一人のイタリア人がおりました。
自作『トスカ』のロンドン公演を見に来たプッチーニです。
「これこそ、我が自作のよい題材になる」
ピンと来たプッチーニは、楽屋でベラスコに是非ともオペラにさせてくださいと頼みこんだのです。

初演はリンチ状態だった『蝶々夫人』
プッチーニは、ありとあらゆる神話や演劇を貪欲に吸収する作家でした。

ジャコモ・プッチーニ/wikipediaより引用

これまたフィギュアスケートの定番『トゥーランドット』は中国を題材にしておりますね。



※荒川静香選手、トリノ五輪での『トゥーランドット』



※宇野昌磨選手、平昌五輪での『トゥーランドット』



※紫禁城での『トゥーランドット』



プッチーニはこのとき、
『コレはデカイ当たりが来る!』
と、手応えを感じていたことでしょう。
当時は川上貞奴の妖艶な美貌がヨーロッパ中を虜にしておりました。
オペレッタ『ミカド』も大ヒット。




シャーロック・ホームズシリーズでも、ホームズは日本の武術「バリツ」を修得している設定ですし。

だからシャーロック・ホームズは19世紀の英国に生まれた! 名探偵、渇望の時代
https://bushoojapan.com/world/england/2019/02/25/100705


ゴッホも、浮世絵に夢中でした。

ゴッホが自殺を図った理由はなに? 狂気の天才画家、その生涯
https://bushoojapan.com/world/painter/2019/07/27/26107


日本風というだけで、興味関心を惹きつけヒットするーーそんな時代だったのです。
といっても、これを単純に「日本スゴイ!」と言うことはできません。
『ミカド』はハチャメチャな内容で、現在、上演されると「差別的」とブーイングされるコンテンツですし、女性の見方にしたって一方的で妄想まじり、実態からは乖離したものであったことは否めません。
プッチーニは、駐在イタリア公使・大山綱介の妻・久子(野村素介の娘)の助言を得て、日本音楽に関する資料を取り寄せました。
異国情緒をたっぷりちりばめて、悲恋のストーリーを組み立てて、こりゃヒット間違いなし!
自動車事故で重傷を負う等苦労はありましたが、1904年、ついにオペラ『蝶々夫人』はついにイタリア公演にこぎつけます。
初演は散々な評判でした。
終演後までブーイングと口笛の嵐に見舞われ、プッチーニはこう漏らします。
「まるでリンチされているみたいだ」
さしもの東洋ブームも、イタリアにはまだ及んでいなかったとか?
プッチーニは改稿を重ね続け、やっと好評を得ることに成功しました。
1906年のパリ公演のために用意された第6版が、現在に至るまで定番とされております。


『蝶々夫人』の呪いを吹っ飛ばせ
このようにたどってきますと、『蝶々夫人』というのは当時蔓延していた妄想の塊であり、21世紀現在から見ますと「それはどうなんや」と突っ込みどころが満載の作品ではあります。
ただ、名作であることは確かです。
1970年代のベトナム戦争に舞台を置き換え、米兵と現地女性のロマンスに翻案した『ミス・サイゴン』。




『蝶々夫人』以来の東洋人感に酔いしれた西洋人が、思わぬしっぺ返しをくらう、『Mバタフライ』という作品もあります。



『蝶々夫人』の描いた「従順で性的に魅力的なアジア系女性」という像は、21世紀現在では「人種ステレオタイプ」として批判の対象となります(所謂「イエローフェイス」)。

ガキ使「ブラックフェイス」問題は歴史アプローチでコトの本質が見えてくる
https://bushoojapan.com/world/2018/01/12/108866


そしてこのアジア女性にかけられた呪いは、21世紀現在においても効力を持っています。

◆#MeToo は誰でも言えるわけじゃない。アジア系女性たちの悩み
https://www.buzzfeed.com/jp/susancheng/metoo-for-asian-american-women-in-hollywood?utm_term=.jmvnNnl7K

「アジア系米国人やアジアの女性には、小さくて内気でソフトだという固定観念があります。そのため、男性たちは過度に女性として意識し、性差別的な言葉をかけやすいと感じるのです。そして、私たちはそれを受け流すべきことだととらえるようになりました」とタンチャローエンは話す。
「私は今日、アジア系女性のために行進します。アジア系女性は無視され、決めつけられ、フェティシズムの対象にされ、かわいい女の子はこうあってほしいという欲望を満たすよう期待されてきました」とウーは宣言し、聴衆から拍手喝采を受けた。
小さくて、内気で、ソフト。
決めつけられ、フェティシズムの対象にされ、かわいい女の子はこうあってほしいという欲望を満たすよう期待されてきた。
これぞまさに『蝶々夫人』です。
繰り返しますが、『蝶々夫人』は実在した日本人、あるいはアジア人女性からはほど遠い存在です。
蝶々の紋章を好んだグラバー夫人ツルは、たくましく長く生き延びました。
ルジャンドル夫人は武家の娘として気丈に堪えましたが、自殺はしていません。
ロティの愛人は、金勘定をして愛人になるほど、したたかな女性でした。
西洋人男性が「こういうかわいい愛人いたら最高だよね」と妄想しながら作り上げた像、それが蝶々夫人であり、「ハイクを詠むニンジャスレイヤー」と同じくらい、事実からほど遠いものです。
そんな像に未だに縛られ、これぞ日本人女性の理想像と言われたところで、だから何だ、現実を見ろ、知らねーし、という反応でよいのではないでしょうか。
アジア人女性も、映画作品等ではソフトでかわいらしい印象から抜けだし、強い像となりつつあります。
いくら名作だろうと『蝶々夫人』は時代遅れ。
次の日本人女性、アジア人女性の像が求められるところです。

『デッドプール2』に登場した日本人ミュータント・ユキオ。
めちゃんこ強いので続編に期待しよう!!


https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/07/13/114978
4. 中川隆[-13693] koaQ7Jey 2020年2月18日 13:53:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-272] 報告
イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ

ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858 - 1924)

甘く流麗なメロディーが魅力の20世紀を代表するオペラ作曲家。

蝶々婦人以外は断片しか知らないのだが、蝶々婦人の1幕最後の二重唱に関しては甘く切なくとろけそうな時間が延々と続いて最高に楽しくて大好きである。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/イタリア

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