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(回答先: ベートーヴェン 『交響曲第3番』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 25 日 11:29:53)
ベートーヴェン 『交響曲第4番』
ムラヴィンスキーの『交響曲第4番』
Beethoven "Symphony No 4" Yevgeny Mravinsky 1973
1973年4月29日録音
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー
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Beethoven "Symphony No 4" Yevgeny Mravinsky 1955
Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky, Conductor
Prague, Smetana Hall, 03.VI.1955
Prague Spring Festival 1955
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ベートーヴェン 『交響曲第4番』
スケッチ帳の紛失のため正確な作曲時期は不明だが、1806年夏ごろから本格的な作曲が始められている。この年はラズモフスキー四重奏曲集、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、オペラ《レオノーレ》第2稿などが作曲されたベートーヴェンの創作意欲が旺盛な時期であり、この作品も比較的短期間に仕上げられている。
10月中には作品が完成し、献呈先のオッペルスドルフ伯爵(英語版)に総譜が渡されたと考えられている。
ベートーヴェンの交響曲の中では古典的な均整の際立つ作品で、ロベルト・シューマンは、「2人の北欧神話の巨人(第3番と第5番のこと)の間にはさまれたギリシアの乙女」と例えたと伝えられている。
また、エクトル・ベルリオーズは「スコアの全体的な性格は生き生きとしていて、きびきびとして陽気で、この上ない優しさを持っている」と評した。
しかし、そのようなイメージとは異なった力強い演奏がなされる例もあり、ロバート・シンプソンは「この作品の持つ気品は『乙女』のものでも『ギリシア』のものでもなく、巨人が素晴らしい身軽さと滑らかさで気楽な体操をこなしているときのものなのだ。ベートーヴェンの創造物には、鋼のような筋肉が隠されている」と述べている[1]。
初演
1807年3月、ロプコヴィツ侯爵邸で開かれた私的演奏会で、ベートーヴェンの指揮によって初演された。なお、同じ演奏会で『コリオラン』序曲とピアノ協奏曲第4番も初演されている。公開初演は1807年11月15日にブルク劇場で行われた慈善演奏会において、やはりベートーヴェンの指揮で行われた。
楽器編成
標準の二管編成よりさらにフルートが1本少なく、ベートーヴェンの交響曲の中で最小である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第4番_(ベートーヴェン)
1806年は「傑作の森」の中にあっても、特に粒揃いの作品が生み出された年とされる。交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、歌劇『レオノーレ』(第二版、序曲は『レオノーレ3番』)、弦楽四重奏曲7〜9番『ラズモフスキー1〜3番』等正に錚々たる顔触れといったところだが、このピアノ協奏曲4番も決して忘れる事の出来ない傑作である。
ベートーヴェンというと、交響曲『英雄』や第五の様に、重厚さや激烈さを秘めた作品をイメージする者が少なくない。しかし、彼が尊敬するモーツァルトとはまた別の優しさや美しさに満ちた作品を数多く遺している事も確かである。
1806年に書かれた交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、そしてこのピアノ協奏曲や『ラズモフスキー』等にはそうしたベートーヴェンのもう一つの面が顕著である。これには楽聖の恋愛事情も関係あると見なされる。
ベートーヴェンは旧知の貴族、ブルンスビック家の娘で、未亡人となっていたヨゼフィーヌに当時入れ込んでいたという。嘗てはこの年にベートーヴェンはヨゼフィーヌの姉、テレーゼと婚約した事から作品にその影響が反映されていると言われていたが、今では楽聖がこの時期ヨゼフィーヌに思いを寄せていた事が判明し、婚約説は否定されている。
相手がテレーゼだったにせよ、ヨゼフィーヌだったにせよ、ベートーヴェンが女性美に通じる優しさや美しさを持つ作品を書いた事だけは確かな事である。勿論、ベートーヴェンはベートーヴェンだ。単に優美なだけの作品は書いていない。主題の提示方法、展開手法、表現手法何れも彼ならではの独創性を盛り込んでいる。正に創造力が爆発している。だからこそ、この時期の作品群が「傑作の森」と称されるのである。
http://mahdes.cafe.coocan.jp/myckb4b.htm
ヨゼフィーネ・ダイムを思い描いて書いた曲
・ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3
・交響曲第四番
・ピアノ協奏曲第四番
・ヴァイオリン協奏曲
ヨゼフィーヌはベートーヴェンが不滅の恋人とされるアントーニアと出会う前に愛した女性で、13通の情熱的な手紙が残されている。ヨゼフィーヌは後に精神の病で天国へ逝ってしまうが(この時ベートーヴェンの第9の3楽章がスケッチされている)ベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉に育てられ成人後は生涯独身で長寿を全うした。
ベートーヴェンは大変なロマンティストで、若い頃にはいつも恋をしていた、といいます。「憧れ」の対象になる女性を見つけては、情熱を燃やし、それを自分の創作活動のエネルギー源にしているのです。そうしたベートーヴェンの数少ない「本物の恋」の相手になったのは、ハンガリーの貴族ブルンスウィック家の令嬢で、ヨゼフィーネ・ダイム伯爵未亡人でした。この人との恋愛関係は、1804年から1807年まで続いていますが、恐らく身分の違いが原因で、この恋愛はつぶれてしまいます。ヨゼフィーネ・ダイムは、平民のベートーヴェンに対して、貴族の誇りを捨てることが出来なかったのでしょう。
ベートーヴェンはアントーニアとボヘミアで幸せな時間を過ごすが、当時ベートーヴェンはアントーニアとその子供達も連れてロンドン移住を真剣に考えていた(アントーニアは夫と別居していて夫婦間は冷めていた)。
ベートーヴェンはアントーニアの家族と一夏を共にし人生で最も幸福な時間を過ごす。
その後ベートーヴェンはアントーニア達と行動を別にして弟のいるリンツを訪れるが、このリンツ滞在中に突然幸せ絶頂だったベートーヴェンとアントーニアの関係は崩壊してベートーヴェンは絶望のどん底に突き落とされる。当時の日記の幸福から絶望への豹変は生々しい。
実はベートーヴェンが以前愛していたヨゼフィーヌがベートーヴェンの子供を妊娠していた。かつての恋人ヨゼフィーヌがベートーヴェンに悩みを相談しに会いに来たときにできた子供とされ(あらゆる研究からこれは間違い無いとされている)、おそらくベートーヴェンとアントーニアが別れた原因はベートーヴェンがアントーニアにこのヨゼフィーヌが妊娠した事実を報告したからと言われている。
ベートーヴェンの予想に反して、アントーニアはこのヨゼフィーヌの妊娠を理由に2人は別れる運命と決心して、離婚するつもりでいた夫とよりを戻し一緒に暮らすようになる。
ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816〜17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。
この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201505.htm
不滅の恋人は現在ではアントーニア・ブレンターノ(夫とは別居してた)に間違いないとされる。出会いは1810年で翌年に喜びに狂喜乱舞する7番が生まれる。
有名な不滅の恋人への手紙(ベートーヴェンの死後に発見された)は、1812年の夏のチェコ旅行直前に交わされたもので、アントーニアが妊娠を告げた内容とされる(ベートーヴェンの子供か旦那の子供か2つの説がある)。
この手紙の後にチェコ旅行で2人は幸福な時間を過ごし(この時の想い出が8番に込められてる)、ベートーヴェンはアントーニアとその子供とのロンドン移住を真剣に考えていたが、旅行が終わった直後に破局を迎え、アントーニアは夫の元へ帰る。それ以後もベートーヴェンはアントーニアを愛し続け、最後の3つのピアノソナタにも不滅の恋人への想いがこめられている。
ベートーヴェンには不滅の恋人と出会う前の恋人でベートーヴェンの子供まで産んだヨゼフィーヌという女性がいた。
ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816〜17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。
この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。
アントーニアにしても、ヨゼフィーヌにしても人妻だったことからベートーヴェン死後も周りの人間が秘密を厳守した。ヨゼフィーヌが亡くなった1921年当時のベートーヴェンの会話帳のページは、ヨゼフィーヌの親族の要望で破棄されてしまったらしく破られて無くなっているという。
またベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉によって育てられた後、生涯独身で長寿をまっとうした。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201309.htm#fromsachio20130920-Beethoven-symphonyNo9-02
「不滅の恋人」 が誰だったのかやっぱり気になる。
世界的な権威であるベートーヴェン研究者の 青木やよひ 女史の 「アントーニア」 説が最も説得力があるが ・・・
第九を指揮してると 「ヨゼフィーネ」 説を信じてしまう ・・・
何故ならば、第九を作曲していたときにヨゼフィーネは天国にいて、アントーニアは生きていた ・・・
「天上の楽土から来た娘」 という言葉や、 「天使」 と言う言葉が明らかに 「不滅の恋人」 に重ね合わせられてると僕には感じるので、 どうしても生きていた女性より天国にいる女性を想像してしまう・・・・・
またあの第3楽章の美しい旋律は 「ヨゼフィーネ」 が死んだ1821年にスケッチされたとも言われてる ・・・・・
第3楽章の後半はまるで恋人と夢の中で踊っているようだ ・・・・・
50歳頃(1820)
「第九」を作曲
していた頃。
ちなみにどちらの女性とも不倫関係にあり、 (だからベートーヴェンや周りの人たちが秘密を守り未だに恋人が特定できない) ヨゼフィーネとの間に子供がいたことは確証されている。
いずれにせよベートーヴェンの不滅の恋人に対する想いやいかに!! ・・・だ。
これは第九だけに限らず、最後の3大ピアノソナタにも大きく影響している。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio200810.htm#fromsachio20081004-Beethoven-symphonyNo9
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