http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/772.html
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(回答先: ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった! 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 17 日 12:50:36)
ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した
ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、
親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除したようです。
彼は自分のお城にエドワード八世を招待し、既婚で凄腕のシンプソン夫人を差し向けました。
シンプソン夫人は駐英大使リッペントロープ(後の独外相)とも愛人関係にあり、
ナチスドイツが英国に勝利した暁には「ナチス帝国イギリス領」をプレゼントする、
という餌が与えられていたと伝えられています。
ヒトラーとリッペントロープが二人の誘拐を図り、
それを阻止すべくチャーチルがMI6を動かす。
いざという時は二人を殺せという指令が出ていたようです。
チャーチルはエドワード八世の醜聞に一役買っていた張本人。
指令を出していたヴィクター・ロスチャイルドはMI5所属。
鬼塚氏によるとヴィクターはIQ184だそうです。
頭が良いだけでなく万能だったということです。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/655.html
▲△▽▼
ウィンザー公エドワード8世「世紀の恋」
イギリス国王エドワード八世が、王位を捨て二度も離婚歴のあるアメリカ女性
ウォリス・シンプソンと結婚した。それは「王冠を賭けた恋」と一大スキャンダルとなった。
離婚歴のある女性との前代見聞のスキャンダルに王室関係者は眉をひそめた。
写真家のセシル・ビ−トンはウォリス・シンプソンのことを「愛嬌のあるブス」と形容した。
傲慢な性格で二度の離婚歴のある女性にどんな魅力があったのか?
皇太子には、性的な欠陥があり、それをウォリスが克服させた。
「なぜ皇太子が、美人でもないシンプソン夫人にあれほどご執心なのか」
という疑問に、答えられる者は誰もいなかった。
答えは、シンプソン夫人のベッド・テクニックに皇太子が参ってしまったから。
彼女が海軍士官夫人だったころ、夫の赴任先である上海にしばらく住んでいたことがある。
このときに習得した中国式の閨房術によって、エドワードの早漏を治したというのである。
http://www.ebookbank.jp/hochi/ep/item/1-39832/
「王冠を捨てた恋」の真実が暴露されたのは21世紀に入ってからだった。イギリスの諜報部の資料から、シンプソン夫人はエドワード8世との交際と同時進行で年下のセールスマンとも付き合っていた事実や、ナチスのリッペンドロップとも深い関係にあった事などが次々に暴露されたのだった。
「王冠を捨てた恋」でシンプソン夫人の結婚による王室入りにイギリス政府が難色を示した本当の理由は離婚歴ではなく、シンプソン夫人の正体はナチスの手先で、エドワード8世との結婚によってイギリスがナチス融和路線に転じて国の進路を誤るのではないかと危惧したという事であった。
「王冠を捨てた恋」のロマンスの背後にはヒトラーの影があった。ヨーロッパでナチスドイツの進撃盛んな頃にカリブ海に夫妻が追いやられたのも、イギリス政府がシンプソン夫人の背後にいるナチスを警戒したためであった。
その事実をエドワード8世は知る事はなかったものの、シンプソン夫人との夫婦仲は冷え切っており、それでも意地で外では仲の良い世紀のロマンスのカップルを演じ続けなければいけない苦しさ。「王冠を捨てた恋」はエドワード8世とシンプソン夫人を死ぬまで縛り続け、世間の目を気にして2人は離婚も出来ず、別の伴侶と恋愛の自由を謳歌も出来ず、これなら結婚などせずに愛人関係のままの方がどんなに良かったろうと思った時もあったのではないか。
http://www.geocities.jp/showahistory/history02/11c.html
「ドイツ外交文書集1918−45(Documents on German foreign policy 1918-1945)」という本があります。中身は、第2次世界大戦後ドイツを占領したイギリス軍によって押収され、編集を加えた上で戦後すぐ刊行されたドイツの外交文書です。しかし、その中の、ある文書を出版するとウィンザー公とナチスドイツとの「淫靡な関係」が明らかになろうとしたので、イギリス政府がその部分を抑えたのでした。
ところが、その後60年たって押収されたあと隠されていたその文書の一部が明らかになり、国王エドワード8世のイギリスへの背信行為が白日の下にさらされることになったのです。
そしてさらに、21世紀に入った2002年にアメリカのFBI文書の公開によって、さらに明らかになったことは、実は退位してウィンザー公となった彼の「最愛の妻」シンプソン夫人は、ドイツ諜報部の職業的工作員だったという事実でした。しかもヒトラーの外務大臣リッペントロップのエージェントで、愛人でもあったのです。
ウィンザー公とつまりエドワード8世がハニートラップにあって、国王自身がドイツ外務省のエージェントに成り果てようとしていた。そのことをイギリスのスパイ摘発機関が嗅ぎつけて、それを国王に突きつけたのです。たとえ国王であっても国を裏切る者は許さない、この峻厳さが数百年にわたるあの国の存立と繁栄を支えるものでした。だからこそ、これを「悲恋物語」に仕立てて、王位を去らせたのです。
しかし例え、「王室を守るため」であっても、歴史の真実を独占することは許されません。イギリス政府の隠蔽にも拘わらず、60年後の1995年11月、イギリスの有名な新聞「ガーディアン」が「カイザー・エドワード」と題してウィンザー公と、つまりエドワード8世はドイツのスパイだった、という記事を掲載し、同じく「オブザーバー」は「ウィンザー王室の恥−ナチスとの協力」と題し、60年ぶりに歴史の真実の一端を報じました(それぞれ11月12日、同13日付)
悲恋物語はウソだったのです。しかし、それでもイギリス政府はいまだに隠し続けています。エドワード8世の裏切りに関するイギリス側の公文書の公開は「2044年まで非公開」という決定が下されている。つまり「100年ルール」が適用されることが明らかにされているわけです。このエピソードは。「歴史は誰のものか」を考える意味で、いくつかの重要な問題を含んでいます
http://piano-music-life.blog.eonet.jp/default/2009/05/post-0984.html
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