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(回答先: 日本人は被支配者に関する情報を支配者へ知らせる密告には寛容だが内部告発には厳しい 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 07:58:50)
「力のない人間は力のある人間を批判する権利がない」ということが現代日本の新たな「道徳」になった
内田樹「“桜を見る会”で他人行儀なメディアのやる気のなさに驚嘆する」
https://dot.asahi.com/aera/2019121000035.html?page=1
2019.12.11 07:00 内田樹 AERA 2019年12月16日号
哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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「桜を見る会」の話を書く。私自身いい加減この話題にも飽きているのだが、まさに「国民がこの話題に飽きて、忘れること」を官邸が専一的にめざしている以上、その手に乗るわけにゆかない。
この事件には現代日本社会の致命的欠陥がいくつも露出している。もちろん、どんな社会にも欠点はある。完全な社会など存在しない。けれども、その疾病を観察し、診断を下して、適切な治療を始めないと、生物の場合は、病が亢進(こうしん)して、やがて壊死(えし)が全身に及ぶ。社会も同じである。どこかに欠陥があるのは当たり前のことだが、それを放置し、致命的な疾患が全身に及ぶのを手をつかねてぼんやり眺めているのは異常である。そして、今の日本は異常である。
メディアは相変わらず「野党が反発」とか「官邸、逃げ切りをはかる」とかまるで自然現象でも記述しているような他人行儀な筆法を採用しているが、中立性を偽装するのはもうやめて欲しい。ことは総理大臣が公選法違反、政治資金規正法違反の疑いをもたれているというレベルの話ではない。問題の真相を示すはずの公文書がことごとく廃棄され、疑惑の出来事について「ほんとうはそこで何があったのか」を誰も言うことができないという状況が官邸主導で創り出されたのである。メディアの「やる気のなさ」と、その「成果」としての内閣支持率の堅調ぶりに私は驚嘆する。
ネットでは、富裕者を批判すると「そういうことは年収がそのレベルになってから言え」、有名ユーチューバーを批判すると「そういうことは再生数がそのレベルになってから言え」というタイプの冷笑が定型化している。どうやら「力のない人間は力のある人間を批判する権利がない」ということが現代日本の新たな「道徳」になったらしい。
今日本では、「権力者はどんな不正を働いても、決して処罰されることがない」という「新しいルール」を多くの日本国民が黙って受け入れ始めている。私はこれを国家的危機だと思う。厳密に言えば、「国家の存亡にかかわる危機」として感じられない病的な鈍感さを国家的危機だと思う。このままでは日本社会はどこまで腐るかわからない。
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