経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」 http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/310.html中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が(リテラ) http://www.asyura2.com/14/senkyo170/msg/574.html 『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談 http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/423.html
TBS 報道特集 「インドネシアでの戦時性暴力」 慰安所設置に関わった中曽根元首相 インドネシア元慰安婦の辛い証言 http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/448.html
八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html 2019.08.06 八代弁護士が「慰安婦問題は史実に基づかない」とネトウヨ並みデマ リテラ ネトウヨなみのデマ! (『ひるおび!』より)
安倍政権による韓国への輸出規制と「ホワイト国」除外、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」などの展示中止……。国交正常化以来最悪と言われる日韓関係のなか、日本中がグロテスクな嫌韓ムードと歴史修正主義に染まっている。
それは安倍政権周りの政治家やネット、右派メディアだけではない。地上波のワイドショーでもネトウヨとなんら変わらないヘイトや歴史修正主義が堂々と語られるようになった。 5日放送の『ひるおび!』(TBS)でも、慰安婦問題など含む作品を展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件をとりあげるなか、八代英輝弁護士がこんな発言をしていた。 「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。ある程度の反感というのは想定されたんでしょうけど、それが、私は『想定を超えてしまった』って認識は甘いんでないかというふうに思うんですよね」 八代弁護士は「表現自体をさせないという風潮は危険だなと思う」などとエクスキューズをいれつつも、「私自身はこれ(少女像)を置いて、こんなものあってはならないと議論するということはアリだと思いますけどね」と続けるなど、嫌韓煽りを剥き出しにしていた。 さらには、落語家の立川志らくも、いつもの物知り顔でこうコメントした。 「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。これを『平和の少女像』って言う人がいることが、私は不思議でしょうがない。平和の少女像って言うなら、日本人の誰もが見て、これは平和だなって思えるならいいんだけれども。そりゃ韓国の人はそうかもしれないけど、日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ? 本来、芸術ならば、これを反日像だと思っている人が見ても、思わず感動して涙を流す、そういうものを私は展示してほしい」 本サイトでも解説した(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)ように、「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ。それを「みんなが思ってるんだから反日に決まってる」と言い張り、表現の自由を踏みにじる卑劣なテロ予告者ではなく、議論を換気しようとした展示や作品のほうを問題視する。その倒錯ぶりと付和雷同には、呆れ果てるしかない。 とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう。八代弁護士は、つい先日も朝日新聞を韓国の中央日報、ハンギョレ新聞と並べて「反日三羽ガラス」と揶揄するなど、テレビの全国放送ネトウヨぶりを全開していたが、今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をしたのだ。 はっきり言っておくが、慰安婦の存在は捏造でもなんでもなく。歴史的な事実だ。弁護士の資格を持つ人間が、地上波の昼間の番組で、保守派の学者でさえ言わないような歴史修正主義丸出しのデマを口にしていいのか。 いや、八代弁護士だけではない。「平和の少女像」展示に圧力をかけ、「表現の不自由展」への攻撃を煽った河村たかし名古屋市長も、今日の会見で「やっぱり慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られる」などと発言していた。つまり、河村市長も慰安婦は存在しないと信じ込んでいるのだ。 さらに、日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長からはもっととんでもないデマ暴言が飛び出した。松井市長は5日会見で「事実ではない慰安婦の像」「日本人を蔑み貶める、誹謗中傷」「慰安婦問題というのは完全なデマ」「朝日新聞自体が誤報だと謝罪しているわけですから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」などと語り、慰安婦は完全なデマと言い放ったのである。 ■中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録 こうした連中の妄言の根拠は、2014年、朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった。意図的かどうかは知らないが、八代弁護士や河村市長らはこのネトウヨ歴史修正の詐術に丸乗っかりしているということだろう。 だとしたら、本サイトとしては何度でも、その欺瞞と詐術を明らかにしておく必要がある。戦中の日本軍が各地に慰安所をつくり、現地の女性たちや朝鮮半島の女性たちを慰安婦にして、兵士の性暴力の相手にさせられたのは客観的事実だからだ。 日本軍が侵略したアジアの各地に慰安所をつくったことは残された軍の記録や通達からも明らかであり、歴史学的にも議論の余地はない。軍が斡旋業者を使って騙して女性を連れ出した証拠や、現地の支配者や村長に命じて女性を差し出させた証拠もいくらでもある。そして、慰安所で現地の女性や朝鮮半島から連行した女性を軍が性的搾取したことは、多くの被害女性だけでなく、当時の現地関係者や元日本兵、元将校なども証言していることだ。 たとえば、海軍出身の中曽根康弘元首相は、回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈原住民の女を襲う〉部下のために〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。この中曽根証言は、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターが所蔵している当時の文書「海軍航空基地第2設営班資料」において、〈気荒くなり日本人同志けんか等起る〉ようになったところで〈主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり〉と記されているように、歴史事実として裏付けされたものだ。 ■産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」 また、陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、慰安所と慰安婦が軍主導であった事実をあけすけに語っていた。 「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(引用者註:慰安所のこと)が……」 「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」 実際、靖国偕行文庫所蔵の『初級作戦給養百題』(1941年)という陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書の記述にも〈慰安所ノ設置〉が業務のひとつとされており、この鹿内証言も軍の資料と完全に一致する。 朝鮮半島の女性たちを慰安婦にした証拠も枚挙にいとまがない。 日本はアジア・太平洋戦争で東南アジア各国を侵略、傀儡政権を樹立したり、軍の統治下に置くなどの支配を進めていったが、たとえばシンガポールでは現地の華僑を粛清した後に、日本軍の宣伝班の下で刊行された新聞に“慰安婦募集の広告”が出ている。そうした慰安所に大勢の朝鮮人女性も動員されたことは「16歳の時にシンガポールの慰安所に連れて行かれた」という朝鮮人元慰安婦の証言だけでなく、近年発見されたビルマ(現・ミャンマー)とシンガポールの慰安所で帳場の仕事をしていた朝鮮人男性の日記からも明らかになっている。また、独立自動車第四二大隊にいた元日本軍兵士も「トタン塀」と呼んでいた慰安所には「娼妓は朝鮮人が多かったが、マライ人もいた」と証言している。 ■米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に 昨年、米朝会談の舞台となったシンガポール南端のセントーサ島(旧称・ブラカンマティ島)でもまた、朝鮮人女性たちが慰安婦として働かされていた。しかも、彼女たちは別の仕事だと騙されて連れてこられたのだ。 当時、東南アジアで通訳として従軍していた永瀬隆氏が証言している。永瀬氏は、日本が戦中につくらせたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で陸軍の通訳をしていたことで知られる日本人男性だ。日本軍による泰緬鉄道建設にあたっては、数万人のアジア人労働者や連合国軍の捕虜が非人道的な扱いを受け犠牲となっている。永瀬氏は戦後、反戦平和の立場から個人でその慰霊と償いの社会活動を続け、2011年に亡くなった。 その永瀬氏が生前、月刊誌「MOKU」(黙出版)1998年12月号での高嶋伸欣・琉球大学教授(現・名誉教授)との対談のなかで、セントーサ島での体験を語っていた。シンガポールでも数か月の間、陸軍の通訳として勤務しており、その時、慰安所の女性たちや軍の部隊長と話をしたことをこのように振り返っている。 「(セントーサ島には1942年の)十二月中旬までいました。十一月になって隊長が僕を呼んで、『実は朝鮮の慰安婦がこの部隊に配属になってくるんだが、彼女たちは日本語がたどたどしいから、日本語教育をしてくれ』というんです。僕は『嫌なことをいうな。通訳はそこまでしなきゃいけんのか』と思ったけど、その隊長はもう島の王様気取りでおるんです。仕方がないから、慰安婦の人たちに日本語を三、四回教えました」 永瀬氏は「そのうちに、僕は兵隊じゃないから、慰安婦の人も話がしやすいんだな」と思ったという。そして、朝鮮人女性たちに慰安所にきた理由を聞くと、騙されて連れて来られたというのだ。 「それで僕も『あんたたちはどうしてここへ来たんだ』と聞いたら、『実は私たちは、昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂でウエイトレスとして働く約束で、支度金を百円もらって軍用船でここへ来たんだけど、着いた途端に、お前たちは慰安婦だといわれた』というんです」 「それを聞いて、ひどいことをするなと思った。いま考えてみても、強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います。 とにかく、それから島の中に慰安所ができたんですが、隊長が慰安所の兵隊にくだしおかれる前に、慰安婦を毎晩代わりばんこに次から次へ味見しているという話を聞きました」 ■「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ つまり、日本軍は、彼女たち朝鮮人女性に性的労働をさせることを告げず、まして嘘の説明で騙して慰安所に連れて行ったケースが明らかに存在した。そして、前述した中曽根元首相らの証言や当時の軍資料のように、日本軍が従軍慰安婦に積極的に関与していたことも歴史的な事実なのである。 八代弁護士が言うような「慰安婦問題は史実に基づかない」というのが、いかにフェイクであるかが分かるだろう。歴史修正主義者たちは、こうして慰安婦問題を矮小化しているのだ。 恐ろしいのは、こうした歴史的な事実を否認する発言が、当たり前のようにワイドショーで飛び出し、他のマスコミが検証を放棄した結果、少なからぬ視聴者が何ら疑念をもたないでいることだ。実際、八代弁護士の発言の嘘を検証したり、批判的に取り上げるマスコミは、いまのところ皆無。それどころか、Twitterでは「よくぞ言ってくれた!」というような賞賛まで受けている。 繰り返すが、安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない。 しかも、こうしたメディアの扇動によって、国民の世論じたいもどんどん冷静さを失っている。 政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%だったという。これは、安倍応援団やネトウヨの組織票の可能性が濃厚だが、他方、FNNと産経新聞が3、4日に実施した世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった。 ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか。 [スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。
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終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! 日本軍関与、強制連行…歴史修正主義者たちはこの証拠を見よ https://lite-ra.com/2019/08/post-4903.html 2019.08.15 終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! リテラ 74年目の終戦記念日を迎えた今日、やはり、取り上げておくべきは日本軍「慰安婦」問題だろう。第二次安倍政権の誕生とともに、右派政治家やネット右翼による歴史修正主義は一気に勢いづき、「反日バッシング」の大号令のもとで大日本帝国賛美への傾きを増している。その象徴が、戦中の日本軍による「慰安婦」問題だからだ。 「平和の少女像」が展示された「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」は、脅迫や政治家の圧力によって中止に追い込まれたが、ネトウヨだけでなく、いまや政治家たちもが剥き出しの歴史修正発言を平然と繰り出しており、かたや、それを批判・検証する動きは鈍い。 「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与した強制連行はなかったわけだから。それは一報を報じた朝日新聞自体が誤報と謝罪しているわけだから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」(松井一郎・大阪市長) 「名古屋市と愛知県は認めたのかと、国の補助金も入っているような(芸術祭で)国も韓国の主張を認めたのかと。やっぱり従軍慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られるじゃないかと」(河村たかし・名古屋市長) 言っておくが、「慰安婦はデマ」「慰安婦はなかった」という発言こそ、はっきりとしたデマだ。そもそも、2014年に朝日新聞が訂正・謝罪したのは「慰安婦狩り」を創作した吉田清治証言にかんするもののみ。戦中の日本軍がアジア各地に慰安所をつくり、女性たちを「慰安婦」にして、兵士の性暴力の相手にしたのは事実である。 まず、軍が慰安所づくりに主体的に携わったことを示す公的文書や元日本軍人の証言はいくらでもある。先日の記事(https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html)でも触れたが、たとえば、海軍出身の中曽根康弘・元首相は回想のなかで、インドネシアで「苦心して、慰安所をつくってやった」ことを自慢話として書いている。陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長はある対談で、「調弁する女の耐久度とか消耗度」などを含む慰安所の設置方法を経理学校で教わったと語っている。これらの証言は防衛省などが保持する当時の軍の史料でも裏付けされており、つまり、慰安所と「慰安婦」が軍主導であった事実を示している。 アジアへの侵略戦争のなか、日本軍は戦地または占領地に軍直営や軍専用の慰安所をつくり、あるいは民間の売春宿を指定するかたちで慰安所にした。たとえば、防衛省の防衛研究所が所蔵する史料「常州駐屯間内務規定」(1938年3月16日、独立攻城重砲兵第二大隊が作成)では、中国現地の〈慰安所使用規定〉として部隊ごとに使用する曜日が決められていたほか、〈使用時間ハ一人一時間ヲ限度トス〉とあり〈支那人 一円○○銭〉〈半島人 一円五十銭〉〈内地人 二円○○銭〉とされている。軍が慰安所をつくり、朝鮮や現地の女性を「慰安婦」にしていたのは客観的にも議論の余地がないのだ。 そこで、歴史修正主義者たちは「軍が関与した強制連行を示す証拠はない」などと言って「慰安婦問題はデマだ」と嘯くわけだが、しかし、これも問題を矮小化する典型的手口としか言いようがない。 だいたい、歴史修正主義者たちは「軍がトラックで村に乗り込んできて、娘たちを連れ去って慰安婦にした」というようなケースだけを「強制連行」とするが、「強制」とはそもそも「本人の意思に反して無理矢理行わせること」だ。 朝鮮人元慰安婦の証言で多いのは、「工場で働かせる」「稼げる仕事がある」などと甘言を弄して「慰安婦」にすることを隠し、騙して慰安所へ連行するケースだ。軍が直接的に連行せず業者を使っていても、元締めの業者は軍が選定し、慰安所では軍人の相手を強制されたのだから、当然、軍の責任は免れない。 ■「いい仕事がある」と騙され貨車に詰め込まれ日本憲兵から「逃げようとしたら殺すぞ」と たとえば、朝鮮人元「慰安婦」の朴永心さんは1939年、17歳のとき、騙されて南京の慰安所へ連れていかれた。当時務めていた洋品店に、腰にサーベルをつけた日本人の巡査がやってきて、「お金が稼げるいい仕事がある」と誘われ、どういった仕事かはわからなかったが親孝行になると思い、ついていったという。 〈巡査は、私たちを憲兵に引き渡すとそそくさと姿を消してしまいました。私たちは屋根のついた貨車(有蓋貨車)に詰め込まれました。真夏だというのに貨車には窓がなく、風が通らないので中は蒸し風呂のような暑さでした。ブラウスが汗で肌にべったり張りついていたのを覚えています。 一緒に乗り込んできた憲兵は「逃げようとしたら殺すぞ」と私たちを脅し、娘たちが互いに話すことも禁じました。トイレに行きたくても外に出してもらえず、我慢ができなくなると恥ずかしいなんて言ってられない。貨車の中で用を足さねばなりませんでした。本当につらかった。 私たちは黙ったまま、暗い貨車の中で身を寄せ合って座っていました。「帰りたい」と泣き叫んでも殴られるだけで、どうすることもできなかったのです。「だまされた」と気がついたときにはすでに手遅れでした。〉【脚注1】 明らかにそこには日本の官憲の「関与」があり、女性たちは「慰安婦」になることを「強制」されていたわけだが、さらに、東南アジアでは直接的に日本軍によって連行されたという証言も多い。 〈1943年のある夜、日本兵がやってきて、家々から若い女性を引きずり出しました。私は腕から乳飲み子をもぎとられ、むりやりトラックに押し込まれ、トンロックホテルで降ろされました。そこは陸軍専用の慰安所でした。〉(ロザリン・ソウさん/マレーシア・ペナン島生まれ)【脚注2】 〈日本軍の占領下、オランダ人は抑留所に入れられました。1944年2月、抑留所に日本軍の将校がきて、若い女性を広場に整列させ、「慰安婦」にする女性を選びました。私をふくむ16人の娘が「七海亭」に連行されました。私たちは恐怖で身を寄せあって祈りましたが、ひとり、またひとりと寝室に連れていかれました。私は日本刀をつきつけられて強かんされました。私はこの最初の夜を決して忘れません。翌日からは日本兵が列をつくってやってきました。2カ月後、慰安所は突然閉鎖され、私たちはボゴールの抑留所に移されました。日本兵は「慰安所のことを話したら、家族ともども殺す」と脅しました。私は沈黙するしかなく、周囲から「日本の売春婦」とよばれて、つらい思いをしました。〉(ジャン・ラフ=オハーンさん/オランダ領ジャワ島生まれ)【脚注2】 安倍首相は第一次政権時に「言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった」(2007年3月5日参院予算委員会)と答弁したが、これは真っ赤な嘘なのである。 ■日本軍によって両親を虐殺され、慰安婦にされたフィリピン女性 目の前で日本軍によって肉親を虐殺され、「慰安婦」にさせられたケースさえある。フィリピン人元「慰安婦」のルフィーナ・フェルナンデスさんの証言だ。1942年に日本軍がフィリピンを占領したとき、フェルナンデスさんは14歳だった。場所を移しながら避難生活を送るなか、マニラ郊外の家に日本軍が入ってきた。 〈この家に戻るとすぐ私たちの家に日本軍が入り込んできました。彼らは私の父を当時強かった反日ゲリラの容疑者ということで、逮捕しようとしていました。父は前から山に行ったり、マニラに行ったりしていて、反日運動など何ひとつ行っていません。そのことを日本軍の兵士に言いました。しかし、兵士はいっこうに耳をかそうとせず、父を殴りつけました。そして、私は避難生活の間に一五才になっていましたけれど、私を見つけて日本軍の兵士が連れて行こうとしました。それをみた父が逆上して、私を連れ戻そうと日本軍の兵士に抵抗した時に、父は私の見ている前で日本軍の兵士になぐり殺されました。そして次は母の番でした。母も私をかばおうと日本兵の前に立ちはだかると、兵士が何度も何度も母のおなかを殴りつけ、母はそのまま死んでしまいました。兄弟は私の目の前で殴られ続けました。私は止めようとしましたが、私も頭をひどく殴られ意識を失った状態で車の中に連れて行かれました。遠ざかる意識の中で泣き叫ぶ兄弟の声が聞こえなくなりました。おそらく彼らも殺されたのだとその時思いました。 私の家族はこうしてすべて殺されました。これは私にとって、とてもつらい信じられない出来事でした。そのことだけでも私は五〇年間日本人と日本軍に対する怒りで苦しみ続けてきました。〉【脚注3】 そして、慰安所での女性たちの境遇は「凄惨」や「壮絶」という言葉ではとても言い表せないほどのものだった。数々の証言からは、虐待や暴行は日常茶飯事であり、まさに兵士たちが女性を「モノ」扱いしていたことが伺える。 ■日本兵から「皇軍のため」「一〇〇人でも二〇〇人でも入ってくるだけ奉仕をしろ」と たとえば、朝鮮人元「慰安婦」の李桂月さんはこう証言している。15歳になった年に、村の区長に「仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言われ向かった先で日本の軍人に引き渡され、ハルピン近くの慰安所に連れて行かれた。 〈日本軍は「慰安婦」たちが言うことを聞かないとひどく殴りました。ある日、私は部屋に入ってきた将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、将校は「皇軍の言うことが聞けないのか」とどなり、連続びんたを食らわせました。あまりの痛さに目がくらみ、あごががくがくしました。将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は完全に気を失ってしまいました。〉 〈また、ある日、「タナカ」が部屋に入って来たときに私が横になったまま起き上がらないので靴で触り、「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。たばこを押し付けられてやけどをしたところは水ぶくれになり、化膿してしまいました。〉 〈日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「一〇〇人でも二〇〇人でも入ってくるだけ奉仕をしろ」と命令しました。それで、日曜日にはご飯を食べる時間も、便所に行く時間もなく「奉仕」させられました。一日中数十人もの日本兵に犯されると、指を動かす力もなくなり、失神するほどでした。一緒に連行されて来たヨンジャとイ・プニは、日本兵の暴行で殺されました。ヨンジャは病気になって腹が膨れ上がりましたが、日本兵はにんしんしている女は不必要だと言って軍刀で彼女のお腹を切り裂きました。しかし、胎児はおらず、水みたいなものがあふれ出ただけでした。ヨンジャは腹水の病気だったと思います。〉【脚注1】 彼女たちは騙されたり、暴力によって無理矢理に「慰安婦」にさせられただけではない。慰安所では、兵士の性暴力の相手を拒めず、居住も強制され、監視によって外出や逃亡もできなかったという証言がほとんどだ。また当時の日本は、女性や児童の売買を禁じる国際条約や、満21歳未満の女性を国外へ連れて行くことを禁じる国際条約に加入しており、これらにも違反していた。なにより、戦争遂行のために女性の自由を奪い、強制的に男性の性暴力に晒すのは、深刻な人権侵害にほかならない。 冒頭に述べたように、敗戦から74年を迎えるこの国では、「慰安婦」の存在を否定するデマが勢いづいている。女性の人権を擁護し、被害と惨禍を繰り返すまいと決意することが「反日」などと呼ばれ、バッシングや脅迫の対象となってしまう社会。そうした歪んだ状況を正さない以上、同じことが繰り返されないという保証はない。そのことを決して忘れないでほしい。 (編集部) ■引用元と主な参考文献 【1】アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編/西野瑠美子、金富子責任編集『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集1』明石書店 【2】アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『フィールドワーク 日本軍「慰安婦」』平和文化 【3】アジア・フォーラム編『元『慰安婦』の証言──五〇年の沈黙をやぶって』皓星社 【他参考】日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編/吉見義明、西野瑠美子、林博史、金富子責任編集『Q&A「慰安婦」・強制・性奴隷』御茶の水書房 [スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。
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秦郁彦 VS 吉見義明 https://www.nicovideo.jp/watch/sm24444064 2013-07-03 慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1 6/13、TBSラジオ番組で秦郁彦氏と吉見義明氏による「従軍慰安婦」問題についての15、6年ぶりの討論があった。取り上げるのが遅くなったが秦郁彦氏の誤魔化しや詭弁があまりに酷いので批判しておこうと思う。 “ ●2013年06月13日(木)「秦郁彦さん、吉見義明さん、第一人者と考える『慰安婦問題』の論点」(対局モード)- 荻上チキ・Session-22 http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/06/20130613-1.html “ ■ポッドキャスティングで聴く http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20130613main.mp3
■Youtubeで聴く https://www.youtube.com/watch?v=3ANBEo8Ju14 まず視聴した感想を書くと、「慰安婦」として動員された女性たちは貧しいのが通例であり、経済的にも社会的にも弱い立場にあったわけだが、こうした女性たちに対する秦郁彦氏の蔑視と冷淡さは相変わらずひどいものだった。 彼女たちが被った慰安所での性暴力、強制売春といった犯罪被害は少しも顧みられることはないし、史料の都合のいいつまみ食いと、それを全体の問題にすり替えた粗雑な否定論も目立つ。
公娼については「家族のため」にやったこと、慰安婦については「売った親が悪い」と、家父長制や昔の家制度の論理で個人の自発性や自己責任に落とし込み消化されるだけなのだ。 まぁそんな秦郁彦氏でも、吉見義明氏に従軍慰安婦の被害の実態をツッコまれると、言葉の言い換えや詭弁で誤魔化そうとしてだいぶボロが出ていた。 以下は、ラジオ番組から人身売買や性的奴隷に関する発言の一部を文字起こしたもの(時間はYoutubeによる)。 “ 19:05 〜 秦郁彦 内地の公娼制をね、これ、奴隷だということになってくると、そうすると、現在のオランダの飾り窓だとか、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでも連邦はだめだけれどネバダ州は公認してるんですよ。これは皆、性奴隷ということになりますね。 吉見義明 それは、人身売買によって女性たちがそこに入れられているわけですか? 秦郁彦 人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか?志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。 吉見義明 セックスワークをどういうふうに認めるかということについてはいろいろ議論があって難しいわけですけれど、少なくとも人身売買を基にしてですね、そういうシステムが成り立っている場合は、それは性奴隷制というほかはないじゃないですか。 秦郁彦 自由志願制の場合はどうなんですか? 吉見義明 それは性奴隷制とは必ずしも言えないんじゃないでしょうか。 秦郁彦 公娼であっても? 吉見義明 それは本人が自由意志でですね、仮に性労働をしているのであればそれは強制とは言えないし、性奴隷制とも言えないでしょうね。 20:15 〜 秦郁彦 日本の身売りというのがありましたね。それで身売りというのは人身売買だから、これはいかんということになってるんですね、日本の法律でね。 吉見義明 いつ、いかんていうことになってるんですか? 秦郁彦 人身売買、自体はマリア・ルス(マリアルーズ)号事件の頃からあるでしょ、だから。 吉見義明 それはあの〜確かにあるけれど、それは建前なわけですよね。 秦郁彦 建前にしろですね、人身売買ってのは、だいたい親が娘を売るわけですけれどね。売ったという形にしないわけですよね。要するに金を借り入れたと、それを返済するまでね、娘が、これを年季奉公とか言ったりするんですけどね、その間、その〜、性サービスをやらされるっていうことなんでね。 それで、娘には必ずしも実情が伝えられてないわけですね。だからね、しかし、いわゆる身売りなんですね。 荻上チキ (着いてみたら)こんなはずじゃなかった、という手記が残っているわけですね。 秦郁彦 う〜ん騙(だま)しと思う場合もあるでしょう。ね。 (中略) だからね。これは、う〜ん、なんていうかな、自由意志か、自由意志でないかは非常に難しいんですね。家族のためにということで誰が判定するんですか。 吉見義明 いや、そこに明らかに金を払ってですね、女性の人身を拘束しているわけですから、それは人身売買というほかないじゃないですか。 荻上チキ ちょっと時期は違いますけれどもね、『吉原花魁日記』とか『春駒日記』とかっていう、昔の大正期などの史料などでは、親に「働いてこい」と言われたけど、実際に働いてみるまでそのことだとは思わなかったケースもあったりすると。 秦郁彦 うん、そうそう。 荻上チキ それは、親も敢えて黙っていたかもしれないし、周りの人も「いいね、お金が稼げて」と誉のように言んだけども、内実を周りは知らなかったっていうような話は色いろあったみたいですね。 吉見義明 実際にはあれでしょ、売春によって借金を返すというシステムになってるわけでしょ? 秦郁彦 今だってそれはあるわけでしょ。 吉見義明 それは、それこそ人身売買であって、それは問題になるんじゃないですか? 秦郁彦 じゃぁ、ネバダ州に行って、あなた、大きな声でそれは弾劾するだけの勇気がありますか? 吉見義明 もしそれが人身売買であれば、それは弾劾されるべき。 秦郁彦 志願してる場合ですよ、自発的に。自発かね、その〜どこで区別するんですか? 吉見義明 何を言ってるんですか、あなたは? 秦郁彦 え? これは当時の公娼制度に関連したやり取りだが、秦氏が当時の日本での人身売買を基礎にした公娼制度と、現在の様々な法令によって女性の人権がある程度、保護されたうえで公認されている売春を同列に語っていることにまず驚く。このやり取りを聴いただけでも、秦郁彦氏が「自由売春」と、犯罪である「強制売春」の区別がついていないことは明らかだろう。いや、わかっていてわざとそこに触れないよう回避していると見るべきか。
そもそも秦氏は1999年の著書『慰安婦と戦場の性』のなかで、公娼制度とは「まさに「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった(同書p.36)」と公娼制度が奴隷制度であることを認めていた。 さらに同書では、「「慰安婦」または「従軍慰安婦」のシステムは、戦前期の日本に定着していた公娼制の戦地版として位置づけるのが適切かと思われる。(前書p.27)」と述べていた。 この論理なら、「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度も同様に奴隷制度という認識になるはずである*1。ところが今回の吉見義明氏との討論では、最後まで公娼制度や慰安婦制度が奴隷制度であることを認めることはなかった。 とはいっても秦氏はこの後(後段の文字起こし部分)で、朝鮮半島から慰安婦として動員された女性たちの「大部分」が「誘拐や人身売買」の被害者であることまで認めた。そして、身売り=人身売買の被害者は「借金を返す」までの期間、身体を拘束され性行為を継続的に強要される状況にあったことも認めている。これは暗に奴隷状態であったことを認めているに等しい。 国際的な定義では、こうした他者の支配下に置かれ、自分のことを自由に決定する権利が奪われ所有物として扱われる地位や状態は奴隷状態であり、こうした状況で継続的に性行為を強要される状態を性的奴隷状態と定義しているのだから。(こちらを参照:性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない - Transnational History 性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない - Transnational History) “ 36:26 〜 荻上チキ 前提としてそういったふうに(連れて行かれた女性が慰安所での性行為を拒否し)イヤだイヤだといった場合は、帰る自由といったものはあったんですか? 秦郁彦 借金を返せばね。借金を返せば何も問題ないわけですよ。
吉見義明 え〜つまり、借金を返すまで何年間かそこ(慰安所)に拘束されるわけです。 それが性奴隷制度だっていうこと。 秦郁彦 そうすると親がね、返さなきゃいけんのですよ。親が売ったのが悪いでしょ。 吉見義明 秦さんがわかってないのそこですよ。 秦郁彦 どうして? 吉見義明 借金を返せば解放されるというのであれば、それは人身売買を認めてることになるじゃないですか。 “ 53:35 吉見義明 先ほど言いましたように略取とか誘拐とか人身売買で連れて行くのがほとんどだったわけですよね。 そうして朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは、え〜、秦さんも認めておられるわけですね。 秦郁彦 当然ですよ。それが大部分ですよ。 吉見義明 それでたとえ業者がそういうことをやったとしても、その業者は軍に選定された業者である。で実際に被害が生じるのは慰安所ですけど、その慰安所というのは軍の施設である。軍がつくった軍の施設であるわけですね。そこで女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。 当然、軍に責任があるということになると思う。 このやり取りでは吉見氏が、人身売買により身体を拘束された女性たちが借金を返すまでは解放されず性行為を強制されるシステムは性的奴隷制度であると指摘するが、秦氏は「親が売ったのが悪い」と親の責任にして話を逸らしている。 しかしこの後で秦氏は朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めており、そうであるなら貧困により生活が困窮し娘を売った親も、その多くは偽りの説明を告げられ騙されていたと推測するのは難しいことではないだろう。
ビルマでの尋問調書『日本人捕虜尋問報告 第49号』には次のように記述されている。 “ 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南 アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日 http://a777.ath.cx/ComfortWomen/proof_jp.html 長くなるので文字起こしの引用は省略するがYouTubeの40分(http://youtu.be/3ANBEo8Ju14?t=40m)ごろから、秦氏は呆れたことに上のビルマでの捕虜尋問調書を持ち出し、慰安婦がどれだけ楽だったかを力説している! しかし吉見氏にその解釈の間違いをことごとく反論され、みごと撃沈しているが(その討論の文字起こしはこちら)。
最後に秦氏の詭弁を批判しておこう。
今回の討論では秦氏は慰安婦の問題に直接絡めて言及したわけではないが、このエントリの冒頭部分の文字起こしにあるように「秦:人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか?志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。」だとか、吉見氏の発言「人身売買であれば、それは弾劾されるべき。」に対し「秦:志願してる場合ですよ、自発的に。自発かね、その〜どこで区別するんですか?」などと、「志願」や「自発的」な側面があれば人身売買や奴隷に当たらないとの認識を披露している。そしてつい最近も産経新聞への寄稿で慰安婦募集の広告に「応募者は少なくなかったろう」などと述べているぐらいだから*2、「自発」や「志願」なら人身売買や奴隷とは呼べず軍の責任も免責されると考えているのだろう。 しかしこの「自発的」なのか「志願」なのか、といった問題設定自体が、初めから問題を否認するための偽りの問題設定、あるいはすり替えと言わざるを得ない。 日本政府も署名している国連の「人身取引(人身売買)補足議定書」の定義は次のようになっている。
人身取引(人身売買)の定義 Protocol to prevent, suppress and punish trafficking in persons, especially women and children, supplementing the United Nations Convention against Transnational Organized Crime 和訳:国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書 英語原文:http://www.unodc.org/documents/treaties/UNTOC/Publications/TOC%20Convention/TOCebook-e.pdf 外務省 和文テキスト:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty162_1.html (日本政府はtraffickingを人身売買ではなく人身取引と和訳している。)
“ Article 3. Use of terms 第3条 (a) “Trafficking in persons” shall mean the recruitment, transportation,transfer, harbouring or receipt of persons, by means of the threat or use of forceor other forms of coercion, of abduction, of fraud, of deception, of the abuse of power or of a position of vulnerability or of the giving or receiving of payments or benefits to achieve the consent of a person having control over another person, for the purpose of exploitation. Exploitation shall include, at a minimum, the exploitation of the prostitution of others or other forms of sexual exploitation, forced labour or services, slavery or practices similar to slavery, servitude or the removal of organs; (a) 「人身取引」とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得(募集)し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務(サービス)の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。 (b) The consent of a victim of trafficking in persons to the intended exploitation set forth in subparagraph (a) of this article shall be irrelevant where any of the means set forth in subparagraph (a) have been used; (b) (a)に規定する手段が用いられた場合には、人身取引の被害者が(a)に規定する搾取について同意しているか否かを問わない。 (c) The recruitment, transportation, transfer, harbouring or receipt of a child for the purpose of exploitation shall be considered “trafficking in persons” even if this does not involve any of the means set forth in subparagraph (a) of this article; (c) 搾取の目的で児童を獲得し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することは、(a)に規定するいずれの手段が用いられない場合であっても、人身取引とみなされる。 (d) “Child” shall mean any person under eighteen years of age. (d) 「児童」とは、18 歳未満のすべての者をいう。 (強調は引用者による) 一読してわかるように、搾取の目的で、暴力、誘拐や詐欺、同意を得る目的で行われる金銭の授受、弱い立場に乗ずるなどの手段が用いられている場合、自発的どころか、たとえ本人が同意している場合であっても人身売買に該当 (b項)することに変わりはないのである。
また、「自発的」や「志願」といった事実が一部にあったとしても、それによって女性たちが「慰安婦」になることを「同意」していたと見なすことはできない。なぜなら朝鮮半島からの動員では職種を偽ったり明かさずに甘言で騙して国外へ連れて行く誘拐や就業詐欺(人身売買を含む)といったケースが数多く報告されており*3、秦氏も朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めているのだから。 まぁ日本軍の場合、上記の人身売買の定義にある、獲得(募集)、輸送、収受といった3つの過程すべてにおいて組織的に関与・介入しており、国家責任が問われないよう見せかけるには秦さんもこうした詭弁を弄するしか選択肢がないのだろう、とは思うが。 *1:秦郁彦氏は慰安婦制度を公娼制度へと一般化させようと差異を無視している。一例をあげるなら、公娼制度では建前上とはいえ法規定(娼妓取締規則)により「廃業の自由」が保障されていた(もちろん実態は違っていたのだが)、しかし慰安婦制度にはそうした廃業の自由を保障する法規定すら存在しなかった。
*2:こちらを参照:秦郁彦氏は従軍慰安婦の話題になるとバカになる - 誰かの妄想・はてな版 秦郁彦氏は従軍慰安婦の話題になるとバカになる - 誰かの妄想・はてな版 *3:誘拐、詐欺、人身売買の数多くの事例はこちらを参照:日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History 日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History。他にも、元朝鮮人慰安婦19人による証言集でも、甘言に騙され連れて行かれたケース(人身売買を含む)が最も多くを占める。参照『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書店 ,1993年 https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1
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