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犬猫をたくさん飼った末に起きた「惨状」の数々
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/692.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 24 日 09:48:23: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 15 日 16:35:58)


犬猫をたくさん飼った末に起きた「惨状」の数々 多頭飼育が崩壊した現場で何が起きているか
村田 らむ 2019/10/24
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%8a%ac%e7%8c%ab%e3%82%92%e3%81%9f%e3%81%8f%e3%81%95%e3%82%93%e9%a3%bc%e3%81%a3%e3%81%9f%e6%9c%ab%e3%81%ab%e8%b5%b7%e3%81%8d%e3%81%9f%ef%bd%a2%e6%83%a8%e7%8a%b6%ef%bd%a3%e3%81%ae%e6%95%b0%e3%80%85-%e5%a4%9a%e9%a0%ad%e9%a3%bc%e8%82%b2%e3%81%8c%e5%b4%a9%e5%a3%8a%e3%81%97%e3%81%9f%e7%8f%be%e5%a0%b4%e3%81%a7%e4%bd%95%e3%81%8c%e8%b5%b7%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%8b/ar-AAJg5t6?ocid=ientp#page=2



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「寂しいから」という理由でペットを飼い、飼い主のエゴによってペットが犠牲になってしまう多頭飼育崩壊の悲惨な現場とは?


 まれに「犬や猫の多頭飼育が崩壊した」というニュースが流れることがある。

 多くはブリーダーや動物園の経営が立ち行かなくなり、多くの犬や猫が犠牲になったというものだ。「胸が痛い」と感じる人もいれば、自分とは関係なく、どこか遠くの地域で起きている話だと思っているかもしれない。

 現実には、自分には思いもよらない隣家で多頭飼育崩壊が起きていてもまったくおかしくない。

 多頭飼育崩壊の現場をよく目にするのは、清掃業の人たちだ。

 ゴミ屋敷、事故物件などの特殊な清掃を専門にする「まごのて」の佐々木久史社長に話を聞いた。

動物虐待に等しいゴミ屋敷での多頭飼育の現場

 「ゴミ屋敷でペットを飼っている人は意外と多いですね。ほとんどは猫です」

 清掃現場ではゴミの間を猫が歩いていることは珍しくない。当然、排泄物の始末などはしていないので、部屋の至る所に糞や尿が落ちている。衛生面は最悪で、清掃員にとってはつらい仕事になる。

 そもそも“部屋をキレイに保つ”という最低限の自分の世話ができないのに、ペットが飼えるわけがない。はっきり言って動物虐待だ。

 「掃除をしていたらゴミの下からピーピーという音がずっと鳴ってることがありました。電子機器が鳴っているのかと思ったら、鳥かごがいくつも埋まっていました。なんと4羽の鳥がゴミの下で生きていました」

 エサを与えるときは、ゴミの上から適当にまいていたという。周りに散らばった鳥のエサを目当てにゴキブリなどの虫が集まっていた。

 これくらいのレベルのゴミ屋敷は珍しくない。多頭飼育崩壊の現場は熟練のスタッフでも心が折れそうになるほど、酸鼻を極めるものだという。

 「多頭飼育崩壊の部屋の清掃依頼は平均すると月に1件くらいですね。ただ、重なる月は5件を超えることもあります。依頼数は、徐々に増えていると実感しています。

 例えば代表的な例として、猫2〜30匹、ウサギ数十羽を団地で飼っていた部屋の清掃がありました」

 この現場には著者(村田らむ)も同行した。

 エレベーターのない4階建て公営団地の4階が現場だった。

 もちろんペットの飼育は禁止されている。すでに住人は引っ越しをすませ、ペットも運び出された後だと聞いていた。

汚物にまみれた部屋

 室内に入るとまず、排泄物の臭いが強く鼻をついた。とてもきついアンモニア臭だった。

 猫は放し飼いにされていたらしく、壁やふすまはビリビリに破られていた。

 床にはおびただしい数のゴミ袋が放置されている。中に入っているのは猫やウサギの糞などが多い。家財道具も残っていたが、どれも汚物で汚れていた。

 壁に吊るされたハエ取り紙には、びっちりと黒い大きいハエがついている。部屋の片隅には、殺虫剤の空き缶が山のように積まれていた。いくらハエ取り紙を吊るそうが殺虫剤をまこうが、元を絶たねばハエの数は減らないだろう。住人が退去した後も、ハエはたくさん残っていた。

 その現場ではエレベーターがなかったためゴミを持って1階まで降りなければならなかった。糞は水分を含むために非常に重たい。長年かけてたまった糞の片付けは、かなりの重労働になる。

 そして、なにより驚き、心が痛んだのは、部屋に堆積したゴミに、依頼者の子どもとみられる写真や、子ども用のおもちゃなどが混ざっていることだった。

 「このすさまじい汚部屋の中で子どもを育てていたんだ……」

 と思うと、胸がギュッと苦しくなった。

 だが室内には寝具はなかった。「どこで寝ていたのだろう?」と探していると、ベランダに布団が敷いてあるのをみつけた。部屋には住んでいられなくなって、ベランダで寝ていたのだろう。あまりに悲惨な光景だった。

 清掃が終わって物はなくなった。清掃前よりは薄らいだものの部屋にはきつい臭いが残っていた。畳はまるで土のようになっていたし、壁も猫の引っかき傷で、これでもかというくらい傷んでいた。

 「あの物件レベルになると、汚れや臭いを取るには、内装を解体しないと無理ですね。骨組み以外、全部解体して清掃します。古い団地の場合、そこまでするメリットがないので、封鎖して“開かずの間”にしてしまっているかもしれません。

 先日、清掃に行った現場は、同じレベルの汚れ方の多頭飼育崩壊の物件でした。この物件ではまだ住人も猫も住んでました。

 田舎町の3階建てアパートの3階だったんですが、駐車場に車を停めた時点で、すでに悪臭が漂ってきていました」

 部屋に近づくにつれ臭いはひどくなった。ドアにはまるで、一昔前のサラ金の嫌がらせのように、

 「掃除をしろ」

 など、おそらく近隣の人たちが書いたのであろう張り紙が貼られていた。家主は大家からも退去を迫られていたそうだ。

クロークを開けると猫みっしり

 ドアを開けると無数の大きなハエが、わんわんと飛び回っていた。口を開けているとハエが入ってきそうなくらいだったので、手で口元を押さえながら話さなければならなかった。

 部屋に足を踏み入れると、ずぶりとスネのあたりまで埋まった。長年にわたりたまった糞が堆積しているのだ。

 清掃を始めたが、猫は見当たらなかった。「どこに行ったのだろう?」と思いながら清掃を続けていた。そしてダイニングのクロークを開けると中にはみっしりと猫が並んでいた。そしてコンセントは入っていない冷蔵庫の中にも、猫がずらっと潜んでいた。猫たちはみんなよく似ていた。

 最初は野良猫を1匹拾ってきただけだったが、その後出産してどんどん増えていったという。

 「住人は女性とその息子さんでした。耐えられなくなった息子さんからの依頼でした。

 3LDKの部屋に40匹の猫を飼っていたようです。とにかくひどい状況でした。糞を外に出しても、畳はもうブヨブヨに腐っていました。普通の感覚では、住み続けられる状況ではなかったですね」

 その現場では一部は病気になっていたものの、猫たちは生きていた。

 しかし猫が亡くなっているケースもある。

 「一人暮らしの男性が、10匹の猫を飼っていた現場の清掃に行きました。その人は比較的ちゃんと猫を飼っていたんですが、ある日突然警察に捕まってしまったんです。

 10匹の猫たちは部屋に置き去りになってしまいました」

 逮捕された男性の父親は、部屋の状況を把握していたがしばらく放置していた。そして2周間ほど経った後に、まごのてに相談の電話をしてきた。

 「そんなに時間が経っているから、おそらく全頭死んでいるだろうと思って覚悟して現場に行きました。すると荒れた室内に、猫が1匹だけ生き残っていました」

 現場には猫同士で共食いをした形跡が見受けられた。生き残ったその猫は、歯は抜けて毛もボサボサなボロボロの老猫に見えた。

 依頼をしてきた男性の父親に電話をすると、なぜか怒っていた。

 「俺は猫なんか大嫌いだから、適当に外に捨てておけ!!」

 と怒鳴られた。

 もちろん、そんなことはできない。とりあえず会社に持ち帰り面倒を見ることにした。

 「動物病院に連れていっても老猫だと診断されました。しばらくしてから刑務所から出所した家主に聞いたところ、まだ6歳だということでした。まだまだ若い猫だったということにビックリしました。

 その猫は、生物にとってあまりに過酷な経験をしたために一気に老けてしまったのかもしれません。結局、その猫は元飼い主に返されることはなく、現在はまごのてのスタッフが大切に飼っています」

遺書には「猫ちゃんたのむ」

 ペットを遺し、飼い主が亡くなってしまうケースも後を絶たないという。

 とある自殺現場には、机の上に

 「すみません 死にます 猫ちゃんたのむ」

 遺書はマジックペンでなぐり書きされていた。遺された猫たちが結果どうなったのかは追跡されていないが、結果的に殺処分されてしまった可能性は高そうだった。

 また老人の孤独死の現場では、猫や犬の死体も一緒に見つかる場合が多いという。飼い主の横で寄り添って死んでいる犬を見ると、清掃員たちはとても哀しい気持ちになる。

 多頭飼いはどちらかというと猫が多いが、もちろん犬の多頭飼いもある。

 「1年半住んだ汚部屋を掃除してほしいという依頼がありました。しかし写真を見ると、とても1年半で汚したとは思えない状況でした。荒れ放題で、10年は放置した部屋に見えました」

 現場に行くとその部屋では8頭のダルメシアンが飼われていた。ダルメシアンはディズニー映画『101匹わんちゃん』のモデルとしても有名な、白黒のぶち模様が特徴の大型犬だ。

 最初はオスメスの2頭だったのだが、子ども6頭を産んで合計8頭になってしまった。

 「お金持ちの大きな家でしたが、食事以外の面倒は見ておらず部屋はボロボロでした」

 散歩もさせてもらえず、狭い部屋に閉じ込められたストレスで壁や床は剥がれていた。ダルメシアンは体重30キロにもなる。尿や糞の量は人と変わらないほど出る。それが8頭分となればすごい量だ。それが毎日床に垂れ流しになり、放置されていた。

 当然、床板は腐っていた。回復するのが不可能なレベルに家屋は傷んでいた。

 「結局、最初の2頭以外の6頭は全部、保健所で殺処分したそうです。かわいそうで、聞いてられなかったですね」

 以前、ブリーダーをしていたというおじいさんの部屋には大量のカゴが並んでいた。室内には50匹のチワワがいた。

 「歳をとって身体が動かなくなったから、もうブリーダーはやめたい。殺処分はしたくないから、欲しい人に譲りたい」

 という内容のSNSに発表したところ、20匹のもらい手がついた。

 それ以降もだらしなく飼っていたため、知らぬ間にチワワ同士が交尾してしまい20匹増えてしまった。

 「生まれて1回も外を歩いたことのない犬たちが暗い部屋の中にいるのを見るのは、本当につらいです。あまりにひどくて、思わず怒りがわいてしまうこともあります」

犬がいることをつい忘れて出かけたまま…

 多頭飼いではないのだが、犬の飼育崩壊であまりにひどい依頼があったという。

 若い女性が、アパートの1室で小型犬を飼っていた。ある日、恋人と初の旅行に出かけることになった。犬は部屋に置き去りにしていた。依頼主は電話で、

 「旅行にウキウキしていて、犬がいることをつい忘れて出かけてしまいました。旅行の途中で思い出しました」

 と言った。

 「耳を疑いました。どう考えても、犬が家にいることを忘れてしまう、なんてありえませんよね? あきれて物も言えませんでした」

 依頼主は、犬がいることを思い出しても家には帰らなかった。逆に

 「部屋で犬が死んでいるかもしれないと思ったら、怖くて帰れないんです。もう1カ月帰っていません。どうなっているか確認してください」

 と依頼してきた。

 「どういう神経でそんな依頼をしてくるのか、本当に理解できませんでした。

 現場に行くと、もちろん犬は死んでいました。アパートの中でエサも水もなく、飼い主を待ち続けて死んだかと思うと、本当に怒りを覚えました」

 ここまで無責任ではないにせよ、結果的に部屋に放置されて犬や猫が死んでいるのは珍しいことではないという。

 引っ越しの際、部屋に置いてけぼりにされたペットもいる。多くは水を欲しがり、流し台の上で息絶えていた。

 「清掃業をしている人は、感情と実務を切り離して考えるクセがついています。汚い物を見るたびに、心が折れてたら作業になりませんからね。ただ、ペットの悲惨な末路だけはいくら回数を重ねてもなれることがありません。

 そして表面に出ているのはほんの一部だと感じています。飼育崩壊している家、部屋は皆さんの想像以上にたくさんあると思います」

ペットは余裕がある人でなければ飼ってはいけない

 ならば、どうすれば多頭飼育崩壊の悲劇を減らせることができるのだろうか?

 犬のレッスンを中心にしたトレーニングや、ドッグホテルなどを経営する、「SKYWAN! DOG SCHOOL」代表取締役の井原亮さんに話を聞いた。井原さんは、ペットのしつけ教室の講師も務めている。

 「まず自分のことを知らない人が多いんですね。自分が本当にペットを飼える状況なのかを知らなければなりません。

 ペットは余裕がある人でなければ飼ってはいけません。体力、家屋、お金、時間に余裕があって、はじめて飼えるんです」

 確かに「寂しいから」という理由で、飼い始めるのはあまりに無責任だ。そして1匹ではなく多頭飼いする人はさらに崩壊するリスクが高くなる。

 一般的に何頭までならきちんと犬、猫を飼うことができるのだろうか?

 「犬の場合、われわれのようなトレーニングを仕事にしている者でも1人2頭ですね。3頭になると厳しくなります。もちろん飼えないわけではないですが、十分に行き届いた世話ができなくなるんです。

 犬を飼うということは、ご飯を考え、医療を考え、そして散歩させてあげなければなりません。それって人間の赤ちゃんを育てる労力と変わらないんです。しかも動物は、ずっと赤ちゃんのまま(のようなもの)です。たとえば2歳児を10人育てるって、普通に考えたら無理ですよね?

 猫は犬とは違い、散歩の手間がありません。エサとトイレと清潔さを保てばいいので、犬よりは飼えるとは思いますが、それでも3頭が限界じゃないでしょうか? それ以上は、目が行き届かなくなると思います」

「買いたい」人を拒むことはできないジレンマ

 現在、街には野良犬はほとんどいないため、犬はペットショップで購入して手に入れる人が多い。ペットショップで犬を衝動買いしてしまう人は少なからずいる。

 「クレジットカードでもローンでも犬を買うことはできますからね。人によっては、歯止めが利かなくなるんです。

 ダックスフントを14頭飼った人がいました。その人は『全色そろえたい』と言っていました。犬はオモチャではないですから、そういう感覚で衝動買いするのはよくありません」

 そういう危険そうな客には、販売を断りたいところだが、ペットショップ側は「買いたい」と言っている人に「売りません」とはなかなか言えないのが現状だ。

 「デパートなどに入っているペットショップが『犬を買いたい』という客に対し販売を断った場合『商品を買うと言ったのに、販売してもらえなかった』とデパートにクレームが入る場合があります。その結果、店が注意をされることもあります」

 客に「売れ」と言われたら、問答無用で売らざるをえない。そのことで悩んでいるペット業界の人も多いという。

 一方で、そういう客を「上客」と捉え売りつけようとする、たちの悪いペットショップも存在するのが現実だ。

 犬は商品であり、その生命はあまりにも軽んじられている。

 猫は犬とは違い、野良猫(地域猫)に餌付けをすることからはじまる場合が多いという。

 最初は公園などで猫にエサをやるだけだが、だんだん部屋に入れ始める。そしていつの間にか、家の中は猫だらけになっている……というパターンだ。

 猫は犬以上に多頭飼育する人がいる。

 数十頭の猫を飼う人も決して珍しくはない。本人はボランティアのつもりだったりするが、近隣住民は非常な迷惑をこうむる。そして結果的に猫たちも不幸な道をたどる場合が多い。

 それでは、どうすれば多頭飼育崩壊問題を減少させられるだろうか?

ライセンス制を導入すべき

 「飼い主をライセンス制にするのは必要だと思います。

 ペットを飼育できる環境にいることは大前提です。ペット不可のマンションで犬猫を飼ったりするのは、もちろんダメです。

 海外では、ペットを飼育前に飼い方のセミナーを受けなければならない国もあります。飼う主が飼育に関して最低限の教育を受ける必要はあります。

 また年齢を考慮したほうがいいです。犬猫は15〜20年生きます。ならば飼い主が新たな犬猫を飼い始めるとすれば50代が限界じゃないかと思います。中には家族が、祖母祖父に犬猫をプレゼントするケースもあります。老人に犬猫の世話は難しいです。結果的に全員が不幸になるケースも少なくありません。

 ペットを飼える環境と経済的余裕があり、飼育する知識を持ち、飼い主も十分に健康な人にだけライセンスを発行すれば、飼育崩壊の悲劇は減ると思います。

 ただライセンス制が現実に施行されるかというと、なかなか難しいとは思います」

 多頭飼育崩壊問題には、決定的な解決法がないのが現実だ。ペットを飼う人、一人ひとりに求められるのは一生世話していく覚悟だろう。ペットは決して、人間のためのオモチャや道具ではないのだ。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%8a%ac%e7%8c%ab%e3%82%92%e3%81%9f%e3%81%8f%e3%81%95%e3%82%93%e9%a3%bc%e3%81%a3%e3%81%9f%e6%9c%ab%e3%81%ab%e8%b5%b7%e3%81%8d%e3%81%9f%ef%bd%a2%e6%83%a8%e7%8a%b6%ef%bd%a3%e3%81%ae%e6%95%b0%e3%80%85-%e5%a4%9a%e9%a0%ad%e9%a3%bc%e8%82%b2%e3%81%8c%e5%b4%a9%e5%a3%8a%e3%81%97%e3%81%9f%e7%8f%be%e5%a0%b4%e3%81%a7%e4%bd%95%e3%81%8c%e8%b5%b7%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%8b/ar-AAJg5t6?ocid=ientp#page=2  

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コメント
1. 中川隆[-10620] koaQ7Jey 2019年10月24日 09:59:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2245] 報告

フジコ・ヘミング パリでは猫5匹に犬が2匹。東京の家は猫30匹に犬が1匹……でも昨日、うちに入りたそうにしている野良猫がいたから、また増えるかもしれない。


フジコ・ヘミング(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko)
Born on December 5, 1932 in Berlin, Germany to a Japanese mother and a Swedish father of Russian descent.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0


ラ・カンパネラ / フジコ・ヘミング - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=i1eGhpN1Zgk

フジ子・ヘミング - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Fujiko+Hemming+
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

ふじこヘミング あるピアニストの軌跡 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=gLnoUKAeJkU
https://www.youtube.com/watch?v=3VYEz3b3_mE

ドラマ「フジ子・へミングの軌跡」- YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%80%8C%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%81%B8%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1%E3%80%8D


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ピアニスト フジコ・ヘミング 滝川クリステル いま、一番気になる仕事
https://goethe.nikkei.co.jp/serialization/takigawa/130829/

ピアノを弾くことは凸凹の難しい道を歩くのと同じ。常に必死だから 数奇な運命を乗り越えて、遅咲きのピアニストとして世界中でコンサート活動を行うフジコ・ヘミングさん。聴く人の魂をゆさぶるピアノの音色は、どう奏でられているのでしょうか。その人生観、仕事観について話をうかがいました。

ピアノに興味を持ったのは40歳を過ぎてから

滝川 そういう気持ちがすべてピアノの音に込められているんですね。私たち聴く側にとっては、夢のような時間だけれども、フジコさんはやるせない現実を思いながら弾いている……。

フジコ 恋をしているとお酒に酔ったみたいで楽しいけれど、ピアノで恋のように酔うことはできません。弾いている時は必死。難しい凸凹道を歩いているのと同じで、ちょっとでもぼやっとしたら違う道にそれてしまう。弾きながら「神様どうか、うまく弾けるように見守っていてください」と拝みどおしです。

滝川 緊張されるんですね。

フジコ 恐怖に近いほど。間違えたらどうしよう、他の人は間違えないのにどうして私は間違えるの、という恐怖心にとらわれてしまうと失敗します。あなたはそういうことない?

滝川 怖いというほどではないけれど、やはり緊張はします。カメラの前なら大丈夫なんですが、人がたくさんいるところは少し苦手かもしれません。

フジコ うちは母親がとても厳しくて、子供の頃にピアノを弾いて間違えるとヒステリックに怒鳴られたの。おまえはバカだ、ダメだ、と。そのうえ、難しい曲や、つまらない曲ばかり弾かされていたから、40歳くらいになるまでは全然ピアノに興味が湧かなかった。聴くのは好きだったけれど。絵やデザインのほうが好きでした。

滝川 40歳くらいの頃に何か転機があったんですか?

フジコ 耳が聴こえなくなって、ピアノ教師の資格をとるために知能テストをしたら、とても成績がよかったのよ。そこで、自分はバカじゃないと思えるようになって、だんだん、ピアノの才能も信じられるようになった。

滝川 今、ご自身にとってピアノはどのような存在ですか?

フジコ 私のすべてといってもいいでしょうね。でもお金をいただく仕事だという感覚はちゃんとありますよ。演奏して得たお金はほとんど恵まれない子供や動物愛護のボランティアに寄付しているから、もしピアノで生活できなくなったら、家を売らなくちゃ。そうならないためにも、最善を尽くして演奏会に臨んでいるつもり。

滝川 フジコさんは普段のお食事もベジタリアンですが、演奏の前にはカフェインやスパイスも控えるのだと聞きました。

フジコ そう、コンサート前は大好きなコーヒーをやめて、コショウもとらないの。ミルク多めのココアや、お餅をふたつ入れたお雑煮を食べることが多いかな。タバコももうほとんど吸わない。普段からよく歩くんですけど、演奏前には楽屋のなかで20分くらい靴を脱いで歩くようにしているんです。足の裏は脳につながっているから。

滝川 やはり、ご自身の体調に責任を持つことを徹底されているのですね。

フジコ それをせずにピアノに向かうと、なんだかモヤモヤして、“思い”が出てこないのよ。都合よく神様に祈ってもダメ。毎日、努力を続けていないと。

愛するものに囲まれたパリと東京の暮らし

滝川 フジコさんは動物愛護家としても知られています。今も、とてもたくさんの子たちと暮らしているんですよね。

フジコ パリでは猫5匹に犬が2匹。東京の家は猫30匹に犬が1匹……でも昨日、うちに入りたそうにしている野良猫がいたから、また増えるかもしれない。皆、気持ちよさそうにピアノを聴いているけれど、練習で同じところを繰り返しているとフイッといなくなっちゃう。

滝川 うちも犬と小鳥がいるんですけど、ギターを弾いていると、鳥は一緒に鳴いてくれます。犬は心地よいのか、寝ちゃいます。人間と一緒ですよね。今は、パリと東京にいらっしゃる割合はどれくらいですか?

フジコ だいたい半分か、パリのほうが少し長いくらい。パリの家のそばには、ショパンが毎週通っていたという、ランベール館があるんです。1750年ぐらいに建った建物で一般には非公開なのだけれど、以前、ご招待いただいてショパンの演奏会をしました。もう夢のようで……、最高の気分だったわ。20代の頃から憧れていたパリは期待以上の素晴らしい街。犬を連れて散歩していると、みんな話しかけてくれるしね。

滝川 私もいつか、お邪魔させていただけませんか?

フジコ ええ、どうぞ。古いアパートだけど、暖炉や彫刻の鏡があって気に入っているの。

滝川 犬や猫たちと一緒にフジコさんのピアノを聴けたら、最高ですね。心地よすぎて、うたた寝してしまうかも(笑)。


フジコ・ヘミング 滝川クリステル
やるせない思いがピアノの音になっていく


フジコ 私はね、ゲーテを少し、疑っているんです。

滝川 えっ。

フジコ 雑誌ではなくて、文豪のほうね。

滝川 ドキッとしました(笑)。

フジコ 70歳の時に16歳の少女に求婚してフラれているでしょう。教養のない女性を好む男性は、自分の思いどおりに騙(だま)そうとする悪いやつが多いのよ。

滝川 それは困りますね。フジコさんがお好きな男性は、どんなタイプですか?

フジコ リストは素晴らしい人だったと思いますよ。初恋の人を大切に思い続けたり、別れた女性とも生涯の友情を育んだり。とても温かい人。ラベルもドビュッシーもシューマンも好きです。みんな私の永遠の恋人。でも今、人間として惹かれるのはショパンですね。唯一無二の才能を持った人だから。

滝川 以前インタビューで、「愛情の豊かな人でなければ美しい仕事はできない」とおっしゃっていましたね。

フジコ 素晴らしい仕事をする悪魔のような人もいるけど、私の好きな音楽は愛情豊かで、“してやられた人”の作品ばかり。

滝川 してやられた人(笑)。

フジコ そう(笑)。あるいは、この世の中でうまく立ち回ることのできないくらい繊細な人。でもゲーテも「アリが必死に築いた住処を人間が簡単に踏み壊してしまうことは悲劇だ」と書いているでしょう。そんな繊細な感性を持っているなら、冷酷な男ではないんでしょうね。

滝川 そうですね。どんな仕事にも、人格って表れると思います。フジコさんのピアノを聴いていると、さまざまな感情の渦のようなものを感じるんです。先日の演奏会でも、皆涙を流しながら聴いていました。私も「トロイメライ」で泣いてしまいました。それって何の涙なのか、ずっと考えているんです。

フジコ 以前、私の弾き方は「やるせない」と言った人がいました。ショパンの「木枯らし」は、残酷に速く冷たく弾く人が多いけれど、私の場合はやるせない、どうにも行き場のないような弾き方で共感した、と。してやられた経験がある人は、共感してくれるのかもしれないですね。

滝川 フジコさん自身、やるせない気持ちを持ちながら、演奏していらっしゃるのですか?

フジコ ええ、何を見てもやるせないですよ。世界には10歳くらいで娼婦に売られる少女や、虐待される命があって……ひどい話ばかり。なんでこんな世界に生きているのだろうと毎日思います。ショパンは「この世に生まれてくるべきじゃなかった」ということを遺しているけれど、私もその気持ちがわかる。自分が槍で刺される代わりに、この世の中の恵まれない人や、かわいそうな犬や猫がみんな救われるなら、私はそちらを選ぼうと、時々考えることがあります。

2015年03月5日 原点はパリにある

フジコさんは、日本人の母とスウェーデン人の父を持ち、ドイツで生を受けた。30歳まで日本で過ごした後、ドイツへピアノ留学、以降、ヨーロッパ各地で音楽活動を行うようになる。母の死後、日本に帰国。その後は日本のみならず、世界を舞台に活躍している彼女にとって、「国」とは何を意味するのだろうか。

ヨーロッパ各地で生活されてきたフジコさんが、現在、パリに居を構えていらっしゃる理由は何でしょうか。

20代の頃からパリに住むことを夢見ていました。たくさんの天才画家、そしてショパンやドビュッシー、ラベル、フォーレなど、私の最も好きな芸術家たちの集っていた所ですから。でもパリは物価が高く、ベルリンの音楽大学からスカラシップが出たので、仕方なくベルリンに行きました。1999年2月にテレビを通して一夜で有名になり、天からお金も降ってくるようになったので、パリに住むことができたわけです。

パリの好きな場所とその理由をお聞かせいただけますか。

私の住んでいるパリのアパートの辺りは、夜更けまで遊びの天才と言われるフランス人のざわめきでにぎやかです。私も夜遅くまでピアノを弾きますが、窓を開けっ放しでも音が聞こえないほどアパートの壁も厚く、動物も犬2匹、猫5匹を飼っていますが、うるさいと迷惑がる人間は1人もいません。日ごとの犬との散歩道は、どの角もユトリロやゴッホの画のようで、住んで良かったとため息のつきっぱなしです。

ご自身の原点はどの国にあるとお考えですか。またそのことが音楽活動にどのような影響を及ぼしていると思われますか。

私にとっては、ショパンやドビュッシー、ラベル、そしてユトリロやロートレックの国、パリ・フランスです。ショパンが毎週訪れて作曲をしたり、時々サロン・コンサートをしたと言われる、一般には非公開のランベール(LAMBERT)館が私の家の近くにあります。今年9月にフランス人からそこでサロン・コンサートをするよう頼まれました。客は招待されたVIP(ほとんどがフランス人とポーランド人)のみ。ショパンのみのプログラムを1人で組み、大成功しました。フランスに来て良かったとつくづく思いました。フランスのVIPが私のことを「3本の指に入るピアニスト」と評してくれたのもうれしい限りです。フランスならでは、とつくづく思います。

コンサートなどでは着物を着られることも多いです。フジコさんにとって、日本という国はどのような存在でしょうか。

日本人は自分たちの古い文化をもっとアピールするべきだと思います。戦争中、アメリカ軍が爆弾を1個も落とさず、わざわざ残そうとした素晴らしい京都の町も、日本人の手で次々に壊されていっています。とんでもないところのある国民ではないでしょうか。私のコンサートに何度も来てくださる人々は素晴らしい方たちだと思います。つまり、私の芸術、私の思い、動物や弱い者に対しての哀れみなどを心で感じてくださる日本人たちで、心からありがたいと感謝しています。


▲△▽▼

2015年03月8日 人生の達人


何十匹もの猫を飼っていたこともある動物愛護家で、絵画の腕前は個展を開くなど玄人はだし。西洋と日本のファッションを融合させた独特のファッション・センスも注目されているフジコさん。幼い頃からピアノ以外の生活を知らず、「人生=ピアノ」となってしまいがちな多くのプロのピアニストに比べ、ピアノを含めた人生そのものを謳歌しているように感じられる。

いつも個性的なファッションに身を包まれています。フジコさんにとってファッションとはどのような意味を持つものですか。

ファッションなしに私は生きていけないでしょう。高いお金を出すのとは関係なしに、裸足で歩いても粋な人々が私は好きです。ダンディーにすぐ恋をしたりしますが、中身が悪い人も多く、がっかりして冷めることもあります。でも、うわべだけの格好良さも悪くはないでしょう。みんな美しくあるべきと思います。鳥や犬、猫などは服など着なくとも美しいですが、裸の人間をビルの上から見たら、ウジ虫と同じくらいにしか見えないのではないでしょうか。

過去のインタビューで、「恋は大切」と語られています。恋することはなぜ大切なのでしょうか。またそれは、ピアノにとって大切、ということでしょうか。

恋をしているとピアノはあまり良く弾けません。でも、恋はお酒に酔っ払っているようにすてきではありませんか。若さを保つのにも良いでしょう。

恋愛対象となる男性は、音楽に対し理解のある方が良いですか。

恋の相手はやはり音楽をやっている人の方が良いです。

これまでの人生で「これは失敗だった」という恋愛はありましたか。逆に、「この恋は人生においてかけがえのないものだった」と思えた恋愛はありましたか。

ほとんどが「この人とではダメ」というシロモノばかり。結婚してくれとでも言われれば、「待てよ? もう少しマシなのが出てくるはず」と考えていっぺんに冷めてしまうものがほとんど。「1年でも結婚したら最高だろうに」と思えた相手は2人ぐらいです。

動物愛護家としても知られています。中でも猫に関しては、深い愛情を捧げられています。なぜ、猫が特にお好きなのでしょうか。

忙しい者にとって犬はちょっとやっかい。1日に2度も外へ連れていかなければなりません。猫はその点、楽です。世界的オルガニストで医者でもあるアルベルト・シュバイツァーは、「人生の艱難辛苦(かんなんしんく)から逃れる道は2つある。音楽と猫である」と言っています。

日常的な1日の過ごし方を教えていただけますか。ピアノには毎日、どのくらいの時間を費やしているのでしょうか。

毎日4時間、練習できれば良い方ですが、客が来たりするとできなくなることもたびたびです。画を描くと、次の日は手も痛く、疲れはひどいです。

ピアノ以外にもさまざまな分野で活躍されています。これらは皆、「ピアノにとってプラスになる」との思いから始められたのでしょうか。

ピアノにとってプラスになるからやっているわけではありません。人生にはやりたいこと、読みたい本、見に行ってみたいバレエ公演、他にもいっぱいありますよね。結婚していなくて良かったと思います。人は前世でやったことを天国(悪者のいない完全な場所)へすべて持って行けるそうです(物質ではなく才能など)。

波乱万丈の人生を「祈りがあったからやってこられた」とおっしゃっています。いつから信仰を持たれるようになったのですか。また信仰を持たれる前と後で、フジコさんのピアノや人生全体に大きな変化はありましたか。

信仰は子供の頃から自然についていました。青山学院でクリスチャンの教育を受け、教会の日曜学校でも子供ながらに牧師の話と姿に心打たれたものです。もちろん、芸術家は信仰と宗教なしにはうつろなものです。

フジコさんにとって、人生で最も大切なものは何ですか。

人生で最も大切なのは信仰と祈り、それに愛です。私は波乱万丈の人生の終わりに幸運を勝ち得ました。「遅くなっても待っておれ。それは必ず来る」という聖書の言葉は、私に訪れたのです。神のおきてはどんな宗教でも同じようなものです。どんな荒波の時でも神の言葉を守り通した人に、神は必ず救いを与えて下さいます。

2015年03月11日 一番大切なのは「音色」


「ミスタッチを直そうとは思わない」と発言し、同じ曲でも時に全く異なる演奏をする彼女に対し、否定的な見方をする向きもある。その一方で、どんなピアニストの演奏よりも、彼女の音色こそが心に響くと深く共鳴する人も数多い。テクニック偏重の傾向にある現代の音楽界において、フジコさんは何を考えて、ピアノと向かい合っているのだろうか。

好きな作曲家、好きな曲とその理由を教えていただけますか。

特に人間として好きなのはラベルです。パリ近郊にある彼の家を訪れた時は感激しました。猫を好きな、結婚しなかった男性ですね。

ピアノの演奏には、テクニックよりも大切なものがあるとおっしゃっています。そうした中であえて超絶技巧曲を好んで演奏されるのはなぜでしょう。

超絶技巧に中身(人間的、愛、頭)がなければ、うつろな響きしか出ません。そんなものは機械でやった方が良いでしょう。演奏家の人格と頭脳は、必ず演奏に表れます。たくさんの国際コンクール優勝者たちの人気が薄れ、演奏者から指揮者に変わっていくのは、彼らの人格が薄っぺらいからです。

ピアノを弾いている最中は、どんなことを考えていますか。

1人で弾いている時はとんでもないことを考えていることが多いですが(例えば今夜何を食べようとか)、コンサートの時は次の音を間違えなく弾くことのみ考えています。情感は作ったものでなく、人格と才能から自然に湧き出てくるものですから。

フジコさんにとって、ピアノを演奏する上で一番大切なものは何ですか。

作曲家の意思は霊感で自然に伝わるものです。一番大切と思うのは、私にとって音色です。

かつての名作曲家たちは、人生において貧困や革命など数々の辛酸を舐め、その時の思いを曲に投影することで自らの存在理由を示していたように思います。現代を生きる音楽家の多くは、経済的には恵まれ、英才教育を施されています。フジコさんは、人生においてさまざまな経験をすることはピアニストにとって重要だと思われますか。

運命を変えることはできないと思います。すべて神に任せ、祈り続けるより仕方ありません。経済的に恵まれて育っても、人格の気高い人は悪者がはびこるこの世の中で、辛酸を舐めなければならないでしょう。お金のみで通らないこともたくさんありますから。

ご自身のピアノの魅力、個性はどこにあると思われますか。

音です。

フジコさんにとって、ただピアノを演奏することと、「プロ」として聴衆の前でピアノを演奏することは違うのでしょうか。

R. シューマンが本に書いてあることがあります。「よく有名アーティストの受ける大々的拍手喝采(かっさい)に惑わされるな。真の芸術家、大家から受ける賛辞こそ信じるべき」。私は、ウィルヘルム・バックハウス*1、サンソン・フランソワ*2、ブルーノ・マデルナ*3、シューラ・チェルカスキー*4、ミーシャ・マイスキー*5、マキシム・ヴェンゲーロフ*6から最高の賛辞を受けています。心ない評論家の言葉など、もうへっちゃらです。
http://yuumeifujikosan.blog.jp/archives/2015-03.html


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<音楽と猫が人生を救った>

 失意のどん底を救ってくれたのは音楽と猫だった。ヨーロッパではいつも数匹の猫と一緒だった。

『「人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ」 これはドイツの偉人アルベルト・シュバイツアーの言葉。・・・私も人間関係のもつれや不運など、つらいことが多かったけれど、それを乗り越えられてきたのは、猫と音楽があったから。招き猫っていうでしょ。ほんとうにそう。彼らに幸せを招いてもらった。』(参考文献3:35ページ)



2009/07/27 フジ子・ヘミング:世界稀有のピアノ音色と著書「運命の力」が語る真実に惹かれる
http://www.bi-p.co.jp/essay/195/

 フジ子・ヘミング(フジ子と略称する)のピアノ演奏を書斎で聴くことが多い。皆様も良くご存知のピアニストである。書架にCD、本、DVDが増えている。いつの間にか好きなピアニスト、フジ子・ヘミングファンになったようだ。絵画力も素晴らしい筆致である。

 人間の心に触れあう独特の音色に生まれて初めて出会ったような気がした。その時の心の震え、日本人ピアニスト?への驚きは今も忘れない。神様は、世界稀有なピアニストをこの地球に使わしたのだと思う。

 音痴気味でありながら音楽愛好者の私が、珍しくCD・本・DVDを購入し、聴き、読み、見た。あの人間の色をした音色の秘密を知りたくて。フジ子・ヘミングのピアノが伝える人生の音色に私は取り込まれたのかもしれない。

 親しい友人からフジ子・ヘミングのCDを貸して欲しいという話があり、喜んですぐ貸すことを承諾した。ところがいざ渡す段になって、改めてすべてのCDを聴き、本も読み直した。それがBIエッセイ作成につながる機縁となった。友人に感謝したい。


(1)心に響く独特の音色〜リスト、ショパンのために生まれたピアニスト 
参考資料CD 参考資料CD
 1999年2月、NHK教育テレビのETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』で紹介されて、フジ子ブームが起き、コンサートは常にソールドアウト、CDも大ブレイクした。2001年には、ミュンヘン交響楽団との共演、カーネギー・ホールへのデビューコンサート、以後世界的に音楽活動を続けている。皆様、よくご存知の通りである。2003年10月には、フジテレビ系ドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』が放映された。

 私だけでなく多くの方が魅力を感じるフジ子ヘミングいう表現は当然であるが、音痴気味の私にさえ感動を与えるピアニストが現れ、出会ったという表現がより適切であろう。

 私も、CD『奇蹟のカンパネラ』、『永久への響き』を早速買い、何回も聴いた。心に響く独特の音色に聴き入る。初めて聴いた時は感動に震えた。聴衆に詩情を語りかけるような日本人?しかも高齢で無名のピアニストの存在に驚いた。それから10年経ったが、日頃書斎で聞く一番のピアニストはやはりフジ子・ヘミングである。既に1968年当時ドイツの新聞で「リストとショパンを弾くために生まれてきたフジ子・ヘミング!!」と大絶賛されたピアニストである。

 彼女の演奏する曲はすぐ私にも聞きわけられる。脳科学的に言うと、あの音色は、音符にフジ子独特のアルゴリズムが付加されて私の大脳皮質に格納され、演奏と共に再現するのであろうか。では音楽論としては、どういう意味があるのだろうか知りたかった。

 音楽ジャーナリスト伊熊よし子氏は、こう語っている。

『音楽家はしばしば、究極の夢というのは「1小節を聴いたら、すぐに自分の音だとわかる音楽を奏でること」と口にする。それは歌手にとっては可能なことであっても、器楽奏者にとってはかなり難しいことである。ひとつのフレーズを聴いてすぐに演奏家の名が浮かぶという演奏は、そうそう生まれるものではないからだ。しかしながら、ここに出だしを聴いただけでその人が弾いていることがすぐにわかるというピアニストが現れた。・・(略)・・フジ子・ヘミングである。』(参考資料5)


 音楽評論家の林田直樹氏は、「フジ子・ヘミングの演奏について」と題してこう述べる。
ちょっと長くなるが、芸術論としても重要なことのようなので紹介する。

『フジ子・ヘミングの弾くピアノ−それは、間違いなく、彼女だけにしか出せない特別な色を持っている。いわゆるクラシック音楽の世界では、「より早く」「より激しく」「より新しく」といったことが優遇されてきた。しかし、フジ子の音楽は違う。

「物思いにふけながら弾ける曲が好き」。

そんな言葉が証明するように、フジ子の音楽には。どんな曲を弾いている時でも、ひとつひとつの音の意味を考えているフシがある。1回1回がまるで違う演奏なのではないかと思われるほど、「物思い」の痕跡を音楽にとどめている。

それは、いわゆる規格品としての商業音楽には元来ふさわしくない、もっとも個人的な贈り物のような性格をもつものだ。そうした音楽がいま社会現象的に売れているということの皮肉を思わずにはいられない。・・(略)・・

「より速く」の世界からは、すっかり背を向けている。奇をてらうというのとは違う。やはり、どん底を見たことのある人間にしかできない、ある種の“強さ”が、そうさせるのだろうか?芸術とは確かにそのようなことかもしれない。芸術に触れようとする人は、純粋な美を堪能するというよりも、結局、人間的な贈り物を受け取りたいものなのだ。』(参考資料6)


 指揮者で作曲家である山本直純氏は、「心で歌うピアニズム」というテーマで以下のように讃えている。

『我国では、昨今、若いピアニストたちが、テクニックを競う時代となりましたが、フジコさんの様に、心で歌うピアノは、誠に貴重な存在と云えましょう。ショパン、リスト、ラフマニノフなど、いわゆるヴィルティオーゾたちの作品に於

いては、絢爛豪華なテクニックに耳を奪われがちですが、演奏家にとって、一番大切なことは、心に訴える芸術性であることは云う迄もありません。フジコさんの音楽を愛する心が、そのまま鍵盤を通じて、聴衆に感銘を与え、魅力あるピアニズムを感じさせるのでしょう。』(参考文献1:12ページ)


(2)フジ子・ヘミングが語る『運命の力』
参考文献「フジ子・ヘミング 運命の力」 参考文献

 フジ子・ヘミング自身の著『フジ子・ヘミング 運命の力』で語られた真実に胸を激しく打たれた。こんな人生は本当に実存するのか?フジ子・ヘミングは、運命の力を信じて生きたという。颯爽として、平然とした雰囲気で語る思い。何という強さ、気高さなのか!


<ピアノがあって・・・>

 フジ子は幼少時代、日本人であった母がよく弾くショパンの曲を聴きながら眠った。母は、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)出身のピアニストだった。ピアノは身近な生活の一部であったという。5歳の頃から、母の指導でピアノを弾く毎日となった。

 青山学院、東京芸術大学、ベルリン音楽学校、そしてウイーンへ。やっと、一流のピアニストとして認められるリサイタルの直前に風邪を引き、中耳炎になり聴力を失った。演奏会はキャンセルとなり、それからは絶望の日々が本当に長く続いたのである。永遠に続くと思ったに違いない。

 フジ子自身は、「もう、私の出番は天国にしかないだろう、と長いこと思っていた。」(参考文献3:14ページ)という。


<音楽はみんなのためにある>

 お客様を大事にするフジ子の音楽観を聞いてうれしくなった。聴力を失った長期不遇のピアニストの再起を実現したものもお客様であった。フジ子のピアノとその音楽観が彼女を救ったのだ。

『演奏会のプログラムは誰にでも親しみがあって、観客が喜ぶような曲を選んでいる。それは、私が好きな曲でもある。・・(略)・・クラシックの世界で間違っていると思うのは、なぜ誰も知らないような曲をならべたがるのか。・・(略)・・

音楽は批評家のためにあるものではないのだから。リストやブラームスの『ハンガリー狂詩曲』は、家のないような貧しい人たちの音楽を書いた曲。

ドイツにいるときから私はよく弾いた。そしたらある教授が怒った。「そんな曲を弾くな!」と。

私は怒った。「じゃ、なんでそんな変な曲を、リストは作曲したのか」って。

リストは、貧しい人たちに心があったから、そこに耳を傾けて作ったのだ。日本の『会津磐梯山』『木曽節』とかは、庶民のために作られた曲でしょ。そういう人たちに耳を傾けて、温かい心で唄を作った人が日本にもいっぱいいる。・・(略)・・音楽はみんなのためにあるのよ。』(参考文献3:18ページ)

 1995年、母の死を契機に日本に戻り、日本のお客様に知られたフジ子・ヘミングは不死鳥のように蘇った。フジ子は、晩年の運を切り開いてくれたのは母であり、今日の自分があるのはなんといっても母のおかげだと感謝の言葉を述べている。


<壊れそうな『カンパネラ』があったっていいじゃない。まちがったっていいのよ>
 フジ子は、ファンからの手紙に応えて、自らのピアノについてこう語る。

『私のピアノはテクニックで弾くというものではない。音のひとつひとつに色をつけるように弾くのだ。・・(略)・・私は自分の弾くリストの「ラ・カンパネラ」がいちばん好き。鳴り響く鐘の音を模した曲。ぶっ壊れそうなピアノの演奏があってもいいじゃない?

私は機械じゃないんだから、いつも同じような気持ちでピアノを弾くことなんてできない。小さなミスを問題にするより、どういう音で私らしく弾くか、それが問題。・・(略)・・

耳が聞こえなくなってピアニストになる夢をあきらめかけ、ドイツの町々を音楽教師を続けながら移り住んだ。そうしながらも少しずつリサイタルを開けるようになり、毎回盛況だったから自分でも驚いた。

無名だったけれど、不思議にファンは多く、私はこのドイツの聴衆にいつのまにか支えられているのを感じた。報われなかったことや辛かったことに耐えた経験が、音の響きや音色に表われ、プラスになっている。』(参考文献3:23ページ)


<音楽と猫が人生を救った>

 失意のどん底を救ってくれたのは音楽と猫だった。ヨーロッパではいつも数匹の猫と一緒だった。

『「人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ」 これはドイツの偉人アルベルト・シュバイツアーの言葉。・・・私も人間関係のもつれや不運など、つらいことが多かったけれど、それを乗り越えられてきたのは、猫と音楽があったから。招き猫っていうでしょ。ほんとうにそう。彼らに幸せを招いてもらった。』(参考文献3:35ページ) 


<画家フジ子・ヘミング>

 フジ子の絵が、プロ並だと私は思う。本やCDの絵から画家フジ子・ヘミングの片鱗が窺える。
 
 父は、ロシア系スウェーデン人で画家だった。素敵な漫画を書き、後に建築家となった。フジ子はナチス体制化のベルリンで生まれた。5歳の時、一家は東京に戻るが開戦の気配を嫌って父は日本を去り、以来再び父と会うことはなかったという。以後彼女は母の手一つで育てられる。

 小さい頃、叔母によく預けられた。その叔母は日本画の画家だったから、預けられると絵なんかを好き勝手に描いていたという。

 映画が好きな母は、よく映画館に連れていってくれた。フジ子も青山学院時代は、学校をさぼって映画を観に行くこともあった。

『ヨーロッパに渡ってから、まったく何も聞こえてこない状態が2年間続いた。音を失ってからのなぐさめは、絵を描くことだった。・・(略)・・私は、ロートレックや竹下夢二の描き方を参考にすることが多い。線が力強くて、職人芸的でないところに惹かれている。』(参考文献3:70〜72ページ)


<住みたかったフランスで暮らすフジ子>

 今、フジ子は、フランスに家を持ち暮らしながら、音楽活動を続けている。パリは憧れの地であるという。2001年以下のように述べていたことが実現できたようだ。きっと笑顔の中にいると信じている。

『年をとってピアノが弾けなくなったら、1年の半分くらいはパリに住みたいと思っている。ヨーロッパは、物価も安くて暮らしやすい。それに有名な人が住んでいた家が今でもちゃんと残されている。それを見るのに一日や二日では、到底まわりきれない。パリに住むようになったら、そんなことをして過ごすのもいいかなあと思う。それに美術館や教会、いろいろなところをじっくりと見て歩きたい。』(参考文献3:111ページ)


(参考文献・資料)

1.本 『フジ子・ヘミングT:奇蹟のカンパネラ』((株)ショパン1999年10月初版)
2.本 『フジ子・ヘミングU:ピアノがあって、猫がいて』((株)ショパン2000年4月初版)
3.本 フジ子・ヘミング『フジ子・ヘミング 運命の力』((株)ティビーエス・ブリタニカ  2001年6月初版)
4.CD フジ子・ヘミング『奇蹟のカンパネラ』(ビクターエンタテインメント(株) 1999年8月)
5.CD フジ子・ヘミング『永久への響き』(ビクターエンタテインメント(株) 2000年4月)
6.CD フジ子・ヘミング『トロイメライ』(ビクターエンタテインメント(株) 2003年1月)
7.CD フジ子・ヘミング『雨だれ』(ビクターエンタテインメント(株) 2003年11月)
8.CD フジ子・ヘミング『Melodies of Remembrance』(ビクターエンタテインメント(株) 2003年12月)
9.CD フジ子・ヘミング『こころの軌跡』(ビクターエンタテインメント(株) 2004年3月)
10.DVD NHKソフトウェア 『フジコ:あるピアニストの軌跡』(ビクターエンタテインメント(株) 2000年4月)
http://www.bi-p.co.jp/essay/195/

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フジ子・ヘミングさん|グランドメゾン|gmインタビュー
https://www.sekisuihouse.co.jp/gm/inter/10/
スウェーデン人の建築家を父に、日本人ピアニストを母にベルリンで生まれる。
幼い頃から才能を認められていたが、留学先で患った耳の不調のため演奏活動を休止。1999年に放映されたドキュメンタリー番組を機に一大ブームが起こり、デビューCD『奇跡のカンパネラ』はクラッシックでは異例の100万枚を越えるヒットに。


ヨーロッパ。さまよ彷徨いの日々


 ヨーロッパでは、ベルリン、ウィーン、ストックホルム、ハンブルグ、ハイデルベルグ…いろんな町に住んだわね。どこも思い出があるわ。

 30歳で留学したベルリンでは郊外に住んでいたから、緑が多くて、まるでおとぎばなしの国のようでした。春、森のなかに座って鳥たちの歌をじーっと聴いている幸福。部屋に戻れば、私を待っているピアノ。ほかの誰にも出せない自分だけの「音」、その音色こそがいつか私の財産になってくれると信じていたから…。

 4年後。なんとか演奏家として一人立ちしていた頃、指揮者のレナード・バーンスタインに手紙を書いたの。彼は私の演奏を褒めてくれ、リサイタルの後援まで約束してくれました。ところが本番一週間前に、風邪をこじらせて両耳が全く聴こえなくなってしまって…。

 哀しかった。私は耳の治療を受けながらストックホルムでピアノ教師の勉強を始めました。そして5年後にハイデルベルグで音楽学校の教師になったの。心が後ろばかりを向いた日々だったわね。

 ここは、ストックホルムにある思い出の“ホテル・ディプロマット”。20年前に母との最後の旅行で泊まったの。ほんとうに素敵だった。部屋ごとに内装がぜんぶ違っていて、北欧調のあんなきれいな色合いって、他のどこの国にも無いと思うわ。

 私の父は、このホテルのそばで育ちました。若いころは芝居関係の仕事をしていて、その劇場もまだ残ってる。私にとってストックホルムの街は、父とのつながりを感じることができる大切な場所なのです。

 猫を飼いだしてからよ、人生が変わったのは。ハイデルベルグ郊外の、百何十年もたった古い家。そこで毎日、猫にピアノを聴かせて。私の人生で、一番幸せな時。ええ、今より幸せだったかもしれない(笑)。


パリで過ごす“宝石”の時間

写真 ほっとするのは、やっぱり自分の家に帰ったときね。今はパリのモンマルトルとサン・ルイ島、ベルリン、そして東京の下北沢に自宅があります。
 パリの家は、私にとって”宝石“のようなもの。好きなパリで、ピアノに集中できる素敵な部屋を持つということにこだわって。それがサン・ルイ島にある、築400年のもと貴族の館にある稽古場なの。そこで猫と語らい、好きな絵を描いて。そうした宝石のような時間が気持ちを豊かにしてくれて、いっそうよい演奏ができるんじゃないかしら。

 下北沢の家は築60年を超えて多少ガタガタしてきたけれど、母が亡くなるまで過ごした家だから壊したくない。いつの間にか20匹に増えてしまった猫と、犬一匹とで暮らしています。裏手にある教会に平日の昼間、ふらりと入って一人で祈っているの。

 祈ること?どうか世界から、飢えで苦しむ子どもや動物がいなくなりますように。そして、私のピアノで救われる人がいるのなら、どうぞよりよい演奏ができますようにって。

 だから、立ち止まれない。進みつづけるだけ。私だけの音、私だけのピアノを、これからもっともっと高めていきたいと願っています。
https://www.sekisuihouse.co.jp/gm/inter/10/


詳細は

「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html

2. 中川隆[-10617] koaQ7Jey 2019年10月24日 10:04:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2248] 報告

猫 多頭飼育崩壊 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%8C%AB%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%A0%AD%E9%A3%BC%E8%82%B2+




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猫の多頭飼育崩壊、相次ぐ 中濃の20代女性、知識不足で一時70匹に
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180209/CK2018020902000036.html

仕事終わりに猫40匹の世話をする女性=中濃地方のアパートの一室で

 日本は今、空前の猫ブームを迎えていると言われる。だがその陰で、飼い主の知識不足で近親交配を招き、急激に増えすぎた多頭飼育崩壊が各地で起きている。ピーク時に70匹の猫を飼い、譲渡で40匹まで減らした中濃地方の20代の女性は「こんなに早く産むと思わなかった」と飼い主としての責任を感じている。


 アパートの一室のドアを開けると猫特有のふん尿の臭いが鼻を突いた。いすや壁は爪研ぎでボロボロだ。似たような毛色をした猫が、部屋中を動き回っている。


 女性がかつて住んでいた部屋だが、今は、猫だけの住まいだ。女性は昨年から別のアパートで寝泊まりしている。猫の部屋代とえさ代だけで月に数万円かかるため、昼間と夜の仕事を掛け持ちし、毎日少なくとも二回、仕事の合間に訪れて世話をしている。


 飼い始めたのは七年前のこと。動物愛護ボランティアから、雄の子猫を引き取った。「かわいくて、ひと目で気に入った」。その後、弟が雌猫二匹を近所で拾ってきた。不妊去勢手術をしていなかったため近親交配などで爆発的に増え、四年後に七十匹に激増した。


 日本動物愛護協会(東京)はホームページで「人間の都合で不幸な犬や猫を増やさないために不妊去勢手術は必要」などと呼び掛けている。女性は「知っていたが、忘れていた。自分のせいで猫に申し訳ない」とため息をついた。


 二〇一五年ごろ、行政を通じて事態を把握した動物愛護ボランティアなどの協力を得て全頭の不妊去勢手術を終え、譲渡を始めたが、もらい手は少ない。


 それでも、保健所には連れて行かないという。「かわいそうだから」。関わるボランティア女性は「多頭崩壊の飼い主の中でもかなり責任感を持っている方だが、猫が大きくなってしまうともらい手は見つかりにくい」と肩を落とす。


 十二日午前十一時から、女性の飼う猫を中心に、病気やハンディキャップを抱えた猫や犬の譲渡会が、岐阜市岩地の犬のしつけ教室「ONELife(ワンライフ)」で開かれる。(問)ボランティアの天谷さん=090(4851)3313


 (篠塚辰徳)

◆地域が協力し防いで


 一九九四年から全国のペット推定飼育数を調べているペットフード協会(東京)によると、二〇一七年に猫が初めて犬を上回った(猫九百五十万匹、犬八百九十万匹)。一方で、猫の繁殖力の強さは忘れられがちだ。種類によっては生後半年から妊娠可能になり、条件さえ合えば年中、繁殖する。


 多頭飼いは、不妊去勢手術をせず何匹も飼ううち、近親交配などで増えてしまうことがきっかけになる。日本動物愛護協会元理事の各務能正さん(68)=多治見市=は「近所に知られずに五十匹、百匹と飼っている人は至る所にいる」と指摘する。


 県内だけでも、一人暮らしの高齢者や精神的にペットを手放せなくなった飼い主らが、追い詰められて行政やボランティアに助けを求めるケースが近年、増え続けているという。


 個人所有のペット相手では行政は指導以上の介入はできず、ボランティアによる譲渡活動も追い付かないのが現状だ。本来は飼い主の責任だが、各務さんは「高齢者を地域で見守るのと同じように、周囲が手遅れにならないうちに気づき、手を差し伸べる必要が生じている」と話している。

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ネコの共食いが起きて「ホッとした」 多頭飼育崩壊の壮絶現場
3/29(木) 9:41配信 弁護士ドットコム

乳飲み子も含めて24匹の猫が「救出」された


埼玉県にある一軒家から、このほど計24匹の猫が「救出」された。玄関に足を踏み入れると、猫のフン尿による強烈な悪臭がたちこめ、キャットフードが部屋のいたるところに散乱し、猫の抜け毛も舞いあがる。世話をしきれないほどペットが増えて、劣悪な環境になってしまう「多頭飼育崩壊」だ。この家では、猫同士が「共食い」をすることもあったという。救出の現場に立ち会った。(弁護士ドットコムニュース・山下真史)

保護されたネコたちの写真

●エサをやりはじめた猫が爆発的に増えていった

「きっかけは、子猫を産んだばかりの野良猫にエサをやりはじめたことでした」

この家の主婦、A子さんが振り返る。彼女によると、猫のエサやりをはじめたのは、数年前のことだ。やせ細ったトラ模様のメス猫が、小さな庭の片隅にあるブルーシートの下で数匹の子猫を産んだ。不憫に思って、エサをやっているうちに、猫たちはやがて網戸を破って、家に自由に出入りするようになったという。

はじめのうちは、親子3人で猫をかわいがっていたようだ。A子さんも、子どものころ実家で飼っていた猫と重ねていたという。だが、そうこうするうちに、メス猫のお腹がまた大きくなった。ある日、家のタンスの裏で、メス猫は出産していた。一般的に、メス猫の妊娠期間は約60日、さらに1度の出産で5匹程度産むといわれる。その後、猫は爆発的に増えていった。

●猫の「共食い」を見て、ホッとした

猫を救出したこの日、一家は引越しの当日だった。本来なら食事をつくる台所のシンクや戸棚にも猫のフンが落ち、猫の毛が雪のように降りつもっていた。あまりの不衛生さに、思わず「ここって、もう人は住んでいないですよね?」と聞いてしまったが、そうではなかった。床に撒き散らされた猫の尿が、不快感とともに靴下に染みわたる。

「今から思えば、ちゃんと不妊・去勢をしておけばよかったと思います」(A子さん)

猫の捕獲を手伝いながら、A子さんは後悔を口にした。猫の不妊・去勢手術には、1匹あたり1万2000円〜2万円の費用が必要だ。だが、猫は数え切れないくらい増えてしまっていた。近所は犬を飼っている家が多く、「引き取ってもらえなかった」という。猫を救出したNPO法人「にゃいるどはーと」代表の東江ルミ子さんは「状況から考えて、24匹は少ない。もっといたはず」と話す。

「ある日、生まれたばかりの子猫の頭が床にポロッと落ちていました。びっくりしましたけど、猫も動物だから、子猫を食べると聞きました。そのあと、実際に食べている瞬間も見かけました。もちろん、かわいそうと思いましたが、ホッとしました。私たちが飼い切れないから、代わりに殺してくれたんだって」(A子さん)

頭数が多くて不衛生な環境のもと、ストレスが溜まってしまったのか、猫たちは「共食い」による「間引き」をしていたのだ。近所の人によると、A子さん夫婦について「やさしい性格だ」「あまりご近所付き合いをしていなかった」という。ただ、近所の道路に車にひかれた猫の死骸も見かけたこともあったそうだ。

●一家の食費よりもネコ代はかかっていたが・・・

猫のエサ代とトイレの砂代は、合わせて月6万円くらい。一家の食費よりもかかっていたが、頭数のわりにトイレは2つと少ない。だから、家全体がトイレとなったのだ。A子さんの夫は「猫のことは、家内にすべてまかせていた」「猫が死のうがどうも思わない。手術しようとも思わなかった。動物は共食いをするものだ。どうとも思わない」と強気の口調だったが、立ち去り際に「(猫を飼うのは)もうコリゴリ。二度とゴメンだ」とぼやいた。

実は、一家の引越しには、夫の事業がうまくいかなくなったという背景がある。自宅を売り払うことになり、次のアパートはペット禁止のため、「にゃいるどはーと」に助けをもとめたというわけだ。業者がやってくるまでの約1時間半、放し飼いの猫たちはパニックになって家の中を逃げたが、東江さんたちは一匹一匹、慎重にネットと素手でつかまえて、ケージに入れていった。

●「子どもがかわいがっていた猫を連れていけなかった」

こうした多頭飼育崩壊は、表面化している事例も少なくなくない。NHK「クローズアップ現代+」(2016年11月)によると、多頭飼育について全国で年約1800件の苦情があるという。そして、今回のように、猫たちによる「共食い」まで起きるような、劣悪な環境を強いられてしまうケースも存在する。だが、行政やNPOにも限界はある。

次のアパートでは、屋外でのエサやりも禁止されている。A子さんは最後に「子どもがかわいがっていた猫を連れていけなかった」と涙をこぼした。二度と飼えることはないかもしれないが、もし猫を飼える家に戻ることができたら、やり直したいということか。だが、夫の事業の失敗がなければ、今回の救出にもつながらなかっただろう。それでも、東江さんは「流した涙にウソはないと信じたい」という。

たしかに猫はかわいい。しかし、正しい知識を持たないまま、増やしてしまうと、飼い主の生活も崩壊させてしまう。東江さんは「猫たちの行く末を最後の最後に案じてくれたのは、せめてもの救いだった」と話す。野に放たれるという最悪の事態は避けられたからだ。いったん引き取られた24匹はこのあと避妊・去勢手術を受けて、新しい里親をさがすことになる。

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猫の多頭飼育崩壊、苫小牧市内でも相次ぐ 飼い主の生活に支障
4/7(土) 16:18配信 苫小牧民報


猫の多頭飼育崩壊を起こしてしまった家庭=2017年12月


 家庭内で飼育している猫が過剰に繁殖し、適切に飼育できなくなる多頭飼育崩壊が苫小牧市内で相次いでいる。昨年12月には高齢女性宅で猫が50匹以上に増え、世話ができなくなっている事案が判明。市内のボランティア団体「猫の隠れ里」が緊急的に保護した。3月には17匹を飼う市民が同団体に保護を求めるケースも起きている。千歳市では飼い主側の生活に多大な影響が出ているため福祉の観点から、多頭飼育崩壊を防ぐ取り組みが進んでおり、苫小牧市でも同様の対策が急がれている。

 昨年12月、猫の隠れ里メンバーが訪れた多頭飼育崩壊が起きたアパートの一室。部屋に入ると激しい異臭が鼻をつき、足の踏み場がないほどの乱雑な環境の中に50匹を超える猫がいた。ふん尿や死骸もある中で60代女性が一人暮らし。日常生活を送ることができる環境にはなく、生活も破綻に近い状態だった。

 女性が猫を飼い始めたのは7年前。餌を与えていた野良猫が女性宅に居着き、そのまま交配を繰り返して自然に増えた。餌代などで生活は厳しく光熱費などを滞納し、電気やガス供給が止められることも頻繁にあるという。

 多頭飼育崩壊の現場を数多く見てきた猫の隠れ里の藤田藍代表(37)は「現場は地獄のよう」と厳しい表情で語る。過去には飼い主に捨てられ、置き去りになった猫たちが共食いしながら生き延びている場面にも遭遇。「生態や飼育方法などを知らずに、ただ頭数が増えたから飼えなくなるというのは無責任極まりない」と怒りをぶつける。「手に負えなくなる前の段階で猫も人も救える場面がある。それを見過ごしてしまう社会にも問題がある」と訴える。

 同団体には毎日のように保護依頼が寄せられ、最近は高齢者からの依頼が急増。高齢の飼い主が亡くなり、引き取り先のない多くの猫を保護するケースも出始めている。保護猫のほとんどは避妊手術をしておらず「多頭飼育崩壊になってもおかしくない状況」という。

 他の自治体でも同様の事態が起きている。千歳市では昨年、15匹の猫を飼う高齢男性宅で多頭飼育崩壊が発生。男性は介護サービスや福祉的支援が必要な状態で、地域包括支援センターの職員や訪問介護のヘルパーが頻繁に訪ねていたが、未然に防ぐことはできなかった。

 こうした事態を受け、市内の支援センターが福祉専門職のスタッフを対象に多頭飼育崩壊の予防対策セミナーを3月下旬に初開催。担当者は「これまでは目立った問題が起きるまでは本人任せだった」と説明。「福祉専門職がペットの飼育状況に着目することで早期発見につながり、多頭飼育崩壊を防ぐことにもなる」と述べ、福祉的な観点でも対策を講じる必要性を訴えている。

3. 中川隆[-10616] koaQ7Jey 2019年10月24日 10:05:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2249] 報告

大矢誠が猫グロ虐待で逮捕! 2ちゃん生き物苦手板のカールおじさん
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/751.html
4. 中川隆[-10611] koaQ7Jey 2019年10月24日 10:44:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2254] 報告

ごみ屋敷に子ども3人と動物245匹、ハエとノミに糞尿だらけ 米フロリダ州
2019.10.24 Thu posted at 10:35 JST
https://www.cnn.co.jp/usa/35144371.html

245匹の動物と大量のごみにまみれて生活していた女の子3人が救出された/City of Edgewater Police Department/Facebook



(CNN) 米フロリダ州の民家で幼い女の子3人が、ごみの山の中で245匹の動物と一緒に生活しているのが見つかった。

同州エッジウォーター警察によると、子どもは3人とも10歳未満。家の中には犬4匹とフクロモモンガ10匹、ヤマアラシ1匹、小鳥14羽、ネズミ83匹がいて、至る所にごみが散乱し、動物の糞尿(ふんにょう)にまみれていた。

家中どこもハエだらけで、子ども部屋は足首の高さまでごみが積もっていた。

子ども3人はこの家に、父母と父親のガールフレンドの大人3人と暮らしていたが、父親のグレッグ・ネルソン容疑者が20日、当局に通報して事態が発覚した。

グレッグ容疑者は警察の調べに対し、妻のスーザン・ネルソン容疑者と、ガールフレンドのメリッサ・ハミルトン容疑者の両方との関係を断とうと決め、子どもたちを連れて家を出たいと思ったが、母親が許さなかったと話している。

動物たちはケージに入れられたり家の中を歩き回ったりしていて、ほとんどがノミだらけだった。死んでいる動物も何匹かいた。家の中は強烈なアンモニア臭に満ちていた。

その後、子どもたちは親類に預けられ、動物たちは保護施設に移された。警察は子どもたちのために、保護施設は動物たちのために寄付を募っている。

大人は3人とも、児童虐待と動物虐待の疑いがかけられている。
https://www.cnn.co.jp/usa/35144371.html

5. 中川隆[-10610] koaQ7Jey 2019年10月24日 10:45:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2255] 報告

猫 多頭飼育崩壊 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%8C%AB%E3%81%AE%E5%A4%9A%E9%A0%AD%E9%A3%BC%E8%82%B2+

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