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DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/430.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 15 日 08:24:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない 投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 18 日 21:06:02)


DNA解析の限界/実は単品ではあまり役にたたないという話 2016/02/03
https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html



付け焼刃で基本的なところしか押さえられていないけど、まぁそこはそれ。
歴史ジャンルのニュースの中でも最近よく出てくるようになったDNA解析という手法について理解できたところをまとめておこうと思う。

まず基本事項として、DNAと遺伝子の違いは ↓このへんのページ とか参照に。
http://genomedic.jp/DNA_introduction.html


・「DNA」は遺伝情報を記録している物質

・「遺伝子」はDNA上の、タンパク質の作り方を記録している場所(DNA中の1.5%)

・「ゲノム」とは生物にとって必要なワンセットの遺伝情報

なので「DNA解析」と「遺伝子解析」は別モノ、「遺伝子解析」と「ゲノム解析」はおそらくほぼ同じ内容になるはず。
わりとここポイントだと思う。

____________________________________

というわけで本題。

DNA解析っていうと何か万能な雰囲気があって、色んなことが判るんでしょう? みたいな感じに思われてる面があるんだけど、ぶっちゃけ単体では大して役に立たない。 そして、出てきたデータを解析するのは人間なので、同じデータからでも人によって全く異なる結論を出すことが出来てしまう。

特に考古学ジャンルで出てくるDNA解析は、それ単体で使われている場合は、ほとんどの場合 結論が怪しいということを特に書きたい。なんか間違ってたらごめん。

なお、以下は基本的に動物のDNAの話だと思ってほしい。


************

解析の結果、「ある固体(A)のDNAと別の固体(B)のDNAの間に親子関係がある」という話が出てきたとする。これはDNA解析だけから分かる話なのでOKだ。しかし「ある固体(A)は別の固体(B)の先祖にあたる」という話が出てきたとすると、実は、二者のDNA解析だけからは分からない。

なんでかというと、AとBの間の親子関係は、DNAだけだと どっちが親なのか分からない からだ。


AとBが今生きている人間で、Aの年齢がBより高ければ、Aが親だとわかる。
しかしAとBの死んだのがともに1万年前だったとすると、どっちが先に死んだのか特定するのは困難だろう。Aの死亡年齢が20歳、Bが40歳だったとすると、本来はAが親であるにもかかわらず、Bを親と考えてしまうかもしれない。


AとBの親子関係を証明出来ても、Aが親かBが親かはどちらが先に生まれたか分からないと結論が出ない。


これは、「AとBは血縁関係にあるようだが、Aが先祖なのかBが先祖なのか分からない」ということでもある。

人類の祖先についての遺伝情報の研究では、その祖先が生きていたのが何時頃の時代なのか分かっているので、この点は明白である。アウストラロピテクスと我々の間に遺伝関係があるかもしれないという研究があるが、アウストラロピテクスは我々よりずっと昔に生きた人類なので、もちろん「関係がある」とすれば、アウストラロピテクスのほうが先祖で、我々が子孫という関係になる。

逆にはっきり言えないのが、今生きている犬のDNAから犬の発祥地を遺伝学から明らかに出来ないかという研究だ。Aの犬種とBの犬種の間に関係がある、と分かっても、AとBのどちらが先にその遺伝子を継承したかなどもはや分からない。そもそも犬の原種に近い種類はほとんどが既に絶滅している。やるなら、大昔の犬の化石から遺伝子を抽出するしかないだろう。たった百年前だったとしても、少なくとも、その犬は現在生きているどの犬よりも先に生まれていることが確実だからである。

つづいて、親子関係の解析は近親婚があるとかなり難しくなってしまう という話。

遺伝子は父と母から引き継がれるものである。すばらしくシンプルな図になっているが、基本的に以下のような感じだ。色をつけているのが、その人に特徴的な遺伝子、マーカー部分だと思ってほしい。


https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html


子のもつマーカーが父と母のものとそれぞれ一致すれば、親子関係は立証される。
しかしこれが近親婚になると…

https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html


第二世代と第三世代の区別がつかなくなる \(^o^)/

また、父と母の遺伝が半々になるということはマーカーが全て受け継がれるとは限らない。
たまたまこういう状態になったとしても…


https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html


やっぱり第二世代と第三世代の区別がつかなくなる \(^o^)/


というわけで、近親婚の例が満載の古代エジプト王家でDNA解析なんて始めた場合には、そもそもムリだろって最初にツッコミを入れてください…。ツタンカーメンのDNA解析とか。

各ミイラの名前と家系図がはっきりしていればともかく、誰が誰の子供で、どのミイラが誰なのかも分からなくて、しかも保存状態最悪なミイラから断片的なDNAだけ回収してどこまで断定できるのかと。

当初から、あのDNA解析プロジェクトには各方面から疑問とツッコミが入ってましたが、こうして図にすると「そりゃ皆疑うよね」って分かると思う。ちなみにあの解析の生データはいまだに公表されていない。都合いいように捏造して公表してこないだけマシだけど、このまま公表せず有耶無耶で終わらせる可能性もある…かな…。


************


更に、DNAは、先祖のマーカーが受け継がれるわけではないという点にも留意が必要だと思う。
たとえばこんな感じで遺伝してたとする。


https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html


第四世代の子孫を解析して、第一世代を正確に先祖と断定できるか。答えはNOである。
なぜなら第一世代の母側の情報がキレイに消えてるから。
実際にはDNAは複雑なので全く痕跡がなくなる可能性は少ないかもしれないが、一部の痕跡が上書きされただけでも先祖-子孫の関係が見えなくなることはあり得るだろう。

また、第四世代から見て、第一〜第三のどの先祖がいちばん昔の先祖なのかは、DNA情報だけからでは分からない。それぞれの生きた年代が分かっていれば正しく順序づけられるが、そうでなければ、せいぜい「血縁関係がある」止まりだろう。


これは、Y染色体の分析の場合でも同じである。

人間の染色体が、男性はXY、女性はXXなのはご存知のとおり。子供が男の子なら父親からY、母親からXが引き継がれる。子供が女の子なら父親からも母親からもXが引き継がれる。


https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html


ということは、子供が女の子ばかりか、孫をもうけるのが娘だけだった場合は、父親のY染色体に含まれる情報は子孫には一切伝わらない、ということになる。マーカーが消えてしまうどころか、丸ごと消滅する。

たとえばこういう状態になったとする。


https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html


第五世代の女の子が将来男の子を生んだとしても、その男の子が持つY染色体の中のDNA情報は、第五世代の女の子が結婚した男性のものでしかない。男系の先祖は辿れないのである。

最も逆に、この特性を利用して、男系の先祖が繋がっているかどうかだけを調べることは出来る。イングランド王リチャード3世のDNA解析では、男系の先祖からの遺伝が途切れている箇所が見つかっている。これは、リチャード3世以前の誰かが実は嫡子ではなかったことを示している。浮気による子供がいた、と言い換えてもいいかもしれない。ただしこれは、確実に曽祖父のものと分かる遺骨が見つかっていて、Y染色体の情報を比較できたからこそ出てきた話である。


***********

というわけで、DNA解析で分かることは、実際はものすごく限られた範囲で、確実な結論を出すには、データそのものより状況証拠のほうが必要、ということが少し分かって貰えただろうか。

単品で何か結論が出せることは滅多に無い。
たとえばリチャード3世の先祖の話だと、まず歴史学の知識として正ししい家系図が分かっており、比較する家族の遺骨があり、その遺骨が正しくその家族のものであるかどうか伝承だけではなく人類学の観点からも確認されている必要がある。その上で適切な方法で遺骨からDNA情報が抽出され、比較されれば、おそらく正しいだろうと思われる結論に達する。

だいぶザックリした説明だが、このへん少し知識があると、DNA解析の限界を無視して無理やり結論を出そうとしている怪しい学説の見分けがつくようになると思うんだ。

https://55096962.at.webry.info/201602/article_3.html  

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コメント
1. 中川隆[-8790] koaQ7Jey 2019年8月17日 15:29:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3952] 報告

2019年08月17日
遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

 遺伝学および考古学と「極右」に関する研究(Hakenbeck., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。遺伝学は人類集団の形成史の解明に大きな役割を果たしてきました。とくに近年では、古代DNA研究が飛躍的に発展したことにより、じゅうらいよりもずっと詳しく人類集団の形成史が明らかになってきました。古代DNA研究の発展により、今や古代人のゲノムデータも珍しくなくなり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけの場合よりもずっと高精度な形成史の推測が可能となりました。こうした古代DNA研究がとくに発展している地域はヨーロッパで、他地域よりもDNAが保存されやすい環境という条件もありますが、影響力の強い研究者にヨーロッパ系が多いことも一因として否定できないでしょう。

 現代ヨーロッパ人はおもに、旧石器時代〜中石器時代の狩猟採集民と、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民と、後期新石器時代〜青銅器時代前期にかけてポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた、牧畜遊牧民であるヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の混合により形成されています(関連記事)。この牧畜遊牧民の遺伝的影響は大きく、ドイツの後期新石器時代縄目文土器(Corded Ware)文化集団は、そのゲノムのうち75%をヤムナヤ文化集団から継承したと推定されており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 現代ヨーロッパ人におけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の大きさと、その急速な影響拡大から、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらした、との見解が有力になりつつあります。また、期新石器時代〜青銅器時代にかけてインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらしたと考えられるポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団は、Y染色体DNA解析から男性主体だったと推測されています(関連記事)。そのため、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大は征服・暴力的なもので、言語学の成果も取り入れられ、征服者の社会には若い男性の略奪が構造的に組み込まれていた、と想定されています。

 インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡散について以前は、青銅器時代にコーカサス北部の草原地帯からもたらされたとする説と、新石器時代にアナトリア半島の農耕民からもたらされたとする説がありましたが、古代DNA研究は前者と整合的というか前者に近い説を強く示唆しました。こうして古代DNA研究の進展により、一般的にはヨーロッパ人およびインド・ヨーロッパ語族の起源に関する問題が解決されたように思われましたが、本論文は、飛躍的に発展した古代DNA研究に潜む問題点を指摘します。

 本論文がまず問題としているのは、古代DNA研究において、特定の少数の個体のゲノムデータが生業(狩猟採集や農耕など)もしくは縄目文土器や鐘状ビーカー(Bell Beaker)などの考古学的文化集団、あるいはその両方の組み合わせの集団を表している、との前提が見られることです。埋葬者の社会経済的背景があまり考慮されていないのではないか、というわけです。また、この前提が成立するには、集団が遺伝的に均質でなければなりません。この問題に関しては、標本数の増加により精度が高められていくでしょうが、そもそも遺骸の数が限られている古代DNA研究において、根本的な解決が難しいのも確かでしょう。

 さらに本論文は、こうした古代DNA研究の傾向は、発展というよりもむしろ劣化・後退ではないか、と指摘します。19世紀から20世紀初期にかけて、ヨーロッパの文化は近東やエジプトから西進し、文化(アイデア)の拡散もしくは人々の移住により広がった、と想定されていました。この想定には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。イギリスでは1960年代まで、すべての文化革新は人々の移動もしくはアイデアの拡散によりヨーロッパ大陸からもたらされた、と考えられていました。

 1960年代以降、アイデアやアイデンティティの変化といった在来集団の地域的な発展が物質文化の変化をもたらす、との理論が提唱されるようになりました。古代DNA研究は、1960年代以降、移住を前提とする潮流から内在的発展を重視するようになった潮流への変化を再逆転させるものではないか、と本論文は指摘します。じっさい、ポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団のヨーロッパへの拡散の考古学的指標とされている鐘状ビーカー文化集団に関しては、イベリア半島とヨーロッパ中央部とで、遺伝的類似性が限定的にしか認められていません(関連記事)。中世ヨーロッパの墓地でも、被葬者の遺伝的起源が多様と示唆されています(関連記事)。

 本論文が最も強く懸念している問題というか、本論文の主題は、こうした古代DNA研究の飛躍的発展により得られた人類集団の形成史に関する知見が、人種差別的な白人至上主義者をも含む「極右」に利用されていることです。上述のように、20世紀初期には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。ナチズムに代表される人種差別的な観念は、こうした民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような前提のもとで形成されていきました。本論文は、20世紀初期の前提へと後退した古代DNA研究が、極右に都合よく利用されやすい知見を提供しやすい構造に陥っているのではないか、と懸念します。

 じっさい、ポントス・カスピ海草原という特定地域の集団が、男性主体でヨーロッパの広範な地域に拡散し、それは征服・暴力的なものだったと想定する、近年の古代DNA研究の知見が、極右により「アーリア人」の起源と関連づけられる傾向も見られるそうです。こうした極右の動向の背景として、遺伝子検査の普及により一般人も祖先を一定以上の精度で調べられるようになったことも指摘されています。本論文は、遺伝人類学の研究者たちが、マスメディアを通じて自分たちの研究成果を公表する時に、人種差別的な極右に利用される危険性を注意深く考慮するよう、提言しています。本論文は、研究者たちの現在の努力は要求されるべき水準よりずっと低く、早急に改善する必要がある、と指摘しています。


 以上、本論文の見解を簡単にまとめました。古代DNA研究に関して、本論文の懸念にもっともなところがあることは否定できません。ただ、古代DNA研究の側もその点は認識しつつあるように思います。たとえば、古代DNA研究においてスキタイ人集団が遺伝的に多様であることも指摘されており(関連記事)、標本数の制約に起因する限界はあるにしても、少数の個体を特定の文化集団の代表とすることによる問題は、今後じょじょに解消されていくのではないか、と期待されます。また、文化の拡散に関しては、多様なパターンを想定するのが常識的で、移住を重視する見解だからといって、ただちに警戒する必要があるとは思いません。

 研究者たちのマスメディアへの発信について、本論文は研究者たちの努力が足りない、と厳しく指摘します。現状では、研究者側の努力が充分と言えないのかもしれませんが、これは基本的には、広く一般層へと情報を伝えることが使命のマスメディアの側の問題だろう、と私は考えています。研究者の役割は、第一義的には一般層へと分かりやすく情報を伝えることではありません。研究者の側にもさらなる努力が求められることは否定できないでしょうし、そうした努力について当ブログで取り上げたこともありますが(関連記事)、この件に関して研究者側に過大な要求をすべきではない、と思います。

 本論文はおもにヨーロッパを対象としていますが、日本でも類似した現象は見られます。おそらく代表的なものは、日本人の遺伝子は近隣の南北朝鮮や中国の人々とは大きく異なる、といった言説でしょう。その最大の根拠はY染色体DNAハプログループ(YHg)で、縄文時代からの「日本人」の遺伝的継続性が強調されます。しかし、YHgに関して、現代日本人で多数派のYHg-D1b1はまだ「縄文人」では確認されておらず、この系統が弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来する可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と思います(関連記事)。日本でも、古代DNA研究も含めて遺伝人類学の研究成果が「極右」というか「ネトウヨ」に都合よく利用されている側面は否定できません。まあ、「左翼」や「リベラル」の側から見れば、「極右」というか「ネトウヨ」に他ならないだろう私が言うのも、どうかといったところではありますが。


参考文献:
Hakenbeck SE.(2019): Genetics, archaeology and the far right: an unholy Trinity. World Archaeology.
https://doi.org/10.1080/00438243.2019.1617189


https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

2. 中川隆[-14890] koaQ7Jey 2019年11月16日 07:53:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1981] 報告

2018年11月25日
文化変容・継続と遺伝的構成の関係
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_49.html


 古代DNA解析が飛躍的に発展していくなか、次第に明らかになってきたのは、文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではない、ということです。この問題については、以前にも農耕の起源と拡散との関連で述べました(関連記事)。文化変容が、時には置換とも言えるような、その担い手である人類集団の遺伝的構成の大きな変化を反映している場合もあれば、文化変容はおもに文化のみの伝播で、その担い手はさほど変わらない場合もあります。逆に文化的継続は、その担い手の遺伝的構成の継続を反映している場合が多いのでしょうが、そうとは限らないかもしれません。たとえば、ユーラシア東部における中部旧石器時代〜上部旧石器時代にかけての考古学的連続性は、人類集団の遺伝的連続性を反映しているのではなく、外来の人類集団による置換でも起きることかもしれません(関連記事)。まあこれは、種の水準で異なる可能性の高い人類集団間のことなので、以下に述べていく事例とは異なる、と言えるかもしれませんが。

●担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容
 ヨーロッパにおける農耕の拡散はアナトリア半島からの移住民によるものですが、全面的な置換ではなく、在来の狩猟採集民集団と外来の農耕民との交雑が進展していき、全体的には先住の狩猟採集民集団との交雑・同化がゆっくりと進行していったものの、地域によっては交雑・同化が早期に進行した、とされています(関連記事)。ヨーロッパにおいては、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団が大きな文化的・遺伝的変容をもたらした、とされていますが、その度合いは地域により異なり、イベリア半島と中央ヨーロッパでは遺伝的影響が限定的だったのにたいして、ブリテン島ではほぼ全面的な置換が生じたようです(関連記事)。レヴァント南部では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代へと至る過程で、文化の変容が住民の遺伝的構成の大きな変化を伴っている、と明らかになっています(関連記事)。

●担い手の遺伝的継続を伴う文化変容
 西アジアにおいては、少なくともレヴァント南部・ザグロス・アナトリアの3地域では、農耕社会への移行の担い手は在来の狩猟採集民集団と推測されています(関連記事)。アフリカ北西部でも、少なくとも一部の地域では、狩猟採集社会から農耕社会への移行にさいして担い手の遺伝的構成は大きく変わらなかった、と推測されています(関連記事)。ユーラシア東方草原地帯の牧畜の始まりも、おもに在来集団による文化受容と推測されています(関連記事)。現代日本人であれば、日本の近代化における大きな文化変容と遺伝的継続性の事例をすぐ想起するでしょうか。

●担い手の遺伝的変容・置換と文化の継続
 想定しにくい事例ですが、担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容の事例でも、外来集団による先住民集団の文化の一部の継承は、珍しくなかったと思われます。ここでは、そうした一部の要素ではなく、最重要とも言える言語の継続性を想定しています。バヌアツの現代人の遺伝的構成ではパプア人集団の強い影響が見られますが、言語はオーストロネシア諸語です。最初期のバヌアツ人は遺伝的にはオーストロネシア諸語集団で、パプア人集団の遺伝的影響がほとんど見られません。つまり、バヌアツでは、遺伝的には全面的な置換に近いことが起きたにも関わらず、言語は最初期の住民のものである可能性が高い、というわけです(関連記事)。その理由については不明ですが、他の地域でも同様の事例は想定されます。たとえば縄文時代の日本列島の住民の遺伝的影響は、現代日本人では15%程度と大きくなく、弥生時代以降に置換に近いことが起きた、と言えるかもしれません。しかし、弥生時代以降に日本列島に渡来してきた集団は、一度に大量に移住してきたのではなく、何度かの大きな波はあったとしても、長期にわたる少数の集団で、後に人口増加率で遺伝的影響力を高めていった、と考えられますから、バヌアツの事例からも、言語も含めて縄文時代の文化が、後の時代に強く継承されていった可能性は低くないと思います(関連記事)。もちろん、現代日本語は弥生時代以降に渡来してきた集団の言語が主要な起源となっており、ユーラシア東部では日本語と近縁な言語が消失した、という可能性もじゅうぶん考えられます。文字資料が期待できない以上、この問題の重要な手がかりとなるのは古代DNA解析で、日本列島も含めてユーラシア東部における古代DNA研究の進展が期待されます。またそれにより、中国、とくに華北において、文字文化の継続性と大きな遺伝的変容が明らかになるのではないか、とも予想しています。
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_49.html

3. 中川隆[-14889] koaQ7Jey 2019年11月16日 07:55:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1980] 報告

2019年11月16日
考古資料から人類集団の遺伝的継続・変容の程度を判断することは難しい
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html


 文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係については、1年近く前(2019年11月25日)にも述べました(関連記事)。その時からこの問題に関していくつか新たな知見を得ることができましたが、私の見解はほとんど変わっておらず、両者の関係は実に多様なので、考古学的研究成果から担い手の人類集団の変容と継続の程度を一概には判断できない、とさらに確信を強めています。そのため、この問題を現時点で再度取り上げる必要はほとんどないのですが、最近のやり取りで、アイヌは「縄文人」の末裔ではない、という言説の根拠として考古資料が持ち出されたので、改めてこの問題について短く触れておきます。

 古代DNA研究が飛躍的に発展していくなか、次第に明らかになってきたのは、文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではない、ということです。これについては以前の記事で、(1)担い手の置換もしくは遺伝的構成の一定以上の変化による文化変容、(2)担い手の遺伝的継続を伴う文化変容、(3)担い手の遺伝的変容・置換と文化の継続、の3通りに区分して具体例を挙げました。もっとも、これは単純化しすぎた分類だと今では反省しています。とはいっても、これらを的確に再整理して提示できるだけの準備は整っていないのですが、とりあえず、(4)類似した文化が拡大し、拡大先の各地域の人類集団の遺伝的構成が一定以上変容しても、各地域間の遺伝的構成には明確な違いが見られる、という区分を追加で提示しておきます。具体的には、紀元前2750年に始まり、イベリア半島からヨーロッパ西部および中央部に広く拡散した後、紀元前2200〜紀元前1800年に消滅した鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)の担い手においては、イベリア半島とヨーロッパ中央部の集団で遺伝的類似性が限定的にしか認められませんでした(関連記事)。また、鉄器時代にユーラシア内陸部で大きな勢力を有したスキタイも遺伝的には多様だった、と明らかになっています(関連記事)。

 以前の記事の後に当ブログで取り上げた関連事例では、ヒマラヤ地域が(2)によく当てはまりそうです(関連記事)。一方、中国のフェイ人(Hui)の事例(関連記事)は分類が難しく、(1)と(2)の混合と考えています。フェイ人(回族)は遺伝的には多数の人口を有する漢人などアジア東部系と近縁ですが、父系ではユーラシア西部系の影響が見られ、漢人とは異なる多くの文化要素を有しています。フェイ人においては、全体的にアジア東部系の遺伝的継続性が見られるものの、ユーラシア西部に由来する父系の影響も一定以上(約30%)存在し、ユーラシア西部から到来した男性がフェイ人の文化形成に重要な役割を果たした、と考えられます。フェイ人の場合、基本的には集団の強い遺伝的継続性が認められるものの、父系では一定以上の外来要素があり、文化変容に貢献した、と言えそうです。

 このように、文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は多様なので、ある地域の文化変容を単純に集団の遺伝的構成の変容、さらには置換と判断することはできません。これを踏まえて「考古資料から集団置換が起きたか否かを判断するのは容易ではないというかほぼ無理で、古代DNA研究に依拠するしかない」と述べたら、「遺伝子研究では縄文人とアイヌ民族を結びつけることは出来ないということで大変参考になりました」と返信されて、あまりの読解力の低さにうんざりさせられました。

 北海道の時代区分は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ(ニブタニ)文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。この間の文化変容と「遺伝的証拠」から、アイヌは「(北海道)縄文人」の子孫ではなく、12世紀頃に北海道に到来した、というような言説(関連記事)もネットの一部?では浸透しているようです(アイヌ中世到来説)。もっとも、こうしたアイヌ中世到来説やそれに類する言説を主張する人は、上述のやり取りから窺えるように読解力が低すぎるのではないか、との疑念がますます深まっています。

 それはさておくとして、考古学的には、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期、さらには近現代のアイヌにわたる人類集団の連続性を指摘する見解が主流で、アイヌ中世到来説はまともな議論の対象になっていない、と言えるでしょう(関連記事)。また考古資料から、縄文および続縄文文化を継承した擦文文化の側が主体となってオホーツク文化を吸収し、アイヌ(ニブタニ)文化が形成された、との見解も提示されています(関連記事)。アイヌ中世到来説論者に言わせると、こうした評価は適切ではない、ということになるのでしょうが、上述のように文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではありませんから、置換があったと断定することはとてもできません。もちろん、考古資料だけを根拠に、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を断定することもまたできません。もっとも、考古資料も縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を示唆している、と私は考えていますが。

 古代DNA研究も含めて現時点での遺伝学の研究成果からは(関連記事)、アイヌが「(北海道)縄文人」の強い遺伝的影響を受けている可能性はきわめて高い、と言えそうですが、この問題の解決には古代DNA研究の進展を俟つしかないと思います。ただ、日本列島も含めてユーラシア東部圏の古代DNA研究はヨーロッパを中心とする西部よりもずっと遅れているので、現時点でのヨーロッパと同水準にまで追いつくのには時間がかかりそうです。ただ、古代DNA研究には「帝国主義・植民地主義的性格」が指摘されており、日本でもこの問題が解決されたとはとても言えないでしょう(関連記事)。古代DNA研究の大御所と言えるだろうウィラースレヴ(Eske Willerslev)氏が中心となってのアメリカ大陸先住民集団との信頼関係構築は、日本においても大いに参考になるでしょうが、歴史的経緯が同じというわけではないので、単純に真似ることは難しいかもしれません。古代DNA研究は倫理面でも大きな問題を抱えていますが、それらを克服しての進展が期待されます。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html

4. 中川隆[-15145] koaQ7Jey 2019年12月14日 09:41:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2198] 報告
【我那覇真子「おおきなわ」#100】
竹内久美子〜伝統と科学、皇統はなぜ男系継承でなければならないのか?[桜R1/12/13]

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