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(回答先: ロシア民謡「黒い瞳」(Ochi Chernye) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 28 日 09:44:48)
「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)
ソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲
作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(Матвей Блантер)
Катюша - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9A%D0%B0%D1%82%D1%8E%D1%88%D0%B0
Katyusha dance War Army solo Военный танец Катюша сольный - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YoB4Vkvceo0
ロシア民謡 カチューシャ Песни победы 2010 _Катюша_ (НУ _ОЮА_) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y8qTcXdFpPc
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「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(Матвей Блантер)である。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。
カチューシャという娘が川の岸辺で恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。
この歌の制作は、イサコフスキーとブランテルが1938年に出版社の仲介で引き合わされたことに端を発する。2人は依頼された新刊雑誌のための歌曲を完成させると、帰りの車中で早くも次の作品への構想を立てた。ブランテルが自らの率いる国立ジャズ・オーケストラのための曲作りを持ちかけると、イサコフスキーはその場で自作の詩を暗誦した。ブランテルは歌詞を書きとめながら、その時すでにリズムと旋律が頭の中に浮かんでいたという。
当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容はなかった。しかし当時の不穏な世界情勢を反映して、国境警備に当たる若い兵士を故郷の恋人が思って歌うという設定で3番と4番の歌詞が書き足された。こうして完成した「カチューシャ」は、1938年11月27日にワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によってヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)の率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演された。この初演は好評を博し、アンコールに応じて3度も演奏された。
やがて1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
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咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に
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カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙
おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ
彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く
咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に
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