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ワイダ 地下水道 Kanał (1957年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/364.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 21 日 13:43:58: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

ワイダ 地下水道 Kanał (1956年)

監督 アンジェイ・ワイダ
脚本 イェジ・ステファン・スタヴィンスキー
音楽 ヤン・クレンツ
撮影 イェジ・リップマン
公開 1957年4月20日
製作国 ポーランド
言語 ポーランド語


動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E6%B0%B4%E9%81%93%20%2F6?ref=watch_html5

キャスト

コラブ:タデウシュ・ヤンチャル
デイジー:テレサ・イジェフスカ
ザドラ中尉:ヴィンチスワフ・グリンスキー
マドリ中尉:エミール・カレヴィッチ
ハリナ:テレサ・ベレゾフスカ
ミハウ(作曲家):ヴラデク・シェイバル
ゼフィル:ヤン・エングレルト

▲△▽▼


『地下水道』(原題:Kanał)は、1956年制作のポーランド映画。
アンジェイ・ワイダの名を一躍世界に知らしめた作品で、第10回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した[2]。『世代』に次ぐいわゆる「抵抗三部作」の2作目として知られる。

第二次世界大戦末期、1944年のワルシャワ。ポーランド国内軍による武装蜂起は、ドイツ軍による容赦ない攻撃で追い詰められ、悲惨な最終段階に達していた。

その中の一つ、ザドラ中尉の率いる中隊は事態打開のため、地下水道を通り、市の中心部に出て活動を続けることにする。夜になって隊員は地下水道に入っていくが、やがて離ればなれになり、ある者は発狂し、またある者は暗闇と悪臭と恐怖心に耐え切れず、マンホールから外に出てドイツ軍に発見され、射殺されていく。

負傷したコラブと、彼を助けて道案内してきたデイジーの2人も、やっと出口を見つけたと思ったのもつかの間、そこは河へ注ぐ水路であった。一方、先を行くザドラと二人の隊員は遂に目的の出口を見つけたが、出口には頑丈な鉄柵が張られ、爆薬が仕掛けられていた…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E6%B0%B4%E9%81%93_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


▲△▽▼

地下水道(1956) ☆☆☆☆☆
https://ssm2438.exblog.jp/15157053/


監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:イエジー・ステファン・スタヴィンスキー
撮影:イエジー・リップマン
音楽:ヤン・クレンツ

出演:
タデウシュ・ヤンツァー (コラブ)
テレサ・イジェフスカ (デイジー)

       *        *        *

夢があるから生きるのではなく、生きるために夢を見るのである!

映画の中では、ドイツ軍に追われたレジスタンスが地下水道に逃げ込むが、悪臭と闇の恐怖のなかでばらばらになり、地上に出ればころされる。夢も希望もない映画である。そして地下水道に逃げ込んだレジスタンスたちも、人間的な弱さや卑怯さでぼろぼろ。地下水道の描写もめちゃめちゃカッコいい。その闇のなかで汚物にまみれ光をもとめてさまよう人間が実に惨めにダイナミックに描かれている。

世間では『灰とダイヤモンド』がアンジェイ・ワイダの最高傑作として扱われることが多いが、私的には断然こちらの『地下水道』のほうが好きである。ワイダのほかの映画はあまり良いとは思わないのだが、この映画のポーランドの自虐性は実に惨めでインパクトがありすぎる。

ポーランドという国はいつも支配されてきた国。ショパンの時代には、実質的にロシア帝国の政権下にあり、第一次世界大戦勃発までつづく。第一次世界大戦中はドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国に占領されていた。1917年にロシア革命が、1918年にドイツ革命が勃発し、これによって念願の独立のチャンスをえる。しかし、またまた第二次世界大戦でドイツに占領され、そのあとは再びソ連の共産主義体制にくみこまれる。いつも支配されている国なので、抵抗ネタにはことかかない(苦笑)。

この映画は第二次世界大戦時のドイツにより支配下での話である。この映画は、ソ連共産党の傀儡政権として存在していたころのポーランドで作られた映画で、「お前等はこんなにダメ人間なのだから、我々の支配が必要なんだよ」というソ連共産党からの強烈なメッセージも水面下にあるように思われる。「自分達はダメ人間なんだ」という映画を作らされて、それを自虐ネタで作ってしまえるポーランド。そこにポーランド人の美学を少しいれこんでなんとか自己をなぐさめているポーランド。
この惨めさを愛しむポーランドの哀れさこそがこの映画の最大の魅力だろう。

<物語の背景>
第二次世界大戦のさなか、1944年7月30日、ソ連軍はワルシャワから10kmの地点まで到達、ワルシャワ占領も時間の問題と思われた。ソ連軍はポーランド国内のレジスタンスに呼びかけワルシャワで武装蜂起うながす。これをうけて約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。しかしソ連軍は補給に行き詰まり、進軍を停止していた。さらにドイツ軍が猛烈な反撃にあい、甚大な損害を被る。ヒトラーはこれをみて、ソ連軍がワルシャワを救出する気が全くないと判断し、蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命ずる。

<あらすじ>
ザドラ(ヴィンチェスワフ・グリンスキー)の率いるパルチザン中隊もドイツ軍に囲まれ、もはや死を待つばかり。生き残ったレジスタンス戦士らは、密かに地下水道を通り、市の中央部に出て再起を図ることとなる。夜になり、ザドラ中尉以下レジスタンス部隊は美少女デイジーの道案内のもと地下水道に入るが、汚泥から発生する有毒ガスと暗黒に道を失ったうえ、ドイツ軍が毒ガスを注入しているという流言や恐怖による発狂で、遅れたり、はぐれてしまう者もでてくる。恐怖に耐えきれず、マンホールから這い出たものはドイツ軍に射殺される。

本体からははぐれ、コラブ(タデウシュ・ヤンチャル)とデイジー(テレサ・イゼウスカ)はようやく出口を見つけたものの、そこも鉄格子に閉ざされており、しかも河口に注ぐ出口と知り落胆する。また、先頭を進んでいたザドラ中尉らはついに目的の出口を発見するが、出口には頑丈な鉄柵が張られ、さらに爆薬が仕かけられていた。
一人の隊員の犠牲で爆薬が破裂、出口は開かれザドラと残った一人の従兵は地上へ出た。しかし、後から誰もついて来ない。従兵はザドラが隊員を連れてくるようにとの命に背き、彼らは後から来ると嘘を言い、自分だけが助かりたいばかりにザドラについてきたのだ。嘘をついていた部下をザドラは射殺し、再び地下に潜るのだった。ザラトからはぐれた部隊もなんとか地上に出ることができた。しかしそこにはドイツ兵が銃をもってまちかまえていた。

闇の恐怖が支配する地下水道を進む彼らは、まるで『アギーレ/神の怒り』(1972) のようだ。思えば『アギーレ』でも、あの陰惨な世界のなかで女性だけは綺麗にとられていた。この『地下水道』も、デイジー=テレサ・イゼウスカだけは美しく描かれている。
https://ssm2438.exblog.jp/15157053/


▲△▽▼

映画 地下水道(1956) ポーランド映画を世界に知らしめた傑作です 2014年11月22日
https://blog.goo.ne.jp/goo0348_2007/e/279d6904ed507f41386be4a2aec3c38c

 ポーランドを語るうえで、決して欠かすことが出来ない出来事がワルシャワ蜂起。第二次世界大戦中のナチスドイツ占領下におけるワルシャワ(ポーランドの首都です)で起こった武装蜂起によるレジスタンス運動のことだ。

 結果は圧倒的なナチスドイツ軍の猛攻の前にレジスタンス組織は多くの死者を出して壊滅し、あえなく失敗に終わる。果たして彼らの死は無駄死にだったのだろうか、しかしながら独立を勝ち取り、世界中が景気低迷に苦しむ中で、ひたすら経済成長を続ける現在のポーランドを見ていると、ワルシャワ蜂起の意義は非常に大きい。先人達の尊い犠牲によって、今日のポーランドの繁栄があると言っても過言ではあるまい。

 そんなワルシャワ蜂起を描いた映画としてパッと思い浮かぶ映画と言えばコレ、ポーランド映画のクオリティーの高さを世界中に知らしめた映画地下水道。全編の殆んどの時間がタイトル通り地下水道のシーンに費やされている。ナチスドイツの容赦ない攻撃の前に、全滅寸前に追い込まれたポーランドのレジスタンス中隊がひたすら地下水道を逃げまくるという内容だ。

 肉体、そして精神もズタボロになりながら、まるで迷路のような地下水道を逃げまくる様子が本当に息苦しくなってくる。よく考えたら彼らが地下水道に潜りこんでからの展開は、極悪非道のナチスドイツの軍人から追われて逃げているのではない。そもそもナチスドイツの奴等がわざわざ悪臭漂う地下水道まで降りてくるわけがない。彼らを追いかけているのは、ナチスドイツ軍が放った毒ガス。

 暗闇、悪臭、毒ガス、餓えの恐怖が同時に襲ってくる事態は、俺が考えられる中でも最高レベルの悲惨な状況。そんな状況に追い込まれたレジスタンス達に訪れる結末は!。それでは簡単にストーリー紹介を。

 第二次世界大戦中、1944年の9月のワルシャワ。ドイツの爆撃の前にすっかりワルシャワ全体がガレキだらけの廃墟化してしまっている。幾つかあるレジスタンス部隊の中の一つである、サドラ隊長(ヴィンチスワフ・グリンスキー)率いる中隊も多くの仲間が死に、周りをドイツ軍に囲まれこのままでは全滅あるのみ。しかし、彼らは祖国再興のために地下水道を通って市の中心部に逃げることを決意する。

 彼らは暗闇に紛れて、地下水道に入っていくのだが、暗くて迷路化した地下水道の中で彼らは離れ離れになってしまう。彼らは心身ともに限界に追い込まれる中、出口を求めてひたすら地下水道を這いずり回るのだが・・・

 前半は破壊された建物のガレキだらけの景色。これだけでも悲惨さを感じるが、地下水道に入ってからが更に悲惨さが増す。この映画の凄いところは単に地下水道の中を鬼ごっこをしているだけではなく、極限状態に陥った時の人間の本性をドラマチックに描いていること。決してレジスタンス活動に命を捧げた人間に対する賛美として描くような甘っちょろい演出なんか微塵もなく、ひたすら自由と生きることを渇望するレジンスタン達の様子がストイックに描かれているのが特徴だ。

 レジスタンスの人間の多くの運命を観ていると、これじゃ地下水道に逃げ込まなかった方がもっと楽だったんじゃないの?なんて思えたりしたが、どのような選択をしたところで結局は最後の結末は同じで進むも地獄、退くも地獄。あの時代のポーランドの状況がこの映画のレジスタンス達の運命と重なっている様に俺には思える。

 本作の映画における結末は、もう悲惨すぎて涙なんか全くでてこない。悲しいという感情なんか起きないし、ただ唖然とするばかり。観る人をかなり選ぶ映画だと思うが、毎日を何も考えずに生きている人には、普段全く使わない脳ミソに程よい刺激を与えてくれる映画。特に普通に生きていることが当たり前だと思っていることが、どれほど幸せなことなのかわかっていない人に映画地下水道はお勧めだ

 監督は世界中から尊敬の念を集めていた巨匠アンジェイ・ワイダ監督。実はけっこう彼は日本とも少なからず縁のある監督。坂東妻三郎主演の舞台劇の演出で来日したこともあります。この人のお勧めは名作灰とダイヤモンド、実在の事件を基にしたカティンの森が良いです。
https://blog.goo.ne.jp/goo0348_2007/e/279d6904ed507f41386be4a2aec3c38c


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『地下水道』(1956)
https://masanao.exblog.jp/12860595/

アンジェイ・ワイダ監督の『地下水道』をビデオで観る。
冥界のような圧倒的なまでの暗さ。この暗さは映画館でそこ観るにふさわしい。
はじめにピアノを弾く芸術家Vladek Sheybalが出てくるが、これが、ロマン・ポランスキーの『戦場のピアニスト』にそっくり。ポランスキーがおなじワルシャワ蜂起を舞台に生き抜いたピアニストを、この『地下水道』の芸術家をモデルにして、俳優エイドリアン・ブロディを髪型までそっくりにして使ったにちがいない。

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前半の地上戦のシーンでリモコンのミニ戦車が出てくる。 ゴリアテ (Goliath) という、第二次世界大戦でドイツ軍の使用した、遠隔操作される軽爆薬運搬車輌、とのこと(wikipediea)。ほんとうにこんなものがあったということに驚いた。

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主人公とそれを助ける女がようやく川に面した出口にたどり着くとそこは鉄格子ははまっていて出られない。スチール写真では絶望した二人という図になっているが、映画では男は眼がよくみえなくなっており、鉄格子に気づかない。女は目を閉じて休めとやさしく言う。女性のもつ限りない優しさにむしろ心打たれる話になっている。ワイダ映画の女性はほんとうにいい。

c0035599_2365192.jpg

ようやく地上に出た中隊長が誰も後から続いてきていないことを知ると、再び地下水道へと潜っていき、画面は本当にだた闇となる、エンディングは胸を突かれる。
すごい映画があったものだ。
https://masanao.exblog.jp/12860595/

 

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コメント
1. 中川隆[-10651] koaQ7Jey 2019年4月21日 14:41:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1412] 報告

アンジェイ・ワイダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%80


アンジェイ・ワイダ(1926年3月6日 - 2016年10月9日)は、ポーランドの映画監督。親日家として知られた。

主な作品

『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』
『大理石の男』『鉄の男』
『ダントン』『カティンの森』


配偶者
Beata Tyszkiewicz ※離婚
Zofia Zuchowska ※離婚
クリスティーナ・ザフファトヴィチ(英語版)(1972年 - 2016年)※死別

公式サイト
http://www.wajda.pl/


1926年3月6日、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。ポーランド軍大尉だった父は対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる[2]。1944年、青年時代に織物会館(英語版)で開かれた日本美術展において喜多川歌麿や葛飾北斎などの浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年にクラクフ美術大学に進学する。その後、進路を変えてウッチ映画大学に進学。1953年に同校を修了した。

1955年、『世代』で映画監督としてデビュー。1957年の『地下水道』が第10回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1958年にイェジ・アンジェイェフスキの同名小説を映画化した『灰とダイヤモンド』は反ソ化したレジスタンスを象徴的に描き、1959年の第20回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。これら三作品は、ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや戦後共産化したポーランド社会におけるその末路を描いた「抵抗三部作」として知られている。以後、アンジェイ・ムンク、イェジー・カヴァレロヴィチらと並んで、当時の映画界を席巻した「ポーランド派」の代表的存在となる。

1960年、政治色を排した青春映画『夜の終りに』を発表。1962年にはフランソワ・トリュフォーや石原慎太郎らが参加したオムニバス『二十歳の恋』の一篇を製作。1965年の『灰』は4時間近い大作であり、日本では170分に短縮されてビデオリリースされた。1968年にはイギリスとユーゴスラビアとの合作『Gate to Paradise』を製作。1969年には『灰とダイヤモンド』に主演したズビグニェフ・ツィブルスキの死を受け、映画製作の現場を舞台にした『すべて売り物』を発表。同年の『蝿取り紙』は異色のコメディ作品であった。

1970年、第二次世界大戦後のポーランド社会を扱った『戦いのあとの風景』と1930年代のポーランドを舞台に三人の男女の関係を描いた『白樺の林』を発表。後者が翌1971年の第7回モスクワ国際映画祭で監督賞を受賞した。1972年にはワルシャワ工科大学教授ヤン・ザフファトヴィッチ(英語版)の娘クリスティーナ・ザフファトヴィッチ(英語版)と結婚する。

1975年には19世紀末のポーランドを舞台に三人の若者の姿を描いた大作『約束の土地』を発表。第9回モスクワ国際映画祭で金賞を受賞した。1977年、1950年代に労働英雄となった男の末路を、彼に関する映画を製作しようとする女学生を主人公にして描いた『大理石の男』を発表。ポーランドでは上映禁止処分を受けたが、翌1978年の第31回カンヌ国際映画祭でスニークプレビューされ、国際映画批評家連盟賞を受賞した。1930年代のポーランドの田舎を舞台にした1979年の『ヴィルコの娘たち』は翌1980年の第52回アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた。その他、ポーランド映画界で「モラルの不安」と呼ばれる運動が盛んになったこの時期には『麻酔なし』(1978年)や『ザ・コンダクター』(1980年)といった社会批判を暗喩的に描いた作品を製作している。

1981年、『大理石の男』の続編となる『鉄の男』を発表。1980年に起きたグダニスク造船所でのストライキに始まる連帯運動を描き、第34回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。しかし、その反体制的な活動が原因となり、戒厳令(英語版、ポーランド語版)布告によってポーランド映画人協会長などの職を追われることになる。1983年、フランスのゴーモン社の出資を元に、ともに国外を舞台にした『ダントン』と『ドイツの恋』を製作。前者はセザール賞監督賞や英国アカデミー賞外国語作品賞、ルイ・デリュック賞など様々な賞を受賞した。その後、1986年に『愛の記録』を製作し、ポーランド映画界に復帰した。1987年には思想・芸術部門を受賞[3]。賞金の4500万円を建設基金として、多額の寄付などをもとに1994年に日本美術技術センターがクラクフに設立された。1988年にはドストエフスキーの『白痴』を原作とした舞台『ナスターシャ』の演出を担当。同作では坂東玉三郎を主演に起用し、1994年には再び玉三郎を主演に映画化も行っている。

1989年に行われた議会選挙では[注釈 1]、新たに新設された上院のスヴァウキ選挙区から「連帯」候補として出馬して当選し[4]、1991年まで上院議員を務めた。

1996年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。

2000年、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績により、第72回アカデミー賞にて名誉賞を受賞。2007年にはカティンの森事件を扱った『カティンの森』を製作した。なお、ワルシャワ旧市街の再建に尽力した義父ヤン・ザフファトヴィッチの功績を取り上げたNHK総合テレビの紀行番組『探検ロマン世界遺産』「よみがえる街 未来への懸け橋〜ポーランド・ワルシャワ〜」(2007年4月28日放送)には、ザフファトヴィッチの娘である妻のクリスティーナとともにゲスト出演している[注釈 2]。翌2008年の第80回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされた。2009年には『菖蒲』が第59回ベルリン国際映画祭でアルフレッド・バウアー賞を受賞した。

2010年12月6日、ポーランドを訪問中のロシアのメドベージェフ大統領から友好勲章を授与された[5]。2013年、連帯の指導者から大統領となり、ノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサを描いた『ワレサ 連帯の男』を発表した。

2016年10月9日、肺不全により死去[1]、90歳。

作品

映画

世代 Pokolenie (1955年)
地下水道 Kanał (1957年)
灰とダイヤモンド Popioł i diament (1958年)
ロトナ Lotna (1959年)
夜の終りに Niewinni czarodzieje (1960年)
サムソン Samson (1961年)
シベリアのマクベス夫人 Powiatowa lady Makbet (1962年)
灰 Popioły (1965年)
Gate to Paradise (1968年)
すべて売り物 Wszystko na sprzedaż (1969年)
蝿取り紙 Polowanie na muchy (1969年)
戦いのあとの風景 Krajobraz po bitwie (1970年)
白樺の林 Brzezina (1970年)
婚礼 Wesele (1973年)
約束の土地 Ziemia obiecana (1975年)
大理石の男 Człowiek z marmuru (1977年)
麻酔なし Bez znieczulenia (1978年)
ヴィルコの娘たち Panny z Wilka (1979年)
ザ・コンダクター Dyrygent (1980年)
鉄の男 Człowiek z żelaza (1981年)
ダントン Danton (1983年)
ドイツの恋 Un amour en allemagne (1983年)
愛の記録 Kronika wypadków miłosnych (1986年)
悪霊 Les possédes (1988年)
コルチャック先生 Korczak (1990年)
鷲の指輪 Pierścionek z orłem w koronie (1992年)
ナスターシャ Nastasja (1994年)
聖週間 Wielki Tydzien (1995年)
Panna Nikt (1996年)
パン・タデウシュ物語 Pan Tadeusz (1999年)
Zemsta (2002年)
カティンの森 Katyń (2007年)
菖蒲 Tatarak (2009年)
ワレサ 連帯の男 Walesa. Czlowiek z Nadziei (2013年)
残像 Powidoki (2016年)


長編劇映画以外

Zly chlopiec (1950年) 短編
Ceramika ilzecka (1951年) 短編ドキュメンタリー
Kiedy ty spisz (1952年) 短編ドキュメンタリー
Ide do slonca (1955年) 短編ドキュメンタリー
二十歳の恋 L'amour à vingt ans (1962年) オムニバス
Przekladaniec (1968年) テレビ映画
Pilatus und andere - Ein Film für Karfreitag (1972年) テレビ映画
死の教室 Umarla klasa (1977年) テレビドキュメンタリー。別題『THE DEAD CLASS/死の教室』
Zaproszenie do wnetrza (1978年) ドキュメンタリー
Pogoda domu niechaj bedzie z Toba... (1979年) 短編ドキュメンタリー
Z biegiem lat, z biegiem dni... (1980年) テレビシリーズ
プルースト、我が救い Proust contre la déchéance (1988年) オムニバス『パリ・ストーリー』の一篇
Schuld und Sühne (1992年) テレビ映画
Bigda idzie! (1999年) テレビ映画
Wyrok na Franciszka Klosa (2000年) テレビ映画
Lekcja polskiego kina (2002年) ドキュメンタリー
Noc czerwcowa (2002年) テレビ映画
Man of Hope (2005年) オムニバス『Solidarnosc, Solidarnosc...』の一篇
Krec! Jak kochasz, to krec! (2010年) ドキュメンタリー

舞台演出
ナスターシャ (1988年)


著作(日本語訳)

『映画と祖国と人生と…』西野常夫監訳、凱風社、2009年。
『アンジェイ・ワイダ自作を語る』ヴァンダ・ヴェルテンシュタイン編、工藤幸雄監訳、平凡社:20世紀メモリアル、2000年。
『ワイダの世界 映画・芸術・人生』岩波書店・岩波ブックレット、1988年。聞き手は高野悦子で、インタビュー小冊子。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%80

2. 中川隆[-10607] koaQ7Jey 2019年4月25日 10:28:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1465] 報告

アンジェイ・ワイダ「抵抗三部作」


9月のNHK・BSはなんと充実していることか!
イタリアのルキノ・ヴィスコンテ監督の初期作品に続き、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の「抵抗3部作」といわれる「世代」 「地下水道」 「灰とダイヤモンド」 そして戦後社会を描いた「大理石の男」が放映された。

未見作品だったワイダ監督の初監督作品「世代」の放映は嬉しい。
今回の放映では「アンジェイ・ワイダ自作を語る」という5分程度のコーナーもあり、作品あるいは製作の背景などが語られていて、いくつか興味深い話もあった。

ポーランドの歴史をみると、ロシアとドイツにはさまれ、第一次大戦・第二次大戦を通じて分割支配され、両国の衝突の地でもあるという抑圧と支配を味わい続けてきたといえる。

これは米ソ冷戦時代にいわゆる「東側」と呼ばれた国々の歴史でもあり、多民族間の紛争、ローマ帝国の東西分裂、イスラム世界とキリスト世界の抗争、国家間の領土戦争といった常に戦いの絶えないヨーロッパの歴史でもある。バルカン半島などはヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、いまだに民族紛争が絶えない地域である。

今回、アンジェイ・ワイダ監督の抵抗三部作(戦時下、ワルシャワ蜂起、そしてソ連支配下の戦後)を通して鑑賞すると、今まで単作で観ていた時よりも、歴史に翻弄されたともいえるポーランド人たちの悲劇がさらにくっきりと見えてくる。

アンジェイ・ワイダはレジスタンス活動を神話として描くのではなく、ドイツとソ連の間で、イデオロギーと国家の政治力学に翻弄され続けたポーランドという国が内包する矛盾さえも冷徹に見つめ、あの時代を生きた人間を描いている。

ポーランドがナチス・ドイツとソ連という二つの国によって喪失してしまったあの時代の祖国ポーランドの姿を描くことで、その出自を明らかにしようとする彼の意思を感じる。それは、lあの時代を生きたものの果たすべきこととするアンジェイ・ワイダの思いがあるだろう。

そして祖国ポーランドの自由を互いに求めながら同胞同士が対立し死んでいった多くの者たちへの鎮魂の思いもあるだろうし、あの時代に対する彼自身の総括でもあるだろう。

だからこそ、ポーランド固有の歴史であって、かつ、普遍性を持つ作品として、人として忘れてはならないものをそこに見出す。


工場労働者たちの間にはマルクス・エンゲルスが提唱する共産主義が浸透しており、貧しい若者たちはコミュニストを自称していた。

貧しい若者たちは明日の希望も持てず、鬱屈した気持で無為な日々を過ごしていた。そしてドイツ軍に対する憎悪はさらに高まっていった。

「国家の自由のために」を合言葉にソ連赤軍の後盾によって組織された人民部隊に参加し対独ゲリラ活動にそのエネルギーをぶつけていく。

対ドイツというレジスタンス組織として、工場労働者や若者たちコミュニストが結集する人民部隊と、工場主たちが支援する反ナチ国内軍に二分していたことも描かれている。

共闘はなく、プロレタリアートとブルジョワジーという対立関係も描かれている。

ユダヤ人蜂起も鎮圧され、町は炎に包まれる。
そして仲間たちは次々と死んでいく。

戦わずしてコミュニストを名乗るな!
こんな風にして、何か時代の強迫観念に憑かれたようにレジスタンス活動に身を投じていったのだろう。
https://yorimichim.exblog.jp/8593116/

3. 中川隆[-10386] koaQ7Jey 2019年5月07日 14:10:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1711] 報告

電撃作戦 ポーランド侵攻 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=KZtU0l6w9g8
4. 中川隆[-10400] koaQ7Jey 2019年5月08日 08:37:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1698] 報告

ポーランド ワルシャワ大学 日本学科 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%80%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E7%A7%91&sp=mAEB


『世界No.1親日国のポーランド事情@』河添恵子 AJER2018.10.24 - YouTube
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★日本とポーランド 2019年は国交樹立100周年!◉日本文化の理解度断トツ国! - YouTube
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5. 中川隆[-10393] koaQ7Jey 2019年5月09日 04:47:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1705] 報告

【夜桜亭日記 #25】河添恵子さん(ノンフィクション作家)をお招きしました
[桜H28-6-12] - ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/so29030726

6. 中川隆[-10386] koaQ7Jey 2019年5月09日 08:04:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1712] 報告
私の手元に一枚の映画のチラシがあります。

どこで手に入れたのか、もう覚えていません。

「ポーランド名作映画祭(新宿東映ホール)」

のチラシ、それが初めてのポーランド映画、

そして、アンジェイ・ワイダ監督との出会いでした。

中学生だった私は、『灰とダイヤモンド』の解説文を読み、

勝手な想像をしながら、まだ観ぬ映画に心踊らせました。

その解説文にはこうありました。

 

 かけがえのない青春を祖国に捧げ、時代の流れから阻害された人々への深い共感と追悼が、ここにはある。恋人がマチェックに尋ねる。「どうして、いつも黒眼鏡をかけているの?」「祖国への報われぬ愛の記念さ」……。

 

* * *

 

『灰とダイヤモンド』を観る機会は意外と早くやってきました。日本の国営放送が放映したのです。観ました。若い私は、やけに派手な弾着シーンや仲間を偲んでグラスのウォッカの火を灯すシーンのかっこうよさに魅せられましたが、時代背景や歴史的状況、ストーリーがまるで理解できませんでした。それどころか、主人公マチェクと一夜の恋人クリスティーナとのやりとりが冗長にすら感じられました。

 本屋へ行くと、『灰とダイヤモンド』『地下水道』『大理石の男』のビデオが売られていました。喉から手がでるほど欲しかったのですが、貧乏学生だった私は泣く泣く諦めました。

 

 その後、私は就職し、自由に使えるお金ができました。しかし、今度はビデオが見当たりません。探し回って苦労の末、『灰とダイヤモンド』『地下水道』を手に入れました。帰宅して包装をやぶるのももどかしく感じながら、デッキに『灰とダイヤモンド』のビデオをセットしました。

 

 冒頭で撃たれた男が教会の扉を押し開けながら倒れるシーン、ベッドでのマチェクとクリスティーナの静かな会話、古い墓碑に刻まれたノルヴィトの詩、蜂起で散っていった仲間たちのためにグラスに灯される火、廃墟と化した教会の中で逆さにぶら下がっているのキリスト像、電気スタンドの光で壁に映し出される蛾の影、共産党地区委員長シチュカを暗殺した瞬間に打ち上がる花火、朝日に照らされながら国旗をかかげるホテルのフロント係、ゴミの中で死んでいくマチェク、悲しいながらも美しいシーンの連続でした。

 マチェクもシチュカも立場は正反対ながら、お互いに戦時を懐かしみ、祖国の為にと信じて戦い続け、共に命を落とす。登場する人物は皆、目標に向かって全力で疾走し、その全員が不幸になるストーリー。最後に流れるオギンスキの「ポロネーズ イ短調」の副題は「祖国への別れ」・・・。なにもかもが物悲しく感じました。

 心に葛藤を抱えながら、熱い生き方しか選べなかったマチェク。一人の若者の人生を通して、ワイダ監督の祖国に込めた思いが伝わってくるような気がして、思わず胸が熱くなりました。

 

『地下水道』は、さらに輪をかけて色々な意味で暗い映画でした。なにしろ、最初のナレーションからして

「悲劇の主人公たち、彼らの人生の末期をお目にかけよう」

です。 ……多大な損害を受けながらも、士気だけは無闇に高いザドラ中隊。しかし、その士気すらも打ち砕くような撤退命令。ヴィルチャ街を目指して地下水道の中を這いずりまわり、力尽きていくレジスタンスの兵士たち。劇中、作曲家ミハウの口を借りて語られるダンテの一節、

「……穴の底に立ちて、われ見たり、恐ろしき責苦にあえぐ人々を

 あらゆる怪物汚物がここに集まれり……」

その通りの状況が繰り広げら、まるでパンドラの箱のような映画だと感じました。いや、パンドラの箱どころか、最後の希望すらもすり潰すようなあまりの救いの無さに、強烈な印象が私の心に残りました。

“そういえば、あの「チラシ」にも『地下水道』について書かれていたっけ”

 そう思い出して、部屋中をひっくり返してチラシを見つけ、読んでみました。

 ……私の見方が浅はかであることがわかりました。恋人のヤツェクを抱えた女性兵士デイジーが格子ごしに見たヴィスワ河の対岸。後続があるとウソをつき続けた軍曹を射殺し、「わが中隊は……」と何度もつぶやきながら地獄の地下水道へ戻っていくザドラ中尉。これらのシーンの本当の意味がわかりました。

「なぜ、ソ連軍は、約束どおり、蜂起の支援に現れなかったのか?

 なぜ、ソ連軍は我々を見捨てたのか?」

 この映画にはポーランドという国家の悲しい歴史が詰まっていたのです。しかも、それを表現するために、「画面上に表さずに表現する」という手段を使わざるをえなかった1957年当時のポーランドの政治状況。映画の外にもひたすら悲しい現実があったことを知りました。その現実を突き抜けて、このような映画を撮ったワイダ監督に、私は畏敬の念を持ちました。

 

 

 時が経ち、『鷲の指輪』が日本で上映されることになりました。

“おお、ワイダ監督の新作だ!”

 初めて『灰とダイヤモンド』を知ったときのように私の心は躍りました。当時、私の職場は、公開劇場から離れていましたが、即、前売り券を手に入れ、時間のやりくりをしました。ところが、観覧前日、私は猛烈な風邪をひいてしまい、38℃の熱に浮かれる中、それでも劇場へ足を運びました。私の心の中は“このチャンスを逃してはならない”という思いでいっぱいだったのです。

 上映前にワイダ監督の挨拶がテープで流れたとき、私は「やっとここまで来たんだな」と感慨深く思いました。なにしろ、劇場で監督の映画を観るのは初めてだったからです。

 幕が開き、映画が始まりました。

 

 時代は1944年8月1日、ワルシャワ蜂起の開始の日。冒頭で、三人の女性がポーランドの国旗を翻らせるシーンを観て、ああ、やはりワイダ監督だな、と強く思いました。

 蜂起は市民に大きな犠牲を強いながらも失敗に終わり、ドイツ軍による占領、ソ連軍による解放、ヤルタ会談でのチャーチルの裏切り……、そんな状況の中、国軍と共産軍の権力闘争がエスカレートしていくのがわかります。ワイダ監督は、共産主義の非人間性を、国軍兵士がシベリア送りの貨車に乗せるシーンで表現していたことに気がつきました。監視しやすいようにと跪かされる国軍兵士達、貨車に乗りこむ寸前に、兵士達の中から湧き上がる「聖母マリア」の歌。それを見て涙を流す主人公・マルチン。秘密裏に共産勢力へ侵入し諜報活動を行ったがため、かつての戦友に冷たい視線を浴びるマルチン。裏切りの嵐に翻弄されて全てを失うマルチン、恋人と悲しい再会をするマルチン……。この映画も悲しいシーンの連続でした。これだけでも目頭が熱くなってくるというのに、あのシーンも出てくるのです。『灰とダイヤモンド』の、あのグラスに火を灯すシーンが!

 マチェクがウォッカが入ったグラスに火を灯し、アンジェイが声を上げる。

「ハネチカ! ビルガ! コソブツキ! ルディ! カイテック!」

……。

 私は泣きました。そのシーンからラストまでの間、涙が流れ続けました。初めて『灰とダイヤモンド』を観た日のことを思い出しながら。
http://dayfornight.akazunoma.com/letter/europe/wajda.html

7. 中川隆[-9765] koaQ7Jey 2019年6月07日 21:50:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2680] 報告

河添恵子×エヴァ・ルトコフスカ対談(前編)
#14-1 ポーランドの日本学科教授が見た近代日本=明治天皇・黒澤明・川端康成ほか - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8vPoJj8XYbA


河添恵子×エヴァ・ルトコフスカ対談(後編)
#14-2 ポーランドと日本の共通点=日露戦争・情報分析・伝統文化 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0KDj4JDZdEM

8. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年8月16日 01:05:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3904] 報告
ドイツの外相、ワルシャワでナチの犯罪に謝罪
永井 潤子 / 2019年8月11日

8月1日、ポーランドの首都、ワルシャワで75年前のワルシャワ蜂起の犠牲者を追悼する記念式典が行われた。この式典に出席したドイツのマース外相は「ドイツ人がドイツの名においてあなた方の国に対して行ったことを、私は深く恥じています」と述べ、ポーランド人に対してナチス・ドイツの犯罪に赦しを乞うた。

ナチス・ドイツは1939年9月1日、ポーランドに侵攻し、3日、イギリス、フランスがドイツに宣戦布告して、第二次世界大戦が始まった。ドイツ軍はポーランド軍を圧倒し、間も無くソ連軍も東からポーランドに侵入して、1ヶ月たらずでポーランドは占領、分割された。ソ連は東部を、ドイツはワルシャワを含む西部を占領した。大戦開始当初ドイツとソ連は独ソ不可侵条約を結んでいたが、1941年8月、ドイツが独ソ不可侵条約を無視してソ連に侵攻したことにより、両国は敵対関係となり、壮絶な独ソ戦が展開された。そうした状況にあった第二次世界大戦末期の1944年8月1日、ソ連軍が東から首都ワルシャワに迫る中、ポーランド国内軍(ドイツ占領軍に対する地下抵抗組織)を中心とする約5万人の市民が、ドイツの占領に対して武装蜂起した。このワルシャワ蜂起に参加したのは若い男女が中心で、63日間抵抗を続けたが、約20万人の犠牲者を出した後、10月2日ドイツ軍に鎮圧された。ドイツ軍はポーランド国内軍の兵士だけでなく一般市民も虐殺したといい、歴史家の中には犠牲者の数を25万人と見る人もいる。ナチス・ドイツ軍はワルシャワの街に壊滅的な被害を加え、約50万人がその後強制収容所送りとなったという。


ドイツ外相のハイコ・マース氏。© Thomas Imo/photothek.net

このワルシャワ蜂起の開始から75年を迎えた今年8月1日、ワルシャワ市内では午後5時、追悼のサイレンが鳴り響き、交通は一時ストップし、人々は立ち止まって犠牲者に黙祷を捧げた。その様子をドイツのテレビはニュースなどで伝え、翌日の新聞各紙も記念式典に出席したハイコ・マース外相(社会民主党、SPD)の発言を詳しく伝えた。マース外相はポーランドのチャプトヴィチ外相の招きを受け入れ、記念式典に参加したもので、ドイツ政府の閣僚がワルシャワ蜂起の記念式典に参加したのは、2004年の60周年記念式典に参加したシュレーダー元首相(SPD)に次いで二人目である。マース外相は式典の前日にポーランドの外相とともに教会のミサに出席し、「自分は、犠牲となって亡くなった人たちとその家族、負傷者に畏敬の念を示すため、また、ポーランドの国民に赦しを乞うために、ここにやってきました」とも述べていた。

その翌日マース外相は、ワルシャワ蜂起記念館で行われた記念式典で、次のように挨拶した。

ドイツ人がドイツの名においてあなた方の国に対して行ったことを、私は深く恥じています。また、こうした罪について戦後長い間語られなかったことについても、私は恥ずかしく思っています。私たちは、ナチス・ドイツによるポーランド人犠牲者を追悼する記念碑を、ベルリンに設ける計画をたてています。こうした計画は、とっくに実現されているべきでした。ポーランド人犠牲者の記念碑を作ることは、ポーランド人との和解のシンボルを意味するだけではありません。我々自身にとっても、重要なのです。ナチス・ドイツの犯罪はなかったことにするわけにはいきません。また、多くの傷は決して癒されることはないでしょう。しかし、少なくとも我々にできることは、犠牲者を、ふさわしいかたちで追悼することです。

ベルリンにはすでにさまざまなナチの犠牲者の追悼記念碑が存在する。最も有名なのは、市の中心部、ブランデンブルク門の近くに設けられた「殺害されたヨーロッパのユダヤ人を追悼する記念碑」だが、その近くにはシンティ・ロマの犠牲者を悼む記念碑や同性愛者の犠牲者の記念碑も設けられている。ポーランドの政治家は、ポーランドの犠牲者を追悼する記念碑をベルリンに設立するよう長年要求してきたが、今では、ドイツ連邦議会の右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」を除く、すべての会派を網羅した議員たちの間に、記念碑設立のイニシアティブが生まれている。

一方、ポーランドのチャプドヴィチ外相は、この記念式典での挨拶で、「第二次世界大戦中ドイツによってもたらされた被害に対し、ポーランドは損害賠償を求める権利を保有している」と強調した。「ポーランドはナチス・ドイツによって国家遺産の一部を失ったが、加害者はポーランド国家とポーランド国民に対する補償を行っていない」とも述べた。

この問題についてドイツ政府は、東西両ドイツの統一が実現するときに結ばれた「2プラス4条約」(1990年、東西両ドイツと米英仏露の占領4カ国で結ばれた条約)で解決済みだとしている。ポーランドに国家主義的な「法と正義」党による政権が成立して以来、ポーランドとドイツ両国政府の意見は、この問題で対立している。それにもかかわらず、両国は友好関係を維持しようと努力している。

この記念式典の様子を見ながら私は反射的に、ほとんど同じ時期に行われた日本政府による韓国に対する輸出規制措置と「ホワイトリスト」からの削除による日韓関係の悪化を思わずにはいられなかった。安倍政権の韓国に対する最近の一連の態度を見ていると、日本の現在の政治家たちには、植民地時代に日本が朝鮮半島の人たちに対して行ったさまざまな行為を謝罪する気持ちが全くないという印象を持つ。アジアの平和に共に貢献するべき、もっとも大事な隣国との関係を、どうしてこんなにも悪化させてしまったのか。こんなことでは、日本はアジア諸国からつまはじきされてしまうのではないだろうか。

ドイツのメディアの多くは、ワルシャワ蜂起記念式典でのマース外相の発言を適切だったと評価しているが、ベルリンで発行されている日刊新聞「ターゲスシュピーゲル」は、現在ドイツ人の多くがワルシャワ蜂起についてあまりよく知らないこと、隣国のポーランド人にとって、もっとも重要な第二次世界大戦中の出来事の75周年記念日に、ドイツ連邦議会が犠牲者を追悼しなかったことを厳しく批判する記事を掲載していた。

なお、ワルシャワ蜂起が二重の意味で悲劇的だったのは、ソ連の態度によってだった。ヒトラーはポーランド侵攻直前の1939年8月23日、スターリンとの間にポーランドの分割を決めた密約、独ソ不可侵条約を結び、両国は大戦初期にポーランドの分割占領を実現していた。しかし、1941年6月22日ドイツ国防軍がこの条約を無視して突如ソ連に侵攻し、独ソ戦が始まった。当初はドイツ軍の奇襲作戦が功を奏したが、その後ソ連軍は反撃に出て、ワルシャワ蜂起が起こった当時、ソ連軍はワルシャワのすぐそばを流れるヴィスワ川の手前まで来ていた。それにもかかわらず、ソ連軍は兵を動かそうとはせず、ドイツ軍がワルシャワ蜂起を鎮圧するのを傍観していた。それどころか不十分な武装で蜂起したポーランド国内軍が心待ちにしていたフランスやイギリスからの支援も妨害し、ソ連軍が占領していた東部地区の航空基地を両国軍が使用することも拒否したという。

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