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長い旅に出て、過去を消して人生をリセットしよう
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投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 19 日 08:06:51: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


長い旅に出て、過去を消して人生をリセットしよう

政府が与えてくれた「10連休」を、旅で消化するのは悪い選択肢ではない2019.04.19
https://blackasia.net/?p=12633

2019年のゴールデンウィークは、新天皇の即位に伴って2019年に限って5月1日を祝日とすることが決まったので、空前絶後の「10連休」となる。長いバケーションを取る欧米人にとって10連休くらい大したことはないはずだが、日本人にとって10連休は相当な期間のように感じているはずだ。

せっかくの10連休だから、旅に出るという人も多いだろう。

全日本人がいきなり10連休を取るのだから、当然のことながら移動は大混雑だ。私自身はこの混雑があまり好きではないので、正月やゴールデンウィークや夏休みのようなシーズンはどこにもいかない。

しかし、こういう時しか休みが取れない人には、混雑を覚悟してでも「旅」に出ることを勧める。

私が一ヶ所にじっと潜むような生活に変転したのは、2006年以後にひどく身体を壊してからだ。それでも今でもふらりとどこかに出かけて「ここではない他の場所」に行く。それは人生の重要な儀式でもある。

旅は日常生活を遮断する。一定の習慣と日常が延々と続いて惰性になっている時間を、旅に出た瞬間に断ち切ることができるようになる。海外に出なくても、日本の地方に行ったり、違う都市に行くだけで新しい発見がある。(鈴木傾城)

「長い旅」と「短い旅」のこと

旅をすると、普段とは違う人と話し、違うものを食べ、違う場所を歩き、違うことに関心を持つ。そのため、気が付けば日常を忘れて新しい発見に夢中になる。その発見が、改めて自分を活性化することに気付く。それが旅の醍醐味だ。

ところで、旅と言っても「長い旅」と「短い旅」はまったく違うものである。長い旅は「今の日常を完全に捨て去る」ためにある。短い旅は「すぐ日常に戻るが自分の気持ちを解放する」ためにある。

かつて私は旅をするというのは半年から一年の単位で考えていたので、旅というのは常に長い旅を指していた。

その間、誰にも居場所を言うわけでもないので、私はしばしば半年以上「消息不明」になっていたということになる。日本に戻るとすればビザの更新だけの用事だったので、戻っても一週間もすればまた東南アジアに出た。

そうすると、気持ち的にも環境的にも旅を出る前の日常に戻れなくなる。

半年以上の長旅をするというのは、日常を捨て去るということだったのだ。日常を捨て去るというのは、仕事も、友人も、何もかも捨て去るということと同義だ。場合によっては、住処すらも処分する必要もある。

私の場合は半年以上の旅をする時、その間の家賃を支払うのも馬鹿らしいとは思ったのだが、長旅から戻って来て住処もない日々が続くのが嫌なので住むところだけは確保していた。

しかし、タイのバンコクで長旅をしていた他のバックパッカーたちに聞くと、多くは住む場所を処分していた人も多かった。日本に戻ったら親の家に転がり込むか、もしくはすぐに住み込みの仕事を探してそこに潜り込むと言った。

彼らは旅を終えても元の日常に戻る術がないので、新しい生活をそこから始める必要があったのだ。

「それも、いいかもしれない」と思ったこともある。

長旅は、人生をリセットしてくれる


もし今までの日常生活に完全に行き詰まり、未来がなく、絶望しか残らないのであれば、長旅は素晴らしくよい「人生の転換」になる。長旅をするというのは、日常を壊し、忘れ去るという意味で最大の効果をもたらすからだ。

半年以上も海外をさまよっていたら、日本に戻ってくる頃には間違いなく気持ちが以前と違っている。すべて処分して国外に出た人は「かつての日常」は痕跡すらも消えているからだ。

もし、過去を消したいのであれば、日本に何かを残しておくよりもすべて処分して身ひとつで海外に出た方がいい。住まないのに家賃を払い続けることの馬鹿馬鹿しさを回避できる。

生活の拠点がなくなって携帯電話も解約したりすると、必然的にどうでもいい人間関係はすべて消え去っている。

そうなると、戻る時には同じところに戻る必要性すらもなくなって新天地で心機一転の人生も遅れる。そこで人生をリセットして、また新たな人生をそこで組み立てていくことが可能だ。

長旅はその「人生のリセット」を環境的にも心理的にもしてくれるものなのである。

今の日常が自分の負担でしかない場合、その世界から抜け出すことに苦慮する人も多い。そんな人ほど長旅が効く。1年もその場所にいなければ良くも悪くも忘れ去られ、自分もその日常に未練が切れる。

長旅で知らない場所でいろんな人と出会い、いろんな別れを経験し、いろんな発見をしながら過ごし、気持ちが新たになったところで日本に戻って一からやり直す。それが長旅のメリットでもある。

振り返って見れば、私自身も長旅が終わって日本に戻るたびに、生活がリセットされていた。私自身はそれが気に入っており、特に問題を感じなかった。きっと、若さがそれを好んでいたのだろう。

しかし、事故や病気に見舞われて健康を失ってからは長旅は控えるようになって、その代わり、数日ほどの旅を年に数回するだけにとどめるようになった。

旅に出るというのは良い選択肢だ

こうした短い旅は、若い頃はなるべく避けていた。そんなせわしない旅は面白くないと思っていた。来たばかりなのに、もう帰ることを考えなければならない旅で何が得られるのだろうかと馬鹿にしていたこともあった。

実際、長旅をしている時、来たばかりなのにあと数日でまた日本に戻らなければならないという人とバンコク・ヤワラーの安宿で会ったこともあった。

この男は毎日休む間もなくあちこち出かけていた。旅に出て時間に追われていたのである。それを見て、「忙しくて可哀想だ」と思ったものだった。

確かに短い期間の旅行はせわしないかもしれない。

しかし、それでも自分がそうするようになって気付いた点があるとすれば、たったそれだけでも日常生活を遮断するのにはまったく問題がないということである。

たった数日の旅行でも、多くの発見ができる。知らないところを歩く喜びも充分に得られる。

そして、長旅と違って日常生活にダメージを与えることなく日常に戻ることもできるので、日頃の憂さを忘れて自分を解放したいのであれば短い旅の方がずっと良い。

長い旅が良いのか、短い旅が良いのかは、その人の人生でどれだけ日常が重荷になっているかによる。

本当に今の日常を捨て去りたいと決意しているほど行き詰まっているのであれば長旅に出る方がいいし、日常に戻りたいが一時的に遮断したいのであれば短い旅の方がいい。いずれにしても旅は日常を遮断する。旅に出るというのは良い選択肢だ。

まずは、政府が与えてくれた「10連休」を旅で消化するのは悪い選択肢ではない。もうスケジュールは立てているだろうか?

Have a nice trip!
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いい日旅立ち _ 山の向こうで待っている人とは…
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/283.html

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▲△▽▼

北海道の温泉に行こう
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屈斜路湖畔 三香温泉 その人気の秘密
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冬の信州の高原に行こう _ 美ヶ原高原
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温泉マニアの泊まりたい宿 No.1 小屋原温泉 熊谷旅館
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妙見温泉 どさんこ・和気湯
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安楽温泉 鶴の湯・朱峰
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中川隆 _ 温泉関係投稿リンク
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温泉ガイド情報
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/455.html

車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度
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コメント
1. 中川隆[-13802] koaQ7Jey 2020年2月14日 02:02:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-427] 報告
人生に行き詰まり、日々の生活に疲れたらどうしたらいいか

人生に行き詰まったらどうするか。日々の生活に疲れ、ストレスが鬱積し、それが徐々に自分の精神を蝕んでいく状況になったらどうするか。

私なら旅に出る。

私にとって旅は人生に欠かすことができないものだった。いや、私には人生そのものが旅だったと言っても過言ではない。

私が旅の生活から一ヶ所に潜むような生活に変転したのは身体を壊してからだが、それでも1年に3度、4度と旅に出て「ここではない他の場所」に行くのは私には重要な儀式でもある。

旅は日常生活を遮断する。一定の習慣と日常が延々と続いて惰性になっている時間を、旅に出た瞬間に断ち切ることができるようになる。
別に海外に出なくても、日本の地方に行ったり、違う都市に行くだけで新しい発見がある。

最近、私は大阪に恋い焦がれているので、ここ数年はずっと大阪と東京を行き来するのだが、東京に暮らす人間には、大阪に行くだけで言葉も食べ物も空気も「こんなにも違うものなのか」と感銘すら覚える。

旅と言っても、長い旅と短い旅はまったく違う

旅をすると、普段とは違う人と話し、違うものを食べ、違う場所を歩き、違うことに関心を持つ。

そのため、気が付けば日常を忘れて新しい発見に夢中になる。その発見が、改めて自分を活性化することに気付く。それが旅の醍醐味だ。

ところで、旅と言っても「長い旅」と「短い旅」はまったく違うものである。

端的に言うと、長い旅は今の日常を完全に捨て去るために効果的であり、短い旅は今の日常には戻るが自分の気持ちを解放するために効果的だ。

かつて私は旅をするというのは半年から1年の単位で考えていたので、旅というのは長い旅を指していた。

その間、誰にも居場所を言うわけでもないので、私はしばしば半年以上「消息不明」になっていたということになる。日本に戻るとすればビザの更新だけの用事だったので、戻っても1週間もすればまた東南アジアに出た。

そうすると、気持ち的にも環境的にも旅を出る前の日常に戻れなくなる。

半年以上の長旅をするというのは、日常を捨て去るということだったのだ。日常を捨て去るというのは、仕事も、友人も、何もかも捨て去るということと同義だ。場合によっては、住処すらも処分する必要もある。

私の場合は半年以上の旅をする時、その間の家賃を支払うのも馬鹿らしいとは思ったのだが、長旅から戻って来て住処もない日々が続くのが嫌なので住むところだけは確保していた。

しかし、タイのバンコクで長旅をしていた他のバックパッカーたちに聞くと、多くは住む場所を処分しており、日本に戻ったら親の家に転がり込むか、もしくはすぐに住み込みの仕事を探してそこに潜り込むと言った。

彼らは旅を終えても元の日常に戻る術がないので、新しい生活をそこから始める必要があったのだ。


半年以上の長旅をするというのは、日常を捨て去るということだったのだ。日常を捨て去るというのは、仕事も、友人も、何もかも捨て去るということと同義だ。場合によっては、住処すらも処分する必要もある。

長旅は「人生のリセット」をしてくれるものだ

逆に言えば、もし今までの日常生活に完全に行き詰まり、未来がなく、絶望しか残らないのであれば、長旅は素晴らしくよい決断になる。

長旅をするのは、日常を壊し、忘れ去るという意味で最大の効果をもたらすからだ。

半年以上も海外をさまよっていたら、否が応でも日本に戻ってくるとかつての日常は痕跡すらも消えてしまう。

半年から1年も日本に戻らなければ、日本に何かを残しておくよりもすべて処分して身ひとつで海外に出た方が残してきたものを心配しないで済む。

住まないのに家賃を払い続けることの馬鹿馬鹿しさもある。生活の拠点がなくなり、携帯電話も解約したりすると、必然的にどうでもいい人間関係はすべて消え去る。

そうなると、戻る時には同じところに戻る必要性すらもなくなって新天地で心機一転の人生も遅れる。そこで人生をリセットして、また新たな人生をそこで組み立てていくことが可能だ。

長旅はその「人生のリセット」を環境的にも心理的にもしてくれるものなのである。
今の日常が自分の負担でしかない場合、その世界から抜け出すことに苦慮する人も多い。そんな人ほど長旅が効く。1年もその場所にいなければ良くも悪くも忘れ去られ、自分もその日常に未練が切れる。

長旅で知らない場所でいろんな人と出会い、いろんな別れを経験し、いろんな発見をしながら過ごし、気持ちが新たになったところで日本に戻って一からやり直す。それが長旅のメリットでもある。

振り返って見れば、私自身も長旅が終わって日本に戻るたびに、生活がリセットされていた。私自身はそれが気に入っており、特に問題を感じなかった。若かったのだろう。

しかし、事故や病気に見舞われて健康を失ってからは長旅は控えるようになって、その変わり5日から10日ほどの旅を年に数回するだけにとどめるようになった。


長旅で知らない場所でいろんな人と出会い、いろんな別れを経験し、いろんな発見をしながら過ごし、気持ちが新たになったところで日本に戻って一からやり直す。それが長旅のメリットでもある。

生活に疲れたら、旅に出るというのは良い選択肢だ
こうした短い旅は、若い頃はなるべく避けていた。

そんなせわしない旅は面白くないと思っていた。来たばかりなのに、もう帰ることを考えなければならない旅で何が得られるのだろうかと馬鹿にしていたこともあった。

実際、長旅をしている時、来たばかりなのにあと数日でまた日本に戻らなければならないという人とバンコク・ヤワラーの安宿で会ったこともあった。

この男は毎日休む間もなくあちこち出かけていた。旅に出て時間に追われていたのである。それを見て、「忙しくて可哀想だ」と思ったものだった。

確かに短い期間の旅行はせわしないかもしれない。
しかし、それでも自分がそうするようになって気付いた点があるとすれば、たったそれだけでも日常生活を遮断するのにはまったく問題がないということである。
たった5日だけの旅行でも、多くの発見ができるし、知らないところを歩く喜びは充分に得られる。

そして、長旅と違って日常生活にダメージを与えることなく戻ることもできるので、非日常を味わって自分を解放したいのであれば、短い旅の方がずっと良い。
長い旅が良いのか、短い旅が良いのかは、その人の人生でどれだけ日常が重荷になっているかによる。

本当に今の日常を捨て去りたいと決意しているほど行き詰まっているのであれば長旅に出る方がいいし、日常に戻りたいが一時的に遮断したいのであれば短い旅の方がいい。

いずれにしても旅は日常を遮断する。人生に行き詰まり日々の生活に疲れたら、旅に出るというのは良い選択肢だ。
あなたは、旅をしているだろうか?


バンコク・カオサン通りの安宿。長旅をする若者たちはこうした宿に泊まる。ドミトリーであれば80バーツ(約240円)ほどで済む。

本当に今の日常を捨て去りたいと決意しているほど行き詰まっているのであれば長旅に出る方がいいし、日常に戻りたいが一時的に遮断したいのであれば短い旅の方がいい。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160921T0501110900.html

2. 中川隆[-13801] koaQ7Jey 2020年2月14日 02:05:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-426] 報告
すべてを捨てて逃げる _ 身分証明書も現金も携帯電話も何もかも捨てて家出して生きられるのか?


◆30年暮らした内縁の妻が最後まで誰なのか分からないまま死んでしまった2018.12.17

2018年12月16日。西日本新聞でひとつの興味深い記事が載っていて、私はこの記事にとても深く惹かれた。30年連れ添った内縁の妻が「今となっては、誰だったのか分からない」というのである。

2018年10月。取り壊しが予定されていた福岡県大野城市内のアパートの一室で、白骨死体が見つかった。このアパートには74歳の夫と53歳の妻がひっそりと暮らしていたのだが、死んでいたのは53歳の妻の方だった。

遺体はすでに白骨化していたのだが、死亡届は出されておらず、男の姿はなかった。死体遺棄であった。遺体の状況から、死亡して一年以上は経っていたのは確実だった。

やがて男は逮捕されたのだが、取り調べの結果、異様な実態が明らかになっていった。男は内縁の妻が死んでも葬儀には出さず、ずっとアパートの一室のベッドに安置していたのである。消臭剤を撒いて臭いをごまかし、ずっと妻の遺体と一緒に暮らしていた。

男はずっとこのままの状態で一緒に暮らすつもりでいたのだろう。しかし、老朽化したアパートの取り壊しが決まり、出ていかなければならなくなった。夫は仕方なく妻の遺体を放置して逃げたのだった。

2年間、白骨化していく妻の遺体と一緒に暮らしていたというのも衝撃的なことなのだが、問題はそれだけでなかった。男は、内縁の妻が何者なのかを知らず30年間一緒に暮らしていたのである。
https://blackasia.net/?p=10587


▲△▽▼


身分証明書も現金も携帯電話も何もかも捨てて家出して生きられるのか? 2019.06.07
https://blackasia.net/?p=13135

2018年に起きたありとあらゆる事件の中で、私が最も忘れがたく今でも気になっているのは、福岡県大野城市で起きた事件だ。

取り壊し寸前のボロボロのアパートに2年間放置された女性の遺体があって、70代の内縁の夫が逮捕されたのだが、この夫は妻が何者なのか知らなかった。

彼女は自分が誰なのかを夫にも言わず、病気になっても医者にもかからず、社会の底辺で、静かに、隠れるように生きていた。

(ブラックアジア:30年暮らした内縁の妻が最後まで誰なのか分からないまま死んでしまった)
https://blackasia.net/?p=10587

彼女は自分の身元を知られたくなかったから、重病を患っても病院に行くのを拒否した。そして53歳で亡くなった。

彼女は家庭があったはずなのだが完全に捨てていた。その家庭がどんなものだったのか、なぜ戻ろうとしないのか、なぜ捨てなければならなかったのか、彼女は何も語らないで消えた。

彼女は過去を抹殺したのだ。この執念と、もの哀しさを感じさせる生きざまに私は強くインパクトを受けて、今もずっと忘れられないでいる。(鈴木傾城)

「すべてを捨てて逃げてしまいたい」

日本での行方不明者の届け出は、ここ数年は8万件を超える状態で推移している。
年代別の推移を見ると、行方不明になるのは圧倒的に10代の男女である。事件に巻き込まれた不明者もいるが、この中には「家出」の不明者も多い。家出の場合、1週間から1ヶ月で帰ってくることもあるのだが、1年以上経っても帰ってこない不明者もいる。

当然、どこで何をしているのか分からない。

高齢者の行方不明も多いのだが、高齢者の場合は認知症が絡んでいるので事情が違う。高齢者の場合はどこかで保護されて、身元不明のまま施設に収容されているケースが多い。

20代も30代も40代も誰にも何も言わず消える人はいる。男性の方が多いのだが、女性も30%から40%を占める。女性の場合は、夫のDV(家庭内暴力)が原因で姿を消すのはよく知られている。

行方不明者がなぜそうなったのかは本人が見つからないので本当の原因は分からないのだが、自らの意志で消えてしまった人もいるということだ。

「すべてを捨てて逃げてしまいたい」

「過去から逃れたい」

「誰も知らないところで、はじめから第二の人生を送りたい」

そんな意志があったのだろうか。

消える意志を持ってしっかり準備して消える人もいるが、中には現金もそれほど持たず、身のまわり品も持ち出さず、誰にも何も言わず、携帯電話も持たず、まるで最初から存在しなかったかのように、ふっと居なくなる人もいる。

ところで、あなたが今から着の身着のまま、ほとんど現金を持たず、クレジットカードもキャッシュカードもスマートフォンもすべて捨てて、一切の身分証明書も持たずに、今から「家出」したとする。

誰にも何も言わず、住んでいる土地を黙って出て知らない場所に行く。過去を捨てて二度と戻らないつもりでいる。

あなたは、それを成し遂げることができるだろうか?

身分提示も必要ない日雇いの仕事

現金も大して持たずに家出したら、翌日からどうやって生きていけばいいのだろうか。現金が1万円や2万円くらいしかなければ、何もしなければ数日後にはもうホームレスになってしまう。

ホームレスとして生きるのであれば、それは1つの生き方ではあるが、多くの人はホームレスは避けたいはずだ。それは最後に堕ちる姿であって、最初から目指すものではないからだ。

泥棒や空き巣のような犯罪をするのでなければ、何はともあれ仕事を見つけなければならない。

もし、あなたがすぐに現金になるような仕事が欲しければどこに行くか。そもそも、身分証明書もなければ銀行口座もないような状況で仕事は見つけることができるのだろうか。

仮に、私が今この瞬間に人生のすべてを捨てて、福岡県大野城市の女性のように過去さえも消し去って、何も持たない状態でゼロから人生をスタートするとしたら、どうするだろうか。

今までの人生をすべて消し去って銀行口座も運転免許証も持たない人間ができる仕事などあるのだろうか。銀行口座も住所もないのであれば、身分提示を求められる今どきのネットカフェにも泊まれず、携帯電話の契約もできない。

私なら、東京を去ってすぐに大阪のドヤ街である「あいりん地区」に行く。身分提示も必要ない日雇いの仕事が路上で見付かるからだ。

東京の山谷や神奈川の寿町はすでに高齢者の福祉の街と化していて、ドヤはあるのだが仕事の斡旋が減っており手配師も相当数が消えた。日雇いの仕事は大阪の「あいりん地区」が手に入りやすい。

「あいりん地区」は、たまに大した用がなくてもぶらりと訪れることにしているのだが、今も朝の4時から5時にかけてワンボックスカーが何台も「西成あいりん総合センター」を囲むように止まっていて、日雇いの肉体労働の仕事が取れる。

仕事の内容は工事現場の補助、建設現場の解体、清掃業務、工事現場の交通整理、承認の梱包等だが、食事付きで一日働いて1万円にはなる。稼いだカネで、あいりん地区のどこかのドヤに潜り込めば、安いところで1泊500円からで生きていける。

厳しい生き方になってしまう

肉体労働は、相当に頑強な体力を持った人間でもキツい。そのため、普通のサラリーマンのように1ヶ月20日きちんと皆勤労働できるような状況にはなっていない。疲労が蓄積して動けない日も必ずある。

無理すれば身体を壊す。身体を壊したら保険証を持っていないので医者にもかかれない。そのため、肉体労働で働く場合は細心の注意が必要になってくるのだが、細心の注意は休息を十分に取ることでしか生まれない。

だから、あいりん地区で稼ぐとしたら1ヶ月12万円から15万円が日雇いの体力的な限度であると見た方がいい。しかし、それくらいの稼ぎがあれば、あいりん地区で延々と暮らすことが可能になる。

もし、身分証明書も銀行口座もないのにドヤの住民以上のものを目指すのであれば、違法の水商売や風俗の仕事をするしかない。

特に女性は、ドヤに潜り込んで日雇いで生きるのはなかなか難しいので、水商売か、風俗か、出会い系の売春でしのぐか、匿ってくれる男を捜すなどが主となるのは致し方がない。

通常、夜のビジネスは従業員も必ず顔写真入りの身分証明書が必要になる。つまり、運転免許証や、パスポートや、マイナンバー等が必要だ。しかし、違法の店はそうした身分証明書を提示しなくても潜り込める隙間がある。

男はホストやデリヘルの運転手やキャッチの仕事がある。女性は裏風俗の仕事で何か見つかる可能性がある。私がインタビューした女性の中には、身分証明書なしの女性がキャッチに相談して地方のソープランドに潜り込めたというのがあった。
日雇い以上のものを望むと、違法のグレーゾーンに入っていくのだが、それでも「まったく何も持たない状態で家出した場合」でも、社会の底辺では何とか生きていく手段がそれなりにあるのは間違いない。

ただ、どんな方法を取るにしても、今まで持っていた身分を捨てて新しい人生をひっそりと始めるのは、「身分証明」が絶対に必要な現代社会では厳しい生き方になってしまうのは間違いない。

福岡県大野城市で、内縁の夫にも何も言わないで静かに暮らし、誰にも過去を語ることなく死んでいった女性は、そんな世界で生きていたということだ。厳しい生き方だったに違いない。それでも彼女は過去を消したかったのだから、相当な十字架を抱えて生きていたのだろう。(written by 鈴木傾城)

今までの人生をすべて消し去って銀行口座も運転免許証も持たない人間ができる仕事は、あいりん地区が一番手に入れやすい。ただ、必ず手に入るわけでもないし、肉体労働は長くなればなるほど身体を痛めやすい。
https://blackasia.net/?p=13135  

3. 中川隆[-13767] koaQ7Jey 2020年2月15日 23:39:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-359] 報告

ポツンと一軒家 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%B3%E3%81%A8%E4%B8%80%E8%BB%92%E5%AE%B6









この社会から逃げたい! 誰も来ない山奥で、自給自足の生活に憧れる人々 2020年02月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1031.html

 

 「ポツンと一軒家」というテレ朝の番組が、多極化分散した現代にあって、指折りの高視聴率をたたき出している。
 20%という数字は、たぶんテレビ番組の少なかった半世紀前の視聴率だろう。

 
「ポツンと一軒家」が視聴者を釘付けにし続ける理由
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64461

  『ポツンと一軒家』、視聴率20%超え!“圧倒的” な支持を集める理由
 https://www.jprime.jp/articles/-/15372

  ポツンと一軒家 なぜ人気?
  https://totibaikyaku.com/2018/11/ikkenya.html

 上のリンクに紹介したように、さまざまな分析アプローチが出回っているのだが、私の視点は誰とも異なる。

 私が、「ポツン……」が、高い視聴率を獲得している理由と考えるのは

 @ 嘘のないドギュメンタリー番組であるということ。多くの視聴者は、テレビ局の、計算尽くの仕掛け、仕込みの嘘に飽き飽きしているのだ。
 どこのチャンネルを回しても、作られた嘘の番組ばかり……。もう見たくもない。
 もちろん、「ポツン……」にも、事前のリサーチや、仕掛けがあるに決まっているが、番組の性質上、計算された準備は、かえって邪魔でしかなく、番組構成を貶めるものにしかならないから、基本的に、「嘘のない番組」と認識させるだけのリアリティを持っている。

 A 実は、視聴者の多くが、自民党政権による増税に次ぐ増税、安倍政権による不正に満ちた、縁故主義や我田引水など、生活の圧迫から逃れたいと願っていて、山奥で、誰の世話にもならない自給自足の生活に憧れていると私は考える。
 ポツンと一軒家のなかでは、ありふれた人物が、公共交通機関などのインフラからはじき出された過疎の山奥で、創意工夫を凝らしながら、自給自足に近い生活を行っていて、誰にも邪魔されない自由な生活を満喫しているように見える。
 このことは、「ポツンと……」に魅入られた人々にとって、自分のかなえられる夢を実現している住人に対する、畏敬と羨望を与えているのだと私は思う。

 B 誰もが、静かな荒らされない自然のなかで、密かに生きてみたいと願っている。
 しかし、都会に住んでいれば、食べるものも、住む場所も、病気になったときも、葬式も、社会的常識という重荷に押しつぶされて、自由な自分の意思は「世間体」の前に通すことができない。
 だけど、医療機関などなくとも、どうせ死を免れないのだし、世間体に左右されない、自分の人生のなかで生きて、手厚い看護なんかいらないから、静かに死んでゆきたいと、実は多くの人々が心の底で願っているのではないか?
 「本当に自然な人生」がテレビ番組のなかに見えるのだ。100歳に近い老人が、誰の助けも借りずに、自然のなかで自然の一部であるかのように生きている姿は実に魅力的なのだ。

 少し、重複した内容になってしまったが、私は、人々が心の底で憧れ続けてきた人生を実現している人の姿に、強い畏敬心を抱き、もっと、その姿を見てみたい……と思う気持ちが、この番組の異常なほどの人気を作っているのだと思う。

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-298.html

  我々は、本当に必要な数百倍もの浪費生活を強いられていること
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-739.html

 何よりも、安倍晋三自民党政権の大増税が、どれほど底辺に生きる人々の生活を圧迫しているか? こんな苦しい生活から逃げたいと思っているか?
 自民党と竹中平蔵の進めてきた新自由主義が、ポツンと一軒家の視聴率を生み出していると思えないだろうか?

 逆にいえば、消費税のない、自由で解放された、豊かな生活に満足している人が大部分だったなら、たぶん、この番組が生まれることさえなかっただろう。
 自民党政権=安倍晋三と竹中平蔵がいる限り、ポツンと一軒家の人気は、どんどん高まってゆくのだ。

 私は、「集合無意識」について、何回か書いた。
 人は決して一人で生きているのではない。幸島と高崎山の猿だって、集合無意識を共有していることが知られた。
 https://www.nazotoki.com/hundredth_monkey.html

 人間が、集合無意識に支配されていることは、さまざまな証拠がある。
 上にリンクした「百匹目のサル現象」と、まったく同じことが人間界でも、野生動物界でも頻繁に見られるのだ。

 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/100sarugen.pdf

 だから、私は「安倍晋三と竹中平蔵は嫌だ!」という共通認識が、人間社会でも百を超えたとき、全国に伝播して、一斉に「安倍と竹中を追放しろ!」という具体的行動が、「星火燎原」のように、一斉に燃え上がるだろうと予想している。
 それまで芋を洗わなかった猿たちが、地域の壁を越えて、全国で一斉に芋を洗う習慣を持ったのと同じことが起きると信じているのだ。

 私は、「ポツンと一軒家」が示した、過疎地における自給自足、自律生活への憧れが、このまま「百匹目の猿現象」のように、大勢の人々に伝播してゆくものと予想している。

 時、奇しくも、新型コロナインフルエンザの劇的なパンデミックが始まろうとしていて、その致死率が5%を超えると報道されるようになり、糖尿病などの基礎疾患を抱えた人や妊婦、私のように間質性肺炎やCOPDを患っている者が、感染すると、致死率が50%を超える可能性もあって、そうなると、過疎の田舎に引っ込んで、人との接触を避けながら静かにパンデミックの嵐をやり過ごすことしか手がないので、そんな過疎の安い中古家屋の需要が増すだろうと思っている。

 今年は、絶望的な災厄の年になるという予言もたくさん出ていて、南海トラフの巨大地震や、世界経済大崩壊も避けられない事態となっていて、いずれも、大都市での生活が危機にさらされることになり、やはり安全な過疎の田舎での生活が重要性を増しているように思える。

 私の予測では、これから大都会の学校は、過疎地での廃校を利用した疎開生活をカリキュラムとして体験するようになるような気がしている。
 時代は、いずれも「大都会を離れよ!」と語りかけているように感じるのだ。 

  https://www.gifu-np.co.jp/news/20200212/20200212-214506.html

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1031.html

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