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(回答先: 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 18 日 10:37:19)
謝晋 芙蓉鎮 1987年
監督 謝晋
脚本 阿城、謝晋
原作 古華
音楽 葛炎
撮影 蘆俊福
製作会社 上海電影製片廠
公開 1987年
製作国 中華人民共和国の旗 中国
言語 中国語
動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8807762
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8809932
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8814407
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8816141
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8816911
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8818644
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8821276
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8825013
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8825693
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キャスト
劉暁慶(胡玉音):映画の主人公。文化大革命の政治的混乱に巻き込まれる若い女性。
劉利年(黎桂桂):玉音の最初の夫。
姜文(秦書田):玉音と恋に落ちる右派「ブルジョワジー」。
徐松子(李国香):芙蓉鎮の政治運動を取り仕切る党員。
『芙蓉鎮』は、文化大革命期の混乱を生きた若い女性の辛苦に満ちた人生を描き出した映画である。1980〜1990年代に現れた「傷痕ドラマ」 (zh:伤痕文学) の1つで、同期に受けたトラウマを描く。映画は上海映画作製所により制作された。
この映画は中国湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州永順県の鎮の1つ、王村鎮をロケ地に撮影されたが、これにより有名になった王村鎮は2007年、名を芙蓉鎮 (zh) に変更した。
あらすじ
文化大革命直前の1963年、中国・湖南省の南にある小さな町、芙蓉鎮。器量好しで気立てのよい胡玉音(フー・ユゥーイン)は人気者で、夫婦で営む米豆腐(中国語版)の店はおおいに繁盛していた。玉音の元恋人で党員書記の黎満庚(リー・マングン)や、復員軍人で米配給主任の谷燕山(グゥー・イェンシャン)も玉音を支えてくれる。昼も夜も夫婦で必死で働いたおかげで、店を新築することもできた。
しかし1964年、四清運動(中国語版)のため、党から政治工作班が送り込まれ、反体制者や資本主義者を追及、やり玉にあげ始めた。班は、独身女性の李国香(リー・グォシャン)に率いられており、それを手伝う王秋赦(ワン・チウシャー)は、飲酒癖のために土地を失った貧農である。党の大会で最初に攻撃されたのは、民謡収集や党への批判を理由として1957年の反右派闘争の際に「五類分子」と断じられ、皆にさげすまれていた秦書田(チン・シューティエン)であった。次いで玉音夫婦も「新ブルジョワ分子」として吊るし上げに遭ってしまう。玉音を親戚の家に避難させても国香の追及はやまず、夫婦は家も仕事も財産も失い、黎書記や谷主任も攻撃の的になって自己批判を強制される(この時、谷には玉音との不倫の嫌疑がかけられるが、谷は朝鮮戦争での戦傷が原因で不能になっていた事が判る)。親戚の家から戻った玉音は、夫の黎桂桂(リー・グイグイ)が国香の命を狙ったとされて死んでしまったことを知らされる。
1966年に文化大革命が始まると、玉音や書田らだけでなく、李国香も「ニセ者の左派」さらに「身持ちの悪い女」(古靴を紐に連ねて首から掛けさせる描写があるが、これは中国のかなりの地方で「身持ちの悪い女」を見せしめにする時に行われる習慣である)として激しい攻撃にさらされる。一方で王は「文革の忠実な戦士」ともてはやされ、支部書記となっていた。玉音は書田とともに街路掃除人へと追いやられ、谷は酒びたりに、黎は玉音を裏切ることで生き延び王の秘書になっていた。
書田は自ら道化て見せ、玉音をかばい、その嘆きを受け止め、看病もしてくれた。復権した国香と王の密会に気付いて少々のいたずらをし、ささやかな復讐も果たす。絶望の底にいた玉音に、もう一度米豆腐を作る気力を取り戻させたのも書田であった。
玉音は書田の子を宿し、結婚の許可を求めるが、党上層部は不吉な白い対聯を書かせる。涙を流す玉音に、書田は「考え方次第だ、とにかく二人は夫婦と認められたのだ」と気付かせる。二人の「結婚式」に列席してくれたのは谷だけであった。しかしこの結婚は国香の不快を買い、書田は懲役10年の労働刑に、玉音は懲役3年のところ執行猶予で芙蓉鎮での労働刑に処せられる。書田は玉音に「豚になっても(何があろうとも)生き抜け」と言い残して労働改造に連行される。
大きなお腹で労働に耐える玉音をこっそり手助けしたのは、一度は彼女を見捨てた町の人々であった。玉音は、谷の手助けで生まれた子に谷軍(グゥージュン)と名付け、じっと耐えて見守り育てる。
1979年、文化大革命がようやく終わり、玉音の名誉は回復され、家もお金も返却される。帰ってきた書田と、再び芙蓉鎮に赴任してきた李国香が同じ船に乗り合わせたのは皮肉であった。まさにそのとき、芙蓉鎮党支部だった王の古い家が川に崩れ落ちてゆく。
玉音と書田の米豆腐の店は、15年前と同じように繁盛している。その前を、もはや正気を失った王が、「政治運動の始まりだ」と不気味な声を響かせながら通ってゆく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%99%E8%93%89%E9%8E%AE
▲△▽▼
言わずと知れた中国映画の最高傑作で,文革の悲劇を正面から描いた初めての作品。文革という狂気の嵐が地方の小さな町で如何に荒れ狂い,善良な人々を悲劇のどん底に落としていったかを,小さな料理屋を営んでいた一人の女性・胡玉音の受けた幾多の苦難を通して描く。その嵐の中を耐え忍びながら生き抜いた彼女の感動の物語でもある。
1963年(文革が始まる少し前),芙蓉鎮という小さな町。市が立つ日に玉音(ユイイン)が夫の桂桂と開く米豆腐屋は大繁盛し,彼女は町の男たちの人気の的にもなっていた。国営食堂の女店主・李国香はそれをずっとねたんでいて,その後,しばらく町を離れていたが,県の政治工作班長に昇格し「四清運動」の指導のために再びこの町に戻って来たときに,国香(グオシアン)は集会で玉音夫婦をブルジョア分子と決め付け,玉音を援助する仲間たちをも批判の対象にするのだった。
玉音は,汗水流して一生懸命働いて貯金もし,家も新築した自分たちがなぜ非難されなければならないのか納得がいかず,「ひき臼の柄がすり減るほど,鍋底に穴があくほど働いたのよ。私たち人を搾取した?」と夫に泣きながら訴える。
難を逃れるため一時,田舎に避難していた玉音が町に戻ってみると,夫は処刑され,玉音を支援してくれていた仲間たちも職を奪われたり自己批判させられていた。さらに,新築の家と1500元の貯金も没収されていた。
そして1966年に文革が始まると,「新富農」と認定されていた玉音は,労働改造のため右派分子の秦書田と一緒に早朝の道路掃除をさせられることになる。
秦(チン)と玉音は雨の日も雪の日も毎日毎日,朝早くから石畳の道を竹ボウキで掃除し続ける。玉音は党の命令に従い決められた掃除をして,毎日を耐え忍ぶことしかできない。一方,秦は”♪1,2,3・・ ♪1,2,3・・”と踊りながら道を掃く。これが秦のできる,文革に対しての唯一の「反抗」だった。玉音は秦の人柄をだんだんと理解し,いつしか二人の間に愛が芽生える。
しかし,文革は愛し合う二人の間をも容赦なく引き裂く。玉音が身ごもったため秦は党に結婚嘆願書を出すが受け入れられず,逆に反革命分子として裁判にかけられ,秦は懲役10年の刑に処せられることになった。判決のシーンがこの映画のハイライトで,絶望した玉音を勇気付けるために秦があの有名なセリフを言う。「生き抜け。ブタのように生き抜け。牛馬となっても生き抜け。」と。文革当時,身に覚えのない理由で投獄されたり迫害された数多くの人たちは,本当にこう思いながら耐え忍んだのだと思う。
その後,玉音は前と同じように道路掃除をしながら,秦の帰りを待ち続ける。そして,1979年,文革が終了して3年経ち,玉音と秦の名誉も回復され,玉音は新築の家と貯金を返してもらい,また元と同じように米豆腐屋を今度は秦と始めるのだった・・
ハッピーエンドで終わったかに見える転回に,謝晋監督が皮肉を入れている。秦が,出所して町に帰るために乗り込んだフェリーボートの中で偶然国香に出会うところだ。文革前や文革中に,町の革命派のリーダーとして好き勝手に人々を苦しめた国香は,文革後も,失脚することなく,逆に県の幹部から省の幹部に昇格していた。きまり悪そうな国香は秦に「同志」と呼びかけるが,秦は「私も同志ですか?そう呼ばれちゃ面食らっちゃうな」と笑い飛ばす。文革の責任の所在,本当の総括はまだ終わってないよと謝晋監督は当局に訴えたかったのだろう。
(1987年上海映画製作所/監督:謝晋/出演:劉暁慶,姜文,徐松子(李国香),劉利年(桂桂)/サロンシネマ,2000.12.8renewal)
http://www.enjoy.ne.jp/~shinji-n/eiga-3.htm
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