日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは── – 2019/2/20 林 千勝 (著) https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E7%AD%96%E8%AC%80%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%A0-%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%81%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AF%E2%94%80%E2%94%80-%E6%9E%97-%E5%8D%83%E5%8B%9D/dp/4898314813/ref=sr_1_2?qid=1559859790&s=books&sr=1-2&text=%E6%9E%97+%E5%8D%83%E5%8B%9D内容紹介 なぜ、「平和」は「戦争」に負け、第二次世界大戦が勃発したのか。 なぜ、避けることが可能だった日米戦争が起こったのか。 その不条理を追究し、偽りの歴史を暴く! 戦争を企んだ「国際金融資本家・ロックフェラー」と「好戦家・ルーズベルト」。そこにつけこむスターリン・コミンテルンなどの国際共産主義運動の策謀。 その危険性を見抜き、彼らと対峙したフーバー。
そういった、アメリカが攻め込まれない限り、戦争はしないという「不干渉主義者」だったフーバーたちは「孤立主義者」と貶められた。 日本では、フーバーとも会ったことのある近衛文麿は、尾崎秀実、風見章、牛場友彦、松本重治、白洲次郎らを初めとする「問題人物」を手玉にとったつもりで、実は「ピエロ」としての役割しか果たせず、自滅し敗れ去って行った‥‥。 前作『近衛文麿 野望と挫折』に続く、渾身のノンフィクション大作
(著者の言葉) → 世界は今も戦争の危険と恐怖が絶えません。 「なぜ、人類は戦争をしなければならないのか?」。 私は、現実的な観点から平和な世界をつくる手がかりを探る試みとして、本書を世に問います。 ルーズベルト、フーバー、近衛の動き、ロックフェラーの関与を並列的に叙述しました。 日米共通の歴史認識が必要との問題意識がそうさせたのです。 プロローグ──なぜ、人類は戦争をするのか
第一章 ロックフェラーの世紀 「世界大戦」の惨禍 ロックフェラーの世紀 油売りから帝王へ 巨大財団 光と影 太平洋問題調査会という魔宮 第二章 悪魔の使い ルーズベルト 悪魔の使い アメリカ共産党 社会主義的な経済運営 干渉主義 武器貸与法という策謀 ドイツを挑発 日本を追いつめた共産主義者たち 第三章 平和の天使 フーバー 平和の天使 共産主義への警戒 不干渉主義 欧州戦争の始まり 「悪魔の使い」との闘い 第四章 「平和」が「戦争」に負けた日 チェックメイト 天使の日本理解 極東部長の対日政策 日本圧迫! 騙された天使たち 「腹切り」への「生贄」 第五章 「平和」が「戦争」に負けた訳 藤原(近衛)文麿というピエロ 蠟山政道の昭和研究会 太平洋問題調査会が演出した訪米 大抜擢、謀略 風見章の日本革命 尾崎の足音 松本と白洲の影 牛場友彦の牙城 「英米本位の平和主義を排す」! 「平和への努力」のふり ソビエトは討つな! 陛下の避戦を覆せ! 裏切りの真珠湾攻撃 第六章 顚末と苦難 ピエロの執念 ピエロの死 再始動 悪魔の使いの死 第二次世界大戦の惨禍 世界の苦悩 エピローグ──「平和」が「戦争」に負ける訳 _____
カスタマーレビュー
澤間譲治 コミンテルンと国際金融の動きを知らずして大東亜戦争の実相は把握出来ない 2019年3月12日
F.Dルーズベルト政権がコミンテルンに汚染され、国際共産主義と言うグローバリズムに動かされて戦争に向かって其の政策が収斂されて行くプロセスを、フーバー前大統領著『裏切られた自由』を丹念に追いかけながら実証しています。 一方、日本側の近衛内閣に於いても全く同様に主要ポストがコミンテルンに占領され、日華事変を限りなき拡大に巻き込んで行く実態が見事に描かれています。 そして両国のコミンテルンの背後で、彼等を操る存在として、ロックフェラーを始めとした国際金融の存在があった事を其の人的ネットワークを実証的に引用しながら分かりやすく説明されています。 特に日本に於けるコミンテルンの活動については、ゾルゲ事件の主人公である尾崎秀実を筆頭に、風見章、有沢広巳、西園寺公一、蝋山政道らを実名で挙げて、其の所業が述べられおり、国際金融に繋がる者として松本重治、牛場友彦、白洲次郎等との人間関係が近衛文麿を要とした位置付けで展開された様子が明らかにされています。 日本側の登場人物の中では近衛文麿、風見章の動きが『敗戦革命』『敗戦利得者』と言う言葉と結びついて特に印象に残ります。 近衛は敗戦革命によって平安時代の摂政の地位を得んとし、夢破れて死去(自殺か他殺か?)。 風見章は戦争開始前に疎開し、戦後は公職追放の処分を受けるも1955年に社会党に入党、日中国交回復国民会議理事長、世界平和評議会評議委員等を務めて、其の健在振りを示した。 此の本では真珠湾攻撃が日本の運命にもたらした負の側面を明確に述べられているが、其の決定プロセスに登場する永野修身、米内光政、山本五十六についての筆者の視点も大変参考になる。 従来に無かった視点からと、既にヴェノナ文書等で明らかになった視点を合わせて、実証的に描かれた画期的な著作だと思います。戦後レジームと言われるものの実態と、平和を成立させる世界構造を考える上での必須の歴史に残る書籍になるのではないでしょうか? 著者が冒頭に述べられている本書の目的を引用して、私の当該書籍への感想文と致します。 『世界は今も戦争の危険と恐怖が絶えません。「なぜ、人類は戦争をしなければならないのか?」私は、現実的な観点から平和な世界をつくる手がかりを探る試みとして、本書を世に問います。』 ____
bilderberg54 5つ星のうち3.0 最大の謎:国際資本主義者がなぜ国際共産主義者とタッグを組んだか? 2019年3月31日
ロックフェラー財閥が、資金援助したIPR(太平洋問題調査会)と日本に巣食った近衛内閣の内閣書記官長だった風見章など国際共産主義者との交わりを研究した本。 風見らの国際共産主義者は、近衛内閣のなかで日本の反共勢力を牽制するために、日本が北進せず南進するようにけしかけたり、中国国民党の蒋介石との和平を阻害しようとする。 IPRは、国際資本主義者と国際共産主義者が交わる場でもあり、日本の大陸進出政策には反対的だった。 戦後、戦前のIPRの中心人物で、国際資本主義のグループに属する人々がロックフェラー家の支援を受けて、戦後日本の親米勢力としての立て直しを行う。 IPRは、マッカーシーの赤狩りの際に、国際共産主義者の巣窟だったとして閉鎖に追い込まれている。 林千勝はこの本を書く上で、「国際共産主義者」(ルーズヴェルト、ノーマン、風見)らと「国際資本主義者」(ロックフェラー)そしてその間で権力を維持した近衛文麿一派(松本、牛場など)の3つの勢力に便宜上区分し、両者を天秤にかけたはずの権力志向の近衛がピエロだったとしている。 この本でも明らかにされなかったのが、国際資本主義者があまりにも安易に国際共産主義者を受け入れたことに対する謎解きだ。国際共産主義者が浸透するのが上手かったのか、国際資本主義者もまた国際共産主義者を利用していたつもりになっていたのか、そのへんの謎解きがないのが残念だ。 この辺の話は、いわゆる陰謀論者は「ロックフェラー万能説」に、右派の歴史修正主義者は「コミンテルン万能説」に傾いていると思うが、実際はどうなのか、この辺の絡み合いを解き明かさないと、第二次世界大戦のなぞは解けないと思う。 国際共産主義の恐ろしさをいち早く気づいた、ハーバート・フーバーの慧眼は称賛すべきだが、なぜロックフェラーが終戦時まで容共だったのか、がわからない。だからこの本は星3つ。 赤狩りを経て、アメリカの資本家たちも、表向きは反共になっていく。その中でロックフェラーはソビエトとしっかりビジネスをしていたわけで、資本家の方が一枚上手だったと私は思うのだが。 ____
オージッタ 昭和10年代の日米関係史は本書を基に書き変へられなければならない 2019年5月23日
いはゆるグローバリズム(国際金融資本主義)とコミンテルンに代表される共産主義が同根であつたことは、昨年自裁した西部邁氏が生前、チャンネル桜の討論会などで指摘してゐたし、また近年では馬渕睦夫氏が''ディープ・ステート''といふキーワードでいくつかの著作の中で同様の指摘をしてゐる。しかし、日米関係史の具体的な史実としてこれを明らかにしたのは本書が初めてではないか。 本書の前半ではフーバー米元大統領の「裏切られた自由」を丁寧に引用しながら、ルーズベルト政権が如何に「帝国主義戦争を内乱へ!」といふレーニンの敗戦革命テーゼを地でいく共産主義勢力に影響され、戦争への道に突き進んだか、またフーバーがこれを阻止しようしながら惜しくも挫折した経緯が描かれてゐる。 後半では著者の前著「近衛文麿 野望と挫折」に引き続き近衛内閣のブレーン達の暗躍を暴いてゐるのであるが、前著が近衛と一心同体であつた確信的共産主義者の風見章を中心に展開されてゐたのに対し、本書では同じ近衛の側近のなかでも英米派とでも呼ぶべき牛場友彦、松本重治、白洲次郎らの動向が詳細に記述されてゐる。 キーワードはIPR(太平洋問題調査会)である。この戦前・戦中・戦後を通して一貫して反日イデオロギーの砦であつた民間シンクタンクに牛場、松本、白洲らが深く関はつてゐたのである。 IPRについては昨年刊行された江崎道朗氏の「日本占領と敗戦革命の危機」の中でもアメリカ側IPRにいかに多くの共産主義者が浸透してゐたかが触れられてゐる(同書p.70「コミンテルンはいかにしてIPRを乗っ取ったか」を参照のこと)が、本書では日本側IPRには上記英米派とともにゾルゲ事件関係者の尾崎秀実や西園寺公一ら共産主義者も関はつてゐたことが明らかにされてゐる。 本書の第一章ではこのIPRにロックフェラー財団がいかに多額の援助をしてゐたかが述べられてゐる。そして松本、牛場、白洲らはそれぞれ親の世代から国際金融資本と深い繋がりを持つてゐたのである。 ずばり本書の肝はp.204に掲載されてゐる近衛内閣のブレーン達の人物相関図である。実は評者は昨年8月末、千葉県佐倉市で行はれた著者の講演会で示されたこの図を見て急ぎメモをとつたが、翌日FBにアップしたレポートではこの図の詳細は伏せてゐた。本書が今春刊行されることが予告されてゐたからである。 ↓ https://www.facebook.com/100004141752702/posts/1115001441981237?s=100004141752702&sfns=mo この図を傍らにハーバート・ノーマンやトーマス・ビッソンらGHQに巣食う共産主義者の動向を重ねて近衛上奏文を読めば、準備万端整へて極東軍事裁判に臨まうとした近衛が何故出頭当日、昭和20年12月16日の早朝に怪死しなければならなかつたのかといふ実相が見えてくる。 かくして昭和十年代の歴史はこの図を基に書き変へられなければならない。 55. 中川隆[-9801] koaQ7Jey 2019年6月07日 07:24:57: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2639] 報告 ▲△▽▼ 近衛文麿 野望と挫折 – 2017/11/24 林千勝 (著) https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF-%E9%87%8E%E6%9C%9B%E3%81%A8%E6%8C%AB%E6%8A%98-%E6%9E%97%E5%8D%83%E5%8B%9D/dp/4898314651/ref=sr_1_2?qid=1559855342&s=books&sr=1-2&text=%E6%9E%97+%E5%8D%83%E5%8B%9D 内容(「BOOK」データベースより) 昭和天皇、陸軍、尾崎秀実、東条英機らを操り、敗戦革命を計画。 戦後、一転してマッカーサーに取り入り、天皇退位を画策。 復権を試みた近衛だが、彼のシナリオは思わぬところで破綻した。 内容紹介
現代史を覆す、決定的真実に迫る! 渾身のノンフィクション大作 一挙書き下ろし770枚!! 近衛は自殺したのではない! 実は謀殺だった!? 近衛は、単なるポピュリストに非ず! 用意周到に己の野望を実現するための布石を着々と打っていた── 近衛は、首相時代は赤色分子(風見章・尾崎秀実ほか)を重用し、「敗戦革命」を夢見つつ、戦争末期には近衛上奏文(反共宣言)でアリバイ工作。
そして戦後はいち早くマッカーサー詣でをして、自ら改憲の音頭をとり、あわよくば昭和天皇を退位させて親米政権を樹立しようとしました。 勢力均衡の中で生き抜いてきた公家の名家としてのDNAをフル回転しての巧みな遊泳術ともいえます。 あと一歩で、その目論見が成就する寸前、それに危機感を抱き、挫折させようとした勢力がありました。 彼らは、近衛を東京裁判の被告人の席に追いやり、そして永遠に葬ろうとし、実現するのです。 近衛を葬ったのは誰だったのか? そうした知られざる近衛の全生涯を、「自殺」とされる謎にまで踏み込みつつ、描ききったのが本作品です。 ──彼は、極めて自己本位的に利用できるものは、昭和天皇でもコミュニストでも自分の子供(文隆)でも見境なく利用しました。
青酸カリを使っての「自殺」とされている彼の荻外荘での最期の日々の数々の矛盾や不可解な行動も本書で解き明かしていきます。 こういう叙述で、近衛の生涯を追求したノンフィクション作品は、初めての試みといっていいかもしれません……(「はじめに」より)。 カスタマーレビュー
オージッタ 近衛文麿の死によつて東京裁判は成立した 2018年1月10日
この正月に昨秋より保留してゐた江崎道朗「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(PHP新書)と林千勝「近衛文麿 野望と挫折」(ワック)の2冊の書籍をほぼ同時に併読・読了した。 昨年8月刊の江崎氏の本については、すでに高い評価がなされてゐるので、ここでは詳しくはふれない。ただ11月末刊の林氏の著作との関連で云へば、江崎氏の本の最後は「おわりにー近衛文麿という謎」となつてゐるが、まさにちやうどその謎を解いたのが林氏の本だといふことができる。 これまでにも近衛内閣の戦争責任にふれた書籍はいくつか読んではゐたが、いづれも隔靴掻痒の感があつた。それらのなかでは中川八洋「近衛文麿の戦争責任」(PHP)が一番はつきり近衛の戦争責任を指摘してゐたが、あまりにも衝撃的なその内容は俄かには信じ難いものがあつて、とりあへずはひとつの仮説として受け止めてゐた。 ところが平成28年5月号の正論に掲載された林氏の「支那事変と敗戦で日本革命を目論んだ者たち」といふ論文を読んで驚いた。 近衛内閣で内閣書記官長(現在の内閣官房長官)を務めた風見章といふ人物が一貫して確信的な共産主義者で、後にゾルゲ事件で逮捕される尾崎秀実らとともに、陸軍参謀本部の事変不拡大・和平の方針に反して、朝日新聞などのメディアを使つて戦意を煽り、泥沼の日中戦争に導いたといふではないか。 その背景には「帝国主義戦争を内乱へ」といふレーニン以来のコミンテルンの方針があつたといふ。 いはば中川氏の仮説に風見章といふ補助線が引かれ近衛内閣の戦争責任が実証されるに至つたのである。そして、今度の林氏の書籍では、近衛内閣をめぐる様々な人士一人一人に吟味を加へ、結局近衛と風見は一身同体であつたと結論づける。かくして仮説は完全に証明されたのである。 江崎氏は先の本の末尾で晩年の近衛に親しく接した井上日召の言を引いて近衛の性格の弱さを指摘し、その弱い近衛が勇気を振り絞つて告白したのがあの有名な近衛上奏文であるといふ。 しかしこれは林氏の今回の証明からすれば、噴飯物で、近衛は初めから一貫してナチスのヒトラーに憧れたファシストで、全体主義のためには偽装した共産主義者の風見らをも利用したのである。 しかしながら敗戦が色濃くなるに至つて、ほんたうに敗戦革命が起きてしまふかもしれないとおそれ、自らの戦争責任を陸軍と共産主義者に転嫁するために近衛上奏文を書いたのである。 そして終戦後はマッカーサーに取り入つて、実は自分は平和主義者であると装はうとした。 ところがGHQ内の路線争いから突如戦犯として扱はれることとなり、さうなると、裁判で近衛上奏文の内容が公けにされてしまふ。 かくして近衛の出頭直前突然の死は GHQ内とかつて近衛内閣に協力した共産主義者にとつて都合のよいものであつた。東京裁判(史観)は近衛の死によつて成り立つたといふのが、林氏の書の意味するところだらう。 これこそがあるべき歴史研究のあり方! 2017年12月1日 戦前戦後の日本外交・政治の中枢である近衛文麿は、いままで「優柔不断」、「弱い人間」などの言葉で取り繕われてきた。 それは彼の真相を知る手掛かりが、GHQや国際共産主義者に徹底的に抹殺されたことや、真相を知る人物らがそうゆうプロバガンダを流してきたことが原因と思われるが、著者は長年、決して本質を見せてはくれない資料を丹念に読み込んで、わかりうるわずかな輪郭を元に、真の近衛文麿像を抽出することに成功した。 戦前日本の外圧の真相が明らかになる反面、内部から呼応した人々の研究は進んでいない。この著書は内部から鍵を開けた最重要人物の真実を暴き出した瞬間であり、戦後レジーム脱却の大きな一歩となると思う。このような研究をただひたすら真摯に取り組んでこられた氏に敬意を表します。 kei-toshie ルーズベルトに日米戦争を引き起こさせる要因を作ったのは近衛文麿だったのか! 2019年2月23日 最近の殆どの著書は「日米戦争はルーズベルトによって引き起こされたのであり、日本人が仕掛けたのではない。」とするものが殆どである。では「何故ルーズベルトをその気にさせたのか?」が良く分からなかった。 但し、ルーズベルトが日本の行動に対して不満な要因が少なくとも二つあった。 一つは昭和12年に支那事変から始まった日中戦争の長期化(太平洋戦争終戦までの8年間)であり、もう一つは昭和15年に締結した日独伊三国同盟であった。 支那事変に関しては、当初支那(国民党)側から停戦の申し入れがあったが、近衛は「国民党は相手にせず」と言って拒否したことにより戦争は長期化していく。 三国同盟に関しては松岡洋右の考えを支持し、積極的に支持した。 私は支那事変が長期化したのは、近衛の責任だと思っていたが、今回この著書を読み、その背景には近衛内閣を支える共産分子である尾崎秀実や岡見章がいて、彼らが支那事変の長期化を熱望していたことがわかった。 第一次近衛内閣の閣僚の中に尾崎秀実や岡見章がいる。 又第二次近衛内閣の中には松岡洋右がいるのである。 したがって、尾崎秀実、岡見章、松岡洋右、等々がルーズベルトに日米戦争を引き起こさせたと言っても過言ではない。 (但し彼らの上司は近衛文麿であった。) 過去に読んだ本の中で{昭和20年2月に近衛文麿は「敗戦は遺憾ながらもはや必至」と昭和天皇に戦争終結を提案した。}とあり、良い提言をすることもあったなと思っていました。ところが、今回「近衛上奏文」(263頁)を読み、戦争終結提案は、自分の保身のための様々な提案の中の一環であることが分かり私としては怒り心頭に達しました。 終戦を迎えるに当たっても、マッカーサーやGHQに昭和天皇の配置転換や憲法改正等々、自分に都合よい事ばかり提案しています。これを読んでいて近衛文麿と言う人物に嫌気がさしました。本人は自殺したのか他殺だったのか知りませんが、このような卑怯な人間は死んで当然だと思いました。近衛文麿についてこれだけ詳細に書いて下さった著者に感謝を申し上げます。 プライベートもパスワード 「ノンフィクション」と捉えても過言ではない。「テロルの決算」以来の読み応え有り。 2017年12月20日 近衛文麿の「ノンフィクション」と捉えても過言ではないこと。ここまで調べあげた筆者の執念に完敗(乾杯)。 沢木耕太郎の「テロルの決算」以来の読み応えが有りました。 登場人物が沢山出てきて、人物相関で混乱した人もいるかと思います。 戦国時代に例えるなら、まだ登場人物は少ない方。 筆者は、キーマンとなる人物を登場させては、すぐに「近衛文麿」に話を戻す点は実に巧妙である。 「近衛文麿」は“いったい”何がしたかったのか? そもそも戦争をしたがる人間がこの世にいるのか? 近衛文麿は若き頃、「英米本位の平和主義を排す」という論文を著し、国際関係の革新を唱える一方で、陸軍と共産主義者に戦争責任の全てを押し付ける。そして天皇退位までもくろむ。 近衛にとっての共産主義者とは誰なのか? 尾崎秀美? 風見章? 風見鶏?(ダジャレ) この書物はそれらを少しずつ明らかにしていく。 読者は常に“どうしてそうなったか”の理由(根拠)が知りたい。その点では、この本は充分に期待にそえる。 「近衛文麿」は自殺では無く、暗殺されたのか?誰の手によるものか? 「大東亜戦争」とは何だったのか。「第二次世界大戦」とは何だったのか。 筆者は「第二次世界大戦」という言葉を使用していないが、「第二次世界大戦」で連想する世界共通の答えは、老若男女問わず「パールハーバー」、「ヒトラー」、「アンネの日記」、「アウシュビッツ」、「ノルマンディー」、「ヒロシマ・ナガサキ」です。 残念ながら、「近衛文麿」の名は出てきません。 日本でも同じ。中学生に聞いたら「アンネの日記」、「ヒロシマ・ナガサキ」です。 やはり「近衛文麿」の名は出てきません。 本書では、「近衛は内外の諸勢力から、国民から、天皇から、歴史から世絶されたのです。」と言及しています。 話は第一章に戻します。
いきなり「近衛文麿」の祖先である「藤原鎌足」の話から始まります。実に面白い。 私が知り得た「藤原鎌足」は、百済最後の王の「扶余豊璋(ふよ ほうしょう)」であったという説があります。日本の統治は天皇血族であり続けるべきであるという「厩戸王(うまやとおう)」(聖徳太子)を押しのけ藤原氏だけの世を作り出したが、「近衛文麿」は、まるで同じ行動ですね。 真偽は歴史研究家にゆだねるとして、筆者は読者をグイグイと導いてくれます。 本書では、「近衛文麿」は戦争責任を逃れるため「大化の改新のごとくと称して東条英機の暗殺を説いた」としています。 然しながら、わからないことが多いのがこの「近衛文麿」。 第二章では、なぜスパイであるゾルゲと親交深かった共産主義者の尾崎秀美を重用したのか、にメスが入ります。それを少しずつ解き明かしてくれます。 諜報者としてではなく扇動者として利用していく過程を、です。尾崎の志と才能を利用していく過程は実に判り易い。
「近衛文麿」は自分をヒトラーに重ね合わせ、何をしたかったのか。 悪い見方をすれば、目的を達成させるには、共産主義者であろうが、利用する。 一方で、「秋丸機関」に治安維持法で検挙されていた者が参加していたことを考えると、政治や宗教感に左右されることなく多くの人材を集めた、とも考えられます。 「秋丸機関」については、筆者の「日米開戦 陸軍の勝算」に詳細が書かれておりますが、本書でも第三章で少しふれています。 「秋丸機関」には他国の調査をすべく、国ごとの研究班が存在したことは「日米開戦 陸軍の勝算」で明らかにされていますのでご一読意をお勧め致します。 ベトナム戦争で例えるなら、 @北ベトナム政府の思惑 Aソビエトの思惑 B南ベトナム政府の思惑 Cアメリカの思惑、 といった四通りの考え方が存在したハズです。この四通りの考え方を把握してこそ、戦争の原因が見えてくると考えます。 無学な私の個人的感想ですが、「大東亜戦争」の始まりは、「満州事変」なのか、「日中戦争」なのか、「パールハーバー」なのか、それすら判りません。 いずれにせよ、日本が参戦する過程で「近衛文麿」を抜きに考えられないことを本書で知りました。 第四章では、いよいよ「真珠湾攻撃(パールハーバー)」に触れます。
最終章では、「近衛文麿」が、利用した共産主義者や昭和天皇に戦争責任の全てを押し付け、自身には責任が無いこと、終戦に努力したこと、に奔走します。 ポツダム宣言の履行後に天皇の退位を画策したり、利用してきた共産主義者の企図を告発したりで、多くの協力者の信頼を失ったのではなかろうか。殺されても仕方がない。 現代社会に照らし合わせると、このような人物は「やはり」います。会社でウロウロしています。いつの時代も変わらない。 上長に良い顔して自分には非常に甘い人。すごく社内で嫌われています。 現代のテクノロジー社会では電子データのファイルを“クリック”ひとつで消すことができます。一方、関係者の回顧(録)を消す削除キーがないところが人間たるゆえんである。筆者は、様々な事実や証言を少しずつ積み上げて、真実を明らかにした点で功績は大きい。 織田多宇人 中臣鎌足を祖とする名家藤原北家の藤原道長の末裔、貴族社会の頂点に位置していた近衛家の御曹司近衛文麿の意外な人生のノンフィクションの作品に圧倒された 2018年2月1日
中臣鎌足を祖とする名家藤原北家の藤原道長の末裔、貴族社会の頂点に位置していた近衛家の御曹司近衛文麿の意外な人生のノンフィクションの作品に圧倒された。 以前著者の講演会で近衛文麿の周りに巣食う共産主義者の話を聞いた時に意外な事実にびっくりしたことがあるが、この本を読み、近衛が己の名誉と栄光を手にするために、天皇陛下でも共産主義者でも自分の子供でも見境なく利用したと言うことが分かり、衝撃を受けた。 昭和12年6月に大命降下を受けて総理大臣になる三箇月前に近衛は仮装パーティーでヒットラーに扮した。このことを政治評論家の阿部真之助は『文藝春秋』昭和12年7月号で 「十年前、左翼華やなりし頃は彼の姿が自由主義より、もっと左に寄った位に映ったのであるが、今では時代と共に、漸次右へ移動して、自ら国家社会主義者と公然と名乗るのを辞さないまでになった。 彼が仮装会で、ナチス独逸のヒットラーに扮したのも、仮装の裏に、彼の本心が潜んでいたのだった。林大将の後に、ヒットラーを気取る近衛が出て来て、どうして世の中が、後戻りしたと言うことが出来るのだ」 と辛口に評している。 近衛は第一次近衛内閣の要である書記官長に抜擢した共産主義者風見章や後にゾルゲ事件で逮捕されるソ連のスパイ尾崎秀美、その他の革命児たちを周りに置き、支那事変を解決不能にこじらし大東亜戦争へのレールを敷いて行ったと言っても過言ではない。 それでいて、戦争責任は被らないように用意周到の準備をし、戦後の覇権を掴もうとした。 結果的には思っていたようなシナリオ通りにはならずに戦犯容疑者としてGHQから逮捕命令が出され、巣鴨拘置所への出頭日の前に青酸カリ自殺を遂げた。著者は青酸カリ自殺には疑問を抱き近衛は薬殺されたのではないかと推理している。 近衛のシナリオ通り行かなかったのは、GHQ対敵諜報局調査分析課長ハーバート・ノーマンの、義理の伯父に木戸幸一内大臣を持つ都留重人や、(すでに近衛から心が離れていた)家族ぐるみの付き合いのあった風見章からの詳細な情報の提供による近衛への心証が大きく影響していたようである。
風見章は近衛の側近として共に戦犯となってもおかしくないが、戦後は中国共産党との交流の日本側窓口のトップとして歓迎され、「日ソ協会」副会長、「日中国交回復国民会議」理事長に就任し政界の親中親ソ派を率いている。 自虐史観と謝罪外交の元祖たる風見の戦後の事績は、そもそも近衛が風見を内閣書記官長に抜擢したことの置き土産である。このような近現代史を見つめ直し、背筋が寒くなる思いと我々自身の迂闊さへの気付きを共有することが必要だ。 himawari 闇 2018年11月20日 ch桜討論で林千勝さんの意見を聞き興味が沸きました。 なぜ真珠湾へ行ったのかはアメリカルーズベルト批判から始まった開戦への疑問。 これまで日本側からこれを分析する本は出ませんでした。 林千勝先生「日米開戦陸軍の勝算」は決定版と言えるような内容。 本当の闇の部分山本五十六周辺の情報は無いのですが、公開情報を元に陸軍側から見た理詰めの勝算分析を示しています。 もちろん本当の闇は公開情報からは出てきません。 我々ができることは公開情報を元にした分析。秘密情報なしでも十分に当時を知ることができます。 本の評価から言うと「日米開戦陸軍の勝算」が10に対して「近衛文麿野望と挫折」は5くらい。 両方とも所謂陰謀論ではなく、文献を元に分析を加えています。 最初に読んだのは「近衛文麿野望と挫折」、これを読めば両方の内容が読めるという討論上での林先生の説明があったのでこれにしましたが、不足を感じたので「日米開戦陸軍の勝算」も読みました。
「近衛文麿野望と挫折」は近衛文麿という淡い個性が扇の要となり日米開戦まで引っ張って行ったという意見。 自分はこれはカモフラージュではないかと思っています。 中心議題は日米開戦に至る人物の行動分析。 主要人物の行動分析を行うことでこれからの研究の土台作りになっています。 一番心に残ったのは敗戦後の秋丸次朗、有沢広巳の行動。 秋丸機関を反戦平和のための機関だったとして、その業績自体を全否定しています。 定期的に会合を開いて口裏合わせをするという念のいりよう。
有沢広巳は共産党シンパになり「日本はアメリカには感謝し続けよう中国には謝罪し続けよう」と言い続けます。 そして研究成果、蔵書のすべてを中国共産党に寄付します。 なぜ秋丸機関の提言は実行されなかったのか(大東亜戦争という名称をはじめとした一部は実行されたのですが)。 鍵は欧米植民地支配、人間支配の手法にあります。 彼らは家畜を支配するがごとく巧みに人間を支配します。 日本の中枢、東京に彼らの代理人工作の実行者が隠れていたのではないでしょうか。 どんなに巧みな計画を立てても中枢にいる人間に逆方向へ走らせます。 ルーズベルトにとってジャストタイミングの真珠湾、ミッドウェーは指令が正確に伝わっていたことを示しています。 代理人の正体は不明ですがキリスト教徒国際人であることは間違いないと思います。 そして東京にいる人。 ガダルカナルでの役割を終った山本五十六はアメリカ軍機に追い回されて殺されます。 口をふさぐ必要があると判断されたのでしょう。 戦後日本は敗戦へ導いた黒幕たちの支配が強まります。 秋丸次朗も有沢広巳も変節を余儀なくされました。 秋丸次朗、有沢広巳にとって秋丸機関こそが一生に一度の大仕事。 それが終わった後はどうでもよかったのだと思います。 もちろん作戦が実行されて日本軍が勝利したなら活動は継続したはずです。 端から作戦を壊してしまう人物がいる日本軍。 二人とも絶望したでしょう。 北京に送った蔵書などは有沢広巳にとってはゴミだったのではないでしょうか? すべては秋丸機関に掛けたのだと思います。 わずかな資料から林千勝がよみがえらせた昭和史。 日本人はここから出発する必要がある。 戦後日本は東条英機を大悪人に仕立て、「ニイタカヤマノボレ」山本五十六の神格化が図られます。 国士応援 本書の評価自体は難しいが、アメリカの対日観が滲んでいる・・・(ネタバレあり) 2018年3月3日
前作「日米開戦 陸軍の勝算」(祥伝社新書)で紫電一閃、卑屈なアメリカ追従史観を斬り捨てた英才、林千勝氏の最新作ですが 存外、評価が難しいです。 近衛文麿が天皇陛下にも、ご皇室にも大した敬意を払っていなかっただろうことは良くわかりましたが 「そもそもソ連の「黒幕」と通謀していたのか?」という事は証拠隠滅(林千勝氏によれば)もあって状況証拠のみです。 概略は @ 近衛文麿は公卿政治家として、日本を支配しようとしてきた。 A 日本支配の布石のために国内の動乱を必要とした近衛は、国外のシナ事変、国内では共産主義を利用し、後には対米戦争を画策する。 B 近衛はソ連をかばうためにソ連への侵攻を企図した「北進論」ではなく、列強のアジア植民地へ侵攻し、列強と対立せざるを得ない「南進論」へと舵を切らせた。 C 近衛文麿が共産主義の傀儡だったことは、「アジア解放のための資本主義の打破」 という公約演説に集約されている。 D 近衛は個人的な野望でアメリカとの戦争を画策した、本来、日本はアメリカと対立する要素はなかった 大体、まとめるとこんな感じですが この@とAは状況証拠のみでよくわかりません。
Bはいささか無理があり、ABCD包囲網で資源獲得に苦しんでいた日本が重要資源の生産地である南方進出を企図するのは国防上の必然であり、 逆に北に侵攻してソ連と対峙した場合、資源を手にできる可能性はほぼなく、加えて冬の満州の−20℃よりもはるかに低気温の−40℃地帯のロシアで、貧弱な対寒冷装備しか持たない帝國陸軍が有効な組織戦闘を展開できるとも思えず、何より南方地域を攻略しないでソ連を攻めるとすれば、満州から内蒙古、外蒙古とほぼ単線の補給線しか確保できないので北進は地獄になるでしょう。 Cの資本主義の打破という言葉も、冷戦が顕在化した後の「資本主義陣営」という言葉とはかなり様相を異にし、「植民地の収奪と囲い込みによる、持てる国の経済」という意味合いが強い言葉でした。 それに対して、挙国一致して資源を計画的に戦力増強に振り分け、国内の完全雇用体制から強国として列強のブロック経済を破壊して自給自足の経済、アウタルキーを目指すというのが、植民地支配国から締め出された日本やドイツなどの生き残りをかけた戦略でした。 ヒットラーでさえ、「ドイツ社会主義労働党」から出てきた事を考えれば、 当時の資本主義の打破=共産主義勢力というのは無理があるでしょう。 このあたりの事情は前作の「日米開戦の真実 陸軍の勝算」に詳しいので林千勝氏の方が私より良くご存じだと思います。 D のアメリカと対立する要素は無かったは、全くの暴論で アメリカの外交官ジョージ・ケナンはその著作「アメリカ外交50年」で誠実に述べているように「十年一日のごとく日本に嫌がらせをした」のであり、 シナ事変において蒋介石に指示して日本を泥沼のゲリラ戦に引き込み、さらに莫大な援助によってそれを助けていました。
シナの戦争の仕方がどのようなものであったのかと言えば 東中野 修道氏の著作「南京虐殺の徹底検証」によれば、 シナに常時いくらでも存在している流民を駆り集めてきて、塹壕を掘らせて銃器を持たせ、その脚を鎖でつないで動けなくして、帝國陸軍を足止めさせる。 足止めした所を、戦を監督する「督戦隊」が機関銃で味方ごと撃ち殺す。 という酷薄な使い捨ての奴隷制軍隊を用いていました。 目的は帝國陸軍に勝つことではなく、日本の国力を削ぐために日本男児をけずる事であり、アメリカは奴隷戦術をシナ人に仕込みながら、日本には常に「公正で人道的な対応」を求めて、あらゆる宣伝、空言を用いて効果的な戦術を封じました。 対米戦争の印象が強いせいで、シナ事変の困難は忘れられがちですがアメリカ自身がこれより後に、ベトナム戦争のゲリラ戦で七転八倒した後に、あらゆる価値観がひっくり返され、分断された不安定な国家に堕していった事を考えれば、大日本帝國の損傷は決して小さくは無かったでしょう。 日本男児の強さと、責任感、人々を守らんとする優しさ、に頭が下がります。 倉山満氏も最近、似たような近衛文麿が諸悪の根源、といった本を出していましたから、おそらくアメリカあたりのはやりの学説なのだと思いますが、 根本的に「ヴェノナ文書」によってルーズベルト・ホワイトハウスがソ連共産党の意のままに操られていたという事を認められない連中がこじつけた感が拭えません。 アメリカの本音とすれば 「日本が無傷のまま北進を決めて、我々がそれに乗っかっていれば日本に多大な苦痛だけを押し付けつつ、アジアに進出し莫大な権益をただ取りできたのに・・」 という所でしょう。それに対して 「日本が滅びるならば、犠牲となるのは女子供だ。日本男児ならば誰でもそれを座視するよりは、己の身を擦り潰す事になっても刃を抜かずにはおかぬ。武士の時代から今に至るまで何も変わらない」 と笑って言い返すべきでしょう。 特に不利な立場に立たされているなら、尚の事、気概をもって現実を乗り越える強さを希求する必要があるのですから。 56. 中川隆[-9800] koaQ7Jey 2019年6月07日 09:00:08: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2641] 報告 ▲△▽▼ 日米開戦 陸軍の勝算 (祥伝社新書) – 2015/8/1 林 千勝 (著) https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E9%96%8B%E6%88%A6-%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%AE%E5%8B%9D%E7%AE%97-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9E%97-%E5%8D%83%E5%8B%9D/dp/439611429X/ref=sr_1_3?keywords=%E6%9E%97%E5%8D%83%E5%8B%9D&qid=1559859231&s=gateway&sr=8-3 内容紹介 ■負けはしない戦争だった! 七十年前のあの戦争は、本当に無計画で非合理なものだったのか。 開戦を決意した陸軍は無謀にも、勝算のない戦いに、やみくもに突入したのか。 そんなはずはない。 近代史を研究する著者は「陸軍戦争経済研究班」の報告書を詳細に調査し、少なくとも陸軍は、科学性と合理性に基づいて開戦に踏み切ったことを知る。 秋丸機関と呼ばれた研究班は、第一級の英才を動員し、英米の経済力を徹底研究。 報告書に基づいて策定された戦争戦略は、大本営政府連絡会議に上げられたのだった。 報告書の真相は戦後、意図的に歪曲化(わいきょくか)され、闇に葬られた。 そこには何が書かれていたのか。報告書の真の意図を探り、戦後の常識に一石を投じる驚愕(きょうがく)の研究書! 出版社からのコメント
戦後70年。 あの戦争はどうやって始まったのか。勝算は本当になかったのか。 なぜ、負けたのか。 改めて検証する動きが各所で行なわれています。 著者はある重要な研究報告に着目し、それを徹底研究することによって、開戦の謎を解き明かしていきます。 陸軍の科学性と合理性が開戦の決断を促した! 事実をもってそう結論つける過程がスリリング! 現代史の常識に一石を投じる、知的興奮の書! ____
カスタマーレビュー
うさぎ1919 山本五十六はハニートラップに掛かったのか。 2018年1月12日
本書には日米英開戦に先立ち、国家総力戦で勝利するため陸軍が立案した大戦略の作成経緯が詳述されている。 この折角の大東亜戦争開戦の大戦略「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」を破壊したのは、山本五十六連合艦隊司令長官ですね。 開戦劈頭の真珠湾攻撃は、そもそも「腹案(行動計画)」には無かったし、この愚策により米国世論は「リメンバー・パールハーバー」の大合唱となり米国を参戦に導いた。 その後の「ミッドウェー海戦」や「ガダルカナル攻防戦とソロモン海戦」も「腹案(行動計画)」には無く、あまりの錯誤と稚拙ゆえに大敗北となった。 まるで意図して帝国海軍を破滅させようとしているようではないか。 山本五十六は工作員か、あるいはフリーメーソンかと囁かれるのも無理はなかろう。 山本の愛人は、16歳年下の芸者鶴島正子と、20歳年下の新橋芸者河合千代子の二人が良く知られている。これら愛人を囲う費用の出所はどこかの疑問はあるが、両名とも日本人芸者であり外国のハニートラップとは断定出来ないだろう。 しかし「見えざる日本の支配者フリーメーソン」という著書には、山本にはフランス女との間に男児の隠し子があったとの記述がある。証言者は「ダフニス・スワンソン」という戦前から日本在住のスウェーデン人で、元香港ロッジのパスト・グランド・マスターのメーソンだという。 ジャーナリストの問いに、スワンソンが答えた肝心な部分を以下に抜き出します。 スワンソン;私、山本五十六長官に会っているんですよ。
ーーー山本長官に会っているんですか。
スワンソン;終戦前ですよ。どうしてかというと、山本長官の息子が私と同じ学校で、私、彼の家に何回も行ったことがあるんです。山本さんはこれがね (小指を示して) いたのですよ。正式の奥さんでは無かったが、私は、その息子と同級生だった。 ーーー長官のお子さんだったのですか。
スワンソン;フランス人の女性との間に出来た子供、ビリー・ヤマモトという名前でした。私はアメリカンスクールに通っていて、これは1933年の卒業のときの写真です。これがビリー・ヤマモトです。この人は公認の戸籍には入っていないでしょう。(これが卒業アルバムです。と言って見せてくれた)
ーーー確かにヤマモトと書いてありますね。アジア人系の顔でハーフのような端正な顔のビリー・ヤマモト。
スワンソン;ビリー・ヤマモトは田園調布に住んでいたんですよ。お父さんの家です。私は、このビリーと大変仲が良くて、よく家に遊びに行っていたのですよ。そしたらお父さんが帰ってきて「おい」って「誰だ」っていう。山本五十六だった。他にも同級生でハル・ライシャワー夫人がいます。(ほら、ここですとアルバムを示す) ここにいますよ、 ハル・マツカタ 松方ハルさん。
松方ハル(後のライシャワー駐日米国大使夫人)は1933年に「アメリカンスクール・イン・ジャパン」を卒業している。この年に18歳の同級生ビリー・ヤマモトがいたとすれば、1915年山本五十六31歳の隠し子であろう。
山本の年譜を見ると、1909年にアメリカに駐在、1911年に海軍大学校乙種学生を卒業すると海軍砲術学校と海軍経理学校の教官になり、同僚の米内光政と盟友になるとある。(米内光政は無類の女好きでロシア女との間に隠し子がいたはずだ) 山本が1909年からの滞米時期か帰国後にハニートラップに掛かったのか、若干30歳程の海軍士官にフランス女を囲う費用の出所はどこか。山本五十六には、もっと明らかにされるべき下半身の秘密があるようだ。 読書家 『勝算が実際に正しかったか』が重要なのではない 2016年12月11日 本書はよくある、後知恵で『こうしてれば勝てた』的な他人事批評本ではありません。 『陸軍の勝算』とタイトルにあるので、軍部賞賛家が書いた敗けた戦争の言い訳本か、という先入観を持ってしまいそうですが、そんな本でもありません。 実際、敗けたので『勝算』は立てていたが見通しが甘かった、というのが厳然たる事実です。 ただ、本書で重要なのは『見通しが正しかったか』、ではなく『日本は合理的に、開戦した場合としない場合の分析を行い、具体的で勝算の十分にある戦争遂行プランと終戦に至るまでの戦略を持って、開戦の判断を行なっていた事実があった』ことで、 それは、一般に周知されている『日本は陸軍を中心とした軍部が暴走して何の勝算も無く無謀な戦争に国民を追いやった』という通説とは全く異なっている、ということで、それが戦勝国アメリカによって意図的に改竄されたものであった、ということです。それも戦略を立てた当事者達に隠蔽、改竄工作を主導させるという徹底ぶりで。 それが終戦直後にGHQによるWGIPの中で行われていただけでなく、2011年になっても日経新聞のような権威のある新聞の一面で、秋丸機関の報告に関する嘘のプロパガンダ記事が掲載された、ことに代表されるように、今もマスメディアが自分達の信念である陸軍、軍部悪玉論を覆す史実の証拠を必死に隠蔽、改竄していることが、本書の扱う内容が今私達が当事者として直面している『自分達やその子供達が誇りを持って生きていけるか』という問題であることを示しています。 GHQによる焚書も驚愕の事実でしたが、本書の内容は思想戦が今も続く我が国の厳しい現状を改めて痛感させられます。 ただ、合理的な戦略が立てられていても、それが実行されなければ絵に描いた餅なので、海軍、山本五十六長官によって開戦時に政府決定していたプランが滅茶苦茶にされてしまったのが事実であっても、それを許した日本の組織運営の非合理性や統制力の弱さは、正に国の存亡をかけた総力戦を戦うにあたっては致命的であったということだと思います。 それは、現在日本においても厳然として存在する問題ですが、和や義理人情を尊ぶ日本人の良い点と裏腹な面もあるので、一概に悪い点としてあげつらうような単純な話ではないですが、今後も弱肉強食の国際社会を日本が生き抜いていくためには目を背けずにしっかり研究していくべきことだと思います。本書ではその点は踏み込まれていないので、今後の著者の研究に期待したいです。 本書は、これまで流布されてきた通説を覆す史実を世に知らしめる、ということだけでなく、それを証拠となる一次資料を掲載することで説得力を持たせていること、論旨も悪戯に情緒的にならずに事実を冷静に分析してわかり易いことが、素晴らしいと思います。 職業としての研究者ではない中で、これだけの研究をされて書籍化された著者には敬服します。 西尾幹二さんのGHQ焚書図書開封シリーズと合わせて読むと本書では簡単にしか触れられていない点もその根拠や真意がより理解できてよいと思います。 本書を多くの人が読まれることを願い、その際に当レビューの冒頭に書いたような誤解を受けないよう、当レビューが役に立てば何よりです。 にゃんこもち 陸軍悪玉論を問い直す 2018年2月2日
70年前のあの戦争は、本当に無謀な戦争だったのか? 無計画な一部の指導者が、アメリカを相手に、勝算のない戦争をはじめてしまったのか? 当時の陸軍には、優秀な経済学者を集めたシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」(通称、秋丸機関)があった。その報告書によると、日本は科学的な調査・研究に基づき、開戦に踏み切ったことが明らかになった。 秋丸機関では、米英との戦争に備え、日本が「総力戦」をいかに戦い抜くかが研究されていた。国家の経済力の観点から、日米英の国力を比較し、戦争の期間や規模、戦費や動員兵力、資源調達能力、輸送能力などを子細に分析、何度もシミュレーションを行っていた。 その結果、同機関は、以下のような負けない戦略を考え出したという。 ・米国との戦争は極力避ける ・統制経済により、資源を軍備に集中させる ・主戦場を太平洋ではなく、インド洋に設定する ・インド洋に展開する英国軍を屈服させる ・英国の敗北により、戦意を喪失した米国と早期に講和する ・講和後、日本は大東亜共栄圏の維持・発展を図り、自国の資源不足を補う そして、日本が持久戦に耐えられるのは、長くて1年半から2年と試算。その後の長期戦を有利に戦えるかどうかは、広域経済圏、すなわち大東亜共栄圏の運営にかかっているとした。 ではなぜ、太平洋ではなく、インド洋なのか? 当時のインド洋は、米英にとって軍事と経済の大動脈であり、通商・資源の輸送ルートになっていたからだ。敵の部隊をたたくより、輸送路を遮断することで継戦能力をくじく作戦である。極めて合理的な判断だったといえよう。 ここで注意すべきなのは、あくまで主戦場は東アジアだった、ということだ。戦後、GHQの洗脳教育により、先の戦争は「太平洋戦争」と呼ばれた。いかにも太平洋で戦っていたような印象があるが、本来の呼称は「大東亜(東アジア)戦争」であり、それが当時の閣議決定でもあった。 しかし、事態は思わぬ方向へ進んでいった。こうした陸軍の戦略をぶち壊したのが海軍であり、なかでも連合艦隊司令長官の山本五十六だったと著者はいう。 1941年12月8日、海軍がハワイの真珠湾を奇襲したことで、米国との戦端が開かれたわけだが、前述したように、秋丸機関の報告書に「真珠湾」の文字はない。山本は当初、真珠湾攻撃により、米国の士気をくじき、講和に持ち込もうと考えていた。 だが、結果は裏目に出た。米国民の戦意は猛烈に高揚し、日本は貴重な戦力を東の太平洋に割く羽目になったのである。これを著者は山本の「暴走」と見る。 その後のミッドウェー海戦での大敗北を見ても、日本軍は米国の挑発にまんまと乗ってしまったような感すらある。日本は、陸軍が想定していた東アジアへの西進戦略もままならないうちに、対米戦へと舵を切った。戦線は大幅に拡大し、少しずつ敗戦への道を歩み始めたのである。 世間には「陸軍は無謀で不合理、海軍は先進的で合理的」と、頑なに信じている人もいるかもしれない。本書に書かれていることがすべて正しいとは思わないが、歴史をより多面的に理解する意味でも一読をおすすめしたい。 himawari 具体案は描けたが人間支配で負けた日本 2018年11月19日 粛々とこの作戦を遂行すれば勝てた戦いでした。 何故に勝てなかったか? アメリカによって中枢部が支配されていた結果です。 裏切るトップがいる国が日本。 日露戦争の大借金でアメリカの影響力、金融支配が強まります。 日露戦争自体が日本ロシア双方に送り込まれた工作員によって引き起こされた可能性が高い。 徐々にですが中枢部まで支配されてしまった日本。 関東大震災時には工作がなされた可能性が高い。 官僚軍人の無謬性を謳うことで日本は工作を防げない国になってしまいました。 戦後日本は東条英機を大悪人に仕立て、インパール作戦の無謀。「ニイタカヤマノボレ」山本五十六の神格化が図られます。 それらがすべて嘘だとわかるのがこの本。 戦前の工作はひどいのですが、アメリカによって書かれた戦争史は日本人の誇りを奪いました。 正義感を持って戦った歴史が忘れ去られてしまった。 鴨 面白い視点、ただし歴史はご都合では動かない 2018年8月13日
陸軍の世界戦略の勝算と真珠湾奇襲による破滅に関する視点については政治・軍事系まとめサイトなどで時折見かける書き込みの中にあり、信頼に堪えない書き込みが多い中では自分が納得できるものだと思っていました。 これは良くある山本元帥スパイ説や無能説を裏付ける説得力を持つ内容だと思っています。 ただ面白い説だと認めた上で私は全面的には賛同はできません。むしろ否定的です。 仮説を立てることは自由でありそれを表現することは素晴らしいことです。しかしそのためにありがちなことが自説に都合の悪い事実に蓋をしてしまうという危険性です。 現に自然科学の分野でもデータの改ざんが頻繁に行われているという報道がなされている現状があります。 この本に関してもその匂いがすることを感じざるを得ません。 私は軍事関係者ではありませんが、割合本格的なシミュレーションゲームを長期間行ってきています。そのために一応戦略的な思考を持っているという自覚があります。 その点から言わせて頂ければ、この論を疑心なく支持できるためにはいくつかの前提条件が必要となると思います。 一、真珠湾奇襲を行わない場合、絶対にアメリカが大戦に参加しないこと。 一、ドイツが優勢を維持していること。 一、時代の変化と戦略、戦術の変化に適合すること。
アメリカの参戦については真珠湾奇襲の実施如何に関わらず、恐らくかなりの確率で、あっただろうと推察します。
当時アメリカの参戦が無く、もし英国がドイツに屈し、ドイツの傘下に下った場合、アメリカは第三帝国と正面で対峙しなければなりません。 この事態を看過できるかということになります。 アメリカにモンロー主義があったとしても南北アメリカ大陸に外部の勢力の手が及ぶ場合、それ(モンロー主義)を維持できたかどうかいささか疑問が生じます。実際南米諸国にはナチスの政治的謀略工作が活発に起こされています。 モンロー主義とはアメリカ南北大陸のブロック経済圏を意味します。ここが浸食されるされるわけですよ。 日本が真珠湾を攻撃しなくても、アメリカはいずれ何らかの形で参戦する口実を作り上げるとみた方が合理的ではないでしょうか。 アメリカが対独戦に参戦したいという意向があるとすれば、ドイツと同盟関係にある日本が南・東南アジアへの進出を行っているという名目で、同盟国英国を支援する目的をもって十中八九参戦してきただろうと私は考えています。 次に当時のドイツの情勢ですが、1941年末には攻勢において陰りが見られるようになります。実際日本が参戦した後モスクワ攻略に失敗しています。 したがって中東での合流は難しかったのではないかと判断せざるを得ません。 攻勢限界点の知識がおありならこの事態の意味を理解すべきだと思います。 本書が批判する海軍の真珠湾攻撃の意図も私には意味があるように思えます。 史実を見れば山本元帥の真珠湾攻撃の博打は成功しました。その結果半年程度の時間を稼ぐことができ、その間日本軍は後背の危険を心配することなく初期の戦略目標を達成できています。 もし真珠湾攻撃を実施せず、マリアナで米艦隊を待ち受けていたら確かに勝てたかもしれませんが、損失もかなり被っていた可能性が高いと思います。第一、機動艦隊がマリアナに貼り付けになり他方面の作戦に使えません。アメリカの機動艦隊が健全ということになれば初期の南方作戦において連合国は簡単に降伏しなかった可能性があります。 加えて、当時の南洋群島の陸上攻撃機の数は数十機にすぎず、陸海共同での航空作戦は不可能。 ミッドウエイ海戦では、米軍は100機以上の陸上機と200機以上の空母艦載機(これだけで日本海軍とほぼ同戦力)で待ち受けていたわけです。アリアナで待ち構える想定においては機動部隊ワンセットしかなく、こういう状況にならないのです。 結論として、ハワイを攻略せずして日本の勝機(敗北しないということも含め)はない。これが私の見解です。 ハワイを占領しなければ、ハワイを基地とした米潜水艦による通商破壊戦や、空母によるヒットエンドラン攻撃に常にさらされます。実際史実ではこの通りになりました。 日本軍は海戦劈頭ハワイの敵艦隊をたたき一時足止めをし、アジア各方面での作戦を完遂したのち可能ならばハワイを占領するという作戦大綱に切り替えたとみるのが正しいのではないでしょうか。 誤算はミッドウエイの賭けに負けたことです。 ミッドウエイに完勝する必要があり、敵空母を殲滅する必要がありますが、ハワイを占領できた場合、ハワイに基地航空隊を重点的に配備し、空母艦隊とで待ち伏せすれば2セットの戦力配置が可能となります。 これにより逆ミッドウエイの防御態勢が敷けることになりハワイが奪還されることはなかったかもしれません。 そうなればここで初めて講和を俎上にあげることが可能となるからです。 ハワイを攻略できていたらアメリカによる潜水艦攻撃の損害は激減し、日本軍の兵站線は切られることがなく、補給も維持されます。兵站兵站としか言わない戦略家気取りの無能人間さんにも少しは納得できるような結果は上げられたと思います。 (この人達は旧日本軍が無能とするなら、それより遙かに無能で国にとっての害悪だと思いますが・・・) もう一点。よく批判されることですが、日本がなぜ戦線を拡大したのかということ。 これは航空機の性能(航続距離とペイロードの拡大)によるものです。本土で米軍を待ち伏せるということは当時の日本には難しかったでしょう。イギリスは本土決戦においてドイツ空軍に勝利しますが、それでも大損害を受けます。 重要なことは英軍には後方支援があり、物資には困らなかったということです。 レーダーに劣っていた日本はそういう作戦は立てられませんし補給もありません。 前進し、そこから相手に打撃を与えるという前進戦略は全く間違っていませんし、漸減作戦の本質を変えたものでもありません。時代を超えた同義の作戦行動なのです。 日本には勝機があった。作者とは全く違う意味でですが。そういう感想です。 一応戦略ゲームぐらい遊んで、効率的に勝利できる結果をもって世界情勢を眺めてみたらとお勧めしたいと思います。 ただ、本書の意図は日本に合理的な判断があり、決して無謀な戦争に国民を追いやったものではないということを述べることであると思います。戦後レジーム・戦勝国史観に対する反証の一石としては支持したいと思っています。 ビールもう一本 歴史修正主義の面目躍如かね 2015年8月17日
歴史修正主義者というのは陰謀大好き、特務機関大好き、という人間が多く、山本五十六スパイ説まで紹介している。 武藤軍務局長、その下の岩畔軍事課長というラインは、中期的には開戦不可避と考えていただろうが、1941年のこの当時では陸軍省内部では避戦派だった。ハルノートを巡っては、岩畔は武藤の意を受けて訪米し、外交的に戦争回避に向けて交渉した人物である。 ハルは後に、岩畔をして「岩畔大佐は日本陸軍の美徳と欠点を併せ持っていた」と評したという。 (イワクロ.comを参照) 避戦派であるかれらの要請に基づいて設置された秋丸機関がどのような性格を帯びたものであったかは、明らかであろう。秋丸自身が戦後、 「対英米戦の場合、経済戦力の比は20対1程度と判断するが、開戦後二年間は貯備戦力によって抗戦可能、それ以後は我が経済戦力は耐えがたいと言った結論であった。 すでに開戦不可避と考えている軍部にとっては都合の悪い結論であり、消極的平和論には耳を貸す様子もなく、大勢は無謀な戦争へと傾斜したが、実情を知るものにとっては薄氷を踏む思いであった。」 と回想しているのである。ところが、歴史修正主義者である筆者によれば、これは秋丸の「嘘」になってしまうのである。 回想録には、時間の経過とともに合理化や美化が入り込むことは考えられるが、 回想録を第三者から正反対の「嘘」と断定されてはかなわない。 41年の10月には、海軍も1から2年は何とかしてもその先はわからないといい、企画院も燃料は1942年の半ばで枯渇する、徴用船も2年で不足することになると主張しており、秋丸機関の報告の趣旨とほぼ一致している。 それを荒唐無稽に捻じ曲げて、日本は「負けはしない戦争だった!」とは呆れる。 この筆者は、どんな人間かと思って調べてみたら、 12年の衆議院選挙に維新の党から出馬して、落選。 遡ると、他にも県議選や市長選に出て、見事に落選。 有権者はどんな人物かよく見ているなぁ。 読むべき本に非ず。 誰かが出版助成金でも出しているのではなかろうか。 出版社には、横浜事件などに思いを至らせてほしい。 シャルツ1993 5つ星のうち1.0 印刷していなければ、他に使い道があるのに。☆ゼロかマイナス星がほしい。 2015年8月29日 1円の価値もない文。 このような人は、敗戦後のアメリカ支配、それが70年続いている。そのきっかけが「日米開戦」なんだと言う思考が抜ける。 また、どのような作戦をたてようが、負ければどうなるのかが見えていないようだ。 まず、1941年8月、英米で調印された「太西洋憲章」を見過ごしては行けないと思う。 「太西洋憲章」をまじめに理解すれば、日本の帝国主義は受け入れられない。 戦争になることははっきりしている。 また、対独戦を戦っていた英国は、米国に参戦してほしかったし、米国政府もそうしたかった。米国国民を戦争に誘導するかだった。 また、このとき対独戦終了後のヨーロッパ支配に付いて話し合っていた。 2国で世界を支配する事を目指した。それが戦後、国際連合(連合国)になった。 それが戦略。 また、なんで、WWII開戦前、アメリカの財閥が、ヒットラーに金を渡していたのか。(フォード、など) それはヨーロッパのユダヤ資本の一層を狙ったから。 最初英国(チャーチルなど)もヒットラーを支持していた。
戦後、ドイツ、イタリアのロスチャイルド家は消え。経済は行きずまった。 マーシャルプランによって、西欧は復活するが、米英の経済支配は如実になった。 -----1946年には、統一ヨーロパの考えが思考され、それが現代のユーロ圏誕生につながった。それは米英の経済支配からの独立に他ならない。 ドイツは、中国との和平を仲介しようと提案し、その後、米開戦をするなと警告していた。ことごとく日本は、ドイツの提案を蹴った。 日本軍官僚は、戦争を拡大したかった。それだけが思考の中心だったように思う。後戻り、停止できないのが、官僚の性(さが)だが、止めるべき青磁は機能しなくなっていた。 リヒャルト・ゾルゲは、日本がソ連に侵攻しないと情報を送り、ソ連はシベリアに展開していた部隊を西部戦線に投入できた。 それは稚拙な作戦で完敗した「ノモンハン事件」が伏線にある。 著者は、「西進」が本来すべきだったと述べたが、それは、インパール作戦の思考と同一。結局滅んだ。 そして、今日本は、アメリカの属国として、70年存在する。これからもそうかもしれない。 どこの国で、他国の軍隊に特権的権利を与えているか。アメリカ軍には、日本は一切手がつけられない現状をどう思うのか。 この現状のきっかけになったのが、日米開戦。 紙の上でどのような作戦をたてようが、戦略がなければ、結果は見えている。 千保川隼人 5つ星のうち1.0 作戦部と前線が乖離していては戦争に勝てない 2018年8月27日
司馬遼太郎、城山三郎、大岡昇平、会田雄次、山本七平などの作家や評論家は日本軍の内実を本にしている。 司馬氏はタンクの装甲の劣悪さに生き残ったのは奇跡であると述べ、 ノモンハン戦争の敗北を秘匿し、北支・満州での戦闘を教材に南進政策を進め、暑さに弱い馬は役に立たず、人力で輸送したなどの時代遅れの戦術に悲嘆の声を出した。 城山氏はビンタ攻撃で保持された日本軍の規律を悲憤に堪えないとした。 大岡昇平はフィリピンのジャングルをさ迷ったが、食料不足で苦しめられ、戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」の縛りを受けた。 世界戦史史上で70%に及ぶ病死者・餓死者を出した日本軍の非道を訴えている。 日本の捕虜は自殺することが多くアメリカ軍を困らせたが、一方軍の機密を洗いざらい喋ることはアメリカ情報将校を驚かせた。捕虜になった時のの教育がなされていなかった。 大本営の作戦部が現場を知らないで、真珠湾攻撃をしたためアメリカの反撃を強めたのは山本五十六の間違いといっているが山本五十六は宣戦布告の遅延を心配しており、外務省が宣戦布告のアメリカへの通告を遅らせたのが原因である、 海戦、ガダルカナル争奪戦に敗れたのちも和戦を考えずずるずると相も変わらぬ戦いを続けたことを海軍の山本五十六に責を負わせる著者の考えに違和感を覚えざるを得ないし、インド洋戦略が実現していれば日独同盟が勝ちを得たのではないかという「たられば」物語を語るにいたっては嗟嘆の限りであった。 両面作戦が無理であったことは否定できず、北支・満州に9割の兵士が張り付けられたままで世界最強の米軍を迎え撃ち、アメリカ軍には飛び石作戦を敢行され、多くの戦士を戦闘に参加させられず、ラバウル基地、グアム基地は放置されたままになったのは、かえって兵士の生き残りを喜んであげるべきと考えた。
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