西洋人の日本人観チャーチル 「日本人は中国娘と猿との野合の末に生まれた類人猿のようなもの」 ルーズベルト「日本人は獣である」 「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。 一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。 「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」 「普通の日本人は知性が低く、無知である。 たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。 「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。 人間と猿の中間にあると言っていい。 文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。 日本人を根絶しなければならない!」 ウィリアム・ハルゼー海軍元帥
日本軍との戦闘に際し 「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」 など度々過激な発言を繰り返したことで知られている。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15 ハイドパーク協定
1944(昭和19)年9月18日 フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が 米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について 申し合わせた秘密協定 1972(昭和47)年に初めて公開された ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア 人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。 ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」 ハル・ノート:日本が対米開戦を決断した無理な米国側の要求。
米国に潜伏するソ連スパイが日米を衝突させるために作成した。 http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03 トルーマンのカバートへの返事
1945年8月11日 日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。 獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/RE_sammuel_1945_8_11.htm トルーマン回想録
"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」) アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。 ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。 ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。 ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15 原爆の対日使用は「人体実験」だった。 被爆者治療せず 50年代の米公文書
原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。 ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。 http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html 「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への 『人体実験』である。
だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。 第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・ 長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。 第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。 第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」 広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。 「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉
ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。 これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。 そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。 その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。 治療は全く受けませんでした。 そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。 こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。 しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。 私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。 あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html 英語教育の先生が、今日本でやられている英語教育について書いていたが、南北アメリカ大陸で7000万〜8000万人いたインディアンの皆殺しをやり、残った者は同化政策で、子どもを親から切り離して寄宿舎に入れて英語教育をやり、言葉も歴史も全部奪っていったのにそっくりだと指摘している。
民族の歴史も文化も言葉も奪っていく絶滅作戦だ。 第二次大戦から「イエローモンキー」といって人間扱いではないが、それはインディアンのときから続いている。 民主主義というのは白人の為のもので、黄色人種や褐色人種を従わせるのが民主主義だ、それを受け入れるのが未開の者の務めで、従わない者は殺してもいいという考えだ。 「これは神の明白な運命」というのが、清教徒がアメリカ大陸に渡り、東部から西部に行くうえでの基本理念だ。 それでアメリカ全土のインディアンを皆殺しにし、生き残った者は囲い込む。その後太平洋まで来てハワイ、フィリピン、日本、中国と全部アメリカの基準で支配するのが使命だというのが一貫している。だからフィリピンでも相当殺された。 この理念でフィリピン人も日本人も遊び感覚で殺しまくる。インディアンのときには「頭皮狩り」といって、戦利品として耳を切りとり、頭蓋骨を集めた者が最も偉大な民主主義者だとやってきた。 第二次大戦でも日本に対して「インディアンと同じようにやれ」とハルゼーなどがかなりやっている。 アメリカの若い兵隊はフロンティア精神とかカウボーイみたいな感覚で、日本の子どもらが逃げまどっているのに、グラマンで笑いながら撃ち殺す。 人道主義というが、ハルゼーも「捕虜はとらなくていい。とにかく殺せ」とやっている。 「死んだインディアンがいいインディアンだ」というのをもじって、 「6カ月前に死んだジャップがいいジャップだ」 といった。 これは単にハルゼー個人の考えではなく、当時アメリカのマスコミや新聞、雑誌などで強烈にやっていたことだ。 戦争体験者がテニアンに行ったときホテルに飾り物として日本人の頭蓋骨が金粉を塗られて飾ってあった。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html
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