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憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 10 日 15:02:22: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 08 日 21:57:50)


憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない


憲法と自衛隊 - 内田樹の研究室 2019-02-08
http://blog.tatsuru.com/2019/02/08_1343.html


元陸将の渡邊隆さんと憲法と自衛隊をめぐって対談した(MCはかもがわ出版の松竹伸幸さん)。

自衛隊制服組の人とはこれまで何度か話をしたことがある。防衛研究所で2012年から14年まで3年連続で講演を頼まれたのである。

依頼があったのは防衛研究所教育部から。特別課程研修での講演を頼まれた。演題は日本の安全保障についてということだった。

特別課程研修に参加するのは陸海空自衛隊の一佐たち。

「今後、行政部局で中心となるであろう将官直前の自衛官 等に資質涵養的な講演をして頂けないか、との希望です」と依頼書にあった。

幹部自衛官たちの前で安全保障についての私見を述べてもいいというお話である。こちらからすがりついてお願いしたってできるはずもないことを先方から「やって」と言ってきたのである。二つ返事で引き受けた。

それにしても、どうして私のような安全保障のど素人に講演を依頼してきたのか・・・とちょっと考えたのだけれど、考えても仕方がないので、とりあえず防衛研究所に行った。
そして、所長(シビリアン)と教育部の方たち(制服組)と講演の前にちょっとだけお話して、自衛官にはできるだけ広い視野でものを見るように教えているという説明をうかがった。

ならばここを先途と、日本はアメリカの軍事的属国であり、自前の安全保障構想を持っていないので、アメリカからの自立、主権の奪還が国家的急務である・・・というような「いつもの話」を2時間話して、ぴゅんと逃げ帰った。

僕を呼ぶことを提案した教育部の方は「なんであんなのを呼んだんだ。責任とれ」とか言われてひどい目に遭っているんじゃないかと心配したけれど、どうすることもできない。

ところが、驚くべきことにその翌年も講演依頼があった。

今度は所長が替わっていて、名刺交換のときに「前任者はどうしてこんなのを呼んだのだろうか・・・」といささか懐疑的なまなざしでみつめられたけれど、終わったあとに所長室でお茶したときに、破顔一笑して「いや、面白かったです。来年も来てください」と言われた。

そして翌年も講演をした。

このまま続くのかなと思ったけれど、2015年の夏にはお呼びがかからなかった。
たぶんその頃に官邸に知れてしまったのであろう(よう知らんけど)。

というわけで、制服組(元ですけど)の方とお話するのは5年ぶりということになる。
渡邊さんは最初のカンボジアPKOの大隊長だった方である。はなばなしい累進を遂げて東北方面総監をして退職されたエリート自衛官である。

自衛官というのは徹底的に「現場の人」であって、机上の空論には興味を示さないし、「正解」にも興味を示さない。彼らはいまここにある具体的なトラブルにどう対処し、どうやって被害を最小化するかということに優先的に知的資源を投じる。

だから、「論争的な自衛官」というのは、基本的にいないはずなのである(時々いるけれど、あれはかなり例外的な存在だと思う)。だって、「争い」をどうさばくかを本務とするテクノクラートが自分で問題を起こしたり、問題に火を注ぐということは定義上ありえないからである。

渡邊さんは案の定まったく論争的なタイプの人ではなかった。

言うべきことは言うけれど、決してそれが論争的なマターにならないように最大限の注意を払っている。みごとに紳士的なマナーだと思った。

対談とはいえ、せっかくの機会なので、専門家にあれこれと訊いてみたいことを訊いてみた。

自分から投げたトピックは一つだけ。

それは「憲法九条の規定と現実の自衛隊の存在の間に齟齬があるということが改憲運動の第一の理由としてあげられているが、憲法の規定と現実の間に齟齬があることなんて、当たり前のことなので、うるさく論じるには当らない」というちゃぶ台返しのような話である。

渡邊さんへの名刺代わりに、「憲法と自衛隊に齟齬があることに何か問題でも?」という話を振った。

改憲派の人々は憲法九条と自衛隊の存在の間に齟齬があることを耐え難いと感じているようであり、しばしば「こんな国は日本以外にない」と言い立てるけれども、それは違う。

私が知る限り憲法の規定と軍隊の存在の間にもっとも深刻な乖離を抱え込んでいる国はアメリカ合衆国である。

アメリカ合衆国憲法はそもそも常備軍の存在を認めていないのである。
憲法第8条「連邦議会の立法権限」の第12項にはこうある。

「陸軍を召集(raise)し、これを維持(support)する権限。ただし、この目的のための歳出の承認は2年を超えてはならない」

第13項「海軍を準備(provide)し、これを保持(maintain)する権限」

陸軍は必要なときに召集されるべきものであって、常備軍であるべきではないというのは建国の父たちの揺るがぬ確信であった。

それは常備軍は必ず為政者に従い、抵抗権をふるう市民と敵対するということを経験的に知っていたからである。

私たちが忘れがちなのは、アメリカは独立戦争を戦って宗主国から独立をかちとった植民地だということである。

アメリカの建国の正統性を保証するのは「抵抗権」であり、「革命権」なのである。
だから、市民の抵抗権、革命権の行使を妨げるはずの常備軍を持たないことを憲法に定めたのである。

これと市民の武装権を規定した修正第二条はいわば「コインの裏表」の関係にある。
常備軍は持たない。必要な武力はそのつど武装した市民を「民兵(militia)」として召集することで備給する。というのが建国の父たちの陸軍についての基本的なアイディアであった。

海軍については、そういう訳にはゆかない。特殊な技能育成と、長期にわたる組織的な訓練がないと帆船は動かせなかったからである。だからやむなく海軍については「準備し、保持する」ことを認めたのである。

それに海軍の場合、抵抗する市民たちは艦砲射撃の射程から外にいれば何の被害も受けないし、市民を弾圧するためには、海軍は陸に上がって陸戦を戦わなければならない。
だから「海軍は常備軍でもそれほど市民にとってリスクはない」という判断が下されたのである。

軍隊についての考え方がぜんぜん違うのである。
この憲法はその後改定されないまま今に続いている。

常備軍を持たないことを規定した憲法を持ちながら、アメリカは世界最大の軍事力を誇っている。

ここには致命的な齟齬があるのだけれども、「現実と合っていないから憲法を改定しろ」というアメリカ市民はいない。

それはこの齟齬を感じるたびに、「そもそもわれわれは何を実現しようとしてこの国を建国したのか?」という起源の問いに立ち戻ることができるからである。

「アメリカというのは一つのアイディアなんだ」とアメリカの友人に言われて、深く納得したということを柴田元幸さんがどこかに書いていた。

アメリカは何のために存在する国なのか、ということをアメリカ人はひとりひとり自分に問う義務があり、権利がある。

そのときの手がかりになるのが憲法であり、独立宣言である。
そこにこめられた「アイディア」がいまここでの現実と乖離している。
それをどう調整するべきなのか、それをアメリカ人は自分に問うのである。

日本国憲法も同じである。

そこには1946年時点で日本を占領していたGHQのニューディーラーたちの「アイディア」が込められている。

彼らは「天皇制を持っている以外はアメリカみたいな国」を制度設計した(のだと思う)。

だから、九条二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という条項を書いたときに、彼らの脳裏にあったのは合衆国憲法第8条第12項、13項だったというのはありそうな話である。

ポツダム宣言第6条にはこうある。

「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。」

憲法起草者たちは、もしかすると「軍国主義者」を「常備軍」もろともに排除したあとには「平和主義者」と「抵抗権をもつ市民」がそれに取って代わると思っていたのかも知れない。

自分の国が「正しい国」だと思っている人たちは、「自分の国で起きたこと」は他の国でもあたかも自然過程のように起きるはずだと思い込みがちである。そして間違いなく、日本を占領したアメリカ人たちは自国が「正しい国」だと信じていた。

だから、彼らは軍国主義を排除したあとに「天皇制以外はアメリカみたいな国」ができるのではないかと無根拠に信じた。

権力に盲従する「常備軍」が廃絶されたあとに、自衛のために武装する市民たちがそれにとって代わるのではないか、と。

日本的なmilitiaができて、それがやがて準―軍隊的な組織になってゆく・・・と。
そういうようなことをGHQの人々は漠然と夢想していたのではないか。

起きなかったことの多くは、過去のある時点では「もしかするとそうなるのではないか」と思われていたことである。そして、その「蓋然性の高い未来」を勘定に入れて、人々はそのときに判断し、行動していた。でも、その予測は現実化しなかった。だから、その頃の人々がどうして「あんなこと」を言ったり、してたりしていたのかが、後から見ると理解できなくなる。

私は憲法と自衛隊の齟齬は、「憲法起草時点でアメリカ人が日本の軍事について夢想していたこと」と、その後の現実の齟齬として理解すべきではないかと思う。

「常備軍のない国を守る武装した民兵」は間違いなくアメリカ人にとっての軍事の理想である。そして、おそらく彼らは日本にも「アメリカ人にとっての軍事の理想」を適用できると思っていた。

民兵たちは自分たちの市民としての生命自由財産を守るために、権力者に抵抗して戦うのであって、他国との戦争に駆り出されることはない。

市民は交戦権を持たないし、そもそもそのようなものを持とうと望むこともない。
市民が求めるのは抵抗権である。

日本国憲法と現実の齟齬は、「どのような国をつくろうと願ったか」ということと「こんな国ができました」ということの間の隔たりとしてクールかつリアルに計測されるべきものだろうと思う。

その隔たりはわれわれに理想と現実のあいだの葛藤を絶えず主題化することを求める。それを踏まえて具体的な「次の一手」について論議し、合意を形成してゆくこと。それが「隔たりの功徳」ではなかろうか。

と言うような話をまず冒頭に渡邊さんに振ってみた。

渡邊さんは「合衆国憲法には常備軍の規定がない」というところで深く頷いて、合衆国憲法が「理想と現実のあいだを揺れ動くアメリカの歴史」をそのまま可視化したきわめて示唆に富んだ文書であることを指摘してくれた。そして、実際にアメリカは陸軍については「できるだけ常備軍を持たない」というルールを第二次世界大戦まではなんとか守ってきていた。いまのように常備軍化したのは、ここ50年のことだと渡邊さんは教えてくれた。

そこから話は地政学的な話題に展開してゆくのだけれど、私としては、憲法と現実の齟齬は「起草時点でどのような未来を望見していたか」を繰り返し遡及的に主題化するための重要な装置であるというアイディアを渡邊さんに認知してもらったので、それだけで深く満足したのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/02/08_1343.html  

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コメント
1. 中川隆[-11031] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:17:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[992] 報告
憲法について - 内田樹の研究室 2019-03-31
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

 2018年の5月に日仏会館で憲法についての講演を行った。

 護憲派はなぜ「弱い」のかという問題について考察した。この日は憲法学の泰斗である樋口陽一先生も客席にいて、ずいぶん緊張した。さいわい、講演後の打ち上げでビールを酌み交わしながら、「おもしろいお話でした」と言って頂いて、ほっとした。


 今晩は。ご紹介いただきました内田です。

 錚々たる憲法学者の方たちが例年憲法講演会をされているところで、私のような何の専門家かわからない人間が登壇するというのは、まことに申し訳ないことです。

 時々改めて「あなた、何の専門家なの」って訊かれると、いつも返答に窮します。専門がないんです。いろんな分野に手を出して、いろいろな論点について一知半解のコメントをしているだけなので、ちょっと専門家に突っこまれると、すぐにしどろもどろになってしまう。

 でも、せっかく手を拡げている以上、どのトピックについても「その分野の専門家が誰も言っていそうもないことを言う」ということを原則にしています。他の人がすでに言っていること、その領域では「常識」として共有されていることを僕が繰り返しても意味がありませんから。せっかく発言の機会を頂いたら、どんな分野のことでも、「まだ誰も仰っていないこと」を言う。そういう方針でおります。

 ですから、憲法についても、「誰も言わないこと」を選択的に語ってきたのですけれども、最近は同じような意見を言って下さる方がだんだん増えてきました。僕が言わなくても言ってくださるのでしたら、わざわざ僕が出てくる必要はありません。白井聡さんなんかの書かれたものを読んでいると、「そう、その通りだ」と膝を叩いてしまいます。僕よりもはるかに見事に現状を分析しているので、こういう仕事はそういうできる人に任せて、僕はもっと違う分野に移動する時期かなとも思っております。それでもまだ僕や白井さんのような立場は圧倒的に少数意見ですので、当面は共同戦線を張って戦ってゆくつもりでいます。

 僕が憲法に関して言いたいことはたいへんシンプルです。それは現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということです。だから、この空語を充たさなければいけない、ということです。

 日本国憲の掲げたさまざまな理想は単なる概念です。「絵に描いた餅」です。この空疎な概念を、日本国民であるわれわれが「受肉」させ、生命を吹き込んでゆく、そういう働きかけをしていかなければいけないということです。

 憲法は書かれたらそれで完成するものではありません。憲法を完成させるのは、国民の長期にわたる、エンドレスの努力です。そして、その努力が十分でなかったために、日本国憲法はまだ「受肉」していると呼ぶにはほど遠い。というのが僕の考えです。

 もう一つ長期的な国民的課題があります。それは国家主権の回復ということです。

 日本はアメリカの属国であって国家主権を持っていない。その国家主権を回復するというのはわれわれの喫緊の国家目標です。これはおそらく百年がかりの事業となるでしょう。これもまた日本国民が引き受けなければならない重い課題です。
そして、国家主権の回復という国民的事業を一歩ずつでも前に進めるためには、「日本国民は今のところ完全な国家主権を持っていない」という痛ましい事実を認めるところから始めなければいけません。

 日本はアメリカの属国です。安全保障であれ、エネルギーであれ、食糧であれ、重要な国家戦略についてわれわれは自己決定権を有していない。この事実をまず国民的に認識するところから始めなければいけません。けれども、現在の政権を含めて、日本のエスタブリッシュメントはそれを認めていない。日本はすでに完全な国家主権を有しているという「嘘」を信じているか、信じているふりをしている。すでに国家主権を有しているなら、アメリカの属国身分から脱却するための努力の必要性そのものが否定される。この重篤な病から日本人が目覚めるまで、どれくらいの時間が要るのか、僕には予測できません。恐ろしく長い時間がかかることは間違いありません。
 
 最初に「憲法は空語である」という考え方について、少しご説明を申し上げておきます。

 憲法集会では、いろいろな団体に呼ばれます。もちろん、呼んでくれるのはどこも護憲派の方たちです。今日はちょっと違うようですが、護憲派の集会へ行くと、客席の年齢層が高いんです。ほとんどがお年寄りです。平均年齢はたぶん七十歳くらい。若い人はまず見かけることがありません。日頃から、駅頭でビラを撒いているの方たちもそうです。地域の市民たちが文字通り「老骨に鞭打つ」という感じで情宣活動をしたり、護憲派集会の会場設営の力仕事をされている。若い人が来ないんです。どうしてこんな老人ばっかりなんだろう。どうして日本の護憲派の運動は若い人に広がらないのか。

 それはどうやら、若い人たちはむしろ改憲派の言説の方にある種のリアリティーを感じているかららしい。改憲派の言葉の方に生々しさを感じる。そして、護憲派の言説は「空疎」だという印象を持っている。どうして護憲派の言説にはリアリティーがないのか。

 僕は1950年生まれです。僕にとって日本国憲法はリアルです。それを「空疎」だと思ったことがない。憲法は僕にとって山や海のような自然物と同じようなものだからです。生まれた時からそこにあった。良いも悪いもありません。自然物についてその良否を語らないのと同じです。「憲法を護ろう」というのは、僕たちの世代にとっては、当たり前のことなわけです。それは「大気を守ろう」とか「海洋を守ろう」とかいうのとほとんど変わらないくらい自然な主張に思えていました。

 でも、これはあくまで世代の問題なんです。だから、護憲派の人たちに六十代、七十代の人が多い。それが当然なんです。この世代にとっては、憲法は自然物としてのリアリティーがあるからです。でも、若い人は憲法にそのようなリアリティーを感じない。同じ文言であるにもかかわらず、育った年齢によって、その文言のリアリティーにこれほどの差がある。この差はどうして生まれたのか。この差を決定づけたのは戦中派の人たちが身近にいたか、いなかったのかという先行世代との関わりだと僕は思います。

 戦中派というと、われわれの世代では、親であったり、教師であったりした人たちです。この人たちの憲法観が僕たちの世代の憲法への考え方を決定づけた。戦中派の憲法理解が、戦後日本人の憲法への関わりを決定的に規定したというが、僕の仮説です。

 僕自身は、戦中派であるところの両親や教師たちやから、「とにかく日本国憲法は素晴らしいものだ」ということを繰り返し聞かされてきました。そして、「この憲法は素晴らしいものだ」と言う時に彼らが語る言葉は本当に重々しかったのです。声涙ともに落つという感じで。こんなよい憲法の下で育つことができて、お前たちはほんとうに幸せだ、と深い確信をこめて彼らは語った。その言葉に彼らはほとんどその実存を賭けていた。子どもにもそれは分かります。だから、「この憲法のどこが素晴らしいの?」というような質問は思いもつかなかった。大人たちがこれだけはっきりと、全身全霊をかけて言っている言葉に疑義を差し挟むことなんか、子どもにはできません。 
 
 僕らの子どもの頃、天皇制を批判する人は結構いたんです。学校の先生にもいました。天皇制について、はっきり反対だと言い切る先生はふつうの公立の小学校や中学校に何人もいました。「天ちゃん」というような侮蔑的な言葉遣いで天皇を呼ぶ人もいた。それを咎める人もいなかった。

でも、憲法について批判的なことを言う大人は、僕が子どもの頃には、周りにまったくいなかった。僕自身の個人的な経験から言うと、一人もいなかった。

 僕の世代には名前に「憲(のり)」っていう字が入っている男子がたくさんいます。今はもうほとんどいないと思うんですが、1946年の憲法公布から10年間ぐらいは、「憲男」とか「憲子」という名前はそれほど珍しくなかった。この時期だけに特徴的な命名だったと思います。それだけ親の世代が憲法に関して多くのものを期待していた。だから、自分の子どもには憲法の憲の字を背負って一生生きてもらいたいという強い願望をこめた。

 ですから、改憲論というものを僕はずいぶん後年になるまで聞いたことがなかったんです。自民党は党是として結党時から自主憲法制定を掲げていたようですが 、憲法を改正することが国家的急務であるというような言説がメディアを賑わせたことなんか、小学生から大学生時代に至るまで、僕はまったく記憶にありません。とくに1960年代末から70年にかけて、僕が高校生大学生の頃は、全共闘運動の時代ですから、改憲論なんて話題にもなりませんでした。活動家たちはブルジョワ民主制を打倒して革命をしようというような話をしている訳ですから、そもそもブルジョワ憲法の良否が政治的議論のテーマとなるはずもない。憲法を護持すべき、あるいは改正すべきだと真剣に語る学生なんか僕はその時代には見たことがないです 。

 ところが、ある時期から改憲論が声高に語られるようになって来た。そして、改憲論のほうが護憲論よりもリアリティーを持つようになってきた。若い世代において顕著だったと思います。ある時期から、護憲論を聞いてもそんな空疎な議論は聞きたくないという冷たい目を向けてくるようになった。そう言われると、確かに空疎な気がするんですね、護憲論というのは。

 憲法は素晴らしいものである。でも、突っこまれて一番厳しいところは、日本国憲法は日本人が人権を求める戦いを通じて自力で獲得したものではない、ということです。戦争に負けて、日本を占領したアメリカの軍人たちが「こういう憲法がよろしかろう」と判断して、下賜された。日本人が戦い取ったものではない。負けたせいで手に入ったものです。

 ところが、僕自身はそんなふうに思ったことがなかったのです。だって、生まれた時からあったわけですからね、憲法は。自然物として、あった。それが日本国民の闘いを通じて獲得されたものではないということは、歴史的事実としては知っていました。にもかかわらず、それを実感したことはなかったんです。なぜかというと、戦中派世代の人たちが、憲法の制定過程に関してほぼ完全に沈黙していたからです。日本側とGHQとの間で、どういう駆け引きがあって、どういうプロセスでこのような文言に定まったのか、僕たちには何も説明がなかった。

 戦中派は二つのことがらについて沈黙していたと僕は考えています。一つは戦争中における彼ら自身の加害経験についての沈黙。戦争の時の被害経験に関してはずいぶん語られてきましたけれど、加害者として、特に中国大陸や南方において自分たちが何をしたのかについては口を噤んでいた。どういう風に略奪したのか、強姦したのか、拷問したのか、人を殺したのか、そういうことについてはほぼ完全な沈黙を守った。

 それは戦争経験文学の欠如というかたちでも現れていると思います。敗戦直後の45年、46年にはほとんど見るべき文学的達成はありません。戦争から帰ってきた男たちが戦争と軍隊について書き出すのはその後です。

 最も早いのが吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、46年には書き上げられていました。大岡昇平の『俘虜記』が48年。50年代になってからは、野間宏の『真空地帯』、五味川純平の『人間の条件』、大西巨人の『神聖喜劇』といった「戦争文学」の代表作が次々と出てきますけれど、加害経験について詳細にわたって記述した作品は僕の世代は少年時代についに見ることがありませんでした。ただ、僕は戦中派の人たちのこの沈黙を倫理的に断罪することにはためらいがあるのです。かれらの沈黙が善意に基づいたものであることが分かるからです。

 ひどい時代だった。ついこの間まで、ほんとうにひどいことがあった。たくさんの人が殺したり、殺されたりした。でも、それはもう終わった。今さら、戦争の時に自分たちがどんなことをしたのかを子どもたちに教えることはない。あえて、そんなことを告白して、子どもたちに憎まれたり、軽蔑されたりするのでは、戦争で苦しめられたことと引き比べて、「間尺に合わない」、彼らはたぶんそう考えたのだと思います。子どもたちには戦争の詳細を語る必要はない。子どもたちに人間性の暗部をわざわざ教えることはない。ただ「二度と戦争をしてはいけない」ということだけを繰り返し教えればいい。戦後生まれの子どもたちは戦争犯罪について何の責任もないのだから、無垢なまま育てればいい。戦争の醜い部分は自分たちだけの心の中に封印して、黙って墓場まで持って行けばいい。それが戦後生まれの子どもたちに対する先行世代からの「贈り物」だ、と。たぶんそういうふうに考えていたのではないかと思います。戦争の罪も穢れも、自分たちの世代だけで引き受けて、その有罪性を次世代に先送りするのは止めよう。1945年 8月15日以降に生まれた子どもたちは、新しい憲法の下で、市民的な権利を豊かに享受して、戦争の責任から完全に免罪された存在として生きればいい。その無垢な世代に日本の希望を託そう。そういうふうに戦争を経験した世代は思っていたのではないか。そうでなければ、戦中派の戦争の加害体験についての、あの組織的な沈黙と、憲法に対する手放しの信頼は説明が難しい。

 例えば僕の父親がどういう人間であるか、僕はよく知っているつもりでいます。筋目の通った人だったし、倫理的にもきちんとした人でした。だから、彼が戦争中にそれほどひどいことをしたとは思わないんです。でも、父は十代の終わりから三十代の半ばまで大陸に十数年いたわけです。でも、戦争中に中国で何をしていたのかは家族にさえ一言も言わなかった。北京の冬が寒かったとか、家のレコードコレクションにクラシックのSPが何千枚あったかとかいう戦争とは無関係な個人的回想も、ある時期から後はぱたりと口にしなくなりました。戦争経験についての黙秘というのは、あの世代の人たちの暗黙の同意事項だったんじゃないかという気がします。

 村上春樹がイスラエルでの講演の時に自分の父親の話をしています 。彼の父も京都大学の院生だった時に招集されて中国大陸に行っている。その父が毎朝仏壇に向かって読経をしている。「何してるの」と訊くと、「死んだ人たちのために祈っている。敵も味方もない、戦争で死んだすべての人たちのために祈っている」と答える。けれども、彼自身が中国大陸で何を経験したかに関してはついに死ぬまで一言も言わなかったそうです。

 そういう戦争経験についての沈黙というのが世代的な合意としてあったのだと思います。自分たちの戦争犯罪を隠蔽するとか、あるいは戦争責任を回避するといった利己的な動機もあったかもしれません。でも、もっと強い動機は、戦後世代をイノセントな状態で育ててあげたいということだったと僕は思います。そういう「穢れ」から隔離された、清らかな、戦後民主主義の恩恵をゆたかに享受する資格のある市民として子どもたちを育てる。それこそが日本の再生なのだ。この子たちが日本の未来を担っていくのだ。そういう希望を託されてきたという感覚が僕にはあります。それは僕と同年代の人は多分同意してくれると思うのです。

 僕が小学校五年の時の担任の先生がその頃で35歳ぐらいでした。もちろん戦争経験がある。その先生が大好きだったので、いつもまつわりついていました。何か時に「先生は戦争行ったことある?」と聞いたら、ちょっと緊張して、「ああ」と先生が答えた。で、僕がさらに重ねて「先生、人殺したことある?」って聞いたら、先生は顔面蒼白になったことがあった。聞いてはいけないことを聞いてしまったということは子どもにもわかりました。その時の先生の青ざめた顔色を今でも覚えています。大人たちにはうかつに戦争のことを聞いてはいけないという壁のようなものを感じました。

 戦争経験についての世代的な沈黙というのと対になるかたちで憲法制定過程についての沈黙があります。これも僕は子どもの頃から聞いたことがないのです、その世代からは。学校の教師も、親たちも、近所の大人たちも、憲法制定過程について、どういう制定過程でこの憲法が出来たのかという話を聞いたことがなかった。話題にされているのをかたわらで聴いた記憶さえない。憲法制定は親たち、教師たちの年齢でしたら、リアルタイムで、目の前で起きたことです。1945年から46年にかけて、大人たちは何が起きているか、新聞を読めばだいたいのことは分かったはずです。おそらく、かなりの人が憲法制定過程に関してさまざまな「裏情報」を聴き知っていた。でも、子どもたちには一切伝えなかった。子どもたちはテキストとしての日本国憲法をポンと与えられていて、どういう過程でこれが制定されたのかに関しては何も教えられなかった。

 改憲派が随分あとになってから「押し付け憲法」ということを言い出した時には実はびっくりした。子どもの時はそんなこと考えたこともなかったから。憲法が日本人が書いたのか、アメリカ人が書いたのかについて、あれこれの説が憲法制定時点から飛び交っていたということを知ったのは、恥ずかしながらずいぶん大人になってからです。

 最初に結婚した女の人のお父さんが平野三郎という当時岐阜県知事だった人でしたけれど、彼は長く衆議院の議員をやっていました。その岳父が、当時はもう70歳を過ぎていましたけれども、酔うと僕を呼んで日本国憲法制定秘話を語るわけです。僕が個人的に、日本国憲法の制定にはみんなが知らない秘密があるという話を聴いたのは彼からが最初です。25歳を過ぎてからです。岳父は議員時代に幣原喜重郎の秘書のような仕事をしていたので、死の床で幣原喜重郎が語ったことを、後に国会の憲法調査会で証言しているんです。九条二項を思いついてマッカーサーに進言したのは幣原さんだと岳父は主張するんです。憲法九条二項は日本人が自分で考えたんだ。押し付けられたものじゃない、と。彼は自民党の代議士ですよ。大野伴睦の派閥に属していたベタな自民党議員でした。その彼が憲法九条二項を書いたのは幣原さんだと切々と訴えるわけです。誰も信じてくれないけれども、と。ほとんど声涙共に落つという感じで。

 そういう話を聞いて、どうしてこういう事実がもっとオープンに議論されないのか不思議に思いました。憲法制定過程については、実にいろいろな説が語られているわけです。「藪の中」なんです。でも、憲法というのは国のかたちの根幹を決定するものじゃないですか。その制定過程に関して諸説があるというのはまずいでしょう。歴史的事実として確定しないと。国民全体として共有できる歴史的な事実を確定して、それ以上真偽について議論する必要はない、と。そうじゃないとまずいと思うんです。でも、現代日本では、憲法制定過程に関して、これだけは国民が事実関係に関しては争わないということで共有できるベースがない。

 なんでこんなことが起きたのか。それはリアルタイムで憲法制定過程を見ていたはずの世代の人たちが、それについて集団的に証言してくれなかったからです。知っていることを言わないまま、沈黙したまま死んでしまった。

 戦中派より上の世代、敗戦の時に40歳、50歳という人たちは銃後にいただけでさきの戦争には行っていません。実際に戦争に行ったのは明治末年から大正年間、昭和初年に生まれた世代です。この戦争を現場で経験したこの人たちが、戦争の現実についての証言を避けた。復員してきた後、結婚して、家庭を作って、市民として生活を始めた。当然、これからの日本はどうなるんだろうということを興味をもってみつめていた。日本の行く末がどうなるか心から案じていた。ですから、国のかたちを決める憲法については、その制定過程だって、日々どうなっているんだろうと目を広げて、日々話し合っていたはずなんです。でも、その過程で「では、憲法はこういうふうに制定されたという『話』を国民的合意として採用しよう」ということがなかった。

 日本国憲法には前文の前に「上諭」というものが付いていますが、僕はそれをずっと知りませんでした。上諭の主語が「朕」だということも知らなかった。でも、日本国憲法は「朕」が「公布」しているんです。天皇陛下が「枢密顧問の諮詢」と「帝国憲法73条による帝国議会の議決を経て」日本国憲法を公布している。日本国憲法を公布した主体は天皇なんです。ちゃんと「御名御璽」が付いている。でも、僕らが憲法について教えられた時には、その上諭が削除されたかたちで与えられた。どういう法理に基づいてこの憲法が制定されたかという「額縁」が外されて、テキストだけが与えられた。

 憲法の個々の条項については、その適否についていろいろな意見があっても構わないと思います。でも、その憲法がどういう歴史的な過程で、どういう議論を経て制定されていったのかという歴史的事実についてだけは国民的合意があるべきだと思うんです。その合意がなければ、憲法の個別的条項についての議論を始めることはできない。でも、日本人にはその合意がない。憲法制定の歴史的過程は集団的な黙契によって隠蔽されている。

 憲法についての試案があったとか、マッカーサー三原則があったとか、GHQの民生局が草案を作って、11日間で草案を作ったとか、いろんな説があって、それについていちいちそれは違うという反論がある。どれかが真実なのか、部分的な真実が諸説のうちに散乱しているのかわかりませんけれど、「これが出発すべき歴史的事実」として国民的に共有されているものがない。

 憲法ってわれわれの国の最高法規ですよね。最高法規の制定過程がどういうものだったのかについて国民的な合意が存在しない。マグナカルタでも、人権宣言でも、独立宣言でも、どういう歴史的状況の中で、何を実現しようとして、誰が起草したのか、どういう議論があったのか、どういう風に公布されたかということは歴史的な事実として開示されている。それが当然です。でも、日本国憲法については、それがない。制定過程が隠蔽されたしかたで僕たち戦後世代に憲法は与えられた。それをなんの疑いもなく、天から降ってきた厳然たる自然物のように受け止めて来たのが今や70にならんとしている僕らの世代の人間なんです。ですから、改憲派の人たちに、「こんなもの押し付けられた憲法だ」、「こんなものはGHQの作文だ」と言われるとびっくりしてしまうわけですよ。自然物だと思っていたものがこれは「張りぼて」だと、これは舞台の書き割りのようなものだと言われたわけですから。

 でも、この舞台の書き割りを自然物のように見せていたのは、先行世代の作為だったわけです。戦中派世代の悲願だったわけです。「張りぼて」の日本国憲法を、あたかも自然物であるかのように絶対的なリアリティーをもつものとして僕らに提示した。その戦中派の想いを僕は「可憐」だと思うんです。僕には彼らの気持ちがわかる気がする。もうみんな死んでしまいました。父も岳父も亡くなった。大事なことを言い残したまま死んでしまった。だから、僕らはそれに関しては想像力で補うしかない。

 僕が子どもの頃、内田家では、お正月には毎年日の丸を立てていました。どの家もそうでした。お正月や祝日には必ず日の丸を揚げた。黒と黄色に塗り分けられた旗竿の上に金のガラス玉を入れて、ぺらぺらの日の丸の旗を張って揚げた。僕は子どもでしたから、その儀式が大好きでした。だから、年末になると父が日の丸のセットを押し入れから出して、飾りつけをする手伝いをするのを楽しみにしていました。でも、ある年、僕が小学校の低学年の頃でしたけれど、お正月だから「お父さん、日の丸出そうよ」と言ったら、父親がふっと「もういいだろう」って言ったんです。

 もう日の丸を揚げる義理もなくなった、そういう感じでした。1958年か59年くらいのことだったと思います。その頃、たしかにまわりの家もだんだん日の丸を揚げなくなってしまった。こういうのってほんとに不思議なもので、別に「日の丸を揚げるのをやめましょう」なんていう運動があったわけじゃない。でも、申し合わせたように、揚げなくなった。その時の国旗掲揚を止める時の理由が「もういいだろう」だった。

 あとから思うと、1958年って大日本帝国の十三回忌なんですね。帝国臣民たちは帝国が死んでから13年くらいまでは死せる大日本帝国に対して弔意を抱いていた。当然ですよね、彼らは生まれてからずっと「神国不敗」「天壌無窮」の大日本帝国臣民だったわけですから。でも、もういつまでも消えた帝国を懐かしんでいてもしかたがない、と。親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。もう十分に悼んだから、このへんでいいだろう、と。1958年頃に、日の丸が一斉に東京の街角から消えていったのは、あれは大日本帝国の十三回忌も営んだし、もう昔のことは忘れようという暗黙の国民的な合意だったんじゃないか。

 そういうのって、やっている本人だって、自分が何をしているのかよくわかっていないんだと思います。口に出さないけれど、何となく、そんな気分になる。無意識的にやっているわけです。でも、僕はそういう暗黙の、無意識の集団的な行動が、結局はある時代のイデオロギー的な大気圧をかたちづくっていて、その時代を生きている人間たちの思考や感受性を深く規定していたんじゃないかという気がするのです。
 
 ですから、ずっと後年になって、安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから。

 でも、そう言われて初めて、憲法を自然物のように思いなすというのは、僕たちの世代的な「偏り」であって、戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を僕たちと同じようにはとらえていないのだということを知ったのです。

 だから、護憲論が空疎になるのです。護憲論を批判するのはほんとうに簡単なんです。こんなものただの空語じゃないか、「絵に描いた餅」じゃないか、国民のどこに主権があるのか、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんか誰が信じているのか、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」なんて白々しい嘘をよく言えるな。そう言われると、まさにその通りなんです。

 憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の11月3日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。だって、公布前日の11月2日までは、列島に存在したのは大日本帝国だったわけですから。そこにいたのは「大日本帝国臣民」であって、「日本国国民」なんていうものはどこにもいない。どこにもいないものが憲法制定の主語になっている。「この主語の日本国民というのは、誰だ」と言われたら、答えようがない。

 日本国憲法を制定した主体は存在しない。存在しない「日本国国民」が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根源的な脆弱性なわけです。

 と言っておいてすぐに前言撤回するのもどうかと思いますけれど、実は世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ「そういうもの」なんです。宣言に込められている内容はおおかたが非現実なんです。宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるか疑わしい。

 例えばアメリカの独立宣言(1776年7月4日公布)では「法の下で万民が平等である」と謳っていますけれど、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いていました。奴隷解放宣言の発令は1862年です。独立宣言から100年近いタイムラグがある。奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃありません。人種差別を公的に禁じた公民権法が制定されたのは1964年。独立宣言から200年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃありません。厳然として存在している。独立宣言の内容と現状の間には乖離がある。

 でも、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいません。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なんです。でも、日本だけがそうではない。宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちが政権の座にいる。

 世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に描いた餅」だったわけです。宣言を起草した主体が「われわれは」と一人称複数で書いている場合だって、その「われわれ」全員と合議して、承認を取り付けたわけじゃない。そうではなくて、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけです。それでいいんです。日本国憲法を確定した「日本国民」なんてものは現実には存在しない。でも、そこで掲げられた理念が善きものであると人々が思うようになるのなら、「憲法を起草してくれ」と誰かに頼まれたら、すらすらとこれと同じ憲法を起草することができるなら、その時「日本国民」は空語ではなく、実体を持ったことになる。

 この憲法を自力で書き上げられるような国民に自己造型してゆくこと、それが憲法制定以後の実践的課題でなければならなかったはずなんです。ただし、その努力を行うためには、日本国民が「われわれは『日本国民』にまだなっていない。われわれは自力でこの憲法を起草できるような主体にまだなっていない」ということを自覚しなければならない。

 護憲論の弱さはそこにあります。護憲派はそういうふうには問題を立てなかったからです。そうではなくて、「日本国民は存在する」というところから話を始めてしまった。僕はそれが最初のボタンの掛け違えだったと思います。「日本国民」が集まって、熟議を凝らした末に、衆知を集めてこの憲法を制定したというふうに、たしかに憲法前文は読める。しかし、そういう事実はない。

 だから、護憲派は「そういう事実はない」ということを隠蔽した。僕はそれがいけなかったのだと思うのです。いいじゃないですか、「そういう事実」がなくても。歴史上のどんなすばらしい宣言だって、憲法だって、多かれ少なかれ「そういうもの」なんですから。たしかに日本国民が衆知を集めて憲法を制定したという事実は実際にはないのだけれども、仮にもう一度憲法制定のチャンスを与えられたら自発的にこれと同じ憲法を自力で書けるような日本国民を創り出してゆくという遂行的な責務は現に目の前にある。そういうふうに考えるべきだったんじゃないかと、後知恵ですけれども、僕は思います。戦中派の人たちが憲法制定過程における日本国民の関与の薄さということを僕たちに向かって率直に開示して、「でも、自力でこれを書けるようになろう」というかたちで戦後の市民意識の成熟の課題を掲げてくれたのであれば、それから何十年もして改憲派に足をすくわれるようなことは起きなかったと思います。

 改憲派の護憲派に対するアドバンテージというのは、まさにその一点に尽きるわけです。憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。

 憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言いますし、護憲派もGHQの関与については語りたがらない。でも、そんなのすらすら認めていっこうに構わないじゃないかと僕は思うのです。憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。それは大日本憲法だって同じです。大日本帝国憲法において主権者は天皇でした。たしかに「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。現に、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してあります。でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはありません。勅諭や綸旨ならいくらでも出したことがあるけれど、憲法という概念自身が近代の産物なんですから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲です。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定した。

 憲法というのは「そういうもの」なんです。圧倒的な政治的実力を持つ「超憲法的主体」がそれを制定するのだけれど、それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていた。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていた。

 日本国憲法だってそうです。これもまた圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体によって制定された。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」は、憲法のどこにも書かれていない。「上諭」にも書かれていない。でも、知っている人は知っている。そして、日本国憲法の場合は、「知っている人」たちがそれについて久しく口を噤んでいたということです。憲法が「ろくでもないもの」だと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろうと思います。でも、戦中派はそう思わなかった。すばらしい憲法だと思った。だから、制定過程について何も語らないことにした。

 戦中派はそれを善意で行ったのだとおもいます。戦後の日本社会を1945年8月15日以前と完全に切り離したものとして、戦前と繋がる回路を遮断した無菌状態のものとして立ち上げようとした。だから、戦争の時に何があったのか、自分たちが何をして来たかについて口を噤んだ。憲法制定過程についても、黙して語らなかった。語るためには、日本には、主権者である「日本国民」のさらに上に日本国民に主権者の地位を「下賜」した超憲法的主体としてのアメリカがいる。それは自分たちが戦争をして、負けたせいだという真実を語らなければならない。それもまた戦後世代の子どもたちに言って聞かせるにはあまりにつらい事実だった。

 戦争経験について、とりわけ加害経験について語らないこと、憲法制定過程について、日本は国家主権を失い、憲法制定の主体たり得なかったということを語らないこと。この二種類の「戦中派の沈黙」が戦後日本に修正することの難しい「ねじれ」を呼びこんでしまった。僕はそう思います。でも、僕はそのことについて戦中派を責めるつもりはないのです。彼らは善意だったと思うから。僕たち戦後世代が戦争と無縁な、戦時における人間の醜さや邪悪さとも、敗戦の屈辱とも無縁な者として育つことを望んでいたからそうしたと思うからです。

 だから、彼らの沈黙には独特の重みがあった。実存的な凄みがあった。「その話はいいだろう」といって低い声で遮られたら、もうその先を聞けないような迫力があった。だから、彼らが生きているあいだは歴史修正主義というようなものの出る幕はなかったのです。仮に「南京虐殺はなかった」というようなことを言い出す人間がいても、「俺はそこにいた」という人が現にいた。そういう人たちがいれば、具体的に何があったかについて詳らかに証言しないまでも、「何もなかった」というような妄言を黙らせることはできた。

 歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じです。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は「修正」のしようがないのです。それは、ドイツでもフランスでもそうです。今日は日仏会館での講演ですから、フランスのことに詳しい方もおられるでしょう。
 
 フランス人も自国の戦中の経験に関しては記憶がきわめて選択的です。レジスタンスのことはいくらでも語りますけれど、ヴィシー政府のこと、対独協力のことは口にしたがらない。フランスでヴィシーについての本格的な研究が出て来たのは、1980年代以降です。それまではタブーだった。それはその時期を生きてきた人たちがまだ存命していたからです。自分自身がヴィシーに加担していた人もいたし、背に腹は代えられず対独協力をして、必死で占領下を生き延びた人もいた。彼らがそれぞれの個人的な葛藤や悔いを抱えながら、戦後フランスを生きていることを周りの人は知っていました。そして、それを居丈高に責めることに抵抗があった。

 ベルナール=アンリ・レヴィが『フランス・イデオロギー』という本を書いています。僕が訳したんですけれども 、ドイツの占領下でフランス人がどのようにナチに加担したのかを赤裸々に暴露した本です。レヴィは戦後生まれで、ユダヤ人ですから、戦時中のフランスの行為については何の責任もない。完全に「手が白い」立場からヴィシー派と対独協力者たちを批判した。でも、これが出版当時大論争を引き起こしました。

 少なからぬ戦中派の人々がレヴィの不寛容に対して嫌悪感を示しました。レイモン・アロンもレヴィを批判して、「ようやく傷がふさがったところなのに、傷口を開いて塩を擦り込むような不人情なことをするな」というようなことを書いていました。せっかく忘れかけているトラウマ的過去なのに、それをまた思い出させるようなことをすべきではない、と。

 アロンの言っていることは筋の通らない話なんです。でも、「大人の言葉」だとは思いました。「もう、その話はいいじゃないか」というアロンの言い分は政治的にはまったく正しくありません。でも、その時代を生きてきた人にしか言えない独特の迫力があった。アロン自身はユダヤ人ですし、自由フランス軍で戦ったわけですから、ヴィシーや対独協力者をかばう義理はないんです。だからこそ、彼がかつての敵について「済んだことはいいじゃないか。掘り返さなくても」と言った言葉には重みがあった。

 80年代からしばらくはヴィシー時代のフランスについてのそれまで表に出なかった歴史的資料が続々と出てきて、何冊も本が書かれました。でも、ヴィシーの当事者たちは沈黙を守った。秘密の多くを彼らは墓場に持っていってしまった。人間は弱いものですから、自分の犯した過ちについて黙秘したことは人情としては理解できますけれど、結果的にヴィシーの時代にフランス人が何をしたのかを隠蔽したせいで、そのあとに歴史修正主義者が登場して来て「ガス室はなかった」というようなことを言い出すようになった。そのあたりの事情は実は日本とそれほど変わらないのです。

 アルベール・カミュの逡巡もその適例です。カミュは地下出版の 『戦闘(コンバ)』の主筆としてレジスタンスの戦いを牽引しました。ナチス占領下のフランスの知性的・倫理的な尊厳を保ったという点で、カミュの貢献は卓越したものでした。ですから、戦後対独協力者の処刑が始まった時、カミュは最初は当然のようにそれを支持しました。彼の仲間たちが彼らとの戦いの中で何人も殺されたわけですし、カミュ自身ゲシュタポに逮捕されたら処刑されていた。ですから、彼には対独協力者を許すロジックはありません。でも、筋金入りの対独協力者だったロベール・ブラジャックの助命嘆願署名を求められた時、カミュは悩んだ末にそれに助命嘆願に署名します。ブラジャックの非行はたしかに許し難い。けれども、もうナチスもヴィシーも倒れた。今の彼らは無力だ。彼らはもうカミュを殺すことができない。自分を殺すことができない者に権力の手を借りて報復することに自分は賛同できない。カミュはそう考えました。このロジックはわかり易いものではありません。対独協力者の処刑を望むことが政治的には正しいのですけれども、カミュはそこに「いやな感じ」を覚えた。どうして「いやな感じ」がするのか、それを理論的に語ることはできないけれど、「いやなものはいやだ」というのがカミュの言い分でした。

 身体的な違和感に基づいて人は政治的な判断を下すことは許されるのかというのは、後に『反抗的人間』の主題となるわけですけれど、アルベール・カミュとレイモン・アロンは期せずして、「正義が正義であり過ぎることは人間的ではない」という分かりにくい主張をなしたわけです。

 歴史的事実が開示されないとことで苦しんだという点でカミュは人後に落ちません。というのは、戦後における歴史修正主義の最初のかたちは「レジスタンスについての詐称」だったからです。

 レジスタンスは初期の時点では、ほんとうにわずかなフランス人しか参加していなかった。地下活動という性格上、どこで誰が何をしたのかについて詳細な文書が残っているはずがないのですが、概数で1942年時点でレジスタンスの活動家は二千人と言われています。それが、パリ解放の時には何十万人にも膨れ上がっていた。44年の6月に連合軍がノルマンディーに上陸して、戦争の帰趨が決してから、それまでヴィシー政府の周りにたむろしていたナショナリストたちが雪崩打つようにレジスタンスの隊列に駆け込んできたからです。その「にわか」レジスタンたちが戦後大きな顔をして「私は祖国のためにドイツと戦った」と言い出した。そのことをカミュは苦々しい筆致で回想しています。最もよく戦った者はおのれの功績を誇ることもなく、無言のまま死に、あるいは市民生活に戻って行った。

 『ペスト』にはカミュのその屈託が書き込まれています。医師リウーとその友人のタルーはペストと戦うために「保健隊」というものを組織します。この保健隊は明らかにレジスタンスの比喩です。でも、隊員たちは命がけのこの任務を市民としての当然の義務として、さりげなく、粛々として果たす。別に英雄的なことをしているという気負いがないのです。保健隊のメンバーの一人であるグランはペストの災禍が過ぎ去ると、再び、以前と変わらない平凡な小役人としての日常生活に戻り、ペストの話も保健隊の話ももう口にしなくなります。カミュはこの凡庸な人物のうちにレジスタンス闘士の理想のかたちを見出したようです。

 フランスにおける歴史の修正はすでに1944年から始まりました。それはヴィシーの対独協力政策を支持していた人々が、ドイツの敗色が濃厚になってからレジスタンスに合流して、「愛国者」として戦後を迎えるという「経歴ロンダリング」というかたちで始まったのでした。でも、それを正面切って批判するということをカミュは自制しました。彼自身の地下活動での功績を誇ることを自制するのと同じ節度を以て、他人の功績の詐称を咎めることも自制した。他人を「えせレジスタンス」と批判するためには、自分が「真正のレジスタンス」であることをことさらに言い立てて、彼我の差別化を図らなければならない。それはカミュの倫理観にまったくなじまないふるまいでした。ですから、ナチス占領下のフランスで、ヴィシー政府にかかわったフランス人たちがどれほど卑劣なふるまいをしたのかというようなことをことさらに言挙げすることを戦後は控えた。カミュは「大人」ですから。

 でも、各国で歴史修正主義がそれから後に跳梁跋扈するようになったのは、一つにはこの「大人たち」の罪でもあったと僕は思います。彼らがおのれの功績を誇らず、他人の非行を咎めなかったことがいくぶんかは与っている。「大人」たちは、歴史的な事実をすべて詳らかにするには及ばないというふうに考えたのです。誇るべき過去であっても、恥ずべき過去であっても、そのすべてを開示するには及ばない。誇るべきことは自尊心というかたちで心の中にしまっておけばいいし、恥ずべき過去は一人で深く恥じ入ればいい。ことさらにあげつらって、屈辱を与えるには及ばない。そう考えるようになったのには対独協力者たちへの暴力的で節度を欠いた「粛清」に対する嫌悪感もかかわっていたと思います。「大人」たちは愛国者ですから、勝敗の帰趨が決まった後になって、敗者をいたぶるようなことはしない。それよりは同胞として改めて迎え入れようとした。人間的にはみごとなふるまいだと思いますけれど、実際には「大人」たちのこの雅量が歴史修正主義の温床となった。僕にはそんなふうに思えるのです。

 それと似たことが日本でもあった。それは戦中派の「大人たち」の僕たち戦後世代に対する気づかいというかたちで現れた。憲法は自分たちで制定したものではない。日本国民なるものは空語であるということを彼らは知っていた。でも、自分たちに与えられた憲法は望外に「よきもの」であった。だったら、黙ってそれを受け容れたらよい。それを「日本国民が制定した」という物語に仕立て上げたいというのなら、あえて異論を立てるに及ばない。それは戦後世代の子どもたちに「親たちや先生たちがこの憲法を制定したのだ」というはなはだしい「誤解」を扶植することだったわけですけれども、彼らはそのような誤解をあえて解こうとはしなかった。

 小津安二郎の映画『秋刀魚の味』には。駆逐艦の艦長だった平山(笠智衆)が、かつての乗組員であった部下坂本(加東大介)と語り合う場面があります。坂本が酔余の勢いで、「けど、艦長。これでもし日本が勝っていたらどうなっていたでしょうね?」と言い出します。平山はそれを制して「けど、負けてよかったじゃないか」とつぶやきます。意外な答えに一瞬戸惑った後、坂本も「そうですかね。うん。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」と同意する。

 この「負けてよかったじゃないか」という言葉を僕も父の口から聴いた記憶があります。会社の部下たちが家に来て、酒を飲んでいる席で、なぜか話題が戦中のことになった。その時に父親が話を打ち切るように、「敗けて良かったじゃないか」と言ったことがあります。今となると、そこには「子どもたちの前で戦争の話をするな」というニュアンスがあったようでした。

「敗けて良かったじゃないか(だから、戦争の時に自分たちが何をしたのか、何を見たのかについて話すのはもう止めよう)」という戦争について語ることへの抑圧は1950年代から60年代にかけて多くの日本の戦中派が口にした言葉ではないかと思います。戦争は敗けたけれど、負けたせいで、こういう「良い社会」になったのだ。結果オーライじゃないか。自分たちがどれほど罪深いことをしたのか、どれほど理不尽な目に遭ったのかというようなことについては口を閉じて、黙って墓場まで持ってゆけばいい。

 小津安二郎の『秋刀魚の味』は1962年の映画です、戦争が終わって17年目です。小津の映画には戦争の話が始まると誰かがぴしゃりと話の腰を折るという場面がいくつかあります。『早春』でも、『彼岸花』でも、誰かが戦争の時の話を始めると、「その話はもういいじゃないか」と誰かが制して、話はそこで終わる。おそらく、これと同じ情景が60年頃までは日本のあちこちで実際にあったのではないかと思います。

 そして、この戦中派の節度と、僕たち戦後世代に対する気づかいが、その後の歴史修正主義者や改憲派の登場の素地を作ってしまった。僕たち戦後世代が憲法に対して、それをあたかも「自然物」のように見なして、イノセントな信頼を寄せていたのは、この憲法を日本人が持つに至った歴史的過程については子どもたちにはできるだけ何も言わずにおこうとした先行世代の黙契の力だったということです。憲法に力があったわけではなく、この憲法は素晴らしいものだと信じていた人たちの思いに力があった。彼らの生身が憲法の堅牢性を担保していたのです。ですから、その人たちが死んでいなくなってしまったとたんに、僕たちの手元には、保証人を失った一片の契約書のごときものとして日本国憲法が残された。

 これが改憲派が強くて、護憲派が弱いという現実を生み出した歴史的背景だと思うんです。この事実がなかなか前景化しなかったのは、それが「起きなかったこと」だからです。戦争における無数の加害事実・非人間的事実について明らかにする、憲法制定過程についてその全容を明らかにするということを怠ったという「不作為」が歴史修正主義者や改憲派が今こうして政治的勢いを有している理由なわけです。「何かをしなかったこと」「何かが起きなかったこと」が原因で現実が変わったわけです。歴史家は「起きたこと」「現実化したこと」を組み立てて、その因果関係について仮説を立てて歴史的事象を説明するのが仕事ですけれど、「起きなかったこと」を歴史的事象の「原因」として論じるということはふつうしません。

 それはフランスでもたぶん事情は同じで、もし戦後、対独協力者の徹底的な告発を行って、国民の相当数を「非国民」「裏切者」として処断した場合、その後のフランスの国民的統合はあり得なかったでしょう。対独協力したけれど、それを「恥じて、黙っていた」市民については、それ以上の追求を手控えたことで、フランスは国民的な和解を手にした。でも、それが歴史修正主義者の登場や、国民連合のような極右勢力の伸長に対して無防備な社会を創り出してしまった。もっと非寛容であるべきだったのか、と問われると僕にも答えようがありません。僕がその時代に生きていたら、レイモン・アロンやアルベール・カミュのような「大人の対応」に賛同の一票を投じたと思います。そして、今のフランスの排外主義や人種主義のありさまを見て、深く悔いるということをしたのではないかと思います。でも、それ以外にどうしようがあったのか。

 それは日本の戦中派も事情は同じだと思います。彼らが自分自身を含めて戦争責任を徹底追及し、憲法の空語性をきびしく難じて、「日本国民などというものは存在しない」と宣言した場合、戦後の日本はどうなったのか。たぶん僕たちの世代は国そのものと親たちの世代に対する嫌悪と軽蔑を扶植されることになったでしょう。子どもでも厳しく理不尽な現実を見つめて育った方がよいのだというタフな育児戦略を信じる人もいるかも知れませんけれど、僕は戦中派の「常識」に与します。それ以外にどうしようがあったのか。

 護憲派はこの常識と抑制の産物なわけです。だから、激しい感情や露悪趣味に対して弱い。ですから、護憲運動を1950年代60年代と同じように進めることはできないと思うのです。だって、当時の護憲運動の主体は戦中派だったわけですから。彼らはリアルな生身を持っていた。「空語としての憲法」に自分たちの願望と子どもたちの未来を託すというはっきりした自覚を持って護憲運動をやっていた。でも、僕らは違う。僕らは「自然物としての憲法」をぼんやりと豊かに享受しているうちに、ある日「お前たちが信じているものは人工物だ」と言われて仰天している「年取った子ども」に過ぎません。

 となると、これから僕らが進めるべき護憲運動とはどういうものになるのかというと、これはとにかく「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。現実を認めるしかない。われわれの憲法は脆弱である、と。根本的な脆弱性を孕んでいる、と。それを認めるしかない。そして、その上で、どのような宣言であっても、憲法であっても、法律であっても、そのリアリティーは最終的に生身の人間がその実存を賭けて担保する以外にないのだと腹をくくる。憲法条文がどんなに整合的であっても、どんなに綱領的に正しいものであっても、そのことだけでは憲法というのは自立できません。正しいだけでは自存できない。絶えず憲法に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、死文に過ぎない。

 死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗です。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、そのことを語らないんです、護憲派は。憲法はそれ自体では空語だということを認めたがらない。憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死し、倒れてしまうという切迫した危機感を僕は護憲派にあまり感じることができないのです。危機を感じるためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならない。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていたけれど、口にはしなかった。でも、知っていた。僕たちは、この憲法が空語だということを知らずに来た。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。

 それを認めるというのは、言い方は厳しいけれど「護憲派は間抜けだった」と認めるということです。それはきっとみんな厭なんだと思います。でも、僕は認めます。僕は間抜けだった。だから、歴史修正主義者や改憲派がこれほど力を持つようになるまで、ぼんやり拱手傍観していた。憲法はもっと堅牢なものだとイノセントに信じていたから。でも、改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたいと思っている人がこれだけ多く存在するということ、僕たちの失敗なわけです。それは認めなければいけない。

 だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならない。戦中派がしたように、今度は僕たちが憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての僕の基本的なスタンスです。なんだか護憲運動にとってあまり希望のない話になってしまって済みませんでした。長時間ご清聴ありがとうございました。

http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

2. 中川隆[-10354] koaQ7Jey 2019年5月03日 20:01:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1736] 報告

憲法の日に寄せて - 内田樹の研究室 2019-05-03
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html


2019年5月3日 1947年5月3日に憲法が施行されてから、72年目になる。

今年は先日読み終えて、たいへんに衝撃を受けた加藤典洋さんの『九条入門』(創元社)の所論の一部を紹介して、私見をいささか付け加えたい。(以下敬称略にします。すみません、加藤さん)

先日の神戸新聞のインタビューでも、「憲法一条と九条はワンセット」という加藤の知見に基づいて天皇制について話したのだけれど、その部分はカットされてしまったので、それも含めて。

天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。

法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会(のちの極東委員会)に属した。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。

メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

ということは、極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合には天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判が開かれた場合には天皇が被告席に立たされる可能性があったということである。

ドイツやイタリアでは、憲法がゆっくり時間をかけて検討され、起草されたが、日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに(憲法制定権限をもつ極東委員会が発足する寸前に)1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ、日本政府に開示されたのは2月13日)が発表された。

極東委員会のメンバーが日本視察を終えて2月1日に横浜を離れると同時に草案の検討が始まり、彼らが太平洋を横断して、サンフランシスコに到着した2月13日に憲法は書き上げられていた。そして、「もう誰にも手出しできない状況」(72頁)が生まれていた。

GHQには憲法制定権はないから、建前上これは「日本国民の自由に表明せる意思に従い」起草されたものである。

それにしても、なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?極東委員会や国務省の裏をかくような真似をしたのか?

加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。
天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。

天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。

マッカーサーの知恵袋だったフェラーズ准将は知日派の情報将校だったが、つよく天皇の免罪を求めた覚書をマッカーサーに提出している。

「無血侵攻を果たすに際して、われわれは天皇の尽力を要求した。その命令によって700万の兵士の武装解除が可能になった。したがって、その彼を戦争犯罪のかどで裁けば、日本国民の目には、背信に等しいものと映るであろう。統治機構は崩壊し、たとえ武装解除されているにせよ、全国的反乱は避けられない。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍が必要となり、占領期間は延長されざるを得ないであろう」(83頁)

マッカーサーはそのような事態を全く望んでいなかった。

彼には短期間のうちに日本軍国主義の一掃と、社会の民主化をなしとげ、米軍兵士たちを無傷で帰郷させ、日本占領に奇跡的成功を収めた「卓越した行政官」という声望を求める個人的理由があった。

彼は1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補に指名されることを狙っていたからである。

そのためにはどうしても「昭和天皇の免罪と助命をかちえて、天皇の信頼を獲得して、その力を利用して占領統治を成功させる」(73頁)必要があった。
マッカーサーにはタイムリミットがあった。

48年には彼は68歳になる。現役大統領のトルーマンは4歳年下、48年にトルーマンが後継指名し、52年に共和党の大統領候補指名を得たドワイト・アイゼンハウアーはかつてマッカーサーの副官だった軍人で、10歳年下である。
現役軍人は大統領になれない。

48年の大統領選の準備のためには本国に帰国しなければならない(マッカーサーは太平洋戦争の前からほとんど帰国したことがなかった)。華々しい凱旋帰国のためには早期の占領成功が必須だった。

そのために、1947年からマッカーサーはアメリカ国内向けに繰り返し「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」という声明を出し、本国へ対して「日本の占領をすみやかに終わらせることを望む」メッセージを送り続けた。

しかし、「大勝」という大方の予想を裏切って、48年3月のウィスコンシン州での予備選挙でマッカーサーは惨敗を喫し、いきなり指名レースから脱落してしまう。

それはまだ先の話で、1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。

そのためには、極東委員会が憲法制定権を行使して、ゆっくり時間をかけて憲法草案(これは天皇制を廃絶するものである可能性があった)を検討する作業を始める前に、すべてを片付けねばならない。

そのときにマッカーサーに「天啓」のように訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。

天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。
天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。

「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)

天皇制の存続につよい懐疑のまなざしを向ける極東委員会の国々(ソ連は天皇制そのものの廃絶を求め、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは天皇制による軍国主義の復活を恐れ、中華民国は天皇が裁判で訴追されないことに不服を申し立ていた)に「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。

ここまでの加藤の行論には反論の余地がないと思う。

憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定されたという加藤の論には説得力がある。

とくに私が興味を持ったのは、この「極端な戦争放棄」に当時の政治家や憲法学者たちが熱狂したという点である(その多くは後になって「九条二項には個別的自衛権を放棄したものではない」と掌を返したように解釈を覆したが)。

加藤はこれを日本人が病んだ「道義心の空白」(193頁)によって説明する。

敗戦によって日本がそれまで道義的価値の源泉として見上げてきた(少なくとも制度的にはそう強制されてきた)天皇がその地位を失った。
天皇制は戦争責任を免れるかたちで存命することになった。

それを喜んだ日本人もたくさんいただろう。けれども、天皇がもはや国家の道義的な中心ではなくなったという事実に日本人は深い空虚感を感じたはずである。
いったいこれから先、日本人は何を道義とし、モラルとして生きていったらよいのか?

その「藁をもつかむ」状態にあった日本人に提示されたのが、戦力を持たず、交戦権を否定し、全面的な戦争放棄を実行して世界に類のない平和国家をめざすのだという憲法九条の「物語」である。

「世界に類のない」というところが肝心なのである。

世界に冠絶する大日本帝国が瓦解した後に、それでも日本人はなんらかのかたちで「世界に類をみない国」でありたいと切望した。

加藤はこのときに日本人を巻き込んだ熱狂についてこう書いている。

「自分たちの空っぽの道義の『空白』には、いま、そのようなものこそが、必要なのだ、自分たちはそれをこそ求めていたのだ、と考え、その条項を全面的な賛同の気持ちで受けいれることにした。このとき起こったことが、そうした側面をもっていたとしたら、それは、戦争放棄の『光輝』によって行う、天皇の民主化の『空白』の"埋め合わせ"(代償行為)だったのだろうと私は思うのです。」(195頁)

ここまでの論を見ただけで、なぜ先帝が「鎮魂と慰藉」という「象徴的行為」を「象徴天皇」の本務であるとして、あれほど強調されてきたのか、その理路が逆方向からわかってくる。

天皇陛下の象徴的行為による国民の道義性の「底上げ」の努力は、改憲の運動が進み、憲法九条の「道義性」が減殺されてゆくプロセスとほぼ並行している。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。

いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。

日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。

という話を神戸新聞にしたのだけれど、変な話過ぎたので、記事にはならなかったので、ここに採録するのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html

3. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月18日 19:37:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1959] 報告
日米開戦直後に作成されていた天皇利用の間接統治計画: 書評 『9条入門』 著・加藤典洋 (長周新聞)
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/860.html


長周新聞 2019年5月16日

 5月3日の憲法記念日、安倍首相が日本会議系の改憲集会などにビデオメッセージを送り、「令和元年という新たな時代のスタートライン」に立って改憲議論を進め、「憲法を改正して来年に施行」すると意気込んだ。一方護憲勢力はおもに「憲法9条への自衛隊明記」を批判する集会を全国各地でおこない「平和憲法を護れ」と訴えた。天皇代替わりと改元直後の憲法論議ではあるが、「憲法第一章」(象徴天皇制)は争点になっていない。この点で目につくのは、おもに「護憲派」「進歩派」といわれる著名人のなかから、「平成天皇は、憲法9条を護るために努力し、象徴天皇としての務めを果たした」と称賛する声が聞こえることである。 
 
 『朝日新聞』(5月3日付)は、「安保法制」や憲法への自衛隊明記を批判してきた憲法学者の樋口陽一氏が「元号とは、国民がその名で天皇を歴史の中に記憶すること」だから、「無責任な介入」をすべきではなかったとして安倍首相を批判する発言を大きくとりあげた。象徴天皇制を主権在民の要として、平和と民主主義のために尽くす「名君」(優れた天皇)を護ることの重要性を強調するものである。 
 
 文芸評論家の加藤典洋(早稲田大学名誉教授)は、最近出版した『9条入門』(創元社)で、「戦争放棄」を定めた憲法9条は「ただすばらしいもの、手をふれてはいけないもの」といって「有り難がるだけ」では、「憲法9条に負けてしまう」という観点をうち出している。それは9条が「アメリカの占領政策のなかから誕生した」ものであり、第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という規定とともに、GHQの天皇免罪政策の帰結であったことを明確にする立場からである。 
 
 戦後の憲法論争では、改憲勢力が「押しつけられた憲法」といって「自主憲法」をとなえるのに対して、護憲論の多くが「押しつけられたものではない」といって九条の成立過程に立ち入ることを拒むという構図が形成されてきた。それがアメリカの対日占領政策、さらには「安保条約」下の対米従属社会について、踏み込んで論議し平和運動を強めることを妨げる要因になってきたといえる。 
 
 加藤は本書で、憲法の成立過程から「たしかに憲法9条は押しつけられた」といえることを史実に即して明確にしている。 
 
 マッカーサーは、厚木に到着する以前から、「天皇の権威を利用した間接統治による占領管理をめざしていた」。また、「終戦時に天皇の指令のもと、ほぼ乱れることなく国内外の数百万の日本軍がいっせいに武装解除に応じるのを見て、天皇の力というものに強い印象を受けていた」。 
 
 1945年9月2日の降伏文書調印式以降、マッカーサーが真っ先にとりかかったのは、「天皇を使った間接占領にむけての助命・免罪工作」であった。GHQの天皇免罪工作は、まず敗戦翌年(1946年)1月1日の「人間宣言」として実現した。しかし、当時の国際情勢においては、昭和天皇の戦争犯罪を糾弾する世論が圧倒的であった。マッカーサーはこの困難を克服する決定打として、日本政府に「天皇から政治権力を奪い(第1条)、軍事力も放棄(第9条)する、新しい憲法の制定」を超法規的な力で要求(押しつけ)した。 
 
 GHQが憲法草案を日本側に渡すさい、「これを受け入れれば、天皇の立場は安泰(アナシーラブル)になる」と説得した。GHQとしては、天皇を護りたいのだが、護りきれないかもしれない。この天皇の主権剥奪、日本の戦争放棄の2点を明記した憲法が受け入れられれば、「これを盾にして、国際社会の天皇糾弾者たちの要求をはねのけ、権力をもたない、象徴としての天皇を護ることができるだろう」と。そのため、「国体護持」(天皇制・皇室の存続)を第一に懇願していた日本政府は「昭和天皇を護るため」の憲法改正案をやむなく受け入れることになった。 
 
■押しつけ憲法を平和の糧に 問われる主体性 
 
 加藤は一方で、「国家主権の放棄」という側面を持つ憲法九条は、戦争で肉親、家財を失い塗炭の苦しみを強いられた日本国民に支持されたとして、次のように書いている。 
 
 「国にだまされ、戦場に送られ、あるいは家族を戦場に駆り出され、あるいは国内で空襲に逃げまどうことになったこれら多くの人びとの経験が、国の要職につく人とははっきりと違う、新しい受けとめ方を生み出した」 
 
 「こうして憲法9条は、これを国の主権制限条項と考えて否定的に受けとめる人びとと、国の平和追求の原理を定めたものと考えて肯定的に受けとめる人びととの間で戦後の日本人を二分する大問題になっていく」 
 
 加藤は、そこからこの間たたかわれてきた「押しつけ憲法」論とかかわって、「“押しつけられた”原理を、押しつけた側と押しつけられた側のどちらが、より必要としているか。わがものとしているか」が問われているという。 
 
 「そこに(憲法9条に)埋め込まれた可能性を十全に受けとめ、発揮できるのは、これを押しつけたマッカーサー、占領軍(GHQ)、アメリカ(米国)の側ではなく、これを押しつけられ、その押しつけられたものを、自分たちに必要なものとして学びとろうとしている自分たちのほうなのだ」 
 
 加藤典洋はこうして、憲法九条の草案者の野望と意図を見抜くとともに、9条に内在する可能性を、恒久平和を真に願う国民が主体的に発揮しみずからの力を強大にしていく糧にしていくことの大切さを強調している。  
 
■間接支配の為天皇を保護 明白な歴史真実 
 
 本書が明らかにしているアメリカによる天皇制をめぐる戦後処理と憲法制定過程については、すでに幾多の歴史学者が先行して発表してきたものである。 
 
 中村政則(一橋大学名誉教授)は『象徴天皇制への道』(岩波新書、1989年)で、「天皇制を残せば日本がふたたび天皇を中心として、軍国主義を復活させ、世界支配の野望に立ち上がるかもしれないと危惧する国際世論からの不安」をとり除く保証として、「考案されたのが憲法九条の戦争放棄規定であった。いわば第1条と第9条はワンセットの関係にあった」とのべていた。 
 
 また、マッカーサーが天皇の「人間宣言」後に大統領にあてた機密電報で、「天皇を廃除すれば、占領軍の大幅増強は絶対不可欠となり、最小限にみても百万の軍隊が必要となり、無期限にこれを維持しなければならない」という理由で、天皇を東京裁判に付すことに反対する強い意志を示していたことを明らかにしている。 
 
 さらに、スチムソン米陸軍長官が戦後、日本に対する「天皇制保持による間接統治」を達成するために「二枚の切り札を持っていた」と回想している事実もとりあげている。スチムソンは「(切り札の)一つは、日本皇軍にたいして威力をもつ天皇であり、もう一つは原爆であった。この原爆によって、天皇およびその側近たちをして、無条件降伏をよぎないものと感じさせ、天皇の日本国民に対する測りしれない力をもって、日本軍部をしてわれわれの命令に従わせるということを達成すべきだと考えた」と書いていた。 
 
 このように、マッカーサーやスチムソンらは早くから、「天皇を日本国民統合の象徴として利用し間接支配する」という日本占領政策を共有していた。加藤哲郎(一橋大学名誉教授)は『象徴天皇制の起源』(平凡社新書、2005年)で、アメリカが日米開戦(真珠湾攻撃)直後から、天皇制を利用して、日本の軍部を排除した立憲君主制資本主義国家とし再建する計画(「日本計画」)を作成しており、その半年後には天皇を「平和のシンボル(象徴)として利用する」との最終草稿をまとめていたことを明らかにしている。 
 
 アメリカがこのような対日戦略をもって、「真珠湾攻撃」を機に第二次世界大戦に参入し、当初から天皇を「平和主義者」として軍部と区別し、東京大空襲でも皇居の攻撃を避けたことにも示された。その一方で、沖縄戦、全国空襲から広島・長崎への原爆投下によって何の罪もない一般市民を大量に虐殺したのである。昭和天皇はそれを理由に、アメリカにひれ伏すことを正当化することができた。 
 
 「“令和”改元を機に自主憲法の制定を」と叫ぶ勢力が国民的な支持基盤を持たないのは、また、アメリカ型の民主主義を賛美する「護憲勢力」が力を欠いているのは、両者ともこうした厳然たる歴史的事実と向き合うことができないからだといえる。

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/091bd01886c9b05ab95027798239af76.jpg
この一冊で、すべての憲法論議は終わる
あらゆる政治的立場から離れた本当の9条の物語 その「出生の秘密」から「昭和天皇」「日米安保」との相克まで
(創元社発行、「戦後再発見」双書、B6判・348ページ、1500円)

https://www.chosyu-journal.jp/review/11737  

4. 中川隆[-9769] koaQ7Jey 2019年6月07日 18:19:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2673] 報告

日本は憲法9条を変える必要は無い _ 中国は台湾と戦争できるか? 弱い犬ほど良く吠える


2019年06月07日
中国は台湾と戦争できるか? 弱い犬ほど良く吠える
http://www.thutmosev.com/archives/80046161.html


戦争は敵を油断させた方が有利なので、本当に戦争をしたい国は「平和主義」などを言う。

1941年のハワイは油断しきっていたので日本軍の攻撃が成功した。


http://www.west-point.org/users/usma1955/20315/PH_3.htm

中国軍が台湾に攻め込んでも負ける

中国は最近「台湾独立を防止するため軍事衝突も辞さない」「我々は戦争をためらわない」などと言っています。

だがこれは戦争の歴史を少しかじった人なら、実際には「中国は台湾と戦争できない」と言っているのだと分かります。

軍事常識としては本当に戦争する気なら、わざわざ「これから戦争するよ」と言いふらすのは自国を不利にする効果しかない。


本気で戦争を考えているなら、かつての日本軍のようにペコペコ外交をして頭を下げながら、油断させて奇襲攻撃を掛けます。

ヒトラーも「我が国は平和を求めている」など心にもないことを言いながら、ポーランドやフランスに攻め込みました。

本当に戦争をするならこれが一番いいのであって、「これから戦争するから気を付けて」とは決して言いません。


逆に「我が国は戦争を決意している」「何物も恐れない」などと言っている国が、古来から本当に戦争した例は少ない。

北朝鮮は常に「ソウル、東京、アメリカを火の海にする」と言っていますが、実際にやったことはありません。

北朝鮮は1948年にソウルに攻め込んだが、事前予告なしの奇襲攻撃で、むしろ話し合いによる統一などを主張していた。


韓国やアメリカは北朝鮮は平和国家だと思っていたので、奇襲は大成功して韓国の90%は北に占領された。

戦争はこんな風に始まるので、平和平和と呪文のように唱えている国が、実はもっとも危険な国なのです。

中国が「いますぐ台湾を攻撃するぞ」と言っているのは、「中国は台湾を攻撃する力がありません」という事なのです。

弱い犬は良く吠える

中国の軍事力は台湾より圧倒的に巨大で、軍事予算では20倍近く、兵力でも10倍以上あります。

だがアメリカが台湾を支援するので台湾軍+アメリカ軍と中国軍は戦うことになる。


日本もアメリカと共に台湾を支援するので、日米台湾VS中国という図式になり、そなれば英仏独豪もアメリカ側につきます。

これではもう中国に勝ち目はないが、おそらく中台戦争時のように米軍は直接中国軍とたたかいません。

中国としてもアメリカとの全面戦争は避けなくてはならないので、限定的な軍事行動しかできません。


米軍は空母や軍艦を台湾周辺に展開し、輸送路を確保して3方向から台湾に補給する。

日本やフィリピン側からは米軍機が台湾周辺を警備し、中国軍機の行動は大幅に制約されます。

中国が使える主要兵器は弾道ミサイルと航空機だが、もし都市や住民を無差別攻撃すると、中国は国連安保理から除名されます。


誤解されているが常任理事国は総会への拒否権がなく、国連総会で「中国を安保理から除名する」と決議されればそれで常任理事国ではなくなる。

中国にできるのは台湾の軍事基地へのミサイルと航空攻撃だが、いくら航空攻撃してもそれだけでは戦争に勝てない。

台湾には20万人の台湾軍が存在し、これを打ち破るには少なくとも20万人の中国軍を上陸させる必要がある。


アメリカは台湾に対して無制限に最新兵器を供与するので、台湾海峡を渡る船は対艦ミサイルでことごとく撃沈されるでしょう。

このようにどう転んでも中国軍が台湾島を占領するのは不可能で、むしろ国際社会が台湾を支持する可能性のほうが高い。

実際にはできないから「いつでもできる」と吠えるので、弱い犬がワンワン吠えるのに似ている。
http://www.thutmosev.com/archives/80046161.html  

5. 中川隆[-9526] koaQ7Jey 2019年6月18日 10:20:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2947] 報告
北アメリカとヨーロッパの大衆:いいかげんに目を覚ませ、まったく!
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-c8e4a5.html
2019年6月17日 マスコミに載らない海外記事


Andre Vltchek
2019年6月6日
New Eastern Outlook

 毎年、毎月、私は世界の両側を見ている。ますますかけ離れてゆく二つの両極端を。

 シリアのホムスのような偉大な都市がぞっとするほど崩壊されたのを見る。アフガニスタンのカブールやジャララバードが、NATO占領軍と彼らの現地の傀儡を守るのを意図した巨大なコンクリートの壁で分断されているのを見る。インドネシアのボルネオや、金を採掘しているペルーの町や、今やほとんど住めなくなったオセアニアの環礁島諸国のツバルやキリバスやマーシャル諸島で恐ろしい環境破壊を見る。

 公衆衛生設備や清浄な飲料水が欠如しているスラムを見るが、そこでは欧米帝国の長靴が現地文化を打ち壊し、人々を奴隷にして、自然資源を略奪しているのだ。

 私はすべての大陸で働いている。極度の疲労に打ちのめされている時でさえ、ほとんど何の蓄えも残っていない時でさえ、私は決して止めない。私は止めることができない。とうとう行動様式が見えるようになったので、私には止める権利がないのだ。この世界の動き方、欧米が世界の大部分の国を強奪し、洗脳し、奴隷にしに成功していた方法を。私は私の知識をまとめ、「世界への警告」として出版するのだ。

 私はこの「行動様式」についての本を書いた。これまでで私の最も包括的な、厚さ1000ページの「Exposing Lies of The Empire(帝国の嘘をあばく)」だ。

 そして、私は欧米そのものを見る。

 私は「講演」のため、ヨーロッパ同様、カナダやアメリカにも行く。時にはオーストラリアの聴衆に講演するよう依頼される。

 破壊された人々や略奪された大陸と比較すると欧米は法外なほど金持ちなので、まるで地球に属していないかのように思えることが多い。

 のんびりした怠惰な日曜午後のローマのヴィラ・ボルゲーゼ散歩と、ナイロビのマザレ・スラム恐怖の通り抜けは、全く別の二つの現実、二つの異なる銀河系に存在していて不思議はないものだ。

 今も「ヴィラ・ボルゲーゼ」の綴りをちょっと間違っただけで、Macはすぐ正解を教えてくれた。ヴィラ・ボルゲーゼが存在しているからだ。一方、正しく綴った「Mathare」には赤く下線を引かれてしまった。Mathareは「間違い」なのだ。なぜならそれは存在しないから。約百万人の男性と女性と子供がそこに住んでいるにもかかわらず、それは存在しないのだ。欧米で私のマックブックプロによっても、比較的十分教育を受けた読者の大多数によっても認識されないのだ。

 実際、ほとんど世界全体が、ニューヨークやベルリンやパリから見た場合、一つの大きなエラー、非実在のように思われる。

 私は欧米の大衆の前で講演する。そう、頻度は減っているが、時々講演している。

 率直に言って、ヨーロッパや北アメリカの聴衆と対面するのは憂うつで屈辱的に思える。

 それはこういうことだ。「真実を語ること」世界中で目撃したことを語るよう招かれるのだ。

 良く暖房されたり冷房されたりしている家で美味しい夕食を食べた後、快適な自動車で到着したばかりの男性や女性に対面して私は立っている。私は有名な著者で映画製作者かもしれないが、どういうわけか、彼らは私を乞食のように感じさせるのだ。なぜなら私は「乞食」たちのために話をするために来たのだから。

 全てが洗練されて、振り付けられている。私はどんな「流血シーン」も見せないことになっている。私は「公人の名」を出さない。壇上では悪態をつかず、酔わず、視界に入っている人々侮辱しないのだ。

 通常直面するのは、かなり頑固かか、少なくとも「かたくなな」聴衆だ。

 最近、南カリフォルニアで、仲間の哲学者と友人に彼の同僚の小さい集会で話をするよう頼まれた際、私がシリアのイドリブ近くの前線における状況を説明していると、何人かの人々が携帯電話をいじっていた。私の話は彼らの大部分にとって「耳に心地良いBGM」にすぎないと感じた。テレビインタビューで何百万人もの人々に語る際は、少なくとも、大衆には会わずに済む。

 欧米で「講演する」際は、実際、彼らの国が犯している大量殺人や大量虐殺に少なくとも部分的には責任がある男性や女性に語るのだ。他の人々が強奪され、屈辱を受け、しばしば強姦さえされているがゆえに、生活水準が理不尽にも高い男性や女性だ。だが彼らの目は謙虚ではない。彼らは私に詰め寄り、私がするかもしれない間違いを待ち構えていて、こう結論するのだ。「彼はフェイクニュースだ」。彼らにとって私は「存在している」人々と存在しない人々の橋ではない。彼らにとって私は、エンタテイナー、芸人、あるいは多くの場合、厄介ものだ。

 私の聴衆の多くにとって、欧米がくり広げる戦争やテロについてについて学ぶのは、オペラ公演や交響曲コンサートとは違う別の種類の贅沢な、レベルの高いエンターテイメントなのだ。大半はそうしたがらないが、もし必要なら、彼らは代金さえ払えるのだ。刺激的な経験をした後、彼らはいつもの暮らし、保護された優雅な生活に戻る。一方私は、翌日、違う現実、前線に、埃と窮乏へと戻る飛行機に乗っていることが多い。

 彼ら、私の聴衆(現実に直面しよう。読者の大部分でもあるのだ)は彼らがどれほど「偏見がない」か示すためにやって来るのだ。彼らは自分のライフスタイルを損なないようにしながら、私から「学び」「教養を身につける」のだ。彼らの大半は、私のような直接体験なしで、その全てを知っているつもりになり、大学なり劇場なり、どこであれ、彼らの前に私を招き、彼ら自身も無理やりやって来て、私に情け深い恩恵を施しているのだ。彼らは私の戦いに対する支援は言わない。彼らはどんな戦いにも加わらない。彼らは善良な平和主義の勤勉な人々だ。それだけだ。

 1930年代後期のドイツ人のようだ。独善的で勤勉な人々だ。彼らの大部分がペットを愛し、ごみをリサイクルする。そしてスターバックスで後片付けする。

 数日前、我々はベネズエラでクーデターを止めた。私は破壊されたボルネオ島の奥深くにいたが、私はRTやPress TVで何百万人かに向けてインタビューをしていたので、我々という言葉を使った。そこでさえ私は、書くこと、ツイートを決して止めず、必要とあらば、いつでも全てを置いて、カラカスに飛ぶ用意ができていた。

 ベネズエラを守ること、そこで革命を守ることは極めて重要だ。欧米の命令に降伏するのを拒否している他の革命的な勇敢な国々、シリア、キューバ、ロシア、中国、北朝鮮、イラン、ボリビア、南アフリカを守ることは極めて重要だ。

 カラカスにまつわるイデオロギーの戦いが猛威を振るう中、私は考えていた。欧米の大衆を行動させることができるものが、まだ何かがあるのだろうか?

 彼ら、ヨーロッパ人と北アメリカ人は、自身の罪に対して全く無関心になってしまったのだろうか? 彼らは何か感情的な免疫ができてしまったのだろうか? 彼らの状態は、イデオロギー上の問題なのか、それとも病気の問題なのだろうか?

 我々は実に露骨なクーデターのさなかにいたのだ。地球で最も民主的な国の一つを打倒する欧米による企み。それなのに彼らのワシントンやマドリッド政権が行っているテロを止めるため、彼らは何もしなかったのだ! 少なくとも、1965年のインドネシアで、あるいは1973年のチリでは、欧米政権は、見え透いた口実を使ってごまかそうとしていた。少なくとも、ムジャヒドを作り出して、社会主義アフガニスタンと共産主義ソ連を破壊しながら、欧米は少なくとも部分的には自分たち本当の役を隠そうとして、パキスタンを代理に使っていた。少なくとも、イラクで百万人以上の人々を殺しながら、へたな芝居や「大量虐殺兵器」に関する山ほどの嘘をついていた。少なくとも、少なくとも…

 今はもうまったく見え見えだ。シリアで、ベネズエラで。北朝鮮、キューバ、イラン、中国、ロシアに対しても。

 もはやプロパガンダさえ必要でないかのように、欧米政権の計画に対して、欧米の大衆は全く脅威にならず、完全に従順になったかのように。

 あるいは、より正確には、かつて手が込んでいた欧米のプロパガンダが、極端に単純になったのだ。今は嘘を繰り返すだけで、欧米諸国民の大多数は自分たちの政府が世界で何をしているか疑おうとしさえしないのだ。唯一問題になるのは「国内問題」だけなのだ。つまり欧米諸国民の賃金と手当だ。

 ベトナム戦争当時のような暴動はない。今の暴動はヨーロッパ人労働者のより良い福祉のためだけだ。国外での略奪や、非西側諸国に対するNATOによるテロ攻撃や、無数のNATO軍事基地や、侵略やクーデター画策を止めるために、欧米では誰も戦っていない。

 欧米の大衆は、更にどこまで耐えられるのだろう?

 それとも、絶対的に全てに耐えることができるのだろうか?

 彼らはベネズエラやキューバへの、あるいは両国への直接侵略を容認するのだろうか?彼らは、ごく一例をあげれば、既に最近の歴史で欧米が犯したテロ行為、ユーゴスラビア、イラク、アフガニスタン、リビアやシリアへの直接介入や破壊を受け入れている。

 更にどれだけ多くのものを受け入れるのだろう? 対イラン攻撃は受容できるのだろうか? 例えば、200-300万の死者を?

 あるいは、北朝鮮だろうか? 更に数百万人の、死体の新しい山?

 私は尋ねている。修辞疑問ではない。私は本当に知りたいのだ。世界は知らなければならないと私は信じている。

 欧米の大衆はISIS (あるいはIS、あるいはダーイシュ)のレベルに達してしまったのだろうか? それほど独善的に、それほど狂信的に、自身の例外主義を確信していて、もはや、明晰に考え、分析し、判断することができないほどなのだろうか?

 ロシアや中国、あるいは両国を第三次世界大戦に駆り立てることが、バイエルンやサウスカロライナやオンタリオに暮らす人々に受け入れられるのだろうか?

 そして、もしイエスなら、彼らは全員正気を失っているのだろうか?

 もし彼らが正気を失っているのなら、世界が彼らを止めるべきなのだろうか、一体どのようして?

 私は欧米の狂気の限界を知りたいと思う。

 狂気があるのは明白だが、それはどれほど大規模なのだろう?

 私は分かっている。フランス人、アメリカ人、カナダ人、イギリス人やドイツ人が何人についてくそったれに彼らが中東や東南アジアやアフリカや「そのような場所」で何百万人もの罪がない人々を殺すことについて全く気にしていないという怪物のような事実を私は受け入れている。彼らがその植民地の歴史についてほぼ何も知らず、彼らは、サッカー試合が見られ、たくさんの肉と6週間の休暇を異国情緒の海岸で楽しめる限り、何も知りこくはないのを私は受け入れる。欧米が行った恐ろしい犯罪を知っている人々の多数さえもが、決して、決してそれを、彼ら自身のせいではなく、欧米が何世紀にもわたり行ってきた略奪の上に成り立っている自分たちの文化にではなく、中東の前哨基地であるイスラエルではなく、全てロスチャイルドや「シオニスト陰謀」のせいにしたがるのを私は知っている。

 しかし我々の地球の存続と、人類の存続はどうなるのだろう?

 私は私の「戦闘のプレゼンテーション」を聞きに来る人々の目を想像する。私は彼らに真実を話す。私は全てを語る。私は決してはばかることはしない。決して妥協しない。私は彼らに彼らが解き放った戦争の画像を見せる。そう彼らだ。市民は自身の政府に対して責任があるのだから、明らかに集団的犯罪や連帯責任と呼ばれるものがあるのだから!

 あの目、あの顔。そこに私が見るものをお話ししよう。彼らは決して行動するまい。彼らは決して彼らの政権を打倒しようとするまい。彼らが恵まれた生活を送れる限り。彼ら自身がエリートであるシステムが、少なくとも現在の形で生き残る何らかの可能性があると思う限り。彼らは両方の方法でそれを演じる、彼らの一部はそうする。口頭で、彼らはNATOに、欧米帝国主義や野蛮な資本主義に激怒する。実際は、彼らは体制と戦うために、具体的なことは何もしない。

 すると結論は何だろう? もし彼らが行動をしないなら、他の人々がそうしなければならない。そして私は確信している。彼らはそうするはずだ。

 500年以上にわたり、極端に攻撃的な欧米諸国の小さな集団に世界全体が炎に包まれ、略奪され、殺されてきた。これは事実上、絶え間なく続いてきた。

 もはや誰も、それが面白いことだとは思わない。私が働く場所、私が気にかける場所では、誰もこの種類の世界を望んでいない。

 今ベネズエラを破壊しようとしている国々をご覧願いたい。しっかりご覧願いたい! 彼らはアメリカ、カナダ、大多数のヨーロッパと、主にそれらヨーロッパ植民地主義者の子孫が多数派を形成している南米諸国だ!

 我々は更に500年、これを望むのだろうか?

 北アメリカ人とヨーロッパ人は間もなく目覚めなければならない。ナチス・ドイツにおいてさえ、ヒトラーに強い嫌悪の念を抱いて、彼を排除したいとを望んだ兵士がいたのだ。今、欧米には、500年にわたる欧米植民地主義略奪はもうたくさんだ、世界を苦しめるのを止めるべきだ、即座に止めるべきだと信じる有力な政党は一党もない。

 もし、我々の地球が今直面している最大で、おそらく唯一脅迫である欧米帝国主義が、決定的に、しかもすぐに、自身の市民に取り除かれないのであれば、それは外部の力で戦い、阻止されなければなるまい。つまり過去と現在の被害者によって。

 Andre Vltchekは哲学者、小説家、映画製作者で調査ジャーナリスト。彼は Vltchek’s World in Word and Imagesの創作者で、China and Ecological Civilizationを含め、多くの本を書いている作家。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。

6. 中川隆[-9245] koaQ7Jey 2019年6月28日 10:05:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3260] 報告

右翼が 悪名高い偽書 でも何の疑いも無く信じてしまう例:


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第7回「イラン、中国、そして日本〜トランプとディープステートの“世界支配”の違い」[桜R1-6-27] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LSpzN66HgyE

出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)


の中で次の自称ユダヤ人の書いた大昔の本が絶賛されています:

Bell Boyd‏ @Bell_Boyd

モルデカイ・モーゼは日本人。

マルクスのユダヤ名がモーゼス・モルデカイ・レヴィであることから発想して自称したと思われる。
モルデカイはそもそもモーゼのことで、モルデカイ・モーゼはあり得ないユダヤ名。

その思想は日本会議系で、戦前のユダヤ研究を引き継ぐもの。江崎道朗氏と同じ系統。
21:40 - 2017年9月2日
https://twitter.com/bell_boyd/status/904202479444754433

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/499108900X/ref=sr_1_2?qid=1561675895&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-2&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

商品の説明

日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)

で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

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<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

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<著者略歴>

モルデカイ・モーゼ: 1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。

レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

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<復刻版にあたって>

本書は、1979年に日新報道から出版され注目された話題の書でしたが、作者と翻訳者の死亡、出版社の倒産などにより長らく絶版となっておりました。
まるで目からウロコが落ちるような興味深い著作は、賛否両論を交え、現在でもネット上で話題になっているほどです。

多くの日本人にこの著作を読んで頂きたく、このたび有志による自費出版でその復刻版をつくらせていただきました。 また、ありがたいことに、尊敬する馬渕睦夫先生、田中英道先生からの推薦文も頂くことが出来ましたので、ぜひご一読頂けますと大変幸いです。

沢口企画 沢口祐司 

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カスタマーレビュー

小実昌 5つ星のうち3.0

英文のWikiでは作者は訳者自身だと書いています。 2014年11月7日


http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

「日本人に謝りたい」で検索すれば、ある方が章ごとの要約を紹介されています。ただし、その方は信ぴょう性があるのだろうかについてはいまだにわからないと書いています。

そこで調べました。日本語のwikiには載っていませんでしたが、英語のwikiにはありました。

訳者の自作だろうという内容です。

Post WWIIのところに掲載されています。英文の原文を探しましたが、どこにもありませんでした。多分これが正しいのでしょう。

ただし、面白いです。アルジャー・ヒスはヤルタ会談に同席していますが、ソ連のスパイであるとマッカーシーに追及され、公職追放されました。JFKはマッカーシーを尊敬したいたという話ですし、CPスノーを辱はじめ、アメリカに共産主義者は多いという話は昔からあります。ですから、書いてあることはたとえ訳者が自分で書いた内容であっても、本当または本当に近い可能性はあるのではないでしょうか。一人一人の読者が判断すべきなのでしょう。
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_in_Japan

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あらいやすまさ 5つ星のうち3.0
モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと 2014年6月9日

 モルデカイ・モーゼ著「日本人にあやまりたい」のこと
1938年うまれ、男性です。

先日、私が所属する総合知に関する学会で ひとりの発表者から紹介された本です。 

*モルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「日本人にあやまりたい」〜あるユダヤ人の懺悔 日新報道 2000年 新版です。

*この本の初版は1969年。(ちなみにこの年は 私がアメリカに留学します。日本は東大紛争。ヴェトナム戦争の反戦でアメリカの大学での運動が活発化。重厚長大の経済でGNP万歳のころでもありました)

唐突ですが イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は1970でした。
*上記のモーゼの本の目次を上げてみますと以下です;

1.戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
2.二元論的思考法 典型的なユダヤ的思考パターン
3.日本人の知らない東京裁判の本質
4.戦後病理の背景
5.マルクス主義はユダヤ民族解放の虚偽仮説
6.極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


*内容の特徴

・資本主義と共産主義がユダヤ人の陰謀であるという説明をしています。

・ルッソー、レーニン、ルーズベルトそしてニューディール派がユダヤ人であるという前提としている。

・日本の天皇制はユダヤ世界制覇の筋では破壊すべきとされて 戦前から戦略が練られていた。

・日本への占領で知った昭和天皇の態度から天皇制、これがユダヤ人の理想であることを確認したという。

*内容に対する私見1

・全体の主張として ユダヤ人による世界制覇が民族の前提としていうという内容に貫かれているようです。
読者の日本人にとっては、すこしプライドをくすぐられるものでありましたが、とっさにある種の違和感を感じました。

・社会学者橋爪大三郎さんの「旧約をよむ」という公開講座をこの4年間受け、この夏で読み終わるところであるが、このなかで彼らはバビロン捕囚など 民族滅亡に瀕する受難をなんども経験するが かれらが一転、世界制覇につながる筋をあたえる根拠箇所が見いだされない。

旧約の経典外(apocrypha)については私は、目をとおしていないが 彼らの民族の規範となるのは、現在の旧約(タナハ)としてとらえてよいとおもう。


・「ユダヤ議定書」というのがあって、ヒトラーはこれを根拠にユダヤ世界制覇の魂胆がありとして 民族絶滅(cleanse)の口実としたのであるが この書は偽であったことが判明している。(ノーマン・コーン「ユダヤ人世界征服陰謀の神話」) 

・私は、著者モルデカイ氏が ユダヤ人であればたぶんこのような筋で 論を展開することはないであろうという直観をもちます。

・因みに イザヤベンダサン 「日本人とユダヤ人」1970(「ユダヤ人」と略す)でその著者と目されて、本人も否定しなかったのは山本七平( 1921~1991)です。
この本「ユダヤ人」は 当時の私にとっても世界のなかでの日本の文化を知るうえで つよい知的な刺激をうけたことを記憶しています。

・エール大学の博士課程で仏教天台宗の研究のために当時日本に滞在していた友人ポール・グローナー氏(いまはたぶん高名な教授になっているとおもいます)はイザヤベンダサンはユダヤ人かの私からの問いに対して 即座に日本人とおもうと答えました。なぜなら 彼があつかうへブル系の文献はごく一般的なものであるにかかわらず、日本系の文献はきわめて特異であるからと指摘していました。 彼の指摘が正しかったことはその後の経過で証明しています。


 
*いま仮説として モルドカイ・モーゼというペンネームのもうひとりの山本七平がいるとします。

・候補としては 以下の三人としてみます; 山本七平、訳者の久保田政男、そのほか(モーゼ氏)

・それで この著と「ユダヤ人」の出版時機を重ねてみるとおなじころです。ただ文体からくる個性や肝心の論の運びが異なり別人のようにおもわれました。(これも直感的で根拠はありません。)

・訳者久保田政男氏に焦点をうつします。奥付からは 1932(昭和32年生まれ、大阪)で 山本氏は(1921生れ、東京)で約一回り後の世代です。 共通しているのはともにキリスト教系の高等教育機関である青山学院に学んでいるところです。英字新聞の編集長などを経歴としていますが、この辺がトレースできうのかどうなるのか。一般論としてここでの学歴経歴の信ぴょう性が気になりました。。

・それ以外の著者としては やはり ユダヤ人のラビ、モルデカイ氏に焦点をあてます。

・奥付では、ウクライナ 1907生れ 父親が哲学者でロシア革命に関与したこと、ドイツに亡命してワイマール憲法に影響を与えたこと 本人もベルリン大学で哲学や法学で学位を獲たこと。高名な法学者ゲオルグ・イエリネックを通じて、美濃部達吉に「天皇機関説」を伝授したこと。アメリカに亡命してルーズベルトのブレーンになって 最後は日本の占領政策に関係したこととなっています。

・ところで、この書は訳書であるのに 原著の版権表示もありません。

・ここに書くほどの立派な人物ですから、英語のネットで はどうでるかMordekaiとMosで 当たります。

・Jewish Encyclopediaというのに確かにMordekaiというドイツ系ユダヤ人のアメリカ有数家系としてありました。とくに Mordekai Moseもでてきますが このひとは1707年ドイツ生まれのアメリカ人です。

・もちろん 先祖のなまえは継承しますから、ここにないからといって実在しないとはいえません。

*それやこれやで Wikipediaで項目「覆面作家」をひきますと、ここでは確定的表現でMordekai Moseは 久保田政男の「覆面作家」名であるとしてあらわれます。つまり 上記私の仮説である 「別の山本七平」がいるという結論をなります。

 
*内容に対する私見2

さて、出版のモラルという点に焦点を当てたいとおもいました。慣用的に「ペンネーム」や「覆面作家」(「覆面」と略します)で著者を表明し名乗る自由と権利は保証されるべきと考えます。問題は その意味するところが 他者の名誉を傷つけることになるかどうかで、ここに当然の品位と矜持が必要になります。


・ここでの 一番の問題は この著が ユダヤ人の人たちの目に触れるチャンスを配慮した前提に立っているかどうか。

・「覆面」効果によって 日本人にも、他民族に対する誤った認識をあたえる危険性もあります。
上であげた偽「ユダヤ議定書」とおなじ効果になります。

*そういうことを考えるうえで 非常に勉強になった本でありました。 


・章立ての構成が 筋通っているので, 小説として 仮説をたのしむという意味では 一読に値します。しかし、基本的には著者がユダヤ人であることに疑念がぬぐいきれません。 このことはものを書く人間としては もっとも重要なことであります。 こここを一歩誤ると日本人にたいしてもさることながら、ユダヤ人に対しても 彼らについての真の認識を遠ざけるものであります。、また、このことが、この本の価値をも傷つけてきます。

この本を原語であろう英語での発行も ひろく問題をなげかける意味でおもしろいのではないかと思います。 いずれにしても 読者の思考判断の力がためさる本であることを認めるものであります。。


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夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


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Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

カスタマーレビュー


夜帆。@楽利多マスター 5つ星のうち1.0
原爆機の名前が「天皇を抹殺せよ」という意味だったってホント? 2003年6月12日

 この本は、1972年に出た旧版で読んだ。
 正直、なかなか良い指摘もないではない。

 しかし、最終章へ来て、原爆搭載機の名前「エノ(ー)ラ・ゲイ」が「天皇を抹殺せよ」という意味であるという話になって、一挙にシラけてしまった (つ_;)。

 これが機長の母親の名前だというのはよく知られていることで、まさか機長の母親がたまたま「天皇を抹殺せよ」だったというわけでもあるまい。

 気になっていろいろ調べてみても、母親の名前説を覆すような資料は見つからなかったし、「天皇を…」説に言及している他の本の多くは出典が書かれておらず、まれに出典への言及があると、この本であった。

 そこで、ふと我に返って訳者の著作類の何冊かに目を通してみると、ホロコーストでヒトラーに悪用された例の有名な偽書『ユダヤ議定書』が、偽書であることを半ば知りつつ紹介したりしているではないか (これについてはノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』を参照)。

 こうなると、いったい、本当のユダヤ人が、そのような人に自著の翻訳をまかせるだろうか、という疑問がふつふつと沸いてきた。

 このモルデカイ・モーゼという取って付けたような (失礼!) ユダヤ系の名前の人物は、本当に主張されている通りの経歴の人なのであろうか?

 あるいは、第二、第三のイザヤ・ベンダサン氏 (未亡人および子息の証言により、その正体が「訳者」の山本七平氏であることが判明している) なのではないのか?
 残念ながら、自分には、この疑念を充分に払拭してくれるような記述を、本書の中に見つけることはできなかった。

 このページに並んでいる「この本を買った人はこんな本も買っています」のコーナーに並んでいる本がどれも意義深いものばかりであるだけに、それと一緒にこの本が読まれているのかと思うと、何か暗澹としてしまうのである……。


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黒住玲3年前

Enola Gayについて、宗教哲学に詳しくイディッシュ語が堪能な方々に質問する機会を得たので、結果を御報告します。Enola Gayは、●●を屠れ!という意味を持つ言葉なのだそうです。

順に説明すると、この言葉は母親の名前であると同時に、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているそうです。enolaの綴りを機体に描こうとしたとき逆に読んでalone。この場合のgayは派手に決めてやろう!という意味で、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つそうです。たった一発で世界大戦を終結できる超兵器を運ぶに相応しい機体のコードネームだと、ある方の指摘を受けました。

「●●を屠れ!」というイディッシュ語の説明のほうは、門外漢に分かり辛い専門的すぎる内容で、かなりの量の予備知識が必要になるうえに、一部私の理解を超えるためこの場ではしません。文字チャットで一時間半にも及ぶ量になりました。

要は米語との掛詞になっているのだそうです。母親の名前を入れれば、3重の掛詞ということになります。もちろん、元々は母親の名前から始まった戦意高揚の合言葉だと思われます。一般の人々は、米語の符牒と理解していれば十分でしょう。

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あふぁ7年前

「シオンの議定書」といえば、陰謀論者のバイブル扱いされ、トンデモ本扱いされるか、「偽書」のひとことで切り捨てられているのが現状です。

私は決して陰謀論に全面的に与するものではありません。しかし、結果的に、その内容がマスコミなどを利用した大衆の愚民化手法や、金融による経済支配のノウハウなどを正確に述べているとしたら、出典がどうあれ、問題の書であることは間違いないと思います。

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次郎 5つ星のうち2.0
自分には判断が付かないが 2011年5月13日

不勉強な自分では、どこがどうと具体例をあげてこの本の真偽を見極めることが難いのですが

もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

日本人の耳障りの良いことを並べ立ててあるところも、どこか不自然に思います。
とはいえ全部が全部嘘で固められたものでも無さそうで、
ここの批評で先の方が書かれてあった通り、何らかの目論見によるものだとすれば、
まさしく陰謀の陰謀って感じです。

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イオンのバベル4年前

>もしこれらが本当なら、歴史がひっくり返るだろうってな内容であるにも関わらず、そう表だって議論にあがらない。そこそこ有名な本であるのに関わらず。
とすればそもそも、事実だと見なすには決定的な何かが欠ける、
或いは明らかな誤りがある、論外の産物だと取れるんではないかなと。

上のような見方は、非常に多くの人が抱いているのではないかと想像します。このような社会心理から事実を判定するのはおそらく根本的に誤まっています。このような巨大な歴史的な流れは、少しのことでは変わりようがないのではないか。いかに論理的に大転換を起こすような内容であっても、ただ1つの書物にしか過ぎない、とも言えるのです。また、この書物の場合は、日本の上層部を覆い尽くしている左翼勢力によって無視されているのが大きいでしょう。彼らにはこの本の内容は頭の中に入ってこないのです。そのように脳の神経回路が出来上がっていますからね。


▲△▽▼

Аmаzоn力ス夕マレビュ一 5つ星のうち1.0
純真な日本人の無知に付け込む悪質な差別プロパガンダの書 2006年6月8日


本書は、オデッサ出身のユダヤの長老がユダヤ人の立場からユダヤ陰謀論を肯定する内容になっていますが、山本ベンダサン同様、「訳者」久保田政男がユダヤ人を騙って書いた本であることは明白でしょう。根拠は以下の通りです。

1.訳書なら必ずある、原著の版権表示がない。

2.我々ユダヤ人はスクリーン、スリル、セックスの3Sで非ユダヤ人の思考力を奪い家畜化してきた云々という記述は、外国語が出来ない日本人に特有の誤りを含んでいる。(スリルの綴りはthrillです。sではありません)

3.エノラゲイはイディッシュ語で「天皇を殺せ」という意味だなどというデタラメを申し立てている。(「エノラ」も「ゲイ」もイディッシュ語の動詞の命令形とは語形が全く違います。それに、天皇に該当するイディッシュ語の名詞Keyserはどこにある?)

4.ロシア系ユダヤ人に「モーゼ」などという苗字はない。(モイセーエフ、モイセイヴィッチ等ならわかりますが)

山本ベンダサンは無知なりにユダヤ人に敬意を払っていましたが、久保田モーゼにはそれもありません。それも、イディッシュ語に対する一般日本人の無知につけこんで「天皇を殺せという意味だ」などという悪質なデマを流す段に至っては、ほとんど犯罪です。「ユダヤ陰謀論自体が一つの巨大な陰謀である」という皮肉なセオリーを雄弁に証明する一冊と言えるでしょう。

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黒住玲3年前 【1】日本人向けに書かれた、翻訳を前提とした原稿は存在しても、原著は存在しないと思いますよ。なぜあなたは原著が出版されていなくてはならないと考えたのですか?短絡的発想に基づく、根拠のないただの盲信にすぎないのではありませんか?もしくは、原著の存在を確認なさったのですか?御主張の根拠をお示しください。

【2】3Sの説明は日本人向けにしているのですから、ユダヤ人の著者が日本人のことをよく理解したうえで、言葉を選んで分かりやすく書いてくれているだけのことなのではありませんか?日本人のことを知り尽くしたうえでGHQの仕事をしていたユダヤ人の著者が、日本語と日本人の発想を知らないと考える根拠をお示しください。また、翻訳者は無教養な「外国語が出来ない日本人」であると断定した根拠をお示しください。色眼鏡を掛けて、完全な見当違いの錯誤に陥っているように見えますが、客観的な視点から正しい判断が出来ていますか?

【3】「エノラ」か「ゲイ」がイディッシュ語の動詞の命令形でなくてはならないと考える根拠は何ですか?母親の名前enolaの綴りを機体に描くとき逆に読んでalone。それにgay=派手に決めてやろう!という言葉を組み合わせれば、超兵器の原爆を日本に持って行って落す自分達一機だけで、天皇に対して戦争を終結に導く派手な決定的一撃を加えることができる!という意味を持つ、戦意高揚を目的とした米語の符牒になっているとは思いませんか?視野狭窄に陥って、こんな簡単な言葉の組み合わせにも気付かないあなたは、本当に著者や翻訳者を上から目線で侮ってバッシングできるほど、外国語に堪能な優れた正しい物差しを持った有識者なのですか?また、あなたはイディッシュ語が堪能なユダヤ人のラビ(長老)に向って、この符牒の意味について質問して、確かな見識に基づく回答を得てコメントをお書きになっておられるのでしょうか?じつは、皇統の母方のなかで最も貴いお家とされて真人の筆頭に位置付けられた、神功皇后を輩出したとされ、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す神事を司る息長氏の斎王家の御宗主様の母親は、ヨーロッパ育ちです。そのため当代御宗主様はイディッシュ語が堪能です。女狩衣仕立ての軽装の御神服姿で、御宗主様がユダヤの長老達の参拝をお受けになった後に設けられた雑談の席では、御宗主様の言葉を取り次ぐ者と長老達の間でイディッシュ語が使われていました。そこで私は両者に対して尋ねてみました。結果、Enola Gayは「●●を屠れ!」という意味を持つ符牒という、双方同意の御回答を得ることができました。したがって、この言葉が米語とイディッシュ語の掛詞になっていることが理解出来ず、言葉の組み立てがよく分からないまま、間違った判断をなさっているのは、宗教哲学や伝統的な言葉に詳しい有識者の御宗主様やラビではなく、あなたのほうではないのですか?

【4】なぜモーゼがロシア語であると確信(盲信)なさっておられるのですか?私はモーゼはユダヤ人の姓の日本語の標準的な表記(正しい翻訳)だと思っています。違いますか?ユダヤ人を迫害して命を奪った帝政ロシアを嫌って流浪した結果、米国やイスラエルに在住することになったユダヤ人達が、捨て去ったロシア系の姓を好んで使いたがると本気でお思いになっておられるのですか?そう盲信なさる根拠は何ですか?私なら、レッドパージの迫害を避ける意味でも、GHQに所属した時点で本来の姓に戻すことを考えますが、この発想は間違っていますか?

あなたは、この本の著者と翻訳者を、悪質なデマを流す犯罪者と上から目線で無理解に誹謗中傷なさっておられるように見えますが、稚拙なレベルの錯誤だらけのバイアスがかかった暴力的な言葉を書き連ねた、冷静さや客観的判断を欠くレビューに陥っていませんか?

たとえば、「日本人は死んだ」という本を書いておられるユダヤの長老マービン・トケイヤー氏は、実際に大勢の日本人の前で講演なさっておられるので、実在を疑問視する人はまずいないようです。主張なさっておられることは、モルデカイ氏に近い内容です。つまり、ユダヤの長老達がある程度共通して抱いていた日本観が、正直にそのまま丁寧に記されている一書だとは思いませんか?  

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英文のWikiでは作者は訳者 久保田政男だと書いています

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懺悔 (1979年) − – 古書, 1979/12
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田 政男 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%AC%9D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%87%BA%E6%82%94-1979%E5%B9%B4-%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC/dp/B000J8CE02/ref=sr_1_1?qid=1561679615&refinements=p_27%3A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC&s=books&sr=1-1&text=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC

しかし、右翼を騙すのは簡単ですね(嘲笑い)

7. 中川隆[-8984] koaQ7Jey 2019年7月19日 18:05:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3711] 報告
昭和天皇が戦後 日本軍を作らせなかった理由

東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?
天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね:


革命とは市民のデモ行進が始まりかも知れないが、軍が革命側に寝返って初めて起きる。

2019年07月19日
香港革命がおそらく起きない理由 鍵を握る香港警察


革命には香港警察の中国裏切りが必要だが、中国人にそういうセンスがあるだろうか


画像引用:Hong Kong protesters weigh Bank of China 'stress test' after latest clashes | The Japan Times https://cdn.japantimes.2xx.jp/wp-content/uploads/2019/07/f-hkprotest-a-20190709-870x580.jpg

香港革命は起きるか

容疑者の本土引き渡し方案への反発から、香港で民主化デモが盛り上がっています。

市民数十万人が抗議デモを行ったほか、香港議会庁舎にデモ隊が突入したりしました。

香港警察は庁舎に突入した数十人を逮捕するなど、徐々に圧力を強めている。


デモ隊が庁舎に突入する前に警官隊が撤退しており、突入を誘って逮捕する口実を作ったとも言われている。

これは毛沢東の共産軍や蒋介石の国民党軍が日本軍に繰り返した戦術とうりふたつでした。

国民党軍は日本軍が近づくと市街地に火をつけて引き上げ「日本軍の犯行」と宣伝しました。


2014年の香港雨傘運動の時も同様に盛り上がったが、首謀者が拘束されるとあっけなく鎮静化しました。

1989年天安門事件の時もそうだったが、学生運動はリーダー格の学生が逮捕されるとひとたまりもない。

2019年の香港民主化運動はリーダーが存在せず、ネット上で運動を呼びかけて自主的に集まった。


中国政府としてはリーダーを逮捕して終わりという訳にはいかず、鎮圧に手こずっている。

ではこうした民主化運動で中国政府が民主化を認めたり、香港革命が起きるかというと望み薄です。


中国政府は一時的に妥協して容疑者引き渡し方案を撤回する事はあるでしょうが、後で名前を変えてこっそり成立させます。


フランス革命の有名なバスティーユ襲撃、本当の主役はデモ隊を見逃した警官隊と、国王を裏切ったフランス軍だった


Prise_de_la_Bastille-20.24.04


画像引用:https://sistemaspoliticos.org/wp-content/uploads/2016/05/Prise_de_la_Bastille-20.24.04.jpg

革命は軍隊が寝返って起きる

世界中のあらゆる革命は市民のデモ行進などで起きた事になっているが、真実ではありません。

フランス革命の原因はルイ14世が革命を認めてしまった事と、フランス軍が裏切って革命派についたからでした。

ロシア革命もまったく同じで、ニコライ2世が革命派に譲歩を繰り返し、最後に軍が寝返った。


明治維新も同じで徳川慶喜は長州征伐以降譲歩を繰り返し、旗本百万騎が徳川を裏切った。

薩長軍が江戸を包囲した時、江戸城に集まった武士は500人だけで、全員が同心など下級武士だった。

清国が滅んで中華民国が成立した辛亥革命は、地方軍が反乱軍となり、孫文のもとに革命軍となって清国を倒した。


アメリカがイギリスの植民地から脱した独立戦争は、植民地軍がイギリス軍を倒したから実現した。

もしイギリス軍が植民地軍に勝っていたら、その後のアメリカ合衆国は誕生せず、今日のアメリカもなかった。

同様にロシア軍やフランス軍が裏切らず、革命軍を倒していたら今もロマノフ王朝やフランス王家は続いていたかも知れない。


つまり革命とは市民のデモ行進が始まりだったかも知れないが、軍が革命側に寝返って初めて起きる。

軍が王や国家に忠実なら革命は絶対に起きないので、いくらオウムや赤軍があばれても日本で革命は起きない。

香港には香港軍が存在せず、守備隊すらないのでこれだと革命が起きる可能性は小さい。


香港警察は民主主義に目覚めるか

もし香港で革命が起きるとしたら、東ドイツ崩壊の時のように警察が国家を裏切って市民側に味方した時です。

香港警察の指導部や警官たちが、急に民主主義に目覚めて市民を守るなどありえるのでしょうか?

中国人の役人にそうしたメンタリティがあるとは聞いたことがないし、強きを助けて弱きを叩くのが中国の伝統です。


例えばソ連邦が崩壊した時、共産軍の戦車部隊が市民のデモ隊と遭遇し、市民らは戦車の前に立ちふさがったり寝転んだりして戦車隊は停止しました。

90年の天安門事件でも同じことがあったが、中国共産軍の装甲車は天安門広場の学生約3000人の前で止まる事は無かった。

同じ事は2008年チベット騒乱でも2009年ウイグル騒乱でも起きていて、装甲車に立ちふさがる僧侶を共産軍と治安部隊は蹴散らした。


中国4000年の歴史で軍や警察が「市民のために国家と戦った」など一人も聞いたことがない。

もし香港警察が中国を裏切って市民側につき、香港革命が起きたら、日本人は中国人への認識を変えなくてはならない。

だがその可能性は宝くじで一等が当選するよりも低いでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80437741.html#more.

8. 中川隆[-14969] koaQ7Jey 2020年1月01日 17:26:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1983] 報告
2020年01月01日
「憲法学者」とは何者? GHQが指示し東大が育てた狂気の学問


「憲法学」は日本にしか無い学問で、GHQの憲法を合法化するために創作された

引用:http://i.imgur.com/QNxdQUw.jpg


自衛隊の海外派兵や安保法制、集団的自衛権の解釈で裁判官のようにテレビに登場する憲法学者という人たちが居ます。

だが「憲法学」は学問ではなく、GHQから「違法な新憲法を合法にしろ」と命令されて作ったのです。

現在の日本国憲法はマッカーサーという軍人が「これを成立させないともう一度原爆を落とすぞ」と議会を脅迫して成立させた違法な憲法で、マッカーサーの命令で違法なものを合法にしたのが憲法学者でした。


でっち上げ憲法

現在の日本国憲法は合法と思われているが、1940年代や50年代には違法だと思われていた。

知られているように日本国憲法は日本人が草案したものではなく、アメリカ軍が考案しアメリカ軍が強要した。

アメリカ軍は日本を軍事占領していたので日本に拒否権はなく、日本の国会で強制的に可決させました。


この時、国民投票や日本国民の民意を取る手続きは一度も行われなかった。

1946年(昭和21年)5月16日の帝国議会で可決し、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。

日本軍の停戦が昭和20年8月15日で、米軍が上陸したのは9月以降なので、実質半年しかありませんでした。


1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサー(米軍人)は日本政府に憲法改正を命令し、同時に多くの指示を出した。

政治犯の釈放や天皇批判の合法化、警察解体などを法的根拠無く勝手に行いました。

当時はアメリカ軍人が銃を構えて東京を占領していたので、違法であっても皆が従いました。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が違法なので「従わない」と回答し総辞職しました。

一介の軍人に過ぎない人間が日本の支配者になり、憲法改正を命令した、これが現在の憲法の最大の問題点です。

日本側は憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正する姿勢を示した。


マッカーサーは違法に憲法を改正して「合法化しろ」と指示した

引用:http://i.ytimg.com/vi/wubimArvxdE/maxresdefault.jpg


「違法な憲法を合法にしろ!」

1945年11月ごろに委員会が中心になって憲法改正の協議をし、46年1月にGHQに提出した

天皇を中心とし、米軍の希望を取り入れて帝国憲法を発展させる内容だったが、マッカーサーは突っぱねた。

米軍が望む憲法は天皇と日本人を「犯罪者」として権力から追放し、アメリカに従わせるものだった。


マッカーサーは日本側の改正案を無視して、勝手に憲法草案を作成していた。

憲法改正ではなく「新憲法」の制定であり、過去の日本を否定する内容になっていた。

新憲法は2月4日から10日の7日間で作成されたが、法の専門家は参加せず、GHQの臨時職員が作成した。


この英語の文章を適当な日本語で翻訳したものが「日本国憲法」で、3月7日の新聞で国民に発表された。

ここまで日本人は憲法作成に一人も関わっておらず、英文を翻訳しただけでした。

後は先に書いた経緯で、5月の帝国議会で可決したが審議は実質的に何もしませんでした。


マッカーサーは「アメリカと戦争をするか新憲法を可決するか?」と迫りどちらかの選択肢しかなかったからです。

新憲法には当然ながら「違法である」という批判があり、法学者には「無効な憲法である」という人が多く居た。

ここで誕生したのが「憲法学」であり、GHQから「新憲法を合法化しろ」という命令が出された。

学問ですらない「憲法学」

日本側の改正案を「無資格の軍人」に過ぎないマッカーサーが否定し、銃を突きつけて可決させたのが現行憲法です。

誰がどう考えたって違法で無効ですが、米軍はここで「東京大学」を利用する事にしました。

日本の国法学を支配していたのは東大で、現在も最高学府として法学を支配しています。


東京大学で最も権威ある教授が「合法」と言いさえすれば、国法学者全員が従うシステムだったのです。

当時帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

しかし改正後にGHQから圧力が掛かると態度を一変させ「実は合法でした」と言い出した。


くそみたいな説だが「8月15日に日本が降伏したのではなく、国民が革命を起こして天皇を倒した」のだそうです。

どう見てもフランス革命やロシア革命の猿真似で、宮澤俊義はGHQからの指示でそう言っていた。

当時はいわゆる「戦犯裁判」が行われていて、GHQから目を付けられると戦争協力者として刑務所に入れられた。


東大教授ならどんな理由でも戦犯に仕立て上げられる訳で、宮澤俊義教授も自分の命が掛かっていたから従った。

こうして宮澤俊義を開祖として、新憲法は合法であるという「憲法学」が誕生し、GHQの命令で憲法学者が活動を始めた。

「憲法学」とは最初から新憲法は合法という立場に立つものなので、そもそも学問ですらも無かったのです。


一介の軍人が無資格で銃を突きつけて「日本国憲法」を強要し、合法化しろと迫ったので、東京大学が発明したのが「憲法学」です。

現行憲法を改正するとかしないとか、現行憲法に照らして合法か違法かを議論しているが、その前に議論する事がある。

現在の「日本国憲法」そのものが、違法であり無効だという事です。
http://www.thutmosev.com/archives/40859147.html

9. 中川隆[-13580] koaQ7Jey 2020年2月23日 17:50:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-94] 報告

2020年02月23日
日本国憲法は憲法違反という事実


マッカーサーは自分が大統領になりたいという野心のために日本を利用した。
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


日本国憲法の違法論争

ある種の人々に言わせると、戦後75年の平和は日本国憲法のお陰でもたらされたという。

日本国憲法の改正を巡って有識者が対立し、自衛隊や選挙が憲法違反かどうか、議論が白熱している。

ところが今から75年前、”新しい憲法”を憲法違反のゴリ押しによって、ある独裁者が日本人に押し付けた。





その独裁者は安倍首相の爺さんではなく、ダグラス・マッカーサーというアメリカ軍人でした。

マッカーサーは憲法の規定や議会の手続き、民主主義などを無視して「この憲法を成立させないともう一度空襲して日本人を滅亡させる」と言って成立させた。

日本国憲法改正には国民投票が必要だが、そもそも最初に国民投票なしで強要しました、


当然日本国内の有識者に「日本国憲法は憲法違反の違法な憲法だ」というマンガのような議論が巻き起こった。

だがマッカーサーは裁判官や東京大学といった権威に圧力をかけ『憲法学』という奇妙な学問をでっち上げた。

『憲法学』は世界で日本にしか存在せず、学問として認められてもいないが、日本人はその事実を知らされていない。


誰も学校で「憲法学という学問は、違法な憲法を押し付けるためにアメリカが作りました」とは教わらないので、日本人だけが知らない。

1945年8月28日に帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーが降り立った。

9月2日には陸海軍解体を命令したが、むろん法的根拠は一切なかった。

独裁者マッカーサー

全ての新聞に内容の書き換え、発行停止、共産主義者を必ず雇用することなどを指示し、この時から日本の全新聞が「左翼新聞」になった。

「文化人」が一斉に日本や天皇、日本人などを罵倒し始めたのもこの時からで、現在も続けられています。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、警察解体、政治犯釈放、天皇を批判するよう新聞に命令したりもした。


東久邇宮内閣はマッカーサーの命令が民主的でなく、憲法違反だから従わないとして総辞職しました。

マッカーサーはただの軍人に過ぎないのに、日本の独裁者として君臨し、我が物顔に振舞っていました。

日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。


後に判明した事は、この時マッカーサーは大統領選挙への出馬を狙っていて、「自分が日本を降伏させ統治した」という実績が欲しかったのです。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


マッカーサーの意向は日本人と天皇を『犯罪者』と定義し、帝国憲法を破棄する事だったのでした。

マッカーサーはアルバイト職員に、2月4日からの7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

国会議員や総理大臣が内容を知ったのは、3月7日の新聞を読んでからという有り様で、日本人は新聞に載ったのだから政府が作ったのだと思いました。


マッカーサーは日本政府や議会に無断で新憲法を新聞に掲載し、これを承認しろと迫った。
40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4a/40e17f0f64d1d40ab3d50fd1b116e204.jpg

違法な憲法に従う事はできない

この時全ての新聞はGHQの支配下にあり、検閲によって米軍が内容を決めていたのです。

またこの頃、NHKラジオは日本軍がいかに大陸で酷い戦争犯罪をやったかという放送を、連日朝から晩まで流していましたが、内容は全て作り話で、従軍慰安婦などもこの時でっち上げられました。

今でもNHKが一日中日本の悪口しか放送しないのは、この時のアメリカ軍の命令を今も守っているからです。


マッカーサーは「新憲法を承認するかもう一度戦争をするか」と迫り、5月の帝国議会で可決させました。

審議は一切行われず、もちろん国民投票もなかったが、自分が作った憲法では「改正には議会の3分の2の賛成と国民投票が必要」と勝手な事を書いた。

こんな憲法は無効だと日本の言論人や有識者は一斉に騒ぎ始めたので、適当な理由で片っ端から逮捕しました。


マッカーサーはさらに「新憲法を合法化しろ」と東京大学に要求し、東京大学は『憲法学』をでっち上げました。

帝国大学(東大)法学部の最高権威は宮澤俊義教授で、最初は「新憲法は違法である」という立場をとっていた。

だがマッカーサーから脅されたのか「日本はアメリカに降伏していない」「日本国民が天皇を倒して革命を起こし、新憲法を制定した」と言い出しました。


どこにもそんな事実はないが、そう言わないと宮澤教授は戦犯として極刑になるという事です。

東大の最高権威が合法だと言ったので、子分達も合法だといい始め、違憲論は鎮圧されました。

これが日本国憲法が成立した経緯であり、どこからどう見ても立派に「違法」で、これが合法ならヒトラーも立派に合法でしょう。


日本国憲法が合法だなどと言うのは、独裁者の無法行為を認め、民主主義を否定するという事です。

マッカーサーの野心は自分が大統領になる為に、日本を貶め利用する事で、原子爆弾や絨毯爆撃もそのために行いました。


憲法学という犯罪者の学問とともに、葬り去られるべきものです。
http://www.thutmosev.com/archives/64413173.html

10. 中川隆[-5643] koaQ7Jey 2021年4月16日 16:36:57 : mV2k7WRgio : MGYvb2xWOERxY0k=[35] 報告

『検閲官 発見されたGHQ名簿』 著・山本武利
書評・テレビ評2021年4月15日
https://www.chosyu-journal.jp/review/20785

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 敗戦後の日本では、日本を単独占領したアメリカ占領軍が、NHKや新聞、雑誌、映画、演劇を発表前に厳しく審査するとともに、個人の郵便や電報、電話も本人にわからないようにこっそり盗み見る大規模な検閲を実施し、占領政策に利用した。その検閲の仕事に動員されたのが、学徒出陣、敗戦、捕虜を経験して復員者となり、職を失った若い人々、また戦災で家財を焼き出されるとともに戦後の天文学的インフレで生活苦に陥った学生たちという知識層だった。約2万人ともいわれる検閲官のほとんどがこうした日本人だったが、彼らは長く口を閉ざしてきた。それが近年、自分たちの屈辱とともに次の世代にこうしたことを二度と体験させてはならないという思いから、体験を語り始めている。

 著者は、一橋大学・早稲田大学名誉教授で、米メリーランド大学のプランゲコレクションと2013年に発見された検閲官の名簿をもとに、元検閲官の証言やインタビューを集めて本書にまとめた。

 米占領軍の諜報や検閲をおこなう総本部はG2(参謀第二部)であり、その下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と、軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)があった。CICに属していたのがCCD(民間検閲局)で、郵便、電信、電話の検閲をおこなう通信部門と、新聞、出版、映画、演劇、放送の検閲をおこなうPPB部門だった。PPB部門の検閲は、同じアメリカが支配する西ドイツや韓国ではおこなわれなかった。

 検閲は占領直後の1945年9月から49年11月まで実施された。雇用者の半分が東京に配置され、東京中央郵便局がその舞台となった。とくに郵便検閲には多数の日本人検閲官が必要だったので、米占領軍は戦後の飢餓状況につけこんで9000円以上という当時の最高給を与えて協力させたが、その給与は賠償金がわりに日本政府に負担させていた。東大や早慶、津田塾大などで大量のリクルートがおこなわれた。

 CCDが活動した4年余りで、郵便は2億通、電報は1億3600万通開封され、電話は80万回盗聴された。しかも手紙の場合、蒸気で開封し、検閲したことをわからないようにしていたし、機密度の高い電話や電信の検閲の証拠は抹消された。検閲官は検閲の事実について固く口止めされたという。戦後、戦前のような「伏せ字」は禁止されたが、戦前以上の検閲態勢がつくられたわけだ。

 検閲の仕事はどんな内容だったのか? 原爆の投下をはじめ、米兵のレイプや強盗などの犯罪に対する一切の占領軍批判は許されなかったため、その厳重なチェックがおこなわれた。ひっかかった者はウォッチ・リストというブラックリストにあげられ、その人物や所属団体が詳しく調査されるので、「不穏分子」の解雇や逮捕が容易になる。そのなかで下山・三鷹・松川事件という謀略事件が起こり、アメリカは日本を出撃基地にして朝鮮戦争を開始した。

 戦勝国が占領政策を有効におこなうために、敗戦国の日本人を動員して同胞の検閲をやらせるのだから、最初から矛盾に満ちている。熊本大学名誉教授の甲斐弦氏(故人)は「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」といい、「3回以上遅刻したら首」という掲示板を同僚の1人が「奴隷用掲示板」と呼んでいたとのべている。本書のなかで幾人もがみずからの屈辱と葛藤を語っている。

 元朝日新聞記者の渡辺槇夫氏は、慶應大学在学中に学徒出陣で出征した。敗戦後、南方の捕虜収容所から引き揚げたとき、満鉄勤務の父の資産は没収となり、一家は路頭に迷っていた。

 「占領軍の手先になるということが心に引っ掛かって、数カ月は巷の職探しに歩きながら、やせ我慢しながら悩んだ」「数カ月前までは、私自身が捕虜になっていた連合軍の占領政策の一つ、日本の郵便通信を検閲するという仕事をしようとしているのだ」「他人の手紙を開いて見るということは、アメリカが草案をつくった新憲法でも禁止されていることなのに、この同胞に対する裏切りともいえる行為によって、自己の生計を立てるということには、大きな抵抗を感じた」「DPS(郵便部門)のあの様な職場の静けさ、あの様な無表情な人々の群れ、あれはやはり、旧敵国と日本国民との間に、自ら身を投じて生きようとした者の、自己の選択に対する自己批判と諦観が醸し出した空気であったと思う」

 こう語る渡辺氏は、インタビューに答えた動機を「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実を今伝えなければと思った」とのべている。

 一方、これとは違った生き方をした人がいる。戦後の進歩的文化人の代表格とされる木下順二だ。彼は東京中央郵便局の郵便の検閲現場で、10人の日本人検閲官を監督・統括する立場にあった。それは米公文書館の資料や周囲の証言でわかるが、本人はそれを終生公表しなかったという。

 著者は、木下順二が原爆の描写が厳しく統制されていた時期に演劇でそれを扱ったことを認めつつ、彼の生涯にわたる発言のなかで「日本の保守陣営や日本軍指導者への戦争責任追及は厳しいが、アメリカ指導者やマッカーサー批判がまったくといっていいほどない」「沖縄を描いた作品でも、本土の日本人(ヤマトンチュー)による沖縄人の収奪が主要なテーマになっている」ことに疑問を呈している。そのことは重要な問題で、木下だけでなく日本の進歩的といわれる知識人・文化人が共通して持つ弱点ではないか。

 戦後、日本を単独占領したアメリカが、天皇制軍国主義を「民主化」したといって支配機構はそのまま温存しつつその頂点に君臨し、戦前を上回る検閲・国民監視をおこなっていたことが本書からわかる。しかもその対米従属構造は、日米安保体制によって今ではより強化され、スノーデンが暴露したように国民監視体制もより近代化した形でつくられている。それが平和で豊かな日本の未来をつくる障害になっている。 

 (新潮新書、254ページ、定価800円+税)

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