http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html
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(回答先: 音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 20 日 14:03:50)
まともな人間は音楽家になれない
信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/
「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。
A surprising number of great composers were fond of the bottle – but can you hear it?
http://www.spectator.co.uk/2016/12/a-surprising-number-of-great-composers-were-fond-of-the-bottle-but-can-you-hear-it/
「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。
ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。
by Joseph Morris
上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。
酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。
このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。
作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。
by Brandon Giesbrecht
しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。
一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/
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因みに、クラシックの作曲家の殆どはアル中でしたが
ジャズやロックのミュージシャンはアル中ではなく麻薬中毒でした。
ジャズやロックは元々、マリファナや覚醒剤とセットになっているんです。
ジョン・レノンやポール・マッカートニーも重度の麻薬中毒者でした:
射殺、転落死…薬物に溺れた「ジャズの巨人」たちの悲劇 2016.03.08
日本でも芸能界、スポーツ界のスーパースターたちの薬物汚染のニュースが世間を賑わせているが、そんなのはまだまだ「超絶甘い!!」といいたくなるような人々がいた。“ジャズの巨人”たちである!
ジャズ界のスーパープレイヤーたちの歴史を紐解けば、ドラッグに溺れに溺れたとんでもない巨人たちがワンサと登場してくるのだ! いやもうその状況は『ジャズの巨人』というよりも『シャブの巨人』といってもいいくらいの壮絶なラインナップ!!
しかも、彼らは決してドラッグの力で音楽を創造していたわけでもなんでもない。ほとんどのミュージシャンが、栄光の後にドラッグの泥沼に引きずり込まれ、往年のプレイは影をひそめ、あまりにも悲惨な結末を迎えている。
以下、小学館の隔週刊CD付きマガジン『ジャズの巨人』に記されている、そんな彼らの生きざまである。
あまりにもクスリをやり過ぎるので、あのジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィス・グループをクビになったのはつとに有名な話。そもそも当のマイルスもクスリで複数回逮捕されており、そのマイルスにクスリでクビにされるって、どんだけ大量にやってんだよ、って話。
“モダンジャズ創造主”といわれたサックス奏者のチャーリー・パーカーは、ドラッグで精神錯乱を起こし、療養施設に入所しカムバックを目指すが、35才の若さで死去。
夭折の天才トランペッター、リー・モーガンはドラック治療に1年を費やすも、34才で亡くなる。死因はなんと内縁の妻からの射殺だ! しかも楽屋で!! 更にその場には本妻もいた!!!
アート・ペッバー。このアルトサックス奏者は、ドラッグ所持による逮捕と収監を何度となく繰り返し、しまいには体がボロボロになって脾臓破裂! どうにか一命は取り止めた後、3年にも及ぶ矯正施設でのリハビリを行い、奇跡的なカムバックを果たすが、56才の時に脳溢血死。
一番とんでもないのは、トランペッターのチェット・ベッカー。母国アメリカでドラッグ所持で逮捕された後、レコーディングで訪れたイタリアでも逮捕。出所直後に今度はイギリスでも逮捕され国外退去。かと思いきや、ギャングに襲われトラッペッターの命ともいえる前歯を折られるトラブルにまで巻き込まれる。
そして最終的には、58才でアムステルダムのホテルから転落死。それもホテルの2階からの転落である。もう一度書く。ただの2階からの転落で死亡!! どれだけ骨が、内臓が、そして全身が、それどころか精神までもがボロッボロだったかわかるようなエンディングである。
薬物というものが、どれだけ恐ろしく人間を蝕んでいくかわかるような巨人たちの悲劇である。巨人に憧れた番長への警鐘でもある。
https://www.news-postseven.com/archives/20160308_392240.html?PAGE=1
そもそも、ジャズ・ロックは原始民族が集団でトランス状態に入る為に行う儀式で奏する音楽そのものです。
毒キノコ、マリファナや LSD の様な 幻覚剤を飲んで、音楽と踊りで異世界に入っていくのです。
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音楽がわからないアホがジャズやロックに熱狂する理由
プロテスタントのある宣教師は、クリスチャンに改宗した原住民たちにロックを聞かせてみたところ
「これは悪霊を呼び出す音楽である」
と言ったといいます。
彼らは、以前、自分たちが暗闇の悪魔的霊界と接触するときに使ったサイキックな刺激と同じものをロック・ミュージックの中に感じ取ったというのです。
一般的にロックというと、その衣装・風体は実に異常であり異様です。これは何に通じるかというと、サタン、つまりサタニズムに通じるのです。そして、このサタニズムとドラッグは、昔から密接に結びついているのです。
マヤ文明では、ペヨーテなどの幻覚剤を使って、生け贄を捧げる宗教的儀式を行っていたのです。また、古代の神官たちは、ドクニンジン、ヒヨス、アヘン、ベラドンナなどの麻薬の恍惚感のうちに霊との交信を行って“神託”を述べ、ときとして身体を傷つけたりしています。
ロックのコンサートは、この神官の儀式に非常に似ているところがあるのです。ですから、これとドラッグが結びつき、そこに悪霊が入り込んできても少しも不思議はないのです。
聖書には「魔術」ということばがよく出てきます。これは原典のギリシャ語では「フェルマキア」英語の「ファーマシイ」「薬局」の語源はこれなのです。つまり「魔術」とはドラッグを意味し、魔術とドラッグは同意語であり、つねに表裏一体の関係にあるのです。ですから、ロックがドラッグと結びつき、それがサタニズムと関連を深めても何ら不思議はないのです。
ビートルズでは、全員がドラッグを使っていたそうですが、とくにジョン・レノンが多く使っており、生き延びるために不可欠だったとの証言もあります。このように、1960年代後半、ドラッグはビートルズが先導役となって、ロックの世界に浸透し、ヒッピー運動とともに若者の間に広がっていったのです。
ロック・フェスティバルでは、何が行われているのでしょうか。それは、とても音楽のコンサートとは思えないほど異常なものです。
ロックは、心臓の鼓動の持つ自然なリズムと全く逆のリズムをとるため、聴く者の内蔵を打ち、繰り返しの反復によって脳にそれが叩き込まれるのです。 人間が苦痛を感ずる音量は約100デジベルからであるといわれます。ロックコンサートにおけるエレキギターの音は約190デジベルもあるので、苦痛に感ずるほどうるさい音なのです。
絶えず激しく律動するビートは、高いボリュームで長時間続けられると、いつしか催眠術的な効果が生じてきます。どうしてかというと、神経組織が高音で繰り返し襲われるので、通常の聴覚がマヒしてしまうからです。そうすると超越瞑想のようになって、音楽が醸し出すイメージと歌詞のメッセージに対する深い被暗示性が生まれてくるのです。
こういう状態になると、音楽という催眠術がかかりやすくなるので、人々は音楽の持つメッセージとイメージをまともに受け入れてしまいます。その場に、目もくらむようなレーザー光線やスクリーンに映し出されるデモーニッシュな映像があれば、乾いた土が水をまたたく間に吸収するように心の中にしみ込んでしまうのです。
ここにサタニズムが入り込んでくるのです。ロック・ミュージシャンのあの異様な服装や行動は、こういうことと無関係ではありません。ロック・グループの中には、公然とサタン礼拝を打ち出しているものもあるのです。
1970年2月13日の金曜日にハード・ロックのブラック・サパスというグループがデビューし、アルバム「黒い安息日」を発表して、魔術を曲の中に打ち出してきたのです。これと同時期に、ブラック・ウイドウズというグループが「サクリファイス」(生贄)というアルバムを発表したのですが、この頃にはドラッグと黒魔術は強く合体し、ハード・ロックの世界に定着していったのです。
このブラック・サパスとブラック・ウイドウズはともに黒魔術を曲の中に取り入れたのですが、前者は精神的なものとして取り入れたのに対し、後者はイメージカラー的な演出面で黒魔術を活用したのです。
このようにして、ハードロックの世界に悪魔主義は完全に入り込み、その精神を受け継ぐディープ・パープル、イーグルス、ジューダス・プリースト、シン・リジィ、スコーピオンズといったグループが次々と誕生してきたのです。
この1970年代を過ぎて1980年代に入ると、ハード・ロックは、ヘビー・メタルに移行していきます。しかし、その間の一時期に「パンク・ロック」というのが流行します。 パンク・ロックというのは、体制に反発する音楽イデオロギーのことをいうのですが伝統の崩壊、秩序の破壊、既成社会への反抗の叫びをヒステリックに主張し、日常の欲求不満をすべて音楽にぶつけたものをいうのです。
セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、チェルシーなどは、パンク・ロックグループですが、彼らはきわめて異常な風体をしていたのです。世紀末風のファッション鋲つきの皮ジャンにチェーン、髪は逆立てて極彩色に染め、死人のような青ざめたマスカラの隈どりといえば、ピンとくると思います。
しかし、彼らに決定的に欠けていたのは演奏力であり、長時間のコンサートには耐えられなかったのです。時代の異端児としては注目されたものの、演奏レベルの低さに人気は長続きせず、当然の帰結として、出現の瞬発力と同じスピードで姿を消してしまうのです。しかし、あの奇妙な風体だけは、若干姿を変えて次のヘビー・メタルに受け継がれることになります。
さて、ヘビー・メタルとは何でしょうか。
ヘビー・メタルとは、そのサウンドを表現するものです。どういうことかというと、ギター・コードの激しく鳴り響く音がデトロイトの自動車工場で、鋼鉄から車の部品をプレスする流れ作業場の、耳をつんざくような騒音と似ているところから、そう命名されたのです。
その特徴はといえば、研ぎすまされた粗野でストレートな表現力、他の追随を許さぬスピード感にあるといえます。そして、当然のことながら、より悪魔主義と一体になっていきます。
アイアン・メディアン(鉄の少女)というグループは、悪魔の数字といわれる666を前面に打ち出した曲「獣を野に放て、666、ナンバー・オブ・ビースト」という曲を演奏し、悪魔主義運動を起こし、ヘビー・メタルの先頭に立ちます。
そして、ヴェノム、サタン、デーモン、ウィッチファンド、エンジェルウィツチなどのバンドが誕生するのです。まるで、地下教団的な秘密組織みたいですね。こういうヘビー・メタルのファンの56%は17歳以下の青少年なのです。・・・
http://intec-j.seesaa.net/category/4751327-1.html
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新時代の寵児オノ・ヨーコ 『某業界情報紙』(一九九一年 十月 発行)より転載。
オノ・ヨーコ は、一流銀行家の娘である。子供の頃から、学習院や三井アカデミーなどブルジョア学校で学び、皇族の一人とも親交を結んだ。
一九五二年、二度目の渡米生活の時、ニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学し、勃興しつつあったアバンギャルドの「ビートニック」の洗礼を受けた。大学時代に麻薬を覚え、何回かの中絶をするなど乱れた男女関係を経た後、一柳俊というニューヨークのジュリアード音楽院の学生と結婚した。
二人は麻薬の巣窟、グリニッジ・ビレッジのジャズ界に入り浸りとなった。
その結婚生活もヨーコが、自殺未遂で精神病院から退院したばかりのホモの作家といい仲になったことから破局を迎えた。
一九六二年になって、ヨーコの家族は娘をこのすさんだ生活から救おうとして日本に呼び戻したが、ヨーコはまたもや自殺をはかり、東京の精神病院に収容された。その精神病院からヨーコの脱出の手助けをしたのが、もう一つ輪をかけた悪のトニー・コックスというアメリカの麻薬売人である。コックスは、とある●●ヤ教司祭の息子と手を結んで麻薬の製造と密売を行った男で、ニューヨークにおけるLSD−25の売人第一号である。ヨーコの友人にも手広くLSDを売りさばき、FBIとマフィアの追及から逃れて日本に渡ってきた時、ヨーコと再開し結婚する。
その時点で法的には、ヨーコは未だに最初の夫の妻だったにもかかわらずである。ニューヨークに舞い戻った二人は、幻覚症状を催す麻薬とアバンギャルド芸術の世界に憂き身をやつすことになる。
トニーとヨーコは赤貧洗うがごとき生活を送り、夫婦喧嘩も絶えなかった。一九六六年にはロンドンに行き、アバンギャルド会議に出席した後、一年ほど滞在し、麻薬とロックとセックスの裏文化の中にどっぷりつかることになった。
当時の裏文化のメッカはインディカ・ギャラリーのかいわいであり、このインディカ・ギャラリーと称するカフェ兼アート・センターを始めたのが、ジョン・ダンパーとその妻のロック・スター歌手のマリアン・フェイスフル、およびビートルズのメンバーのポール・マッカートニーであった。
そこでヨーコはジョン・レノンに紹介される。その数ヶ月後、ロンドンのあたりでレノンと遊び回るうちに、ヨーコはすでに妻子ある身のこの花形ロック・スターをまるめ込んでしまう。レノンはヨーコとつきあう以前からすでにLSD−25の常用者だった。ヨーコと一緒になったレノンはローリング・ストーンズなどのロック・ミュージシャンを巻き込んで手当り次第にいろいろな麻薬を試すようになった。当然のことながら、レノンもヨーコも麻薬中毒患者に転落した。
その頃になると、ヨーコはオカルトに夢中になり、専属のタロット占い師を雇うまでになった。七〇年代後半には、コロンビアのカルタヘナ島に行き占い師の会社、リナ・ザ・ウィッチ【←おや?】に一週間通った。
長年における麻薬とオカルトへの異常な関心の結果、一九八〇年のジョン・レノン暗殺事件の当時は、ヨーコは新時代の退廃的な哲学に夢中になっていた。相変わらず手の施しようもない麻薬中毒であった。進んで麻薬・ロック・セックスの裏文化に入り、今やその道にかけては世界的に有数な伝道者とも言える人物になっている。ヨーコこそ、まさに日本の新時代の寵児と言えよう。
http://asyura.com/sora/bd11/msg/26.html
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かつてドラッグは神に近づくための道具だった。
「源氏物語」に、アヘンの吸引を暗示する場面が出てくるのを、ご存じだろうか。
「葵」の巻で、出産を控えた光源氏の妻・葵の上が、物の怪に取り憑かれる場面である。苦しむ葵を救おうと、光源氏は祈祷師を呼ぶ。場面変わって、離れた場所にいる源氏のかつての恋人・六条御息所は、葵を苦しめている霊が、自分の生霊であることを知る。髪を洗っても着物を替えても、体から芥子の匂いが消えないからだ。それは、祈祷師が護摩を焚く炎に投じた芥子の匂いだった。
当時、密教僧が祈祷の際に護摩焚きの炎に芥子や胡麻などの「焼供」を投じる習慣があったことは知られている。この芥子の実とは、何を隠そうアヘンやヘロイン、モルヒネの原料である。
かつての祈祷師たちは、アヘンの煙を吸って恍惚状態になり、病気治療に超人的な「霊力」を発揮したのではないか。国際日本文化研究センターの山折哲雄教授(宗教学)は、そんな仮説を持つ。
「幻覚剤の使用は、世界の宗教に普遍的に見られる現象です」
山折教授はそう説明する。
「古来、幻覚剤は神や天国に近づくための手段だった。ところが科学が発達して神の存在が否定され、幻覚剤は快楽のためだけの『悪魔の薬』になってしまった」
インド最古の神話「リグ・ベーダ」には、祭礼参加者が飲む幻覚剤「ソーマ」が出てくる。このソーマの正体には、大麻、幻覚キノコなど諸説がある。中南米では、幻覚キノコや幻覚サボテンが祭礼に使われた。
十六世紀にメキシコのアステカ王国を侵略したスペインの従軍僧サワグンは、ペヨーテというサボテンや、テオナナカトルというキノコを食べると「ものすごい色のついた幻覚に襲われる」と記している。先住民族は、これらを死地に赴く兵士や、神への生け贄に捧げる人間に与えたという。
民族薬理学者で、名古屋学院大学教授だった石川元助氏(故人)は、六五年にメキシコ先住民の「聖なるキノコの祭典」で幻覚キノコを食べた時の様子を次のように記している。
「私は完全に意識を失い、色彩だけのあの世へ行った。金、銀、赤、オレンジ、ブルー、緑、黒など美しい七色が、渦を巻いたり滝のように流れたりした…」
先住民族は「神の声を聞くために」このキノコを使っていた。
日本文化にも似た現象はある。「今昔物語」には、山中でキノコを食べ、恍惚と歌い踊る尼僧たちの話が出てくる。このキノコは、食べると幻覚に陥り、踊り狂うので「マイタケ」と呼ばれたが、今では「ベニテングタケ」らしいことが分かっている。 北欧ラップランドやカムチャッカ半島の先住民族にも、ベニテングタケを宗教儀式に使った形跡があるそうだ。
ドラッグが文学に残した貢献も計り知れない。ギリシア時代の詩人ホメロスの「オデッセイア」には「すべての苦しみ、怒り、悲しみを忘れさせる」アヘンらしき陶酔剤が歌われている。
http://ugaya.com/private/repo_32.html
脳にはA10と呼ばれる神経があります。 医学的には、恍惚神経とか快楽神経と呼ばれているそうです。 動物のA10神経はとても貧弱ですが、人間はこれがものすごく発達していて強力です。 わくわくしたり楽しくなったりするときには、この神経が興奮します。
実は麻薬でもこの神経が興奮することが知られています。 麻薬でこの神経が興奮して「意識の拡大」という色々な神秘的な現象が起きます。 でも、麻薬を使用し続けると、神経がボロボロになってだんだん楽しくなくなり、やがて廃人になってしまいます。
瞑想を行うと、脳内麻薬物質がこの神経の周りに分泌されます。
20種類以上ある脳内麻薬物質のうち、「β−エンドルフィン」は、なかでも非常に強力で、鎮痛作用はモルヒネの6.5倍もあるそうです。 「β−エンドルフィン」は死ぬときにも分泌され、おそらく苦痛を和らげるために出るのではないかと言われています。
ランナーズハイでも分泌され、マラソン選手が走っていて突然苦しさがなくなり恍惚とした状態になる・・・というのは、脳内麻薬物質が分泌されているからです。
麻薬は分解されませんが、脳内麻薬物質は完全に分解されるので一切害はありません。 脳内麻薬物質は普段大量に分泌されることはありません。 死ぬときとか、マラソンですごく苦しかったときに分泌されるのですが、それ以外で大量に分泌されるのが瞑想です。 瞑想をして修行が進むと大量に分泌され、とても気持ちがよくなるそうです。
でも、もっと修行が進むと、前回お話したように、鬼が出てきたり、悪魔が幻覚として出てきたりして、怖い目に逢うことがあるようです。 逆に、神様や天使、精霊などに逢うこともあります。 幻覚の中で、神様や仏様に出会って会話をしたりすると、けっこうまともな会話になったりするそうです。 現実の生活の悩みが解決されることもあるそうです。
ここで気をつけなければいけないのが、「自分はすごいレベルまで到達した!」とか「ついに「悟り」を開いた」と思ってしまうことです。 修行を極めた方々が一様に言うことは、「幻覚が出てきて神様や悪魔に会うという状況は、まだまだものすごく低いレベルの話で、「悟り」などよりはるかに遠いレベルだ」ということです。 それを知らない人は、「悟り」を開いたと錯覚して舞い上がってしまうのだそうです。
本格的に舞い上がってしまうと、そのまま精神病になってしまうことがあります。 ですから、それは脳内麻薬物質による幻覚なのですから、冷静に落ち着いて映画でも見るような気分でグッドトリップを楽しむ必要があるのです。
瞑想法、呼吸法、座禅などのごく普通の修行法も、やり方を間違えると大変危険なのだそうです。 やり方を間違えて、廃人や精神病になった例は数多く報告されています。 ですから、これらの東洋的な修行法は、必ずしっかりとした指導法にもとづいて、確かな指導者について十分注意して実行することが必要だと思います。
気功法では、このような危険な障害を「偏差」というそうです。禅では、幻覚の中で悪魔が出てきたり鬼が出てきたりすることがあるようですが、これらを「魔境に入る」という呼び方をしています。 ですから、これらの偏差を体験したり、魔境に入ったことを、精神的なものではなく、神秘体験だと錯覚する方も多いようです。
http://72.14.235.104/search?q=cache:awrxoWDLDRYJ:clover.h555.net/u/stone-field/%3Fy%3D2006%26m%3D2%26d%3D%26ca1%3D+%E9%AD%94%E5%A2%83+%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85&hl=ja&ct=clnk&cd=10&gl=jp
幻覚剤を服用することで自我への執着が喪失して、全体的な共有感が醸成されるという。そうすることで癌患者のうつ、強迫神経症、寿命末期不安、外傷後ストレス症候群とドラッグかアルコール依存症を治療することができるという。
ブッダが悟りを開いた瞬間はまさしく幻覚状態であった。宗教の根源にやはり幻覚が存在することのこれは証である。後世神学者が宗教に神学的要素を加えてわけのわからないぼやけた状態にしたが、初期の宗教は明らかに幻覚から誕生していた。
個人としての絶対的自由と真理を得る理想は、ヨガにより体験できるとし、家族から去り、悟りを求めて全ての社会的絆と責務を放棄し、隠遁生活に入ることであった。紀元前538年頃シッダッタ ゴータマという青年は、ベナレスの北160kmにあるカピラヴァストゥにある豪奢な屋敷や美しい妻や息子を捨てて、托鉢行者になった。煩悩の惨状に驚愕しながら、彼の周囲の全てに見ることができる苦痛の存在を終わらせることができる方法を必死に探し求めた。
6年間ヒンズー僧達を訪問し、贖罪に身を置いたが、得るものは何もなかった。高僧の教義も彼に訴えるものがなく、苦行は絶望をもたらすだけであった。ある夜 実行すべき方法がすっかりなくなり、自立心を捨て無我の状態になっていたら、忽然と悟りの境地が見えてきた。
それは全宇宙が退けられ、地球が揺れ動き、天国から花々が落下し、何とも言えぬ芳香が漂い、天国にいる仏達が歓喜している世界だった。それは仏達と自然と人類が大慈悲によって一体になった世界であった。
これは煩悩からの解放に対する新たな希望であり、涅槃への到達による煩悩からの解脱であった。そしてゴータマはブッダになった。
http://meimai.cocolog-nifty.com/twgt/2010/04/post-bf1b.html
仏教の創始者であるブッダは菩提樹の下で命がけの座禅をした。 何日も何日も断食をし、不眠不休の座禅。彼は精神と肉体を極限まで追い込んでいた。 それもこれも悟りを開き、人類を救済しようという大義のためだけに。
座禅瞑想の果てにブッタは遂に魔境にたどり着いた。 そこには魔羅というとてつもない力を持つ魔界の王が居たのである。
実はブッタは悟りを開く前に魔境の支配者である魔羅(マーラー)と戦っている。 一説によれば魔羅はブッタの闇の部分と言われているが彼は見事に魔羅に勝利し己の闇を克服した。 そしてブッタは深い瞑想状態から覚醒し、見事に悟りを開いたのである。 このように悟りを開こうとするものは己の中にいる魔物と戦わなければならない。
精神分析者のユングは己の中にいる魔物をシャドー(影)と言っていた。 つまり涅槃の境地を体得したいのであれば己の中に潜む魔を退治しなければならないのである。
http://religion.dot.thebbs.jp/1070291638.html
鈴木秀子さん (国際文学療法学会会長。文学博士。)が1977年不慮の事故で臨死体験をした時の描写です。 鈴木秀子さんは 愛の極致と至福感に包まれながら 生きた光からメッセージを受け取ります。
一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、一面光の世界にいたのです。まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、交流している生きた光なのでした。これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
http://blog.livedoor.jp/seitai227/archives/51655830.html
http://blog.livedoor.jp/seitai227/archives/51656333.html
臨死体験=脳内現象説
臨死体験=脳内現象説は、臨死体験は死ぬ間際の人間が脳の作用によってみるただの幻覚の一種だという主張です。 これに関して、1920〜1940年代にアメリカの脳神経学者ペンフィールドが行った興味深い実験があります。
ペンフィールドはてんかん患者を治療するために頭蓋骨を切り開き、どこの部位を切除すれば機能が回復するかをテストしようとしました。 このとき、ペンフィールドは電気で側頭葉を刺激すると、患者が「自分の体が浮かび上がっているように感じる」 などということに気がつきました。これを聞いて学術的興味深々のペンフィールドさん。「面白いオモチャを見つけた」とばかりに患者の脳をいじくりまくります。
ぐりぐりぐりぐり。 てんかんの治療はどうしたんでしょうか?
まず、側頭葉のある部位を刺激すると、「浮遊体験」が感じられ、別の部位を刺激すると、「自分の魂が体から離れていっている」という感覚に襲われることが判明しました。もしかしたらこの患者だけなのかもしれないので、念のためとばかりにペンフィールドは、同様の実験を他の患者にも試し、脳をぐりぐりぐりぐり。 同じような言動をすることを確認。
また、側頭葉のシルヴィス溝を刺激された者の中には対外離脱だけではなく、神に逢ったと主張する者もいました。
そういえば、日本で「悪魔を祓うために体を清める」と称し、いとこを殺害して体を塩で清めたという悪魔祓い殺人事件では、側頭葉てんかんを持った男が「神の声を聴いた」と主張したのが始まりでした。 側頭葉には神様が住んでいるのかもしれません。
臨死体験=脳内現象説の理論はこれだけではありません。 もしあなたが自転車に乗っていたら、ドカンと車にぶつかってみましょう。 あなたの人生が一瞬にして早送りで再生されるはずです。
そうです、走馬灯です。
この別名「映画フィルム式思考」と呼ばれる、死に直前で自分の一生が一瞬で思い出されるという体験は、クスリの服用でも体験できます。 クスリの名前はセントロフェノキシンという、スマートドラッグとしてアメリカでかなり出回っている代物。 これを服用すると、突然数十年前の思い出が鮮明に甦ってくることがあるのです。
他には、LSDなどの麻薬で体験する幻覚には、
長いトンネルの映像、
まばゆい光、
別世界の住人、
生死を問わず様々な友人や家族
が登場します。 いくつかの薬物が臨死体験に酷似した幻覚を生み出すことは以前から指摘されていました。
臨死体験が脳内物質や脳内現象による幻覚であると仮定するならば、それと同様の薬物を投与することで臨死体験と同様の体験ができ、そのメカニズムと解明されることになります。
1980年の時点で既に、精神薬理学者のロナルド・シーゲルにより、臨死体験と薬物による幻覚の類似性が指摘され、亜酸化窒素やエーテル、ケタミン、フェンシクリジン(PCP)、ヘロインなどの薬物の名が挙げられています。
さらに、オークランド大学のイェンセン教授は、
「人間が死に瀕したとき、脳内の神経細胞を酸欠状態から防ぐために、エンドサイコシンという物質が大量に放出される。 これが臨死体験を引き起こすのだろう」
という説を発表した。
この説はあくまでも仮説であり確証はありませんが、人間が極限状態に陥ると、脳内麻薬が発生することは昔から知られていました。 死の直前というのは究極の極限状態ですから、脳内麻薬が大量に発生し、それが脳内に幻覚を生み出すのは十分に考えられます。
大脳酸素欠乏症説というのもあります。
肉体が危篤状態になったり、ほんの一瞬でも心臓が止まると、大脳の酸素が欠乏します。 この大脳酸素欠乏は、短時間であっても重大な損害を脳に与えます。
この大脳酸素欠乏状態に陥ったとき、最初に幸福感や全能感がやってきて、
さらに酸素欠乏が進むと現実判断能力が失われ幻覚が生じます。 日本の武道の場合、柔道の絞め技などで「おちる」瞬間は非常に気持ちいいと言われています。
これらは、直接 臨死体験=あの世 を否定するわけではありませんが、人間の脳に刺激を与えたり、ドラッグを服用することで擬似的な臨死体験をすることができるのは事実です。
http://psychology.jugem.cc/?eid=19
ドラッグの場合、幻覚にすぎないと本人も自覚していますが、「瞑想」の場合には、自分が「悟り」を開いた、と勘違いをして舞い上がってしまう人がおおぜいいます。
・・・・・・これは、とても危険な状態です。・・・・・・
本格的に舞い上がってしまうと、そのまま精神病になってしまうことがあります。 新興宗教の教祖には、この程度のレベルで徹底的に舞い上がって、しかも精神がおかしくなっている人がおおぜいいます。
そんな教祖でもそれなりにカリスマ性があり、常人より「超能力」が高く、たとえば「手かざし治療」ができたりしますが、入信した人はえらい目にあうのがオチでしょう。
ユングは、この危険性について、次のように述べております。
――― 人間が「無意識」を経験することは、本当に素晴らしいことなのですが、そこにはひとつの大きな危険性が立ちはだかっております。
ヨーガの修行が進むと、人はいろいろと不思議な体験をします。こういった体験を自己と一体化するのを避けて、あたかも人間領域の外側にあるかのように扱うのが賢明でしょう。 もし同一化すると、あなたは魂の膨張(一種のエクスタシー的昂揚状態)に陥り、まったく道を誤ってしまうでしょう。 膨張というのは、まさしく小さな形の狂気、狂気の緩和された形なのです。
そして、もしあなたが、完全な膨張状態まで燃え上がってしまうと、精神分裂病になります。瞑想によって見えるものも、また霊能力によって見えるものも、その見えたものに固執することはとても危険なことである。
http://sakuragainouta13.seesaa.net/archives/20060819-1.html
脳を分析しても”真我(アートマン)”の実体(実態)は出てこない。 出てくるのはせいぜい脳の一部の刺激によって記憶が消えたり(”私(自我)”という記憶が消えたり)現われたり、色や音を感じたり、幻想を見たり、怒ったり、泣いたり、不愉快になったり、快楽を感じたり、等、生命の個々の属性が現われたり消えたりするだけだ。
瞑想や荒行、座禅、護摩、加持祈祷、他力、等で”悟り”といわれるもののほとんどはこの手合いで事前に本や教科書や先輩や師匠などから吹き込まれた段階的な”悟り” と称するイメージを幻想として見て、”私(自我)”も悟ったと錯覚しそれをまた後輩に吹き込むということを繰り返して広まってゆく。
特にこれらで得られる快感は脳に対する無理で不自然な刺激よるので薬や催眠の中毒と同じように慢性化し (癖になり)、特定の音楽を聴いたり特定の匂いや視覚やしぐさ等で容易にはまり込んでしまうし、その快感を求めて再びはまり込みたくなってしまう (常習化する)。
極端になるとヨガ等の経典に出てくる空中遊泳とか物体の素通りだとか透明になるとかのいわゆる荒唐無稽な”通力”を本当に信じこむようになり極度のトランス状態(脳の痙攣)にまでなって、飛び跳ねたり手足をバタバタさせて、はたから見ると異常だが当人にとっては快感となっている。
この快感は極度の運動 (祭りやスポーツ等)などで得られるもの(いわゆる”真っ白になる”)と何ら変らないものだが、極度のトランス状態のもとでは脳に対する無理な作用、不自然な刺激によるものなので薬物と同様、後遺症、精神的副作用(人格、精神異常、意識障害等)などを伴う。
__________
何処までが正気でどこまでが狂気なのか、この判断はむずかしい。
まるでメビウスの輪のように、正気と思って走っているうちにいつのまにか、狂気になっていたり、狂気な行動が後世に正気として評価されたりするからだ。
狂気を演出する、これは正気でなければできない。
正気と思いつつも、いつのまにか狂気の世界に入り込んでしまうこともある。一般大衆の思考から離れてしまう。
それが、100年先の考えであれば天才であり、単に少し離れただけなら変わり者か変態で終わるが、接点が無くなるほど離れてしまい一般大衆と永遠に交われなくなれば、人はその人を狂人と呼ぶ。
信仰というのは怖いもので、最初正気ではじめたのが信仰がすすむにつれていつしか強信ならず狂信の世界に突入する。
やがて拝んでいるうちに祈祷性精神病になる。
真言密教の坊主には頭の狂ったのが圧倒的に多いがその理由は不思議な超能力を身につけるべく行う、求聞持聡明法・日輪観・月輪観・加持祈祷などにある。祈りをかけて祈りを叶えようとすると、祈りが叶えばそれでよいが、もし叶わざる場合には自分が壊れてしまうのだ。
熱心に祈り続けると、あるとき突然にお客様が”おいで”になる、
そうすると一人で泣き出す者、飛び跳ねる者、にやにや笑い出す者、
もうあっちの世界に飛んでしまったのだ。
こっちの世界にそれでも、もどれる者もいるが戻れなくなる者もいる。
禅の修業でも勝手に座禅などやると、現実と空想の区別がつかなくなり、あっちとこっちの世界の間に彷徨うことになる。これを空病という。
導師とはこのことを良く知り、現実に引き戻してやるための存在なのだ。
現実に戻さないでさらに背中を押してあっちの世界に追いやるのが悪の宗教であり、邪教なのだ
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/53904826.html
124:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 17:52:41 ID:otuwJkA3
気功やヨガは自己流でやるのは本当に危険だ。
私は脳波の研究で、健常者や精神分裂病、気功前と気功後の脳波の違いを比較する作業を行っていた
(苦痛で1年でやめたけどね)
禅病(瞑想時の魔境)にかかっている人の脳波は、精神病患者の脳波に限りなく近くなっている。
指導者が偏差や禅病の知識と対処法を教えることが必要だ。
ヨガにいたっても同じこと。
身体と精神面での準備が出来ていない状況でクンダリニーが上がってしまうと着実に精神異常をきたすよ。
http://2chnull.info/r/kampo/1149962009/101-200
つまり、幻覚剤や宗教やジャズ・ロックには深入りしない方がいいという事ですね。
クラシックでもそうですが、大音量でクラシックを聴く事自体が音楽の事を理解していない証拠なのです。 間違ってもジャズ喫茶で使っている様なスピーカーは家庭に持ち込んではいけないのですね。
居間で38cmウーハーのスピーカーなんか使っているのはアホだけでしょう。 あの凄まじいフォルティッシモで有名なフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュもカラヤンやバーンスタインやショルティよりはずっと小さな音しか出さなかったんですね。 演奏の凄まじさや壮大さと音量とは全く関係が無いという事です。
一方、ジャズやロックは耳を劈く大音量で聴かないとジャズやロックになりません。 トランス状態に入るのを目的とする音楽だから仕方無いですね。
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