黒澤の「羅生門」は何かがおかしい_この映画を欧米人しか評価しなかった理由1 橋本忍は、黒澤の助監督であった野村芳太郎(『砂の器』監督)に尋ねた。
「黒澤さんにとって、私、橋本忍って、いったいなんだったのでしょう?」 野村「黒澤さんにとって橋本忍は会ってはいけない男だったんです」 「そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから、映画にとって無縁な、思想とか哲学、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこれも妙に構え、重い、しんどいものになった」 橋本「しかし、野村さん、それじゃ、黒澤さんのレパートリーから『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』が?」 野村「それらはないほうがよかったのです」 「それらがなくても、黒澤さんは世界の黒澤に。。現在のような虚名に近いクロサワではなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明になっています」 「僕は黒澤さんに二本ついたから、どれほどの演出力。。つまり、力があるかを知っています。彼の映像感覚は世界的なレベルを超えており、その上、自己の作品をさらに飛躍させる、際限もない強いエネルギッシュなものに溢れている。だから。。。いいですか、よけいな夾雑物がなく、純粋に。。純粋にですよ、映画のおもしろみのみ追求していけば、彼はビリーワイルダーにウイリアムワイラーを足し、2で割ったような監督になったはずです」 「ビリーワイルダーより巧く、大作にはワイラーよりも足腰が強靱で絵が鋭く切れる。その監督がどんな映画を作るのか。。橋本さんにもわかるはずです。。。文字どおり掛け値なしの、世界の映画の王様に。。橋本さんはそうは思いませんか?」 字を書く職人であれ。伊丹万作はこのことを橋本忍に何度も述べたそうだ。 橋本忍は、シナリオライターとは職人である、芸術家であろうとおもうな、という戒めであると解釈した。 1946年9月21日肺結核で伊丹万作死す。橋本は伊丹の死を、新聞の死亡欄を読んで知った。 橋本が療養所で最初に書いたシナリオ『山の兵隊』を、伊丹万作に送ったのは療養所を無断退院して姫路でサラリーマンをしていた頃。1942年のこと。伊丹からは丁寧な返書が来た。橋本は京都に伊丹を尋ねて指導を受けた。シナリオは会社までの通勤電車で書いた。 伊丹万作法要の席で、伊丹の奥さんが伊丹万作の助監督を務めた佐伯清を紹介した。佐伯は黒澤明と知人であった。この縁で、橋本の書いたシナリオ『雌雄』に黒澤が目をつけた。が、このシナリオは短すぎる、と黒澤が言う。芥川の『羅生門』を追加することを伊丹が提案した。 http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-05-05 橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年4月18日- )は、昭和期の脚本家、映画監督。男性。兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴井)に生まれる。
中学校卒業後、1938年応召したものの、粟粒性結核に罹り、療養生活に入る。シナリオに興味を持ち、伊丹万作のもとに作品を送り、指導を受ける。伊丹死去後、上京し、伊丹夫人より佐伯清監督を紹介される。 1949年、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を書く。 伊丹死後、未亡人が伊丹の手元にあった橋本脚本を佐伯に渡し、黒澤明がそれを譲り受ける。黒澤は『藪の中』の脚色作品に注目、黒澤の助言により芥川の同じ短編小説『羅生門』も加えて完成。 この脚本を基に翌1950年黒澤が演出した映画『羅生門』が公開され、橋本忍は脚本家としてデビュー。同作品はヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。 ◆映画『羅生門』のアイデアは突発的に・・・
「あんたの書いた、『雌雄』だけど、これ、ちょっと短いんだよな」 「じゃ、『羅生門』を入れたら、どうでしょう?」 「羅生門?」 「じゃ、これに『羅生門』を入れ、あんた、書き直してみてくれる?」 「ええ、そうします」 同じ不条理ではあっても、真相は分らないとするテーマから、人間とは得手勝手なものであるとするテーマへの移行が感じられ、映画全体を少し難解で分りにくいものにしている。 http://book-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/2006_4e39.html __________________
B しかし、黒澤の「羅生門」は何かがおかしい_この映画を欧米人しか評価しなかった理由2
芥川龍之介「藪の中」を読む 植島 啓司
01 男と女
男と女のあいだで隠し事をしないというのはなかなかむずかしい。この世で起こるほとんどの事件が男女の問題と深くかかわっているわけだが、それは男女の関係のうち3割くらいに嘘が混じっているからではなかろうか。そこに「事件」が入り込む隙間が生じるのである。自分ではそうと意識しないで嘘をついていることもあるし、相手のためを思ってのこともあるだろう。しかし、皮肉なことに、この嘘がからんだところに恋愛のもっとも甘美な部分がひそんでいるのである。なにも正しいことだけが必要とはかぎらないし、それではかえって社会はうまく動かないかもしれない。あえて言い切るならば、恋愛というものも嘘がなければ成立しないのではないか。そうなってくると、実際のところ、いかに相手に誠実かということよりも、いかに相手に寛容でいられるかが、愛情のバロメーターになるのかもしれない。 02 謎
山科の藪の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛られた夫の前で妻はレイプされる。そして、残るは夫の死骸のみ。殺されたのは金沢の武弘26歳、妻は真砂19歳、彼女は「男にも劣らぬぐらい勝気な女」で「まだ一度も武弘のほかには、男を持ったことがない」(媼の話)。妻・真砂を凌辱した盗人はそのまま逃げ去ろうとしたのだが、妻に「あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ。二人の男に恥を見せるのは死ぬよりつらい」と請われ、夫を殺害する(多襄丸の白状)。遺留品は「一筋の縄」と「櫛」のみ。殺された夫の死霊が巫女の口を借りて語るところによっても、彼女はやっぱり「あの人を殺して下さい」と言ったということになる(武弘の死霊の物語)。ところが、後に清水寺に現れて懺悔した妻によれば、「我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました」となり、何を叫んだのかは不明のままとなっている(真砂の懺悔)。いったいそこでは何が起こったのか。 1922年1月『新潮』に発表された芥川龍之介の「藪の中」は、これまで多くの人々の関心を集めてきており、「真実は藪の中」という流行語にもなった。物語は、京都の山科近くの藪の中で見つかった男の死骸をめぐる7人の証言からなっている。最初の4人の証言は事件の当事者によるものではなく検非違使による取調べによって明らかにされたものである。それゆえ、いわゆる事件の当事者3人による陳述とは性格が異なっている。問題なのは、盗人・多襄丸、彼によって犯された妻・真砂、殺された真砂の夫・武弘(死霊の言葉を語る巫女)の陳述がそれぞれ矛盾していることである。それも無罪を主張するのではなく、それぞれ自分が男を殺した張本人(夫の場合は自殺)だというのだから、まったく奇妙はことではないか。いったい本当はだれが彼を殺したのか。だれが真実を語り、だれが嘘をついているのか。さらに、最後に「そっと胸の小刀を引き抜いた」のはいったいだれなのか。 03 主題と論争
芥川龍之介の「藪の中」が『新潮』に発表されたのは1922年。これを読んだ多くの人々は、結局、「事件は迷宮入り」と思ったのだった。ところが、1970年6月に中村光夫「『藪の中』から」(『すばる』)が発表されるや、1970年10月に福田恆存「『藪の中』について」(『文學界』)が中村光夫説を批判し、さらに、1970年12月に大岡昇平「芥川龍之介を弁護する」(『中央公論』)が発表されて、論争は異常な高まりを見せたのだった。 中村光夫は次のように述べている。 ―「藪の中」では、妻、夫の「陳述」はそれぞれ前の「陳述」を否定する性格のものであり、結局、夫の死は他殺か自殺かという疑問に解決が与えられないし、他殺なら犯人は誰かもわからず仕舞いです。これでは活字の向うに人生が見えるような印象を読者に与えることはできないのではないでしょうか。ある事実に三つの面から異なった解釈をあたえるのは、それを人の三倍考えぬくことですが、ひとつの「事件」について事実が三つあるのは、考えの整理がつかぬということです。 そして、彼は、「この作品のもっとも重要なテーマは、強制された性交によっても、女は相手の男に惹きつけられることがあるということ」だと論じている。果たして本当にそうだろうか。 福田恆存はそれに対して以下のように反論を試みている。 心理的事実もまた事実である。「藪の中」について言えば、多襄丸、女はそれぞれ自分が殺したと言い、男は自殺したと言っており、この三つの「陳述」は現実の事実としては矛盾しているが、もしそのいずれも現実の事実ではなく、三人が銘々そう思いこんでいる心理的事実に過ぎぬものだと解すれば、その矛盾はかえって主題を強調するものとして成り立つのではないか。 すでに、吉田精一は「当事者達の事実に対する迫り方、受けとり方が各種多様で、めいめいの関心、解釈、感情によって、単純な一つの事実がいかに種々の違った面貌を呈するかを、従って人生の真相がいかに把握し得ぬものかを語ろうとしたのが、この作の主題と思われる」(『芥川龍之介』1942年)と述べており、福田恒存説はこれを踏襲しているともいえるだろう。 それでいながら、福田恒存は次のように結論づけている。「どうしても「事実」というものが必要なら、それはこういう風に考えられないか。すでに書いたように多襄丸は女を犯した後、その残虐な興奮状態から、武弘を刺して逃げた。だが、武弘はそれだけでは死に切れなかった。そして互いに不信感を持った夫婦が後に残され、妻は心中を、夫は自殺を欲した。そういう両者が小刀を奪い合い絡み合ううちに、夫は多襄丸の負わせた深手によって死んだ」。つまり、多襄丸真犯人説である。 しかし、これはどう考えても不自然ではなかろうか。高田瑞穂は「『藪の中』論」(『芥川龍之介論考』1976年)において、福田説に対して、まもなく息の絶えるほどの重傷を負った武弘にそんな余力などあるはずがないし、そもそも「妻は心中を」「夫は自殺を」欲したというが、なぜ夫が自殺しようとしたか動機が不明である、と疑問を投げかけている。彼の結論は、「藪の中」は危機に直面した人間の自己暴露を描いたものであるとして、最終的には武弘自殺説を取り上げている。 それに対して、大岡昇平はなかなか慎重である。 申すまでもないことだが、ここで問題になっている「事実」とは現実の事実ではなく、作品の中に述べられている事実である。さらに三人の人物が陳述している事実である。人物が一人称で述べるので、福田がいう心理的事実という性格を持ち、同時に人物の性格描写の役割を果たすものである。 このことは実は意外に大きな意味を持っている。ただし、大岡昇平もそれほど歯切れがいいわけでもない。「『藪の中』には、多くのテーマが含まれている。芥川の意図は福田のいうように「真相はわからない」というような観念的なものではなく、当事者の陳述を並置して、その間の矛盾と一致によって、緊張と緩和の交替を作り出すことにあったと思われるのだが(それが奏功しなかった)」と書いている。それでいながら、結論としては、「死霊が口を利くのは現代の常識に反するが、死者は生者のように、現世に利害を持っていない。それは刑死を覚悟した犯罪者、懺悔する女よりも、真実を語っている、と見なしてよいのではないか。…三つの陳述の最後におかれているということによっても、信じられる資格があろう」と武弘自殺説を採用している。 こうなってくると、何がなんだかよくわからなくなってくる。駒尺喜美も、「『藪の中』は探偵小説的な興味を持たせる作品ではあるが、しかし、もちろんそうではない。探偵小説は、言うまでもなく真相究明の面白味をねらったものだが、『藪の中』はその逆である。つまりその真相が絶対に解けぬところに面白さがある」(「芥川龍之介『藪の中』」1969年)と述べており、海老井英次『芥川龍之介論攷―自己覚醒から解体へ』(1988年)になると、「基本的には三つの陳述がそれぞれ〈真相〉を語っているのであり、したがって読者は、その中からそれぞれ自分で一番「美しく」語られていると思うものを選ぶ他ないのである」と(ある意味では)さじを投げている。 ここでまとめてみると、結局のところ3つの見解があるということである。 01 だれか一人だけが真実を語っている。
02 だれにも心理的な真実がある。矛盾を矛盾として受けとめるのが人生だ。 03 みんなが嘘をついている。 ここで注意したいのは、多襄丸の「白状」、真砂の「懺悔」、武弘の死霊の「物語」を、それぞれ同じ平面で捉えることはできないということである。多襄丸の「白状」は検非違使の前だが、真砂の「懺悔」は清水寺でのもので、いくら告白しても罪に問われることはないのである。さらに、武弘の死霊の「物語」となれば、それがどこで語られたにせよ、武弘自身によるものでも、死霊の手によるものでもなく、あくまでも巫女の口から出たものでしかないのである。
04 研究と解釈
それに対して、大里恭三郎『芥川龍之介―『藪の中』を解く』(1990年)は、これを徹底的に推理小説として捉えて解読しようと試みたものである。芥川龍之介はあくまでも真犯人を特定して「藪の中」を書いているはずで、一つの真相に向けて焦点が合わさっていかなければ、それは明らかに作品の破綻を意味すると考えたのである。 彼らの陳述が三者三様であるのは、彼らが真相を知らなかったからではなく、むしろ全く逆に、彼らは真相を知るゆえにこそ、自分にとって都合の悪い何事かを伏せ、事実を歪めた陳述をしていると考えるべきであろう。 「作品が非常に曖昧に見える」のは、言うまでもなく彼らが「わざと嘘をついている」からであって、この作品ははじめから、「事実の相対性」などを主題とはしていないのである。 そういう意味では、はじめに登場する木樵り、旅法師、放免、媼による証言も、すべてを手放しで事実と認めるわけにもいかない。そうなると、最後に「そっと胸の小刀を抜いた」のはだれなのか、そして、 「その小刀はどこに行ってしまったのか」という疑問も、「目撃者である木樵りが持ち去った」という解釈だって可能になってくる。実際、黒澤明は映画『羅生門』においてそういう解釈を下している。 なによりもまず物語のクライマックスをここで再現してみよう。いったいそれは各自によってどのように表現されているのか。 武弘の死霊の「物語」はそれを次のように語っている。 「あの人を殺して下さい。」 ―この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? たしかに「武弘の死霊の怨念はここに激しく渦巻いている。この小説の異様な迫力、不気味なまでのリアリティは、ここを源泉として溢れ出ているものである」(大里)と言うとおり、巫女の口を通して噴出するこの武弘の死霊の独白こそ、この作品のクライマックスにふさわしいものといえよう。 では、女は本当に「あの人を殺して下さい」と言ったのだろうか。多襄丸の「白状」では次のようになっている。 女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、―そうも喘ぎ喘ぎ云うのです。 ここで、「二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらい」とは言うものの、実際には夫に見られるのがつらかったのであり、実質的には「あの人を殺して下さい」と言うに等しいように思われる。 「生き残った男につれ添いたい」と言われながら、もし夫が生き残ったとして、なんとも気まずいことにならないだろうか。 では、真砂の「懺悔」ではこの場面はどのように表現されているのか。 口さえ一言も利けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかし、そこに閃いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、―ただ私を蔑んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。 このとき「あの人を殺して下さい」と叫んでいたとすれば、彼女が清水寺での懺悔において、その言葉を具体的に述べられなかったのも当然であろう。 真砂は、夫の冷たい視線に曝されて、「わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまった」と語っているが、おそらく真砂は夫のそばに駆け寄ろうとして、多襄丸によって蹴り倒されてしまったのであろう。それは、彼女にとって、多襄丸の度重なる乱暴な振る舞いに絶望すると同時に、夫の冷たい視線を感じ、もはや二度と夫のもとには戻れないことを感知するきっかけとなったのだった。動揺し、気を失う真砂。 さらに、「死霊の言葉を語る巫女の陳述」を見てみよう。それは、あくまでも夫・武弘の死霊がみずから語ったことではなく、巫女の口寄せであり、彼女自身が語ったことだという点にも注意する必要があるだろう。巫女の語り口の中には、同性ゆえにか、真砂に対する憎悪と侮蔑の念が垣間見られるようである。 よく考えてみよう。たとえば、自分を凌辱した男の誘いの言葉に「うっとりと顔を擡げ」「では、どこへでも連れて行って下さい」「あの人を殺して下さい」なんて果たして言うものだろうか。それこそ夫・武弘の嫉妬がえがきだした妄想だったとしても、そこに巫女の感情がまったく含まれていないとは言えないだろう。「突然迸るごとき嘲笑」などのト書きをも参照されたい。 たしかに武弘は妻に憎しみの目を向けたかもしれない。しかし、それは、真砂が多襄丸に犯されたからでもなければ、また、彼女が多襄丸の肉体に反応したからでもない。それは彼女が多襄丸に向かって「あの人を殺して下さい」と叫んだからである。 「夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑みの底に、憎しみの色を見せているのです」というように、「憎しみの色」が追加されたのも、彼女が「あの人を殺して下さい」と叫んだ後のことなのである。 05 嘘
おそらく、これまで「藪の中」についてうまく語られてこなかったのは、「だれか一人だけが真実を語っている」と考え、それぞれの陳述をつき合わせて真実を明らかにしようとしたか、または、「だれにも銘々そう思いこんでいる心理的事実がある」として、それぞれの言い分を認めてしまったからではなかろうか。実際には、多襄丸も、真砂も、死んだ夫も、三人が三人ともに嘘をついていたのである。では、いったい彼らはなぜそんなことをしたのであろうか。 http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/080421/index.html 06 みんなが嘘をついている
山科の藪の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛られた夫の前で妻はレイプされる。残るは夫の死骸のみ。後にそれぞれの陳述が明らかにされる。それも、多襄丸は検非違使の取調べの前で、妻は清水寺での懺悔というかたちで、そして、夫の場合は、殺された夫の死霊が巫女の口を借りて語るというやり方で、それぞれの言い分が明らかになっていく。 ところが、各自の言い分はそれぞれまったく矛盾するどころか、普通ならば自分がやったことではありませんと弁解するところを、それぞれが夫の武弘の死は自分がやったものであると(殺された夫の場合は自害であると)自白しているのである。果たしてだれが本当のことを言っているのだろうか。そして、だれが嘘をついているのだろうか。前回は、まず、全体の見取り図のかわりに、次のような問題提示を行った。 01だれか一人だけが真実を語っている。
02だれにも心理的な真実がある。矛盾を矛盾として受けとめるのが人生だ。 03みんなが嘘をついている。 そして、これまでうまく理解されてこなかったのは、「だれが本当のことを言っているのか」「だれが嘘をついているのか」という点にばかりとらわれて、肝心な点が抜け落ちてきたからではないかと思うのである。そう、この小説の中では「みんなが嘘をついている」という点がやや見過ごされてきたのではないかというのである。だれもが、自分が自分に嘘をつくことをも含めて、さまざまな虚偽の申告を行っているのである。 07 矛盾
物語のポイントとなるのは、夫の前で多襄丸に犯された後で「突然、女がなにやら叫んだ」という一節に集約されるのではなかろうか。それについての証言をもう一度まとめてみよう。 (1)多襄丸の「白状」:すでに目的を達してその場を去ろうとしたまさにそのときに、真砂が「突然わたしの腕へ」「縋りつき」なにかしら叫んだ。実際は、とんでもない悪党で好色な男で、すべて自分に都合のいいように理解する男である。だが、縄を解いて戦いあったのは事実かもしれない。武弘を殺した後、女にはすっかり興味を失って、その場を去る。
(2)真砂の「懺悔」:真砂は手込めにされた後で、夫のそばに駆け寄ろうとして、盗人に蹴り倒される。そして、そのときに夫の自分を蔑(さげす)んで冷たく光る夫の眼に気づき、なにやら叫んだきり気を失ってしまった。彼女の意識はとぎれとぎれで現実感がまるでない。「夢うつつの内に」小刀で刺したというが、本当のところはどうなのか。意識が戻ると、「夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました」と言う。そして最後に縄を解いたというが、それもすべては妄想のなせるわざかもしれない。
(3)死霊の言葉を語る巫女:真砂が盗人の腕にすがりついて「あの人を殺して下さい」と言うのを聞いて、多襄丸が「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか?」と言ってきたので、もうそれだけで盗人の罪は赦してやりたいと思った。妻はおれがためらううちに、なにか一声叫ぶがはやいかたちまち藪の奥へ走り出した。これは最後への伏線となっているのかもしれない。
では、その後、「真砂はどこへ行ったのか」。逃げたか、そこに昏倒していたのか、それとも、いったん逃げて、また戻ってきたのか。いや、おそらく彼女は最初から最後までその場にいた可能性大なのである。武弘の死霊が「誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか?」というが、この科白は、武弘の悲しみとともに付近の真砂の存在を暗示している。これは真砂が「わたしは泣き声を呑みながら、死骸の縄を解き捨てました」と語っている箇所とも重なっている。 よく考えると、真砂の清水寺での懺悔はけっして罪に問われることのないものである。彼女は「(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ないものは、大慈大悲の観世音菩薩も、お見放しなすったものかも知れません」というが、ここにも彼女のごまかしがあると高田瑞穂(「『藪の中』論」1976年)は指摘している。なぜ「お見放しなすったにちがいありません」と言わなかったのか。まさに夫が死んだのだからもはや自分が死ぬ必要はなくなったと言わんばかりではないか。彼女の生きることへの本能的執着を感得せざるを得ないというのである。 そうはいっても、高田の結論はあくまでも自殺説である。彼は大岡昇平の次の語句を引用し、私見と重なると述べている。「ではなぜ、夫は自殺しました、といわなかったか。彼女の失心(女性の常用の武器)したと言明することによって自分の重大な言葉と、その結果について証言を回避し、逃走をかくしたことによって、夫の自殺をとめなかった事実を合理化する根拠を失っているからである。もっとも失心から醒めたら、夫は自殺していた、と合理化することができるが、そうしなかったのは、自分が夫の自殺の原因になったことについて、深い罪障感があり、自己処罰欲があったかたであろう」と。 ここで、だれが縄を解いた(切った)かという問題が浮上してくる。いったいだれが武弘の縄を解いたのだろうか。おそらく多襄丸ではないだろう。刀で切ってしまえば、残留品は「一筋の縄」というわけにはいかなくなる。もちろん本人にはとてもムリだ。となれば、夫の縄を解いたのは真砂以外の何者でもないということになる。 さらに、上野正彦(『「藪の中」の死体』2006年)は、法医学の立場から、多襄丸が男を刺したとは到底考えられないと述べている。「木樵りの話にあったように、創口に乾血が付着し、死骸の周りの落ち葉には血液が染み込んでいた。とすると、現場に血液が飛散したような著しい流血はなかったということでもある。さらに、受傷から死亡までの時間が短いようなので、刺創はおそらく心臓に達していたと思われる」「この場合、胸に刃物を刺しすぐに引き抜けば、心臓からの出血はものすごい勢いで体外に飛散し、現場は血だらけになるのが一般的である。しかし、刃物を刺したままに放置すれば、心臓からの出血はあっても、創口は刃物で塞がっているから胸腔内(体内)の出血にとどまり、からだの外に大きく飛び散るほどの出血はなくてよい」。ということであるから、刃物を胸に刺されたまま放置したと考えるべきで、凶器も大刀ではなく小刀であった可能性が高いことがわかると結論づけている。 つまり、縄を解いたのは真砂、刺し傷は小刀によるものとなれば、結論的にいうと、多襄丸は、女の叫び(「あの人を殺して下さい」)を聞いて、恐れをなして逃げていったというのが本当のところではないかと思われる。彼はすでに性欲と物欲が満たされており、これ以上無益な殺生をする必要がなかったのである。しかも、多襄丸は真砂の要求には応じなかった。「となれば、真砂は自ら夫を刺殺するほかなかったであろう。夫に対する裏切りの意識は、逆に、自ら夫を殺すほかないところまで、彼女を追いつめていたのである」という大里恭三郎説(『芥川龍之介―『藪の中』を解く』1990年)を支持したくなる。多襄丸が去り、二人して残されたという状況下で自殺するというのはなかなか考えにくいのではなかろうか 。 08 女は諸悪の根源
ここに、さらに事件の真相を知るための三つのデータがある。一つは物語の出典『今昔物語集』であり、一つは芥川自身の残したメモ(手帳)であり、一つは執筆当時の彼をめぐる交流関係である。 まず、出典についてだが、この物語が『今昔物語集』巻第二十九第二十三話に依拠したものだということは、よく知られたことである。平安末期に集められたという『今昔物語集』(1120年代以降成立)の説話の記述は、あまり修辞に凝らず、事実をそのまま述べるような坦々としたもので、口語体も多く混じっており、読みやすい。この『今昔物語集』にも出典があって、『日本霊異記』、『三宝絵』、『本朝法華験記』などを典拠にしたものが多いのだが、ここではそれに言及するのは控えよう。なにより巻第二十九第二十三話がどういう話なのか簡単に要約してみたい。それは「妻を具して丹波の国に行く男、大江山において縛られたる語」と題されている。 男が妻を馬に乗せて大江山にきたとき、大刀を持った男(盗人)と道づれになり、あなたの持っている弓矢とこの大刀を交換しないかと持ちかけられ、男はなかなか立派な大刀だったので喜んで交換してしまう。では、そろそろ昼食をということになり、人前では見苦しいので、ちょっと藪に入ったところでと誘われ、そこで、弓に矢をつがれて「ちょっとでも動いたら殺す」と居直られ、木に強く縛りつけられてしまう。そして、盗人はようやく女のもとに戻ると、あまりの魅力に心を奪われ、その場で裸にして(自分も裸になって)地面に押し倒して犯してしまう。その後、盗人は「そなたに免じて男は殺さずにおく」と言い残し、馬に乗って去る。女は男に近寄って縄をほどくが、男は茫然自失の様子。これではどうしようもない(情けない)と思いつつ、ともに丹波の国に向かったのだった。 ここでは、男の情けなさばかりが強調されており、三者三様の交わりという側面は出てこない。芥川の興味は「目の前で自分の最愛の妻を犯された男の話」という域から、さらにそれぞれの心理状態の移り変わりへと向かうことになるのだが、それはどのように構想されることになったのか。 その秘密を垣間見せるのが、芥川自身が残したメモである。そこには、「―心中。かけ落ちの途中、女rapeさる。男を殺す」と書かれている。芥川にとって「女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である」(『侏儒の言葉』)というようにも考えられており、その点からすると、どうも「藪の中」は殺された男の妻・真砂に厳しい内容ではないかと想像されるのである。 さらに、この小説が書かれた背景に実際の三角関係が隠されているのではないかという推理も成り立つ。たしかに当時、芥川龍之介は、自分の友人でもあり門下生でもあった南部修太郎と秀しげ子との間の三角関係に悩んでいた。高宮檀は『芥川龍之介の愛した女性』(2006年)において、アナグラムまで持ち出して(KANASAWA NO BUKOU(TAKEHIRO)は「南部修太郎、若様」となるという)、多襄丸は芥川自身で、武弘が南部、真砂がしげ子に相当し、「藪の中」は彼ら三者の関係を描いたものだと述べている。高宮は、1922年8月7日付けの芥川から南部への手紙に、「僕のした事の動機は純粋ではない。が、悪戯気ばかりでした事ではない。純粋でない為にはあやまる」と書かれているのを見て、それは「藪の中」のことを指しているのではないかと推測している。どうもしげ子は(芥川にとって)なかなか一筋縄ではいかない女だったようである。 そういうわけで、さらに、妻・真砂犯人説がもっとも説得力があるように思えてくるのだが、その当否はともかくとして、彼らの告白の背後に隠された真実とはいったいなんだろうか。なぜ彼らは三者三様に嘘をつかなければならなかったのか。その点について簡単にコメントしておきたい。 09 秘密
彼らがどうしても隠しておかなければならなかった事柄とはいったいどういうことだったのか。大里説を援用させてもらいつつ、なぜ彼らがウソをつかなければならなかったのか、その心理状態をここで推測してみる。 まず、武弘の死霊だが、おそらく、欲に目が眩んで盗人に一杯食わされ、縛られた上、眼前で妻を犯され、しかもその妻によって自分が刺し殺されたなどとは、侍としてあまり惨めで、語るにしのびなかったのではなかろうか。彼は自殺というフィクションを捏造することによって恥辱の底から這い上がろうと思ったのである。盗人に殺されたというのも恥だが、妻に殺されたとは口が裂けても言えなかったに違いない。 多襄丸は、自分の好色を精一杯否定した上で、結婚の話まで持ち出し、真砂から依頼された決闘(それも縄を切って公明正大な戦いを挑んだと主張)という大義名分までつくりあげたのだが、自分が女の叫び(「あの人を殺して下さい」)を聞いて、恐れをなして逃げたという事実を隠蔽しようとしたのである。 すでに他の事件でも嫌疑をかけられており、ここでは「ケチな女好きの小悪党」というイメージを払拭するのに懸命だったのだ。そういうことなら、そちらの事件とは無関係と言い逃れしつつ、また、こちらの罪も軽くなるだろうし、おまけに面目も立つというものである。さらに、もうひとつの見方として、どうせ創口(傷跡)などを調べれば彼の仕業ではないことは一目瞭然と踏んでいたのかもしれない。さんざん検非違使や放免らをおちょくっているところをみると、そちらの可能性もまた否定できないだろう。 真砂の懺悔は、なんとか多襄丸に自分の夫を殺すように依頼した自分の夫への背信行為を伏せ、重要な場面では失心していたと言い逃れしつつ、かつ、自殺幇助、心中未遂という言い訳をも用意して、ようやく夫の殺害を告白しているが、そこにはエゴイズムからくる自己正当化が隠されているように思われる。 夫が「冷たい蔑みの底に、憎しみの色」まで見せたのは、そして、事態が最悪の結末を迎えたのは、本当は自分の裏切りによるものだからである。おまけに、先ほど指摘したように、彼女の懺悔は清水寺でのもので一切罪に問われるものではないという点も見逃すことはできない。 男と女がまともに付き合えば必ず破綻する。
もし二人だけでずっと密室に閉じ込められたとすると、いつか相手の存在に耐えられなくなってしまうのである。相手の身体の匂い(臭い)とか、口ぶり、受け答えのまずさ、乱雑な振舞い、思いやりのなさ、等々。相手のいやなところばかりが気になってくる。そうしたことはどんなに努力しても仕方がないことなのである。 それよりなんとか二人のあいだにある(根源的な)ひび割れ(「一緒にいればいるほど関係は綻びていく」)を隠し通さなければならない。ささいな不満がそこまでたどり着いてしまうともはや修復は不可能となる。もしかしたらそのギャップを埋めるのが嘘の働きなのかもしれない。 嘘は、単に自己正当化のためのものではなく、もっと大きな社会的役割を持っているということである。人間同士のあいだにひそむひび割れ(ギャップ)をなんとか見えないようにするための無意識的な振舞いなのかもしれない。われわれは心の底ではだれにも真実を語ってほしいとは思っていないのではないか。わざわざ見えないものを暴き出す必要がどこにあろう。ぼくには「藪の中」の隠された主題はそのことをひそかに物語っているように思われるのである。 http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/080516/index.html 黒澤明の作品群の中で、ただ一つだけ、見終わった後にどうしても釈然としない作品がある。それが皮肉にも彼の名を一躍世界に知らしめるきっかけとなった映画「羅生門」(50)なのである。いかに黒澤作品といえども、最後まで犯人が分からないストーリー展開に、他の黒澤映画に慣れ切つた僕たちは、映像の美しさなどさしおいて、不遜にも軽いいらだちすら覚えてしまう。こんなことは彼の作品においては極めて稀なことなのだ。
果たして彼はこの作品で何を表現したかったのだろうか?などと普段しなくてもよいはずの詮索をついしてみたくなる。黒澤の代表作といわれ、世界的にも評価の高い作品であるだけにもっと思う存分楽しみたいと思うのは僕だけではないだろう。そのためには、僕たちはどうしてもその原作に一度立ち返つてみる必要がありそうだ。 ご存じのように、この映画の題名は芥川龍之介の短篇小説からとったものだが、実際に小説「羅生門」の中の描写があるのは冒頭の1シーンだけで、ストーリーそのものは同じ芥川の短編「薮の中」が原作となっている。 <時は戦乱と天災で荒れ果てた平安時代の乱世。一人の侍が森の中で胸を刺されて死んでいるのが発見される。この事件の犯人をめぐって、検非違使庁の庭において一種の法廷劇が展開される。木樵り、旅法師、放免の状況説明に続いて尋問されるのは悪名高き盗賊の多襄丸、死んだ男の妻、そして巫女の口を借りた男の死霊。この三人によって事件の経緯が次々と説明されるのだが、何故かこれらの供述が微妙な食い違いをみせる。果たして真犯人は誰だったのか。真相は最後まで明らかにされない。> この小説に関しては従来から何人もの人たちによって分析が試みられてきた。その結果、<薮の中>という常套句に代表されるように、「犯人を特定すること」がこの作品の主題なのではなく、「あえて作者がそれを明瞭にしないところ」にこの小説の真髄があるという考え方が、現在における定説になっている。 黒澤の「羅生門」は、木樵りにも男を殺した可能性があるとした点を除いてほぼ忠実に原作を再現しているのだが、僕ら観客にとっては、そもそも三人の証人かいずれも"自分が犯人だと言い張つている点"がどうしても賦に落ちない。 普通、証言台で嘘をつくのは罪を逃れるためなのに、このニ人はそうではない。 山賊はいとも簡単に男を殺したことを認め、 妻も無意識のうちにせよ夫を殺したと言い、 男自身も自分で命を絶つたと頑なに主張している。 めいめい自分の有罪を認めており、決して罪のなすりあいはしていない。最後に述懐する短刀を盗んだと思われる心樵りはともかく、他の三人は嘘をついても何の得もないように思われる。それなのに何故彼らは嘘をつくのか。 学者らの説によれば、作者は「すべてのモラル、すべての真実に疑問を投げ付けることでアナーキーな自分の心情を吐露したかった」とか、あるいは、「最初から事件の真相などというのはさしたる重大事ではなく、告白の欺瞞性を通して現実社会の裏側を透視したかった」とかいった解釈が主流なのだが、しかし、それではあえて作者が三人に殺人を犯したと告白させている必然性がない。 芥川といえば志賀直哉とともに、大正期における短篇作家の双璧であり、その作風は理知的で洗練巧緻を極めているにもかかわらず、きわめて大衆的であり、しかも分かりやすい風刺に富んでいる。そんな彼が、何故この作品だけことさら分かりにくくする必要があったのだろうか。なぜこの作品を同じ中世の「今昔物語」から題材をとった他の平易な作品(例えば「鼻」や「芋粥」など)と並列に論じてはいけないのか。 この小説を難しくしているのは、かえって後世の「不条理劇」に影響された学者たちではないのか。芥川が言おうとしていたことは、実はもっと単純で、誰の心にも思い当たるような、人の心理の"あや"だったのではないのだろうか。 真相は思いの外、単純なのかもしれない・・・・・。 事件の鍵は、見知らぬ頑強な男に夫の前で「強姦」された女性(真砂)が何を考えるかということだ。 第一に思いつくことは辱めを受けた我が身を恥じて自殺をはかるということ。次には自分を犯した男を殺害して復讐を遂げるということ。しかしこの小説の場合、彼ら二人は生きているわけだからいずれも当たっていないことになる。 残るはもう一つの可能性、さして愛してもいない夫であれば(中世の男尊社会では、女性の意に反する結婚は十分考えられることだ)唯一の目撃者である夫を殺し、その忌まわしい事実を抹殺するということである。 彼女は最初、それを多嚢丸に頼んだ。彼女の心には「憎むべき多嚢丸を殺人犯にすれば、同時に彼をも死刑にできる」という考えが一瞬浮かんだかもしれない。 そこで彼女はそれまでとはうって変わった妖艶さを漂わせながら、多襄丸にささやく。「あの人を殺して下さい!あなたについていきます」。 ところが彼は世間の噂とは大違い、実は口先だけ巧みな、女好きの盗人にすぎなかった。彼がおじけ付いて逃げだした後、彼女は自分の貞操と引き換えに、止むを得ず自らの手で木に縛り付けられている夫を殺害したのである。 最初の目論みは見事に外れたものの、「人は行きずりの強盗殺人と思うはず・・・・・」。現場から逃れる道すがら、真砂は冷静にそう考えたに違いない。 ところが清水寺で心を落ち着けている彼女のもとに、思いがけない情報が入る。多嚢丸が捕らえられたというのだ。 彼女はてっきり事の一部始終が彼の口から明らかにされたと思い、半ば観念して懺悔を始める。(原作では彼女の述懐は検非違便庁ではなく、あえて清水寺という別の場所が設定されている) しかし実はこの懺悔も真っ赤な嘘。彼女はとっさの機転で架空の心中劇をでっちあげ、多襄丸への殺人依頼のことは伏せた形で供述した。 「無理心中を拒んだうえでの殺人なら、よもや死刑にはならないだろう・・・・。」恐るべきしたたかな計算である。 一方、多襄丸の方は別件の殺人で、もはや死刑はまぬがれない身、どうせならこの侍も雄々しい立ち回りの末に自分が殺したことにして、悪名高い極悪人のまま死してなお名を残そうと考えたのではないか。 それでは死んだ侍はどうか。小説ではこの男の言葉は巫女の口を借りて最後に語られていて、いわば種明かし的な位置を占めている。したがって、ほとんど真相を語つているのだが、 この男も死してなお自分の名誉を重んじるあまりただ一点だけ嘘をついた。 「妻を犯された上、その妻に殺されるのではあまりにも男として情けない」。 そう思つた彼は武士の面目を守るために、妻の無礼をひとしきり非難した後、妻の犯行は明かさず、最後の瞬間だけは自分で自分の胸を刺したことにしたのである。 この推理が正しいとすると、この小説の構図は自ずから明らかになってこよう。すなわち、死んでもなお名誉や名声にこだわろうとする男の"哀れさ"や"愚かさ"と、それ対比される女の"したたかさ"である。 芥川は「侏儒の言葉」の中で「女人はまさに人生そのものである。すなわち諸悪の根源である」と書いている。 彼は十才の暗に、実の母親を発狂の末亡くしているのだが、この事件が原体験として彼の心象に深く根ざしていることを思えば、最初の傑作といわれる「羅生門」の中にこのような彼の悲観的な女性観が反映していても不思議ではない。 (先頃出版された大里恭一郎氏の「芥川龍之介・『薮の中』を解く」によれば、芥川は大のミステリーファンだったという。彼はこの中で、芥川の作風や"小説"というものののもつ根源的な問題に触れながら、証言の事実はいく通りあっても真実は一つと断定し、「薮の中」を芥川会心の推理小説であると決め付けている。 実は氏の結論も、"真砂"真犯人説なのだが、古い文献や原作の一字一句をつぶさに検証しながらの詳細な分析は大変興味深い。) さて、以上の原作分析をふまえて、再び映画「羅生門」に戻つてみると、冒頭から極めて修辞的な演出が施されていることに気付かされる。タイトル画面に続き現われるのは、凄まじい雨に煙る羅生門の遠景。それが次のショットではやや近づいた形で映し出され、さらに次のショットでその細部があらわになる。この一瞬の三ショットの中に、後に展開される三人の証言の信憑性が何気なく暗示されてはいまいか。 さらに、 明らかに演技過剰な三船敏郎扮する多襄丸の勇ましい台詞が、どこか小心者の遠吠えのように聞こえてこないか。 それまでの殺陣場面の常識を打ち破る、太刀を片手に持ちながら、猛獣のような叫び声をあげてのたうち回る多襄丸と侍の死闘の描写からは、どこかしら滑籍で哀れな男たちの本性が見えてこないか。
そして顔を覆つた両手の指の間からその決闘を垣間見る真砂の表情から、恐怖以上のしたたかな"何か"が感じられないだろうか。 映画化にあたって黒澤らがこの辺のことをどう考えていたのか分からないが、京マチ子扮する真砂に、女のもつ"したたかさ"を見ていたことだけは確かだろう。 なぜ「羅乍門」が海外でも国内でもこんなに有名になったかときかれて、黒澤は「まぁー強姦の話だからねっー」とだけ答えたというエピソードは有名だが、これを彼一流のジョークとだけ笑い飛ばすわけにはいかない。芥川のこの短篇は強姦、殺人に伴う女作の"性"がテーマになっていることは確かで、これがよく言われる黒沢の悪女趣味にピッタリしたのではないか。 そういえばマクベスに題材をとった「蜘蛛巣城」にしても、リア王を基調にした「乱」にしても典型的な悪女が登場する。「羅生門」の女性は確かに表面上は聖女か悪女か判然としてはいないか、原作を読んだ時、黒澤はここに登場する妻を"悪女"と断定するにいたり、その時点から映画化に興味を待つたのではなかろうか。 この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは、事件をことさら複雑にするために新たに付け加えられたのではなく、黒澤がこの映画の中で"真砂"の人格をより強烈に描くために"是が非でも必要だったのだ。原作の中で、母親に「男にも劣らぬくらい勝ち気な娘」と言わせているこの女性のイメージ作りに、演技指導の点でも映像表現の面でも極端な情熱が注がれていることに注目したい。 http://www.asahi-net.or.jp/~ij9s-ucym/rasyoumon.html この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードが黒澤明の想定していた真相ですが完全な見当外れでした。 まあ,黒澤明が「藪の中」を理解できていたら,これを映画化するのは諦めていたでしょうね. 最初の三人の話からおかしい部分だけ取り除いて組み合わせたのが真相ですから,単純過ぎて映画のシナリオにならないですからね: 杣売(焚き木売り・・志村 喬)の証言 : 黒澤明の想定した”真相 ”
多襄丸は女の前に手をついて謝っていた(写真4)。「俺の妻になってくれ! 妻になると言ってくれ!」多襄丸はしつこく迫った。 やがて、女が言った。「無理です。女の私に何が言えましょう」 「そうか、男同士で決めろというのだな」多襄丸は武士の縄を解いた。 「待て!俺はこんな女のために命を賭けるのはごめんだ。」と武士は妻に言った。 「二人の男に恥じを見せ、何故自害しようとせん!・・・ こんな女は欲しけりゃくれてやる!」 多襄丸も急に嫌気が差し、立ち去ろうとした。「待って!」と女。 「来るな!」再び女の号泣。「泣くな!」と武士。 「まあ、そんなに未練がましくいじめるな。女は所詮このように他愛無いものなのだ。」と多襄丸。 泣いていた女の声がいきなり狂ったような嘲笑に変わった。 「ハハハハハハッ・・・他愛無いのはお前達だ!・・・夫だったら何故この男を殺さない! 賊を殺してこそ男じゃないか!・・・お前も男じゃない!多襄丸と聞いた時、 この立場を助けてくれるのは多襄丸しかないと思った。・・・お前達は小利口なだけだ。 ・・・男は腰の太刀に賭けて女を自分のものにするものなんだ!」 まったく面目のつぶれた二人は、刀を抜いた。男達は口ほどにも無くだらしない。 お互いを怯え、剣を交えるやさっと逃げる体たらくである。 しかし、多襄丸がやっとの思いで武士を刺した時、女は悲鳴を上げて逃げ去った。 多襄丸にはもはや、女を追う気力は無かった。 http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/Rasyoumon.htm E 黒澤明には全くわからなかった日本女性の恐ろしさとは_「羅生門」を欧米人しか評価しなかった理由3 黒澤明ってアホ?
この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは西部劇で良く出てくる奴だね。 黒澤明って西部劇ばかり見ていて日本人の考え方がわからなくなったんだ. これは絶対に日本の女の発想ではあり得ない : 「ハハハハハハッ・・・他愛無いのはお前達だ!・・・夫だったら何故この男を殺さない! 賊を殺してこそ男じゃないか!・・・お前も男じゃない!多襄丸と聞いた時、 この立場を助けてくれるのは多襄丸しかないと思った。・・・お前達は小利口なだけだ。 ・・・男は腰の太刀に賭けて女を自分のものにするものなんだ!」 黒澤明の「羅生門」での真砂の強さというのはあくまで欧米女性の持つ意志的な強さであって日本女性が無意識に持っている母性的な強さとは全く次元が違うもの。 欧米女性の強さとは男性と全く同じ自我意識の強さであって、グレートマザーの強さとは本質的に違うんですね。
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これが日本女性の強さ:
今昔物語集巻二十九第二十三「具妻行丹波国男於大江山被縛」より
妻と伴い丹波の国へ行く男が大江山で縛られる話 若い男は、太刀と短刀を取り上げ、男を押さえつけ、馬の手綱で木にきつく 縛り付けた。そして、女に近寄って見ると、二十歳過ぎで、身分は賤しいけれど 魅力がありたいそう美しかった。
男は、女に心を奪われ、ほかに何も考えられなくなったので、女の衣を 脱がそうとすると、女は拒むことができそうにないと思い、言われるがままに衣を脱いだ。 そして、男も着物を脱ぎ、女を押し倒して交わった。 女はしかたがなく、若い男に言われるがままに男が縛り付けられている様子を見たが、その時見られた男はどのような気になったのだろうか。 その後、若い男は起きあがり、もとのように服を着て、箙を背負い、 太刀を帯び、弓を手に持ち、馬に乗り、女に言った。 名残惜しく思うけれども、どうしもようもないから、このまま行くことにする、 あなたに免じてその男は殺さずにおいておくが、急ぎ逃げるために馬はいただいていくぞ、 と言って、一散に馬を走らせ、いずこともなく去っていった。 その後、女は男の縄を解いてやると、男は呆然としていたので、女は、 あなたはほんとうに頼りない、これからもこのように頼りないようでは、 いいことがありっこないですよ、 と言うと、夫は黙ったままだったが、そこから二人は連れだって丹波まで行った。 http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/translation/konzyaku29_23.htm それから、最後に「そっと胸の小刀を抜いた」のは誰なのか? 黒澤明は 「目撃者である木樵りが持ち去った」 という解釈を下している。 しかし、武士の遺体の発見者が死体から金目の物を盗む訳ないだろ.(呆れ)
後で追及されるに決まってるからね. そもそも、元話では木樵りは単に事件の説明をするだけの脇役で、話の本筋に関わる様な重要な役ではない. 武士を殺したのも胸の短刀を引き抜いたのも真砂(武士の妻・・京マチ子)の仕業に決ってるよ. 胸の短刀をそのままにしておいたら,盗賊に夫が殺されたという言い訳が嘘だとバレテしまうから短刀をどこかに隠したのさ. 黒澤明は唯の西部劇オタクの映像マニアで、人間の事が全くわからないんだ。 人間がわからないから,話の筋だけを追いかける事になる.
そして,話の筋は変わっても,中身は黒澤明が何時も見ていた西部劇と何も変わらない. 要するに、黒澤明は最初から最後まで西部劇の翻案をやっていただけさ.: 黒澤明の「隠し砦の三悪人」、このタイトルと内容が個人的に一致していないと思っています。
隠し砦からすぐに出ていくし、悪人が3人出ているわけでもない。 この謎は黒澤明が西部劇が好きだったことで氷解する。「隠し砦」「三悪人」 というのは西部劇で出てくる言葉です。三船敏郎のデビュー作「銀嶺の果て」 の脚本は黒澤明ですが、原題は「山小屋の三悪人」だったそうで、 (悪人は3人出てくるがすぐに2人になった)いかに、「三悪人」という言葉が好きだったか。 「用心棒」も西部劇の匂いがする。居酒屋のテーブル席は江戸時代には存在しない。卓袱台も江戸時代では使わない方が良いみたいです。居酒屋でも膳であったらしい。 江戸時代の絵でもテーブルはない。それはさておき、 「用心棒」も「七人の侍」も西部劇になった。西部劇と時代劇の相性は良いのでしょうか。 同じ時代ものというだけではないのです。実は明治政府ができた折に前時代の江戸的なものを禁止した。 歌舞伎や落語まで江戸時代とは異なるものを強要した。 「剣術」が「剣道」になったのもこの頃の様です。時代劇映画が作られる頃には明治生まれの人々だけで江戸の実情を知る者がいない、語り継がれることが禁止されていて、考証がおぼつかない時期に始まった様です。 「鞍馬天狗」が「怪傑ゾロ」を下敷きにしたように、製作者たちはチャンバラ映画の基礎を西洋の活劇に頼った。だからというわけではないのでしょうが、時代劇は西部劇に変化しやすかったのではないでしょうか。黒澤明は西部劇と時代劇の類似性を感じ取っていたのでしょう。 http://gimpo.2ch.net/rmovie/subback.html 昨夜、NHK−BS2で放送されたジョン・フォードの名作「荒野の決闘」。
この映画は僕にとって特別な映画だ。まず第一の理由は、作られたのが、僕が生まれた年、1946年であること。そしてもう一つは西部劇にとどまらず、映画というものの見方を開眼させてくれた一本であること、この二つだ。
初めて観たのがたしか1961年、最初のリバイバル上映だった。 ブループリントという妙な映像ではあったが、何回かリピートして観にいったことを憶えている。 実はこの作品が、黒澤明監督が最も好きな西部劇であったことを数年前まで知らなかった。 調べてみたら、たしかに「黒澤明が選ぶ世界の名画100本」などにロバート・D・ウェッブの「誇り高き男」とともに入っている。 100本のうち、西部劇はこの2本だけだ。 あれほどジョン・フォードをお手本にしたと公言して憚らなかった黒澤監督が選んだフォードの西部劇がなぜ、一本だけなのだろう。 もっと言えば、なぜ「駅馬車」や「捜索者」じゃないのだろう。もちろん、100本を選んだ企画の趣旨もあったとは思うが、「七人の侍」のような大活劇を選んでいないことは僕にとってずっと謎だった。しかし、昨夜の放送でその謎を解く手がかりみたいなものがつかめた。 それは放送後のシネマ・レビューで、山本監督がいみじくも言われたことだ。 山本監督は 「『シェーン』が成瀬巳喜男的な西部劇なら、『荒野の決闘』は溝口健二的西部劇である」と。 つまり、黒澤監督の選んだ100本には、「自分には描けないもの」に対する憧憬の念が大きく影響していないだろうか。 その象徴的な一本が「荒野の決闘」だったのではないかと。ちなみに100本の中に入った自らの作品は「赤ひげ」だけであることは興味深い。 http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/1793ce4fad62d9146b5299511483c3c9 ______________________________
さらに言うと、黒澤明だけでなく芥川龍之介自体が日本人の心性を理解できていなかったのかもしれませんね: 『今昔物語集』巻二十九第二十三話「具妻行丹波国男 於大江山被縛語(妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること)」の説話が題材となっている。
ここでは、若い盗人に弓も馬も何もかも奪われたあげく、藪の中で木に縛られ妻が手込めにされる様子をただ見ていただけの情けない男の話で、語り部は妻の気丈さと若い盗人の男気を褒め称えて、話を締め括っている。
この情けない男を殺し、殺人事件に仕立てたのが芥川龍之介『藪の中』 藪の中 芥川龍之介
検非違使(けびいし)に問われたる木樵(きこ)りの物語 さようでございます。あの死骸(しがい)を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝(けさ)いつもの通り、裏山の杉を伐(き)りに参りました。すると山陰(やまかげ)の藪(やぶ)の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科(やましな)の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩(や)せ杉の交(まじ)った、人気(ひとけ)のない所でございます。 死骸は縹(はなだ)の水干(すいかん)に、都風(みやこふう)のさび烏帽子をかぶったまま、仰向(あおむ)けに倒れて居りました。何しろ一刀(ひとかたな)とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳(すほう)に滲(し)みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾(かわ)いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅(うまばえ)が一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。 太刀(たち)か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄(なわ)が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛(くし)が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通(かよ)う路とは、藪一つ隔たって居りますから。 検非違使に問われたる旅法師(たびほうし)の物語
あの死骸の男には、確かに昨日(きのう)遇(あ)って居ります。昨日の、――さあ、午頃(ひるごろ)でございましょう。場所は関山(せきやま)から山科(やましな)へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子(むし)を垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重(はぎがさ)ねらしい、衣(きぬ)の色ばかりでございます。馬は月毛(つきげ)の、――確か法師髪(ほうしがみ)の馬のようでございました。丈(たけ)でございますか? 丈は四寸(よき)もございましたか? ――何しろ沙門(しゃもん)の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀(たち)も帯びて居(お)れば、弓矢も携(たずさ)えて居りました。殊に黒い塗(ぬ)り箙(えびら)へ、二十あまり征矢(そや)をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。 あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真(まこと)に人間の命なぞは、如露亦如電(にょろやくにょでん)に違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。 検非違使に問われたる放免(ほうめん)の物語
わたしが搦(から)め取った男でございますか? これは確かに多襄丸(たじょうまる)と云う、名高い盗人(ぬすびと)でございます。もっともわたしが搦(から)め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口(あわだぐち)の石橋(いしばし)の上に、うんうん呻(うな)って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜(さくや)の初更(しょこう)頃でございます。いつぞやわたしが捉(とら)え損じた時にも、やはりこの紺(こん)の水干(すいかん)に、打出(うちだ)しの太刀(たち)を佩(は)いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携(たずさ)えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革(かわ)を巻いた弓、黒塗りの箙(えびら)、鷹(たか)の羽の征矢(そや)が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪(ほうしがみ)の月毛(つきげ)でございます。その畜生(ちくしょう)に落されるとは、何かの因縁(いんねん)に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱(はづな)を引いたまま、路ばたの青芒(あおすすき)を食って居りました。 この多襄丸(たじょうまる)と云うやつは、洛中(らくちゅう)に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺(とりべでら)の賓頭盧(びんずる)の後(うしろ)の山に、物詣(ものもう)でに来たらしい女房が一人、女(め)の童(わらわ)と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業(しわざ)だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出(さしで)がましゅうございますが、それも御詮議(ごせんぎ)下さいまし。 検非違使に問われたる媼(おうな)の物語
はい、あの死骸は手前の娘が、片附(かたづ)いた男でございます。が、都のものではございません。若狭(わかさ)の国府(こくふ)の侍でございます。名は金沢(かなざわ)の武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立(きだて)でございますから、遺恨(いこん)なぞ受ける筈はございません。 娘でございますか? 娘の名は真砂(まさご)、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻(めじり)に黒子(ほくろ)のある、小さい瓜実顔(うりざねがお)でございます。 武弘は昨日(きのう)娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻(むこ)の事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥(うば)が一生のお願いでございますから、たとい草木(くさき)を分けましても、娘の行方(ゆくえ)をお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸(たじょうまる)とか何とか申す、盗人(ぬすびと)のやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし) × × × 多襄丸(たじょうまる)の白状
あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。 ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問(ごうもん)にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯(ひきょう)な隠し立てはしないつもりです。 わたしは昨日(きのう)の午(ひる)少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子(ひょうし)に、牟子(むし)の垂絹(たれぎぬ)が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩(にょぼさつ)のように見えたのです。わたしはその咄嗟(とっさ)の間(あいだ)に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。 何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪(うば)うとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀(たち)を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派(りっぱ)に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑) しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科(やましな)の駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫(くふう)をしました。 これも造作(ぞうさ)はありません。わたしはあの夫婦と途(みち)づれになると、向うの山には古塚(ふるづか)がある、この古塚を発(あば)いて見たら、鏡や太刀(たち)が沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪(やぶ)の中へ、そう云う物を埋(うず)めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時(はんとき)もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路(やまみち)へ馬を向けていたのです。 わたしは藪(やぶ)の前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇(かわ)いていますから、異存(いぞん)のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺(つぼ)にはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。 藪はしばらくの間(あいだ)は竹ばかりです。が、半町(はんちょう)ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合(つごう)の好(い)い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩(や)せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎(まば)らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩(は)いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括(くく)りつけられてしまいました。縄(なわ)ですか? 縄は盗人(ぬすびと)の有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張(ほおば)らせれば、ほかに面倒はありません。 わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星(ずぼし)に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠(いちめがさ)を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛(しば)られている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐(ふところ)から出していたか、きらりと小刀(さすが)を引き抜きました。 わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈(はげ)しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹(ひばら)を突かれたでしょう。いや、それは身を躱(かわ)したところが、無二無三(むにむざん)に斬り立てられる内には、どんな怪我(けが)も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸(たじょうまる)ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀(さすが)を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。 男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後(あと)に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋(すが)りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥(はじ)を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘(あえ)ぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮) こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷(ざんこく)な人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳(ひとみ)を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴(かみなり)に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭(ねんとう)にあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑(いや)しい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒(けたお)しても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀(たち)に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那(せつな)、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。 しかし男を殺すにしても、卑怯(ひきょう)な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)男は血相(けっそう)を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利(き)かずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目(ごうめ)に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑) わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡(あと)も残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉(のど)に、断末魔(だんまつま)の音がするだけです。 事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路(やまみち)へ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後(ご)の事は申し上げるだけ、無用の口数(くちかず)に過ぎますまい。ただ、都(みやこ)へはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗(おうち)の梢(こずえ)に、懸ける首と思っていますから、どうか極刑(ごっけい)に遇わせて下さい。(昂然(こうぜん)たる態度) 清水寺に来れる女の懺悔(ざんげ)
――その紺(こん)の水干(すいかん)を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲(あざけ)るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶(みもだ)えをしても、体中(からだじゅう)にかかった縄目(なわめ)は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、転(ころ)ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟(とっさ)の間(あいだ)に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端(とたん)です。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚(さと)りました。 何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震(みぶる)いが出ずにはいられません。口さえ一言(いちごん)も利(き)けない夫は、その刹那(せつな)の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃(ひらめ)いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑(さげす)んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。 その内にやっと気がついて見ると、あの紺(こん)の水干(すいかん)の男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫が縛(しば)られているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑(さげす)みの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の中(うち)は、何と云えば好(よ)いかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。 「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥(はじ)を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」 わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫は忌(いま)わしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしは裂(さ)けそうな胸を抑えながら、夫の太刀(たち)を探しました。が、あの盗人(ぬすびと)に奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀(さすが)だけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。 「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」 夫はこの言葉を聞いた時、やっと唇(くちびる)を動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。 夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言(ひとこと)云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹(はなだ)の水干の胸へ、ずぶりと小刀(さすが)を刺し通しました。 わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹に交(まじ)った杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸(しがい)の縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀(さすが)を喉(のど)に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢(じまん)にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐(ふがい)ないものは、大慈大悲の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)も、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人(ぬすびと)の手ごめに遇ったわたしは、一体どうすれば好(よ)いのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷(すすりなき)) 巫女(みこ)の口を借りたる死霊の物語
――盗人(ぬすびと)は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利(き)けない。体も杉の根に縛(しば)られている。が、おれはその間(あいだ)に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真(ま)に受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は悄然(しょうぜん)と笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは妬(ねたま)しさに身悶(みもだ)えをした。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆(だいたん)にも、そう云う話さえ持ち出した。 盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡(もた)げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有(ちゅうう)に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚(しんい)に燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」(長き沈黙) 妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇(やみ)の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色(がんしよく)を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様(さかさま)におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪(のろ)わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然迸(ほとばし)るごとき嘲笑(ちょうしょう))その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい。」――妻はそう叫びながら、盗人の腕に縋(すが)っている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒(けたお)された、(再(ふたた)び迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷(うなず)けば好(よ)い。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦(ゆる)してやりたい。(再び、長き沈黙) 妻はおれがためらう内に、何か一声(ひとこえ)叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人も咄嗟(とっさ)に飛びかかったが、これは袖(そで)さえ捉(とら)えなかったらしい。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。 盗人は妻が逃げ去った後(のち)、太刀(たち)や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄(なわ)を切った。「今度はおれの身の上だ。」――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟(つぶや)いたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度(みたび)、長き沈黙) おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には妻が落した、小刀(さすが)が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺(さ)した。何か腥(なまぐさ)い塊(かたまり)がおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰(やまかげ)の藪の空には、小鳥一羽囀(さえず)りに来ない。ただ杉や竹の杪(うら)に、寂しい日影が漂(ただよ)っている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。 その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇(うすやみ)が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀(さすが)を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢(あふ)れて来る。おれはそれぎり永久に、中有(ちゅうう)の闇へ沈んでしまった。……… (大正十年十二月) http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html
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