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大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1047.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 01 日 22:30:40: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 昔の日本映画は熱かった _ 高畑勲 野坂昭如_火垂るの墓 (スタジオジブリ 1988年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 16 日 10:32:06)

大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)



なごり雪 (映画)
監督:大林宣彦
脚本:南柱根、大林宣彦
撮影:加藤雄大
音楽:山下康介、學草太郎
原案:伊勢正三「なごり雪」
主題歌:「なごり雪」伊勢正三自身が歌っている。
撮影協力:大分県、臼杵市、臼杵市商工会議所、竹田市、宇目町、野津町 ほか


配給 大映(現・KADOKAWA)
公開 2002年9月28日


『なごり雪』は、2002年9月28日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品。伊勢正三作詞・作曲の楽曲「なごり雪」をモチーフとする。映画の原案も伊勢正三による。


大林宣彦監督による大分三部作の第一作。旧友の妻が交通事故で危篤状態にあるとの呼び寄せで、50歳を迎えた男が28年ぶりに故郷・臼杵市に帰郷する。津久見市出身の伊勢正三の『なごり雪』をモチーフに、淡い青春の想い出を描く。


臼杵の古い街並みが残る二王座でのうすき竹宵や、臼杵磨崖仏での石仏火祭りなど、臼杵各地で撮影が行われたほか、大分市や旧・宇目町(現・佐伯市)でもロケが行われている。


映画内の登場人物のセリフとして、楽曲『なごり雪』の歌詞をそのまま使うという、実験的な試みがなされている。



キャスト


梶村祐作 - 三浦友和
雪子 - 須藤温子
祐作・過去 - 細山田隆人
水田・過去 - 反田孝幸
水田夏帆 - 長澤まさみ
杉田良一 - 田中幸太朗
新谷由梨絵 - 斎藤梨沙
槙弘美 - 日高真弓
弘美の父 - 小野恒芳
弘美の母 - 大谷孝子
弘美の弟 - 広瀬大亮
テニス部員 - 山本佳奈
テニス部員 - 山本梨香
テニス部員 - 赤嶺徳幸
テニス部員 - 荒瀬貴子
弘美の愛犬 - 峰岸マック
雪子・三歳 - 東明里
雪子・現在 - 安東衣世
看護婦 - 前田麻子
医師 - 小形雄二
梶村道子 - 左時枝
水田の母 - 津島恵子(特別出演)
水田健一郎 - ベンガル
菅井とし子 - 宝生舞



ロケ地


JR九州日豊本線上臼杵駅 - 劇中の臼杵駅の外観
JR九州日豊本線重岡駅 - 劇中の臼杵駅のホーム
臼杵磨崖仏 - 石仏火祭りの会場
大分県立大分雄城台高等学校 - 劇中の臼杵風成高校
虹澗橋
黒島
岡城


 

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コメント
1. 中川隆[-6095] koaQ7Jey 2021年4月02日 19:06:43 : Ft8UfP6Ll6 : dnpvazRXendDazY=[49] 報告
『なごり雪』:2002、日本

2001年初秋、東京。妻に逃げられた50歳の梶村祐作は、戯れに遺書を書いてみた。誰に宛てて書くのかと考えた時、彼は自分が今まで中途半端な人生を送ってきたと実感した。そこへ、故郷の大分県臼杵市に暮らす旧友の水田健一郎から電話が掛かってくる。水田の妻・雪子が、スクーターの事故で意識不明の重体に陥っているらしい。梶村は28年ぶりに、臼杵へ戻ることにした。

梶村は、若かりし頃のことを思い浮かべる。最初に雪子の存在を意識したのは、梶村が高校2年生、雪子が中学2年生の頃だった。水田が雪子を見掛けて、可愛い子がいると言い出したのだ。その雪子は友人の槙弘美に連れられ、梶村の母が営む手芸店へ買い物にやって来た。後日、梶村、水田、雪子、弘美の4人は仲良くなった。しかし、やがて弘美は北海道へ移住した。

ある日、梶村は同級生の杉田良一から呼び出された。杉田は同じテニス部の新谷由梨絵に惚れているのだが、彼女は梶村に惹かれているらしい。杉田は「彼女は僕を好きになるべきだ。彼女を嫌いだと宣言してくれ」と言うが、梶村は「彼女を何とも思っていないが、キライではない」と告げる。2人は水田の提案で対決することになり、梶村は敗北を喫した。梶村は、ケンカを知った由梨絵から「私は物じゃない。勝手に取り合わないで」とビンタを食らった。

臼杵に戻った梶村は水田と再会し、最後に故郷を後にした日のことを思い出す。駅まで見送りに来た水田は梶村に、「俺が雪子を守る」と約束した。その前日、梶村は雪子が手にした剃刀を水田が慌てて奪い取る様子を目撃していた。雪子は梶村に「違う、違う」と告げ、走り去った。結局、雪子は駅には見送りに来なかった。

梶村が初めて故郷を離れて東京に出たのは、大学に進学する時だった。同じ年に、雪子は高校へ進学した。夏休みに帰郷した梶村は、珍しく水田抜きで雪子と会った。雪子は何度と無く、梶村に気があることを匂わせる言葉を口にした。梶村に会うために、東京へ行きたいとまで語った。梶村も、雪子の気持ちを感じ取っていた。

梶村は雪子が帰りを待ちわびていると知りながら、冬も春も臼杵へは戻らなかった。東京の刺激的な生活が、梶村から帰郷する気持ちを奪っていた。翌年の夏休み、ようやく梶村は帰郷した。しかし嬉しそうに駅で待ち受けていた雪子の前に、梶村は恋人の菅井とし子を伴って現れた。それは、梶村が最後に故郷を後にした夏だった…。

監督は大林宣彦、原案は伊勢正三「なごり雪」、脚本は南柱根&大林宣彦、製作は大林恭子&工藤秀明&山本洋、プロデューサーは大林恭子&山崎輝道&福田勝、助監督は南柱根、撮影は加藤雄大、編集は大林宣彦&内田純子、録音は内田誠、照明は西表灯光、美術は竹内公一、音楽は學草太郎、編曲・指揮は山下康介、テーマ曲「なごり雪」詩・曲・唄・ギター演奏は伊勢正三、音楽プロデューサーは加藤明代。

出演は三浦友和、須藤温子、ベンガル、左時枝、細山田隆人、反田孝幸、津島恵子、宝生舞、長澤まさみ、日高真弓、田中幸太朗、斎藤梨沙、小形雄二、安東衣世、東明里、大谷孝子、広瀬大亮、小野恒芳、山本佳奈、山本梨香、赤嶺徳幸、荒瀬貴子、峰岸マック、前田麻子ら。

伊勢正三が作詞&作曲したフォーク・ソング『なごり雪』をモチーフにした作品。
冒頭で「あるいは五十歳の悲歌(エレジー)」というサブタイトル(?)が表示される。
臼杵市に心を奪われ、そこで映画を作ろうと決めた大林監督が、「だったら『なごり雪』で」と考えたらしい。ちなみに伊勢正三は、臼杵市の隣にある津久見市の出身だ。

梶村を三浦友和、若き日の雪子を須藤温子、水田をベンガル、梶村の母・道子を左時枝、若き日の祐作を細山田隆人、若き日の水田を反田孝幸、水田の母を津島恵子、とし子を宝生舞、水田の娘・真帆を長澤まさみ、弘美を日高真弓、杉田を田中幸太朗、由梨絵を斎藤梨沙が演じている。

また、オープニングでは、伊勢がギターを演奏しながら歌唱する様子が映し出される。

主人公の梶村は、優柔不断で、どこか煮え切らないタイプの男だ。いわゆる「男らしさ」を匂わせるようなキャラクターではない。
高柳良一、尾美としのり、松田洋治、林泰文など、大林作品の主演男優は、似たようなタイプが並んでいる。

強さよりも弱さ、たくましさよりも情けなさが目立つようなキャラクターは、大林映画のメイン男性キャラクターの伝統である。

大林監督は、良くも悪くも永遠の映画青年だ。
そして、ずっとノスタルジーの世界で暮らし続けている人だ。
リバイバル・ヒットしているわけでも何でもない1970年代のフォーク・ソングを、2002年にモチーフとして持ってくる感覚は、ある意味では大林監督らしい。
大林監督は、流行に媚びて自分を変えるようなことはしない。
時代の変化などお構い無しで、ひたすら我が道を突き進む。

セリフ回しは、かなり仰々しくてワザとらしい。例えば「いい」と言わず「良い」と言うなど、口語体よりも文語体を選択する。ぎこちなさを感じさせるぐらいレトロ感覚を追い求め、古めかしさを押し出そうとしている。
ハッキリ言って古臭い(良く言えば青臭いのか)が、それが大林監督の持ち味なのだろう。

大林監督と言えば、やはり尾道を舞台にした一連の作品群が有名である。それが傑作になるかどうかは別にして、こういう地方都市を舞台にしたノスタルジーを煽る青春映画でこそ、大林監督の本領が発揮されると言っていいだろう。
少なくとも、『SADA』のような官能的表現を求められる話に手を出すべきではない。

それは絶対だ。

後半は水田がとし子に臼杵を案内して回るという場面では、観光映画としての色が非常に濃くなる。故郷の尾道から臼杵へと興味を移動させた大林監督だが、これからも臼杵だけに固執するのではなく、様々な地方都市に目を向けて、その土地のローカル色を存分に生かしたノスタルジー映画を作り続けるといいんじゃないだろうか。

下世話な感覚で言うならば、大林作品の価値は「若手女優を魅力的に撮る」「およそ脱ぎそうに無いような若手女優を脱がせる」という2点に集約される。
まず1点目だが、この映画まではハッキリ言ってパッとしないアイドルで終わりそうだった須藤温子を、見事に「大林ワールドのヒロイン」として輝かせている。
ただし脱がないので、そこは大きなマイナス。

2点目だが、須藤温子が脱がない代わりに、宝生舞がオッパイを見せている。
これまでも大勢の若手女優を脱がせてきた大林監督だけに、そこは抜かりがないということか。

ほとんど必然性は感じられないが、それでも脱がせてしまうのだから、その点に関しては大林監督の手腕は素晴らしいものがあると言っていいだろう。

『なごり雪』の歌詞をセリフに織り込んでいるのだが、かなり苦しい。セリフで説明するよりも、歌詞の内容をドラマとして表現すべきだろうに。それが無理なら、いっそ『なごり雪』を原案から外してしまえばいい。

ハッキリ言って、話の内容は『なごり雪』の歌詞からは大きく外れている。あの歌の舞台は、東京だろうに。ラスト、「東京で見る雪はこれが最後ねと」という歌詞に合わせて、臼杵に雪が降る様子を描いたりするのだが、そりゃあ違うだろ。

「雪子が剃刀を手にしていたのは自殺を図ろうとしていたのか」という部分で、仕掛けが用意されている。しかし、その疑念を梶村が作品中、ずっと気にしているわけではない。当該シーンを回想するポイントで気にした後は、ずっと忘れ去られている。謎が明かされる場面でようやく再登場する程度なので、有効に機能しているとは言い難い。

で、ネタバレだが、剃刀を握っていたのは、枕を裂いて白いビーズを取り出し、それを雪に見立てて降らそうとしたのだ。

しかし、そうだとすれば、雪子は梶村のことを割り切っていたのではないだろうか、と思ってしまう。「その後も梶村のことを引きずっていた」というのは、水田の思い込みに過ぎなかったんじゃないのかと思ってしまう。
そして、そうだとすれば、その思い込みのままで男達が雪子の死を迎える筋書きは、感動へは繋がっていかないんじゃないだろうか。
http://www1.kcn.ne.jp/~pop/spcpm/j15n/nagoriyuki.html

2. 中川隆[-6047] koaQ7Jey 2021年4月03日 21:43:57 : jgSxyjNUpc : anNESFVpRHplbUU=[52] 報告
この映画は伊勢正三「なごり雪」の歌詞とは何の関係も無い話になっていますね。
何でこんな見当外れの映画作ったのかな?


「22才の別れ」と「なごり雪」の謎 2016-02-05
https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html


どちらとも万人が認める名曲です。
「22才の別れ」は”風”、「なごり雪」は”イルカ”が唄ったシングル盤が有名です。
両曲とも「かぐや姫の伊勢正三」の作詞・作曲によります。
楽曲としての最初の発表は”かぐや姫”の4枚目のアルバム「三階建の詩(さんかいだてのうた)」の中です。


●アルバム「三階建の詩」  左から山田パンダ・南こうせつ・伊勢正三

「三階建の詩」は1974年3月の発売です。 ”かぐや姫”は前年1973年の「神田川」で大ブレークしています。
”南こうせつ”は「3人全員が平等に曲作りに参画した新しいアルバムを作ろう」と提案します。
それが「三階建の詩」です。”三階建”とは”三人で作った”と言う意味です。

全12曲の内、三分の一の4曲に”伊勢正三”が絡んでいます。
4曲の中の2曲が「22才の別れ」と「なごり雪」です。
同じ時期に作られました。後から触れますが、この「同じ時期」がポイントです。

「三階建の詩」を発表した1年後(1975年)の4月に”かぐや姫”は解散し、それぞれ独自の活動を開始します。

”伊勢正三”は”大久保一久”と「風」を結成、「22才の別れ」でシングルデビュー。
”伊勢正三”と親交が深い友人の一人に”シュリークス”と言うフォークグループのリーダー”神部和夫”がいました。「かぐや姫」の”山田パンダ”は、以前は”シュリークス”のメンバーでした。
ある日”神部和夫”は”伊勢正三”に頼みました。
「”なごり雪”を女房の唄でシングルカットさせてくれないだろうか?」
”神部和夫”の若き奥さんとは”神部としえ”=”イルカ”です。

こうして2枚のシングルレコードは大ヒットします。
近年、この2曲は歌詞の意味について、「噂」と言うか「謎」が囁かれています。

先にこの2曲を聴いてみましょう。

22才の別れ  you-tube   fujimarumasaさん提供





22才の別れ       作詞・作曲  伊勢正三


あなたに「さよなら」って言えるのは 今日だけ
明日になって また あなたの 暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
わたしの 目の前にあった 幸せに すがりついてしまった


わたしの 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつ みんな 君の 人生だねって言って
17本目からは 一緒に火をつけたのが きのうのことのように
今はただ 5年の月日が 長すぎた春と 言えるだけです

あなたの 知らないところへ 嫁いでゆく 私にとって

ウウウ〜 ウウウウ〜 ウウウウウ〜


一つだけ こんな 私の わがまま 聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで

なごり雪  you-tube   fujimarumasaさん提供




なごり雪         作詞・作曲  伊勢正三


汽車を待つ 君の横で 僕は 時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪は これが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく 

なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
* いま 春がきて 君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

動きはじめた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしてる
君のくちびるが 「さよなら」と 
動くことが こわくて 下を向いてた

時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま
* 繰り返し

君が 去った ホームにのこり 
落ちては 溶ける 雪を 見ていた
* 繰り返し

去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった




2曲とも若い男女の”別れ”を唄っています。
”伊勢正三”ファンの間で囁かれている「謎」とは・・・

「2曲の中で描かれている男女は、同じカップルではないのか?」

同じ別れを「22才の別れ」では彼女が唄い、「なごり雪」では彼氏が唄った。
この様に考えているファンをブログの中で何人か探し出しました。

最初に話したように、この2曲はアルバムの中で同時期に作られています。
よって、”伊勢正三”が2曲の詩でイメージした男女は同じ可能性が高いのです。
男とは”伊勢正三”自身だとする見方をしたブログもありました。

ただ、これらの件に関して”伊勢正三”自身はコメントを出していません。
ファンの各人が独自に想像から浪漫を組み立てて行くしかありません。
先のファンのブログも参考にして、うっちゃんは以下の様に考えました。

「”A太郎”と”B子”の物語」です。


1951年(昭和26年)、”A太郎”は大分県津久見市郊外で生まれました。大分県の片田舎で育った”A太郎”は都会での成功を夢見て勉学に励みます。高校は大分市の有名校「大分舞鶴高校」へ進学。
音楽部(クラブ活動)で活躍していた3年生の時、1学年後輩で同郷(津久見)出身の”B子”と知り合い、お互いに淡い好感を持つようになります。

”A太郎”はエンジニアを目指し、東京の大学の工学部への進学を決めます。
”A太郎”が東京に旅立つ日、”B子”は津久見駅で見送り、「来年、自分も勉強して東京の大学へ行くから」と想いを伝えます。3月の末なのに小雪が降ってました。
”A太郎”が東京に出て来た1969年(昭和44年)は”東京大学本郷キャンパス安田講堂の占拠”など全共闘運動による大学生運動のピークでした。

1960年代後半は学生による”日米安全保障条約”の延長阻止とベトナム戦争反対運動など反米感情の高まりが活発化していました。学生たちは様々なサークル等を拠点として、討論や学習を繰り返しました。その力は大学運営の民主化などを求める闘争ともなり、全国に波及し、安田講堂事件を引き起こしたのです。

そんな中での次の年、”B子”は東京の女子大学の受験に合格し、上京して来ました。
親元からの僅かな仕送りとバイト代だけでの生活は苦しく、お互いに愛を感じた時期を境に、”B子”は”A太郎”の御茶ノ水の下宿で一緒に住むことにしました。
御茶ノ水の下宿の横には神田川が流れていました。

1970年(昭和45年)の”大阪万博”の開催など日本社会が豊かになり、また、1972年(昭和47年)の沖縄返還によって反米感情は薄れて行き、学生達は潮が引くかのように運動から遠のいていきました。

学生運動に染まっていた”A太郎”も気が抜けた毎日を過ごしていました。そこに、先に上京していた大分舞鶴高校の先輩が「一緒にフォークグループをやらないか」との誘い。
”A太郎”は大学を中退し、大好きだった音楽の道に進みます。

エンジニアを目指していた”A太郎”の心変わりに”B子”は少し心配にはなりましたが、彼を信じて応援していました。
高校生の時に知り合った”B子”のそんな純粋な姿に”A太郎”は益々彼女の愛を想い感じるのでした。

”A太郎”と先輩の音楽活動での収入は殆ど無かったが、彼は希望に満ちて前を見つめていました。そんな苦しい生活の中でも、”A太郎”と”B子”は強い愛で結ばれ毎日を過ごしていました。
そして2年の時が経ちました。


”B子”は卒業と共に”A太郎”と別れることになります。
1年前から大分の両親が薦める縁談の話を承諾し、九州の福岡へお嫁に行くことになったのです。
”A太郎”は”B子”がお嫁に行く理由で別れるなんてことは知りません。
”A太郎”は「別れなくてはならない」と言う事実だけが、まだ信じられないのです。

この時代、女性が大学に行く割合は数割で、殆どが中学・高校で仕事に就き、22歳から25歳までにお嫁に行ってました。
”B子”は大学を卒業した時点で適齢期になってました。
「愛があれば何もいらない」と、本気で思ってました。
”B子”の大分の両親は経済的に安定した男性との結婚を強く希望しています。
帰郷する度に、両親は”B子”の幸せな結婚を望んでいることを本人に伝えます。
”A太郎”はと言えば、頭の中は音楽のことでいっぱいで、”B子”との結婚なんて考えたこともありません。

”B子”は”A太郎”を愛しているのに、「結婚して社会生活を営んでいけるのであろうか?」と言う不安と疑問が頭から離れず、悩んでいました。

そして、別れる日の前夜と当日にそれぞれの詩になりました。



”B子”の”A太郎”に対する想い。
「私を愛し続けてくれた日々」=「長すぎた(楽しかった)春をありがとう。」
「貴方の現在の音楽に対する純粋な気持ちを見ていると、私の結婚感とはどうしても一致しない貴方がいるんです」=「わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに・・・」
「貴方とはもう会えない」=「東京で見る雪は これが最後ね」
「私は両親を裏切れない、それと貴方との将来をどうしても描ききれない自分がいるの」=「目の前にあった 幸せに すがりついてしまった」
「でも、私は貴方の純粋な気持ちは好きなのです。貴方がいつの日か成功することを祈っています」=「あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで」


東京駅で見送る時の、”A太郎”が”B子”に対する想い。
「初めて会ったのは君が17歳の時だった」=「17本目からは 一緒に火をつけた」
「僕はいつの時でも君を心から愛していたよ」=「ふざけ過ぎた(楽しかった)季節」
「僕が東京へ行く時、君が見送りに来てくれた。あの時も雪が降っていたことを思い出す」=「君が 去った ホームにのこり 落ちては 溶ける 雪を 見ていた」
「僕は音楽のことばかりに夢中で、しかも君がいつも傍にいてくれたのを当たり前の様に思っていたので、君の女性としての成長に気が付かなかった。ごめんね。今日は、とてもきれいだよ」=「時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま いま 春がきて 君はきれいになった 去年より ずっと きれいになった」
「僕の自分勝手な想いのために、大切なB子を失ってしまった。とても哀しい。」



と言うことで、うっちゃんは2曲の中の男女は同じカップルとします。



”A太郎”が”伊勢正三”の投影かどうかは皆さんの想像にお任せします。
もし、そうだと仮定しましょう。
”A太郎”が先輩(南こうせつ)と組んだグループ(かぐや姫)は数年後に「神田川」と言う曲で大ブレークします。そして、その翌年「三階建の詩」(アルバム)の中で、”A太郎”の「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が発表されたのです。


「神田川」など、いわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれる貧しい生活をする若者を唄った曲がこの時代の特徴です。
自分達が貧しかった想いを詩にした名曲が数多く残っています。
飽食時代である現在のミュージシャンには、実感として書くことが難しいテーマなのかも知れません。


うっちゃんの思い出の一曲


香椎浪漫

https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html

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