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「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドな…:自然板リンク
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/736.html
投稿者 お天道様はお見通し 日時 2018 年 12 月 11 日 19:55:04: I6W6mAZ85McLw gqiTVpO5l2yCzYKojKmSyoK1
 





英国ガーディアンのオピニオン記事より



自然板リンク


 

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コメント
1. 中川隆[-13746] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:21:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21955] 報告

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html


阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html




[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

4. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:15:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21973] 報告
最新の進化論「Virolution」のご紹介記事です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1

  さて、「Virolution (邦題「破壊する創造者」)」は全15章あります。 最新の進化学の現状を知ることは考え方の幅を広げる役には立つと思います。早川書房、2500円+消費税です。
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  15章 エピジェネティクス進化は遺伝子が変異するのではなく、発現機序が変化すること

  本来医者である本書の著者フランク・ライアン氏は最後の3章分は遺伝病の話にほぼ終始しました。そしてそれはDNAの発現メカニズムに狂いが生じることが原因である、と説明しています。 本来進化の要因のはずの推進力が一方病気の原因でもあるのです。とくにガンの話は恐るべきものです。人類の大敵のガンは、自然選択からみると優先的に選択されるものらしいのです。 だからガンは自分では進化しているつもりなのだそうです。我々にはいい迷惑なのですが。

  下図が、本書の最終まとめです。4種の進化の推進力があります。3種は「遺伝子」そのものが変化しますが、最後のエピジェネティクスは遺伝子の「発現のメカニズム」が変化するのです。 そして喫煙など環境の影響を受けるのもエピジェネティクスなのです。
  

  日本人の遺伝子を考えるための自己啓発として本書を読んできましたが、これで終わりにします。

  本書のカバーに描かれているタコのような頭でっかちの物体はバクテリオファージと言います。異物を掃除するのがマクロファージですが、バクテリアを掃除するのがバクテリオファージです。 昔電子顕微鏡の研究者だったころに電子顕微鏡で撮影した写真を最後にご紹介して「破壊する創造者」の勉強は終わりにします。
  

  論文のコピーなので写真が若干荒れていますがご勘弁ください。左端はγーPhage、中央はT4−Phage、右端はT4−Phage を立てて影をつけてみた写真です。脚が2本見えますが、 本当は6本ぐらいあるのですが、数本が固まってしまっています。右端の写真で10万倍ぐらいに拡大しています。

  ではY-DNAやmtDNA遺伝子がハプロタイプに分化し更に亜型、子亜型に分化する要因は何だったのでしょうか、本書の結論から素直に考えると、

・ネアンデルタール人との亜種交配
・ウイルス感染、細菌感染(特にアフリカや熱帯雨林など厳しい風土病環境の地域)
・灼熱の過酷なアフリカ大地から出アフリカ後の穏やかな環境への変化、
・出シベリヤの原因になったシベリヤ大地の寒冷凍土化と寒冷地適応、
・狩猟採集から農耕への生活スタイルの変化、
・牧畜から農耕への生活スタイルの変化、
・出アジアしオセアニアに拡散した居住環境の変化などなど.....、

ところが、現代人類の居住環境の変化と生活スタイルの変化は全てエピジェネティクスな要因なので遺伝子の分化には影響を与えないのです。

  では我々今生きている人類の遺伝子の子亜型はもうこれ以上変化しないのでしょうか?もしくはこれからも変化するのでしょうか?当然これからもどんどん変化するはずですが、 本書ではその変化するスピードは対象となる動植物によっては数代で獲得形質になる場合があると紹介しています。では人類では?残念ながらそこまでははっきりとは書かれていません。

  農耕民族が穀物の消化を十分に行うために腸が長くなりその結果胴長になり短足になった、と昔から言われていますが、これは獲得形質なのでしょう。そうすると漁労民族や、 牧畜民族は足が長いままなのでしょう。日本人はコメが命である以上胴長短足は宿命です。今、足が長い一部の日本人も代を重ねると子孫は胴長短足になるはずです。昔の説が正しければ ....ですが。でも遺伝子は変化しないのです。発現のメカニズムが変わるだけなのです。

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  14章 エピジェネティクスは遺伝子を変異させるのではなく、発現機序をコントロールすること

  本書の最後に近くなってきましたが、テーマは先天性疾患の話になってきました。そして癌の話題です。また老化にも触れています。エピジェネティク(後天的に獲得したDNA発現の制御作用)な メカニズムのことをエピゲノムと呼ぶのだそうですが、エピゲノムは常に環境の影響を受け続けているそうです。周囲の環境からあるシグナルが発信されると、それを認識して遺伝子発現制御配列に 指令が出され、配列はその指令に応じて対応する遺伝子の発現を調節するのだそうです。つまり環境の変化が即、生物の変化に繋がるのだそうだ。

  ここで著者のまとめは次のようです、

  「人間の体を作る細胞は全て同じDNAを持っているが、神経を作る細胞、肝臓を作る細胞など異なる細胞に変化するのは何故か?つまり同じ遺伝子であっても細胞ごとに発現の仕方が違うからに 他ならない、それをコントロールしているメカニズムがエピジェネティクス」なのだそうだ。   そのメカニズムは今のところ次の3つあるらしい。

  ・メチル化;DNAの4塩基の1つ「シトシン」のメチル化、
  ・ヒストン修飾;ヒストン(DNAと結合し折りたたみ核内に収容するタンパク質)のアセチル化、
  ・RNAi(RNA 干渉=遺伝子のタンパク質への翻訳に干渉し、mRNAの特定の分子を破壊す
      る、つまり該当する特定のタンパク質の合成を妨げる。

  この3つのメカニズムは細胞分裂時に受け継がれるようだ=遺伝する。しかも複数のメカニズムが同時に働くこともあるらしい。 つまり協調し合って機能しているのだそうだ。でもあまりに複雑すぎて まだよくはわかっていないとのこと。   先天性疾患の例が示された。

・妊娠中の母親の食事に「葉酸」が不足すると、

  ・胎児の脊髄の形成に問題が生じる、
  ・胎児が水頭症にかかりやすくなる、
  ・胎児の脊柱管の下部の癒合に失敗する可能性が高くなる、
  ・生涯、脚にマヒが残る。などの先天性疾患が現れるのだそうだ。

 「葉酸」はアミノ酸のメチオニンの合成に欠かせない栄養素だが、このメチオニンはなんと、
 メチル化に使われる「メチル基」を供給する役割を持っているのだそうだ。
 つまりメチオニンができないため、DNAのメチル化が行えず、メチル化が行われないと遺伝
 子の発現作用が正しく働かなくなり、正しい遺伝子制御ができなくなる、と言うのだ。

  葉酸の摂取必要値

   成人女子推奨量:240μg、成人男子推奨量:240μg
  葉酸が多い食品例は、「簡単!栄養andカロリー計算」さんから頂きました。

  いまどきの若い女性はあまり食べないものもありますね。

  重要なことは、遺伝子は両親から1組づつ受け継ぐが、子供の遺伝子ではどちらの親から受け継いだものを使うのかが選択される、らしい。このため、片方の親から受け継いだ遺伝子のみが 発現する、ようだ。この現象を「ゲノム刷り込み」と呼ぶのだそうだ。そして遺伝子によっては当然だが父親由来と母親由来ではエピジェネティクな働き方が違う場合が生じる。 その時、不幸にも選択された遺伝子に先に紹介したエピジェネティックな問題があると先天性の疾患になってしまう、たとえ選択されなかった方の遺伝子が完全に正常でも、残念な結果に終わる、 のだそうだ。本書では、さまざまな遺伝病の例が紹介されている。

・エピジェネティクな癌の定義

 「癌」とは、細胞の外見とふるまいが異常になること。
       細胞が無制限に次々に増殖する利己的な存在になること。
       細胞が道を踏み外すこと。

    道を踏み外した細胞が1個とかせいぜい数個だけの内なら、その利己的な振る舞いは細胞や細胞内の遺伝子のの生存や増殖にとって有利なものだそうだ。むしろ「自然選択」によって、 「最も大きく道を踏み外した細胞」こそが最も選ばれやすくなる、のだそうだ。つまり「自然選択が選ぶのは間違いなく細胞や組織のホメオスタシス(内外の環境の変化にかかわらず生物の 体の状態が一定に保たれること)を維持することに最も強く抵抗する細胞だろう」と言うことらしい。これは厄介なことです。人間にとって破壊者である癌は自然選択側にとっては 最も好ましい状態なのです。

  つまり、細胞のゲノムのある部分では脱メチル化が過剰に起き、癌遺伝子を不適切に活性化させ、ある部分ではメチル化が過剰に起き、癌抑制遺伝子を不適切に不活性化し、 どちらにしても癌の原因になっている、と言うのだ。

  ではエピジェネティクな作用以外の癌は?環境要因の例として、

・喫煙による癌誘発効果、
  ・喫煙の刺激で「RNAi」の産生が促進され、抗癌遺伝子の発現が抑制される、のだそうだ。

・ウイルス感染による癌誘発、
  ・子宮頸癌を起こすパピローマウイルスが有名、

が挙げられた。

●老化の話題に入りました。

  細菌やアメーバなどの単純な生物は決して年をとらないのです。ところが多種多様な細胞、組織、器官から成る複雑な生物が受け継ぐべき「遺産」が、「年を取ってやがて死ぬ」こと なのだそうだ。シーラカンスもガラパゴスの動物たちも人間も全て「年を取ってやがて死ぬ」のです。老化するとエピジェネティクなメカニズムが機能しなくなるらしい。

  エピジェネティクスの研究では遺伝学同様、一卵性双生児を研究に使う。目的は違います。

・遺伝学では、いかに「同じ」かを説明するために、

・エピジェネティクスでは「差異」を明確にするため、です。
  つまりエピジェネティクなメカニズムの働きで人にどのような差異が生じるのか、研究するのです。一卵性双生児ということは、お互いがお互いのクローンで全く同じ遺伝子を持っている のですが、もし後天的な制御作用が進化に働くなら、遺伝子は全く同じでも、常に一緒に全く同じ生活をしなければエピジェネティクな作用は異なるはずだからです。

  30組の男性の一卵性双生児、50組の女性陣の計80組、そして年齢は3歳から74歳まで「究極の実験」が行われたそうです。調査の結果は、

・生まれて間もないころ、幼い間ならエピジェネティクなメカニズムの働きはほぼ同じで、
  若い双子ほど互いに良く似ている。

・しかし年齢が高くなるほど、互いの違いが明確になってくる、そうです。
  DNAのメチル化やヒストン修飾に違いが生じるのだそうです。

    両者の違いは、二人のライフスタイルが違っている場合ほど、一緒に暮らした時間が少ないほど、顕著に表れるようだ、たとえ遺伝子が同じでも、発現する際には環境が大きく影響すると 言うことです。これが、一卵性双生児でも病気へのかかりやすさが異なる理由になるかも知れないのです。一卵性双生児の関節リウマチへの罹患率は本来なら100%一致するはずですが30%しか 一致しない。関節リウマチはある程度年齢が上がってからかかる病気のため、それまでの時間暮らした環境が違えば違うほど罹患率は違ってくるのです。

  一方ストレスも自己免疫疾患の原因になりやすいが、ストレスホルモンの副腎皮質ステロイドは遺伝子やエピジェネティクスへ影響することがわかってきているそうです。

  本書では、エピジェネティクスの研究は遺伝子研究の20年前の水準にしか達しておらず、研究レベルはこれからまだまだ上がる、大手の製薬会社もエピジェネティクスの研究に乗り出して 来ており、癌、炎症性疾患、先天性異常、遺伝性疾患、糖尿病などのほか慢性的な病気の治療や老化の対策にエピジェネティクスが応用されるだろう、ということのようです。

  老化により引き起こされる疾患への有効な治療法の確立などで、老化防止策が数多く開発される可能性がある、とこの章を締めくくっている。エピジェネティクスの操り方がわかれば、 先の紹介した、機能遺伝子、ミトコンドリア遺伝子やレトロウイルス関連の遺伝子配列などゲノムをのあらゆる部分を操作することが可能になるかもしれないのだそうです。

  もし本当にそういう時代がくるなら、医学は急速に進歩するのでしょうが、今のような混沌とした時代で長生きはしたくない、というのが本音で余計なお世話だ、と言いたい!100歳まで 元気で生きられるとして、何をして暮らすの?働く?レジャー?瞑想?、何をするにも住むところと元手が必要。誰が用意してくれるのか?こんな時代で自分の娘がかわいそうだと感じているのに、 長生きしてどうする!などと、欧米人は考えないのです。元気で長生きをすれば、することが沢山あるんです、彼らには!羨ましい。
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以上
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13章〜12章

  13章 内在性レトロウイルスが胚発生の初期段階で重要な役割を果たしているらしい

・発生のごく初期の段階では遺伝子の制御に関して、エピジェネティック(後天的な遺伝子
  制御作用)なメカニズムが働くことはなく、むしろ内在性レトロウイルスが胚発生の初期
  段階で非常に重要な役割を果たしているらしいがまだ解明されていない。

・受胎初日に受精卵は全く同じ細胞に2分割される。
・受胎後4日目には16個〜32個の細胞に増加し球体になる。
・翌日中が中空のゴムまり状の胞胚になる。外側は後に胎盤になる。
・その後何日間かで胚が子宮内膜に着床する(ここで内在性レトロウイルスが働くらしい)。
・子宮内膜が剥がれ落ちないように胚はHCGを分泌し、卵巣を刺激し月経を防ぐ。
 (昔研究者だったころに妊娠診断薬の開発を行いましたが、その時に妊娠診断マーカー
  に使ったのがHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)なのです。)
・受胎7日〜10日には胞胚の一部が中に窪む原腸陥入(後に肛門になる)が起こる。ここま
  では全ての細胞は最初の受精卵のコピーだけであるが、原腸陥入が起こると重要な制
  御遺伝子が働き始め、それが作り出した化学物質によって、いよいよ遺伝現象が再生
  され始める。なんと肛門が最初に作られるのである。
・受胎後12週には肺と脳以外のほとんどの器官、身体の部分が出来上がり、後は大きく成
  長するだけになる。脳はあまりに複雑なため誕生後に発達をするのだ。誕生直後の何
  日間、脳細胞は毎分25万個のハイペースで増加するのだそうだ。最初の2年間で大き
  く、複雑になる。チンパンジーの脳は誕生時にはヒトと変わらないが、大人になるとヒト
  の脳はチンパンジーの3.5倍の重さになる。
・実はこの間も親から受け継いだ遺伝子は両親からの核遺伝子も、母親からの細胞質遺
  伝子もレトロウイルス関連の成分も、すべての細胞で全く同じなのだ。

・遺伝情報には2つのシステムがあり、

 1つは遺伝子そのものが持つ情報で真に遺伝的なもの。
 2つ目は、個々の細胞でどの遺伝子を発現させるかを決める補助的メカニズムでエピジェ
  ネティックなもの、つまり遺伝子の働きを操作するメカニズムが存在するのである。その
  働きはDNAの4塩基の1つシトシンをメチル化させるらしい。そして制限酵素が働くらし
  い。要約すると、エピジェネティックなプロセスによって個々の遺伝子の発現スイッチが
  適当なタイミングでオン・オフされている、のだ。シトシンがメチル化されるとスイッチは
  オフ、脱メチル化されると遺伝子のスイッチはオンになるのだ。そして重要なことはメチ
  ル化が起きてもDNAの配列には変化が起きないことだ。
・そしてエピジェネティックな遺伝子の操作は遺伝をするらしい。
・しかも、環境からのシグナル(影響)によって遺伝子に直接エピジェネティックな変異が誘
  発され、それが遺伝する、のだ。この論理は何となく飛躍があるような気がしますが、著
  者は気にしていないようです。
・そうしてそれが進化につながってゆく。
・そうしてエピジェネティックな変異が蓄積し、それが「獲得形質」となり
・獲得形質が遺伝の対象になることによって進化が起き新たな「種」が生まれる、そうだ。
・エピジェネティックな遺伝はmtDNA遺伝と同様メンデルの法則に従わないそうです。

・本書の結論は、

  エピジェネティックなメカニズムはDNAの遺伝子機構から独立して作用し、
  その働きは環境の影響を受け、生物は環境に直接呼応するように進化できる。
  遺伝子以外の要素がDNAの発現を複雑に制御している
 です。

  キリンの首が何故長くなったか、首だけでなく体高も高くなっています。それは長いほうが樹上の葉を独占して食べることができるからですが、 「突然変異」でたまたま首の長い馬が生まれれば食事に優位なために「自然選択」されると思いがちですが、 どう考えてもバランスがとれず走りにくく、肉食獣に簡単に食べられ、逆選択され絶滅するだけでしょう。 つまり首が長くなる突然変異はアフリカでは優位ではないのです。また子孫を残すには複数の馬に同時に突然変異が一斉に起きる必要がありますが、 その確率論より、全部の馬が樹上の葉を食べるために首を伸ばし続けたために、少しづつ首が伸び体高も高くなりそれが徐々に遺伝子に書き込まれていった、 と考える方がまともな気がします。徐々に伸びるならバランスも対応でき走ることも上手くなるでしょう。これぞラマルクの獲得形質です。

  しかし本書で書かれているエピジェネティックスがキリンの例に当てはまるのかどうかは触れられていません。 直感的にはラマルクの進化論とエピジェネティックスは何か違う気がしますが、素人はこのくらいにしておきましょう。

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  12章 人とチンパンジーの共通の祖先は分離後も200万年は通婚したらしい

  この本は新しい進化論行きの新幹線に乗っているようだ。解りやすい書き方のおかげで内容がどんどん脳ミソに叩き込まれてくる。12章はまだ半分しか読んでいないのだが既に怒涛の展開です。

  現代人類とチンパンジーが別種として分岐したのは700万年前頃とされていますが、遺伝子の変異の1回の出来事による分岐ではなさそうだ、と言うことがハーバード大学とマサチューセッツ 工科大学の合同チームの研究でわかったらしい。人の染色体は22対の常染色体と1対の性染色体からなることは教科書に出てきますが、人とチンパンジーの常染色体の遺伝子調査ではどの染色体を 選んでも分岐年代はほぼ同じになるのに対して、性染色体の調査では分岐年代はづーっと新しく630万年前頃だそうです。我々外野席から見れば誤差範囲のような気がしますが、進化学的にはかなり 違うようです。

  答えとして合同チームが用意したのは、「人とチンパンジーの祖先は一応分岐はしたが、その後もしばらくは交配があり、そして630万年前頃完全に分岐した」と言う内容でした。 つまり「種」の分化は遺伝子の変化である日突然にスパッと起こるのではなく、遷移期間・移行期間があるらしい。アフリカの霊長類では異種交配は実は特に珍しいことではない、のだそうだ。 その要因は自然環境の変化、人間による環境破壊など、つまり生態系の変化が大きな要因になるそうだ。

  現代人類が「出アフリカ」を決行したのも当時住んでいた北アフリカの大干ばつで人口が2000人にまで減少してしまったことが原因なのだ。そして種を維持する本能でネアンデルタール人と 交配が起きた可能性がある。人類がアリューシャン列島を渡り新世界に移動をしたのも当時住みやすかったシベリア大地の寒冷化が原因。ではオーストロネシア語族の出東アジア→オセアニア 移住の要因は?

  性染色体の遺伝子解析は常染色体の解析とは少し違った展開を見せているそうだ。X染色体の「RRM2P4」と呼ばれる配列部分は大陸ごとに不自然な大きな差異がみられ、差異が生じ始めたのは 200万年前頃のことらしい、この時期はホモエレクトス(旧人)がアフリカから世界に拡がり始めた頃だそうです。アジアでは3万年前頃までホモエレクトスが存在したことが確認されている そうなので、RRM2P4は旧人と我々新人の交配の結果ホモエレクトスから受け継いだ遺伝子ではないかと考える研究者もいるそうです。また40万年前頃に現代人類と分岐したネアンデルタール人が ヨーロッパやアジアに現れたのが30万年前頃で、現生人類がアフリカの大地に生まれたのは25万年前頃だそうです。

  そして我々の祖先は5万年〜10万年前頃に出アフリカを決行し中東から西ヨーロッパに進出し、その結果3万年前頃にはネアンデルタール人を滅ぼしてしまった、のが事実だそうです。 恐らく攻撃性で優位に立っていたからこそ現生人類が生き延び、ネアンデルタール人は絶滅させられたのです。これも「自然選択」?。

12章の後半に入りました、ここは11章の後半と同じ多倍体を論じています。

  植物や動物は一般的に2組の染色体を持っています。それぞれの親から1組づつ受け継いだものです。そして子供にはそのうち1組が受け継がれてゆきます。これが2倍体と呼ばれ人類も 2倍体とされています。ところが異種交配が発生すると子供には両親の全ての染色体が受け継がれ染色体が4組になるときがあります。これを4倍体と呼びます。人類が栽培している穀物類の 多くが4倍体なのです。つまり4組もの染色体を納めるため細胞の核が大きくなり、そのため更に細胞自身も大きくなります。結果2倍体より大きく育ち、栄養も多いのだそうです。

  ところが自然界では4倍体は偶然の産物のため、4倍体の生物が交配したくても同じ種で同じ4倍体と出会う確率はほとんどなく2倍体の相手と交配するしかなくなります。そうすると 子供に受け継がれる染色体は3組になるため3倍体になりますが、次の交配時に3組の染色体を2つに分けることはできたいため「不妊」になるのだそうです。4倍体のスイカと2倍体のスイカを 掛け合わせると3倍体の「種なしスイカ」が出来るのだそうです。人工的に染色体が64本の馬と62本のロバを掛け合わせると63本のラバになりますが、63本を2つに分けられないためラバは 不妊・繁殖できず、1代限りになってしまうのだそうです。

  現生人類の染色体中には、HOX遺伝子群と呼ばれる胎生発生(いつ手が出来ていつ脚ができるかなど順番と時期)において重要な役割を果たす部位があるそうです。「群」と言う通り 染色体上に似たような遺伝子セットが4つもあるのだそうです。しかもウニ・クラゲから人類まで構造も働きもとてもよく似ているのだそうです。つまり長い間の「自然選択」に耐え元の 構造を驚くほど残しているのだそうです。何が問題?かというとうに・クラゲはHOX遺伝子が1つしかないのに人類は4つもある、ということだそうです。しかも発生に関する遺伝子に4セットな ものが意外に多く、発生に関する遺伝子意外の遺伝子にも4セットが見つかり始めているらしい。著名な日本人遺伝学者/大野乾氏の有名な進化論「遺伝子重複進化論=2R仮説」が4セット 現象の合理的な説明をするのだそうです。

  地球最初の生命体の古細菌は数千の遺伝子から成っている、しかしショウジョウバエで1万3600、ウニは2万7千、人類は約2万(ただしウイルス由来の遺伝子は含まず、機能遺伝子の1.5%分 のみで約2万)だそうだ、突然変異と自然選択だけでは生物は複雑にはならない=遺伝子の数は増えない。脊椎動物の進化の歴史の中で大野乾氏は、2回4倍体が生じている、との説を主張された。 これが「2R仮説」

 ・1回目:脊索動物(ホヤなど)⇒初期の魚類への進化時期(約5億1千万年前頃)
 ・2回目:魚類と両生類の分岐時期(約4億2千万年前頃)らしい。

  そして現在、遺伝子解析によって2R仮説の正しさが証明されたのだそうです。この遺伝子重複の原因が「異種交配」だろうと考えられているようです。

  では結局人類は4倍体などの多倍体なのだろうか? 著者の回答は「ほぼ間違いなく多倍体だろう」とのことです。

  ところが更なる本書の展開は...

多倍体化の原因は過去は異種交配だったかもしれないが、現代社会では種々のストレスが大きな要因になることもあり得る、と説明している。

    ・活性酸素による酸化損傷
 ・外傷からの回復時
 ・ウイルス感染
 ・加齢 など。

つまり進化の推進力は病気の原因になることも多い。と注意している。多倍体化は特に癌研究者も注目をしているそうです。
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  後半に入り遺伝子病がクローズアップされてきましたが、カバーする内容が章のタイトルと必ずしも1対1ではなくなってきています。現在読んでいるのは13章のはじめの部分ですが、 進化の推進力の1つ「エピジェネティクス」つまり後成的な制御作用に関して書かれています。このエピジェネティクスを理解するために最も良い例は一卵性双生児の例だそうです。

  一卵性双生児は1つの卵子が分割したため完璧に同じ遺伝子を持つそうです。単純に考えると卵子が2つに分割するとき、片方に偏在する遺伝子があってもおかしくないと思うのですが、 分割した2つの卵子は遺伝学的/医学的に完璧に同じなのだそうです。この前提でもし1組の一卵性双生児に明らかに解るような違いがあるとすると、それは確実に遺伝子意外の要因によるもの、 と考えられるそうです。

  重要なことは「遺伝子そのものは環境の変化に反応して変わることができない」ことだそうです。放射線などを浴びるなどして遺伝子に損傷が起きない限り遺伝子配列は不動なのだそうです。 だからこそ環境によって変化したとすれば、それはエピジェネティクスな作用、と言うことだそうです。しかも遺伝をするのだそうです。植物が春の訪れを知るのはエピジェネティクスの作用、 つまり後成的な要因によるものなのだそうです。(放射線の作用は火傷のようなダメージだけでなく、遺伝子を傷つけてしまうことにもあるのだそうです。今福島で原発の修復作業をされている 作業員の方々の文字通り命を張った頑張りに感謝です。)

  本は更に生物学最大の謎について書き進んでいます。それは「たった一つの受精卵から、どうしてこれほどまでに複雑な植物や動物(そして人類も)が生まれるのか?」です。つまり 「胎生発生の謎」だそうです。

  ひと昔前にラマルクの進化論が見直されている、という記事を見たことがあり、直感的にそりゃそうだろう、と感じたことを今でも覚えていますが、本書を読んでいてそれが 「エピジェネティクス」であることがわかりました。いまや、「突然変異」だけでは進化は説明できないことが明らかになり、エピジェネティクスと呼ばれる後天的な作用で遺伝子が 制御されることが発生・進化に大きな役割を果たしていることがわかってきたようです。本書がはっきりと書き記したのは「獲得形質は遺伝する」と言うことで、証拠がドンドン集まってきており、 遺伝関係の学会で重要な部門になってきた、という現実です。


以上
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11章〜7章

  11章 異種交配の事実

  この章のポイントは異種交配でした。最初に植物のひまわりで確認され、次いで動物ではヒョウモンドクチョウで確認され、異種交配が間違いなく生物で存在することが確認されたそうです。 勿論異種交配の結果の新しい遺伝子は存在にメリットがなければそのまま衰退しやがて滅ぶはずですが、今のところ子孫を残している、と言うことは存在に意味があった、と言うことになります。 異種交配を起こす、と言うことは遺伝子の多様性が増えると言うことです。

  遺伝子の多様性が増えると言うことは、気候など生存条件の大変化があるときに生き残れる種が増える可能性が高まる、と言うことです。

  7万年前頃のアフリカ大地の大干ばつで人類は絶滅寸前の2000人ほどに減少したため出アフリカを決行し中東に逃れ、欧米の研究者はそこで先住者のネアンデルタール人と亜種間交配し、 現代人類の遺伝子の1〜4%はネアンデルタール人由来のものになったと説明しています。この本の11章を読んでいて、当方のこれまでの妄想・推測を部分的に改める必要がある気がしてきました。

  今までY-DNA「D2」の高無精子症性や低精子生成力性、またY-DNA「D」の持つネグリート性はホモサピエンスとホモネアンデルターレンシスの亜種間交配の結果の欠陥、と考えてきたのですが、 ネグリート性に関して逆かもしれないと気がつきました。元々人類は、オーストラロピテクスが現代人から見ればかなり小柄だったように、オリジナルの形態をもっとも残すといわれる (ネアンデルタール人との交配を経験していない)コイサン族、ピグミー族やホッテントット族などが今でも小柄でネグリートであるように、本来小柄だったのではないか、それが中東で 亜種間交配した結果、大柄な遺伝子を持つようになったのではないだろうか? ところがY-DNA「D」は小柄な遺伝子はそのまま維持され、精子生成力の欠陥が他の遺伝子タイプより強く遺伝子に 書き込まれたのではないだろうか?

  ラテン系の女性にも小柄が多いことを見ると地中海系に多いY-DNA「E」も小柄だった可能性が高いですね。つまり中東でのネアンデルタール人との交配の結果「DE」系と「CF」系に 分化したのではないか、という妄想ががぜん働きます。

  前のブログでご紹介したアンダマン諸島人の古い写真の2人は有名なブッシュマンのニカウさんに何となく似ていますが、欧米の研究者はアンダマン諸島人のY-DNA「D*」は出アフリカする前の アフリカ大陸時代の人類に最も近い、と書いている理由がやっとわかってきた気がします。

  古い姿形を残してきたのが我々縄文人のY-DNA「D2」の血統で、小柄で可愛らしい縄文系女性が好まれ選ばれ易いと言う高い「自然選択性」によって縄文人の血統は命脈をつないできたのかも しれません。また高無精子症性や低精子生成力性による、他の遺伝子タイプより低い人口増加性にも関わらず縄文系が今でも日本民族の35%近くを占めている理由は?  当方のこれまでの推測は、 過去は圧倒的な縄文系の土地だった日本列島に弥生系と漢民族系が押し寄せ高い人口増加性で人口比で逆転したと思っていたのですが、どうも逆ではないか!

  某教授の説のように低い人口増加性のために縄文系の人口は少なかったが、低い人口増加性を上回る高い自然選択性によってここまで比率が増えてきたのかもしれません。

  目からうろこの11章読後感でした。
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  8章〜10章 「進化の推進力」は結局5つのファクター

  かなり読みごたえのある内容です。最新の進化論のため100%認められた仮説になっているかどうかはまだちょっと早そうですが、学問として急速に確立しつつあるようです。

「進化の推進力」は結局5つのファクターが現在考えられているそうです。

1) 突然変異
2) 共生発生
3) 異種交配 (文字通り異なる種の交配で起きるい新たな遺伝子の出現)
4) エピジェネティクス (「後天的な作用で遺伝子の発現が制御されること」だそうです。
これらの4つの進化推進力とダーウィンの

5) 「自然選択」との相互作用で
進化は起こるのだそうです。

  特に異種交配は、「カンブリア爆発」と呼ばれる2000万年前〜4000万年前頃の、現在化石が残っている主要な動物の祖先の大半が短期間に出現した現象の謎を解明するのは、 異種交配ではないかと考えられつつあるようです。つまり動植物学に詳しい方なら聞きなれた、異なる「門」間の動物の間で異種交配が起きた可能性があるのだそうです。

  このブログの前のバージョンで触れたことがありますが、現在の動物では例えば馬とロバの異種間交配やライオンとトラの異種間交配の第一世代の子は残念ながら生殖機能が働かず、 第二世代が生まれないため子孫を残せず一代限りで途絶えてしまうことが知られていますが、過去それどころではない「異門」間で交配が起きた可能性があると言われ始めているのです。

  蛇足ですが、当ブログの前バージョンでは、Y-DNA「D2」は無精子症が多いことや精子生成能力の低い理由は、50000年前頃〜60000年前頃の出アフリカ直後の近東でホモサピエンスと ネアンデルタール人の間の亜種間で交配が起こった結果、遺伝子の欠損が生じたのではないかと妄想しましたが、あながち妄想と笑い飛ばす場合ではないような気がしてきています。

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  7章 進化には3つのファクターがあったそうだ。

・自然選択 
  「進化の推進力とは、生物に変化をもたらす力」とのこと。生物が変化し、
  子孫に遺伝をすると初めて進化になるらしい。これは良いことばかりではなく、
  病気を引き起こす原因にもなるそうだです。

・突然変異
  「細胞分裂の際に、DNAのコピーにエラーが生じること」だそうです。
  しかも厄介なことにランダムに起こるそうです。

・共生
  「酸素呼吸細菌が単細胞の真核生物と10億年前頃に融合した」のがミトコンドリ
  ア。今でもmtDNAは細菌と同じ環状です。エネルギー生産を分担しています。
  しかも卵子によってのみ子孫に受け継がれる、と言う特徴があります。
  融合して10億年もたつのに未だに核と一体化しない理由は、「酸素の毒性」に
  ある、つまり活性酸素やフリーラジカルが病気の原因になるからのようです。
  ところが、新しい細胞が生まれ古い細胞と入れ替わり、組織は常に健康を維持
  し続けられますが、その制御に深く関わり合っているとのこと。

  ミトコンドリアは今でも細菌としての性質を10億年も保ち続けているらしい。
  そのためメンデルの法則に従わないミトコンドリア病を引き起こすそうです。
  元々が細菌のため突然変異が起きや易く、エラーが生じ易いことに加え厄介な
  ことに重要なタンパク質の合成に関与しているためさまざまな病気を引き起こ
  す原因になっているそうです。小生がまだ電子顕微鏡の研究者だった若かりし
  時代に筋ジストロフィーのミトコンドリアの構造を見ていましたが、筋細胞中のミ
  トコンドリア内に結晶ができてしまい、筋肉に酸素が供給できなくなるため、
  筋肉の委縮が起きてしまうのですが、当時のことを思い出しました。そう言えば
  当時ミトコンドリアの環状DNAも電子顕微鏡で観察をしていました。懐かしい!

  そして、もう一つ進化でもっと大事なのは「ウイルスとの共生」だそうです。
  先にご紹介した人の遺伝子に組み込まれた内在性レトロウイルスも人の遺伝
  子と融合しているのですが、やはりウイルスとしての性質を維持し続けている
  ため、ミトコンドリア同様さまざまな病気の原因になっているそうです。
  その中で当ブログ「日本民族のガラパゴス性の起源」に関係のありそうな例が
  ありました。男性の不妊症です。

  徳島大学医学部の研究で我が縄文民族の主遺伝子であるY-DNA「D2」は他
  のハプロタイプに比べ男性の無精子症の発症が多く、もしくは精子生成能力
  が劣る、事が解っていますが、男性の不妊症の大きな原因の1つにY染色体
  上の欠損がありますが、雄の生殖器官の機能に内在性レトロウイルスが強く
  関わり合っており、Y染色体が減数分裂し新たなY染色体が出来る際に、先に
  ご紹介したY染色体が持つウイルス由来のHREVの部位で欠損が起こりやす
  いことが解っているそうです。Y-DNA「D2」は残念ながらその欠損が起こる
  確率が高いのでしょう。

  こうしてウイルス由来遺伝子のHREVは何百万年もかけて現代人類の祖先の
  時代から共に進化をしてきたのだそうです。研究者の間ではHREVは統合失調
  症など深刻な精神疾患に関与しているのではないかという見方が拡がっている
  そうです。

  このように紹介するとウイルスは悪いことをしているように感じますが、役に立
  っている作用の方が多いのだそうです。何故なら宿主が弱ってしまうとウイルス
  も困るのだそうです。ところがたまにウイルスの力に負ける人間個体がある、と
  言うのが事実のようです。ウイルスが人類に害を与えずに完全に共生するのは
  もっと時間がかかるのか、あり得ないのか果たして....。
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以上
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13-1. 破壊する創造者  6章〜1章

  6章 現代人の遺伝子の合計46%が過去に感染し共生したウイルスか、ウイルスの残骸

  久しぶりにワクワクするような刺激を受ける本です。翻訳者が優れているためか幸い専門用語が意外に解りやすく書かれているのが助けになります。これが書籍ではなく論文そのものだったら、 難しくて全く理解できないでしょう。

  6章の概要は更に驚くべき内容です。人の遺伝子の3%を占めるDNAトランスポゾン領域ですら過去に感染したDNAウイルスの名残だそうです。つまり現代人の遺伝子の合計46%がなんと過去に 感染したウイルスの共生の結果か、感染したウイルス同士の競争の結果負けたウイルスの残骸なのだそうです。しかもこのトランスポゾンは名前の「トランス」の示すように遺伝子上で位置が 移動できる可動遺伝子なのだそうです。人類本来の遺伝子ではないのでこんな芸当ができるのだそうです。人類ではたった3%ですが、トウモロコシの遺伝子では実に50%がDNAトランスポゾン なのだそうです。

  昨日のブログでご紹介した、合計43%を占めるHERV、LINE、SINEはレトロトランスポゾンとも呼ばれるそうです。つまりRNAウイルスなのです。

  これらのウイルス由来のトランスポゾンはなんと「メンデルの法則」に従いきちんと遺伝をするのだそうです。と言うことは人の遺伝子そのものに既になっている、と言うことになるのだそうです。 つまり人類が進化する過程で人遺伝子に組み込まれたウイルス由来遺伝子も一緒に進化を遂げてきた、ということらしいのです。しかしウイルスが果たしてきた役割はまだ現在の遺伝学や生理学では 解明できていないそうです。このウイルスの生物の遺伝子との共生行為を「入植」と呼ぶのだそうです。このウイルスとの融合の大部分は1000万年前にまでに起こっているのだそうですが、 AIDSのような極く最近発生した例もあり、感染時には必ず死に至る個体が発生し、生き残った個体中では共生状態になるのだそうです。

  現在の進化論はダーウィンの進化論を発展させ、「自然選択」+「突然変異」+「共生」なのだそうです。この場合の「共生」は約10億年前頃に起こったエネルギー生産細菌が原生生物と共生し ミトコンドリアや葉緑体になったことではなく、生物と共生することで存在できるウイルスとの共生のことだそうです。

  ウイルスとは、蛋白質という殻に囲まれた感染能力のある遺伝子体のことですが、どうやら成り立ち自身が単独で生きるものではなく、他の大きな生物体に共生し、あるいは遺伝子を乗っ取って 生きる存在、なのだそうです。その強い作用のため感染時には宿主となる他の生物体に大きなダメージを与え時には死に至らしめますがその時はウイルスも死にますが、運よく生き残った強い生物体 とは共生関係になり遺伝子に入り込み、その種が続く限りウイルスも生き残れるのだそうです。

  つまりウイルス感染で宿主が死滅することは、ウイルスにとっては本意ではないのだそうです。ウイルス自身が生き残るためには宿主に生き残ってもらわなければならないのですと。う〜〜ん、 厄介な存在ですね。
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  始め〜5章 人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%

  今日、進化論に関する新しい書籍を購入しました。タイトルは「破壊する創造者」です、まだ序文を読んでいるところです。

  このブログを始めた時の疑問は、
・Y-DNA、mtDNAは亜型(ハプロタイプ)に分化する必要・必然性があったのか?
・ホモ属はアフリカの中でホモサピエンスに進化をしたのか?
  それとも出アフリカをしたことでホモサピエンスになれたのか?
・アフリカに留まったY-DNA「A」コイサン族やY-DNA「B」ピグミー族などは現代まで同じ経過時間
  あったにもかかわらず狩猟採集のままで、何故出アフリカした人類と同じ変化をしなかったのか?
  もしくはできなかったのか?
・ダーウィンの進化論の真髄である「自然選択」と「突然変異」は何故コイサン族やピグミー族に
  働かなかったのか? 
  それとも今の彼らの姿が働いた結果であって、文明化は進化とは関係ないのだろうか?
・となるとコイサン族やピグミー族は本当にホモサピエンスなのか?現代型のホモエレクトスのまま
  なのではないか?出アフリカしネアンデルタール人と交配分化したY-DNA「C」以降だけが
  ホモサピエンスなのではないのか?


  もともと分子生物学を専攻した身にとって疑問はいっぱいあり、まだ納得できないことだらけです。しかし異なるハプロタイプが1つの遺伝子型にさかのぼることは、先ず間違いないでしょう。 そうなると理由はともかく結果の分析のほうが優先です。それでこのブログを始めました。

  しかし結果を素直に解釈するためには邪念・妄想を捨てて頭をリラックスさせることが必要なので、ダーウィン以来の進歩した最新の進化論を読んで、ハプロタイプの分化の理由が 多少納得できれば....と言う次第です。

  生物進化学の最も新しい学説を書いた「破壊する創造者」をやっと読み初めたころ、東北関東大震災が発生しあまりの惨状に当ブログもお休みし、読書もお休みしていました。 大震災の大惨状に原発大問題が加わり、更に三陸沿岸に立地していた原材料・部品工場が軒並み壊滅で、世界を巻き込んだ部品欠品問題まで発生し、日本のみの問題では済まなくなってきました。 改めてガラパゴス日本民族の世界に占める存在感を実感させられています。

  小生は終戦直後の生まれのため、戦争そのものは知りませんが、子供のころの貧しさから世界経済・科学の牽引国家にのし上がった日本民族を見てきました。極く近い将来復興し、 再度世界を牽引できると信じています。日本民族はだてにガラパゴスではないんです。定年後の身ですがなんとか頑張らねば!

  現状は悪化する一途ですが、自粛ばかりでは日本の復興が遅れるのも事実です。という訳で報道番組の視聴漬けを自粛し、読書を再開しやっと5章(全15章)まできました。 ここまでの内容をかいつまんで報告します。大学時代いわゆる分子生物学のはしりのようなものを専攻しましたが、その後40年間の間に分子生物関連の学問は大きく進歩し、 ついこのあいだ人間の遺伝子配列が全て解読されました。これはノーベル賞級の画期的なことなのですが、研究者と興味がある者以外には全く話題になっていません。その理由が本書にも書いてあります。

  要するに生命体としての遺伝子構造が全て解読されたからと言っても、思考・感情を持つ生身の人間のことは全く解読されていないのです。何故人間はここまで進化したのか、 なぜ人種があるのか、何故戦争するのか、何故喜び、憎むなど「感情」を持つのか、どうして一人ひとり行動が違うのか?..... 人間が人間として存在している理由が何も解析できていないからだそうです。その大きな理由が人遺伝子の構造解析の結果の呆れた事実にも起因するのだそうです。


  なんと人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%(機能遺伝子)でしかない....という信じられない事実。 じゃぁあとの98.5%は何のために存在するのか?

・HREV 9% 人間が過去に感染したウイルスの名残で、人内在性レトロウイルスだそうです。
・LINE 21% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・SINE 13% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・DNAトランスポゾン 5章までではまだ説明されていません。
・不明   52.5%  5章までではまだ説明されていません。

  これって何?43%がウイルス由来の遺伝子?人間の遺伝子のはずなのにウイルス由来の遺伝子の方がはるかに多いとは本当? 人類はウイルス遺伝子の固まりってこと?  にわかに納得はできませんが結果と言う事実は上記のとおりだそうです。しかし、由来は推測出来ても、何故?何のために?どうやって?....などまだクリアにはなっていないようですが、 ともかく43%の部分は明らかにウイルスの遺伝子と同じなのだそうです。

  細胞でエネルギーを生産するミトコンドリア(植物では葉緑体)は古代に寄生した細菌が生体と共存し共生した結果ということは既に小生が学生のころから言われており、 今では生物学の常識になっているので、「共生」という言葉自体は理解できますが、何故ウイルスなの?

  さらに人間の遺伝子の半分以上が”役割不明”だそうです。恐らくこの「不明」は生物体としての構造を作るところではないのではないでしょうか!人間は他の生物に比べ、 感情/思考/行動/運動能力など全てが複雑怪奇ですが、そういうよくわからないものをつかさどるところが「不明」領域だったら面白いですね。 ここはもう分子遺伝学者の領域ではないような気がします。

5章までのストーリーは、

・生物とレトロウイルスやウイルスは共生し進化を遂げてきた。
・人間も例外ではなく、遺伝子構造解析の結果が証明した。
というところです。

  ちなみに「レトロウイルス」とは、レトロな古〜いウイルス、という意味ではなく、DNA(核酸)ではなくRNA(リボ核酸)を遺伝子として持ち、生物体に入り込むと 「逆転写酵素」を使いDNAを生成し、共生先の生物の核に、自身の遺伝情報を埋め込むのですが、その「逆」を「rettro=レトロ」と言うのだそうです。レトロウイルスが感染した生物は 当初はダメージを受けかなりの個体が死に至りますが、レトロウイルスと共生に成功した個体が生き残り、繁栄するのだそうです。現在最も話題になっているのはオーストラリア大陸東海岸での コアラに対する齧(げっ)歯類由来のコアラレトロウイルスの感染例だそうです。

  人間ではHIV-1型と呼ばれるレトロウイルス感染つまりAIDSが最も最近の例だそうです。当初は死に至る個体が多数発生しますが、いづれ共生状態になるだろう、と考えられているようです。 あまりうれしくはないですが...。

  日本人ではウイルス学者の日沼頼夫先生が成人T細胞白血病(ATL)の原因はレトロウイルスHTLV-1と突き止めた事は有名です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1

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5. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:18:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21982] 報告
進化に対する内在性レトロウイルスの働きがわかりつつある!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm

  当ガラパゴス史観が参考本としている最新進化学の「破壊する創造者」の骨子は「内在性レトロウイルス」が進化の要因でもあった、というものです。 興味のある方は当ホームページの記事13-1.を読んでください。

  Nature Japanの日本語版に京都大学の論文が掲載され、太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!という非常に興味深い内容でした。 このことはレトロウイルスが種の違い・進化の要因になっていることを示しています。  「破壊する創造者」の伝える最新進化学はここ日本でも進められていたのです。

  Nature Japanの9月12日の特集記事をご紹介します。
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  太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!

  2013年9月12日

  京都大学 ウイルス研究所 細胞生物学部門
  宮沢孝幸 准教授

  哺乳類の胎児の多くは、胎盤によって育まれる。胎盤は、母親と胎児の両方の組織からなり、子宮内で胎児を支える役目を担うほか、互いの血液を混合させることなく栄養、 ホルモン、ガスなどを交換するという、極めて重要な機能を果たす。一方で、胎盤の形状や構造は動物種によって大きく異なり、その違いがどのようにしてもたらされたのかは、 謎のままにある。このほど、京都大学 ウイルス研究所の宮沢 孝幸 准教授らは、ウシの胎盤に見られる現象に着目し、胎盤の進化にレトロウイルスが関与していたことを突き止めた。

  ウシ科の動物は、ウシ亜科、ヤギ亜科、インパラ亜科など、7つに分けられる。いずれの亜科も約100個の小さな胎盤節からなる「多胎盤」を形成するが、その際、ウシ亜科とヤギ亜科だけに 「胎児側の細胞と母体側の細胞が融合する特殊な現象」が見られるという。こうした母子細胞の融合はかなり以前から知られていたが、分子メカニズムは分かっていなかった。

  BERV-K1由来のFematrin-1による、ウシ三核細胞の形成過程

  宮沢准教授は、学部生時代にレトロウイルスの研究を始め、その過程で「ヒト内在性レトロウイルス」がレトロトランスポゾンとして機能し、胎盤で発現していることを知ったという。 内在性レトロウイルスとは、太古に感染したレトロウイルスが「感染先の動物(宿主)の生殖細胞」に入り込み、ゲノムの一部と化したDNA配列を指す。一方のトランスポゾンは、 ゲノム中において、自身のDNAの一部から転写されたRNA配列を逆転写してDNAに戻し、それを別の領域に挿入する転移因子の総称だ。「はるか昔に人類に感染したレトロウイルスの 遺伝子がヒトゲノムに取り込まれ、遺伝子として胎盤で何らかの機能を持つようになったのではないか。当時から、そんなふうに考えていました」と宮沢准教授。

  「その後、内在性レトロウイルスと胎盤との関係を調べてみたいと思いつつ、ずいぶん時間が経ってしまいました」。そう話す宮沢准教授はイリギス留学などを経て、 2005年に現職に就いたのを機に「内在性レトロウイルスが、ウシの胎盤でみられる母子の細胞融合と関与するのではないか」との仮説を立て、本格的な研究に乗り出した。

  まず、ウシの内在性レトロウイルス(BERV-K1)が、ウシの胎盤や栄養膜細胞を株化した細胞において発現していることを確かめた。そのうえで、BERV-K1遺伝子の一部が、 胎盤の栄養膜にある特定の細胞(二核細胞と三核細胞)にだけに発現していることを、複数の手法を用いて突き止めた。栄養膜の二核細胞は胎児側の細胞で、この細胞が母体側の 子宮内膜細胞と1対1で融合すると三核細胞(TNC)になるという。

  「次に、細胞融合能を持たないモデル細胞(アフリカミドリザル由来のCOS細胞)に、BERV-K1のエンベロープタンパク質を強制発現させ、ウシの子宮内膜細胞と共培養してみました。 BERV-K1が母子細胞融合の鍵を握るとしたら、エンベロープタンパク質が機能することで、細胞どうしが融合すると考えたからです」と宮沢准教授。

  エンベロープタンパク質とは、ウイルスの膜(殻)に刺さっているタンパク質のこと。このタンパク質が宿主細胞の膜にある受容体と結合すると、ウイルスと宿主の細胞膜が融合し、 ウイルスゲノムが宿主細胞内に入れるようになる。宿主細胞内ではウイルスのゲノムやタンパク質が大量にコピーされ、ひとそろいが宿主細胞の膜をかぶって飛び出すと、 子ウイルスの誕生(すなわち、感染の成立)となる。

  実験結果は、宮沢准教授の予想どおりだった。細胞どうしが1対1で接触し、接触点において互いの細胞膜が融合。2つの核を持つ、単一の細胞へと変化したのだ。 「融合過程を観察するだけでなく、融合活性の定量的な判定も行いました。そして、BERV-K1のエンベロープタンパク質が細胞融合の鍵であるとの結論に至り、 このタンパク質をFematrin-1と命名しました」と宮沢准教授。

  さらに、宮沢准教授らは、ウシのBERV-K1がFAT2という遺伝子のイントロンに入り込んでいることも突き止め、同じようにBERV-K1をFAT2のイントロン内に持つ亜科がいるかどうかを調べた。 「ウシ亜科のみに見られ、ヤギやヒツジなどのヤギ亜科には見られませんでした。2つの亜科は約2000万年前に分かれたことがわかっているので、その直後に、BERV-K1がウシ亜科に感染して 入り込んだと推測できます」。

  一連の結果は、BERV-K1の感染が、ウシ亜科とヤギ亜科に胎盤の違いをもたらす大きな原動力になったことを示唆している。「おそらく、大昔に感染したレトロウイルスの種類が、 動物種の胎盤の違いをもたらしてきたのでしょう」。そう話す宮沢准教授は、遺伝子がレトロウイルスによって他の動物種に伝わることがあるのか、あるとしたらどのようなメカニズムに よるのかといったことも検討し、生命進化とウイルスとの関わりを解き明かすべく、努力を続けている。

  西村尚子
  サイエンスライター
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  当ガラパゴス史観を構築するための3要素は表紙に書きましたが、

  ●Globalで報告されているY-DNA、mtDNAの国別,民族別,部族別の頻度調査データ解析結果、
  ●最新の進化学で報告されている「進化」の知見、
    「進化」は、推進力となる4つのファクター
     (1) 突然変異、
     (2) 共生(内在性レトロウイルスとの)、
     (3) 異種交配、そして
     (4) エピジェネティクス(後天的獲得形質)と、
    ダーウィンの
     (5) 自然選択
    との相互作用で起る、と説明されている。
  ●分子生物学研究者時代に実験データ解析の手法として身に付けたデータマイニング手法

  以上の解析結果・知見・手法の3要素である。

  当ガラパゴス史観の構築した、現代人つまりホモ・サピエンス・サピエンスの進化は、

  ・収縮しつつあった森林の、樹上での縄張り争いに負けて樹上から追い出されたか、もしくは草原で狩りをする捕食者達に触発され食糧確保のため自発的に樹から降りたか、もしくは両方か、 ともかく草原に降り立ったこと。

  ・木の実食から肉食に変わり、脳が大きく進化したこと。

  ・サハラの砂漠化により2000人程度の絶滅危惧種となり、先輩人類(原人、旧人達)と同様出アフリカを決行したこと。

  ・出アフリカ後の中東〜インド亜大陸で未知のレトロウイルスに感染したことや、旧人との亜種間交配で遺伝子の一部や旧人が感染していた内在性レトロウイルスも受け継いだことが、 Y-DNAとmtDNAの分化を引き起こしたこと。

  ・行く先々で土地々々の新しいレトロウイルスに感染したこと。

  が遺伝子分化を引き起こし、アフリカに留まった非出アフリカ人とは全く異なる進化をたどり、近代・現代文化を構築するまでに至った、というものです。」

  出アフリカに加わらなかった他のホモ・サピエンス・サピエンス(Y-DNA「A」と「B」及び「L3」以外のmtDNA「L」)はアフリカの草原地帯や森林地多で狩猟採集段階でそれ以上の進化を止め、 原始状態にとどまり今に至っています。

  後代、出アフリカからアフリカに出戻ったY-DNA「E」が「A」や「B」と交配したおかげで、「E」と共存した「A」と「B」は「E」と同じ段階に進みましたが、その「E」もアフリカに戻ったことで それ以上の進化を止めてしまいました。

  Y-DNA「E」で地中海北岸に進みY-DNA「I」、「J」「R」などと交配し一体化した集団のみが文明化し近代・現代文化の恩恵を受けています。

  古代遺伝子Y-DNA「E」はアフリカ草原地帯の原始の狩猟採集から最先端の現代文化まで最も幅広い変異幅を持つ遺伝子なのです。

  Y-DNA「E」が戻りアフリカ後それ以上の進化をしなかった理由は、故地に戻ったため新しいレトロウイルスに出会わなかったことにある、と考えられます。熱いことも理由のひとつでしょうが。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

6. 中川隆[-13797] koaQ7Jey 2018年12月12日 08:25:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22036] 報告
古代のDNAから判明した驚きの10の発見 2017年03月09日
http://karapaia.com/archives/52235294.html


 人類の歴史を語るものは、書き残されたものだけではない。遺伝子のなかにも存在する。遺伝子研究が進むに従い、遺伝子は、これまでの定説をくつがえす思いがけない文化の起源をおしえてくれたり、伝染病の大流行を生き延びるために必死で進化していたことがわかった。更には何万年もの間、変わらずに連綿と続いている遺伝子もある。

 そんあ古代のDNAは謎を解いてくれるのと同時に、新たな謎をうむこともある。ここではそんなDNAに導かれた10の発見を見ていこう。


10. アメリカ大陸の原住民と文明接触の悲劇「コロンブス交換」

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image credit:Smithsonian Magazine

 ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達したことによって、現地の人たちの間に伝染病が広まった。この初めての接触による悲劇は、コロンブス交換と呼ばれる。すべては、1492年にクリストファー・コロンブスが新世界にたどり着いたときに始まった。

 それ以前にも、アメリカ大陸には結核などの病原体はあったが、ヨーロッパから船によって持ち込まれた天然痘、麻疹、黄熱病、流感などのように爆発的に広まるものではなかった。

 理論的に考えると、外部の影響にさらされることなく、長いこと独自の社会を築いていたアメリカ先住民の免疫性が脆弱だったせいといえるかもしれない。2016年のカナダのツィムシアン族のDNA研究から、ついにその証拠が発見された。古代と現代のふたつのグループを比較すると、免疫に関係する遺伝子に大きな変化があったことがわかったのだ。

 ヨーロッパ人と接触後、天然痘がツィムシアン族を分裂させた歴史的根拠がある。遺伝的多様性があまりないせいで、天然痘によって部族の57%が死んだのだ。

 現在のツィムシアン族は、さまざまな先祖から多様な遺伝子を受け継いでいる。古代の部族は、その土地の病気に適応した特定の遺伝子配列をもっていた。彼らの子孫の遺伝子は、新たに入ってきた病気に負けずに生き残るために選択的進化を遂げた結果、生まれたものなのだ。


9. アイルランド人の起源

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image credit: BBC

 アイルランド人のルーツは、新石器時代のひとりの女性と青銅器時代の3人の男性の中に見つけることができた。この女性はバリナハティ・ウーマンと呼ばれていて、1855年にベルファスト近くの5200年前の墓から発見された。

 彼女のゲノム配列は2015年に判明し、現在のスペインやサルディーニャ島の人たちと遺伝子的に似ていることが明らかになった。おもしろいことに、彼女の祖先は中東の出身だということもわかった。

 青銅器時代、東ヨーロッパからやってきた人たちがアイルランドに定住した。3人の男性の先祖は、ウクライナやロシアに隣接するポントス草原の出身だ。4000年前の青銅器時代のグループが、現在のアイルランド、ウェールズ、スコットランドの人たちと遺伝的にもっとも近い。

 アイルランド人には、特徴的な遺伝子傾向がある。乳製品の消化に適しているが、ヘモクロマトーシスという鉄分の過剰蓄積を起こしやすい。この障害は、前述の4人のうち女性と男性ひとりに見つかったが、それぞれ異なった遺伝子変異を起こしていた。

 男性のほうは乳製品を消化できる遺伝子を持っていたが、女性にはなかったのだ。この4人のゲノムは誰も現代のアイルランド人のゲノムとは完全に一致せず、むしろケルト民族をつくった一部のグループとの類似を示していた。


8. コマ人の土器から発見された交易の痕跡

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image credit:iflscience.

 コマ人とは、かつて西アフリカ、現在のガーナのあたりに住んでいた人々のことだ。もし、彼らの特異な習慣がなければ、永遠に彼らの文化は考古学者に見過ごされてしまっていたかもしれない。

 コマの人々は、奇妙な素焼きの人形を残している。この独創的な人形は人や動物を表わしているが、ときにはそれらが合体させたものもある。土塁のひとところにまとめてためこまれているのが見つかった。

 研究者たちは、こうした人工物からDNAを抽出して、彼らの目的を探ろうと考えた。しかし、乾燥した環境で、熱い砂の中に何世紀もの間埋められていたものから採取したDNAは劣化が激しく、使い物にならなかった。

 しかし、驚いたことに土器には、かつて中に入っていたものの遺伝的素材が残っていて、まだ分析に使うことができた。

 もっとも驚いたことは、オオバコ、バナナ、松など、600〜1300年当時にはその土地にはなかったはずのものの残滓が見つかったのだ。この地方の芸術文化は、世界でもっとも熱い砂漠である西アフリカとサハラに広がる、安定した交易路をもっていたに違いない。


7. 東アジア大陸の不変のDNA

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image credit: sciencemag

 生きている人間のDNAが8000年もの間、ほとんど変わらないことはまれだ。古代社会では、頻繁に移住が行われ、世界のいたる場所で遺伝子が混ざりあったはずだ。ところが、東アジア大陸は例外だった。

 1973年、極東ロシアにある悪魔の門の洞窟で人間の遺体が見つかり、石器時代の女性からDNAが検出された。新石器時代以降、遺伝子的介入がほとんどなかったおかげか、彼女の遺伝子は現代のある地域の民族とかなり一致していた。

 これは、中国の少数民族オロチョン族やホジェン族のようなトゥングース語を話す人たちに当てはまる。現在でもトゥングース語を使っているのはウリチ族だ。

 ロシアと中国と北朝鮮の国境付近に住んでいる彼らが、注目されるのにはふたつの理由がある。まず、彼らはごく最近まで古代狩猟採集民族の生活スタイルを維持してきた。次に、彼らはずっと遺伝子が変わらない同じ集団からの直接の子孫のようだ。基本的に新石器時代の狩猟民族と同じ集団で、悪魔の門の洞窟で見つかった女性もここに属していた。


6. 民族移動の歴史を塗り替えたモタ・マン

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image credit:Los Angeles Times

 モタ・マンは、民族移動の歴史全体を塗り替えたエチオピア人だ。およそ4500年前に死んだが、その遺伝子が彼についてのすべてを語ってくれる。

 これまで、現生人類は7万年前にアフリカに別れを告げ、中東、ヨーロッパ、アジアへ広がり、中東やトルコの農民がアフリカの角と呼ばれる地域(エチオピア)に出戻ってきたと信じられてきた。

 発見されたモタ洞窟からその名をつけられたこのエチオピア人は、古代アフリカ人の最初のゲノム配列を提供してくれた。モタの年代は、これまで考えられていた逆流入ユーラシア人よりも古いものだった。

 知られているグループよりももっと以前に、アフリカに戻ってきた別のグループがいたのだ。しかし、モタ・マンは、アフリカ以外で発達した遺伝子はもっていなかった。肌や目の色が明るく、トルコや中東のユーラシア人のように乳製品を消化できない乳糖不耐性をもつ遺伝子のことだ。

 モタの謎めいた先祖について掘り下げるうちに、研究者たちはある古代人とのおもしろい符合を発見した。それは7000年前のドイツのLBK族だ。モタのユーラシア人先祖がLBK族出身なら、ユーラシア人がアフリカに定住して広がったときの話は違ってくるだろう。


5. デンマーク最後のヴァイキング王の母親の謎

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image credit:dnainthenews

 ヴァイキングの謎は、最近ふたりの王族の歯髄を調べたことで解決された。デンマークの最後のヴァイキング王で1074年に亡くなったスヴェン(エストリドセン)2世だ。

 ロスキレ大聖堂に彼と母親のエストリッドの墓があり、母親の遺体は、大聖堂の祭壇近くの柱のところに安置されているという。

 スヴェン王の墓は疑いようもなかったが、柱のところに埋葬された女性が本当に王の母親なのか、疑問をもつ専門家もいた。

 幸いなことに、母親とその子どもの血縁を示すそのものずばりな方法がある。子どもにミトコンドリアDNAを伝えるは女性のみなので、遺伝子配列が一致するかを調べればいい。

 ところが、スヴェン王とエストリッドのミトコンドリアDNAは違っていた。彼女は王の母親でなかっただけでなく、とても若かった。エストリッドの享年は70歳と記録されているが、この女性は35歳くらいだった。

 おもしろいことに、スヴェン王には義理の娘がふたりいて、両方ともエストリッドという名前で、しかもふたりとも女王になっている。彼女たちの年齢の若さや名前や王族の地位を考えると、どちらかがロスキレに埋葬された可能性はありえる。


4. ロンドンの多民族性を物語る発掘遺骨

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image credit: BBC

 現代のロンドンっ子たちの祖先は、2000年近く前にこの地に定住したようだ。大英博物館に所蔵されている4体の遺骨が、その起源や出現についてさまざまなことをおしえてくれた。

 ほぼ完全に残っている骨は、通称"ラントストリートのティーンエイジャー"と呼ばれている。この14歳の少女のDNAは彼女が北アフリカで育ったことを示している。彼女のミトコンドリアDNAは、南東ヨーロッパからのもので、彼女はブルーの瞳をしていたが、骨格の特徴はサハラ砂漠以南の人々のものだ。

 "マンセルストリート・マン"は45歳の男性で、黒い瞳と髪は母親が北アフリカ出身のDNAを持っていたことを示している。彼はロンドンで育ちで、意外なことに糖尿病による骨の疾患を患っていた。現代の白人西洋人男性の間ではよくある病気だ。

 ある男性の骨は損傷が激しく、もしかしたら剣闘士だったのかもしれない。年齢は36〜45歳くらいで、肉体的にひどく暴力を受けた痕跡がある。どこかよそで生まれたが、東ヨーロッパや中東からのミトコンドリアDNAを受け継いでいた。

 "ハーパーロード・ウーマン"(写真)は、もともとここに住んでいたブリトン人で、ローマ風のライフスタイルを享受したらしい。彼女の墓にはローマの遺物がたくさんおさめられていた。そして、彼女のDNAは驚くべきことを示していた。肉体的には女性だったが、遺伝子的には男性だったのだ。


3. ヨーロッパでおきた謎の民族大移動により遺伝子マーカーが消滅

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image credit:Live Science

 オーストラリアの研究者たちが、ある民族移動の謎を解こうとして、別の謎を見つけてしまった。

 7500年前にトルコ出身の農民たちがヨーロッパに定住したのかどうかを確認するために、ドイツやイタリアから発掘された複数の骨を調べた。これら古代の骨は、7500年〜2500年前のさまざまな文化のものだった。

 調査から、最初の汎ヨーロッパ人たちはトルコからやってきて、繁栄したことはわかった。だがそれから、およそ4500年前にその遺伝子マーカーがどいうわけか消滅してしまった。

 消滅の理由がなんであれ、ゆっくりした変化ではなかった。当時、明らかになっていないなんらかの歴史的な出来事が起こって、突然大規模な民族移動が起こったようだ。あまりにも劇的な移動だったので、ヨーロッパの人口や遺伝系統までもが変わってしまった。

 文化全体の遺伝子まで変えてしまうほどの大移動を引き起こした張本人たちは誰なのか、それほどの大人数で新たな野を目指した理由はなんなのか、誰にもわかっていない。イベリア半島にいたベル・ビーカー人がケルトの言語に痕跡を残しているため、彼らがその容疑者といえば容疑者と言えるかもしれない。


2. 権力をもっていたギリシャの女性たち

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image credit: Andreas Trepte

 かつて、古代ギリシャの女性たちは男性の所有物のように扱われていたと思われていた。しかし、新たなDNA研究によって、それは間違いである証拠が出てきた。

 マンチェスター大学の研究者がギリシャ、ミュケナイの発掘現場に向かった。ヨーロッパで最初の都市国家に建てられた城砦の創設者について知るためだ。

 ミュケナイの支配者の墓から、35体の遺骨が発掘されたが、DNAがちゃんと分析できたのは4体だけだった。ひとりは女性で、彼女はかなりの影響力をもつ立場にいたようだ。権力者の妻と考えられ、遺伝子配列が一致した4人のうちのひとりでもあり、その豪華な墓は、権勢を誇る夫の影響と思われた。

 しかし、DNA検査と復顔から、彼らはきょうだいであることがわかった。その女性は王と同等の地位と影響力をもち、これは当時の女性が権力をもつ地位に就くことができたことを示していると専門家たちは考えている。

 180度見方が変わるこの大転換を発見した考古学者たちは、初期の男ばかりの考古学者たちが、男性優位の偏見で古代社会を見た結果、こうした間違いが生じたのだと考えている。


1. 黒い髪・青い瞳のスペインの洞窟人の謎

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image credit:The Guardian

 2006年、北西スペインの洞窟の奥深くから2体の遺骨が見つかった。両方とも7000年以上前の中石器時代人の男性で、30代くらいのふたりの骨は良好な状態だったが、有効なDNAはひとりの臼歯からしか採取できなかった。

 その結果は、進化に関するこれまでの定説がくつがえされてしまった。

 ゲノム解析によって再現されたその男性の顔は驚くべきものだった。浅黒い肌、黒い髪なのに、瞳はブルーだったのだ。彼は現代ヨーロッパ人だと考えられていたため、もっと白い肌をしているはずで、これは珍しいことだ。

 思いがけない目の色は、ブルーへの変異が肌の白さへの変異よりも前に起こったことを示している。これまでは、この変異の順番は逆だと思われていた。

 彼は別の謎も解消した。のちに農民が誕生したとき、ほかの動物の病原体から身を守る必要が出てきて、免疫システムが急に発達したと研究者たちは考えていた。しかし、狩猟採集生活をしていた中石器時代人は、すでに身を守る術をもっていたのだ。

 今日、遺伝子的に彼らにもっとも近い人種は、スウェーデン人やフィンランド人だ。
http://karapaia.com/archives/52235294.html

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【衝撃】青い目の人間は、たった1人の共通祖先を持っていることが判明! 遺伝子HERC2の突然変異がもたらした神秘 2017.09.29
http://tocana.jp/2017/09/post_14583_entry.html


 世界中にいる青い瞳を持つ人々は皆、6000年ほど前に黒海周辺で暮らしていた、たった一人の人間の子孫であることが判明したという。英紙「Independent」の記事に反響が広がっている。


■瞳の色はどうやって決まるのか?

 ご存じの通り、世界には日本でもおなじみの黒や茶色から青や緑など、さまざまな目の色をした人間がいる。目の色を決めるのはメラニン色素の割合といわれ、メラニンの量が多い順に、虹彩の色は黒、茶色、緑、青になる。

 本来、人間の瞳の色はブラウンのみだったというが、ある突然変異が原因で青い目を持つ人々が生まれるようになった。それはHERC2という遺伝子上の、ほんの一塩基に生じた変異である。HERC2遺伝子は色素生産に関わるOCA2遺伝子の調整役を担っている。OCA2は目や毛髪、皮膚のメラニン生産に関わっていることで知られている。アルビノ(先天性白皮症)の原因となる遺伝子の一つでもある。

 変異を持ったHERC2遺伝子はOCA2の働きを妨げ、虹彩にメラニンの黒い色素ができないようにし、瞳の色を青くする。ヨーロッパ系で青い瞳を持つ全ての人々は、このほんの一箇所の遺伝子変異を持っているという。

 そして驚くべきことに、この変異は1万〜6000年前に黒海周辺で生まれた、たった一人の人間に由来しているという。その人間こそ、青い瞳を持つ全ての人々の遠い遠い祖先なのだ。

■お酒の強さで祖先がわかる?

 さて、DNA上のたった一箇所の遺伝子変異が、見た目や体質に大きな影響を与えているケースは他にも多数ある。日本で有名なのは、2型アセドアルデヒド脱水素酵素(ALDH2)の例だろう。

 ALDH2は体内でアルコール代謝に関わっており、ほんの少しの遺伝子上の違いがアルコールに強いか弱いかを決めている。アルコールは肝臓で有毒なアセトアルデヒドに変化し、さらに分解されて無害な酢酸に変わる。ALDH2に遺伝子変異が起こっていると、アセトアルデヒドの分解に時間がかかる。ほんの少しお酒を飲んだだけで赤くなり、頭痛や吐き気などを催すのは、体内に生じたアセトアルデヒドの毒性によるものだ。

 お酒の飲めない、俗に言う下戸タイプの遺伝子変異を持つのは、日本人を含むアジア系の人種のみといわれており、白人や黒人はほぼ全員がアルコールに強い酒豪の遺伝子を持つ。逆に酒に弱くなる遺伝子変異は日本を含む東アジア地域で見られ、おそらくは2〜3万年ほど前に中国南部地域で生じたのではないかと推測されている。


ALDH2遺伝子変異の分布。円グラフ上で薄緑・緑色で示されているのが下戸の遺伝子を持つ人の割合。
http://tocana.jp/2017/09/post_14583_entry_2.html


 酒の弱さは日本人の民族的特徴ともいわれている。遺伝子は両親から一つずつ伝えられるが、酒に弱い遺伝子を少なくとも一つ持つ日本人は全体のおよそ40%とされる。そして、日本人のおよそ5%は“下戸タイプ”の遺伝子しか持たないとされる。なお、そのような「真の下戸」は飲酒を楽しむことができない。酒で気持ち良くなるより先に、眠気や頭痛、吐き気などに襲われてしまうからだ。

 青い目や酒を受け付けない体質だけでなく、耳垢の乾湿や髪の毛の太さなども、たった一箇所の遺伝子変異がもたらした変化である。最近では遺伝子変異の地域的な分布や系統樹を追うと、その発祥の時代や場所がわかるようになってきた。体質や見た目から自分の祖先をたどり、その歩みを想像するのもまた一興である。
(吉井いつき)

参考:「Independent」、「Business Insider」、「Science Daily」、ほか
http://tocana.jp/2017/09/post_14583_entry.html


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青銅器時代のスコットランドの女性、移民の子孫と判明 DNA分析
2018.12.04 Tue posted at 17:11 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35129613.html

DNA分析で復元した青銅器時代のスコットランドに住んでいた女性の容姿/Hew Morrison
https://www.cnn.co.jp/photo/l/863487.html


(CNN) 4250年以上前に英スコットランドで死亡した女性の遺骨について、調査に当たる考古学者のチームは4日までに、欧州大陸からの移民の子孫のものであることが判明したと発表した。DNA分析で明らかになった。

遺骨はスコットランドのケイスネスにある遺跡で1987年に見つかっていた。

研究論文の筆頭著者であるマヤ・フール氏によれば、「エバ」と名付けられたこの女性は、黒髪と茶色の瞳を持ち、肌の色は現在南欧に住む人々に近かった。

これまでは赤毛に青い瞳の女性として描かれてきたが、法医学の専門家の描写で、より正確な顔の復元を生み出した。

DNA分析はハーバード大学医学大学院とロンドン自然史博物館の研究者が実施。スコットランドの学会誌に結果を発表した。

これによれば、エバは若い頃に病気を患ったものの、回復して活動的な生活を送るようになった。身長は非常に高く、牛の骨と一緒に埋葬されていたことから、牛の飼育に従事していたことがうかがえる。


従来の研究では、赤毛に青い瞳の女性だったと考えられていた/Hew Morrison
https://www.cnn.co.jp/photo/l/863488.html


生きていた時代は初期青銅器時代で、従来の推定を若干さかのぼる。死亡時には18〜25歳だった。

数世代前に北欧からスコットランドへの移住の流れがあり、エバの家族もその一員として移住していたとみられる。

共著者のトム・ブース氏によれば、以前のDNA研究で既に、紀元前2500年前後に欧州大陸から大規模な人の移動があり、一帯の人口構成や文化を変化させたことが分かっていた。


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2014/01/27(月) 【AFP=時事】
約7000年前にスペインに住んでいた狩猟採集民のDNAは、欧州人が従来考えられていたよりはるかに最近まで浅黒い肌をしていたことを示唆しているとの調査報告が26日、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された。


北アフリカ地域の狩猟採集民、木の実を食べて虫歯に 研究

 スペインの進化生物学研究所(Institute of Evolutionary Biology)などの研究チームが発表した論文によると、

スペインにある深い洞窟系で発掘された「ラブラナ1(La Brana 1)」と呼ばれる古代の男性の骨格の歯から採取した遺伝物質を調べたところ、浅黒い肌に青い瞳という珍しいな組み合わせが明らかになったという。


 ラブラナ1が生きていた、1万年から5000年前の中石器時代の欧州人は、その高い緯度から紫外線レベルが低く、すでに白い肌をしていたと考えられていた。

 論文の共同執筆者の1人、進化生物学研究所のカルレス・ラルエサフォックス(Carles Lalueza-Fox)氏は、AFPの取材に

「これまで、欧州地域では白い肌の色がかなり早期に、後期旧石器時代には進化していたと考えられていたが、これは明らかに事実と異なる」

と述べる。

「この個体は、色素沈着遺伝子にアフリカ系の変異を持っていた」

 後期旧石器時代は今から5万年前〜1万年前までで、その後の中石器時代は約5000年前まで続いた。

以降、欧州では新石器時代に入る。


今回の研究をみる限り、肌の白い欧州人は、以前考えられていたより「かなり後」に、おそらく新石器時代になってからようやく現れたとラルエサフォックス氏はみている。古代の狩猟採集民は新石器時代に農耕民になった。

 こうした生活様式の変化で食生活が変わり、ビタミンDの摂取量が減少したことも関係しているかもしれないと同氏は指摘する。

 天然のビタミンDが欠乏すると、人間の皮膚は太陽光線に当たることで自らビタミンDを作り出すことができる。

浅黒い肌では白い肌より合成する量がかなり少ないため、このことが白い肌に変化するための進化の誘因となったとされる。


■現代欧州人では見られない「組み合わせ」

 ラルエサフォックス氏の研究チームは、ラブラナ1で青い目と黒い髪の遺伝因子も発見した。

 肌の正確な色合いまでは判別できないが、青い目との組み合わせは今日の現代欧州人では見られないものだと研究チームは指摘する。

 人類の最古の共通祖先は浅黒い肌をしていたが、アフリカを出て北方の太陽光が少ない寒冷な気候の地域に移動するにつれて肌の色が白くなったという説は広く受け入れられている。

 そしてその後の民族移動と混血によって、現代人が持つ様々な肌の色合いが生じた。

 ラブラナ1は、ゲノム(全遺伝情報)が完全に解読された最初の欧州の狩猟採集民だ。

現代人との比較調査では、スウェーデン人やフィンランド人などの北欧人種と最も高い関連性を持っていることが分かった。

 またラブラナ1は、その後の人類が獲得したような、ミルクやでんぷんを容易に消化できるようにする遺伝子変異をまだ獲得していなかったことも、この調査で明らかになった。こうした適応は、 新石器時代の農業の誕生と同時期に発生したと思われる。

 ラブラナ1のゲノムの特徴が実際にどれほど広範囲に及んでいたかを判定するには、さらに多くの中石器時代人のゲノムを解析する必要があると論文の執筆者らは述べている。【翻訳編集】 AFPBB News(終)

AFP=時事 1月27日(月)14時19分配信
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1390802317/

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ヨーロッパ諸語のルーツは東欧。DNA分析で判明 2015.03.06

論争が続く英語を含むヨーロッパ諸語の起源。論争に終止符を打つ新発見となるか


4500年以上前にドイツ中部で埋葬された男性の人骨。
この後、東欧から移住した考えられる集団とは、共通の祖先を持たないことがわかった。(PHOTOGRAPH BY JURAJ LIPTAK, LDA SACHSEN-ANHALT)


 ヨーロッパ大陸全域で話されている言語のルーツはどこにあるのか。

このほど行われたDNA分析で、約4500年前、現在のロシアとウクライナにまたがる草原地帯から移動してきた牧畜民が使った言語がルーツとする説が発表された。

 長く狩猟採集が続いた先史時代のヨーロッパで、農耕が始まったことは画期的な出来事と位置付けられている。ヨーロッパでの農耕は、東方の農耕する集団がヨーロッパへ移動したことから始まったとされる。

 ところが2015年3月2日、科学誌「ネイチャー」に、ヨーロッパへの集団の大移動は1度だけではなく、2度あったとする研究論文が発表された。この説では

最初の集団の移動は新石器時代に現在のトルコにあたるアナトリアからのもの

そして第2波は4000年後、現在のロシアに当たるステップ地帯から中央ヨーロッパへの大移動だったという。

そして英語を含むヨーロッパ言語の基礎になったのは、ステップ地帯から移動した集団がもたらした言語だというのだ。

 論文の共著者で、ハーバード大学医学大学院の遺伝学者ヨシフ・ラザリディス氏は、

「ヨーロッパに最初にやってきた人々は狩猟採集民でした。
そこへ農耕民がやってきて狩猟採集民と混ざり合いました。
その後、東から新たな集団がたくさん移動してきたのです」

と語る。

 今回、第2の大移動があったことが明らかになったのは、ラザリディス氏らの研究チームが現代ヨーロッパ人の起源を解明しようと、ヨーロッパの古代人69人の骨から採取したDNAを調べたことがきっかけだった。

標本となった古代人の人骨は3000〜8000年前までと幅広いもの。
標本同士だけでなく、現代ヨーロッパ人との間でもDNAが比較された。


 調査の過程で、古代の狩猟採集民と新石器時代に流入した農耕民の痕跡が見つかった。

これは、これまでの説を裏付けるもので、予想通りだった。

ところが彼らを驚かせたのは、約4500年前、ロシアとウクライナにまたがる平地や草原からの大集団が移住したことを示す痕跡が見つかったからだ。

予想だにしない結果だった。


ヨーロッパへの集団移動は2段階

 数千年間、狩猟採集民の小集団が暮らしていたヨーロッパ大陸に、初めて変化が起こったのは、約8000年前のこと。

アナトリアから北上した農耕民が、新しい技術と生活様式をヨーロッパにもたらし、現在の定住生活の基礎を築く。考古学者の間では、この出来事を「新石器革命」と呼んでいる。

 その数千年後に、再び外からヨーロッパ大陸に人類の大移動があったことを決定づけたのは、ある2つの集団の DNAに多くの共通性が見られたため。

1つは黒海の北岸で見つかった5000年前の人骨で、考古学で「ヤムナ」と呼ばれる集団に属するものだった。

もう1つは、約4500年前に現在のドイツ中部ライプチヒ近郊で葬られた4人の人骨だ。こちらは「コーデッドウェア文化」に属する人々だった(「コーデッドウェア」とは、ヨーロッパ北部で広範囲にみられる当時の土器の特徴的な文様のことで、それにちなんでこう呼ばれる)。

 ヤムナ文化に属する集団と、コーデッドウェア文化に属する集団の間には、500年の開きがある。さらに地理的にも1600キロは離れている。それにもかかわらず、両者は判明できた部分で75%(おそらくは100%)共通の祖先をもつと考えられたのだ。

論文の著者の1人で米ハートウィック大学の考古学者デビッド・アンソニー氏は、「両集団の間には、直接の遺伝的関連がみられる」と話す。「控えめに言っても、近い親類だということです」

 そして、着目すべきは、コーデッドウェア文化に属する人のDNAが、それより数千年前の現在のドイツにあたる地域に暮らしていた農耕民の DNAと共通性が認められなかったことのほうだろう。

つまり、これは過去に「侵略」と言ってもいいほど劇的なヨーロッパへの流入があったことを示す証拠だ。

「集団が丸ごと入れ替わったと言っても過言ではない出来事だったのではないでしょうか」

とラザリディス氏は考えている。


ルーツ論争は決着か?

 今回、遺伝学から示された「ステップ地帯からヨーロッパへの大規模な移動があった」という事実は、言語学者や考古学者の間でインド・ヨーロッパ諸語の起源をめぐる論争を再燃させるだろう。

インド・ヨーロッパ諸語には400以上の言語が含まれ、英語、ギリシャ語、アルバニア語、ポーランド語といった現代の言語から、ラテン語、ヒッタイト語、サンスクリット語など古い言語まで数多い。

 言語学者らは、すべてのインド・ヨーロッパ諸語の生みの親であるインド・ヨーロッパ祖語が最初に話されていた場所をめぐり、数十年もの間も議論してきた。

「アナトリア仮説」派は、1万年前かそれ以前に現在のトルコに住んでいた農耕民が最初にインド・ヨーロッパ語を話していたと主張する。紀元前6000年ごろ彼らがヨーロッパにたどり着き、言語もそのときに流入したというのだ。

 対する「ステップ仮説」は、黒海とカスピ海の北に広がる広大な平原をインド・ヨーロッパ祖語の生まれた土地と考える。

アンソニー氏は、この地に車輪が伝来して「ステップ地帯の経済に革命を起こした」と話す。この説を支持する人々は、多くのインド・ヨーロッパ諸語で「車軸」(axles)、「(家畜に荷車を引かせる棒)ながえ」(harness poles)、「車輪」(wheel)といった単語が共通していると指摘する。どれも、ヨーロッパで新石器革命が始まってからずっと後に考案されたものだ。

 だが、どちらの説も決定的な裏付けがなく、議論は長いこと前進していなかった。そんな中、今回の研究成果は両者の勢力図を変えるかもしれないと多くの研究者が考えている。ステップ仮説に説得力を持たせるのに必要な移住の証拠がつかめたからだ。

 とはいえ、これでインド・ヨーロッパ諸語のルーツをめぐる論争に決着がついたとはいえない。まだ説を補強しなくてはいけないことも多いからだ。

確かに、遺伝学と言語学のデータは、インド・ヨーロッパ祖語が約4500年前にステップ地帯を経てヨーロッパに入ったという説を支持するものだ。だが、バルセロナ大学の遺伝学者カルレス・ラルエサ=フォックス氏によれば、

「祖語の最も古い系統がどこで生まれたのかは、依然としてはっきりしない」

だという。同氏によれば、インド・ヨーロッパ祖語発祥の地は、さらに別の地域かもしれず、ステップ地帯は源流の言語が南欧、イラン、インドなどに入った複数のルートの一つにすぎない可能性もあるという。

 今回の研究論文を発表した著者らも、その点は認めている。しかし、彼らの主張は揺らいでいない。ラザリディス氏は

「ステップ地帯がインド・ヨーロッパ諸語の唯一の発祥地かどうかは不明だ」

としながらも、

「この地域についてもっとデータが集まれば、多くの疑問に答えられるはずだ

」と強調した。


4000年以上前にドイツで埋葬された若い女性の人骨。DNAを分析したところ、東欧から移住してきた牧畜民との関連が強いことがわかった。
(PHOTOGRAPH BY LDA SACHSEN-ANHALT)

文=Andrew Curry/訳=高野夏美
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/


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コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/


  コーカサス地域は最古の民族ともいわれるアルメニア人やスターリンの生まれたジョージア(旧グルジア)人が居住する地域です。

アルプスで発見されたアイスマンのY-DNAが「G」であることから、アイスマンの先祖の発祥の地はコーカサスだろうと言われています。 5000m級のコーカサス山脈が中心に位置する高度の極めて高い土地になり、恐らくアイスマンの系統は同じ高度地域のアルプスに移動してきた可能性があります。

  バルカン半島と同様に、多民族、多言語、複数の宗教が交錯する地域になります。

そして古代遺伝子のY-DNA「F」から初期に分化したコーカサス遺伝子のY-DNA「G」、 次の世代でクロマニヨン人/ノルマン・バルカン遺伝子のY-DNA「I」、メソポタミア農耕民・セム族遺伝子のY-DNA「J」が恐らく分化発祥した地と考えられています。

  少し時代が下がると、欧米の主要遺伝子であるY-DNA「R1a」と「R1b」が移動を開始したときに「R1a」は恐らく黒海の北方から南下し、 「R1b」はカスピ海南岸/イラン北部あたりから北上しコーカサスに入ったと考えられているようです。

  イラン人のペルシャ帝国、テュルク語族のチムール帝国、セルジュクトルコ帝国やモンゴル族が後代に覇権を握り、テュルク語族のオスマントルコ帝国解体後は ロシア更にソ連が支配者となり、ソ連の解体後ロシア内に留まった地域と独立した地域に分かれています。

  この地域の複雑に加え、国境を接するトルコやイランそして独立国を持てなかった最大の民族クルド人がこの地域をますます複雑にしています。   それでも混沌の国インドに比べれば大した民族数・言語数ではありませんが、宗教が加わり少なくともバルカン半島並みの複雑さになっています。   

しかしバルカン半島は民族の人口が比較的大きく、それなりにまとまっているのですが、コーカサスは数千人程度の人口の民族(部族程度か)も 多く、高度の高い地域で隔離され孤立し希少民族化してきたような様相を示しています。


  Y-DNA調査では2001年のWells論文が最も古く、まだ亜型名が確立する前で分類に若干疑問が残るのですが、 2004年にNasideらがWellsデータを改めて見直し亜型名に当てはめたため、Wells論文は使えるものになりました。

民族としてはルトゥール人(Rutulians)のように狭い地域に局在している民族もあれば、 チェチェン人(Chechens)のように複数の地域にまたがって居住している民族もあります。 スヴァン人のように1種類の遺伝子亜型が大多数を占める民族もあれば、複数の遺伝子が拮抗する民族もあり、 民族の成り立ちが単純ではないことを調査の結果は示しています。

  おそらくコーカサスの歴史に相当精通していても、遺伝子の流れを説明・解明するのは難しい気がします。 当ガラパゴス史観も以前集めた論文を再度読み直して今回Y-DNAの亜型分布を提供しますので、本サイトをご覧になった方は、自分なりのコーカサス民族の動きを、 コーカサスの歴史と併せて構築してみて下さい。


コーカサスは山岳地帯を中心に 西は黒海、東はカスピ海に挟まれた独特の地域になります。

ノアの箱舟のアララト山は上図左のTurkeyの国名のすぐ右そばになります。

原始キリスト教の7つの教会は全てアナトリアにありましたが、40年前にその中の1つをイスタンブール駐在時代に訪れています。 いまはイスラム教のアナトリアですが、実はキリスト教の確立した重要な土地でもあるのです。


・上図左は、国名とロシアの地方名が分かります。Wikipediaから拝借しました。

・上図右は、このY-DNA調査の代表的な民族の調査地域を表しています。論文から拝借しました。

・下図左は、民族と言語の分布図ですが、興味のある方はWikipediaの原本をご覧ください。
  
・古代遺伝子の1つであるY-DNA「F」は、インド亜大陸で現代文明人の大半を占めるY-DNA「G」以下の全ての遺伝子を分化させる基礎を築きました。
  
・この地からY-DNA「G」はコーカサスに移動し古くはアルプスで発見された「アイスマン」、近代ではソ連の「スターリン」を生み出しました。
  
・「F」は「G」と「HIJK」に分化し、「HIJK」は更に「H」と「IJK」に分化し、「H」はインド亜大陸に居住したようですが、インド亜大陸では主役になれず、一部はジプシー化しました。
  
・またコーカサスは、「IJK」からY-DNA「I」,「J」と「K」が分化したのではないかと考えられています。
  
・Y-DNA「I」は、後にクロマニヨン人となり、さらにバイキングのノルマン系「I1」とバルカン系「I2」を分化させました。
  
・Y-DNA「J」は、後にセム系の「J1」とメソポタミア農耕民系の「J2」に分化し、「J2」は「G」と共に肥沃な三角地帯に移動しメソポタミアに農耕文明を興したようです。
  
・「K」はさらに「LT」と「K2」に、「LT」は「L」と「T」に分化し、「L」はインダス文明系のちにドラヴィダ人を形成したと考えられています。
  
・「T」はアメリカ第三代ジェファーソン大統領の遺伝子です。
  
・「K2」からシベリア・ウラル系遺伝子「N」、極東系遺伝子「O」、インディオ系遺伝子「Q」そしてインド・アーリアン系遺伝子「R」が分化し、      

「R1」からインド・スラブ系遺伝子「R1a」とケルト・ゲルマン系遺伝子「R1b」が分化しました。


結果をまとめて見ました。古い遺伝子頻度の高い順に主要な民族をご紹介します。

  
2001年頃のWellsの論文から2011年の比較的新しい論文まで新旧データが入り混じっていますが、他に参照できるデータもないのでそのまま強引にご紹介します。

  この地域はアレキサンダー大王の古くから各帝国が占領してきており、どの遺伝子がどの時代から居住していたのかはなかなか難しい問題ですが、

Dagestan のギリシャ語を話す集団はアレキサンダーの一団の末裔と考えれているようです。

モンゴル帝国のY-DNA「C」も占領軍の末裔としてカルミーク(Kalmyk)人に残っています。

  ペルシャ帝国時代のイラン系も存在し、インド・スラブ系の「R1a」は「R1b」と分化し移動を開始した古代系の末裔と、近代ソ連人の系統が混じっているはずです。

またゲルマン民族の大移動を行ったY-DNA「R1b」のケルト・ゲルマン系の末裔がロシアのバシキール(Basikir)人やバグバラ(Bagbalal)人やテュルクメン(Turkmen)人として残っています。

「R1b」は恐らくアナトリアから更に南下しアフリカ大陸に入り、チャド語系の民族を形成し、その移動の事実はアフリカ神話にも残っています。


  古代人の移動は、出アフリカによるホモサピエンスの大移動、Y-DNA「Q」の出シベリア後のアメリカ大陸の北南縦断の大移動、オセアニア集団の東南アジアからの出アジアなど 国境が制限している現代社会からは想像も出来ないほどダイナミックで広域なものでした。

  それほど古くは無くてもシベリア系遺伝子Y-DNA「N」のシベリア大陸横断によるウラル化があります。

  我々現代人は民族、言語、風俗習慣など国境が確立されてしまった環境の中で生きているため、人々の違いに敏感ですが、 実はネアンデルタール人とホモサピエンスの交配による遺伝子の受け継ぎの事実など、 古代に遡れば上るほど人々は違いを越えて交配しあい、新しい土地で新しい遺伝子が分化してきているのです。


1.スヴァン人(Svans)

  アルメニア人が世界最古の民族と言われていますが、遺伝子調査の結果だと 古代遺伝子の1つであるY-DNA「F」の頻度が高い、スヴァン(Svan)人やルトゥリア(Rutulian)人のほうが古いかもしれませんね。

  スヴァン人はジョージア(グルジア)とロシアの国境のグランドコーカサス山脈の南山麓に居住しています。 要する「G」によって標高の高い土地に追い出されたと考えられます。

  同じ古代遺伝子Y-DNA「D」頻度の高いチベット人がY-DNA「O3」にチベット高原に追い出され、 最極東の日本列島に同じ「D」縄文人が残ったように。僻地に古代が残る例のような気がします。


2.ルトゥリア人(Rutulians)

  ロシア・ダゲスタンのグランドコーカサス山脈の北山麓の狭い地域に局在しています。
「G]の頻度も高いので「G」の拡張に伴い「G」が入り込んできたようです。


3.アバジニア人(Abazinians)

  スヴァン人のすぐ北隣、グランドコーカサス山脈の北山麓に居住しています。

元は同じ集団だった可能性もあります。

「F」と「G」が同程度なので、「G」の拡張で入り混じり民族が分かれたのかもしれません。

「R1a」も多いのですが後世のスラブ系なのか、 インド・アーリアンがインドに移動する途中で留まった系統なのかは、もっと調査が進み子亜型/孫亜型などがはっきりしてくると解明されるはずです。
また少数ですがモンゴル帝国の名残のY-DNA「C」も残っています。


4.シャプスグ(Shapsugs)人

  最もY-DNA「G」頻度の高い民族ですが、現存人口約8000人の半数以上は現在イスラエルに居住しています。つまりユダヤ教徒になります。

ロシアのAdygeiに残りは居住しているようですが、こちらはスンニ派イスラム教徒だそうです。


5.オセット人(Ossetians)

  コーカサス紛争で話題になるオセット人は調査地域によって出現頻度がかなり変わります。東方正教会(Eastern Orthodox)もあればスンニ派イスラム教もあります。 遺伝子の地域差が大きく、Y-DNA「I」や「J2」が多い地域もあれば、「F」が多い地域もあり、 古代から紛争の中心地であり、遺伝子が入り乱れてきたことが十分に推測できます。


6.アルメニア(Armenians)人

  調査により大きく出現頻度が変わります。

WealeのデータはY-DNA「G」が基本で、そこにY-DNA「R1b」が交配している結果が見事に出ていますが、 他の論文では、「J2」、「I」や「R1a」が主要遺伝子になっています。

アルメニアもオセット同様古代から戦争や紛争の土地であったことが読み取れます。


7.ジョージア(グルジア)人

  スターリンの出身地ですが、Y-DNA「G」にY-DNA「J2」がかなり交配しており、メソポタミア農耕文明は「J2」と「G」によって興ったと考えられているので、 いずれにせよこのコーカサスの黒海沿岸の低地で農耕の芽が育ち、移動先の肥沃な三角地帯メソポタミアで農耕の花が開いたと考えるとありそうな話です。


8.チェチェン(Chechens)人

  チェチェン紛争で知られる民族ですが、Y-DNA「J2」と「J1」が主要な「J」遺伝子民族になります。
イスラム教ですが、どの宗派にも属さないムスリムも多く、 スンニ派のシャーフィイー学派もあり、なかなか難儀な土地のようです


9.アゼルバイジャン(Azerbaijanis)人

  カスピ海沿岸の低地に望むコーカサス一帯では最も平地の多い土地になります。
そのためかメソポタミア農耕民系遺伝子のY-DNA「J2」が主要遺伝子になっています。


  10.クルド(Kurds)人

  オスマン帝国の解体後に一時期クルディスタン王国が、戦後一時期クルディスタン共和国ができたが、いずれも大国の思惑で瞬間的にできた国家で終わってしまいました。

遺伝子的にはトルコ国内に包含される本家クルディスタンのクルド人の調査結果がないため主要遺伝子が何なのかは残念ながらわかりません。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/


▲△▽▼


新石器時代の人間の骨からペスト菌、人口激減の謎解明か スウェーデン
2018.12.10 Mon posted at 16:01 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35129877.html

新石器時代の女性の骨から記録上最古のものとなるペスト菌が検出された/Karl-Göran Sjögren, University of Gothenburg


(CNN) スウェーデンの研究チームがこのほど、5000年前に死亡した20歳の女性の遺伝子素材からこれまで知られるなかで最古となるペスト菌のサンプルを発見したとする論文を学術誌に発表した。

今から5000〜6000年前、新石器時代の欧州の農耕社会は劇的な人口減少に見舞われたが、その原因については現在に至るまで決定的な答えが出ていない。今回のペスト菌の発見により、疫病の流行が原因の一部だった可能性が浮上した。

上記の20歳の女性は、スウェーデン南部にある墓の中で、同時代ごろを生きた78人とともに埋葬されていた。別の人物からも同じペスト菌が検出されたため、研究者らは当時伝染病が流行していたとの見方を示している。

従来、欧州におけるペストはユーラシア・ステップと呼ばれる地域からの移住者が持ち込んだ疫病と考えられてきた。ユーラシア・ステップは現在のハンガリーから中国にまでまたがる広大な草原地帯で、ここからの移住者がその後新石器時代のコミュニティーに取って代わったとみられている。

しかし今回の発見により、ペストが北欧へ到達したのはユーラシア・ステップからの移住が起きた時期をはるかにさかのぼる可能性が出てきた。研究者らはヒトがかかる疾患としてのペストの起源はおよそ6000年前、人口1万〜2万人の「巨大集落」がつくられ始めたころだと論じている。不衛生な環境や人口過密の状態、動物の存在などを通じて、ペストが危険な疫病へと進化した可能性があるという。

ペストによって新石器時代のコミュニティーの人口が激減したところへユーラシア・ステップからの移住者が流入し、欧州全域で暮らすようになった。以後、欧州に住む人々の遺伝子構造はこれらの移住者のものへと変化したと、上記の論文は分析する。

論文の筆頭著者を務めたコペンハーゲン大学のシモン・ラスムセン准教授は、ペストの流行が石器時代の社会を崩壊させ、その後の大量移住で現代のヨーロッパ人の遺伝子が生み出されたと結論した。


▲△▽▼


ゲルマン人の大移動をゲノムから調べる
西川伸一 9/27
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/


ゲルマン人が形成したロンゴバルド王国の首都パヴィーア(写真:アフロ)


恐らく高校生の時だと思うが、西ローマ帝国の没落と同時に、多くの民俗がヨーロッパに相次いで移動し現在のヨーロッパ人が形成される事を学んだ。この最初がゲルマン人の移動で、ゴート、フランク、ブルグンド、ロンゴバルドなどの王国が形成される。私達がアングロサクソンと呼ぶのはこの系統だ。一方、それ以前の住民には当然ローマ帝国を代表する南の人たちの系統が存在し、私達がラテン系と呼んでいる人と考えればいい(この考えは検証したわけではなく私が勝手に想像していると理解してほしい)。この時代のことは、ローマ側から見た記録と、あとはさまざまな遺物から検証されているが、ゲルマン人側からの詳しい記録はそれほど多くないようだ。従って、特に侵入初期のゲルマン人の生活については、他の資料からの考察が求められていた。

今日紹介する米国ストーニーブルック大学、イタリアフィレンツェ大学、ドイツマックスプランク人類史研究所が合同で発表した論文は、ロンゴバルド王国がハンガリーから北イタリアにかけて形成される過程での民族間の交流を、ロンゴバルド王国の身分の高い戦士とその家族が代々葬られた墓から出土した遺骨のDNAを解読することで明らかにしようとした研究で、9月12日Nature Communicationsに掲載された。タイトルは「Understanding 6th-century barbarian social organization and migration through paleogenomics (6世紀の蛮族社会構成と移動を考古ゲノミックスから理解する)Nature Communications 9, 3547 :https://www.nature.com/articles/s41467-018-06024-4)。

まず読後の印象から始めたい。これまで古代人のゲノム解析の論文を多く読んで来たが、この研究は考古学的な検証とゲノム解析の両方を丹念に対応させた総合的な考古学の論文で、読んでいて高校時代に学んだ歴史を思い出すとともに、この墓に葬られている家族の有様がありありと浮かんでくる大変興味深い論文だった。

ロンゴバルド王国は現在の東ヨーロッパにあるローマ統治地区パンノニアのゲルマン人が、北イタリアからハンガリーにかけて築いた大きな王国で、パヴィーア(写真)を首都にしていた。この研究ではロンゴバルド王国の両端に位置する、ハンガリーのソラッドと北イタリアのトリノに近いコルレーニョの2箇所に残る、王国成立初期のゲルマン人の大きな墳墓を考古学的、ゲノム科学的に調べている。

墓に残る副葬物を調べることで、この墳墓に家族の中心人物から、言って見れば庶子のような家族の中でもあまり尊重されていないメンバーまで、一族として葬られていることがわかる。そして、葬られた本人の重要性に応じて階層的に埋葬されている。今回ゲノム解析から、葬られているメンバーが一つの家族であることがハッキリと確認された。

重要なのは、 考古学的な検証から判断される家族内の序列が、それぞれの個体が引き継いでいるゲルマン系のゲノムの割合で概ね決まっている点だ。こうしてわかってきた序列から脚色を交えて、次のように話を纏めることが出来るだろう。


ロンゴバルド王国成立過程で、侵入したゲルマン民族はラテン系のローマ人を征服し、ラテン系の女性を家族として迎えるようになる。しかし同じ家族でも、多くの場合ラテン系の血を多く受け継ぐ家族は差別されていることが、副葬品の有無や墓の中心からの距離などからわかる。なかには特に愛されたのか、ラテン系の女性とその子供の中には副葬品と共に葬られている例外も存在する(愛は民族を超える!)。

ゲルマンとラテンの融合は、時間をかけて進んでいく。ソラッドでは中心部に埋葬される男性のほとんどがゲルマン系で、ラテン系は女性に多いことから、まさにゲルマンがラテンを征服した過程が、家族内にそのまま反映されている。一方コルレーニョになると、よりゲノムレベルでの多様性が増している。ストロンチウムの同位体を使って、葬られたメンバーがその土地で一生を過ごしたのか、他の土地からやってきたのかを調べることができるが、ソラッドではラテン系もゲルマン系もゲノムに関わらずこの土地で育ったのではなく移動してきた人たちだ。すなわち王国成立初期に、ゲルマンの戦士の家族がラテン系のメンバーを融合しながら、ソラッドに移動してきたことを示している。一方コルレーニョでは、ラテン系のゲノムを持つメンバーはほとんどコルレーニョ育ちの人たちだ。またゲルマン系も、世代が進むとコルレーニョ育ちであることが確認できる。すなわち、この地域ではゲルマン戦士家族の定着が進む過程を見ることが出来る。

私なりにだいぶ脚色してしまったが、考古学、アイソトープによる生活圏測定、そしてゲノムの各解析が見事に一致したエキサイティングな研究だと思う。そして何よりも書かれた歴史が存在する有史時代でも、ゲノムも加えた総合的研究が今後ますます重要であることがわかる。これまでのように、遺物の解析からあとはすぐ想像の世界に入るのではなく、より厳密な考証が可能になってきた。

文理融合の掛け声倒れの我が国を残して、世界の歴史学は随分先に行ってしまった気がする。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/

▲△▽▼

次の記事はいい加減な話なのですが、面白かったので一応転記しておきます:


2018年08月20日
アーリア人による侵略の歴史と現在〜混血で同化回路が失われる〜
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/08/7976.html


アーリア人とは、西洋人の祖先、広くはインド・ヨーロッパ語族の民族に共通する祖先と言われている古代の種族で、世界史の教科書では、インダス文明に侵略し滅ぼした民族と記されていることもしばしば。

アーリア人は超古代にエジプト→メソポタミア→インダス→中国と侵略を重ねそこで他民族と混血していった。それが、言葉の作り、文型が同じとなっている理由として指摘できる。インドヨーロッパ語族も中国語も、みな主語+動詞のSV、SVC、SVOで構成されている。それだけでなく、脳構造も同様になっている。

実は、古代のアーリア人により侵略との相似が、近現代にも起こっている。南北アメリカ大陸では西洋人あるいはスペイン人やポルトガル人が、アジア諸国のタイ・フィリピン・ハワイ・オーストラリアなどではイギリス人が、アーリア人という名前に代わっただけの侵略が繰り返されてきた。

そして今、日本でも同じことが繰り返されようとしている。移民(=観光客招致という触れ込み)で、あらたなるアーリア人による侵入が行われている。


以下、

井口和基氏のブログ
https://quasimoto2.exblog.jp/238706176/

より引用します。(文字の着色は引用者による)


(前略)かつて私がアメリカに留学した頃、仲の良い長身のアマゾネスのような金髪碧眼のアメリカ人女性がいたが、彼女から「あんたは(白人とは)目だけが違う」と言われたのであった。確かに目だけはチンギスハン型の腫れぼったい目というやつだった。モンゴル人の目。

ちなみに西洋人になぜモンゴル人が嫌われるようになったか?については諸説あるが、一番はチンギスハンによる蒙古襲来の記憶。そして、西洋人がキリスト教を信じるようになって、いわゆる「悪魔の目」をその東洋人型の目に描くようになったからである。

万物を見通す目=イルミナティーのシンボルマークは、古代エジプトのイシス神の目、それがホルスの目になり、最終的には悪魔主義者の目、イルミナティーのシンボルマークになったものであるが、もともとは古代エジプトの神々の目から来たわけだ。

ところが、古代エジプトでもアーリア人の侵入の3000年前以前の超古代エジプト人は人種がアジア系、というより、我が国で言えば縄文系に近い人種であった。だから、ルクソールの巨石、カルナック神殿の神々はみな日本人のような体型と顔形をしているわけである。

超古代ミステリー5:世界の謎の碑文は神代文字で読めるのだ!つまり日本語だった!

それがアーリア人の侵入支配の後にはいわゆる西洋人型のクレオパトラのようになった。

ちょうどアメリカ大陸が古代アメリカはアジア人型のネイティブインディアンやインディオが住んでいたが、そこにスペイン人のコルテスやピサロのような残忍な白人が侵入して支配した後では、現地人の顔形がすっかり変わってしまったというのと似ているのである。
同じことはヒマラヤの南、超古代インドでも起こった。西側からアーリア人がインドに侵入した。

これがインドにバラモン(=ブラフマン=金髪碧眼の人=アーリア人)が侵入した。いわゆるアーリア人の侵入という出来事である。3000年前のことである。

その結果、我が国の士農工商のように、カースト制度が生まれたのである。

とまあ、これはわざと士農工商とカースト制度を同列にする戦後の日本の自虐史観で書いたものだが、実際にはこれはまったく違うものであった。

我が国の士農工商はあくまで社会の職業上の区分であって、人種的なものではない。しかしインドのカーストは明確な人種差別のカーストであり、金髪碧眼種のバラモンことBrahman(ブラフマン)が一番上につき、その下にハーフ層。その下に土着人。そして一番下が最下層の貧困層というものである。

バラモン教というは単に当時のバラモン層が持ち込んだアーリア人の悪魔教(=拝火教)がベースになった。だから、悪魔教じゃだめだということで、バラモンからブッダが登場したのである。

中世近代になり、これと同じことが北中南米のインディオ支配で全く同じことが繰り返され、南米ではインドのカーストと同じことが今現在も残っているのである。アメリカもすでにそうなっているし、オーストラリアやニュージーランドは人種殺戮で原住民がまったく少なくなって絶滅危惧種になった。オーストラリア人となったアングロサクソン人が、現地人をハンチングで人間狩りを行ったからである。
ヒマラヤの北の中央アジアでもいわゆるトルコ経由、ウィグル経由で、アーリア人が侵入したのである。

これが「秦氏」の祖先であり、金髪碧眼種であった。秦の始皇帝の時代である。中国でも超古代中国と3000年前以降の古代中国とでは人種が全く違うのである。

ちょう古代中国では、日本で言う縄文系のアジア人が古代王朝、夏や殷(=商)を作っていた。殷(いん)は、沖繩や台湾と同相の文化を持つ。一言で言えば、超古代日本人の一派である。だから、その殷が最初にいわゆる「漢字」の祖先を生み出していた。つまり、「殷文字」である。

それが、周の時代にアーリア人の中国への侵入がはじまって、いわゆる「春秋戦国時代」になり、その後に、中国大陸はアーリア人に支配され、いわゆる「秦」(しん)が誕生し、後の「漢(かん)」へと変遷していく。

中国の歴史

ここに中国人化した(つまり、漢字を使う)アーリア人が誕生した。これが「あやひと=アーリア人」=「漢人」である。(「あやひと」については、ブログ1で検索)

KANOという台湾の野球映画があるが、その中で「漢人、萬人、日本人、漢人は力が強く、萬人は足が早い。日本人は守備に長けている」というセリフがあるが、漢人が力が強いというのは、これが原因なのである。

要するに、いわゆる中国人の代名詞である「漢人」というのは、白人種であるアーリア人を祖先に持つ混血アジア人のことである。

3000年前の中国の春秋戦国時代がなぜ起きたか?

これは、我が国において、なぜ戦国時代が起きたか?と非常によく似ているのである。

我が国でも戦国時代には西洋白人種が渡来してきて我が国を乗っ取りを計った。その中で、日本人同士で内部抗争させて有力な部族を殺し合いさせ、弱体化したところで、一気に外人が支配するという古典的手法が用いられた。そう考えるべきなのである。

これはすでに超古代エジプト、超古代インド、超古代中国、中世の南北アメリカ大陸、そして東南アジア、最終的に我が国日本まで続いてきたと見るべきなのである。

中国5000年の歴史というのは真っ赤な嘘で、中国には後半の3000年の歴史しかない。最初の2000年は縄文系のアジア人の時代であり、戦国時代以降の中国人とは体型も顔形も文化も歴史もまったく異なるのである。

中国人は足がすっとしている。

その理由はこれまで椅子とベッドの生活だからだというようなことがいわれたが、それは嘘で、実際には単にもともと西洋人型のコーカソイドの遺伝のせいなのである。だから、いまでも中国人の足には、西洋人同様に内股型やX脚が多いのである。

いまのアラブ人やエジプト人が、アラブ人化エジプト人化したアーリア人だとすれば、いまのインド人はインド人化したアーリア人であり、いまの中国人の漢人は中国人化アジア人化したアーリア人にすぎないのである。

だから、言葉の作り、文型が同じなのである。インドヨーロッパ語族。中国語。みな主語+動詞のSV、SVC、SVO。。。である。

言葉が同じなら、性格や特性もいっしょ。基本的に残虐である。

というわけで、この事実は公然の秘密になっている。

その後、近現代になって似たようなことが、南北アメリカ大陸ではアーリア人という名前ではなく、西洋人、あるいはスペイン、ポルトガルが、アジア諸国のタイ、フィリピン、ハワイ、オーストラリアなどでは、アーリア人という名前ではなく、西洋人、あるいはイギリス人という名前に変わって行われたにすぎないのである。

そしていままさに我が国で再び同じことが繰り返されそうとしている。観光客招致という触れ込みで、あらたなるアーリア人侵入が繰り返されるのである。


アーリア人は、3200〜3500年前に突如、中央アジアに登場したと言われており、出自が不明とされている。引用元では火星から来たエイリアンではないか、とも記されており、謎が多い。


(前略)歴史をよく紐解けば、約3000年ほど前、正確には3200年ほど前から3500年ほど前に突然中央アジア、ヒマラヤの北西部にアーリア人と呼ばれる人種が登場した。あるいは、もっと西の中近東のいわゆるシュメール文明の地にアーリア人が登場した。

アーリア人とシュメールの神話のニビルの神々とは非常によく似ているのである。Aryanアーリアンと英語のAlienエイリアン(=外人=異国人)とはほぼ同じ語源と見てよいだろう。なぜなら、古代ではrとlの区別やyとiの区別やbとVの区別はなかったからである。

Y遺伝子のハプロタイプ研究ではこのことははっきりでていて、A, B, C, D, E, F,…, O, P, Q, R,ときて、西洋人はRである。一方縄文系日本人がCおよびDである。チャイナ人やコリア人はOである。不思議なことに米インディアンはQである。つまり、フィンランドのラップ人=金髪碧眼のアジア人はおそらくPやQであり、その一派が北米に渡ったのだろう。

人類の「Y染色体」ハプログループ分布と「シッチンの人類創世説」に矛盾があるか?

ところで、一般の標準理論では、北南米のインディアンのルーツはアジアから渡ったと考えられているが、ハプロタイプを自然にみれば、北欧の原住民はラップ人のようなアジア系だったわけだから、古代の縄文系のアジア人が西へグリーンランド経由で渡ったと考えたほうが理にかなっている。場所が近いし、渡りやすい。遺伝子的にもすでにラップ人として北欧にPで住んでいて、それがQに変わったと見るほうが自然なのである。アジアはOだから、O→P→Qと行くには時間がかかる。
そんなわけで、やはりこの地球史を見る場合には、「アーリア人」というものを研究しないとまったく真実が見えないのである。それがわからないと、なぜヒトラーがあれほどまでに「アーリア人」にこだわったのかの理屈も理解不能なのである。


アーリア人とは何者か?

我が国では西洋人の祖先、金髪碧眼の先祖程度、あるいは、北欧バイキングの先祖、白人西洋人のご先祖さま程度にしか理解されていないのかもしれないが、それでは本当の地球の歴史は理解出来ない。また、いま我が国でリアルタイムに起きていることの意味が理解出来ないに違いない。


さらに興味深い考察として、混血によって脳構造も変わるという分析がなされてある。これにより日本人が持つ「情緒」=同化たらしめる共認原回路が失われるというのだ。


(前略)外人さんと混血すると脳が日本人脳ではなくなり、いわゆる最大の日本人の特徴である「情緒」が理解できなくなるのである。

なぜか?

これはまだほとんど研究されていないが、というのも、脳科学そのもののリーダーが西洋白人だから、理解不能だし、モティベーションが日本人とは別になるからなのだが、人間の特性は前頭葉ではなく、頭頂葉から後頭葉にあるのである。

前頭葉は物事の処理系であって、人間性の発露ではなかったのだ。

対談 小原實晃・横山賢二 第2部 「心の構造と大脳」

ところがいまだ西洋医学や西洋(=白人種)の生物学や脳科学では、前頭前野に人間性の発露があるという認識にすぎない。

しかし、前頭前野はいわゆる知性、知能、知的処理、こういう「知」に関する部分であって、これは自我、自己、自意識の発露の場にすぎない。

この意味では普通の動物にもある。

しかし、人としての共感とか、日本人がいう「情緒」というようなものは前頭前野や前頭葉には存在しない。

だ・か・ら

だから、西洋語には「情緒」という概念がない。存在しないのである。

日本語の「情緒」を英語に翻訳するとemotionになってしまう。しかし、emotionは情熱とか感情という意味になり、我々日本人が感じる「情緒」とはまったく異質のものになる。

感情=喜怒哀楽なら猿にも動物にもある。人間特有のものではない。

人間特有なものが「情緒」なのだが、それがアーリア人には存在しない。

3000年前から存在せず、いま現代も存在しない。

ということは、そういうことを認知する機能が存在しないということになるわけですナ。

つまり、彼らの脳にはそういう機能がないから認知できず、したがってそういう言葉も概念も生まれなかった。

とまあ、そういう結論になるわけだ。
この情緒は頭頂葉の作用なのである。この頭頂葉のもっともよく発達した人種民族が我々日本人である。

西洋人の頭蓋骨は上下がぺちゃんこだが前後に長い。前頭前野はよく発達しているから自己中になる。分析力は有る。また、後頭部も発達しているから、運動能力も高い。

しかし頭頂葉がまったく発達していないから、彼らには情緒が理解できない。だから、いわゆるスピリチュアルの人が生まれにくい。

それに対して、日本人の場合は頭頂葉が発達しているから、前頭葉があまり発達していなくて分析力は弱かったとしても、情緒を理解する。したがって、日本人は生まれながらのスピリチュアルの人が非常に多い。

その差が現在において同じ高度先進国でありながら、社会の雰囲気がここまで違ってきた理由なのである。

(中略)

虫の泣き声など少しも気にせず、虫を残酷に潰して殺す。そんな白人の子供はハワイにはわんさかいる。そういう人間になるわけである。

まあ、それから教育を受けて、徐々にまともな人間に変わる場合があるが、基本はいっしょである。ユダヤであろうが、クリスチャンであろうが、イスラムであろうが、ヒンドゥーであろうが、仏教であろうが、その点はまったく同じである。

日本人はつねに最初は相手の気持ちに立って考えようとするが、白人脳はそういうことはありえない。四六時中自分が主である。(後略)

以前のエントリーでも触れているが、上記引用を含めて考えると、移民→混血による日本の弱体化とは、脳構造つまり意識構造をも変えてくということ。本源の人類が持っていた共認機能の基底部にある同化回路が失われることを意味する。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/08/7976.html



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7. 中川隆[-13796] koaQ7Jey 2018年12月12日 08:26:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22036] 報告

白人が他民族を征服した場合は美女だけ残して、不細工な女、35歳以上の女と男は全員殺す.
魔女狩りでもいい女だけ残してブスは全員殺した.

これを1万年の間 毎日毎日繰り返して やっと今の美しい金髪碧眼の白人ができたんですね.

RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
  そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
  ある意味非常に効率的に管理支配していますね。

BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
  彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。

  それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
  乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
  主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
  睾丸を抜いてしまうんです。

  だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
  彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
  日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
  潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。

  事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
  あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
  羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。

  その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
  (キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
  全体を支配するという考えです。

  これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。

  ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
  「羊人」という家畜にすぎません。

  だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
  劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。

  家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。

  文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。

  このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
  存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

9. 2018年12月12日 15:12:33 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[300] 報告
公益の観点からカルトは一掃せねばならん。
神を信じる、または信じたい馬鹿は社会を劣化させる。
10. 2018年12月12日 19:00:22 : 82xViKsNP6 : jGZW8kme9gs[37] 報告
幻想と バレてしまった 進化論

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