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(回答先: 北朝鮮 外貨獲得部隊Dollar Heroes 北朝鮮の奴隷労働が核開発と金一族の贅沢を支えている 中国ロシア・・もグル 投稿者 うまき 日時 2018 年 11 月 23 日 06:28:19)
子供への暴力・虐待、世界で10億人 WHOが対策要請
2018/2/10 9:11
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【ジュネーブ=共同】世界保健機関(WHO)は9日、世界で2〜17歳の子供の2人に1人に当たる約10億人が暴力や虐待の被害に遭っていると推定されると発表した。WHOは「看過できない状況だ」と指摘、子供への暴力をなくすための法整備や親への支援など7項目からなる対策の指針を公表し、各国に取り組み強化を求めた。
WHOによると、犯罪や紛争などによる暴力は10〜19歳の少年の死因の2番目を占める。子供の5人に1人以上が身体的虐待、3人に1人以上が精神的虐待を経験しているという。性的虐待についても少女の約18%、少年の約8%が被害に遭ったことがあるとみられるとした。
WHO当局者は「子供への暴力は深刻な結果をもたらす。被害に遭った子供はアルコールや薬物乱用など問題行動に陥りがちだ」と強調した。
WHOがまとめた指針には、体罰禁止などの法整備や、暴力多発地域での警察活動強化、子供たちへのケア体制整備、若い親への教育などの支援が含まれている。
WHOなどは今月14〜15日にストックホルムで子供への暴力撲滅に関する閣僚級の国際会議を開催する予定だ。〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26785880Q8A210C1000000/
2018年11月23日 みわよしこ :フリーランス・ライター
子どもの虐待・貧困はなぜ続く?語られなかった「歴史の闇」とは
子どもの貧困や、それを温床とする虐待が止まらない。負の連鎖を重ね過ぎた結果、虐待の問題は解きほぐせるものもほぐせなくなっている
子ども虐待対策は
もう手遅れなのだろうか
11月は、「児童虐待防止推進月間」だ。今年2018年の標語は「未来へと 生命を繋ぐ189(いちはやく)」(189は児童相談所全国共通ダイヤルの番号)。あと1週間で11月は終わってしまうけれども、児童虐待はいつでもどこでも防止される必要があるだろう。
今年は、3月に東京・目黒区で発覚した5歳児の痛ましい虐待死事件があり、7月20日には政府が「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」を公表するという、スピード感ある展開があった。日本の児童虐待対策の歴史に残る年となるかもしれない。
しかし、悲惨な子ども虐待事件は、特別な親の特別な行動によって起きる、特別な問題なのだろうか。もちろん、子どもの生命や身体や健康は、最優先で守られなくてはならない。だからといって、「親に対する強制力が決め手」と割り切ろうとすると、どこかにモヤモヤが残ってしまう。
そこで今回、京都市の山科・醍醐地区で1980年代から活動を続けている「特定非営利法人山科醍醐こどものひろば(以下「こどものひろば」)」の理事長を務める村井琢哉さんに、疑問を率直にぶつけさせていただいた。
「こどものひろば」の活動目的は、地域のすべての子どもたちが心豊かに育つこと、および、社会環境・文化環境をより良くすることだ。大切にしていることは、子どもと大人の“共に育ちあいたい”という願いであり、自分らしく生きることのできる人との交わりだ。「こどものひろば」という名称ではあるが、必ずしも、「子ども」「子どもの貧困」「虐待」を強く焦点化しているわけではない。その立ち位置から、昨今の虐待対策への動きは、どう見えるだろうか。
村井さんは開口一番、こう語る。
「遅きに失した、と思います。連鎖を重ねすぎた結果、ほぐせるものもほぐせなくなっているのではないでしょうか」
いわゆる「虐待の連鎖」は、もはや社会常識だろう。石井光太氏の著書『「鬼畜」の家―わが子を殺す親たち』(新潮社)には、社会に強い衝撃を与えた3つの虐待死事例の背後が描かれている。我が子を悲惨に虐待死させた親たちは、自分自身が子ども時代に育ちや学びの機会を奪われていたことが多い。そして祖父母世代も、子どもを健全に育てられない状況にあったことが少なくない。家族の課題は世代ごとに濃縮されていき、あるとき、子どもの悲惨な虐待死として世の中に現れる。
しかし、村井さんが「連鎖」という言葉で指しているものは、誰もが関係していそうな物事だ。必ずしも、子どもや虐待に直接かかわるとは限らない。
「今」起きている問題は
過去や歴史とつながっている
「特定非営利法人山科醍醐こどものひろば」の理事長を務める村井琢哉氏
村井さんが重要視しているものの1つは、歴史的文脈だ。明治維新と戸籍制度は、結果として被差別部落を固定させて現在に至っている。関西、四国、九州の多くの地域で、同和問題は現在の課題だ。決して「過去」の話ではない。
明治維新から150年の間には、日清戦争・日露戦争・太平洋戦争があった。現在の日本のあらゆる場面に、それらの名残がある。たとえば酒税法には、日露戦争の戦費調達のために導入された自家醸造禁止規定や、太平洋戦争中の「日本酒」の定義が、現在もおおむねそのまま残っている。
敗戦と被占領、旧憲法から新憲法への一大転換もあった。高度成長期もバブル期も、「失われた20年」もあった。
「政策や国政がひっくり返って、価値観が変容したわけですよね。それがプラスに働いた人もいれば、マイナスに働いた人もいるでしょう。それまでの生活がどうだったのか、そのとき何歳だったのか。上の世代も色々なものを抱えているわけです」(村井さん)
敗戦当時、10歳で「1945年の夏」を経験した人々は、今年83歳になる。当時18歳、実際に従軍経験があるかもしれない人々は、今年91歳になる。敗戦で何かを失ったのか、それとも得たのか。何かを得たとして、それは喜ばしいものだったのか、それとも負い目や生き地獄のような状況をもたらすものだったのか。「焼け跡闇市世代」「戦中派」といった用語で束ねられてしまいがちな人々は、個々に異なる戦争の「何か」を抱えたまま、高度経済成長期やバブル期を迎えた。その波に乗れた人もいれば、乗れなかった人もいた。
「色々な時代の波に飲まれるなかで、どの波にも乗れなかった人たちもいました。また、乗って社会的な事故に遭った人もいました。バブルに乗って破産した、など」(村井さん)
結果を左右したものは、生まれた場所かもしれない。親の思想信条かもしれない。ビジネスの成功や失敗だったかもしれない。
「周囲が『イケイケ』『ゴーゴー』の時代に、眩しい“光”があれば、“影”もあったはずです。“影”には、“光”を支えるような仕事もあったでしょう。水商売とか、土木・建築系の労働とか。支えてきた人たちは、“光”のために、育ちや学びの機会を失っているかもしれません。それが重なって、今があるのではないでしょうか……。このことを抜きにして“今”の子どもや貧困や虐待を語ると、ほぐせるものもほぐせなくなるのではないかと思います」(村井さん)
イラストは「山科醍醐こどものひろば」ファシリテーショングラフィッカー 三宅正太氏の手によるもの 拡大画像表示
そう言われると、いわゆる「虐待の連鎖」の異なる姿が見えてくる気がする。親自身も、「自分が何に困っているのかわからないけれど、とにかく苦しい」という思いがある。その苦しさを背負わせたのは、直接には親自身の親だが、その世代にも「なぜそう思うのか分からないけれど、とにかく苦しい」という思いがあったはずだ。
そして、自分の状況が好ましくない場合には「自己責任」と責められることを甘受するしかない。苦しさの責任を取ってくれる人はおらず、苦しさを緩和してもらう方法にたどりつけない。自分を責めず、自分の苦しさを少しでも小さくして耐える方法の1つが、我が子を虐待することなのかもしれない。
「親自身が虐待されたり、排除されたり、後ろ指を指されたり。あるいは病気や事故など『こんなはずじゃなかった』を経験したり。それが2世代くらい回り回って、今のようになっているのだと思います。ほぐし方は、その家族が積み上げてきたものの内容によって変わるでしょう。それは、生き方の多様性ということでもあります」(村井さん)
「血のつながり」と「絆」の明暗
親に向かうこともある虐待の連鎖
「虐待の連鎖」という言葉で忘れてはならないことの1つは、子どもが虐待されるとは限らないことだ。男の子が成人して、介護を必要とする親を虐待する場合もある。とはいえ、低所得世帯では、30代・40代で祖父母になるケースもある。是非はともあれ、若い祖父母は孫の育児の具体的な“戦力”になれる。
「最初はいいんです。祖父母といっても若いですから、子どもと一緒に孫を育てられます。でも子どもが経済的に力を持つ世代になってくる時期、祖父母の自分は介護を必要とするわけです。肉体的に力がなくなって、お金も子どもに握られたとき、暴力が自分に向かうのか、それとも孫に向かうのか。若い祖父母のいる家庭では、そういう状況が生まれる場合があります」(村井さん)
自分・子ども・孫の間に、それぞれ20年の差がある場合、子どもが35歳のときに自分は55歳となる。自分自身が生まれと育ちの中で背負ったハンデや、積み重ねられた身体へのダメージが、「生活習慣病」などの形で顕在化しやすい年齢層でもある。いずれにしても、「家族の絆」に多くを期待することは、逆効果になりそうだ。
「もちろん、“血のつながり”があるからこそ、関わりや言葉に力が込められてきたんです。暴力も含めて、“血”で許されてきたところもあります。それが下の世代に、呪いのように残っていく感じです。それをバネにできる人もいますが、非常に少ないのが現実です」(村井さん)
「明日殺されるかも」と考える
子どもに大人の言葉は響かない
世の中は、愛に溢れた家族像でいっぱいだ。そうではない家庭に育っている子どもは、自分の家庭や家族を、他の人に語ることができるだろうか。将来、大人として生きている自分をリアルに想像できない子どもに、将来を夢見ることができるだろうか。
「毎日、『自分は、明日殺されるかもしれない』と実感しつづけている子どもに、大人になれてしまった人々の言葉は響きません。その父親や母親は、なんとか大人になれて、何がなんでも生きようとしています」(村井さん)
厳しい状況にある子どもたちに関わろうとする大人たち、援助の専門職になれた大人たちは、自分自身の体験として、そのような苦労や苦しさを知っているとは限らない。同じ経験を持っているとすれば、「自分も頑張れたのだから、あなたもできるはず」というプレッシャーを与える存在になりかねない。専門職として厳しい状況の子どもや親の前に現れたときには、「指導」「監督」の立場にあったりする。
「児童の専門職が関わろうとする親たちは、専門職の声を『聞けない』というのが素直なところではないでしょうか。自分が苦しい子ども時代を送ってきて、『あのとき、あなたたちは私の前に現れなかった人でしょう?』という思いを持つのが自然ではないでしょうか」(村井さん)
それでも、子どもの生命、身体その他の危機が迫っているのならば、児童相談所の介入によって、子どもは一時保護されることになる。
「児童相談所の人員は充分、一時保護所も余裕があります」という自治体は、現在の日本にはない。児童相談所も一時保護所も、慢性的に「キャパ」が足りない状況にある。一時保護所は、いわゆる「非行」を行う「不良」少年少女たちを指導する場でもある。虐待からやっと一時保護された子どもが、その子どもたちと同じように規律を強制される場合もある。
「虐待されてきた子どもは、とりあえず身体が無事だとしても、簡単に『さあ、ここから復帰に向けて』という気持ちになれるわけがありません。『保護所にいるときくらい、安心して寝てなさい』でいいんじゃないかと思います。「不良」であっても何であっても、そこにいるのは何らかの意味で虐げられてきた子です。安心させ、落ち着かせることが、まず必要なのではないでしょうか」(村井さん)
「虐待が増えている」の虚実
お金を充実させて抗体をつくれ
イラストは「山科醍醐こどものひろば」ファシリテーショングラフィッカー 三宅正太氏の手によるもの 拡大画像表示
子どもの虐待については、公的統計が整備されたのは1990年以後である。平成の30年間を通じて、件数は増加する一方だ。「通報が増えただけ」「把握される件数が増えただけ」という見方もあるが、村井さんは「実数が増えており、虐待の性格も変わってきた」と考えている。
「愛の『アメ』もある中での愛の『ムチ』ではなく、『ムチじゃないけど、ずっと痛い』とか。タバコの火を押し付けられるのではなく、低温やけどみたいな。それがあるのかどうかも、隠れてしまっていてわかりにくくなっていると思っています」(村井さん)
昭和40年代・50年代には、「ウチはしっかり躾けています」というアピールのために、家の外限定で大げさに怒る親もいた。そもそも、子どもに対する叱声や若干の体罰は問題視されていなかった。当時、子どもだった私には、隠さない親の方が多数派だった実感がある。
「虐待かもしれないことを、親が隠していなかった時代と、親が隠している時代の差は大きいです。他人がいるときといないときの二面性のようなものがあるのかないのかも、今は家庭が閉じてしまっていて、わかりにくい印象があります。他の家がどうなのか、子どもは知りません。どの家も、良いところだけしか外に見せませんから」(村井さん)
しかし、もしも本当に「昔は良かった」のだとしても、昔には戻れない。それだけは明確だ。そうこうする間も、虐待未満だが良好ではない家庭環境で育つ子ども、周囲でイジメが常態化している学校生活を送り続ける子どもたちが、社会のひずみを自分の心身に宿して大人になっていく。助けようとする社会の試みは、いつもいつも大海の一滴にしかならないだろう。
「インフルエンザに例えれば、まずは抗体です。貧困も虐待も、お金を充実させて抗体をつくること。効くうちに、お金で解決できた時代に解決しておくべきだったと思います」(村井さん)
自己免疫力も大切だが、発症してしまったら治療するしかない。遅きに失しているとしても、治療と抗体づくりを進める必要があるだろう。具体的には、子どもに関わる予算を増やすことだ。子ども自身と家庭の暮らし・育ち・学びの費用はもちろんのこと、子どもの心身を守る仕事を「暮らせる仕事」「キャリアを作れる仕事」にするための人件費も忘れてはいけない。もちろん、心ある民間の団体や個人を「やりがい搾取」し続けるべきではないだろう。さらに、虐待している親を責めずに気づきや変化をもたらす、手紙などソフトな働きかけももっと模索されてよいはずだ。
「結局、ものごとが『お涙ちょうだい』でしか動かないところがあります。目黒で両親に『ゆるしてください』とメモを残して亡くなった5歳の女の子は、5歳まで生きられたから、文字で言葉を残せたんです」(村井さん)
目黒の女の子の背後に
声も残さず消えた無数の児童たち
本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
目黒の事件の、5歳だった女の子の背後に、声も文字も残さずに消えた何人の子どもたちがいるのだろうか。考えたくないが、考えないわけにはいかない。
「あの目黒の子のケースでは、調査も会議も議論もきちんとされていました。警察ももともと連携していたはずです。すると親としては、無理やり指導される状態を長引かせないために、言うことを聞くふりをして、隠して、逃げたんでしょうね」(村井さん)
子どもの虐待に簡単な解決方法はなく、1人の子どもを生命の危機から救おうとする間に救えない10人の子どもがいて、きわどい100人の子どもに「ちょっと待って」というのが実態だろう。
虐待を生み出す社会の大人である私たち自身の背負ったトラウマや「宿命」という感じ方や「自然」の振る舞いを、自分たちの「生きていて嬉しい」という実感を大きくするものにつくり変えることが、本質的な解決なのかもしれない。もどかしいが、すべての子どもたちの暮らしと育ちを守れる社会は、政治を動かすことを含めて、小さな着実な一歩の積み重ねの上にしか実現しない。今は、この現実を認め、覚悟すべき時ではないだろうか。
(フリーランス・ライター みわよしこ)
https://diamond.jp/articles/-/186422
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