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サウジもトルコもアメリカも支配層の手は血まみれ(その3)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810260001/
2018.10.27 櫻井ジャーナル
モハンマド・ビン・サルマンや父親のサルマン国王はアメリカと敵対関係になかったのだが、ネオコンが展開したロシアに対する経済戦争がサウジアラビアとアメリカとの間に亀裂を入れることになった。
アメリカ支配層はロシアを軍事的に威嚇する一方、経済戦争を仕掛けたのだが、そのひとつが石油相場の暴落だったと見られている。ウラジミル・プーチンがロシアを再独立させた後、ネオコンは1980年代に成功した石油相場の引き下げを再現しようとした。
石油相場は2014年の半ばから2016年初めにかけて暴落したが、ロシアを弱体化させることに失敗し、サウジアラビアの財政を赤字に転落させてしまった。その結果、サウジアラビアでは巨大建設企業へ代金、あるいは兵士や労働者への賃金の支払いが滞ったという話も伝わっている。
この間、オバマ政権は2014年からダーイッシュを利用してシリアを不安定化させている。こうした政策に反対していた人物は政権の内部にもいたが、マイケル・フリンDIA局長は2014年8月に、またチャック・ヘイゲル国防長官は2015年2月に解任されている。マーティン・デンプシー統合参謀本部議長は2015年9月に再任が拒否された。いずれも後任は好戦的な人びとで、アメリカ/NATO軍による軍事侵攻の準備が整ったと解釈された。ロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入したのは2015年9月30日のことである。
この軍事介入でジハード傭兵の支配地域は急速に縮小、バシャール・アル・アサド政権の打倒は難しくなった。その翌年の6月にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対し、2015年11月の自国軍機によるロシア軍機撃墜を謝罪してロシアへ接近、アメリカは2016年7月にクーデターを目論むが、失敗する。こうしてトルコは侵略勢力から離脱、カタールも続いた。
サウジアラビアがロシアへ接近する動きを見せたのは2017年10月。サルマン国王がロシアを訪問、防空システムのS-400購入を打診したのだ。サウジアラビアにはアメリカからTHAAD(終末高高度地域防衛)を購入する話も合ったのだが、今年9月末には曖昧なことになっていた。
ジャーナリストのジャマル・カショーギがトルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館へ入ったのはその直後の10月2日。トルコの警察当局はカショーギが領事館で殺され、細かく解体されて運び出されたと主張、それを示す音声を入手したとされた。
アメリカの有力メディアがCIAと緊密な関係にあることは本ブログで繰り返し書いてきた。2001年11月にはアル・ジャジーラのカブール支局を攻撃しているが、それほど露骨でなくてもアメリカ支配層の暗部を調べていへ変死したジャーナリストは少なくない。イエメンを攻撃して国を破壊、少なからぬ人びとを殺害しているベン・サルマンがろくでもないことは以前から知られていた。その人物を西側では「改革派」だとしていたのだ。サウジアラビアもトルコもアメリカも支配層の手は血まみれである。カショーギの事件が騒がれているのは、背後に特別の理由があるからだろう。(了/2018.10.27)
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