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行方不明事件の前、サウジの現体制と米国支配層との間が冷え始めていた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810180001/
2018.10.18 櫻井ジャーナル
アメリカのマイク・ポンペオ国務長官が10月16日にサウジアラビアを訪問、サルマン・ビン・アブドラジズ・アル・サウド(サルマン)国王と会談した。トルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館へ10月2日に入ってから行方がわからないジャーナリストのジャマル・カショーギについて話し合うことが目的だったとされているが、武器/兵器や石油の取り引き、つまり金儲けの話がテーマだったようだ。その一方、10月14日から15日にかけてロシア国防省の代表団が同国へ入り、モハメド・ビン・サルマン皇太子と会談したとも報道されている。
本ブログでも繰り返し書いてきたが、カショーギの事件はサウジアラビアとアメリカの権力抗争を抜きに語ることはできない。行方不明になった人物は「ジャーナリスト」だとされているが、20歳代の頃、サウジアラビアやアメリカの情報機関、つまりGIP(総合情報庁)やCIA(中央情報局)のエージェントとして活動、ムスリム同胞団のメンバーでもあったことはすでに指摘した。
カショーギがコラムニストだったワシントン・ポスト紙はウォーターゲート事件を暴いてリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだことで有名だが、その事件で取材の中心だったカール・バーンスタインは1977年にこの新聞社を辞め、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」というタイトルの記事を書いている。
本ブログでは何度も書いてきたが、その記事によると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
メディアの状況が当時より悪化している現在、表ではジャーナリスト、その実態は情報機関員という人間は少なくないはず。少なくとも権力システムに立ち向かおうという人物は有力メディアにおける絶滅危惧種。その背後では巨大金融資本を後ろ盾とする情報機関のネットワークが1948年にはじめた情報統制プロジェクト、モッキンバードが存在する。
このプロジェクトで中心的な役割を果たしたのは4名いて、アレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハム。第2次世界大戦中からダレス、ウィズナー、ヘルムズは戦時情報機関OSSの幹部として知られ、グラハムは第2次世界大戦中、陸軍の情報部に所属していた。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
このうちダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズの母方の祖父であたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際決済銀行の初代頭取。グラハムの義理の父にあたるユージン・メイアーは世界銀行の初代総裁だ。倒産していたワシントン・ポスト紙を1933年に競売で落札したのはこのメイアーである。メイヤーの娘でフィリップの妻だった人物がウォーターゲート事件で有名になるキャサリンだ。巨大金融資本が情報機関を操り、情報機関が有力メディアを操っている。インターネットを支配する巨大企業も同じだ。
モッキンバードで名前が出てくるメディアの大物には、CBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIMEやLIFEなどを創刊したヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人だったC・D・ジャクソンなども含まれている。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される瞬間を撮影した8ミリフィルム、いわゆる「ザプルーダー・フィルム」を買い取り、隠すように命じたのはこのジャクソンにほかならない。表ではジャーナリスト、その実態は情報機関員というケースは珍しくないと言える。
カショーギは1980年代から記者をしているが、タルキ・ファイサル・アル・サウド(タルキ・アル・ファイサル)の指揮下にあった。そのタルキ・アル・ファイサルは1979年から2001年、9/11の10日前までGIPの長官。この人物の兄弟、ハリド・アル・ファイサルの影響下にあるとされている新聞がカショーギが編集長を務めることになるアル・ワタンだ。
タルキ・アル・ファイサルは2005年8月から15年1月まで国王(1995年から摂政)だったアブドラ・ビン・アブドラジズ・アル・サウド(アブドラ)国王との関係が悪く、カショーギはそのアブドラ体制を批判することになる。2015年4月に皇太子となったのがホマメド・ビン・ナイェフ。
しかし、2016年に行われたアメリカの大統領選挙でヒラリー・クリントンが敗北した影響でナイェフは皇太子の地位を失い、カショーギはアメリカへ逃れてワシントン・ポスト紙のコラムニストになった。
また、今回の行方不明事件を考える場合、サルマン国王のロシア訪問を忘れてはならないだろう。昨年(2017年)10月4日から3日間にわたってロシアを訪問、石油や軍事を含むテーマについて話し合われたと言われている。中でも重要視されているのがロシアの防空システムS-400だ。
アメリカ政府はサウジアラビアに対し、9月末までにロッキード・マーチン製THAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの購入を決めるように求めていたが、その返事は曖昧。その一方でS-400の購入には積極的な姿勢を見せていた。インドもS-400の購入を決めている。性能面でTHAADより優れているS-400を選ぶことは当然だが、それをアメリカ側が容認するはずもない。
サルマン国王とアメリカ支配層との間に隙間風が吹いていた。S-400だけでなく、原油取引の問題では相場の下落でダメージを受けたサウジアラビアは引き上げたいのだが、価格の暴騰でアメリカ国内の反発を恐れるアメリカ支配層は押さえたい。この対立はペトロダラーの仕組みを揺るがせかねないのだが、ペトロダラーの仕組みが崩れるとアメリカの支配システムが崩れる。こうした対立が原因で、サウジアラビア政府は同国内にロシアの軍事基地を建設させると言い始めたとも伝えられていた。
そうした中、10月2日を迎えたのだが、カショーギの行方不明事件の背後には複雑な事情がある。その事情は「アメリカ帝国」の存続に関わっていると言えるだろう。
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