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今日(9月7日(金))は、イギリスの歴史家A・J・P・テイラー(A・J・P・Taylor:1906−1990)の命日です。
(テイラーについての英文Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/A._J._P._Taylor
(テイラーについての日本語Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/A%E3%83%BBJ%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
彼の死から、28年が経ちました。
テイラーは、オックスフォード大学で学び、イギリスで非常に高い地位と名声を得た歴史家です。
BBCなどでも、テイラーは、度々、登場し、イギリスを代表する歴史家の一人と見なされました人物ですが、1990年の今日(9月7日)、永くパーキンソン病を患った末に、84歳でこの世を去りました。
BBC documentary in 1961: Did Hitler cause the war?
↓
(BBCの討論番組:「ヒトラーが戦争の原因だったのか?」)
https://www.youtube.com/watch?v=-PadWQ-21LA
テイラーは、世界史の様々なテーマを研究し、著作を残しましたが、彼の著作の中で、最も有名なの物は、彼が1961年に発表した『第二次世界大戦の起源』(The Origins of the Second World War)と言ふ本であっただろうと思ひます。
その題名の通り、第二次世界大戦は、なぜ起きたか?を論じた本なのですが、様々な一次史料を示した上で、テイラーは、特に、1939年9月1日のドイツとポーランドの間の「開戦」に至るまでのヨーロッパの外交を論じ、この本において、ヒトラーには、意図して戦争を引き起こす積もりは無かったと言ふ結論を提示したのでした。
1961年と言へば、第二次世界大戦が終結して、まだ16年しか経って居ない時です。当時(1961年)の人々にとって、第二次世界大戦が終はったのは、今(2018年)の私達の感覚で考へれば、間も無く17年目と成る9・11同時多発テロ(2001年)や、小泉訪朝(2002年)くらいの過去だったと言ふ事が出来ます。当時の人々にとって、第二次世界大戦は、さほど遠い過去ではなかった時代です。その1961年に、テイラーは、ヒトラーは、意図的に戦争を起こしたのではない、ヒトラーは「戦争計画」など持ち合はせて居ないと、結論づけたのです。
それを、当時、既にイギリスを代表する歴史家が言ったのですから、この本は、大きな反響を呼びました。
「反響」と言ふより、猛反発を受けたのですが、そうした反発、批判に対して、テイラーは、こうした意味の事を言って、反論したのだそうです。
「我々は、第二次世界大戦を、17世紀のピューリタン革命を研究する様な客観的な姿勢で研究するべきなのだ。」
これは、私が、或る本で読んだ言葉ですので、正確にこの通りなのか分かりませんが、とにかく、批判に対して、テイラーは、自説を変えず、自分の見解を貫いたのだそうです。
面白いのは、「ヒトラーには、『戦争計画』など無かった。」と結論付けたために、「ドイツ寄り」とも見なされる事と成ったテイラー自身は、個人的には、大のドイツ嫌ひで、自分の祖国(イギリス)を愛する人だったと言ふ逸話です。
私は、テイラーのこうした人柄に関する話を、テイラーが他界した直後の英誌エコノミスト(The Economist)で呼んだのですが、それに依れば、テイラーは、自国(イギリス)の普通の人々を深く愛した人だったそうです。
つまり、テイラーは、冷徹で客観的な分析を重ねた上で、「ヒトラーは『戦争計画』など持って居なかった。」と結論づけた訳ですが、テイラーは、「ドイツびいき」だった訳でも何でもなく、個人的には、ドイツを嫌っており、そして、祖国イギリスを深く愛する愛国者だったのです。
私は、この事が、とても印象に残って居るのです。
彼の見解の当否とは別に、テイラーのこうした人柄と見解から私たちが学ばなければならない事は、歴史家は、祖国を愛する気持ちと事実を客観的に見る冷徹さの両方を持たなければならないと言ふ事です。
日本における「歴史」についての「論争」を見て居ると、テイラーの様に、自身の感情や好き嫌ひと事実を分析する冷徹さを峻厳に区別する姿勢に欠けて居るのではないか?と思はざるを得ない人を少なからず目にします。
第二次世界大戦に対するテイラーの見解の当否とは別に、私たちは、愛国心を含めた感情と事実の分析を混同してはいけないと言ふ歴史学の基本を彼から学ばなければならないと、私は、思ひます。
ところで、私が、テイラーの命日を何故、覚えてゐるかと言ふと、テイラーが他界したのが、湾岸危機(1990年)の最中だったからです。
そのおよそ1か月前、イラクが突然、クウェートに侵攻し、中東情勢の行方を世界中が固唾を呑んで見守って居た最中、『第二次世界大戦の起源』(1961年)の著者、テイラーは、この世を去ったのです。
それが、余りにも因縁めいて居たので、私は、彼の死の知らせに強い印象を受けたのです。
「歴史は鏡である。」と言ふ言葉が有りますが、あの時、翌年(1991年)1月17日の湾岸戦争開戦に至るまでの緊張の中で、私は、イラクのクウェート侵攻とドイツのポーランド侵攻(1939年9月1日)を何度も重ねて考え続けました。
それは、デジャ・ヴュ(deja vu)と呼ぶべき物でした。自分の目の前で進行する湾岸危機を見ながら、私は、1939年9月1日のドイツ・ポーランド開戦に至るまでの外交戦について、テイラーの『第二次世界大戦の起源』やその他の歴史書を読み、自分が学校やマスコミによって教えられて来た「歴史」は、信用出来る物ではない事に気が付いたのでした。
テイラーは、そんな私に、「後は、自分で考えろ」と言って、他界したかの様でした。
テイラーが生きて居たら、今の北朝鮮情勢、パレスチナ情勢、シリア情勢、中国情勢などをどう見ただろうか?と思はずに居られません。
2018年9月7日(金)
西岡昌紀(内科医)
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