http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/766.html
Tweet |
*
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/9220738.html
1983年9月1日にに樺太沖で起きたとされる大韓航空機撃墜事件について、驚くべき情報が有ります。
それは、あの事件に、実は、生存者が居たと言ふ未確認情報です。
真偽は不明ですが、それなりの情報源から出て来た情報です。マスコミでは、全く報じられて居ないこの生存者情報について、私が聞いた話を以下に述べます。
1991年の8月、ロシアでクーデター未遂事件が起きた
事は、御記憶と思ひます。
その際、首都モスクワは混乱状態に陥りました。結局、
クーデターが失敗した事は皆さんが御存知の通りですが、
その際、混乱の中で、旧ソ連政府の公文書の多くが、
様々な個人によって持ち出されると言ふ、信じがたい
状況が生まれました。
私は、神奈川大学の常石敬一教授から、この混乱の際、
旧ソ連の原爆開発に関する文書を売りつけようとする人間
が居たが、断った、と言ふ話を聞いた事が有ります。
(相手の要求する金額が高かったからだったと記憶します)
そんな例を含めて、旧ソ連の政府公文書の多くが、混乱に
乗じて持ち出され、西側のマスコミに高く売りつけようと
する行為が横行したのですが、その時、ロシアから、日本
を代表する出版社である文藝春秋社に、にわかには信じが
たい情報がもたらされました。
その情報の内容は、クーデター未遂事件の混乱の中で、
1983年に樺太沖で起きたとされる大韓航空機撃墜事件
の際、実は、生存者が居たと述べた文書がみつかったとする
もので、その情報を受けて、当時の文春は、取材チームを
ロシアに派遣し、情報提供者に接触して、情報の真偽を
確かめようとしたのだそうです。
情報に依ると、生存者はアメリカ人で、地図にも載って
居ない核の町として知られるチェリャビンスクに幽閉されて
居る、と言ふ話だったのだそうです。
文春は、事の真偽を確認しようとかなり努力をしたそう
です。しかし、私にこの話を聞かせてくれた人物(文春
の高い地位に在った関係者)に依ると、「或る所から壁に
ぶつかって」結局、情報の真偽を確認出来無かったのだ
そうです。
もちろん、金目当てのガセネタであった可能性は十分
有ります。しかし、この情報を、当時の文春が真剣に
受け止め、取材チームをロシアに派遣して調査した事は、
事実なのです。
私が知って居る事実は、ただこれだけです。
皆さんは、どう思はれますか?
2007年8月30日(木)〜2007年9月1日(土)
2018年9月1日(編集)
西岡昌紀
*
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。