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イラン体制はアメリカ政府を見限った(その1)
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2018.08.20 櫻井ジャーナル
アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニ元イラン大統領の弟、モハマド・ラフサンジャニは今年(2018年)8月8日にドナルド・トランプ米大統領との交渉は間違いだと発言、ジャバド・ザリフ外相はトランプ大統領は信頼できないとしたうえで、交渉再開の可能性を否定した。ハサン・ロウハーニ大統領はトランプ大統領の「制裁」について、「心理戦だ」としている。
ラフサンジャニはイラン・イラク戦争後の1989年から97年まで大統領を務めたが、その間に新自由主義的な「経済改革」を実施、新たな経済エリートを生み出す一方、庶民を貧困化させた。1979年のイスラム革命後、イランはアメリカやイスラエルから武器を秘密裏に購入、これはイラン・コントラ事件として発覚した。
ザリフはロウハーニ政権の閣僚であり、そのロウハーニはハシェミ・ラフサンジャニの側近だった人物。このハシェミは1989年8月から97年8月までイランの大統領を務めたが、その間に西側巨大資本の意向に沿う政策を推進、欧米では「改革派」、あるいは「穏健派」とされている。
ロウハーニは2013年6月の大統領選挙で勝利したのだが、その当時、バラク・オバマ米大統領はシリアへ軍事侵攻する準備を進めていた。
アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟に加え、イギリス、フランス、トルコ、カタールといった国々が2010年の終わりから体制転覆工作を始めている。その作戦は2010年8月にオバマ大統領が出したPSD(大統領研究指示)11に基づいていると言われている。この指示はムスリム同胞団を使い、ターゲット国の体制を転覆させるというものだった。この工作は一般に「アラブの春」と呼ばれている。
2011年2月にはアフリカの自立を目論んでいたリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制、翌3月にはイランと緊密な関係にあるシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すために侵略戦争を始めた。送り込まれた傭兵の中心はムスリム同胞団とサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)。つまりアル・カイダ系武装集団だ。
国内に反体制勢力を抱えるリビアのカダフィ体制は2011年10月に崩壊、カダフィ自身は惨殺された。この戦争では地上軍のアル・カイダ系武装集団と空軍のNATO軍が連携、体制崩壊後に戦闘員と武器/兵器はシリアへ運ばれた。シリアへ集められた侵略軍は2012年から攻撃を激化させる。
その攻撃を正当化するため、「独裁体制に立ち向かう民主勢力」という宣伝が大々的に繰り広げられたが、その「情報源」としての役割を果たしていたのシリア系イギリス人のダニー・デイエムなる人物。
ところが、2012年3月にデイエムが撮影スタッフと演出の打ち合わせをしている場面がインターネット上へ流出、中継はフィクションだということが明らかになり、この仕組みが揺らぎだす。
こうした実態が知られるようになたこともあり、オバマ政権は「穏健派」なるタグを使い始めた。「良いアル・カイダ」と「悪いアル・カイダ」がいて、オバマ政権は「良いアル・カイダ」を支援しているという主張だ。
それに対し、アメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月、シリアで政府軍と戦っているのはサラフィ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系のアル・ヌスラであり、そうした政策を続けると東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告していた。オバマ政権が言う「穏健派」は存在しないとホワイトハウスへ報告していたのだ。この時のDIA局長がマイケル・フリン中将。
東部シリアにサラフィ主義者の支配国が出現する可能性があるという警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になる。そこでホワイトハウス内で衝突が起こり、フリンはこの年の8月に退役を強いられる。
その後、2015年8月にフリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演、その際に自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと指摘している。つまり、オバマ政権の「穏健派支援」がダーイッシュの勢力を拡大させたというわけだ。(つづく)
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