オトナの教養 週末の一冊 なぜアメリカ社会はここまで「動的」なのか『アメリカの社会変革』ホーン川嶋瑤子氏インタビュー 2018/08/24 本多カツヒロ (ライター) 「アメリカは非常に動的な社会」と語るのは、アメリカに居を構えるお茶の水女子大学ジェンダー研究センター元教授のホーン川嶋瑤子氏。確かにアメリカ発の「#me too」運動は、世界的な広がりを見せており、過去を振り返っても、公民権運動をはじめ、さまざまな運動がアメリカでは展開されてきた。一方で、現在のトランプ大統領は差別的な話題を振り撒いている。過去と現在、同国では、一体何が起き、その背後には何があるのか。『アメリカの社会変革』(ちくま新書)を上梓した同氏に話を聞いた。 (robertiez/iStock/Getty Images Plus) ――今回の本では、アメリカでのさまざまな社会運動を取り上げながら社会の動向や歴史的展望が紹介されています。こうした動きを1冊の本にまとめようと思ったのはなぜでしょうか?
川嶋:日米を往復していますが、アメリカは非常に動的、可変力のある社会だと感じます。可変的な社会は人々に活力や能動的姿勢を与えます。たとえば、不平等や差別の強い問題意識が、平等を求める大きな運動を生み出しました。人種差別反対の公民権運動以降、女性、年齢、ハンディキャップ、LGBT等による差別反対のさまざまな運動が起こりました。最近の「#me too」運動もそうです。これは、採用や昇進、賃金の性差別だけでなく、セクシュアル・ハラスメントやレイプ等も蔓延しているにもかかわらず、多くが沈黙のなかで隠されてきたのですが、ネット上の書き込みサイトが作られ、発言の場として広がったものです。 一見、別々のように見える個々の運動は実はつながり影響しあっています。いろいろな運動がどのようにして起こるのか、運動を推進する力は何か、どのような理論が説得力を得て世論を動かすのか、メディアの力や判決のインパクト、文化や教育の力などの要素も考えながら、社会変化を総合的に分析しようと思いました。 ――現在アメリカ在住ですが、日常のなかで動的だなと具体的に感じることはありますか? 川嶋:スタンフォード大学やシリコンバレー近郊の同じ地域で長く生活していますが、この辺は技術革新の中心地であり、新しい産業、企業の誕生と成長、グローバル化がもたらす変化をひしひしと感じます。 移民の流入は、社会を変える大きな力ですね。住民の人種構成は急激に変化してきました。私の近隣の住民もインド系、中国系が増え、近隣の公園では、かつて白人親子が圧倒的に多かったですが、今ではアジア系親子が多数です。優秀な公立学校がある地域には、特に子どもの教育を重視する韓国や中国などのアジア系移民が集中する傾向があります。生徒の人種構成も大きく変わりました。地域の土地家屋の価格や家賃が上がり、生活費全般も上昇し、前からの住人は他の地域へ流出する傾向にあります。昔の移民は貧困から抜け出すためにアメリカへ渡って来ましたが、現在の移民、特にシリコンバレーで働く人たちは裕福な人たちが多いのです。 サンフランシスコ湾岸地域では、アジア系人口が20〜30%にまで増加しています。中国系の大きなショッピング・センターは増えているし、韓国系、インド系、最近は東南アジア系のレストランが増えています。 ――アメリカは人種というものに対してとても敏感なのでしょうか? 『アメリカの社会変革』(ホーン川嶋 瑤子、筑摩書房) 川嶋:アメリカの歴史は人種・移民の歴史です。差別から平等へと動いてきましたが、まだマーティン・ルーサー・キングの「私には夢がある」のスピーチが描いた社会は実現していません。
私はジェンダー研究を専門としてきたので、女性をめぐる社会問題には敏感ですが、日常生活では人種をより意識することが多いです。 「多様性の大切さ」は、社会的価値として定着したと思いますが、例えば、スタンフォード大学のキャンパスを見ると、やはりブラック学生、アジア系、白人系というようにグループを作って歩いていることが多い。アジア系は非常に増えています。といっても、中国系、インド系が圧倒的に多くて、日本人留学生はここ20年ほど縮小しています。 シリコンバレーの企業は移民労働力なしでは成り立たないし、リベラル(進歩的)な地域ですから、特に技術系の移民受け入れには積極的です。差別の面では、マイノリティや移民に対するあからさまな差別は少なくなったと思いますが、微妙な、より見えにくい形の差別は続いていると思います。アジア系は重要な技術系労働力ですが、トップには少ない。ただし、インド系は活躍しています。 トランプが大統領に就任して以降、彼自身がポリティカル・インコレクトネスを公然と発言するようになり、それに刺激されて一部の地域では、白人至上主義者、反移民ナショナリストの活動が活発化し、一般市民の間にも差別発言が増えてきたように感じます。 ――トランプ大統領になり、昨年移民の受け入れを制限したことに対し、シリコンバレーを中心とするIT企業が反対の声をあげたことがありましたね。それくらい移民が重要ということですね。性別に関しては、たとえばシリコンバレーの雇用に関しては、どう影響しているのでしょうか? 川嶋:女性グループが、シリコンバレーでも技術職に女性が少ないと指摘し、大手IT企業に労働者構成の公表を要求しました。Facebook社などが回答しましたが、やはり技術職や経営陣に女性が少ないことがわかり、各企業はできるだけマイノリティや女性の割合を増やす努力をすると明言。現在では、女性やマイノリティ向けのプログラミングを学ぶコースが増え、企業も支援しています。シリコンバレーでは昨今、技術系のマイノリティ女性は引く手数多です。 ――そうしたマイノリティや女性の割合を高め、極力人種や性別の構成を公平にしようというのは、アファーマティブ・アクションの影響が強いのでしょうか? 川嶋:最近はアファーマティブ・アクションという表現に代わって、「多様性の価値化」という表現を使うことが多いです。そのように変わってきた背景には、平等とは何か、平等を達成するにはどのような方法が最適か、どのように正当化するかというようなとても重要な問題があります。 1960〜70年代にかけて女性運動や公民権運動で、アメリカ社会の価値観は根底から変わりました。1964年公民権法が差別を禁止して平等を保障しましたが、ジョンソン大統領は差別の禁止だけでは平等は達成できないとして、65年と67年にアファーマティブ・アクション(以下AA、積極的是正措置)の実施を要求する大統領令を出しました。つまり、過去における差別のため黒人や女性の雇用が少ないという結果があるならば、それを是正する努力をして平等を達成しようとするものです。 差別行為が現にあったかどうかを問題にしません。そこが、公民権法の「差別禁止による平等達成」の考え方と異なります。 70年代は平等を支持する進歩的社会潮流だったので、マイノリティや女性に対する雇用の割当制や優先策等の強いAAが実施されました。しかし、70年代後半になると、白人男性側は「自分は差別をしていないのに、どうして不利益を受けないといけないのか」と逆差別訴訟を起こします。70年代後半の保守潮流の高まりにのって81年にレーガンが大統領に就任しましたが、強いAAによる平等化策への反対論が高まりました。レーガンは判事に保守派を任命し法廷は保守化し、マイノリティ優先のAAに対する違憲判決が増え、AAは非常に制限されていきます。 マイノリティへの加点や人種別採用枠等を採用する大学の入試政策は多くの訴訟の対象となり、違憲とされました。AA反対派が起こした一連の訴訟を通して、「多様性がもたらす教育的利益」のために、人種を複数の配慮要素の一つとして使用することは正当化されるが、「黒人だから」というように人種そのものを使ったAAは違憲となったのです。 ――AAは現在どのように運用されているのでしょうか? 川嶋:近年、州法や住民投票で、大学入試や公的組織の雇用で、人種や性を考慮することを禁止する州が増えています。スタンフォードは私立大学ですが、「AAオフィス」ではなく、「多様性オフィス」としています。人種を配慮したAAが違憲とされるリスク増えたので、人種の代わりに、経済的社会的に不利な家庭出身とか、家族内に大学卒がいないとか、不利な地域で育ったとかの要素を配慮するようになっています。州立大学の入試では、高校での成績がトップX%という入学政策もあります。 大学教員については、女性が少ない理工系での女性増加が重要な課題になっています。適切な女性候補者に対する応募奨励や、採否判断にバイアスが入らないよう採用手続きを厳格にしたり、メンターリングや助言による昇進支援をする、というようなことが行われています。 ――最高裁判所判事には、トランプ大統領は昨年保守派のゴーサッチ判事の任命に成功しましたが、さらに、今年中道右派のケネディ判事の辞職表明を受け、保守派のブレッド・カバノー氏を指名しましたね。 川嶋:2016年2月に保守派のスカリア判事が死亡し、空席が出たのですが、オバマ大統領が指名した候補者は、共和党多数の上院は司法委員会での公聴会の開催を拒否して葬り、1年間は欠員のまま8人の法廷でした。そのため、4対4で、重要な訴訟で決定を下せないケースも生じました。トランプ大統領は、17年4月に、この空席に保守派のゴーサッチ氏の任命に成功しました。前任者も保守派だったので法廷の構成に大きな変化はありません。 しかし、今年7月末に中道派のケネディ判事が辞職したことで、トランプ大統領は、2人目の最高裁判事任命の機会を手にしました。間髪入れず、保守派のカバノー判事を指名。この任命に成功すれば、法廷は完全に右傾化します。 また、リベラル派のギンズバーグ判事(85歳)とブレイヤー判事(79歳)はともに高齢で、トランプ在任中に辞職した場合、後任に保守派の判事の任命に成功すれば近年稀に見る保守法廷の誕生となります。これは非常に大きな社会的インパクトをもちます。アメリカでは、最高裁判決が、価値規範に大きな影響を与えます。だからこそ、大統領は、自分の考え方に沿った判事を任命しようとし、反対派はそれに反対し対立することがままあります。 ――そもそも最高裁判事は、どのように任命されるのですか? 川嶋:最高裁判事は、大統領が候補者を指名し、上院の承認を得て、任命します。しかし、ゴーサッチ氏の承認時には、共和党議員52人、民主党議員48人だったので、「3分の2の承認」から「過半数の承認」へとルールを変更して、承認しました。任期の期限がなく、本人が辞職するか、亡くなるまで、30年以上の就任もあり、長期的に社会の動向に影響するので、その任命は著しく重要です。 今後、カバノー判事の任命について、民主党は中間選挙で上院で過半数となることを期待し司法委員会での審議を選挙後まで遅らせようとしていましたが、大統領と共和党は共和党過半数を維持している中間選挙前に承認へとこぎつけるため、公聴会を9月に開催するよう決めました。 ――保守派が台頭する一方で、映画『ブラックパンサー』の大ヒットやケンドリック・ラマーがラッパーで初のピュリッツァー賞を受賞、また「#BlackLivesMatter」「ひざつき」運動の台頭など、トランプ政権とは真逆のマイノリティの動きも盛んになっているように見えます。 川嶋:政界にも、芸術やエンタテインメント、メディアでもキャスターやコメンテーターとして成功している黒人はたくさんいます。しかしながら、全体から見ればそれはほんの一握り。多くの黒人は、貧困だし、刑務所に収監されている黒人男性も多い。一度、収監されると履歴に残りますから、再就職が難しくなり、再び犯罪に走るというサイクルから出れないことが多い。十代での婚外出産が多く、男性の収監者が多いので、多くの子どもが母子家庭や祖母が支える家庭で生活しています。その多くが貧困です。 ――黒人で逮捕される人が多いのは、人種による捜査、レイシャル・プロファイリングがいまだに残っているからでしょうか? 川嶋:黒人の逮捕者のなかには、重犯罪者もいますが、薬物所持などで逮捕されるケースが多いのです。麻薬取締強化策、3ストライク法(3回目では厳罰に処す)が犯罪者を著しく増やした。警察官も黒人に犯罪を犯す人が多いというステレオタイプなイメージを持っていることが多く(レイシャル・プロファイリング)、白人よりもはるかに多くの黒人の停車、車内捜査や、過剰な暴力を振るう。黒人が警官に射殺された事件を発端とし、黒人の怒りは爆発し、「#BlackLivesMatter」運動が広がりました。黒人差別への抗議デモが暴徒化したこともあり批判も向けられ、また一般市民にしても、警察がいるから治安が確保されているという認識があるので、警察批判に同意しない人たちもいる。しかし、この運動は強いリーダーシップのもとでの運動というよりも、ネットで結ばれたゆるやかな運動として5年間続いています。 アメリカンフットボールの試合などでも国歌斉唱時に起立せず、片膝をつき、人種差別に抗議する動きがありましたが、トランプ大統領は反愛国的であると批判し、つぶそうとしました。 対照的に、「#me too」運動はアメリカ国内のみならず、世界的に広がり、大きなインパクトを持ちました。新しい社会運動におけるネットの力の凄さを感じます。 ――最後に、どんな人に本書を薦めたいですか? 川嶋:日本は同質的社会というイメージが強く、差別問題に対しあまり敏感ではないと思いますが、実際には、女性差別、年齢差別、ハンディキャップ差別、性的マイノリティ差別、外国人差別等、いろいろ存在します。これまで、アメリカでの平等運動の展開が日本に伝わり、日本での問題意識が高まり、運動が広がり、平等化への歩みに貢献してきたという面もあります。アメリカでの動向を知ることは有意義だと思います。 移民は、これから日本でも必然的に増えていくでしょう。異なる人種、文化、言語の移民をどのように日本社会の一員として受け入れていくか? この重要な問題を考えるうえで、移民の国アメリカの歴史と今の問題の理解は、参考になると思います。 トランプ大統領となって1年半、黒人大統領オバマがとった進歩的政策の抹消、逆転に走りました。人種差別的発言、批判的運動や批判的メディアの抑圧をはじめ、アメリカ人が誇りとしてきた民主的政治制度、社会の価値規範を土台から揺り動かしています。民主主義の危機が言われています。本書が、今アメリカで起こっていることを知る上で少しでも役に立つことを願っています。 最後に、シリコンバレーには、日本から多くの学生やビジネス関係者が訪れます。アップルやグーグルやフェースブックといった世界に名だたる先端企業に足を運び、イノベーションやスタートアップについて学んでいかれますが、同時に、この地域の発展の歴史、日系人の歴史、人種問題や経済社会問題、等についても目を向け、広い視野からシリコンバレーを理解していただきたいと思います。この本がその助けになれば、うれしいですね。
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