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ベネズエラで大統領暗殺を狙ったと見られる無人機による攻撃、背後に石油
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201808060000/
2018.08.06 櫻井ジャーナル
ベネズエラの首都カラカスで国家警備隊の創設81周年記念軍事パレードの最中、暗殺未遂事件が引き起こされた。爆弾を搭載した数機のUAV(無人機)による攻撃で、いずれも撃墜されたようだ。ニコラス・マドゥロ大統領が狙われたと見られている。
アメリカの支配層が自分たちの「裏庭」だと規定するラテン・アメリカのひとつだというだけでなく、世界有数の石油産出国だということからアメリカは自立したベネズエラの政権を倒そうとしてきた。そうした流れの中での暗殺未遂だ。
ベネズエラを自立させたのは1999年に大統領となったウーゴ・チャベス。2002年にジョージ・W・ブッシュ政権はクーデター計画を始動させるが、その中心人物はイラン・コントラ事件に登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そしてジョン・ネグロポンテ国連大使だ。
ネグロポンテは1981年から85年にかけてホンジュラス駐在大使を務めていたが、そのときにニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、死の部隊にも関係している。2001年から04年までは国連大使、そして04年から05年にかけてはイラク大使を務めた。
イラクではネグロポンテの元で特殊警察コマンドの訓練が実施され、アメリカ軍は秘密の拘束/拷問施設を設けている。その施設にドナルド・ラムズフェルド国防長官が責任者として送り込んできた人物がジェームズ・スティール大佐。2003年から05年にかけて活動していた。この軍人は中米のエル・サルバドルへ特殊軍事顧問として派遣されていたことがある。つまり死の部隊を操り、汚い戦争を繰り広げていた。
スティールをイラクへ連れてきたのはデイビッド・ペトレイアスだと言われている。ペトレイアスは1985年から87年にかけてウエスト・ポイント(陸軍士官学校)の教官を務めているが、その際にエル・サルバドルでスティールと知り合い、そこで展開されていた汚い戦争に感銘を受けたという。
ペトレイアスは2002年から04年にかけて第101空挺師団の司令官としてイラクで戦闘に参加、08年から10年までは中央軍司令官、11年から12年までの間はCIA長官を務める。ペトレイアスはリチャード・チェイニー副大統領(ブッシュ・ジュニア政権)やドナルド・ラムズフェルド国防長官(同)に近い。つまりネオコンで、ヒラリー・クリントンとも近かった。
ところで、ベネズエラで2002年に試みられたクーデター計画は、事前にOPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからウーゴ・チャベス大統領へ知らされたため、失敗するのだが、それで終わらなかった。例えば、WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに操られている機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、それによってアメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。チャベスは2013年3月、癌のため、58歳の若さで死亡した。
チャベスの後継者として大統領になったのがマドゥロ。アメリカの経済攻撃に対抗するため、ドル離れを決断、石油取引の決済に人民元を主とする通貨バスケット制を採用する方向へ動き出した。アメリカへ預けていた金塊も引き揚げている。
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