http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/613.html
Tweet |
冷戦からサイバー戦争へ 元CIA幹部が語る「今そこにある脅威」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180806-00022347-forbes-bus_all
Forbes JAPAN 8/6(月) 8:00配信
世界の現代史を諜報側から見てきた"生き証人"に独占インタビュー
1981年から34年にわたって米中央情報局(CIA)の第一線で活躍してきたマーク・ケルトンが日本のサイバーセキュリティ会社の顧問として来日した。ケルトンの半生は、まさに米国の諜報機関の歴史とも言える。世界の現代史を諜報側から見てきた生き証人に独占インタビューした。
「ジェロニモ、EKIA」
この言葉を聞いたことがあるだろうか。
映画『ゼロ・ダーク・サーティ』のモデルとなった2011年5月2日のウサマ・ビンラディン殺害作戦で、パキスタンからワシントンに伝えられた一文だ。
深夜、アフガニスタンを飛び立った米海軍特殊部隊(SEALs)の隊員らは、パキスタンの首都イスラマバードに近い街、アボタバードに向かっていた。10年近く続いた、米国史上最悪のテロ事件首謀者の追跡劇に終止符を打つ──。ホワイトハウスではバラク・オバマ大統領をはじめとする米政府幹部が固唾を呑んで、現地から送られてくるライブ映像を見ていた。
3階建の隠れ家は、有刺鉄線に覆われた高い壁に囲まれている。隊員たちはヘリから敷地内にロープで降り立ち、3階にひそんでいたビンラディンの胸と頭を撃ち抜いた。わずか40分ほどの世紀の作戦が終わった時、隊員がホワイトハウスに報告した言葉が冒頭の「ジェロニモ EKIA」。「ジェロニモ」はビンラディン、「EKIA」は「Enemy Killed in Action(敵は作戦中に死亡)」という意味だ。
この時、この映像をイスラマバードの米大使館からホワイトハウスに送っていたとされるのが、当時CIA(米中央情報局)のパキスタン支局長だったマーク・ケルトンだ。
世界の裏面史を見続けた証人
それから7年後の18年5月、ケルトンは東京にいた。私の目の前で椅子に腰掛けた彼は、当時のことを振り返って、「非常に困難だが、やりがいのある作戦だったね」と語った。
「あの時期にあの件に関与できたことは光栄に思う。というのも、何千人もの命を奪ったあれを殺害し、彼に然るべき処罰を与えることができたからね」
印象的だったのは、ケルトンが最後まで一度もビンラディンを名前で呼ばなかったことだ。
ビンラディン殺害後、ケルトンは突如、謎の激痛に襲われるようになる。病状は悪化し、赴任後わずか7カ月の異例の早さで帰国を余儀なくされた。米メディアは、関係が悪化していたパキスタンの諜報機関によって毒を盛られたからだと大々的に報じた。
2年前に退職した彼は現在、サイバーセキュリティ分野で、企業の代表やアドバイザーを務めている。
190cmはあるだろうか。大柄なケルトンは少しうつむき加減に話し、口調は冷静沈着だが、時にはじけるように大声で笑う。ビンラディンの名を決して呼ばなかったように、言葉を選んで慎重に話すのに慣れているのがうかがえた。
ケルトンのキャリアは、米国による諜報活動の歴史そのものだと言っていい。彼はまさに、世界の現代史を諜報側から見てきた生き証人だ。
そもそも、ケルトンはなぜ、スパイが暗躍する諜報機関の世界からサイバーセキュリティの分野に移ったのか。それを紐解くには、彼の34年にわたるCIAでの経歴について触れる必要がある。
CIAへの入局は冷戦中の1981年
「私がCIAに入局したのは1981年。冷戦の真っ只中で、対ソビエトの活動に従事した。東欧諸国、アフリカなど様々な地域にも行ったね」
彼はインタビューの冒頭、自ら自身の来歴について話し始めた。81年は米国でロナルド・レーガンが大統領に就任した年でもある。秘密活動に従事する諜報員らの名前を公表してはならないとした「情報部員身分保護法」が成立するなど、資本主義陣営と社会主義陣営の諜報活動が非常に活発だった時代だ。
CIAをめぐっては、数々のスキャンダルも発覚した。もっとも有名なのはCIA長官の辞任につながった「イラン・コントラ事件」で、また85年にはCIA職員がソ連のスパイだったことが明らかになり逮捕されている。
「ソビエトは、長年西側陣営に対する諜報活動を行ってきた歴史があり、世界でもっともプロフェッショナルな諜報機関を持っていた。アメリカ以外の国という意味ではね。対峙する相手としては、非常に困難だった」とケルトンは言う。
彼が赴任していた頃、東欧は激動の時代を迎えていた。85年にゴルバチョフがソ連の共産党書記長に就任。ペレストロイカ(改革)によって、ポーランドやハンガリーでは共産党の一党独裁体制に対する批判が高まり、民主化の動きが活発になっていた。ソ連の統治下にあったバルト3国でも、民族独立の抗議活動が始まるなど、冷戦体制が足元から揺らぎ始めていた。89年にはベルリンの壁が崩壊。
丁度同じ頃、ソ連の情報機関、KGBの情報局員として東ドイツで活動していたのが、ウラジーミル・プーチンである。プーチンは90年にKGBを退職、政界に進出する。
一方ケルトンは、91年にソビエト連邦が崩壊した後、ユーゴスラビア紛争が始まっていたバルカン半島に行ったという。
数年後に米国に帰国し、米海軍大学とタフツ大学・フレッチャー法律外交大学院で学んだ。「しばらく使っていなかった脳を使ったので楽しかったね」と、ケルトンは笑う。
彼はCIAとして、それまでどんな脳を使っていたのだろうか。まず知っておくべきは、ケルトンのような情報局員は、エージェント(工作員)などと一緒に任務に当たる。
「情報局員の仕事は、様々な情報を集め、エージェントを探して雇い、エージェントを動かして情報を集めるなどの工作をさせることだ」と、彼は説明する。
CIA職員の仕事は、実はリポートや書類の作成といった作業がかなりのウェイトを占める。閉鎖された秘密主義の世界での活動とはいえ、欧米の情報機関では、すべて法律と規律によって管理されているという。
「情報機関の仕事というのは、仕事ではない」。
ケルトンはそう言って、目を上げた。一度、その世界に入ったら、世界の景色は変わって見える。普通の生活も保証されているわけではない。「かなりのストレスだね」と、ケルトンは言い、こう続けた。
「仕事は家に持ち込まない。敵も多い環境で、常に監視の目が光っており、話せないことも多い。偽名を使うこともある。ただ秘密の世界であっても、米国を守るために働ける特権には責任が伴う」
プーチン大統領誕生、サイバー空間の戦い
ケルトンがプーチンの大統領就任を目の当たりにしたのは、ロシアにチーフとして赴任した後のことだった。
かつて同じ東欧で情報局員として、敵と味方の関係にあった男が、国家権力を掌握したのである。同じ職業、同じ世界にいた人間として、その後報道されるプーチンの一挙手一投足に、ケルトンは同業者の匂いをしばしば感じ取らずにはいられなかった。
その後、欧州担当のトップに就任したケルトンは、テクノロジーを管理する責任者となった。これがサイバー空間に深く関わっていくきっかけとなった。
「私は科学技術専門家ではないが、CIAのコンピュータや工作道具などがきちんと機能するか、安全に使えるか、情報漏洩や盗聴から守られているか、などについて責任を負っていた。もちろん、サイバー工作も担当した」
欧州からパキスタンに異動して支局長になり、帰国後は、米国内で国家機密局の防諜担当副次官に就任。15年に退官した。
CIAの情報局員という立場から現代史を目撃し、テクノロジー部門やサイバー工作を仕切ってきたケルトンの目には、現在のサイバー空間はどう映っているのか。
「人々はインターネットが最近始まったものだと思っているかもしれない。だがサイバーは新しい世界ではない」と言い切る。
「データ収集の時間は短くなり、情報量も飛躍的に増えた。ただ時代は変わっても、道具が違うだけで原則は同じ。情報を収集し、情報を守ろうとする。諜報活動には、常に技術的な側面があり、諜報機関は早い段階からコンピュータや暗号など新しいテクノロジーを活用してきた」
現在も、CIAは諜報活動や妨害工作に使うテクノロジーの開発を続けている。
17年3月のリークによれば、CIAはiPhoneから情報を盗み、監視するマルウェアや、スマートTVを電源がオフの状態で盗聴器として機能させるツールまで開発しているという。
高まる中国やロシアの脅威
ケルトンは近年増大するサイバー攻撃について、ロシアと中国を名指しした。
象徴的なケースが、米国などで数年にわたって続く中国の通信機器大手・華為技術(ファーウェイ)にまつわるスキャンダルだ。つい最近、Facebookがユーザーのデータの一部を共有しているとして、批判を浴びる原因になった。
米連邦議会は12年、ファーウェイが中国政府のスパイ活動に関わっているとして国家の安全保障上の脅威だと名指した。
米政府がファーウェイをやり玉に挙げた理由
18年2月の上院情報委員会では、CIAとFBIなどが連名で、ファーウェイの製品について、「中国政府が悪意を持って情報を操作または盗むことができ、こちらに気づかれないままスパイ活動を実行できる」と警告している。
なぜ米政府はファーウェイをやり玉に挙げたのか。その背景をケルトンが説明する。「中国やロシアは、諜報機関が集めた情報を政府系企業や国内企業に教えるよう命令し、彼らが優位にビジネスをできるようにしている」。
ケルトンはさらに、こう指摘する。
「ファーウェイが、ある国でインフラ工事を他社よりも安く入札し、その国の政府がファーウェイのシステムを購入したとしたら、ファーウェイや『その背後にいる存在』がインフラから情報を搾取することを想定しなければいけない」
さらに、ロシアも自国を拠点とするセキュリティ企業を使ったサイバー攻撃を行っていた、という疑惑が出ている。
次世代通信規格5Gの世界では、データの通信量や速度が現在よりも飛躍的に伸び、現在の100倍とも言われる高速通信で多数同時接続が可能になる。
中国は今、この5Gのネットワークインフラの覇権を掌握すべく、国を挙げて注力している。ケルトンは、「じっと黙って見ていたらやられてしまう。5Gネットワークの時代にプライバシーや通信、情報を守るべく今動いている」と語る。
「今、彼らを止めるしかない」。そう語るケルトンに、自らの命を落としかけた諜報機関での仕事をなつかしく思うか聞いてみた。「もちろん。でも、良くも悪くも、私は死ぬまで諜報機関の人間であり続けるだろう」
マーク・ケルトン◎CIA幹部として防諜部門を率いた。2015年に退職。海外で通算16年間過ごし、パキスタン支局長などの要職を担う。ジョージタウン大学大学院の非常勤教授のほか、Blue Planet-works 顧問と同社子会社のTRUSTICA, Inc.の会長などを務める。
Forbes JAPAN 編集部
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。