#まず無理 2020年、オバマ氏が再び大統領に返り咲く? トランプ旋風の世界にマンデラ生誕百年「獄中書簡」が鳴らす警鐘 2018.7.30(月) 高濱 賛 マンデラ氏生誕百年、オバマ氏ら演説 「不確かな時代」への警鐘も 南アフリカ・ヨハネスブルクで行われた故ネルソン・マンデラ氏の生誕100年記念式典で演説するバラク・オバマ米前大統領(2018年7月17日撮影)。(c)AFP PHOTO / GIANLUIGI GUERCIA〔AFPBB News〕
トランプ大統領「黒人の支持者は2倍になった」と豪語 性別、人種差別発言を繰り返してきたドナルド・トランプ大統領率いる米政権は1年半が過ぎた。アフリカ系アメリカ人はいったい何を考えているのだろうか。 トランプ大統領は、1月26日、こうツィートした。 「黒人の失業率は史上最低。トランプ支持率は2倍になった」 確かに黒人の失業率は2017年1月の23%に比べると、2018年1月には17%に下がった。しかし、支持率が「2倍になった」というデータはどこにもない(事実関係をチェックするファクトチェック・オーガニゼーション)。 (https://www.factcheck.org/2018/01/trump-tweets-faulty-black-approval-claim/) 確かに「エスタブリッシュメントをぶち壊す」と勢いのいいスタートを切ったトランプ大統領に対して黒人サイドには<ひょっとして一般大衆層の黒人のことも考えてくれるのではないか>という淡い期待があった。 黒人の一部知識層には、こんなコメントをする者もいた。 「反共強硬派のリチャード・ニクソン(第35代大統領)が米中関係を正常化させたとすれば、白人至上主義者のトランプが人種問題を抜本的に改善させてくれる可能性はあるかもしれない」(著名な黒人エコノミスト、セドリック・ムハンマド氏) (https://americanaffairsjournal.org/2017/11/black-america-donald-trump/) だがこうした希望的観測は政権発足、半年経つか経たぬうちに崩れ去った。 シャーロッツビル事件で明らかに、トランプ大統領の本音 南軍の司令官だったリー将軍像の撤去(言い出しっぺは黒人の市議会議員だった)を巡って対立していたバージニア州シャーロッツビルにやって来た撤去反対派の白人至上主義者と賛成派の極左とが激突。双方に負傷者が出た。 トランプ大統領は、武装した白人至上主義者を糾弾しないばかりか、あたかも撤去に反対するかのような形で彼らを弁護したのだ。 この時、オバマ前大統領は即座にこうツィートした。 「誰も肌の色や出自や宗教を理由に他の人間を憎むよう教えられて生まれてきたわけではない。人は憎むことを教えられたに違いない。だとすれば、人を愛することもできる。愛は憎しみよりも人間の心に自然に宿るものだからだ」 南アフリカの指導者だったネルソン・マンデラ氏の言葉からの引用だった。 225通の書簡に滲み出る「マンデラ的無抵抗主義」 The Prison Letters of Nelson Mandela Edited by Sahm Venter Liveright Publishing, 2018 そのマンデラ氏の「獄中書簡」が8月に刊行された。 「The Prison Letters of Nelson Mandela」(ネルソン・マンデラの獄中からの手紙)だ。 サム・ベンターという南アフリカの女流研究家兼作家が、10年かけて、これまで公開されていなかった書簡も含め貴重な書簡255通を集め、編集した620ページの力作だ。 マンデラ氏が国家転覆罪で終身刑となり、ロベン刑務所に収監されたのは1964年。 フォート・ヘア大学在学中に入党した「アフリカ民族会議」(ANC)が武装闘争化する中で同氏はその軍事組織の司令官になってしまったためだった。 27年間獄中生活を送ったが、一番長かったのはロベン刑務所での18年間だった。同氏はこの時期結核をはじめとする呼吸器疾患にかかったほか、石灰石採掘場での重労働により眼を痛めた。 それでも収監中には勉学を続け、1989年には南アフリカ大学の通信制課程を修了し、刑務所内で法学博士号を取得した。70歳の時だった。 またアパルトヘイトの主力勢力でのアフリカーナ(南アフリカ白人)との対話を想定してアフリカ―ンス語を独学で学んだ。 「人種差別は刑務所の外だけではなかった。刑務所内でも黒人にはベッドも毛布も支給されなかった。コンクリートの上で寝起きするのだ」 「冬は寒さに震え、夏は暑さに耐えねばならなかった。時には囚人服まで取り上げられた。それが私が27年過ごした監獄生活だった」 「必ずできると信ずる」ことで目標は半分達成される マンデラ氏は読書の虫でもあった。 その中の一冊、米人心理学者ノーマン・ビンセント・パールの『The Power of Positive Thinking』からは多くを学んだ。 とりわけ、「病床にある人が、私はこの病を克服して幸福な生活を送るんだと自分に言い聞かせれば、その人の病は半分直ったのも当然だ』というくだりには勇気づけられたと記している。 人種差別を撤廃させるには「必ず撤廃させ、幸福になるんだ」という希望を持つことで目的は半分達成されたのだ、という信念に通じるのだろう。 「獄中書簡」を読んでいて気づくのは、マンデラ氏の知的な冷静さだ。南アフリカ司法省当局者をはじめ刑務所幹部らとの書簡も丁重でまさに弁護士的な隙のない文面にそれが表れている。 刑務所所長に宛てた手紙にはそれが顕著だ。 「私は白人至上主義が大嫌いだ。私はありとあらゆる手段を使ってこの白人至上主義と戦う。しかしながら私とあなたとが最も極端な形で衝突した時でも私たちは個人的な憤りを持つことなく、自らの理念と考え方を巡って戦う所存だ」 「そした戦いが終わった時にはその結果がどうであれ、私はあなたと誇りを持って握手をする。なぜなら私はあなたが名誉と道義心を重んずる相手であると信じているからだ」 「だが、もし万一、あなたの部下が汚い手を引き続き使うというのであれば私の真の憤りは制御し難いものになることだけは明確にしておく」 オバマ前大統領、「西側に広がる極右の動き」に警鐘 トランプ政権発足以降、トランプ大統領の言動がどれほど問題になろうともバラク・オバマ前大統領はトランプ大統領を名指しで批判したことはない。今回マンデラ生誕百年の記念事業のため南アフリカを訪問した。 オバマ氏は父親の郷里であるケニア西部コゲロ村を訪れた。親族が設立した青少年向け研修施設の除幕式では政治家になる前の20代の頃にコゲロ村を訪れた時の思い出を語った。 7月17日には南アフリカのヨハネスブルクで記念講演を行った。 オバマ氏はトランプ大統領を名指しでは批判しなかったが、西側(欧米)に広がりをみせている極右の動きを取り上げ、こう述べている。 「イノベーションにより世界の富は増え続けている。ところがその富は平等に分配されているわけではなく、富裕層に流れ続けている。その裏で貧しい者はますます貧しくなっている」 「その一方で西側には保護主義や排他的な国境封鎖などといった現象が顕著になり、人種差別的なナショナリズムが台頭し、極右勢力がのし上がってきた」 「当初は知識や知恵を分かち合い、相互理解と統合を促進するはずだったソーシャルメディアは今や、人種間の憎しみやパラノイア、独善的なプロパガンダの道具に成り下がっている」 (https://www.newyorker.com/news/news-desk/the-nelson-mandela-lecture-barack-obama-johannesburg) 講演には、白人至上主義を是認するかのような言動を続けるトランプ氏とその周辺に対する警戒感が見え隠れする。 思いつけば深夜でも構わずソーシャルメディアを使ってツィートするトランプ大統領の言動に対する苛立ちが感じられる。 オバマ大統領がマンデラの墓前で誓ったことは オバマ氏が「ネルソン・マンデラ」について知ったのは5歳の時だったという。それ以後、米国内での人種差別問題解決に取り組むオバマ氏にとってはマンデラ氏はまさに「ロールモデル」(模範)だったという。 そして8年間の大統領職を終え、自分に代わって米国を取り仕切る自分の政治哲学とは全く異なるトランプ大統領の政治にオバマ氏はただ嘆いているだけなのか。 マンデラ氏の墓に詣でた時、何を誓ったのか。 2020年の大統領選に向けて民主党内では数人の政治家の名前が取りざたされているが、目下のところ「帯に短し襷に長し」(民主党執行部)。そうした中でオバマ政権で副大統領だったジョー・バイデン氏の名前が上がっている。 「バイデン氏は現在75歳と高齢。彼の名前が上がっているのはオバマ・カムバックというオバマ待望論の表れ」 「オバマ氏が再登板するか否かは別にして、20年に向けてオバマ氏が打倒トランプを目指す闘争を繰り広げることは十分あり得る」(主要紙の政治記者) 中間選挙は4か月後、2020年の大統領選もあと2年半後に迫っている。
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