#イスラム圏に、欧米が期待するような民主主義国などない 「労働者のためのW杯」に見る現代の奴隷制 ロンドン発 世界の鼓動・胎動 映画「ワーカーズ・カップ」を制作した米アダム・ソーベル監督に聞く
2018年6月27日(水) 伏見 香名子 2018年のロシア・ワールドカップ(W杯)の次は、22年にカタールで開催される。欧州や中東諸国は、カタールでの深刻な労働問題を注視している。カタールは全人口に迫るほどの外国人労働者がおり、彼らは奴隷制とも言えるような過酷な環境で働いている。W杯の開催決定を契機に、労働者のためのサッカー大会「ワーカーズ・カップ(W杯)」が実施され、米アダム・ソーベル監督がそれに出場する労働者たちに焦点を当てた映画を制作した。映画を通じて何を訴えようとしたのか。同監督に話を聞いた。 熱戦が続くロシア・ワールドカップ(W杯)だが、欧州や中東諸国ではこの数年すでに次の大会開催地に関する、深刻な労働問題が報じられてきた。2022年、中東で初めて開催されるカタール大会である。 ロシア大会同様、招致をめぐる不正疑惑や、夏季の気温が連日40度を越すカタールでの開催時期などが問題視されると共に、2010年の開催決定以来、欧米メディアや国際NGOがこぞって伝えてきたのが、スタジアム建設などで大会を支える、労働者の人権問題だ。 組織委員会幹部の不正疑惑や、巨額が動く一方開催地への恩恵が疑問視されるなど、とかく負の側面が浮き彫りにされがちな昨今のスポーツ世界大会だが、東京五輪を控える日本にとって、カタールの事例は一つのヒントになるかもしれない。 日本で最近のスポーツ大会の労働問題では、新国立競技場の建設に従事していた新卒社員が昨年、過労自殺する事件があった。この男性は、1カ月の時間外労働時間が200時間に上っていた。これは、労働者の人権擁護を声高に掲げる欧州諸国から見れば、異様でしかない。五輪で世界の注目が集まることで、日本人の働き方を変えざるを得ない、厳しい国際的な批判の標的ともなり得る。 国内で「働き方改革」をいくら叫んでも変わらないが、外的な圧力によって、労働環境を整えていくことができるかもしれない。そうした事例が、カタールのW杯である。 カタールは人口270万人のうち、実に約200万人もの外国人労働者を有する。出稼ぎ労働者の多くは主にネパールやインドなどの南アジア、また、アフリカなどから訪れ、地域で長く継続された「カファラ制度」で雇用されてきた。この制度下では、労働者の命運は雇用主に委ねられる。ビザには雇用主が記載され、雇い主の許可なしには、例え虐待を受け、どんな過酷な労働条件を課せられていたとしても、転職も、出国さえもできない。 複数の報道や国際団体が過酷な実態を報告している。多くの労働者が、高額な斡旋料を支払わされた上、逃亡を防ぐためか、賃金が全く払われず、生命維持に危険な水準の灼熱のなか、屋外で水も与えられずに働かされ、何人も死者が出たという。また、市内への交通手段もない場所で移動の自由もなく、狭い住居に他の多くの労働者と共に押し込められるなど、劣悪な環境で生活させられてきた。 しかし、W杯の開催地として選ばれたことで、カタールでの労働慣習が世界的に注目され、批判の的となった。政府は昨年、国際労働組合総連合(ITUC)に対し、ついにカファラ制の廃止を明言した。実施を疑問視する声もあるが、概ね国際社会において、歓迎されている。 こうしたカタールの現状や、そこで働く人たちの素顔を知って欲しいと、昨年「労働者たちのサッカー大会」を描いた映画が公開された。カタール在住歴のある、米アダム・ソーベル監督の「ワーカーズ・カップ」である。 このもう一つの「W」杯は、カタール大会の運営組織が主催し、スタジアム建設などに携わるカタール全土の作業員・労働者たちが会社ごとにチームを結成して戦う、文字通り「労働者たちの大会」だ。 カタールの労働事情の負の側面を描くには、これまで多くの報道機関が、潜入取材や匿名報道を余儀なくされてきたが、映画では労働者たちは素顔で、また実名で出演している。そこに描かれる人たちは、奴隷のような生活で絶望の淵に立ちながらも、大会にかける希望や夢、そして自由について語っている。ソーベル監督に、話を聞いた。 暴露目的で映画を作ったのではない 映画「ワーカーズ・カップ」制作の背景を教えてください。 アダム・ソーベル監督(以下ソーベル監督):私はカタールに5年間暮らし、カタールがW杯開催権を取得してからは、CNNやBBCなど国際報道機関の要請で、カタールで働く移民労働者について企画を制作していました。しかし、こうした企画では労働者の実態の表層しか描けず、彼らを単なる「被害者」としか、表現できませんでした。 カタールではとてもデリケートな問題ですし、メディアに対するかなりの制限がありました。例えば、労働者の暮らすキャンプでは、当局の目を盗みつつ、一度に10分弱しか取材できませんでした。身分を隠し、潜入取材を余儀なくされている中では、そこに暮らす「人」を描くことは叶いません。そんな時、「ワーカーズ・カップ」の開催が発表され、労働者のキャンプできちんと取材できる、良い機会だと思いました。 楽な題材ではありませんでした。カタールではメディアの自由はほぼありませんし、国として、あまり触れられたくないテーマだったでしょう。 とても驚いたのは、登場した労働者たちが、労働環境の悪さを率直に語っていたことです。 ソーベル監督:私たちは(現状の)暴露目的で映画を作ったのではありません。そうしたことは、既に他のメディアで行いました。この映画では、労働者自身の「人生」に、光を当てたかったのです。 彼らのような労働者は、カタール人口の大半を構成しています。カタール国民やホワイトカラーの駐在員にとって、ブルーカラーの移民労働者は遠い存在で、社会から孤立しており、互いに関わることはありません。こうした人々の生活を垣間見てもらうことが目的で、「労働実態の暴露」ではありません。衝撃を生みたいとは思いませんでしたが、国内での議論を進めて欲しいとは思っていました。 労働者たち自身は、映画をとても喜んでくれました。彼らの人間性、尊厳やユーモア、そして夢。こうしたものを描くことで、結果的に労働システム上の明らかな欠陥の存在を、浮き彫りにできたと感じます。 労働者の「顔」を見せたかったということでしょうか? ソーベル監督:そうですね。こうした現状のなかで、労働者の顔を見せることは困難です。大概の場合、潜入取材や匿名で労働者を描かねばなりません。でも彼らの人間性を奪ってしまっては、見ている人の共感を得られません。あくまでも「彼らの視点」が重要で、「国際メディアの望む事象の描き方」に、主眼はありませんでした。 西側メディアはカタールの移民の労働状況について「現代の奴隷制」とも位置付けていますが、実際どういうものなのでしょうか? ソーベル監督:カタールだけではなく、同じような労働システムを有する湾岸、中東諸国での移民労働者の問題は、W杯の開催決定より何十年も前から存在するものです。カタールが2022年の開催地に選ばれるまで、世間はこの事象を知らなかった、もしくは気にも留めていませんでした。ですから、W杯は労働環境をよりよくするチャンスだと思います。 カタールや湾岸地域には古くから続く「カファラ制度」というものがあります。このシステムでは、国に滞在する外国人のビザには雇用主が明記され、彼らの許可なしには転職はおろか、出国することもできません。雇用主が個人の「運命を握る」ということで、不公正な雇用主の元では、いとも簡単に労働者に対する搾取が行われてしまいます。 この制度のもと、深刻な人権侵害が行われてきました。窓もない部屋に、12人もの人たちと同居させられたり、酷暑のなか12時間以上もの労働を強要されたりと。逃れようとしても雇用主の許可なしには、できません。当然のことながら、メディアはこれまでこうした極端な事象に焦点を当ててきました。 この数カ月で、改善の兆しは見えてきています。カタールは労働システムを改善すると宣言し、労働者が出国するために必要とされていた許可証が廃止されることになりました。また、入国後禁止されていた、雇用主の変更も可能になり、最低賃金も設定すると言います。実現するなら驚くべきことですが、約束が守られるかが鍵だと思います。 人間性がはく奪されると、心理的にどうなるのか 映画で描いた企業は、W杯関連のプロジェクトを得ようとしており、獲得すれば、基準の高い労働憲章に調印しなくてはなりません。ですから、今回取材したのは最悪の労働キャンプではありません。もっと酷い所を取材したこともあります。 労働者らは常に、社会からの孤立感を訴えていました。労働キャンプは規制により、住宅地からは遠く離れて設置されています。市内からは50キロ程度ですが、市内への交通手段もほぼありません。また、彼らは妻や子供のビザを得ることもできますが、普通の労働者の賃金ではとても払うことのできないほど高額が必要ですから、家族は故郷に残ることになります。 社会や家族、友人からも切り離され、許可なく出国さえできない。こうした要因が重なると、心理的な悪影響が生じます。労働者の健康と安全だけでなく、心情をこそ描きたいと思いました。人間性をはく奪されると、心理的にどうなるのか。働きに来た当初のモチベーションは失われ、段々自分が機械であるのかのように感じ始めます。 こんな時、映画の舞台となった労働者のサッカー大会が開かれました。この大会が、彼らにとっての心理的な逃げ道となったのです。彼らに「生きる」機会や大きな喜びを与えました。しかし大会が終わり、これが奪われると途端に、彼らは元の心理状態に戻ってしまいました。 映画ではルームメイトを刺してまで、自由を求めた労働者がいたことがとてもショッキングでした。実際、彼らの心理状態はどのように保たれているのでしょうか? ソーベル監督:労働者の出身地の多くではタブーなので、自殺はあまりありません。しかし、ただ帰りたい、出国したいあまりに、極端な行動に出る人もいます。あの労働者は自分のルームメイトを襲撃し、逮捕されることによって、国外退去になりました。それ以外に出国の方法を考えつかなかったのです。 仮に彼が雇用主の元へ行き、帰国したいと申し出れば、許可されたかもしれません。しかし、たったそれだけの質問をするまでの障壁を思い、彼にはそれができなかった。休みをもらうことも、市内に行くまでの交通手段を得ることも、無理だと思い込んでいた。 直属の上司に出国したいと申し出る勇気も振り絞らねばならず、究極的には退職せざるを得ないと考えていた。法的には権利があるはずのことが、彼にとっては、誰かを襲って追放されることの方が、楽な解決法だったということです。論理の飛躍ですが、普通の心理状態の人は、とてもこんなことを思いつかないでしょう。 ワーカーズカップ自体は、「私たちは労働者を公正に扱っていますよ」という、ある種の「宣伝意図」が強いのかとも感じました。 ソーベル監督:もちろん宣伝目的でしょうし、労働者は宣伝のコマになっていたとも、残念ながら思います。でも、トーナメントに参加した労働者たちの視点からすると、これは大きな喜びだったのです。もし、この大会が奪われてしまったら、彼らは打ちのめされてしまったでしょう。生活に娯楽はほぼ皆無で、「生きている」ことを実感できる機会が、ほとんどないのですから。 労働者たちはこの大会を通じて何を得たのでしょうか? ソーベル監督:最大の恩恵は「日常からの解放」だったでしょう。大会がない時期の彼らの生活は、キャンプで起床、建設現場へ向かい長時間働く。その繰り返しです。大会は、この繰り返しを崩し、楽しみを与え、またある種の「同胞愛」、つまり一体感が生まれたとも思います。 巨大スポーツ大会のスポンサーに意見を 日本は2年後に、五輪を開催します。既に新国立競技場の建設現場で働いていた人が、過労自殺したことが明るみになりました。FIFAやIOCなど、巨大スポーツ事業を展開する組織には、大会に携わる人々の労働条件をより厳しく監視し、問題があればホスト国に対し、是正を求める責任があると思いますか? ソーベル監督:当然です。国際的に定められている、労働者の人権を守る義務があるのですから。問題は、どう規制を実行するかです。カタールや湾岸諸国では、こうした規制に従うと明言するかもしれませんが、実際は難しいでしょう。 一方で、私たち消費者には通常、カタールの労働システムに対する影響力を行使することはできず、国のシステムを変えるのは困難です。でも、スポーツの世界大会において、私たちには「声」が与えられます。 W杯も五輪も、大手の企業スポンサーを通じて巨額の利益がもたらされるものです。人々がこれらのスポンサーに意見を述べたことで、FIFAは分野によっては、こうした声を無視できなくなりました。カタール大会までは、まだ数年の猶予があります。この短い期間にチャンスをつかまなければ、カタールでの労働者問題を解決する機会が失われてしまいます。 こうしたスポーツの大会では問題が山積し、いっそ開催自体をやめてしまえば良いという風潮もあります。 ソーベル監督:映画に登場した労働者たちは、W杯を世に送り出すために苦しみました。でも同時に、彼らはW杯を愛してもいます。開催が見送られたら、絶望するでしょう。彼らの「生きる意味」でもあったと思います。 実際、やめることは困難だとも思います。観戦者、また消費者として、できることはどんなことですか? ソーベル監督:こうした大会のスポンサーは誰か、まず知ることだと思います。最近ではSNSを通じて直接意義を唱えることもできます。もちろん、お金の使い方一つでも良いと思います。あなたのお金は、大きな力を持っています。 スポーツの国際大会を通じて我々は突然、世界に存在する多くの不条理を知ります。米国や日本に暮らしていても、こうしたことを身近に考えることも重要なのではないでしょうか。カタールの労働問題は、この地域に限ったことではありません。私自身はカタールのことを知って欲しいと感じたからこそ映画を作ったのですが、これを通じて、自分の周りで起きていることにも着目し、自分たちの手で変化を起こして欲しいと思います。 筆者が最も目を奪われた映画のシーンは、労働者の一人が、普段は出入りすることのない、超高級ショッピングモールで佇む場面だ。国内では超少数派の、ホワイトカラーのカタール人らが買い物を楽しむ高層ビルの建設に携わりながらも、彼らにはこうしたきらびやかな場所や商品は、無縁のものである。 世界が勝敗に熱狂するスポーツ大会の裏で、報われない労働を続ける人たちが確実に存在すること。この矛盾とどう対峙していけば良いのか、まだ答えを出せずにいる。 このコラムについて ロンドン発 世界の鼓動・胎動 人種や宗教など、極めて多様性に富む都市、ロンドン。現地のフリーTVディレクター、伏見香名子氏が、ロンドンから世界の「鼓動」を聞き、これから生まれそうな「胎動」をキャッチする。
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