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ホンジュラスにおけるアメリカの政策が、現在の大量移民のお膳立てをした
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2018年6月25日 マスコミに載らない海外記事
2016年11月1日
Joseph NEVINS
The Conversation
中米移民 - 特に同伴者がいない子ども - が、またもや大人数がアメリカ-メキシコ国境を越えている。
2014年、オバマ政権の下で、同伴者がいない68,000人以上の中米の子どもが、アメリカ-メキシコ国境で捕らえられた。2016年は、60,000人以上だった。
主流の言説は、移民の原因を、移民の母国でおきている要因に帰着することが多い。実際は、移民は、移民を送り出す国々と、目的の国々との間の、大いに不均衡で、搾取的な関係の表われであることが多い。これを理解することは、移民政策を、より効果的かつ、倫理的なものにするのに必要不可欠だ。
私は移民と国境警備を研究し、こうした動態について多くを学んだ。その一つの例が、ホンジュラスとアメリカ合州国との関係だ。
ホンジュラス移民のアメリカの原因
1987年、ホンジュラスを調査のために初めて訪れた。コマヤグア市内を歩いていると、多くの人々が、20代初期の髪の短い白人男性である私をアメリカ兵と思ったのだ。これは当時、何百人ものアメリカ兵が近くのバルメロラ空軍基地に駐留していたためだ。私が到着するちょっと前まで、彼らの多くが、コマヤグア、特に売春婦がいる“危険区域”に良く出入りしていた。
ホンジュラスのアスコナ大統領とレーガン大統領 1986年5月27日
アメリカ軍ホンジュラス駐留とアメリカ合州国へのホンジュラス移民の根源は密接に結びついている。それは、1890年代末、アメリカを本拠とするバナナ会社が最初に、現地で積極的に活動するようになり始まった。歴史学者のウォルター・ラフィーバーが『必然的な革命: 中米におけるアメリカ合州国』で書いている。アメリカ企業が“鉄道を敷設し、金融制度を確立し、目の回るような速さで政府高官を買収した。”その結果、カリブ海沿岸は“組織的にホンジュラス丸ごと単一作物経済に転換され その富がニューオーリンズ、ニューヨーク、そして後にボストンへと持ち去られる外国に支配される居留地と化した。”
1914年までに、アメリカ・バナナ業者が、ほぼ100万エーカーものホンジュラス最高の土地を所有していた。こうした企業は、1920年代に大いに拡大し、ラフィーバーが、ホンジュラス農民には“自国の良い土壌を使う希望は皆無だった”と主張するほどだった。数十年で、アメリカ資本は、ホンジュラスの金融と鉱業部門も支配するに至ったが、ホンジュラス国内産業部門の脆弱な状態が、この過程を促進した。これにあいまって、1907年と1911年、アメリカ権益を守るためのアメリカによる直接の政治・軍事介入があった。
こうした展開から、ホンジュラス支配階級が、ワシントンの支援に依存するようになった。この支配階級の中核的要素は、昔も今もホンジュラス軍だ。1960年代中期までに、それは、ラフィーバーの表現では、その形成の上で、ワシントンが重要な役割を演じた、ホンジュラスで“最も発達した政治組織”となった。
レーガン時代
これは特に、1980年代のロナルド・レーガン大統領時代にあてはまる。当時、アメリカの政治・軍事政策は非常に影響力が強く、多くの人々が、この中米の国を“米艦船ホンジュラス”やらペンタゴン共和国と呼んだ。
隣国ニカラグアのサンディニスタ政権打倒の取り組みと、地域左翼運動“押し返し”の一環として、レーガン政権は“一時的に”数百人のアメリカ兵をホンジュラスに駐留させた。しかも、ニカラグアの“コントラ”反政府派をホンジュラス領内で訓練し、支援し、ホンジュラスに対する軍需援助と、武器輸出を大幅に増大した。
レーガン時代には、無数のホンジュラス-アメリカ共同軍事基地や施設も建設された。そうした動きが、ホンジュラス社会の軍事化を大いに強化した。そこで、政治的弾圧が強化された。政治暗殺や“失踪”や違法拘留の数が劇的に増加した。
レーガン政権は、ホンジュラス経済再編の上でも大きな役割を演じた。工業製品輸出に注力して、国内経済改革を強く推進することで、そうしたのだ。レーガン政権は、、ホンジュラスが大いに依存していた世界コーヒー貿易の規制緩和や不安定化も進めた。こうした変化で、ホンジュラスは、グローバル資本の権益に一層従順になった。グローバル資本は伝統的な形の農業を破壊し、既に脆弱だった社会保障をむしばんだ。
この何十年かにわたるアメリカのホンジュラスへの関与が、1990年代に大幅に増え始めた、アメリカ合州国へのホンジュラス人移民のお膳立てをしたのだ。
レーガン後の時代、ホンジュラスは、高圧的な軍や、重大な人権侵害や、まん延する貧困で傷ついた国であり続けた。それでも、一連の政権の自由化傾向や、草の根の圧力が、民主的勢力にとって好機を与えたのだ。
そうしたことが、例えば、2006年、リべラル改革主義者のマヌエル・セラヤ大統領当選に寄与した。彼はled on最低賃金引き上げなどの進歩的施策。彼は軍事政権時代に制定されたホンジュラス憲法を置き換えるための憲法制定会議を可能にする国民投票を実現しようともした。ところが、こうした努力が、巨大な政治力を持ったひと握りのホンジュラス集団の憤激を招き、2009年6月、軍による彼の排除を引き起こしたのだ。
クーデター後のホンジュラス
過去数年間、アメリカの南部国境におけるホンジュラス人移民の増加は、他のどの変化よりも、2009年クーデターで説明できる。オバマ政権はこうした進展で重要な役割を演じた。セラヤ排除を公式には非難したものの、ホンジュラスに対する大半の支援をアメリカが止めることが必要になるクーデターにあたるかどうかについては言葉を濁した。
特に、当時の国務長官ヒラリー・クリントンは、相反する発言をして、セラヤが権力の座に決して復帰できないようにした。これはカリブ海諸国を含むアメリカ35カ国が加盟する半球の主要な政治議論の場、米州機構の願望に反していた。クーデターから数カ月後、クリントンは、クーデター後政権を正当化することを狙った極めていかがわしい選挙を支持した。
アメリカとホンジュラスの強い軍事的つながりは続いている。麻薬戦争と人道的救援活動の名目で数百人のアメリカ兵士がソトカノ空軍基地 (旧パルメロラ)に駐留している。
歴史家のダナ・フランクは書いている。クーデター以来“一連の腐敗政権が、政府トップから下に至るまで、ホンジュラスの露骨な犯罪的支配を解き放った。”
組織犯罪、麻薬密売業者とホンジュラス警官は大いに重複している。ホンジュラスでは、何のおとがめもうけないことがまかり通り、政治的動機の殺人が頻繁になった。国際非政府組織グローバル・ウィットネスによれば、ホンジュラスは、環境保護活動家にとって、世界で最も危険な国だ。
かつて途方もなく高かった殺人率は減少したものの、多くの若者の脱出が続いていることが、依然、暴力団が都市近郊を苦しめているのを実証している。
その間、クーデター後政権は、多くの人々の暮らしを不可能にする規制緩和、“自由市場”型資本主義を益々強化した。ホンジュラスでは、例えば医療と教育への政府支出が減少した。一方、ホンジュラスの貧困率は大幅に増えた。こうしたことが、多くの人々を移民に追いやる圧力の増大に寄与し、現在、アメリカ政策がそれを生み出すのに貢献した荒廃から逃れている人々に対するアメリカ合州国の責任に関する倫理的問題を提起しているのだ。
記事原文のurl:https://theconversation.com/how-us-policy-in-honduras-set-the-stage-for-todays-mass-migration-65935?utm_source=facebook&utm_medium=facebookbutton
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