[2018-06-10] 歴史は葬られるものではない 今から92年前に起こった6・10万歳運動は日本帝国主義の植民地支配に抗して展開された大衆的反日デモ闘争であった。 1920年代に入り、朝鮮では労働運動をはじめ反日大衆闘争が力強く展開され全国的規模における人民の反日機運は日を追って高揚した。1926年4月、朝鮮封建王朝(1392〜1910)最後の皇帝純スン宗ジョン(1874〜1926)が死去した。純宗の葬儀を機に、全国的なデモ闘争が計画された。日本帝国主義は各道の警察と軍隊を動員して闘争場所とされていたソウル市内に厳重な警戒網を敷く一方、仁イン川チョンに停泊していた4隻の巡洋艦の海兵たちを上陸させた。また、「治安維持法」など各種の悪法をもって大々的な検挙旋風を巻き起こし多くの人を逮捕し、市内の各所に武装警察と機関銃、大砲まで配置して朝鮮人民の反日闘争気勢を挫こうとした。 http://www.naenara.com.kp/contents_j/periodic/news_daily/2018/06/10/h10-2-0.htm http://www.naenara.com.kp/contents_j/periodic/news_daily/2018/06/10/h10-3-0.htm http://www.naenara.com.kp/contents_j/periodic/news_daily/2018/06/10/h10-4-0.htm http://www.naenara.com.kp/contents_j/periodic/news_daily/2018/06/10/h10-5-0.htm 葬儀当日の6月10日、昌チャン徳ドク宮を出た純宗の柩輿が鐘路にさしかかったとき、道の両側に立ち並んでいた数万の群衆は一斉に「朝鮮独立万歳!」「日本軍は帰れ!」「朝鮮独立運動家は団結せよ!」と叫びながら気勢を上げた。10代の普通学校(小学校)の子どもたちも隊伍を組んでデモに合流した。 これに慌てふためいた日本帝国主義は武装集団を動員してデモ大衆を容赦なく弾圧した。日本帝国主義の軍警は大刀と銃砲射撃で160余名のデモ者に負傷を負わせ、200余名を逮捕、拘禁した。 デモ闘争は同日、ソウルだけでなく仁川をはじめ各地方でも起こった。 6・10万歳デモ闘争は日本帝国主義の容赦ない軍事的弾圧によって失敗に終ったが、この闘争を通じて朝鮮人民はいかなる試練のなかでも必ず国を取り戻し民族の尊厳を守ろうとする不屈の意志と闘争気勢を力強く誇示した。 6・10万歳デモ闘争の参加者に対する弾圧と殺りく蛮行は日本帝国主義が朝鮮に対する軍事占領(1905〜1945年)期間に犯した罪業のごく一部に過ぎない。朝鮮民族の抹殺を狙って強行された日本帝国主義の蛮行は実に数え切れない。 1919年3月1日、全国的規模における独立万歳デモ闘争を銃剣で鎮圧して10余万名の人民を虐殺、1923年9月日本の関東地方で発生した大地震を口実に10日余りの間に23000余名の朝鮮人を虐殺・・・日本帝国主義による占領全期間100余万名の朝鮮人が殺害され、840万余名の青壮年が強制連行されて戦争のいけにえ、または死が待たれる苦役場に引き出されて命を落としたり身体障害者となった。20万名の朝鮮女性は日本軍慰安婦に連行されて貞操をじゅうりんされあらゆる不幸と苦痛をなめた。 日本帝国主義が働いた犯罪行為は人類史上その類を見ない反人倫的罪悪として絶対に許されない。 しかし、日本は過去の犯罪的な過去史について徹底的に謝罪し賠償する代わりに、黒白を転倒するために歴史歪曲策動を執拗に追求し、「大東亜共栄圏」という昔日の夢を実現しようと画策している。 歴史は決して歳月のこけに葬られるものではない。 日本は直視すべきである。 過去の清算は日本自国のためのもの、まさにそれに自国の未来があるということを… http://www.naenara.com.kp/ja/news/?0+101632
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