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米議会の要求に応える形で米大統領が大使館をテルアビブからエルサレムへ移し、反発が広がる
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2018.05.15 櫻井ジャーナル
アメリカ政府は5月14日に自国の大使館をテルアビブからエルサレム(クドス)へ移した。パレスチナ人はこれに反発して抗議行動を始めるが、イスラエル軍は実弾を発射して58名以上とも59名以上とも言われるデモ参加者が殺されたと伝えられている。庶民のレベルでは反イスラエル、反アメリカの感情が中東全域で強まることは避けられないだろうが、サウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子をはじめ支配階級の人々はパレスチナ人に対して冷淡だ。ビン・サルマンは自身が親イスラエルだということを隠していない。
大使館の移動は昨年(2017年)12月6日にドナルド・トランプ米大統領が宣言していた。イスラエルの首都だと認め、アメリカ大使館をそのエルサレムに建設する方針であることを演説の中で明言、それを実行したわけだ。
しかし、これをトランプ大統領の暴走だと捉えるべきではない。アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律があり、エルサレムをイスラエルの首都だと承認し、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置することを求めている。トランプ大統領が行った演説の半年前、6月5日にアメリカの上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。反対した議員はいないということだ。
エルサレムをイスラエルの首都だと認めることは、1967年6月の第3次中東戦争から続くイスラエルによる不法占領を認めることでもある。戦争への流れが加速したのはその年の春から。3月から4月にかけてイスラエルは軍事的な緊張を高めるためにシリア領であるゴラン高原にトラクターを入れて土を掘り起こし始めたのだ。それに対してシリアが威嚇射撃するとイスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、銃撃戦に発展していった。1971年から85年まで国連の事務次長を務めたイギリス人のブライアン・アークハートもシリアが攻撃を始めたわけではないと語っている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)
軍事的な緊張が高まる中、エジプトは5月15日に緊急事態を宣言、シナイ半島へ部隊を入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせた。5月20日にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道が流れ、エジプトは翌日、10万の予備軍に動員令を出し、22日にアカバ湾の封鎖を宣言した。5月30日にはイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問、リンドン・ジョンソン大統領に開戦を承諾させる。アミートが帰国した2日後の6月5日にイスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発したのだ。
この戦争はイスラエル軍が圧勝する。そうした結果に終わった理由としてあげられているのはアラブ諸国の分裂やイスラエルの航空兵力の優秀さ。さらに、アメリカ空軍はイスラエルへ偵察機のRF4Cを派遣、ネゲブの基地で塗装をイスラエル軍の航空機のように塗り替えてエジプト軍の地上部隊の動きを偵察している。その結果はイスラエル側へ伝えられた。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)この戦争でイスラエル軍はガザ、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を占領、ゴラン高原の西側3分の2は今でもイスラエルが不法占領、エルサレムの旧市街も併合した。
戦争が勃発して3日後にアメリカは情報収集船のリバティをイスラエルの沖に派遣、そのリバティの近くにイスラエル軍は偵察機を飛ばし、相手を確認している。その後、何度か航空機は飛来している。
そして6月8日午後2時5分に3機のミラージュ戦闘機がリバティへの攻撃を開始、ロケット弾やナパーム弾を発射した。イスラエル軍機はまず船の通信設備を破壊して連絡できないようにしたが、船の通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで2時10分、近くにいた第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功した。これに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害している。その後、魚雷艇が近づいて砲撃、さらに魚雷を発射して命中させた。4時近くまで続いた一連の攻撃でリバティの乗組員のうち9名が死亡、25名が行方不明になり、171名が負傷した。
この間、第6艦隊の空母サラトガの甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあり、艦長は発進させている。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティまで約30分で到達できるので、2時50分には現場に着くことができる。そうした事態になっていることを知らされたロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んだという。
第6艦隊が空母サラトガと空母アメリカに対して戦闘機を救援のために派遣するように命じたのは3時16分。39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を行った。そして4時14分にイスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れている。
勿論、リバティが攻撃されている時のイスラエル軍による交信をアメリカの情報機関は傍受、記録している。近くにはアメリカ軍の潜水艦がいて全てを目撃していたはずだが、情報は封印されていて、若干、漏れてくるだけだ。交信を記録したテープは重要な証拠だが、電子情報機関のNSAはそうしたテープを大量に廃棄したという。後にこの攻撃をアメリカ側は隠蔽するが、その責任者になったのがアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまりジョン・マケイン3世の父親だ。
この時の大統領、ジョンソンは上院議員時代から親イスラエル派の中心的人物だと見なされていた。イスラエルの核開発に厳しい姿勢で臨んでいたジョン・F・ケネディとは考え方が全く違う。
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