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軍事的な緊張を高めている英首相、その夫は戦争ビジネスに多額の投資をしている会社の重役
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2018.04.19 櫻井ジャーナル
テレサ・メイ英首相の夫、フィリップが注目されている。アメリカのカリフォルニア州を拠点とする資産運用会社キャピタル・グループの重役なのだが、その会社は戦争ビジネスに多額の資金を投入している。ロッキード・マーチンの場合、発行済み株式の7.69%(70億ドル相当)を保有しているという。軍事的な緊張が高まり、戦争になれば大儲けだ。
そうした会社の重役を夫にするメイ首相は証拠を示すことなくロシアを悪魔化して描いて両国の関係を悪化させ、証拠を示すことなく化学兵器話を広めてシリアをミサイル攻撃した。シリア北部にはアメリカやフランスと同じように特殊部隊を潜入させている。こうした国々がシリアの油田地帯を支配しようと目論んでいることは公然の秘密だ。ちなみに、ヒラリー・クリントンは上院議員時代、ロッキード・マーチンの代理人と言われ、その後は巨大金融資本とも結びついた。
第43代アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュも戦争を好んでいた。「経済を復活させる最善の方法は戦争」であり、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」とブッシュ・ジュニアが語っていたとアルゼンチンのネストル・キルシュネル元大統領は証言している。(Produced and directed by Oliver Stone, “South Of The Border”, September 2009)
兵器産業や傭兵会社を含む戦争ビジネス、不特定多数の人間を監視したり思想を調べる技術を開発している治安関連の業界、人々の嗜好、思想、行動をコントロールする広告産業だけでなく、こうした戦争が利益に直結している会社に投資している金融資本も戦争の原動力になっている。
現在、世界を戦乱へと導いているのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、そしてイギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビだ。日本は三国同盟に従属している。
三国同盟が結成されたのは1970年代の終盤。ジミー・カーター政権の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密計画に基づいてCIAは1979年4月からイスラム武装勢力への支援プログラムを始める。その武装勢力の中心はサウジアラビアが送り込んだはサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団。そうした戦闘員にCIAは爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦も訓練、武器/兵器を与えて侵略戦争を始めたのだ。現地の武装集団とも連携したが、その仲介役はパキスタンの情報機関ISIであり、イスラエルも協力している。そして1979年12月にソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻、ブレジンスキーの作戦は成功した。その後、三国同盟が編成した戦闘集団とソ連軍との戦いは続く。
サイクス・ピコ協定はオスマン帝国の領土分割などを決めた秘密協定で、イギリスのマーク・サイクスとフランスのフランソワ・ジョルジュ-ピコの協議で原案が作られたことからこう呼ばれている。後にロシアも参加するが、1917年11月のロシア十月革命で実権を握ったボルシェビキ政権によって協定の存在が暴露されている。ちなみに、ウラジミル・プーチン露大統領はイギリスやフランスを含む勢力の中東支配プランに加担していない。
この協定が結ばれた翌月、つまり1916年6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせている。その部署にトーマス・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」も所属していた。このロレンスが接触、支援したアラブ人がフセイン・イブン・アリ。この人物にイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。フセイン・マクマホン協定だ。
イブン・アリは1916年にヒジャーズ王国を建国しているが、このアリはイブン・サウドに追い出されてしまう。そして1932年にサウジアラビアと呼ばれる国が登場した。サウジアラビア建国の背後ではイギリスが蠢いている。
サイクス・ピコ協定が露見した2年後、つまり1917年11月に「バルフォア宣言」、つまりイギリスのアーサー・バルフォア外相の名義でウォルター・ロスチャイルド宛てに送られた書簡が書かれた。その宣言の中で「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。
イギリス政府が言う「ユダヤ人の民族的郷土」は1948年に作られた。この年の4月4日にシオニストはダーレット作戦を発動、デイル・ヤシンという村をシオニストのテロ部隊であるイルグンとスターン・ギャングは襲い、住民を惨殺する。襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると254名が殺され、そのうち145名が女性で35名は妊婦。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否された。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)
この虐殺を見て多くのアラブ系住民は避難を開始、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住した。その後の1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。シオニストが占領した地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎないという。
イギリスの学者で地政学の父とも呼ばれているハルフォード・マッキンダーは1904年、世界制覇のためのプランを発表した。彼は世界支配を実現するためにカギはロシアにあると考える。広大な領土を有し、豊富な天然資源、多くの人口を抱えるからだ。この理論に基づいてズビグネフ・ブレジンスキーも戦略を立てている。
そのロシアを締め上げるため、マッキンダーはユーラシア大陸の沿岸地域に広大な弧を想定する。西ヨーロッパ、中東、インド、東南アジア、朝鮮半島をつなぐ三日月帯で、西の端にはイギリス、東の端には日本がある。この三日月帯の上にイギリスはサウジアラビアとイスラエルを作り上げた。
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