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米韓大統領との会談を控えた朝鮮の金正恩が北京を訪問したが、米国は平和を望まない(その1)
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2018.03.28 櫻井ジャーナル
朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が3月26日に特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談、27日に帰国したようだ。金正恩は4月下旬に韓国の文在寅大統領と、また5月下旬にはアメリカのドナルド・トランプ大統領と会談する予定で、その準備という見方もある。
北京では朝鮮半島の非核化がテーマになったというが、これは朝鮮が核兵器を手放すというだけでなく、韓国からもなくすことを意味するはず。つまり、アメリカ軍も核兵器を朝鮮半島に配備しないということ。核兵器の多くは潜水艦に搭載されているので、そうした潜水艦を東アジア周辺に配置しておけば良いという見方もあるが、半島から核兵器をなくすことにアメリカが同意するかどうかは不明だ。
勿論、日本という問題もある。日本の外務省はアメリカ軍による核兵器の持ち込みを歓迎しているようだが、それだけでなく、日本が核兵器の開発を進めてきた可能性は高い。これは本ブログでは繰り返し書いてきた。少なくともCIAなどアメリカの情報機関内では常識化している。東京電力の福島第一原発で炉心溶融という大事故が発生した後、日本政府が外国の専門家を事故現場へ近づけさせなかったことも疑惑を膨らませる一因になった。
第2次世界大戦の頃、日本でも核兵器の開発が進められていた。理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究、そして海軍が京都帝大と検討していたF研究だが、大戦後の1957年5月に岸信介は参議院で「たとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈」として持っていると答弁している。また1959年3月に岸は参議院予算委員会で「防衛用小型核兵器」は合憲だとも主張している。
NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対して「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。実際、核兵器の開発は始まり、1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年に日本政府は西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけ、拒否されたという。
しかし、西ドイツが核兵器の開発に否定的だったとは言えない。1949年9月から63年10月まで同国の首相を務めたコンラッド・アデナウアーは60年3月、ニューヨークでイスラエルのダビッド・ベングリオン首相と会い、核兵器を開発するために61年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めたとされている。東西統一後のドイツは核ミサイルを搭載できるドルフィン型潜水艦をイスラエルへ提供してきた。
1961年1月からアメリカ大統領になったジョン・F・ケネディはイスラエルのレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)のだが、そのケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されてしまった。
副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは議員時代から親イスラエル派の中心的な存在で、富豪のエイブ・フェインバーグを後ろ盾にしていた。この人物はベングリオンから信頼され、ハリー・トルーマン大統領のスポンサーとして知られているが、フランスのエドムンド・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発を資金面から支えていたという側面もある。
1969年からアメリカ大統領を務めたのはリチャード・ニクソン。その補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語ったという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)(つづく)
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