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8年前にロシアの刑務所から釈放されて英国へ渡ったロシア軍の元情報将校が毒薬で倒れた背景
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803130000/
2018.03.13 櫻井ジャーナル
3月4日にセルゲイ・スクリパリとその娘のユリアがイギリスのソールズベリーで倒れているところを発見された。神経ガス(サリン、またはVXだとされている)が原因で、重体だと伝えられている。
セルゲイはロシア軍の情報機関GRUの元大佐。スペインに赴任中の1995年にイギリスの情報機関MI6のエージェント、パブロ・ミラーにリクルートされ、99年に退役するまでイギリスのスパイとして活動した。MI6が支払った額は10万ドルだという。このミラーはロシアの治安機関FSBに所属していたアレキサンダー・リトビネンコともコンタクトをとっていたと言われている。
セルゲイ・スクリパリがイギリスのスパイダと発覚、逮捕されたのは2004年12月のこと。2006年に懲役13年が言い渡されたが、2010年7月にスパイ交換で釈放され、ソールズベリーで本名を使って生活を始める。身の危険を感じていなかったということだ。妻は2012年に死亡、娘のユリアは14年にロシアへ戻っている。イギリスの政府はセルゲイがロシアで釈放されてから8年後、ロシア当局によって殺されたと示唆、有力メディアはロシアを犯人視する宣伝を始めた。
ソールズベリーから13キロメートルほどの場所にあるポートン・ダウンにはイギリス政府の化学兵器テスト場があり、今でも化学兵器が製造されているという。そのソールズベリーへ移住した後、元MI6オフィサーのクリストファー・スティールに雇われたとも報道された。セルゲイがMI6にリクルートされた頃、スティールは身分を隠してロシアで活動していたとい言われ、両者はその頃から知り合いだった可能性が指摘されている。スクリパリと同様、MI6の仕事をしていたリトビネンコをMI6時代にスティールは動かしていたとも言われている。
スティールはFBIの協力者でもあり、アメリカ下院の情報委員会でアダム・シッフ議員が2016年の大統領選挙にロシアが介入したとする声明を17年3月に出した際、その根拠とされた報告書を作成したことでも知られている。その報告書はフュージョンGPSという会社の依頼で作成されたもので、そのフュージョンの雇い主は事実上、DNC(民主党全国委員会)とヒラリー・クリントンだ。その声明が出される前からスティールはFBIの幹部だったブルース・オーと接触、フュージョンは同じ件でブルース・オーの妻、ネリー・オーも雇っている。ネリーはCIAの仕事をしていた人物だ。この報告書の作成にセルゲイ・スクリパリが関与していた可能性がある。
アメリカやイギリスをはじめとする西側諸国はロシアを悪魔化して描くプロパガンダを展開してきたが、アメリカではロシアゲート事件が司法省/FBIゲートへ変化しつつあり、中東ではアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする侵略計画がロシアに妨害されている。
アメリカのネオコンはウクライナのクーデターでEUとロシアとの関係を断ち切ろうとしたが、思惑通りには進んでいない。ロシアからドイツへ天然ガスを運ぶためのパイプラインがバルト海に敷設され、ノード・ストリームと呼ばれているが、これと並行してノード・ストリーム2が建設されようとしている。現在、アメリカはポーランドを使い、この計画を妨害している。スクリパリ父娘の事件もこの計画を壊すために使われ始めた。
セルゲイ・スクリパリだけでなく、娘のユリアが一緒に倒れていたことに注目する人もいる。セルゲイが「手土産」の情報を持ってロシアへ戻ろうとしていたのではないかと推測する人もいる。アレキサンダー・リトビネンコの場合、ロシアに住む彼の家族によると、アレキサンダーはロシアへ帰ろうとしていた。ちなみに、リトビネンコを雇っていた富豪のボリス・ベレゾフスキーもイギリスで経済的に苦しくなった後、ロシアへの帰国を目論んでいたと言われている。ベレゾフスキーは2013年3月、バークシャーの自宅で死亡した。
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