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1999年発表「日産リバイバルプラン」にもあった“ごまかし”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242918
2018/12/04 日刊ゲンダイ
リバイバルプランの発表は99年10月(C)共同通信社
カルロス・ゴーンを一躍「名経営者」に押し上げたのが、着任からわずか4カ月後の1999年10月に発表した、経営再建計画「日産リバイバルプラン(NRP)」だった。
NRPでは「2000年度連結当期利益の黒字化」「02年度連結売上高営業利益率4.5%以上」「02年度末までに連結有利子負債を7000億円以下に削減」の3つの目標を掲げる。
村山工場など5工場を閉鎖して国内年間生産能力を240万台から165万台へと削減。2万1000人の人員削減、下請け半減と集中発注による購買費の20%削減、子会社・関連会社1400社のうち、主要4社を除く保有株式を売却など、いわゆる「ゴーン・ショック」を引き起こす大改革だった。
ゴーンは「若手を中心の社内横断型組織(クロスファンクショナルチーム)を自ら立ち上げ、わずか数カ月で、NRPを立案した」と、自分の手柄を強調した。が、そこにはすでに「ごまかし」があった。そもそもNRPはゴーンを日産に招聘した塙義一が社内の意見を集めて立案したものだ。
塙は96年6月に社長となるが、すでに経営状況は「火の車」だった。塙は98年5月に「グローバル事業革新策」を発表。その内容は車種の削減やプラットフォーム(車台)の集約、販売店の2チャンネル化、資産売却による有利子負債圧縮、総コストの4000億円削減など、NRPに近い内容だった。
ゴーン着任の1年も前に、塙の手で同様のプランが策定されていたのだ。しかし、ゴーンは公の場でNRPの原型となった事業革新策に触れることはなかった。塙は、のちに「ゴーンが立派なのは計画を実行したことだ」と持ち上げたが、自らがまとめた事業革新策とNRPの内容が似ていることは認めている。
確かにいくら素晴らしい計画を立案しても、実行しなければ意味はない。ゴーンが策定に関わっていなかったからといって、彼の業績や評価が下がることはなかっただろう。にもかかわらず、ゴーンは「真実」を話さなかった。最初はほんの小さな「ごまかし」だったが、まもなくそれはどんどん大きく膨らんでいくことになる。 =つづく
(経済ジャーナリスト・井上学)
【日産ゴーン 腐食の原点】1999年発表「日産リバイバルプラン」にもあった“ごまかし” https://t.co/8aZJPFRRRH #日刊ゲンダイDIGITAL
— 日刊ゲンダイ (@nikkan_gendai) 2018年12月3日
【日産ゴーン】腐食の原点B
— KK (@Trapelus) 2018年12月3日
リバイバルプランにもあったごまかし
立案者は別人
そもそもNRPはゴーンを日産に招聘した塙義一が社内の意見を集めて立案したものだ。
最初はほんの小さな「ごまかし」だったが、まもなくそれはどんどん大きく膨らんでいくことになる
(日刊ゲンダイ) pic.twitter.com/tfPCfAkVny
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