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景気がいいのは本当か? 私たちが豊かになれない本当の理由〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180904-00000018-sasahi-bus_all
AERA dot. 9/5(水) 7:00配信
【図】経済ショックと景気(内閣府国民経済計算より)
【図】成熟社会への転換点(内閣府国民経済計算および日銀統計より)
成熟社会では、金融政策の効果も成長社会とは違ってきます。それを如実に示すのがこのグラフです。横軸は日銀のお金の発行量。つまりお金をどのぐらい世の中に供給しているか。 縦軸は一つが実際の経済活動を表す実質GDPと、もう一つは物価水準です。グラフを見ると、どちらの曲線も1990年代半ばに突然、曲がり方が変わっています。グラフの左端のあたりではお金が増えると物価が上がり、経済活動も増えるという形になっています。ところが1990年代以降、その連動性は止まってしまいました
政府は、経済はよくなっていると言う。確かに株価は上がっているものの、我々の生活実感はない。実際のところ、経済はどうなっているのか?
日本経済は1990年代を境に大きく変貌しているものの、経済政策の考え方はそれに追いついていない、と大阪大学社会経済研究所特任教授の小野善康は語る。2018年7月、小野教授が自著『消費低迷と日本経済』(朝日新書)でつづった内容を中心に、シンポジウムを開催した。日本経済の現状と経済学の考え方、政策のあるべき姿とは。
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私は「お金とモノとの相対的な関係から現代の経済を考える」経済理論を提唱しています。
日本経済はある時期を境に劇的にその様相を変えました。それは日本社会そのものの変化がもたらした結果です。
私が小学生から高校生だった1960年代から70年代の日本は高度成長期で、現在で言えば中国など新興国の経済の状態に近い成長社会でした。
当時は日々生活が豊かになっていく実感がありました。最初は貧しくて、家には掃除機や冷蔵庫もなく、お風呂もありませんでした。それが80年代にもなると、誰もがさまざまな電化製品を持ち、車も持っている、今とほとんど変わらない社会になっていきます。
高度成長期とは欲しいものがたくさんある一方で、それを供給するための生産力が足りない時代です。この頃、お金とは何かを買うためのもので、もし貯めているとしたら、それは欲しいものを買うためでした。典型的なのがテレビです。私が子どもの頃はほとんどの家にはテレビがなくて、お金が入ってくると大喜びでテレビを買ったものでした。
2010年代の今、日本は既に成熟社会に入っています。生産力は60年代当時と比べて格段に大きく、何か需要があればすぐにそれを満たすことができます。どの家でも必要な家具や家電は揃っていて、他に何かほしいモノがあったら、すぐ買えるお金も持っています。
こういう状態の下では、60年代の頃に人々が感じていたほど強烈に「絶対にこれが欲しい」というモノは残っていません。テレビにしても、今自分が持っているものより大きい製品が出てきたけれども、それで生活が大きく変わるわけでもないから、「まあ、今のままでいいや」と思えてしまう。
従来の経済学の発想では、こうなったらお金はもう要らないはずなのです。ところがみんな、お金だけは欲しいわけですね。お金を持っていること自体がうれしい。だからモノを買うためには使わずに、貯めたり、さらに増やそうとする。それが投資ブームや不動産価格高騰につながっています。
もともと人間はモノもお金も欲しかったが、生産力の低い時代にはモノへの欲望の方が切実で、お金への欲望は表に現れなかった。ところが生産力が拡大してモノが行き渡るようになると、お金への欲望が表に現れてきた。私はこの転換こそが成長社会と成熟社会のありようを分ける根本的な要因であると考えています。
市場の規模は「需要」と「供給」のうち、より小さいほうで決まります。
成長社会では供給が小さいため、生産を効率化し、人々が懸命に働いて生産高を増やすほど経済が成長し、社会が豊かになっていきます。ところが欲しいものがそろってしまった成熟社会では需要が市場の上限を決めているので、いくら働いて生産を増やしても、いくら生産効率を上げても、モノが余るだけ。経済の規模は変わりません。
こうした認識が事実かどうか検証するために、過去に起きた大きな経済ショックの影響を見てみましょう。1995年の阪神大震災、1997年からの金融危機、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災です。
これは実は、特徴が二つに分かれます。
阪神大震災と東日本大震災では地震で工場が止まりサプライチェーンが寸断され、生産能力が大きな打撃を受けています。一方、金融危機とリーマンショックでは何も壊れていません。生産能力にも流通システムにも何も問題はなく、人々の実物資産も何のダメージも受けていません。ただみんなが「今お金を使うのはまずいのではないか」と感じて、モノを買わなくなってしまったというだけです。
この両者の影響を見比べると、震災後の経済の回復スピードのほうが、金融ショックの後よりずっと早いことがわかります。
津波で大変な被害があった東日本大震災ですら、経済はすぐに回復しています。阪神大震災に至っては、わずかな凹みすらありません。ところが金融危機とリーマンショックの場合は、物理的なダメージは何もなかったのにGDPがガクッと下がっている。これこそが日本が成長社会から成熟社会に転じていることの証といえます。
日本の場合、一人当たり金融資産の順位は1995年からずっと世界で5位以内ですが、かつて世界トップクラスだった一人当たりGDPは大きく順位を下げて、今や30位近くまで落ちています。これは人々がモノを買わずに、お金を貯めることを楽しんでいることを示しています。おかげで経済は成長せず、「日本は負けた」などと言っているのですが、何のことはない、私たち日本人がお金を握りしめたまま使おうとしないだけです。
現政権になってからこうした状態に対し、「日銀がどんどんお金を発行すれば物価は上がり、景気も回復するのだ」という、いわゆるリフレ派の主張が採用され、日銀は急激に通貨の発行量を増やしました。しかし物価は全然上がらず、実質GDPも上がっていません。
経済政策を決める政治家や官庁には、かつての成功体験に縛られ、「今、景気が悪いのは日本人がダレているからだ。昔のように我慢して一生懸命働けば、経済も回復するのだ」と思っている人が少なくありません。
成長社会で生産力不足の時代にはそのやり方でよかったわけですが、生産力が余っている成熟社会にはそれではうまくいきません。
経済の規模を大きくするのは90年代の携帯電話や00年代のスマートフォンのように、これまでとは大きく違う、人々がまだ知らなかった製品やサービスだけです。
そういう時代に、昔からの生産拡大政策そのままに「我慢」「勤勉」「効率化」などとやっていると、ますます生産力が過剰になって人が余ってしまう。
成熟社会で経済を良くするには、これまでにない創造的な商品や、新たな生活の楽しみ方を考えなければならないのです。そうしたことを考えるのは、実は我慢してがんばることよりずっと大変です。
ともあれ、まずは「社会の発展段階により、打ち出すべき経済政策はまったく違うのだ」という事実を認識することから始めなければなりません。
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