また嘘言ってる 真実は 経済コラムマガジン 18/4/30(984号)
「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末
財務官僚は反安倍勢力
文書改竄に続き、事務次官のセクハラ事件が起り財務省は世間の批難を受けている。しかし筆者は、財務省に関しては別の方向での批難があってしかるべきと思い今週号を書いている。ただ話を進める前に、安倍総理を攻撃する勢力について述べる必要がある。 安倍総理を攻撃する勢力の一つは、安保法制改定に反対し憲法改正を警戒する人々である。端的に言えば左翼である。左翼系メディアや労働組合など野党を支持する勢力である。これまで安倍政権は、野党の猛反対にも拘らず安保法制の改定など安保関連の法改正を着々と実現してきた。またこれらを実現しなが高い支持率を維持し、国政選挙でも連続して勝ってきた。左翼勢力は、ついに本丸である憲法が改正されると危機感を持ち、安倍総理への攻撃を最大限に高めている。 もう一つの反安倍勢力は、財政再建派とか財政規律派と呼ばれる人々である。消費税の再増税を2度も安倍総理に阻止され、彼等の総理個人への反感は最高潮に達している。17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」で取上げたように、自民党の中の反安倍と目される全ての政治家は、財務省に繋がっている財政規律派と見て良いであろう。またポスト安倍と見なされている政治家もほぼ全員財政規律派である。
このように役所の中ではっきりと反安倍のスタンスなのが財務省である。消費税の再増税を阻止され、総理に対しては恨み骨髄と思われる。しかし組織の上では総理は上司であり、財務官僚も表向きには総理に従っている。いわゆる面従腹背という接し方を行っている。 財務官僚の反安倍を示す信じられない話が伝わっている。以前、財務官僚数名が評論家の屋山太郎氏を訪れ「アベノミクスに反対してくれ」と申入れたという(4月14日付ZAKZAK)。これが本当ならとんでもない話であるが、十分有りうると思われる(もちろんアベノミクスが万全ではなく、問題があることは筆者も承知しているが)。筆者は、この前代未聞の出来事は文書改竄やセクハラよりずっと大きな問題と見なす。 ところが今日の財務官僚の一連の不祥事を、安倍政権の責任と日本のメディアは報道する。財務官僚が強硬な反安倍勢力であることを指摘するのは一部のメディアに限られる。ほとんどのメディアはこのことを承知しながら、卑怯にも今日のような偏向報道を続けているのである。 筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。時には16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」で述べたたように、元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。
一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。 しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。
ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。 追出された柔軟派の官僚
「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。 陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。 たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。 それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。
この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。 銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。 このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。
銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。 ところが銀行局が金融庁に変わって10年以上が経ち、今日、銀行行政は様変わりしている。リスクを取らず貸出しが伸びない銀行の方が、むしろ指導を受けるという風になった。金融庁は立上がってしばらくは規律派の天下であった。しかし今日に到り、金融庁は現実を重視した柔軟派に転向したと言える。ただ昔の貸し渋りや貸し剥がしを知っている企業は、簡単には銀行からの借入を増やそうとはしない。
ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。 筆者は、当時、日米が保険で揉めていたことがこれに関係しているのではないかと憶測する。日本の国益を守るため盗聴を警戒していた柔軟派の大蔵官僚と、籠池氏や女性記者に簡単に会話を録音されている今日の規律派の財務官僚とは好対照である。 http://www.adpweb.com/eco/eco984.html 経済コラムマガジン 18/5/14(985号)
環境の激変に対応できない財務官僚 マクロ経済を無視する財務官僚
今週は前回号の補足である。前回号で、大蔵省から財務省になって役所の性質が変わったことを指摘した。これには財務省の発足前の98年に起った接待汚職事件が大きく影響したと筆者は認識する。 財政や銀行行政に対する考え方の違いによって、大蔵省時代の官僚は「柔軟派」と「規律派」の二つのグループに分かれていたと筆者は説明した。少なくとも大蔵省時代はこの二つの勢力が共存し、最終的な政策は両者の妥協で決まっていた。ところが接待汚職事件によって、主な「柔軟派」の官僚が追放されたのである。これ以降は「規律派」の天下となった。 財政のマクロ経済への影響を無視し、財政再建だけに邁進する今日の財務省が出来上がったのである(しかし後ほど述べるが財務官僚も財政が日本経済に影響することは知っている)。財務省になってからは、官僚の発想が複式簿記から単式簿記になった。財務官僚の頭の中は、財政支出の抑制と増税だけの財政再建一辺倒になったのである。 バブル経済崩壊後の財政政策を振返ると、まず財政出動が求められしばらくは積極財政が採られた。しかしある程度日本経済が回復すると必ず「次は財政再建だ」という声が起り、その後、緊縮財政に転換した(橋本政権の逆噴射的な緊縮財政などはこの典型)。この反省で小渕政権が積極財政に転換したところに、問題の接待汚職事件が起ったのである。小渕政権の後半からは、再び財政支出がセーブされ日本経済はバブル崩壊からの回復が大幅に遅れることになった(宮沢蔵相が規律派の官僚に取囲まれ国債発行を抑えさせられた)。
時代も悪かった。この頃米国経済学界をケインズ経済学や財政政策を否定する新古典派や新自由主義派が席巻した。当時はノーベル経済学賞を反ケインジアンのシカゴ学派の学者ばかりが受賞していた。この影響は日本にも及び、財政政策を否定し規制緩和を推進する構造改革派がブームになった。この結果、「構造改革なくして経済成長なし」「財政出動しなくとも規制緩和で経済成長は可能」といった虚言・妄言が世間でまかり通ることとなった。大蔵省の規律派は「規制緩和で経済が成長するのなら、財政支出を削減すべき」とこの流れに悪乗りした。当時、規律派は構造改革派と手を組んで、積極財政派を攻撃していた。 またバブル崩壊後、大きな財政支出を行ったが以前のようには経済が成長しなくなったという論者が出てきた。彼等はこれは財政支出の乗数効果が小さくなったからと、非論理的なことを言っていた。実際は、03/7/28(第307号)「設備投資の実態」で説明したように、バブル時代の大きな設備投資が、バブル崩壊によって激減したことが影響していた。設備投資は名目GDP比率で5%以上も減少した(25兆円程度)。つまり財政支出を大きく増やしたと言うが、この設備投資減少分を埋めるのが精一杯だったのである(財政出動しなければマイナス成長に陥っていた)。決して財政支出の乗数値が小さくなったという話ではない。 もっとも総じて大蔵省時代においても「柔軟派」より「規律派」の方が力があったと感じる。「柔軟派」が発言力を持ったのは、景気が大きく後退した時に限られていたのも事実である。消費税導入前、大蔵官僚は「整備新幹線」「青函トンネル」「本四架橋」の予算を「三大バカ査定」と決め付け内輪で盛上がっていたという。おそらくこの中心はガチガチの「規律派」の大蔵官僚達であったろう。当時は、とにかく公共事業に反対することが日本でブームになっていた。
しかし面白いことに、大蔵省内でエリートと目されていた官僚の方が「柔軟派」と見られることが多かった。05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」で述べたように、筆者は元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)にお会いし話をしたことがある。相沢さんは「柔軟派」を飛び越え「シニョリッジ(ヘリコプター・マネー)」を容認し、「政府が国債を発行し、それを日銀がどんどん買えば済む話じゃないか」と言っておられた。相沢さんは今日の状況を予見していたのであろう。大蔵省時代は、このような官僚こそが事務次官までに出世していたのである。 政治家や国民は「猿」程度か?
意外にも、安倍総理の周りで消費増税に反対する政治家やブレーンに元大蔵官僚がやたらと目立つ。16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」で紹介した山本幸三衆議院議員と宮本一三元衆議院議員は元大蔵官僚である。また高橋洋一氏(元内閣参事官)や本田悦郎スイス大使(元内閣官房参与)も同様に元大蔵官僚である。 したがって消費税の増税については、後輩の現財務官僚が強力に推進し、先輩であるこれらの元大蔵官僚が猛反対するという図式になっている。これも彼等が財務官僚の行動パターンを熟知しているからと筆者は理解している。ただこれらの元大蔵官僚が、相沢さんのように「シニョリッジ(ヘリコプター・マネー)」までを容認しているかは不明である。ともかくこれらの人々の言動がどこまで安倍政権の経済運営に影響を与えられるかが今後の「カギ」となっている。 「文書改竄事件」と「事務次官のセクハラ事件」が連続して明るみになり、連日、財務官僚をメディアが大々的に取上げている。この際決まって、日本で最優秀な人材である財務官僚の不祥事という話から始まる。特にテレビでは、難関の公務員試験合格の上位者しか大蔵省には採用されないと言った話が必ず出る。その財務官僚が間違いを犯したのだから大変というのが日本のマスコミの論調である。しかし筆者はこれに強い違和感を持つ。
筆者は、財務官僚の中には本当に優秀な人もいれば、そうではない者もいると思っている。これは当たり前の話であり、他の組織(他の役所や民間企業)でも事情は同じであろう。難しい試験を通ったからといって、その人物が必ずしも優秀とは限らない。単に試験問題を解くのが得意に過ぎない可能性がある。ところがマスコミは、最優秀のはずの財務官僚が、常識がなく世間の感覚と大きくズレていると今頃になって大騒ぎしているのである。 ただ財務官僚が「策に溺れる」という点を筆者は指摘したい。典型例として、消費税を増税する前に意図的に財政支出を拡大し経済を持上げるといったことをやる。前段で述べたように、表向きには財政が経済に与える力はなくなったと言いながら、矛盾した政策を平気で行うのである。
16/5/23(第892号)「アベノミクス停滞の理由」で述べたように、14年度の消費増税の前にも国債整理基金を7兆円取崩すなどして、10兆円以上の補正予算を組み日本経済の底上げを図った。しかしこれは明らかに消費増税を実施するための見え透いた「餌」であった(財務官僚は政治家や国民を「猿」程度と見下しているのであろう)。増税後は、一転して補正予算を大幅に減額し、さらに増税分の8〜9割を財政再建に回すといった無茶な財政運営を行った。当然のことながら、これによって日本経済は急降下し、財務省は完全に信用を失った。 せっかく日銀が異次元の金融緩和政策を行っているのに、不思議なことに財務省は一向に国債発行政策を変えない。金利がゼロないしマイナスになっているのだから、今のうちに国債を大量に発行することを考えるのが普通であろう。特に償還期限のより長い国債を発行することが有利なことは誰(猿)でも分る(慢性的な財政危機国であるアルゼンチンさえ100年債を発行した)。ところが財務省は全く動かない。
このように財政や金融を取巻く環境は激変しているのに、財政に関する財務省のスタンスは全く変わっていない。いまだに財政再建を増税で行うという方針は微動だにしていない。ちなみに事務次官を代行している矢野官房長はガチガチの「増税派」という話である。教科書秀才の財務官僚は、教科書に載っていない新しい状況に全く対応できないのであろうか。また「柔軟派」が追放された後の財務省では、柔軟な発想が無くなったのであろうか。 日銀が異次元の金融緩和に伴い国債の保有限度枠を撤廃したことによって、日本の財政再建問題は完全に終わったということを財務官僚は理解していないようだ。もっとも分かっていてもこれを認めたくないとも考えられる。またPB(プライマリーバランス)もどうでも良い話になった。
05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」で述べたように、相沢英之衆議院議員が「政府が国債を発行し、それを日銀がどんどん買えば済む話じゃないか」とおっしゃったのに対し、生意気にも筆者は「日銀がどんどん買うと言っても、日銀は内規で国債の保有額に限度を設定している」と指摘した(当時で70兆円程度)。すると相沢さんは「うんそうなんだ、それは私も知っているよ」と答えられた。障害となっていたこの保有限度枠が撤廃されたのである。 http://www.adpweb.com/eco/
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