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外国人観光客が京都で400年続く商店街に殺到、賛否両論の実態
http://diamond.jp/articles/-/167967
2018.4.20 姫田小夏:ジャーナリスト
400年の歴史を持つ錦市場、伊藤若冲の生家もここで青物問屋を営んでいた Photo by Konatsu Himeda
朝から夕方まで激混み
「商店街」もまた日本の固有文化の一つだ。日本全国には1万4655(2015年度、中小企業庁)にものぼる商店街があるが、京都のど真ん中にある「錦市場」は、今や世界から観光客が殺到する商店街だ。
全長390メートル、道幅3.3メートルの狭く細長い商店街は、別名“京の台所”。魚や野菜などの生鮮食品や、豆腐、湯葉、漬物などの日配品を売る店が100件以上も軒を連ねる。
朝10時、すでにこの錦市場には、中国人を始めとするアジア系の観光客が「食べ歩き」を楽しんでいた。「錦市場で朝食を」は、今や外国人客にとっての楽しみの一つのようだ。商店街のシャッターが上がりきる昼頃には、前に進めないほどの混みようになる。
夕方、再び訪れてみると、もはや立錐の余地もないほどの人出となっていた。民泊利用の観光客が、ここで買い込んだ食材を調理するというのが、最近の旅のスタイルだとか。視界に入る客の9割以上が外国人客だ。
想定外の事態に賛否両論
だが、客層の大半が外国人化する錦市場のありようには賛否両論ある。本来は地元客を相手にした食品専門の商店街だった錦市場にとって、外国人客のこれほどまでの増加は想定外の展開だ。
外国人に対し、取り扱いに気をつけるよう呼び掛ける商店も多い Photo by K.H
販売目的で陳列する豆菓子を「試食」と間違えて手を出す外国人客には、店主も困惑気味だ。湯葉や麩(ふ)などデリケートな商材を扱う店などは、「取り扱いに配慮のない外国人客」に辟易している様子であり、その狼狽ぶりは英文で書かれた注意書きにもにじみ出ている。「外国人客がこれ以上増えたら…」という危機感を抱く商店は一つや二つではない。
また、観光客にとって、ゴチャゴチャした雑然感が魅力でも、地元客は整然として落ち着いた環境での買い物を好む。実際、筆者も急ぎ足でここを通り抜けようとする地元客のイライラを目撃し、苦々しい“舌打ち”も耳にした。
殺到する外国人客をかき分けて、地元の人が買い物をするのは現実的ではない。残念ながら、観光客と地元客のニーズは相いれないのである。また、日本人客の視点からも、「高齢者には不向き」など、外国人客が殺到する現状に否定的な声がある。
錦市場が直面した昭和の二大リスク
“京の台所”としての錦市場の歴史は古い。さかのぼること江戸時代の1615年、幕府から魚問屋の称号が許され、魚市場として栄えた。その後、青果市場も設けられ、そこから本格的な食品市場がスタートした。以来400年の歳月が流れたが、常に時代の変遷がもたらすリスクと闘ってきた。
昭和に入ると二大リスクが錦市場を直撃した。一つは1927年に開業した京都中央市場により、錦市場の地位が低下してしまったこと、もう一つが1970年代を前後しての百貨店や食品スーパーの台頭である。生麩を扱う商店の主人は「昭和は30〜40年代が、錦市場が最も栄えた時代」だと振り返る。
ちなみに、同志社大学・西村卓ゼミナールがまとめた書籍『京の庶民史』(かもがわ出版)は、1994年に行った錦市場の調査が掲載されているが、時代も平成に入ると、こだわりある高級商材を扱う錦市場の商品が日常の買い物に合わなくなりつつあり、地元客の高齢化が始まっていたことが分かる。
一方、昭和50年代から日本人を主流とした観光客が錦市場を訪れるようになる。京都錦市場商店街振興組合によれば「日本人観光客は漬物や湯葉などを買い物した」という。だが半面、鮮度を気にしての「見学のみでの素通り」(『京の庶民史』)もあったようで、「売り上げの伸び悩み」に頭を痛める店もあったと記されている。地元客の高齢化と市場の観光化は、この頃からの課題だったのだ。
観光客と地元客のニーズは相いれない
同著の調査から四半世紀近くが過ぎた現在、2010年以降に本格化するインバウンドツーリズムを背景に、錦市場の主要な客は外国人客に入れ替わった。
時代の変遷に翻弄されるのが、錦市場の宿命なのだといえるだろう。だが、各商店の「時代の変わり目」を察知しての“ビジネスモデルの転換”は見るべきものがある。
小分けで安価な商品に外国人客が飛びつく Photo by K.H
もともと、保存の効く菓子類などを除き、生鮮品や日配品は観光客には売りにくい商品でもある。ところが錦市場には、そんなハンデを克服する商店が多い。カギとなったのが、商品を串に刺しての一本売りだ。この錦市場では、ウナギ、ハモ、タコ、スズメ、だし巻きタマゴなど、ありとあらゆる食材を串に刺して売っている。
外国人客も旺盛な食欲を隠さない。地元客なら自宅に持ち帰って切り分けて食べるだし巻きタマゴも、店頭で速攻かぶりつく。中国人客にとって、1本1500円という価格も高くはないようだ。
店頭商品をあえて小分けパックにして売る店も多い。刺身もまたその場で食べられるような小分けで売られている。筆者はハモ寿司が2切れ入ったパックを200円で買った。この商店街では「100円」「200円」という小額の価格帯が目についたが、これはポケットから取り出しやすい金額でもある。
錦市場ではかなりの店がイートインを採用しているPhoto by K.H
極めつけはイートインだ。錦市場では、買った商品をそのまま店内で食べられるというイートインが、かなりの商店で行われている。
筆者が注目したのは、昭和35年に創業した「錦大丸」だ。見かけは普通の魚屋さんだが、店内にはイートイン向けの席がしつらえてある。店頭には活きのいい鮮魚に加え、イートインにはもってこいのサバやウナギの押し寿司もある。店内では缶ビールも売っているという気の利きようだ。
錦市場の多くの店がこのイートインを取り入れているが、実は苦肉の策として発案されたものだったという。代表取締役の大隅勇三さんは、近年の錦市場の変遷を次のように語っている。
イートインには老若男女が集まる Photo by K.H
「錦市場のお客さんのほとんどが、外国人客だと言っても過言ではありません。その反対に、地元のお客さんが遠ざかってしまいました。これほどまでに外国人が増えれば、ベビーカーも自転車も通れません。ますます地元客が来なくなるという悪循環の中で、観光客向けに商品在庫をさばくための発案がイートインだったのです」
串刺しを中心とした「食べ歩きスタイル」は、“新たな販売モデル”とはなったものの、「夕方過ぎると、通路はゴミの山」(大隅さん)になってしまう。それぞれの商店の軒先は、面積の限界もあり大きなゴミ箱を置くことはできない。イートインはこうした問題から生まれてきた発想でもあった。
京都錦市場商店街振興組合は、外国人客向けの売り方の工夫については「それぞれの店の個別で、自発的な取り組み」とし、組合としての関与はないという。それにしても個別店舗の、市場動向をにらんでの“打つ手の速さ”は注目すべきものがある。
地元客にも根強いファン
だが、「大事なのは地元客、観光地化には反対」といった声も根強くあり、無視することはできない。商店によっては「インバウンド」とは無関係の店もあるだろう。また、地元客の立場に立てば、ここ数年でガラリと様変わりした現状に、嫌悪すら覚えても不思議ではない。
市内在住の榎真理子さん(45歳)は、祖父母の代からこの市場を利用してきた“なじみの地元客”のひとりである。その榎さんが今の錦市場についてこう語っている。
「混雑の中の食べ歩きは正直迷惑。ソースが服についたり、串が刺さったりでもしたらかなわん。昔は公共の場で食べ歩きしたら、家族に叱られたものだったけど」
だが、榎さんは、今なお片道30分かけて錦市場に通い続けている。それは「昔ながらの“錦らしさ”が残っているから」だという。
「外国人客とは無縁の鶏肉屋さんや果物屋さん、花屋さんが今なお暖簾を守っているのは、地元客に支持されている証拠です。『田中』『三木』の名店で知られるだし巻きたまごは祖母の代から続く買い物です。『有次』の包丁は世代を超えて使える優れもの、数え上げればキリがないほどいいものが錦にはある、間違いなく私にとっての“台所”です」
時代の変遷とともに客層が変わり、その目的や利用のされ方、あるいは売り方が変わる錦市場商店街。注目したいのは、地元客であろうと外国人客であろうと、買い手にとっての「錦らしさ」は色あせていないということだ。「観光立国」を目指す日本の時代の変わり目において、活気に満ちた錦市場は見るべき事例の一つではないだろうか。
(ジャーナリスト 姫田小夏)
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