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トヨタ&パナの「15の金言」 今こそ勝ち組企業の哲学に学ぶ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180215-00000008-sasahi-bus_all
週刊朝日 2018年2月23日号
トヨタ現社長の豊田章男(左)とパナソニック現社長の津賀一宏(c)朝日新聞社
昨年はトヨタグループの創始者・豊田佐吉の生誕150周年、今年は松下幸之助が生んだパナソニックの創業100周年。日本を代表する企業が、相次いで節目の年を迎えている。幾多の困難に向き合いながら、経営環境に合わせて変革を遂げてきた両社。社内で長年受け継がれてきたリーダーの言葉をジャーナリストの井上久男氏が取材した。
日本でもっとも稼ぐ企業であるトヨタ自動車。その源流は、1933(昭和8)年に豊田自動織機製作所内にベンチャー事業として自動車部が設立されたことにある。豊田自動織機を創業したのは豊田佐吉であり、佐吉が遺した言葉には現代の経営にも通じるものが多い。
「創意と工夫を盛んにせよ」。この言葉には、単に知恵を使って工夫しなさいということだけではなく、優れたアイデアを社外にも広く求めて社内と比較することで自らの実力を把握せよ、という意味が含まれるそうだ。
最近は、オープンイノベーションという言葉が企業内でよく使われる。簡潔に言えば、自社にない外部のアイデアを取り込み、新しいビジネスや価値を生み出していこうというものだ。こうした発想に通じるものがある。
さらに佐吉は、国内での成功を得て中国への進出をもくろんでいた際に、反対する社内に対してこう語った。「障子を開けてみよ。外は広い」。これからの時代、オープンでグローバルな視野が必要と佐吉は考えていたようだ。実際、佐吉は今から100年近く前の1919(大正8)年、上海に紡織工場を建設するために、永住の覚悟で移住した。
その佐吉の長男、喜一郎は紡織機の開発・改良に注力しながら、自動車事業に乗り出した。トヨタ社内で今も語り継がれるのが、「1日3回以上手を洗わないような技術者は、ものにならない」。これは喜一郎がよく発した言葉だとされる。
喜一郎は、技術者の手が油で汚れていると、機嫌が良かったそうだ。設計を担当した技術者が自ら現場に赴いて図面通りモノができているかを確認しているかを重視したのだ。これが「現地現物」を大事にするトヨタの現場主義につながった。
現在でも、トヨタのホワイトカラーはワイシャツ、ネクタイの上に、ねずみ色の作業着(通称ナッパ服)を着て仕事をする人がかなりいる。喜一郎の直孫である現社長の章男も執務室ではナッパ服を着ている。これは、いつでも現場に飛び出していけるという姿勢を示している。
戦後、トヨタは赤字に陥り、大規模な労働争議が発生。朝鮮動乱の特需で危機を乗り越えた。戦後の混乱期に、親会社の豊田自動織機からトヨタ社長に転じたのが石田退三だ。その至言は「自分の城は自分で守れ」。こうした発想が、トヨタの無借金経営の礎となった。
戦後の混乱を経てトヨタを世界的な企業に育てたのが中興の祖と呼ばれ、社長、会長を務めた豊田英二だ。
「自動車が孫悟空のきんと雲のようになれば理想だね」。英二が1983年、経済評論家との対談で語ったとされる言葉だ。英二が技術者としてイメージしたのは、簡単に操れて行きたいところに自由に行ける交通手段だろう。
それから三十数年経ったが、今や自動運転、シェアカーの技術・サービスが誕生し、さらに進化していく。英二が想像した時代が近づいている。米国企業のテラフージア社は「空飛ぶクルマ」を開発中で、コンセプトモデルを公開。トヨタの社員ら有志も団体「カーティベーター」を設立、空飛ぶクルマ「スカイドライブ」の開発を急いでいる。
効率的なトヨタのものづくりの代名詞が「かんばん方式」だ。この方式を編み出したのが元副社長の大野耐一で、「価値と価格を混同してはいけない。製品がその価格で売れるのは、顧客にとって価値があるからだ」と唱えた。当時から「顧客価値」を意識していたのには驚く。
その大野を実行部隊長として支えたのが、生産調査室主査などを歴任した鈴村喜久男。鈴村の言葉は世間でほとんど知られていないが、本質を突くものが多い。
「大切なことは作ってなんぼの生産よりも、売れてなんぼのトータルの生産性だ」。今でも本当のプロはトヨタ生産方式について、見せかけの在庫減らしではなく、製造から販売までの一気通貫での効率化を意識している。それが大野や鈴村の“遺伝子”でもある。
中興の祖の英二の後、トヨタをグローバル企業に成長させた点で功績があるのが現相談役の奥田碩だ。その名言は「トヨタの敵はトヨタ」と「何も変えないことが最も悪いこと」。強靭な経営体質で一時は自動車業界に敵なしと言われたが、慢心や驕りから内部崩壊しかねないことに常々警鐘を鳴らし、前例やタブーにとらわれない経営をめざした。
トヨタではかつて社員研修用に、こうした名言を集めた冊子をつくっていた。
奥田、張富士夫、渡辺捷昭と3代続いたサラリーマン社長を経て2009年、創業家の豊田章男が社長に就いた。自動車業界はIT企業の新規参入もあり、異次元競争が始まっている。こうした局面で章男は17年11月、役員人事を発表した際にこう語った。
「自動車業界は100年に一度の大変革の時代に入った。次の100年も自動車メーカーがモビリティ社会の主役を張れる保証はどこにもない。『勝つか負けるか』ではなく、まさに『生きるか死ぬか』という瀬戸際の戦いが始まっている」
いつの時代もトヨタには危機が襲い、それを乗り越えてきた歴史がある。歴代経営者の箴言からは、それが伝わってくる。
トヨタと並び日本の製造業を代表するのがパナソニックだ。今年で創業100年を迎える。創業者・松下幸之助は平易な表現ながらも物事の本質を突く多くの言葉を遺している。
「素直な心になりましょう」。何事にもとらわれず、ありのままに物事をみて判断しようという意味が含まれる。情報は多くある一方で将来への不透明感が高まる今の時代にこそ必要な姿勢かもしれない。
「人間は磨けば輝くダイヤモンドの原石」。これも、安易なリストラが横行する時代だからこそ、経営者には噛みしめてほしい言葉だ。人の無限の可能性を信じて、素質を磨いてあげ、人を生かしてこそ真の経営者だと幸之助は言いたかったのであろう。
現在は働き方改革が叫ばれ、安倍政権が取り組む重要課題の一つにもなっている。幸之助は1960年の経営方針発表会で、すでに労働生産性の問題についてこう言及している。
「やがてわれわれは国際舞台で商売の真剣勝負をやらなければならなくなる。国際競争に打ち勝つためには、ひとりひとりが能率を2倍にも3倍にも上げ、欧米の一流企業と立派に商売をやって、一歩もひけをとらない、という姿にもっていかないといけない」(日本経済新聞「私の履歴書」)
時代を読む慧眼には驚かされる。(敬称略)
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