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・大東亜共栄圏とは アメリカ等から、石油などを止められてしまったから、
東南アジアや、インドに対して、「 欧米列強の植民地支配 」から、解放してあげるから、
すみませんけど、資源を分けて下さい。ということ。
まず、最初に。
アヘン戦争、アロー戦争から、中国は、イギリス・フランスから、大敗し、
「眠れる巨像」ではないことが分かったことで、
(今でこそ、ほんとに眠れる巨像が開花したが)、
「眠れる巨像」ではないことが分かったことで、
続々と、欧米列強から、中国に、介入してきた。
それからの、中国は、
ただただ、列強に、喰い散らかされ、
事実上、「中国」という国は、無い状態になっていた。
それから、日本も、日露戦争で、唯一、獲得した、(南樺太もあるが)
「満鉄権益」(南満州鉄道の権益)から、「満州事変」を経過し、
1937年の、「盧溝橋事件」(シナ事変)に、突入した。
(ここでは、どちらが、最初に、発砲したか。などは、水掛け論になるので、それは省略。)
それから、半年後に、その日中戦争に、ドイツが、仲裁に入った。(トラウトマン工作)
そこで、戦争を、止めときゃ、よかったのに、
野心をもった、近衛文麿と、軍部が、仲裁を無視する形で、侵略戦争(ここからは、侵略戦争ですな)を続けてしまった。
そこで、アメリカです。
中国大陸における権益を狙っていた、アメリカも、中国に干渉し始めます。
(もともと、ルーズベルト家は、フランクリンの祖父の時代から、中国とのアヘン貿易で、大儲けをしていた家系。)
そこで、アメリカ・イギリスは、
イギリスが、日露戦争前に、ロシアが、世界での侵略や、中国やインドで、イギリスの利益を脅かしていたことに対して、それを嫌がり、
ロシアの、アジア進出を、抑えようと,日本と、日英同盟を結んだことと同じように、
アメリカ・イギリスは、日本の、中国大陸での、戦線拡大を、嫌がり、
「援蒋ルート」という、蒋介石の国民党に、軍事援助を、し始めました。
もちろん、人助けじゃなくて、アメリカ・イギリスの、中国に対する、干渉のためです。(中国に対する、権益狙いのため。)
そのうえ、アメリカは、1939年7月に「日米通商条約」の破棄を、通告しました。
ここから、アメリカの、日本に対する、経済制裁が、始まったのです。
1939年9月に、日本は、「援蒋ルート」を、遮断するために、
北部仏印(現在の北ベトナム)進駐を、します。
1940年1月 アメリカは、「日米通商条約」を、失効しました。
日本に対して、くず鉄、鉄鋼、航空機燃料、工作機械等を、止めてしまいました。
その後も、アメリカ・イギリスは、様々な策略を弄して、ABCDラインが成功するに至ったのです。
それ以後も、アメリカ・イギリスの、対日強硬政策によって、追い詰められた日本は、
一方では、日米交渉を、友好的に、進展させようと、画策していましたが、
アメリカ・イギリスは、ますます経済制裁を、強めていきました。
オランダにも、日本に、石油を売らないよう、圧力をかけました。
また、オランダ自身も、日独伊三国同盟以降は、日本に対する、供給を渋りました。
そこで、日本は、1941年7月28日。
石油、ゴム、アルミなど、軍需物資の調達のために、南部仏印(現在の南ベトナム)に、進駐しました。
そこで、また、アメリカです。
この、南部仏印進駐によって、1941年8月1日に、
日本に対して、完全に、石油をストップさせました。
それから、その3ヵ月後の、12月8日に、日米開戦が、始まったわけですけど、
けっきょくは、1939年の、9月の、北部仏印進駐の、前から、
ルーズベルトは、すでに陰謀を、考えていたのです。
山本五十六が、真珠湾を、攻撃したことによって、
ルーズベルトの陰謀は、思惑通りになりました。
イギリスの、チャーチルも、歓喜に、沸きました。
これで、ルーズベルトは、念願の、欧州戦線に、参戦することが、できたのだから。
では、本題の、「大東亜共栄圏」の話しに、しましょう。
「大東亜共栄圏」とは、ABCDラインなる、アメリカ等の、経済制裁に、参っていました。
そこで、1940年7月に、第2次近衛内閣が、
アジア諸国を、「 欧米の植民地支配 」から、解放させてあげる代わりに、
「資源」を、分けてもらおう。
という、考えでした。
とくに、狙いは、資源豊富の、インドネシアでした。
ここから、日本の、主な、戦争目的は、日中戦争に代わって、
日本の、自存自衛と、アジア諸国を、「 欧米の植民地支配 」から解放し、
アジアを、今でいう、EUのようにすることでした。
主な、戦場は、南方(東南アジア)になりました。
私は、「大東亜共栄圏」を、全くの、美名にはしません。
なにしろ、南方を、戦場にし、
じゃあ、日本の兵隊が、その国々で、聖人君子のような、振る舞いをしていたかというと、
さすがに、それはないでしょう。
なんていったって、兵隊なんですから。
現地の、国々で、民間人に対しても、酷いことをした。なんてことも、あったでしょう。
中曽根康弘の、自叙伝みたいな本で、
「俺(当時、青年将校)が、慰安所を作らなかったら、強姦が、生じていただろう。」
と、書いてあるくらいですからね。
ま、兵隊さんといっても、色々なんでしょうけどね。
とにかく、そういうこともあって、私は、「大東亜共栄圏」。「大東亜戦争」。を、
全くの、美名には、しません。
なにしろ、「資源」を止められたから、その「資源」が、必要なために、
「大東亜共栄圏」は、作られたわけですから。
しかし、やがて、日本は、敗戦を迎えますが、
戦時中だけでも、日本は、ビルマと、フィリピンを、「 欧米列強の植民地支配 」から、独立させました。
そして、戦後も、日本は、(タイを除く)、東南アジア諸国と、インドを
「 欧米列強の植民地支配 」から、独立させました。
日本も、彼らを、独立させて 彼らも、自分たちで、独立したのです。
それは、どういうことかというと、
日本は、敗戦までに、東南アジア諸国に、対して、
「政府」と「軍隊」。というものを、作ったからです。
だから、彼ら(東南アジア諸国や、インド)は、
日本が作った、「軍隊」によって、
欧米列強を、自国から、追い払うことが、できたのです。
このようにして、彼ら(東南アジア諸国や、インド)は、
「 欧米列強からの、解放 」。「独立」。を、つかんだのです。
そういうことです。
(最後に)。
「反日サヨク」や、「反日外国人」が、
日本は、東南アジアを、植民地にした。と言う人がいるが、
その辺の、判断は、難しいので、お答えしません。
ただ、” 欧米の植民地支配とは、雲泥の差 ”。
とは、完璧に、言い切れるでしょう。
では、仮に、日本が、東南アジアを、植民地にした。と、しましょう。
それでも、たったの、4年です。
たったの、4年間です。
それに比べて、欧米は、どうですか。
大航海時代から、フィリピンなど、
スペインと、アメリカから、400年も、植民地支配をされました。
どうですか。
4年と、400年ですよ。
ちょうど、100倍です。
それでも、
「欧米の植民地支配を、批判する人は、まずは、日本がやった植民地支配に、批判しなくちゃいけないんだよーー。」
とか、本気で言ってる、本物の馬鹿がいる。
日本支配:欧米支配 1:100 なのに。
反日サヨク(反日外国人)の、マジキチぶりには、ただただ驚かされるだけです。
では、ほんとに最後に。
私は、麻生太郎という、政治家が、あまり好きではないのだが、
その、麻生太郎が、10年くらい前に、「大東亜戦争」という発言をしたら、
日本の、マスコミは、麻生に対して、総バッシングをしました。
なんで、政治家が、「大東亜戦争」と言っただけで、
マスコミは、バッシングをしなければ、いけないのだ。
私も、私で、ふだんは、太平洋戦争のことを、太平洋戦争。と言いますが、
なんで、政治家が、「大東亜戦争」と、言っただけで、
マスコミは、バッシングをしなければ、いけないのだ。
君たち、一体、どこの国の、マスコミなの。と、言いたくなるだろう。
だから、マスコミも、馬鹿で、
日本の、マスコミというのは、日本人ではなく、
ある、特異な人種が、牛耳っているもの。ということを、
自ら、露呈してしまったのです。
ある、特異な人種さんには、大変、参ってるんですけどね。
以上に、なりますが。
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