http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/493.html
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(前々記事)
「人生で、一番、大事なことは、不運に襲われないことだ。」 「悪人は、絶対に、不運に襲われない。」
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/486.html
(前記事)
「人生は、『運』で、決まる。」 「人生は、損得である。」 「人生は、いかに良い思いをして、いかに嫌な思いをしないかだ。」
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/490.html
「いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である。」 (セネカ)
この、マシマヒロトって人は、同じような記事を、続けて、3回も書いているじゃないか。と。
しかし、私が、一番、言いたいことは、この、セネカの言葉なのかもしれないのだ。
あまり、自分の素性を言いたくはないが、私は、高校に入ってから、
修羅が、30年ほど、続いている。
そして、それは、必然ではなく、ひとえに「不運」だ。
高校に入ってから、「不運」が、続きっぱなしだ。
見えない、悪の力が、常に、働いてきた。
見えない、悪の力が、常に、働いてきた。
だから、私は、神が、憎くて、憎くて、しょうがないのだ。
この、不道徳すぎる神を、殺したくて、殺したくて、しょうがないのだ。
べつに、愚痴を言っているわけでは、ないんですけどね。
しかし、「不運」に襲われる。というのは、そういうことなのです。
まず、30年、闘病生活ですよ。
前々記事だか、前記事だかに、
「健康寿命」「脳の寿命」ということを、ちょっと言いましたが、
そんなものは、とっくに過ぎてる。
だからといって、同情しないで下さい。
こうやって、基本、駄目男なのに、
なんか知らないけど、よく分からない、ちょっとしたパワーみたいのが、たまに出てくることも、あるんですよ。
たまにですけどね。
ほんと、たまにです。
ただ、その、ちょっとしたパワーも、もう、出てきそうもないんですけどね。
それで、私は、時々、思うことがあるんですが、
自分は、「諸刃の刃」では、ないかと。
原因は、それだけじゃないと思いますが、
こうやって記事を書いても、ファンが、1人もつかないのは、
それも、原因の1つではないかと。
「なんだ、おまえ ファンが欲しいのか。だけど、おまえなんかに、ファンなんか、つかねえよ。もうちょっと、自分を客観的に見ろよ。」
まあ、こんな言葉が、出てきそうですが、
ファンが欲しいとかじゃなくて、”ほんの、ちょっとの評価”が、欲しいんです。
”ほんの、ちょっとの評価”が。
私には、金がない。
中年男で、金がなかったら、どうする。
だから、私は、ブログを書いている。
もちろん、ブログを書いている理由は、それだけじゃないが、
できれば、本を出したい。
ほんとは、本を出したいんですよ。
ただ、昨日の記事のコメントでも、書きましたけど、自分には、肩書きらしい肩書きがない。
だから、本は、無理なんです。
「いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である。」
この言葉は、全くもって、その通りなのだが、
その通りなだけに、
実は、私にとっては、痛いのだ。
悪名高い、ローマ皇帝ネロの、初期の政治は、実は、善政をしていた。
しかし、なぜ、ネロが善政をしていたかというと、
それは、この、セネカという優秀な側近がいたからなのだ。
「いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である。」
だから、この言葉も、昨日、私が、記事に書いた、
「人生は、いかに良い思いをして、いかに嫌な思いをしないかだ。」
けっきょく、同じような意味でしょ。
ま、俺の場合は、自分の苦労を、それを教訓にしてくれ。みたいなものなんですけどね。
じゃあ、若い女の子が、
「人生、楽しんだもの勝ち♪」
などと、言ったりしてますが、けっきょく、そういうことなんですよね。
そういうことなんですよ。
「人生は、楽しまなければいけない。」
「人生は、楽しまなければいけないんだ。」と。
もちろん、”人に迷惑をかけずに。”ということが、絶対前提になると思いますが、
そういうことなんですよね。
じゃあ、そういうことで、今日は、この辺で。
ご静聴、ありがとうございました。
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