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以前、ビートたけしの番組に出演中の元法政大学教授、田嶋陽子がおかしな発言をしていた。(というか、田嶋におかしくない発言など普段からあまりないのだが。)
視聴者代表ででてきた主婦が弁舌をはじめ、そのさい自分の夫を「主人」というのを聞き咎めた田嶋は「奴隷じゃあるまいし、主人なんて言葉を使うのはやめなよ」と中断させる。
いうまでもないが、「主人」よりも「カミサン」のほうが上位概念であり、そうやって相手を引き立て立場を調節する気配りの習慣を反映させた語彙が豊富なところが日本語の奥行である。田嶋は英語の先生らしいのだが、英語でもBetter halfという謙譲表現で配偶者をヨイショすることをまさか知らないのだろうか。
田嶋に奴隷よばわりされた主婦は「そんなことほっといてください」と即座に言い返したのだが、その時、ビートたけしはいつになく大喜びしていた。視聴率を取り続けるために、あまりドギツイことは言えず善人のお面をかぶってきたビートたけしだが、あれが本性だろう。
くだらん共演者など、本当は追っ払いたいのだがそれができない。彼の鬱憤は暴力的な映画ではらされていたといえようか。10年代に撮られた「アウトレイジ」「アウトレイジ・ビヨンド」「アウトレイジ最終章」はとにかく主人公が殺しに殺しを繰り返す殺戮モノである。
映画じゃないか、フィクションじゃないか、といってしまえばそれまでだが、この映画シリーズにおける武は、いままでにない狂暴性、徹底した冷酷な残虐性を発揮しており、それは異常である。小林正樹の大作に「切腹」といって、やはり主人公が世界と心中するかのような大虐殺を企てる恐ろしい昭和映画があったが、それはまだいくらか武士道に従った倫理に基づく凶行だったのに比べ、アウトレイジのタケシははじめは物わかりのいいことを言っているものの、だんだん行動異常が抑えられなくなり殺人鬼として散る最後である。
私はアウトレイジが副産物として現実に問題を波及していきたことをもはや否めなくなっている。
私は超常現象を語りたいわけではない。たとえば80年代の篠田正浩による映画では、主演した夏目雅子をはじめ、撮影に関係したキャスト・スタッフから何人も白血病患者が生み出された。まるでツタンカーメン発掘隊のように呪いの犠牲になったようだが、私はおそらく撮影現場で放射線への接触があったのではないかと疑っており、不思議に包まれる現象にエンタメを見出そうなどとは考えない。
アウトレイジの場合、3部作が終了したあと、何が起きたか。タケシの所属してきたオフィス北野が存続の危機にみまわれたのである。結局、武はオフィス北野をやめ、愛人と新しい事務所を設立、武の映画にとって最大の協力者であった、オフィス北野の代表でもあるプロデューサーの森氏(武いわくモーホーの森さん)から去る形での決裂となった。ある意味、映画監督転向以来の歴史の終了である。
狂気の暴力映画アウトレイジがもたらしたのは、オフィス北野分裂騒動だけではない。出演者も次々に災難に見舞われたのである。
大杉蓮。北野映画にはかかせない渋い万年中年キャラの男優が、NHK番組の収録ロケ中に急死した。アウトレイジ出演組の俳優たちが集って行われていたロケだけに、まさにアウトレイジの余韻の中での突然死であった。いきなり心臓がとまってしまうというアニメのDeath Noteを彷彿とさせるような事故であった。
そして新井浩文。アウトレイジ2での役どころは台詞こそ限られていたが、キャラを売るのには印象深いシーンに溢れていた。殺人、レイプ、覚醒剤からフル活動へと復帰できた芸能人はいない。それは歴史が物語る真実であり、新井の起こした強制交接は決して許される類の犯罪ではない。分別もつく年齢であり、俳優としても円熟期にはいっていたことからしても、突然の凶悪犯罪へ駆り立てたものがなんなのかそれは藪の中である。
森永健司。アウトレイジ1では重要な役を演じる。それまで武に見出された役者が大成していくことからしても、そこからの未来は明るい筈であった。それが路上での引ったくりで逮捕。常習犯だったために冤罪か何らかの誤解が招いた路線も閉ざされ、チンピラとしてせっかく手に入れた未来を手放すはめに。
真木蔵人。アウトレイジにつながるブラザーに出演。アウトレイジ3作への参加は見合されたが、その時期、問題を起こし、以後姿を消す。
北村総一朗(アウトレイジ1)、塩見三省(アウトレイジ2・3)は重病に陥るも生還している。
関東の広域暴力団の内部抗争から、東西最大勢力同士の抗争へと規模を広めたアウトレイジ。最後は全国制覇の関西団体(山口組に似せていることは明白)が、韓国の大ボスによって締められるというタブーまで描いている。ビートたけしにとっては、おそらく現役俳優生活の中で最後の大暴れを収める大作であり、これで幕を引いてもいいような感慨を残した問題作であった。
暴力映画のリアリズムが現実の世界に風穴をあけた、その代償。そうやって非常識な映画は現実からの逆襲におそわれ、北野アウトレイジ組の組員はその風当たりにひっかかることがおきた、ということかもしれない。
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