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※リンク先に写真を並べている
宮崎駿の最近作「風立ちぬ」は駿の先祖に対する想いの描写であり、家族の記憶の再現である。分かる人にだけ分かれという宮崎家の家族だけが知る秘密の告白でもある。
「風立ちぬ」登場人物のモデル
堀越二郎1903〜1982
堀辰雄1904〜1953
※2人は芥川龍之介の庶子と考えられる。芥川は光緒帝の孫であるが、清王族の伝統に則り、堀は堀越の影武者を演じていた可能性がある。そのため、「風立ちぬ」の主人公を堀越(同時に堀自身でもある)に据えた。
矢野綾子1911〜1935
※矢野綾子は高校時代「異人さんみたいな女の子」と級友に呼ばれていたそうだ。彼女はその後女子美に入学するが、女子美時代の情報が無い。これは、彼女が女子美時代に亡くなったからではないかと考えられる。では、療養所で堀が出会った矢野綾子は誰なのか?
18歳のデュラスが矢野綾子の正体?
マルグリット・デュラス1914〜1996
※デュラスは、ジャン=ポール・サルトルと同じように北一輝の子である。北一輝は226事件に関連して処刑されたが、処刑されたのは影武者である。その後、北一輝はフランスに逃亡し、潜伏した。その時に北一輝は、哲学者サルトル、作家・映画監督デュラス、ミュージシャン・作家・俳優・映画監督セルジュ・ゲンズブールなどを子として儲けている。
デュラスは、北一輝の遺伝子を所望した母がフランス人探偵に逢引を依頼することで生まれた。つまり、フランス人探偵とは関係が深い。デュラスは、フランス統治時代のべトナムにいた15歳の時に華僑青年と危ない恋愛をした時のことを「愛人/ラマン」という作品に著した。これは映画化もされたが、ジャン=ジャック・アノー監督がポルノ風に解釈したため、デュラス本人は気に入っていなかった。
じつは、この時にデュラスが恋した青年とは華僑の青年ではなく、未来のインドネシア初代大統領スカルノであった。デュラスは16歳の時にスカルノとの間に娘を儲けている。このとき、スカルノは29歳だった。その時に生まれたデュラスとスカルノの娘がマイケル・ジャクソンなど、ジャクソンズ兄弟を生んだ母キャサリン・ジャクソンである。マイケルのまなざしは若き日の祖父スカルノのまなざしに似ている。
「愛人ラマン」に登場する華僑青年だが、彼はデュラスとスカルノの恋愛を隠すために名前と顔を貸していたに過ぎない。15歳のデュラスは28歳のスカルノと逢引をしていたが、デュラスの家族と会うのは華僑青年の役だったのだ。しかし、キャサリンが生まれた翌年にスカルノはオランダ当局に逮捕されて収監された。そのため、17歳のデュラスは娘をアメリカに里子に出した。その後、18歳の時にデュラスは家族と共にフランスに帰国した。
少なくとも、wikiではデュラス家族はフランスに帰国したことになっている。だが、実際にはデュラスはフランスに帰国する前に父北一輝の故国である日本の地を踏んだ。父が日本人であるため、デュラスは日本人の男を好んでいたようだ。フランス人探偵の情報網から一番人気が作家堀辰雄であることを知り、デュラスは死んだ矢野綾子の名を拝借し、矢野綾子として堀辰夫に接近したようだ。
「風立ちぬ」に出てくる綾子の父はフランス人探偵が用意した役者であり、妙な外人はデュラスに雇用されたフランス人探偵である。デュラスは日本語はしゃべれないはずだが、病気でしゃべれないとか何とか口実を作っただろう。探偵ならそれくらいできる。例え言葉がしゃべれなくても少女時代のデュラスはかわいかったので、堀もそんなことは度外視しただろう。
しかし、療養地で辰夫と恋愛をしながらも、デュラスは結核に病んだ辰夫を諦め、フランスに帰国することにした。デュラスと別れた辰夫はそこから想像力を駆使し、「風立ちぬ」で描かれたその後を仕立てたというわけだ。矢野綾子は小説の中で死んだことにされているが、矢野綾子は二回死んだというわけだ。
一方、人気がある辰夫は女が放っておかず、優性遺伝子ブリーダーの逢引で生まれた子が日本に何人もいたと考えられる。そのうちの一人が宮崎勝次だったようだ。堀が11歳の時の子となるが、フランスやヨーロッパではそういうことはよくあることのようだ。写真を見ると堀辰雄と勝次は良く似ていることが分かる。メガネのチョイスも同じだ。
で、一旦フランスに帰還したデュラスは再度フランス人探偵に依頼し、第二次大戦中の日本に危険を侵して忍び込んだ。そしてデュラスは辰夫の子である宮崎勝次と逢引し、彼の遺伝子を宿した。その時に生まれたのが宮崎駿(1941)である。しかし、駿の引渡しを勝次が要望したため、デュラスは泣く泣く駿を勝次側に引渡した。デュラス側は1942年に死産したことにした。その後、1943年からデュラスは旺盛な作家活動と政治活動を開始した。駿のことを忘れるためだろうか。写真を見ると老いたデュラスと駿は良く似ていることが分かる。
しかし、デュラス原作「二十四時間の情事」がアラン・レネ監督のもと、1958年頃の日本で撮影された。言及は無いが、デュラスも様子を見に短期間同行していたのではないか。このとき、駿は17歳だった。デュラスは成長したわが子を見たかった。「二十四時間の情事」の内容は駿の父勝次との逢引が描かれていると考えられる。戦時中だったため、実際にフランス人探偵がデュラスに与えた日本滞在時間は24時間ほどだったのだろう。
このような複雑怪奇な人生が、デュラスにあのようなアバンギャルドで難解な作品の数々を生ませたといえる。デュラスの人生のほうがおもしろいと言ったら失礼かw(実際にはおれはデュラスの監督作品は大好きだが)
宮崎駿のアニメに出てくる鷲鼻のおばあさんは、じつはデュラスの母である。写真を見れば分かるが良く似ている。また、駿のヨーロッパ趣味は「カリオストロの城」「魔女の宅急便」「紅の豚」などで濃厚だが、当然母方の影響だろう。更に、宮崎吾朗など、駿の息子はデュラスの母に似ている。隔世遺伝か。
更に才能にあふれる駿自身女が放っておかず、女たちは優性遺伝子ブリーダーを使って何人も子どもを儲けている可能性がある。そのひとりが大橋のぞみと考えられる。写真の駿の幼少期に良く似ている。
写真は上から18歳の頃のデュラス(矢野綾子時代)、堀辰雄、宮崎勝次(辰夫に似ているし、眼鏡のチョイスが同じ)と家族、デュラスと母(鷲鼻のおばあさんの正体)、宮崎吾朗(祖母に似ている)、老いたデュラス、若き日の駿(デュラスに似ているし眼鏡のチョイスも同じ)、大橋のぞみ(子どもの頃の駿に似ている)
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