http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/229.html
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今年の夏から、商業捕鯨を再開する日本。私もまだ給食で強制的に食べさせられていた世代ではあるが、なつかしさというものはない。
私にとって肉食というものは、人間が生きていくという原罪を確認する習慣である。本当は生き物を殺さなくたって栄養の補給も食の満足も可能であるが、それで菜食主義に人類が移行することは欺瞞でしかない。人間は神によって雑食の運命を授けられているのであり、また現実を生きることは自分の望む望まないにかかわらず生死を争う闘争のシステムに自己を投じることであり、綺麗事ではないからだ。生命を絶たれるのは畜産された動物などの食用生物だけでなく、人類も総人口の0.05〜0.1%ほどは毎年戦死するのがバランスというものだと私は疑わない。よっぽど民度が上がらない限りそのパーセンテージが適当だと信じる。
近代社会が成立するために、だいたい世界視野でみると200万人ほどの貴重な人命が交通事故をはじめとする科学技術への生贄という形で毎年この世を去っている。これは非人道的すぎる数字であるが、誰もそれを疑い、「おい、もう飛行機も自動車も人間のために廃止しようぜ」とわかりきった正しい結論を声にすることはない。人がこれだけ死んでいても見て見ぬふりする、これこそが人間のあるがままの姿なのである。
自殺者はどうだろう。これも年間だいたい100万件くらいの成功例が記録されている。こんなに地球より重いはずの人命が失われていくのであるなら「おい!人が死ぬ前に、週一回でもコミュニティーごとに集まって心の底から話し合いをして人生のありかたを問い合うべきじゃないか!」という提案があってしかるべきだが、誰も言わないのだ。
これが人間である。人間界が続行されるためには、それなりの生贄が必要になるのである。交通事故の生贄、薬害の生贄、空気汚染の生贄、原子力の生贄、食害の生贄、精神疲労の生贄、まさに我々は戦争の中を生きているのである。
私は鯨は食べないし、鯨の群泳の美しさには感動を覚えざる得ない。私一人が世界を所有しているなら、一頭の鯨さえも殺害されることを許さない。しかし、捕鯨反対派の白痴のような言い草には少しも賛同できないのである。そんなに綺麗事をいいたけりゃ人間やめなさい、そういうことである。生きる、という力学はエグイものなのだ。
さて、本題。
約6年前にコネチカット州で起こった精神薬依存の若者による小学校での乱射劇。
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/901.html
事件の直後には、アメリカの陰謀論者であるアレックス・ジョーンズによって「これは仕組まれた演劇であって、実際の事件ではない」とする説がでてきて、Youtubeなどにも支持者による動画があふれかえった。
それが主な原因で、ジョーンズは大手のSNから締め出しにあったニュースが流れた。
そして事件で亡くなった被害者の遺族たちが、とうとう訴訟を起こした。
根拠のない奇説で実際の被害者を愚弄するようなアレックス・ジョーンズの言論活動は何が目的か?ただの金目当ての詐欺師ではないのか?
悪質なデマを流して、どれだけの収益を得たのか、その商業戦略や成績を遺族たちに公開せよ、という判決が下った。
陰謀論を展開することは、偽情報業者による威圧的な売文行為だということ。これは日本でも半ば認定されているが、それをエンターテイメントとして笑われながら主張しつづける香具師を演じる人のことを、我々はあえて詐欺師とは呼ばないのだ。アメリカ人のように「オオカミ少年がきたぞー」といってオオカミ少年狩りはしないのだ。
私は陰謀論者でも反陰謀論者でもない。真実言論の夢のない人である。
精進と節制だけで人間のポテンシャルは開かず、夢・希望との対比の中で伸縮が起き現実は躍動的に進行していくものだから、無論、夢というのは大きな武器で軽んずべからず、だ。しかし、一度大衆の見る夢から目覚めてしまった者にとっては、くだらん三文芝居につきあうことは苦痛だ。私は真実の中に潜む夢想の意味合いを暴くことで夢を表現していくつもりだ。
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