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英雄と呼ばれる人たちは生年、或いは生没年が同じことがあります。そういう場合は同一人物として考えることも可能である。
例として武市半平太/瑞山(1829〜1865)西郷隆盛(1828〜1877)大石弥太郎(1829〜1916)。武市半平太の父は武市正恒という人物であるが、彼の正体は江戸幕府治世下の日本に潜入して工作活動をしていた清の道光帝だと考えられる。生年は不明だが、没年が同じなのだ。ということは半平太は道光帝の子でもあることになる。
半平太は庶子の異母兄弟を投入し、影武者部隊を編み、明治維新を準備していたと考えられる。立場が危うくなると別の顔と別の名前を使用して隠れた。影武者はそういう風に使うものである。西郷隆盛はじつは大石弥太郎として87歳まで生きたわけだ。明治維新は、じつは道光帝の一族と大谷の一族の2勢力に綺麗に分けることができるが、その話は割愛したい。
吉田松陰(1830〜1859)大久保利通(1830〜1878)。吉田松陰も本体は死んではいなくて、大久保利通として48歳まで生きた。
清岡道之助(1833〜1864)木戸孝允(1833〜1877)。岡田以蔵(1838〜1865)中岡慎太郎(1838〜1867)高杉晋作(1839〜1867)。岡田以蔵の顔は不明だが、中岡と高杉は結構似ている。異母兄弟なのだから似ていて当然だ。だから影武者が機能する。
李鴻章(1823〜1901)勝海舟(1823〜1899)。李鴻章は、中国で活躍しながら、同時に勝海舟として日本で奔走した。これも影武者を投入しているから可能なことである。李鴻章と勝海舟は結構似ている。
高橋泥舟(1835〜1903)福沢諭吉(1835〜1901)。泥舟と福沢諭吉は良く似ている。山岡鉄舟(1836〜1888)坂本竜馬(1836〜1867)。鉄舟と竜馬は全然似ていないが、そういう異母兄弟がいても影武者として投入されたようだ。写真の竜馬は本体か影武者かは不明だ。
中には、早世する帝王の子供もいるが、実際には潜伏し、生存していることが多いようだ。例として名前が無い道光帝の子(1848)鳥尾小弥太(1848〜1905)中江兆民(1847〜1901)。道光帝はわが子を死んだことにして安全な場所に潜伏させ、育てた。その子が長じて中江兆民になった。
戴瀚(1865〜1866)孫文(1866〜1925)夏目漱石(1867〜1916)中村是公(1867〜1927)。戴瀚は1歳で死んでいるが、実際には潜伏させられ、安全なところで成長した。それが孫文だった。また、夏目漱石や中村是公は日本に於いて孫文の影武者として働いていたようだ。そういえば年いってからの漱石と孫文は良く似ている。
名前が無い西太后の妹の子(1875)張作霖(1875〜1928)。この場合も早世した子は安全な場所で育ち、張作霖として成長した。張作霖は他の兄弟(毛沢東の父光緒帝)に良く似ている。
または、敵が多いと死んだことにして逃亡・潜伏する。例として同治帝(1856〜1875)犬養毅(1855〜1932)。西太后の子である同治帝は情けないことに19歳の時、性病で死んだことにされているが、実際には日本に渡り、犬養毅として翌年慶応に入学している。清の皇帝が日本で内閣総理大臣に就任していたのだ。
光緒帝(1871〜18)毛胎昌(1870〜1920)。光緒帝は西太后に毒殺されたことにして湖南に潜んだ。このときに光緒帝は毛胎昌を名乗った。彼は毛沢東の父である。
金哲柱(1916〜1938)金丸信(1914〜1996)。金哲柱は金日成の弟であるが、19歳で死んだことにして日本に渡り、金丸信として生きていたようだ。金丸は1990年に兄である金日成と会談しているが、興味深いことだ。
そういう帝王たちの事例と顔写真を集めて電子書籍にまとめました:
http://p.booklog.jp/book/124616/page/3377019
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