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大隈重信と山縣有朋は浄土真宗の僧侶。というか、それ以前に大隈重信(1838〜1922)と山縣有朋(1838〜1922)は同一人物である。山縣有朋のときは髭を蓄え、頭髪も少々多めだがほぼ同じ顔です。名前が違うから別人だと認識してしまうが、こうして写真を並べると同一人物だ。しかも、2人の生没年は全く一緒です。こんなことあります?誰か気付いてました?おれが最初だろうな。
https://blogs.yahoo.co.jp/kristiancirkusjoe/70821763.html
↑に3人の写真を並べています。上が島地黙雷、中が大隈重信、下が山縣有朋だ。
大隈重信と山縣有朋の正体は西本願寺の僧侶、島地黙雷(1838〜1911)である。生年は同じだが、島地は2人よりも11年早く死んでいる。島地黙雷は、死んだことにして大隈重信と山縣有朋の2人を同時に演じていた!信じられないことだ。大谷は「気付くやつなんているわけねえ」と思っていたのだろうか?大谷は「気付かれたらどうなるんだろう?」というスリルを楽しんでいたのだろうか?
大隈重信と山縣有朋は内閣総理大臣を務めた。2人とも2期務めている。併せて8年だ。異常に短いが、これは浄土真宗の僧侶が大日本帝国の総理大臣だったということだ。つまり、日本は浄土真宗に支配されていることを示している。イエズス会のルイス・フロイスは日本を「悪魔が支配する国」と呼んだ。安倍が出てくる前から日本はトウの昔に悪の本丸である。
おもしろいことに、島地黙雷は政教分離を主張し、大教院を離脱した。で、島地黙雷は「政治と宗教は同じではないので一緒にすべきではない」と述べた。言っていることとやっていることが違うが、笑 これは大谷光暢の子である安倍晋三と同じだ。
伊藤博文、島地黙雷(大隈重信、山縣有朋)は西本願寺の広如の子であり、明治天皇は東本願寺の大谷光勝の子である。明治維新は大谷によるクーデターであり、大日本帝国は悪魔の帝国だったのだ。明治維新には大谷の勢力だけでなく、清の道光帝の一族も参加していたが、これはまた別の機会に。
山縣有朋の時代に戊辰戦争と西南戦争が起きた。戊辰戦争は、伊達家が保護したキリスト教の気風が根付く東北地方の侵略であるし、西南戦争は、大谷の敵であり、浄土真宗を邪教として日本国内で唯一禁止していた、島津氏が治めていた薩摩藩の侵略である。一方、大隈重信は特にデカイことをしていないが、早稲田大学を創設している。早稲田は、大谷の庶子が行く大学なのかもしれない。
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