http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/411.html
Tweet |
神を信じる道を説く頂点に立つ者までが自らを否定する唯物主義を勧めるような狂気世界で生き続けなければならない人類
真実であろうと考えられる断片をつなぎ合わせて現代世界の有り様を俯瞰すると、みえる大局は結局、皆同じで、環境や他種、人類の大部分といった弱者が、極一部の極限にまで堕落した強欲によって、いいように弄ばれている狂気でしかないのだろうか。
だが人々はその自分の立ち位置を全く理解しておらず、結果として、階層構造の下層で、彼等の気違いじみた全ての崩壊への道の協力者に成り下がってしまっている。
弱者の毀損は、間違いなく、あらゆるものの瓦解へと通じる。
さらに今では、宗教界の頂点に立つ者までが、途方もない自己否定発言をして、この狂乱唯物当世を支持している。
キリスト様は、数千年前に降臨し、自らが磔となることで、時間を超越して罪を許すと聖書は言っていると解釈しているが、そこに重大な、あるいは自己の行いを正当化するための、意図的な誤認があるのではないのだろうか。
本当は、
創造主の存在を信じさえすれば、あなたの過去・現在・未来の罪が滅せられ、救われるというのではなく、彼の生きた時代を起点に時空を超え、全ての人々の神の存在を知るまでのその人々自身の過去の罪が滅せられ、一旦創造主を信仰した後は、良心という、彼が与えたもうた心のナビゲーションシステムに沿って生き ようとする努力を惜しまない姿勢が救いの道へと通じる、と解釈すべきではないのだろうか。
これは、創造主の存在をわたしたちが一旦認めた後は、できるだけ
What would Jesus do? (キリスト様ならどうするか?)
の精神を持つ努力を惜しまないようにすることを示唆しているのではないのだろうか?
だから聖書を見ても、神への道は狭き門であるとそこここで確認できるし、神の存在を認識した後も、それを目指そうとしないような大多数は、黙示録にあるように裁かれることになるのではないのだろうか。
弱者で大多数、あるいは大部分である被害者を何ら救済しようとせず、一部の猟奇的とも言える加害者の罪だけを免除するような解釈を正しいとするような思考が狂っており、遂には聖職者の頂点におる者でさえ、主人を冒涜するようになったのではないのだろうか。
良心に逆らって生きている人々は、心に大きなストレスを始 終抱え、病んでおり、またそれが人類の大部分であるために、世界は終わりへと向かってより加速の度合いを増していると思えてならない。
引用部以外はオリジナル
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。